大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第1回 栄一、目覚める
文久四年(1864)。京の野道を武士の集団が馬で駆け抜けます。それを待つ二人の青年がいました。青年たちは近づいてくる集団の前に立ちふさがります。
「渋沢栄一でございます」
と、叫びます。騎馬の武士たちはかまわず駆けてきます。もうひとりの青年に引き戻される栄一(吉沢亮)。騎馬は栄一たちの前を走り抜けていきます。栄一は走って集団を追い、声を張り上げます。
「それがしは、渋沢栄一でございます」
後ろの青年(高良健吾)も叫びます。
「それがしは、渋沢喜作と申します」
栄一はなおも走りながら大声を出します。
「今、すでに徳川のお命は尽きてございます」
「馬鹿、余計なことを」
喜作が叫びます。
「いかに取り繕うとも、すでにお命は」
そこまでいいかけて栄一は転ぶのです。顔を上げてみると、騎馬の集団は止まっています。身分の高そうな武士(草彅剛)が馬を返します。栄一と喜作は、刀を横に置いてひれ伏します。二人は武士たちに囲まれる形になります。その一人は刀を抜き放っていました。
「そなた今、なんと申した」
身分の高そうな武士がいいます。ひれ伏しながら栄一は述べます。
「すでに徳川のお命は尽きてございます。あなた様は、賢明なる水戸列侯のお子。もし、天下に事のあったとき、あなた様がその大事なお役目を果たされたいとお思いならどうか、この渋沢をおとり立てくださいませ」
身分の高そうな武士は徳川慶喜でした。
「おもてを上げよ」と慶喜はいいます。「いいたいことはそれだけか」
「否、まだ山ほどございます」
それを聞いて吹き出す武士(堤真一)がいます。慶喜が振り返ります。
「円四郎、そなたの仕業か」
「はっ」
と答える武士。慶喜はいいます。
「この者たちを明日、屋敷へ呼べ。これ以上、馬の邪魔をされては困る」
慶喜は馬を返します。
「ははっ」
と、答え、円四郎は栄一に微笑みます。
渋沢栄一と徳川慶喜の、この出会いから、日本は近代に向けて動き出すことになるのでした。
天保十五年(1844)。渋沢栄一が少年時代を送るのは、武蔵国(むさしのくに)です。
「置いてけぼりは嫌だ」
の声が里芋畑に響き渡ります。父の市郎右衛門(小林薫)が町に出かけるのです。栄一は自分も行くといって聞きません。
「強情もいいかげんにしろ、栄一」
と、栄一は父に頭から籠に入れられるのです。栄一はこの時、四歳でした。
その日の夕方は、ひどい騒ぎになっていました。栄一がいなくなったのです。使用人たちも総出で栄一を探します。
「あの子はうんとさみしがり屋で」
という母のゑい(和久井映見)に対して、祖母のまさ(朝加真由美)はいいます。
「さみしがりいうより、強情っ張りなんね」
祖父の宗助(平泉成)が心配します。
「栄一の奴、人さらいにあったんじゃねえだんべか」
朝になります。母のゑいが蚕(かいこ)棚を見回っていたところ、栄一を発見するのです。栄一はわらの中に寝ていました。母に抱きつきます。ゑいも栄一を抱きしめます。
「ずっとここに寝てたのかい」
ゑいが聞きます。
「ここで隠れといてたまげさせてやるべえと思ったんだ」
父の市郎右衛門がやって来ます。
「馬鹿もん。皆がどれだけ心配したと思ってんだ」
栄一に悪びれる様子はありません。
「そんなん、とっさまが俺を置いていくからいけねえんだんべ」
「何」
栄一は市郎右衛門に迫ります。
「置いていくなというのに置いていくんだから、どんなことになっても構わねえ」
そこまでいいかけた栄一に
「ふざけるな」
と市郎右衛門はげんこつを落とします。そして栄一の体を担ぎ上げて連れ出します。残されたゑいは嘆きます。
「あの子の強情っ張りにはあきれたもんだいね」
市郎右衛門は栄一に正座させて言い聞かせます。
「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久のもとい。怒りは敵と思え」
「どうしてなん」栄一は途中で口を出します。「どうして怒りは敵なん」
「口を挟むな」
それは徳川家康の言葉でした。父のお説教が終わり、栄一は母のもとにやって来ます。
「そんでもなあ、かっさま。俺はちっとんべ嬉しかったよ」
「はあ、嬉しい。何が」
「みんな俺を置いていかなきゃ良かったと思ったんべ。ほれ見たことかだ」
