日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十四回 焼討ちの代償

 元亀二年(1571年)九月。織田信長染谷将太)は、比叡山延暦寺を攻め、僧侶やそこで暮らす人々を、男女の区別なくことごとく殺戮しました。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、比叡山の事実上の主(あるじ)である覚恕(春風亭小朝)を取り逃がしたことを知らされます。家臣の柴田勝家安藤政信)から

「坊主どもはことごとく討ち果たしましたぞ。もはや比叡山は死に絶えたも同然」

 との報告を受けた信長は、皆に鬨(とき)の声を上げさせます。光秀は布に包まれた首が積まれた場所にやって来ます。すると信長に声を掛けられるのです。

「此度(こたび)の勝ちは、そなたに負う所、大(だい)じゃ」

 と、比叡山周辺の滋賀郡を、光秀に褒美として与えることを伝えるのでした。二万石の領地です。

 京の二条城では、将軍足利義昭滝藤賢一)が摂津晴門片岡鶴太郎)を前にしていました。

「信長は何をしでかすか分からぬ男ぞ。これを見て、京の者がなんというか分かるか。幕府は、信長のいいなりで、叡山滅亡の片棒をかついだ。仏法の灯りが消え、世に闇が訪れるのは、幕府が無能ゆえとな」

 と、悲鳴を上げるように義昭はいいます。摂津は提言します。

「この際はっきりと、織田との関わりを断つべきかと存じます」

「どのようにして」

「今、大和の国では、筒井順慶駿河太郎)殿が、松永久秀吉田鋼太郎)とにらみおうておられます。筒井殿は公方様の分身のようなお方。松永の後ろ盾は織田信長。この両者のいくさが始まるとき、幕府は筒井殿に援軍を送ればよろしいのです。松永は必ず織田に助けを求めましょう。となればいくさの内実は、幕府と織田のぶつかり合いとなり、互いの立場がはっきりいたします」摂津はさらに語ります。「織田が幕府の敵と分かれば、近隣の大名たちが馳せ参じましょう。皆、田舎大名には頭を下げたくありませぬ。いくさは所詮、数を集めた者が勝つ」

 義昭は声を出すことができません。

 光秀は京にある自分の館に戻っていました。そこで娘のたまが市場へ出かけたと知らされます。

 たまは藤田伝吾(徳重聡)を共に、京の街を歩いていました。珍しい鳥に心を奪われます。しかし突然飛んできた石つぶてに、たまは傷を受けるのです。群衆の中に、叫ぶ者たちが見えます。

明智光秀。鬼。比叡のお山で、何人殺した」

 叫ぶ男たちは、さらに石を投げつけてくるのです。伝吾は近くにいる医者を尋ね、望月東庵の名を聞きます。

 光秀は街を走り、東庵の所にやって来ます。たまの傷の様子を見て、光秀はいいます。

「悪いのは、父だ。父が叡山でいくさをしたからだ。この都には、身内を失った者もあまたいよう。皆、気が立っておる。そうさせたのは父だ。そなたをそのような目にあわせたのも、父だ。謝る」

 東庵の医院で、光秀は駒から、将軍義昭が信長から離れようとしていることを聞きます。幕府は筒井順慶の後ろ盾として、松永といくさを始めるとことになるかもしれない。義昭がそのようになるかも知れないといったというのです。やがて義昭と信長が敵として向き合うことになるのではないか。

「それがまことなら。それは止めねば」

 という光秀。筒井順慶は、京にいるはずでした。光秀は順慶の宿所を訪れます。順慶はいいます。

「わたくしは信長様を敵にするつもりはありません」

 しかし松永を放っておく訳にはいかないとも話します。光秀は提案します。堺へ寄って今井宗久陣内孝則)のもとで茶を飲むのはどうか。順慶はそれを承諾します。

 堺の今井宗久の屋敷に順慶と光秀はやって来ます。宗久は二人を案内しながらしゃべります。

明智様がお話しをされたいというお方も、昨日からこちらへ逗留され、この上においででございます」宗久は二階の部屋を見つめます。「いかがいたしましょう」

 光秀は宗久にいいます。

「茶をいただく前にお会いしておきたい」

「筒井様もご一緒に」

 と、宗久はたずねます。順慶が返答する前に光秀がいいます。

「二階に松永様がおられます。しばしお話しなさりませぬか」

「よろしい」

 と、順慶はうなずくのです。

 松永と順慶はとても打ち解ける様子はありません。松永は階段に光秀を呼び出します。

「わしにどうしろというのだ」

 と、訴える松永。

「筒井様とのいくさをやめていただきたいのです。お分かりでしょう。公方様と信長様の立場が」

 松永は納得しません。

「大和でなくてはいけませんか」光秀は切り出します。「近江はいかがか。私が信長様から拝領した滋賀は良いところです。お譲りいたします。石高は二万石。それでいかがでございましょう」

