日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第26回 篤太夫、再会する

 篤太夫吉沢亮)は、桑畑を抜けて、故郷の血洗島に帰ってきます。辻に長七郎(満島真之介)が座っていました。

「出迎えに来てくれたのか」

 と、篤太夫はたずねます。長七郎は笑い声をたて、いいます。

「どうした、その頭は」

 篤太夫も、髪の毛をさわりながら、複雑な表情で笑います。

「俺も変わっちまったが、日本も変わっちまった。なんと多くの命が奪われたんだ。まさか、平九郎が」篤太夫は声を荒げます。「俺はいったい何なんだ。幕府を倒そうとしたはずが、逆に幕府に仕え、あげく、幕府が倒され、世話になった者の多くが死に、離散し、いまはもう主(あるじ)もいねえ。喜作は今も……」

「相変わらずよくしゃべるのう」長七郎が篤太夫をさえぎります。「栄一、それを俺にいうか。悔しいのは俺だ。俺こそ何も成し遂げられなかった」

 篤太夫は長七郎に近づきます。

「そんなことねえ。俺も喜作もお前を追って、お前を目指して。横浜焼き討ちの時もお前の言葉がなければ、皆、死んでいた」

「だが、お前は生きておる」長七郎は立ち上がります。「生き残った者にはなすべき定めがあると、お前がいったんだ」

 ここで篤太夫は目を覚まします。長七郎とのやりとりは夢だったのです。篤太夫はまだ血洗島に着いていませんでした。

 篤太夫が血洗島に帰ってきます。辻に長七郎はいません。篤太夫は菜の花の咲き乱れる向こうに生家を見るのでした。篤太夫はつぶやきます。

「国破れて山河ありか。何もかも変わっちまったかと思ったら、ここはなんも変わらねえ」

 篤太夫の父の市郎右衛門(小林薫)は、待つことに我慢できず、篤太夫の妻の千代(橋本愛)と、子の、うた、共に道に出ます。市郎右衛門は、うたを抱き上げます。菜の花畑の向こうに篤太夫を認めたうたは、市郎右衛門にたずねます。

「あれはどこかのお殿様ですか」

 市郎右衛門は答えます。

「いや、うた。あれがお前のとっさまだ」

 うたは恥ずかしがって、市郎右衛門の方に顔をうずめるのでした。

 篤太夫が千代とうたに気がつきます。

「おいで」

 と、篤太夫はうたに向かって手を広げます。うたは千代の表情を確認した後、篤太夫の胸に飛び込んでいくのでした。篤太夫はうたを抱き上げます。やがて千代にいうのです。

「みっともねえか」 

「いいえ」千代は嗚咽しながらいいます。「お帰りなさいまし」

「ただいま」

 といい、篤太夫は千代とうたを抱きしめるのでした。家の方では女たちが歓迎の声をあげています。

 しかし篤太夫は歓迎ばかり受けたわけではなかったのです。篤太夫の妹のてい(藤野涼子)がいいます。

「なんだい、自分だけ、けえってきて。兄様が、平九郎さんを見立て養子になどしなければ、今頃、平九郎さんは、村で普通に暮らしてたんだに」

 市郎右衛門がいってくれます。

「おてい。それは栄一(篤太夫)もようく分かってる」

 篤太夫は尾高の家に行こうとします。しかし止められるのです。尾高の家には今、誰もいないというのです。先月、長七郎が亡くなっていたのでした。

 夜、篤太夫の話を聞きに、村の者たちが集まります。篤太夫は面白おかしく、パリで見てきたことなどを語るのです。

「何棟も連なった長屋にそれぞれ車輪が付いてて、それが蒸気機関の仕組みで黒い煙を吐きながら、鉄の道をダダダダダって進むんだ。壁一面には障子ではなく、透き通ったガラスがはめ込んである。あまりに透き通っているもんで、民部公子のお供の者が、何度も頭をぶつけておった」

 翌日、篤太夫に会いに、成一郎の妻である、よし(成海璃子)がたずねてきます。篤太夫はよしに、徳川方が五稜郭を攻め落としたことを知らせます。よしは喜びます。

「そうですか。よかった。では喜作(成一郎)さんたちは函館に新しい国を作れるんだいね」

 その成一郎(高良健吾)は土方歳三(町田啓太)と共に函館にいました。敵も治療するのかと医師の高松凌雲(細田善彦)に、いぶかしげにたずねます。

「怪我人に敵も味方も、富豪も貧乏人もない。私はそれを、もう一人の渋沢とパリで学んだ」

 凌雲は忙しげに治療しながら語るのでした。

 篤太夫は尾高の家を訪ねます。誰もいないはずのそこには、尾高惇忠(田辺誠一)がたたずんでいたのです。惇忠は篤太夫を避けるように、出て行こうとします。

「待ってくれ。兄ぃ」

 篤太夫は呼び止めます。

「俺とて、お前と話がしたい」惇忠は背中を向けたままいいます。「しかしもう、誰にもあわす顔がねえ。いくさで死ぬことも、忠義を尽くすこともできず、ひとりおめおめ生き残るとは」

