日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第14回 栄一と運命の主君

 栄一(吉沢亮)と喜作(高良健吾)は、平岡円四郎(堤真一)からいわれます。

「一橋(ひとつばし)の家来になれ」

 二人は顔を見合わせます。そして栄一はいうのです。

「いやしくも我々には志(こころざし)が……」

 あきれ声を出す平岡。

「断る気か。仕えるのか、とっ捕まるのか、どっちかしかねえんだぞ」

「このような中、そのようなご厚情をいただき、まことにありがたいことではございますが」

 喜作が続けます。

「いやしくも我々の志に関することゆえ、軽率には返答いたしかねます」

「二人で、とくと相談した上、否か応かお返事いたしたく」

 栄一と喜作は帰っていきます。

「本当の馬鹿だぜ」

 と、平岡はうめきます。

 宿に帰った喜作は、憤慨して歩き回ります。

「ありえねえ話だい。昨日まで幕府を潰すといっておきながら、今日になって徳川方の一橋に志願するなんて、命が惜しくなって志を曲げたと、後ろ指をさされるに決まってる」

「その通りだい。いっそここで命を絶つか」つぶやくように栄一はいいます。「まごまごしてるうちに縛られて獄につながれるより、その方がきっと、志を貫いた潔い男といわれる」

 喜作は座り込み、力なく答えます。

「おう。俺たちは草莽の志士として……」

「いわれるかも知れねえが、俺はごめんだ」栄一は宙を見すえます。「いっくら潔いとか志があるとかいわれようが、気位だけ高くて、少しも世の役に立たねえうちに一身(いっしん)を終えるなんて、俺は決してそんなことはしたくねえ。世のために利を出さねばなんにもならねえ」栄一は立ち上がります。「生きてさえいれば、今、卑怯といわれようが、志を曲げたと後ろ指をさされようが、この先のおのれのやることで、いっくらでも真(まこと)の心を示すことができる」

 喜作は驚きます。

「冗談じゃねえ。兄ぃたちになんという」

「いや、今、仕官すれば、俺たちはもうただの逃げ回る百姓じゃねえ。幕府からの嫌疑は消え、あるいは長七郎を救い出す手立てが見つかるかも知れねえ。ただ生き延びるだけじゃねえ。平岡様が開いてくれたこの仕官の道は、ようく考えれば、一挙両得の上策だと俺は思うんだ」

 あきれたように喜作が話しかけます。

「おめえ、なんかわくわくしてねえか」

「いや、わくわくなどしてねえ。ただ」栄一は自分の胸を押さえます。「ぐるぐるドクドクして、そう、あの方の言葉を借りれば、おかしれえ。おかしれえって気持ちだい」

 栄一と喜作は、平岡のもとに再びやって来ます。喜作がいいます。

「このような窮地にある我らに、仕官の道をお開き下さるというご沙汰は、実に思いもかけねえご厚意であります」

「ああそうだ」平岡は分かってくれたか、というように声を出します。「そうだろうよ」

「しかしながらわたくしどもは百姓の出ではございますものの、一人の志士であることをみずから任じております」

 栄一の言葉に、平岡はあきれ声を出します。

「あー、もうそれは分かったから。で、どうすんだい」

「一橋様に、愚説ではございますが、我々の考えた意見を建白いたしたいのです」

 栄一の発言に平岡は仰天します。

「殿に建白だと」

「もし天下に事あらば、主君として、我々を役立てたいとそう思し召しいただけるのであれば、ぜひとも、お召し抱えいただきたい」

 栄一は書状を差し出します。その内容を聞こうとする平岡ですが、内容が長そうなので、懐に書状をしまい

「これを殿にご覧に入れるよう努力しよう」

 と、立ち去ろうとします。慌てて呼び止める栄一と喜作。

「ぜひ一度拝謁(はいえつ)を。一橋様にぜひこれを直にお耳に入れたいのです」

 驚きの声をあげる平岡。

「おめえら殿に、直に口を利きてえってのか」

 頭を下げる二人。

「いや、それは無理な話だ。ったくまあ」

 平岡はため息をつきます。

 この頃、慶喜(草彅剛)は追いつめられていました。幕府に変わって「朝議参与」がまつりごとを取り仕切ろうとします。参与の一員でありながら、幕府の将軍後見職慶喜は、その板挟みになっていたのです。幕府は朝議参与の中心である薩摩の意向に従いたくないとの理由から、横浜鎖港を決断していました。

 参与たちはこの決断を知ると、あなどったような態度を取ります。薩摩の島津久光池田成志)は笑い声をたてます。

「だいたい、今んご公儀の方針は、できもせんことを朝廷に来に入らるっため、舌先三寸でうそぶくだけの、まさに姑息にご処置」

「姑息」慶喜はつぶやくようにいいます。「半年前までは、攘夷といっていた、姑息な男はいったい誰であったか」

 島津久光は笑顔を凍り付かせます。

 栄一と喜作は平岡に再び面会します。

「やっぱり無理だ」

 平岡はいいます。肩を落とす二人。

「いや、しかし、こうなれば俺も意地だ。どうにかこうにか、拝謁の工夫をつけてやる」平岡は考えます。「見ず知らずじゃいけねえってんなら、そう、一度でいい、遠くからでも姿をお見せして、おのれがなにがしでござると、とにもかくにも知っていただくような工夫をするんだ」平岡は膝を打ちます。「幸い明日、松ヶ崎でお乗り切りがある。おめえらはその途中で出てきて、どうにか顔をお見かけしてもらえ」

