元亀二年(1571年)、秋。比叡山の戦いで、一番手柄をあげた明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、信長から、近江の国、滋賀の地を与えられ、琵琶湖のほとり、坂本に、新たな城を建てようとしていました。
光秀は京の館で、その城の造りについて考えていました。しかし気がすすまない様子なのです。
「住むのはやはり、ここが良い」
と、妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)にいうのです。
「上洛してわずか三年で城持ちの大名になられるのですよ。家中の者は皆、喜んでおります。坂本に参る日を、皆、楽しみにしております」
と、無邪気に熙子は語ります。そこへ木下藤吉郎(佐々木蔵之介)がやってくるのです。
藤吉郎は信長からの命令書を持って来ていました。
「殿は朝廷の方々をどうお助けし、喜んでいただくか。それで頭がいっぱいのご様子」
そういう藤吉郎に対し、光秀の表情は曇ります。
「お気持ちは分かるが、これでは幕府に喧嘩を売るような中身ばかりだ」
藤吉郎は軽く言い放ちます。
「よろしいではござりませぬか。明智様もそうしてこられた」藤吉郎は間を置きます。「もはや、殿は、公方様や幕府なんぞはどうでもよい。朝廷と共に敵を討ち果たし、天下を治める。私などはそれで結構かと存じますが」
「それは違う」光秀ははっきりといいます。「公方様を頭にいただく幕府が、諸国の武家を束ねてこそ世が治まるのだ。今、その幕府は病んでおる。我らがそれを正せば……」
「正せますか」藤吉郎は光秀から視線を離しません。「幕府は、もう百年以上も内輪もめといくさで明け暮れてきたのです。百年も。私は幼き頃より百姓の下働きや物売りをさせられ、公方様や幕府がどれほどありがたいものかを知らずに育ちました。それゆえかえって世がよう見える時があります。幕府は、そろそろ見切り時では」
光秀は何もいうことができませんでした。
二条城の政所(まんどころ)では、摂津晴門(片岡鶴太郎)が家臣たちに話していました。
「公方様が、本国寺で茶会を開かれる。明智十兵衛も参る。その席で、明智を討つ。そう決めた。明智は幕臣でありながら、織田信長がすすめる朝廷よりのまつりごとを、我らの頭越しに行うておる。まず明智を討って、織田の力を削ごうと思う」
家臣がいいます。
「織田とのいくさも覚悟せねばなりませぬが」
「甲斐の武田もいよいよ動く。朝倉も、浅井も、皆、一斉に攻め寄せる手はずはつけた。ここは我らが断を下して、前へ進むよりほかない」
その頃、東庵の診察所に来ていた、たまと熙子は、藤吉郎の母の、なか、から、光秀が家族を坂本に連れて行かぬようにと、幕府から命令を受けていることを聞くのでした。光秀がいつ敵になるかもしれぬから、人質として京に残しておくのだというのです。
二条城で、将軍義昭(滝藤賢一)と共にいた駒は、義昭がいらついている様子を目にします。義昭は苦しんでいました。
「摂津が十兵衛を幕府から追い出したいといえば、やむを得ぬ。斬りたいといえば、ああそうかと、そういうほかあるまい」
駒は驚きます。義昭は摂津を憎んでいました。しかし味方がほかにいないというのです。義昭は自分から離れ、近江に行こうとする光秀が許せなかったのでした。
駒は伊呂波太夫(尾野真千子)を訪ねます。光秀が討たれるかも知れないことを告げます。駒は太夫に銭の入った袋を差し出すのでした。
本国寺で茶会が催されます。細川藤孝(眞島秀和)が茶会に向かおうとする光秀を待っていました。
「京の茶会には、お出にならぬ方が良い」と藤孝は告げます。「ここから奥は危ない。摂津晴門が貴殿を斬るつもりらしい。すぐ引き返されよ」
光秀は決意の表情を浮かべ、次に微笑んで見せます。
「ご厚意、かたじけのうございます。心して行きます」
そういって光秀は、義昭のいる部屋に、急ぎ足で向かうのです。
途中の部屋で、摂津の手の者たちが、槍を構えて光秀を待ち伏せしています。廊下を渡る光秀に槍が突き出されます。応戦する光秀。繰り出された槍の一つが、光秀に傷を与えるのでした。もとより光秀は、敵を倒すつもりはありません。摂津の手の者たちを振り払い、義昭のいる場所へと急ぎます。
