日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第24回 パリの御一新

 血洗島の篤太夫の生家に、一人の侍が訪ねてきます。パリで篤太夫と共にいた、外国奉行支配調役の杉浦愛藏(志尊淳)でした。杉浦は篤太夫からの文(ふみ)を届けに来たのでした。篤太夫からの荷物には、写真も入っていました。一枚は額に入れられた民部公子(板垣李光人)の写ったもの。そして髷を切った洋装姿の篤太夫のものがあったのです。これを見た篤太夫の妻の千代(橋本愛)は一言もらします。

「あさましい」

 慶応四年(1868)一月二日。パリの一行に幕府から御用状が届きます。外国奉行の栗本鋤雲(池内万作)がそれを開き、顔色を変えます。

「上様が政(まつりごと)を朝廷に返上したと」

 皆はそれを信じることができません。

 篤太夫は日本総領事のフリュリ・エラールに、証券取引所に連れて行かれます。そこでは男たちがやかましく声をあげていました。篤太夫はエラールに、国債について説明を受けます。さらに社債についても教えられます。篤太夫は腑に落ちない様子でした。

 二月になると、江戸からまた御用状が届きます。そこには慶喜が薩摩との衝突を避けるために京を出て、大阪城に入ったことが記されていました。大阪城には公儀の兵が集結しているとのことでした。栗本は信じられません。

「いよいよ逆賊御殲滅(せんめつ)という、会心の知らせが届くのを待ち望むのみ」

 と、書状を机に叩きつけるのでした。

 篤太夫あての文(ふみ)も送られてきました。見たて養子の平九郎(岡田健史)からのもの。母からのもの。惇忠(田辺誠一)からのものには、長七郎が牢を出たことが記されていました。そして千代からのものには

「お前様が以前と変わってしまい、どうしたことか。あまりにあさましく、見るのもつらきこと。異国になじまねばならぬとはいえ、心苦しく、どうか、以前のような勇ましいお姿にお改めくださいますよう、くれぐれもお願い申し上げます」

 と、書かれていました。篤太夫は笑い声を上げながら頭を抱えます。そして

「会いてえなあ」

 と、つぶやくのでした。

 三月に横浜からフランス人向けの新聞が届きます。そこには京都と大阪の間でいくさがあったことが記されていました。

「御用状にもそうある」と栗本がいいます。「今までの知らせは、嘘偽りではなかったのだ」

 篤太夫が御用状を読み上げます。幕府軍に向けて薩摩の兵が砲弾を放ち、伏見、鳥羽などで昼夜を問わずいくさとなり、ついには全軍が敗走した。慶喜は大阪を立ち退き、船で江戸に戻った。朝廷は朝敵の名を慶喜に負わせ、関東征討の勅命を出し、兵を率いて江戸に向かうとの噂。

「馬鹿な。あろうことか上様が朝敵とは」

 と、取り乱す者がいます。民部公子に知らせる必要があると思われましたが、慶喜からの直書が同封してあり、すでにそれを読んでいるはずとのことでした。

 篤太夫は民部公子の部屋を訪れます。直書には

「せっかく参ったのであるから、急ぎ帰国する考えを抱くことなく、十分留学の目当てを達するように」

 と、書かれていました。篤太夫は意見を求められます。

「真(まこと)を申せば、全くもって解(げ)せませぬ」篤太夫は頭をたれています。「文(ふみ)でお諫(いさ)めになってはいかがでしょうか」

「諫める」

 と、民部公子は聞き返します。

「文(ふみ)にて建白なされるのです。例えば、政権を朝廷に返されたのなら、なぜ兵を動かしたのですか、と。また、いくさのご意志があって兵を動かしたのなら、なぜ最後まで戦われなかったのか」篤太夫の声は感情的になっていきます。「この先、必ず、臆病、暗愚とののしられると分かりながら兵を置き去りにし、江戸へ戻られたのはいかなることでございましょう。朝敵の汚名を着せられ、追討軍に負われても勇敢な家臣と共に戦われず、かようなあり方で神祖三百年の御偉業をみずから捨てられ、東照大権現様に何と申し開きをなされるおつもりか」

