大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 信長公と蘭奢待(らんじゃたい)
元亀四年(1573年)、三月。将軍足利義昭(滝藤賢一)は、織田信長(染谷将太)に対し、討伐の兵を挙げます。義昭の井を汲(く)んだ、甲斐の武田信玄は、三方原で徳川、織田の連合軍を打ち破り、三河に侵攻していました。しかし武田軍は突如、兵を引き返したのです。
武田軍の引き上げる様子を見ていた徳川の忍び、菊丸(岡村隆史)は何か感じるところがありました。
義昭は宇治の慎島(まきしま)城に陣を構えていました。義昭は両の拳で床を打ち付けます。
「朝倉、浅井、そして信玄。なぜじゃ。なぜ姿を見せん。皆、わしを助け、信長を討つと書いておるではないか」
その部屋に敵兵がなだれ込んでくるのです。家臣たちは次々に討ち取られ、木下藤吉郎(佐々木蔵之介)が乗り込んできます。
将軍足利義昭は、とらわれの身となるのでした。
義昭は宇治の枇杷庄(びわのしょう)に置かれましたが、命を取られることはありませんでした。
明智光秀十兵衛(長谷川博己)が通りを歩いていると、ぶつかってくる子供がいました。その子を助け起こそうとした男が、光秀に紙片を渡します。それは菊丸の書いたものでした。「信玄」の文字が見えます。
光秀が信長に報告のために訪れると、信長は五つの半紙を床に並べてながめていました。
「改元を言上した」と、信長はいいます。「本来、改元の申し出は、将軍が行うべきもの。なれど、今や将軍はおらん。わしがその役目を負わずばなるまい。違うか。そうしたら見よ。さっそく朝廷から、五つの案を出してきた」
信長はその中から「天正」に決めるのでした。信長は武田軍のことを気にしています。光秀は菊丸からの情報を披露します。
「まだ確かなことは分かりませぬが。武田信玄が、死んだという噂がございます」
元号が改まった、天正元年八月、浅井家の重臣が寝返ったという、大きな知らせが入ります。信長はすぐさま、近江に出陣します。同じ頃、朝倉義景も越前から出陣します。信長は再び、朝倉、浅井軍と相対(あいたい)しました。織田軍の奇襲により、朝倉家家老、山崎吉家(榎本孝明)が討ち死にします。勢いを増す織田軍は、朝倉義景の本拠、一条谷へも突き進み、火をかけます。
地図を見て作戦を考える朝倉義景に対して、脇差しが置かれます。置いたのは義景のいとこである朝倉景鏡(手塚とおる)でした。
「もはやこれまで。義景殿、ここは潔(いさぎよ)くお腹を召されませ」
寝返った景鏡はすでに義景の居場所を包囲していました。越前の朝倉義景は散り、朝倉家は滅亡します。
信長は小谷城も攻め落とし、近江、浅井家も滅ぼしました。
二百四十年続いた室町幕府は、ついに倒れました。群雄が割拠した乱世は、信長による、新しき時代を迎えようとしていました。
京の妙覚寺では、商人の今井宗久(陣内孝則)が、朝倉家の持っていた箱や壺などの鑑定を行っていました。信長は光秀を近くに呼びます。松永久秀が許しを請うてきたというのです。信長は光秀に意見を聞き、許すことにするのです。その代わりに多聞山城を取りあげることにします。
鑑定が終わったあと、宗久は信長にいいます。
「これだけのものを一手に収められた方は、ほかにはございますまい。もはや天下を取ったも同然」
信長はつぶやきます。
「蘭奢待」
それは古くから伝わる香木でした。宗久はいいます。
「大きなことを成し遂げた者しか、見ることかないません」
「そのようじゃな」と、信長。「わしはどうかな。今のわしは、蘭奢待を拝見できると思うか。」
と、宗久に聞きます。宗久はしばし考え、笑い出します。
「それはもう。今や、この国のお武家衆で、織田様の右に出る者はおりませぬ。拝見には、何の障(さわ)りもございますまい」
光秀はいいます。
「もし拝見となれば、東大寺はもとより、帝(みかど)のお許しを得ませんと」
光秀と宗久は廊下で話します。
「宗久殿はどう思われますか。蘭奢待拝見について。殿はいったい何をお考えなのか」
宗久はいいます。
「公方様を京から追われ、朝倉、浅井を討ち果たした。今や、京の回りに敵なし。いわば、一つの山の頂(いただき)に立たれた。そういうお方なればこそ、見たい景色があるということでございましょう」
光秀は同意しかねます。
「そうであろうか。まことに、そうであろうか。私にいわせれば、頂はまだこれから。公方様を退(しりぞ)け、さて、これからどのような世をおつくりになるのか。今はそれを熟慮すべき大事な時。まだ山の中腹なのです。頂は遠い」
「なるほど。しかしあのお方は今、ここでご自分の値うちを知りたがっておられる。人の値打ちは目には見えません。しかし何か見える形でお知りになりたい。違いますか。見る景色が変われば、人もまた変わるとは」
内裏にて、三条西実澄(石橋蓮司)が、帝に拝謁していました。
「将軍家なき今、信長を、しかるべき官位につけねばなりません」
「今、信長には勢いがある。天下静謐(せいひつ)のための働きは見事である。褒美をやっても良い。とは思うが。蘭奢待を所望というて参った」
天正二年(1574年)、三月二十八日。東大寺の正倉院の扉が開かれました。古きより伝わる、香木の蘭奢待が、百十年ぶりに運び出されました。多聞山城にて、その箱が開けられます。蘭奢待が信長の前に姿を現しました。蘭奢待には、切り取ったあとがありました。三代将軍、六代将軍、八代将軍が持ち帰ったと僧が説明します。
「その次が、わしか」信長は感に堪えた表情です。「拝領つかまつりたい。この信長にも、ぜひ」
信長は家臣の佐久間信盛と話します。佐久間はいいます。
「殿もこれで、歴代将軍と肩を並べられました」
信長は二つの蘭奢待の破片を持ちます。
「ひとつ、帝に差し上げよう。帝もきっとお喜びじゃ」
帝のもとへ蘭奢待が持ってこられます。驚く三条西実澄。帝が発言します。
「朕が喜ぶと思うたのであろうか。信長は」
「まことにもって恐れ多いことにございまする」
「毛利輝元が関白に、これを所望したいと願うているそうじゃ。毛利に送ってやるが良い」
「しかし毛利は目下、信長とにらみおうている間柄」
「それは朕のあずかり知らぬこと。織田信長。よくよくの変わり者よのう」