栄一(吉沢亮)は、神社に来ていた千代(橋本愛)に声をかけます。
「俺は、お前が欲しい」
という栄一。千代はうつむいたまま答えません。
「ごめんなさい」と泣き出してしまいます。「いや、悲しいんではなくて、ずっと、嫌われたかと思ってたもんだから。ほっとして」
「なあ、もうちっとしゃべってもいいか。お千代に話したかったことが、いっぺえあるんだ」
と、栄一。千代は微笑んでうなずきます。
二人は距離を置いて座ります。
「お千代にも見せてやりたかったなあ。あの靑」
「靑」
と、千代は聞き返します。
「険しい山道だったのよ。俺も兄ぃも商いに行ったってのに、詩が読みたくて寄り道して、どんどんどんどん山ん中、進んでった。ずーっと上まで登って気がついたら、岩だらけの場所を這いつくばるようにして登っててよ、後悔した」栄一は笑います。「でもそこにはな、その苦労をしねえと、見れねえ景色があった。ぐるりと俺を中心に、回りすべてが見渡す限りの美しさだった。この世にこんな景色があんのかって、特にそう、空一面の青だ。藍の青さとも、谷の水の青さともちげえ。すっげー靑が広がってた。俺は、おのれの力で立っている。そして、青い天に拳を突き上げている。霧が晴れて、道が開かれた気がした。俺の道だ」
「栄一さんの道」
「お千代もいってたよな。人は弱えばっかりじゃねえ。強えばっかりでもねえ。どっちもある。藍を作って、百姓といえども大いに戦って、俺は、この世を変えたい。その道を、お千代と共に歩み……」
「ほんとになっからしゃべる男だのう、おめえは」
栄一の言葉をさえぎったのは喜作(高良健吾)でした。喜作はいいます。
「俺がもらった長七郎からの手紙にはこうあった。お千代を嫁に欲しいなら、俺とではなく、栄一と勝負しろとな」
二人は道場で試合をすることになります。二人は互角に戦いますが、道場にやって来た謎の女性が
「喜作さん、きばって」
と、声を掛けます。戦いは続きますが、お千代が声をあげます。
「栄一さん、きばって」
なおも試合は続きます。二人はほぼ同時に撃ち合い、倒れ込みます。
「そこまで」
と、声を掛けたのは、お千代の兄でもある尾高惇忠(田辺誠一)でした。事情を知らぬ惇忠は、喜作の勝ちを宣言します。喜作は千代に近づきます。
「お千代、あいつは俺の弟分だ。見ての通り、実にまだまだの男だ。そのくせ、この世を変えたいなどと、でかいことをいいだす。あいつには、おめえのようなしっかり者の嫁がいたほうが良い。悪いがこの先、あいつの面倒を見てやってくれ」喜作は今度は栄一の前にしゃがみます。「幸せにしろよ」
と、喜作は立ち去るのでした。事態がまだ飲み込めない惇忠に栄一は頭を下げます。
「お千代を俺の嫁に下さい」
千代も栄一の隣で頭を下げるのでした。
こうして、栄一と千代は祝言を挙げることになるのでした。
道を歩く喜作に、先ほどの謎の女性が追いついてきます。
「よし、は喜作さんに惚れ直しました」
彼女は、気が強くて喜作が嫌がっていた、結婚を勧められた娘の、よし、だったのです。
江戸城では、将軍家定(渡辺大和)から井伊直弼(掃部頭【かもんのかみ】)(岸谷五朗)が、大老の職を申しつけられていました。驚く一同。家定は宣言します。
「掃部頭と一致同心の上、皆、一層励むように。
井伊の大老就任は誰も予想しなかった、突然の抜擢でした。井伊は廊下で老中たちが話しているのを聞いてしまいます。
「掃部頭様は、大老の器ではございません。この異国との一大事に、西洋諸国のことも何一つ知らず、掃部頭様が大老で天下が治まるはずがない」老中の者は臣下にもいいます。「掃部頭など、政(まつりごと)に関しては子供同然の男ではないか」