 篤太夫の声は高まっていました。いつの間にか自分の気持ちを述べていたのでした。

 四月。栗本たちが一足先に日本に帰ることとなりました。

 篤太夫のもとに、幕府軍として戦っていた、成一郎(高良健吾)からの文(ふみ)が届きました。そこには成一郎が銃弾で負傷した事が書かれていました。

「幸いにも江戸に戻れたが、薩摩、長州、土佐の勢いは盛んで、今や上様はどんな勅命も甘んじて受け入れると、上野寛永寺で蟄居(ちっきょ)をされ、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。しかしお前が国を離れて以来、上様が少しでも尊皇の大儀に背いたことはない。俺は上様の汚名をそそぐため、旗本御家人の同志と同盟を結んだ。きっと挽回の時が来る」

 それを読んだ篤太夫は涙を流すのでした。

 篤太夫は民部公子とコーヒーを飲んでいました。そこに文(ふみ)が届きます。新しい政府からの公文書だというのです。民部公子は思わずつぶやきます。

「新しき政府」

 御一新につき、民部公子も急ぎ帰国せられよとの内容でした。

「御一新」

 今度は篤太夫がつぶやきます。

 書庫で篤太夫は、エラールと話します。

「フランス政府も帰国を勧めています。上様も水戸に謹慎され、帰られても民部公子様に危害は及ばないでしょう」

 そういうエラールに対し、篤太夫はいいます。

「しかし、民部公子は国を出る前、何があっても、学問を続けるよう上様にいいつかっておられた。どうにかして学業を続けていただきたい」

「分かりました」と、エラールはいいます。「じきにロッシュが日本から戻るので、相談しましょう。それからでも遅くはない」

 七月になります。水戸藩主が亡くなったという知らせが民部公子にもたらされます。民部公子は荒い息をつき

「そうか」

 と答えます。それにより朝廷の指示で、民部公子が水戸家を継ぐことが決まったというのです。

「私が、水戸を」

 民部公子は動揺します。

「そんな」篤太夫は考え込みます。「これは何かの謀(はかりごと)だ。民部公子様を、どうにか国に戻そうとする誰かの謀に違いない」

 そこにエラールに連れられて、前駐日フランス公使のレオン・ロッシュがやって来ます。

「御一新など無視して学業を続けましよう」ロッシュは訴えます。「今、日本に帰ったら危ない。会津が新政府軍と戦っていると聞きました。帰れば必ず巻き込まれます」

「いや」決意の声を民部公子は出します。「もう帰ろう」民部公子はエラールたちにいいます。「この国の方々に心から感謝申し上げる」

 エラールたちは民部公子に深く頭を下げるのでした。

 パリの川沿いを民部公子と篤太夫が歩きます。民部公子が立ち止まります。

「渋沢、私は、水戸に帰るのが怖い」民部公子は篤太夫を振り返ります。「日本に戻っても、私の側にいてくれぬか」

 篤太夫は書庫を片付け、帰国の用意をしていました。そこにエラールがやってくるのです。篤太夫はエラールにいいます。

「あなには礼をいわなければならないことがあります」

 篤太夫はエラールに勧められた国債と鉄道債を買い、利益を上げていたのです。エラールはいいます。

「その日本のお金が、フランスの鉄道にも役立った」

「しかり。皆の小さき一滴一滴が流れを作り、皆が幸せになる。こんなトレビアンな術があるのかと、あなたは俺に教えてくれた」

 篤太夫証券取引所での出来事を思い出していました。

「キャピタルソシアル」とエラールはその制度について説明します。「上下水道や鉄道もそう。志は良くても、一人ではできそうにないことが、多くの人から少しずつ金を集めることで可能になる。貸す方だって、ただ貸すのではない。事業がうまくいけば、なんと、配当金をもらえる」

 篤太夫証券取引所にいる人々を見下ろします。

「一人がうれしいのではなく、皆が幸せになる。一人ひとりの力で、世を変えることができる」篤太夫は胸を押さえます。「おかしれえ。これだ。俺が探し求めてきたのはこれだ」