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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四十一回 月にのぼる者

 天正五年(1577年)、十月。信長から離反する者も出る中、将軍足利義昭滝藤賢一)は、諸国の大名に向け、信長を倒すべしと、なおも文(ふみ)を送り続けていました。

 丹波の国では、反信長の土豪、国衆の勢力が根強く、明智光秀十兵衛(長谷川博己)は苦戦を強いられ続けていました。亀山城に破れた国衆を集めた光秀は述べます。

「ご一同の城は焼け落ちた。我らは勝ち、方々は敗れた。無念の情、お察しいたす」光秀は頭を下げます。「所詮(しょせん)いくさに正義はない。勝敗は時の運。明日は私がそこに座るやも知れん」

 光秀は国衆を殺すつもりはありませんでした。国の再建を頼んだのです。

「ぜひぜひ、ご一同、国衆の力をお借りしたい」

 と、光秀は捕らわれた国衆を解放するのです。最後まで残った国衆に、光秀は話しかけます。

「一つおたずねして良いか。我らは、いくさ続きの今の世を変えたい。天下を一つにまとめ、良き世をつくりたい。それに手をお貸し願いたいと、幾度(いくど)も申し上げてきた。しかしなぜ国衆は耳を傾けてくれぬ。なぜ抗(あらが)う」

 残った国衆がいいます。

「我らは、代々足利将軍より領地を授かり、恩顧(おんこ)を受けてきた。その将軍が京を追われ、西国の地から我らに助けを求めておられる。これまでのご恩に報(むく)いるには戦うほかあるまい」

 国衆はそういって去って行きます。光秀は家臣にいいます。

「我らが戦うておるのは、国衆ではない。備後(びんご)の国におられる、足利将軍だ」

 京にある館に、光秀は帰ってきます。書庫に入った光秀は、松永久秀に託された名器、平蜘蛛(ひらぐも)をながめます。それは信長が激しく求めている茶釜でした。光秀は、羽柴秀吉佐々木蔵之介)がやってくるという知らせを受けるのでした。

 秀吉が光秀の館にやってきます。その庭に薬草を届けに来た菊丸がいました。秀吉は菊丸を認めて足を止めます。

 秀吉は光秀と対面し、出陣の挨拶を述べます。光秀は微笑みながら秀吉にいいます。

「私の足下に及ばぬどころか、見事に私の足をすくった」とぼける秀吉を光秀は追求します。「平蜘蛛の釜の一件、覚えがござろう」

 光秀は布を取り去ります。そこには平蜘蛛が置かれていたのです。

「羽柴殿は、松永殿が、生前、私にこの釜を譲ったと知り、信長様にご注進(ちゅうしん)して、信長様が不快に思われるよう仕組んだ」

 秀吉は思わず大声を上げます。

「誰がさようなことを申しましたか」

「羽柴殿には多くの弟がおるそうだな。忍びもどきにあちこちに忍び入り、見知ったこと聞いたことを兄上に報じて、食い扶持を稼いでおるそうな」

「わしの弟が」

「気をつけなされ。その弟は口が軽い。松永殿と私が話しおうているのを、家に忍び入って聞いたと、あちこちに自慢して歩いておるそうな」

 秀吉はその弟の名を聞きます。秀吉は立ち去り際に、ごまかすように菊丸のことを話し出します。

明智様は、何者がご承知の上で、近づけておられますのか」

 その後、秀吉は光秀から名前を聞いた弟を探し出し、殺してしまうのでした。

 光秀は望月東庵の治療院を訪ね、菊丸に会います。信長の京での評判が芳(かんば)しくない、などと世間話を始めます。そのことにもやけにくわしい菊丸。

「しかしそういうこともすべて、三河の殿にお知らせするんだな」

「それは」

 と、困惑する菊丸。

「今さら隠すな」光秀は菊丸に近づきます。「羽柴秀吉殿が、そなたを疑うておる。そろそろ潮時かと思うぞ。そなたは、わしが困っている折、何度も密かに助けてくれた。かたじけないと思うておる。それゆえ逃げて欲しい。秀吉殿の手下は、動けば早い。すぐ京を離れる方が良い。それだけ伝えておく」光秀は菊丸の背を親しげに叩きます。「また会おう」