井伊はつぶやきます。
「まあよい。自分でも、柄でないのは分かっておる」
江戸城の庭園で茶会を行われていました。家定は井伊にこぼします。
「阿部はわしに何も話そうとしなかった。将軍とは名ばかりで、政(まつりごと)はすべて蚊帳(かや)の外。誰もわしのことなど見ておらぬ。父上はどうであったかのう。父上が見ていたものは……。そもそも家臣どもが世継ぎに口を出すこと自体が、不届きなのじゃ。わしはもう、誰にも思うようにはさせぬ。慶喜を世継ぎにするのは嫌じゃ。何としても許さん」
井伊は姿勢を正して家定に近づき、ひれ伏します。
「承知、つかまつりました。お世継ぎは上様がお決めになられるのがごもっとも。上様に血筋の近い、紀州様こそふさわしいと存じます」
家定は感激して、井伊の前にしゃがみます。
「そうじゃ。そうよのう」
井伊は改めて家定に頭を下げるのでした。
井伊は老中の者たちに言い放ちます。
「将軍お世継ぎには、紀州様を推(お)したいと思う」
ざわめく老中たち。反対意見を井伊は一喝します。
「我らは臣として、君(きみ)の命に背くことがあってはならぬ」
老中たちは、次々に賛同していきます。
井伊大老による一橋派への弾圧が始まり、一橋慶喜を将軍にと建白した川路聖謨(平田満)らは閑職に回されました。
安政五年(1858)六月十九日、ハリスと交渉を重ねていた岩瀬忠震らは「日米修好通商条約」に調印してしまいます。これは天皇や朝廷の意見に背いた、明らかな罪「違勅」になります。
井伊は調印の事実を知らされ驚きます。
慶喜は天子への条約調印の知らせを「宿継奉書」という書面で知らせようとしていることを知ります。そのような軽々しい扱いをしてはならぬと慶喜は怒ります。そして井伊と会う手はずを整えるのです。
慶喜は井伊を怒鳴りつけ、老中の一人が京に弁解に行くことを承知させます。
「私に謝ることではない」慶喜は井伊に優しく声を掛けます。「すべて徳川のためじゃ。お世継ぎの件はどうなったのだ」
「恐れ入り奉ります」
「そうか、いよいよ紀州殿に決まったのだな」慶喜は明るい表情になります。「それは大慶至極ではないか。私もなんやかんやといわれ、案じていたが安心した。紀州殿は先ほどお姿を見たが、心穏やかで背丈も年齢の割に大きくご立派だ。幼いとの声もあるようだが、そこもとが大老として補佐すれば、何の不足があろうか」
「それでは一橋様は、紀州様でよろしいと」
「さもありなん」
井伊は大きくため息をつくのでした。
こうして将軍世継ぎ問題は、紀州藩主、徳川慶福に決定しました。
家定の体調が悪化します。床に伏す家定に井伊が寄り添います。家定は井伊の襟を力強く握ります。
「よいか井伊。水戸や越前、みな処分せよ。慶喜もじゃ。頼むぞ。頼む。わしの願いを叶えよ」
それだけいうと家定は倒れ込むのでした。
井伊は決然たる意思で皆にいいます。徳川斉昭(竹中直人)を謹慎。松平慶永(要潤)は隠居。徳川慶喜を登城禁止に処す。この翌日、第十三代将軍、徳川家定は逝去しました。これが後にいわれる「安政の大獄」の始まりだったのです。
水戸の斉昭らを処罰した井伊直弼の噂は、攘夷の志士たちの間にもすぐに広がりました。
冬になり、血洗島では、栄一と千代の祝言が行われました。喜作はすでに結婚した、まさ、と共に皆を回ります。そして祝いの歌をうたうのでした。
その栄一の家に、下駄を履いた長七郎が静かに向かっていました。