「まあ、何てことを」ゑいは諭すようにいいます。「思い浮かべてみな。とっさまの気持ち、かっさまの気持ち。お前を心配してくれた姉様や、おじさま、おばさまや、働き手みんなの気持ちを」
「そんなにたくさん思い浮かべるのは大変だに」
「思い浮かべんの。人は、生まれてきたその時からひとりでないんだよ。いろんなものとつながってんだよ」ゑいは自分の胸に手を置きます。「それをここの奥底だってわかってんだよ。一人じゃないことを」
栄一も胸に手をやります。
「おお、ここか」
「ここに聞きな。それがほんとに正しいか。正しくないか。あんたが嬉しいだけじゃなくて、みんなが嬉しいのが一番なんだで。わかったいね」
栄一は、ごめんよ、と謝るのでした。夜、栄一は作業をする右衛門の所にやって来ます。
「とっさま、おやすみなさいまし」
と、深く頭を下げるのでした。
栄一たちの暮らしているのは、武蔵国(むさしのくに)の北にある血洗島(ちあらいじま)です。土の質が稲作に向かないため、畑で麦や野菜を育てたり、カイコから生糸をとる養蚕(ようさん)をしたりして暮らしていました。また、この地の大事な収入源となっていたのが、衣類を青い色に染めるための藍作りでした。藍づくりは、藍の葉を育てるだけでなく、それを加工して藍玉(あいだま)と呼ばれる染料にするまで、大変手間のかかる仕事でした。美しい色を出す藍は人気があり、値も高く売れましたので、この辺りの領主である岡部藩を支えるほどに儲けるようになり、栄一の父、渋沢市郎右衛門は、農民として、また、藍玉作りの職人として、そしてそれを売る商人として一年中、忙しく暮らしていました。
そしてその息子の栄一は、人一倍わんぱくで、人一倍おしゃべりでした。栄一といとこの渋沢喜作は、広い畑を朝から晩まで駆け回って遊んでいました。
この緑豊かな血洗島から、東に百五十キロ離れた常陸国(ひたちのくに)水戸では軍事訓練が行われていました。水戸城外の千原ケ腹に、侍たちが集合しています。大砲を撃ち放ち、槍組が繰り出していきます。徳川御三家、水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)(竹中直人)が指揮をとっていました。その頃、限られた国としか付き合いのなかった日本に、多くの外国船が、国交を求めて訪れるようになっていたのです。斉昭はいち早く、日本を外国から守ると立ち上がり、軍事訓練を始めていたのでした。訓練が一通り終わると、従者を連れた少年の武士が、皆の中を走り抜けていきます。七郎麻呂。後の徳川慶喜でした。七郎麻呂は放たれた雉(きじ)を弓で見事に射落とします。
七郎麻呂は厳しく育てられていました。食事について父の斉昭がいいます。毎日黒豆を百粒ずつ食べろ。牛乳を飲むを一生続けろ。湯茶は飲むな。果物のような水ものも、極力ひかえよ。当主たる者、常に乾いておらねばならん。湿る濡れるは万病の元。
「そなたには、人の上に立つ器量がある。いずれは、この父より、さらに多くの者の上に立ち、その命運を、担うことになるかもしれん。太平の世は終わった」
七郎丸に話し続ける斉昭に、公儀より使いが来た、との知らせが入ります。幕府は斉昭に、大砲を連発して世の中を騒がせたとして、隠居、謹慎を申しつけました。過激ともいえる思想を持つ斉昭は、幕府から警戒されていたのです。幕府老中の阿部正弘(大谷亮兵)が斉昭にいいます。
「寺からも鐘や仏像を召し上げ、大筒をつくるとは何事かと」
斉昭は抗弁します。
「すべて日の本を守りたいがためのこと」
「水戸に謀反の企てあり、との密告もありましたぞ」
「謀反。何を馬鹿な。この私が、どれだけ日の本のことを案じておるか。なぜ上様にはわかっていただけんのか」
六歳となった栄一は、父、市郎右衛門から、読み書きを教えてもらうようになっていました。栄一は記憶力に優れており、書物の内容をすぐに覚えてしまいます。市郎右衛門がその内容を説明します。
「上(かみ)が正しい政(まつりごと)をし、皆に幸せをもたらすということだ」
「上とは、金太郎ですか。お代官様ですか。公方様か」
「公方様でも、親でも師匠でも、人の上に立つ者は皆、上だ。上に立つ者は、下の者への責任がある」
「責任とは何だい」
「ほだな、大事なものを守る務めだ」
栄一のもう一人の遊び相手はいとこの長七郎でした。その日も棒で遊んでいると、代官一行がやってきます。栄一たちはひれ伏してその行列の過ぎるのを待ちます。行列の中には、かごに入れられた罪人がいたのです。