「ここは公方様の」
と止める者たちを
「どけ」
と押しのけて光秀は進みます。ついに義昭のいる部屋にたどり着くのです。ひれ伏し、
「明智十兵衛でございます」
と、叫びます。おののく義昭。やがて義昭は光秀を追ってきた者たちを一喝します。
「何事じゃ。下がれ」
おもてをあげよ、と命じられた光秀の顔は笑顔でした。
「何がおかしい」
と、問う義昭に、光秀は語ります。三年前にも、この本国寺で大騒ぎがあったことを思い出した。三好の一党に襲われ、義昭と穴蔵へ逃げ込んだ。その時は恐ろしくもあったが、楽しくもあった。花の咲き誇る都にまた戻さねば、と話し合った。
「近江で初めてお会いして、上洛するまで三年。そしてこの三年」光秀は言葉に力を込めます。「古きものを捨て去る、良い区切りではありませぬか。摂津殿や、幕府内の古き者たちを」
「捨て去って」義昭は涙を流して激高します。「その後はどうする。信長が、勝手気ままに京を治めるのを黙って見ておれというのか」
「わたくしがそうならぬよう努めます。信長様が道を外れるようなら、坂本城はただちにお返しいたし、この二条城で、公方様をお守りいたす所存。越前を公方様と出るとき、おのれに言い聞かせました。我ら武士は、将軍をお守りせねばと」
義昭は立ち上がって光秀に近づきます。今日の茶会は取りやめにすることを告げます。そこへ三淵藤英(谷原章介)がやってくるのです。茶会の取りやめを命じると、摂津にそれを伝えても、引き下がることはしないだろうといいます。三淵は提案します。
「弟、細川藤孝の家来どもが門前に控えております。公方様のお下知とあらば、その者たちを中に入れたく存じますが、それでよろしゅうございますか」
「やむを得まい。そなたに任せる」
「万が一」三淵は問います。「摂津殿が従われぬ場合、いかが計らえばよろしゅうございますか」
「従わねば捕えよ」と、義昭は叫びます。「政所の役を免ずる」
「ただちに」
三淵は立ち上がるのでした。義昭は立ったまま光秀にいいます。
「ただ、いうておくぞ。信長と、わしは性(しょう)が合わぬ。会うた時から、そう思うてきた」
これにより摂津は、三淵の指揮により捕えられるのです。
数日後、光秀は伊呂波太夫を訪ねます。細川藤孝に危機を知らせ、今度の手はずを整えたのは駒に頼まれたからだと太夫は打ち明けます。大夫はいいます。
「それにつけても、幕府のお偉方がごっそり抜けて、これからいよいよ、明智様の肩の荷が、重くおなりですね」
「肩が悲鳴を上げております」
と、光秀は冗談を言い、二人は笑い合うのです。光秀は顔を直していいます。
「以前、太夫から、帝(みかど)は美しいお方だという話をうかがいました。信長様は御所に足繁く通っておられる。帝よりお褒めいただくのが、なによりうれしい。我ら武士にとって、将軍、公方様がそうであると、私は思うのだが。しかし、信長様は帝に。分からなくはないが、やはり、分からない」
立ち去ろうとする光秀に太夫は声を掛けます。
「帝の覚えがめでたいお方がいますよ。この近くに。これからそのお方に、栗をお届けしようと思っていたところです。お会いになってみます? 」
大夫と共に訪れた先の人物は、書物を読んでいて、光秀を相手にしません。栗を口に運んでいます。その人物は三条西実澄(石橋蓮司)でした。実澄は万葉集の歌読みは誰が好きかと光秀に問います。柿本人麿だと光秀が答えると、実澄はその理由をたずねます。さわやかに光秀は語ります。
「国と帝。家と妻への想い。そのどちらも、胸に響く歌と存じまする」
実澄は栗を口に入れながら、書物に目を落とします。
実澄は内裏にやって来ていました。御簾ごしに帝に拝謁します。帝がいいます。
「実澄の館に、明智が参ったのか」
「明智をご存じであらせられますか」
「近頃その名をよく耳にする。信長が一目置く武将じゃと」
実澄は光秀が柿本人麿の話をしたことを伝えます。
「久しぶりに、歯ごたえのあるもののふに会うたなと」
「実澄、気に入ったのであろう。明智を。折を見て連れて参るが良い」