 篤太夫は惇忠の言葉をさえぎります。

「いいや。兄ぃはいくさで死なねえで良かった。生きててくれて良かった。合わせる顔がねえのは俺だ。パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に、いくさをするんじゃねえ。畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが、俺の戦い方だったんだ。ようやく気付いて、お千代にも、平九郎にも、とっさまにも、かっさまにも、本当に申し訳ねえ。俺は、この恥を胸に刻んで、今一度前に進みたい。生きている限り」

 篤太夫は泣き崩れるのでした。

 篤太夫は長七郎の出てきた夢を思い出していました。長七郎はいいます。

「さあ、前を向け、栄一。おれたちがかつて悲憤慷慨(ひふんこうがい)していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする。この先こそが、おぬしの励み時だろう」

 篤太夫は答えます。

「そうだいな。そうだい。生きていれば、新しい世のためにできることはきっとある」

 篤太夫は笑い声をたてるのでした。

 篤太夫は姿勢を正して市郎右衛門に対します。

「喜作を追って、函館の軍に加わる気はありません。知り合いに、パリの知識があれば、新しい政府で勤め先があると勧められましたが、それも断りました。まずはすぐにでも、駿府で謹慎なさっている先の上様にごあいさつにうかがいたいと思っております。その先のことはまだ。商売を始めるか、百姓をするか、先の上様にお会いした後に、自身の方針を定める所存です」

 市郎右衛門は篤太夫に向き直ります。

「それでこそ俺の栄一だ。お前が、この家を出て行くとき俺は、あくまでも、道理は踏み外さず、真(まこと)を貫いてくれといったが、お前はそれを、きちんと守り通してくれた。おかげで俺は、お前の父親だと、胸張っていられる」

 篤太夫は市郎右衛門の前に包みを置きます。篤太夫は家を出るとき、市郎右衛門に百両をもらっていたのでした。おこがましいながら、その金額を「土産」として受け取って欲しい、と差し出したのです。

「せっかくのことだ。ありがたくいただいておこう」市郎右衛門は包みを受け取ります。「ただ、こうなったからにはこの金子は俺のものだ。俺の好き勝手に使わせてもらうで」市郎右衛門は立ち上がって、千代の前に包みを置きます。「お千代。お前は、六年もの間、つらいことにも耐え忍んで、実にまめやかにこの家のために尽くしてくれた。こんなことは、ふだん、恥ずかしくていえねえが、ずっとうれしく思ってた。これはその褒美と思って、取っといてくんない」

 栄一の母のゑい(和久井映見)もいいます。

「ずっとさびしかったんべ。なのに、ちっとも不服もいわねえで。よく耐えてくれたね」

「ありがとうございます」

 と、千代は涙を流して頭を下げるのでした。

 篤太夫は、慶喜のいる駿府に向かいました。幕府の直轄領だった駿府は、慶喜、そして江戸を追われた徳川家家臣たちの受け皿になっていたのです。

 篤太夫駿府藩庁にて、駿府藩中老の大久保一翁(いちおう)に述べます。

「拙者は、このたびの洋行の報告書と、民部公子のため買い求めた、物品調度の目録、そして費用の余り金、一万両でございます」

「一万両」

 と、大久保は聞き返します。篤太夫は続けます。

「また、こちらは、民部公子から、先の上様への御直書(じきしょ)でございます。上様にお目通りがかなわぬゆえ、これをお渡しし、お返事を、必ず水戸へ届けるようにと、申しつかりました」

 数日後、篤太夫慶喜のいる法台院に呼ばれました。部屋で待っていると寺の者らしい服装の男が入って来ます。それが慶喜(草彅剛)だったのです。慶喜を目の前にした篤太夫は感情があふれ出します。

「なぜ、こうなってしまわれたのか。政(まつりごと)の返上はともかく、鳥羽や伏見のいくさにしても、なんとか他に、手の打ちようが」

 慶喜は篤太夫をさえぎります。

「今さら過ぎ去ったことを、とやかく申しても、詮方(せんかた)ないことではないか。私は、そなたの嘆きを聞くために会ったのではない。そなたが、昭武(あきたけ)のフランスでの様子を、告げ知らせに来たと聞き、それで会おうと参ったのであるぞ」

 篤太夫はひれ伏します。打って変わって面白おかしく、パリでの出来事を語るのでした。慶喜は一通り聞くといいます。

「渋沢よ。万里の異国にあって、さぞ苦しく、骨を折ったことであろう。このたび、昭武がさわりなく帰国できたのも、ひとえにそなたのおかげだ。礼を申す」

 そういうと慶喜は篤太夫に向かって頭を下げるのでした。慶喜は部屋を出て行こうとします。

「上様」篤太夫は絞り出すような声を出すのです。「どんなにご無念だったことでございましょう」

 慶喜は何もいわずに去って行きます。篤太夫はいつまでもひれ伏し続けるのでした。