「きっと鬼みてえな奴にちげえねえ」
と、子供たちは罪人のことを想像します。
渋沢の親戚にあたる、尾高の家に栄一はやってきていました。尾高新五郎(田辺誠一)は、父の宗助に水戸で見た軍事訓練の様子を語っていました。
「一方、道中では、水戸様があれだけ国を守ることをお考えなのに、江戸の公方様は何もせず、太平の眠りについたままだという不平も耳にしました」新五郎は感激した様子です。「水戸様は素晴らしい。私もこれからは、水戸の教えを学び、自分なりに日の本のことを考えたいんです」
それを見ていた栄一と長七郎は話します。
「新五郎兄いは立派だな」
と、長七郎。
「なにが俺たちと違うんだがね」
と、栄一。
「俺はともかく、お前は、寂しがり屋だし、甘ったれだし、相撲も弱えし、仕方ねえだんべ」長七郎は続けます。「それに、そもそもおしゃべりな男はおなごに好かれねえだよ。男は黙っているのがいいんだんがな」
そこに栄一の従妹の千代が通りかかります。
「まことか」栄一は千代に話しかけます。「お千代もおしゃべりな男は嫌なん」
子供たちは川に遊びに来ました。千代はそこで櫛(くし)を流されてしまうのです。栄一はその櫛を取りに行きます。いつまでも櫛を探し続ける栄一に千代はいいます。
「千代は一人で探せます。栄一さんはもう」
栄一は千代のところに戻ってきます。
「俺はお千代が大事だ。お千代を幸せにしてえ。俺が歳も上だから、上に立って、きっとお千代を守ってやんべ」
二人で探しに出た場所に、ひどく汚れた格好の男が立っていたのです。栄一たちのところに歩いてきます。栄一を押しのけ、お千代に櫛を差し出します。男は捕り者たちにつかまり、引っ立てられていきました。
「あれは、逃げた鬼かい」
という栄一。
「いいえ、いいお方です」
と、千代。
江戸幕府、第十二第将軍徳川家慶(いえよし)(吉幾三)は、外国の脅威を恐れていただけでなく、内側にも大きな心配を抱えていました。息子家祥(いえさち)に子ができず、このままでは将軍を継ぐ者がいなくなるのでした。将軍に最も近い家柄と言える一橋(ひとつばし)家でも、後継ぎのないまま当主がなくなることが続き、家の存続が危ぶまれていました。老中の阿部正弘が家慶にいいます。
「つきましては、水戸様のご子息を一橋家のお世継ぎに推挙いたします」
水戸から選ぶことに、家慶は反対します。
「水戸から選ぶわけではございません」正弘はいいます。「武芸に秀で、英邁ともっぱらご評判の七郎麻呂様を選びたいのでございます」
正弘が水戸を訪ね、その旨を斉昭に伝えると、
「お断りいたします」
との返事。しかし七郎麻呂を将軍が望んでいることを聞くと、斉昭は承諾します。そして人のいない廊下で妻に喜びを爆発させるのです。
「わが息子は、水戸から初めて出る征夷、大将軍になれるやもしれんぞ」
一方、栄一は、長七郎と喜作と共に、陣屋に忍び込んで罪人の様子を見ることを計画していました。夜、起き出して陣屋に向かう三人。栄一は二人とはぐれ、ひとり罪人のもとにたどり着きます。罪人(玉木宏)は外国語で何か唱えていました。髪飾りをありがとう、と栄一はいいます。
「なんで逃げてたん」
とたずねる栄一。
「牢の戸が開いておってな。少しこの地を見物してそっと戻ろうと思ったのだ。海でも見えはせぬかと」
「岡部に海はねえぞ」
「そうだな。何にもないところだな、ここは」
「それは失礼な話だな。お蚕様がいるだんべ」
罪人は笑い声を立てます。
「この国はどうなるのだろうな」
「この国とは何だい。武蔵国かい」
「日の本だ。私は長崎で生まれた。出島で砲術を学び、シーボルトやシチュルレルからナポレオンの話を聞き、ゲベール銃やモルチール砲を取り寄せ、肥後や薩摩、ひいては江戸でもオンテレーレした。」男は砲術家の高島秋帆でした。「このままでは、この国は終わる」
「なんで。なんで日の本は終わるんだ。どうしたら助けられる」
「それは私にもわからぬ。皆がそれぞれ自分の胸に聞き、動くしかないのだ」
「おお、ここか」
栄一は自分の胸を押さえます。
「そうだ。誰かが守らなくてはな」
栄一は秋帆に叫びます。
「俺が守ってやんべえ。この国を」
帰り道で栄一たちは美しい夜明けを見るのでした。
江戸城にて七郎麻呂が将軍家慶と対面していました。一橋家に入った七郎麻呂は、将軍家慶の慶の字を賜り、徳川慶喜となりました。