 と、去って行くのです。

 菊丸が旅姿で通りを行くと、数人の侍に襲われます。機転を利かせて攻撃をかわし、菊丸は逃げ切るのでした。

 近江の安土城に光秀はやって来ました。織田信長染谷将太)と面会します。信長はいいます。

「わしはな、政(まつりごと)を行う者は、世間の聞こえが大事だと思うておる」

「誠に仰せの通り。いずれ本願寺丹波を平定し、毛利を破りましても、人の心がついて来ねば、天下の統一はなりがたいと存じまする」

「案ずることはない。京におけるわしの風評は上々と聞いておる」

「さようでございますか。それは、どなたにお聞きになりましたか」

 皆が申している、という信長。光秀はいいます。

「では松永殿は、何ゆえ殿に背を向けられましたか。公方様はなにゆえ背かれましたか」

 信長は怒ってしまいます。光秀は包みを持ってこさせます。それを持って光秀は信長に近づきます。包みに隠されていたのは、平蜘蛛でした。

「殿にこの釜のありかを問われた折、知らぬと申し上げましたが、いたく後悔をいたしました。殿に対して、一点の後ろめたさがある限り、これは、手もとに置かぬ方が良いと思い、持参いたしました。殿が松永殿を討った勝ち祝いの品として、お納めいただければ幸いと存じまする」

 何がいいたい、と問う信長に対して、光秀は述べます。

「この平蜘蛛の釜ほどの名物(めいぶつ)は、持つ者に、覚悟がいると聞き及びました。いかなる折も、誇りを失わぬ者、志(こころざし)高き者、心美しき者であるべきと。殿にも、そういうお覚悟をお持ちいただければ幸いと存じまする。そのようなご主君であれば、背く者は消え失せ、天下は穏やかにまとまり、大きな国となりましょう。城を美しく飾るだけでは、人はついて参りませぬ」

 信長は表情を固め、やがて気さくな顔に変わります。

「聞けば、なんともやっかいな平蜘蛛じゃな」信長は平蜘蛛をもてあそびます。「いずれ、今井宗久にでも申しつけ、金に換えさせよう。その覚悟とやらも込みで、一万貫ぐらいには売れよう。そう思わぬか」

 信長は笑い出すのです。

 光秀は京の三条西実澄(石橋蓮司)の館に来ていました。帝(みかど)への手引きをしてもらうためです。帝は今夜、月見をすることになっていたのです。

 月を見に出てきた帝は、驚くことに庭にひかえる光秀に、直接、話しかけます。

「あの月には、奇妙な男が住んでいるというが、その男の名を存じておるか」

「桂男でございましょうか」

「その男が、なにゆえに、あの月へのぼったか、存じておるか」

「月にある、不可思議な木に咲く花をとりに行ったと。幼き頃、母から聞かされたことがございます」

「それからどうした」

「その花を、水に溶かして飲むと、不老不死の力を得るとの言い伝えがあり、男は、その花を、すべて木からふるい落とし、独り占めしようとしたところ、神の怒りに触れた」

「そして、不老不死のまま、あの月へ閉じ込められた」

「はい」

「朕は、先帝から、こう教えを受けた。やはり月は、抗して遠くからながめるのが良いと。美しきものに近づき、そこから何かを得ようとしてはならぬと。なれど、力ある者は皆、あの月へ駆け上がろうとするのじゃ」帝は月を見上げます。「朕はこれまで、あまたの武士たちが、あの月へのぼるのを見て参った。そして皆、この下界へ帰ってくる者はいなかった」帝は光秀を振り返ります。「信長はどうか。この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」

 天正六年(1578年)、秋。光秀の娘、たま、は、細川忠興のもとへ嫁いでいきました。+