 松永はあっけにとられます。松永は腰を下ろし、光秀にも階段に座るようにいいます。

「よいか。わしはな、信長殿が公方様と上洛されて以来、あの二人は永くは保つまいと思うておる。おぬしがいくら案じようとも、二人はいずれ必ず袂(たもと)をわかつ」

「それでは困るのです」

 という光秀。

「信長殿は何でも壊してしまうお方だ。だが公方様は守ろうとする。古きもの、仏、家柄。あの二人はまるで水と油ほどにも違う。わしは信長殿が好きだが、比叡山をああまでしろと命じられれば二の足を踏むだろう。神仏を、あそこまで焼き滅ぼすほどの図太さは、わしにはない。あれが天下を穫っていたら」

「それは、私も」光秀は手で顔をおおいます。「松永様と同じでございます。あのいくさのやり方は、私には」

「だが、信長殿を尾張から引っ張り出し、ここまで動かしてきたのはそなたではないか。比叡山のことは心が痛むが、あれをやらねば世は変わらん。おぬしはそう思うておる。違うか。所詮、信長殿とおぬしは根がひとつ。公方様とは相容れぬ者たちだ。いつか必ず、公方様と争うときが来る。わしはそう思うておる」

 松永は一人、階段を降ります。呼び止める光秀。

「だが、滋賀の領地をわしによこすというそなたの心意気は了としよう。筒井とのいくさ、一旦、手を止めても良い」

 美濃の岐阜城にて、光秀は信長に報告します。松永が和議に応じたことを信長は喜びます。実は信長は、筒井側に立って、松永を討つつもりでした。

「仕方があるまい。松永側に立って、公方様と角突き合わせることになれば、都に荒波が立つ。それでは御所におわす帝(みかど)の、御心(みこころ)を悩まし奉(たてまつ)ることになる。それはまずい」

「公方様のご意向にそうため、ではないのですか」

「ちがう」信長は書を閉じ、光秀に向き直ります。「公方様のいわれることは、いちいち的外れじゃ。相手にしておれぬ。それを思えば、帝のおおせになることは、万事重く、胸に届くお言葉じゃ」

「また、御所へ参られたと、聞きました」

「うむ。比叡山のいくさの奏上のためにな」

「帝はあのいくさを何と」

「叡山の座主(ざす)、覚恕は我が弟であり、誠にいたましきいくさであったが、やむを得まいとおおせられた。それで都に、末永く安寧(あんねい)がもたらせるなら、よしとしよう。この後(のち)も、天下静謐(せいひつ)のため、励むようにと」

「お褒めをたまわったのでございますか」

「そうだ。最後にこうおおせられた。大儀であった。頼みにしておると」

 信長は笑い声をあげるのでした。

 京の内裏では帝と望月東庵が碁を指していました。帝がいいます。

「昨日、関白が参り、世に流れている噂を聞かせてくれた。朕(ちん)が、織田信長を使うて、叡山から覚恕を追い払うたのではないかと、戯れ言にいいなす者があるという」

「不埒(ふらち)千万な戯れ言でございますな」

 と、東庵。

「あるいはそうかもしれぬと、関白にいうてやった。関白はあきれて、信長は荒々しき者ゆえ、あまりお近づけににならめ方が良いのでは、と苦言を呈して帰って行った。なれど、信長のほかに誰があの覚恕を叡山から追い払うことができたであろう。覚恕は僧侶でありながら、有り余る富と武具で大名を従え、この都を我が物にせんとしたではないか」

 京のはるか東に、甲斐の国があります。そこに覚恕が逃げ込んできていたのです。

比叡山のいたましき有様。つぶさに聞き及んでおります。信長は、仏法の火を消した鬼じゃ。覚恕様。憎き信長を、この信玄が、討ち滅ぼしてご覧に入れまする」

 武田信玄はそういって覚恕に頭を下げるのでした。