 栄一と喜作は草むらに隠れていました。慶喜の一行を見ると飛び出します。

渋沢栄一でございます」

 騎馬の一行は止まる様子がありません。危うく栄一は踏み殺されるところでした。栄一たちは平岡にいわれていました。

「だからおめえら、馬に負けねえよう、駆けろ。走って走って、どうにか姿をお見せして、名を名乗れ」 

 栄一たちはいわれた通りにしました。名前を叫びながら走って馬を追います。

「すでに、今すでに、徳川のお命は尽きてございます。いかに取り繕うとも、すでにお命は」

 そこまで叫んだところで、栄一は転倒してしまうのです。顔を上げると、慶喜一行は馬を止めていました。栄一の側に寄ります。栄一たちは地面にひれ伏します。一行に中の者が馬を降り、刀を振り上げます。

「そなた今、何と申した」

 慶喜が問います。栄一は顔も上げずにいいます。

「すでに、徳川のお命は尽きてございます。あなた様は、賢明なる水戸列侯のお子。もし、天下に事のあったとき、あなた様がその大事なお役目を果たされたいとお思いならどうか、どうか、この渋沢を、お取り立て下さいませ」

「おもてをあげよ」

 慶喜のその言葉に、栄一は顔を上げます。

「いいたいことはそれだけか」

 と聞く慶喜に、栄一は

「否、まだ山ほどございます」

 と、答えます。それを聞いて吹き出す平岡。

「円四郎」と、慶喜は平岡の方を振り返ります。「そなたの仕業か」

「はっ」

 と、返事をする平岡。

「この者たちを明日、屋敷へ呼べ。これ以上、馬の邪魔をされては困る」

 そういって慶喜は去って行くのです。

 そしてこの数日後、栄一と喜作は若洲屋敷にて、一橋慶喜に拝謁を許されました。栄一は慶喜に述べます。

「先日も申し上げました通り、幕府の命は、もはや積み重ねた卵のように危(あや)うく、いつ崩れたっておかしくねえ有様です。ですから、一橋様におかれましては、なまじそんな幕府を取り繕ろうとはお考えにならねえ方が良いと存じます。なぜなら、今のまんまじゃ幕府がつぶれりゃ、御三卿であるこの一橋のお家もろともつぶれちまうからです」

 家臣の一人が慌てて声をあげます。それを制する慶喜。喜作が続けます。

「それゆえ、わたくしどもが建白いたしたいのは、まずは、この一橋家そのものの勢いを盛り上げることです」

 栄一が言葉を継ぎます。

「そのためには我々のような天下の志士を広くお集めになることが第一の急務。国を治める手綱が緩めば、天下を乱そうとする者が続々と出て参りますが、いっそ、その乱そうとするほど力の有り余った者をことごとく家臣に召しましたならば、もうほかに乱す者はいねえ。天下の志士が集まれば、この一橋が生き生きするに違いねえ。しかしその一方、幕府や大名たちからは、一橋は何をしていると疑われ、一橋を成敗だ、なんて話も生まれちまうかも知れません。万が一そうなったら、やむを得ねえ、やっちまいましょう。いくさはあえて好むことではございませぬが、国のためなら仕方ねえ。それにもし、幕府を倒すことになったとしても、いっそこの、衰えちまった日の本を盛り上げるいいきっかけになるかも知れません。そうだよ、これだよ」栄一は完全に興奮しています。「その時こそ、この一橋が天下を治めるのです」

「話は終わったようだ」

 慶喜は落ち着いています。栄一たちの前から去って行きます。慶喜は廊下で平岡にいいます。

「特に聞くべき目新しい意見もなかった」

「それでは、あの者たちは」

 と、平岡が聞きます。

 平岡が栄一たちの前に戻ってきます。深くため息をつきます。

「俺の知っている限り、わかりやすく話をしてやる。天子様は今、三条や長州らが京から消え、心から、安堵されてる。そして、従来通り任せねば、治まらぬと、再び徳川へまつりごとをお任せになった。ご公儀はその命に従い、今、異国に、横浜港を閉じるのを許可して欲しいと談判する使節を送っている」

「いやしかし、敵に尾(お)っぽを振るようなまねを」

 栄一が口を挟もうとします。

「いや、まあ聞け」平岡は打ち解けた口調になります。「俺だってはじめは攘夷だったぜ。しかし、俺が思うに、もう古くせえ攘夷って考えは、この世から消える。これからは、異国を追い払うんじゃねえ。我が日本も、国を国として、きっちり談判するんだ。ま、おれの目から見りゃ、攘夷、攘夷と異人を殺したり、勝手やった奴らの尻拭いをしながら、必死に国を守ろうとしてんのが、おめえらが憎んでるご公儀だ。徳川の直参、なめんなよこの野郎。我が殿も、臆病風が吹くどころか、朝廷や、公方様や、老中、薩摩や越前、毎日一切合切を相手にしながら、一歩も後に引かねえ強情もんだ。力を持ちすぎると疑われ、今じゃ身動きも取れねえ。どうだい、ちったあこの世のことがわかったかい」

 栄一と喜作はいつの間にか姿勢を正していました。二人の前に脇差しが運ばれてくるのです。

「分かったなら、この先は、一橋のために、きっちり働けよ」

 こうして栄一と喜作は、一橋家で働き始めることとなりました。もちろん重要な仕事など任されません。墨をすったり、書物を書庫に片付ける雑用をいいつけられます。与えられた住居も粗末な長屋でした。ここで自炊をして暮らすのです。金を使い果たしていた二人は、一枚の布団で共に寝るのでした。

 薩摩は、天皇の信頼の厚い中川宮(なかがわのみや)に金銭などを渡し、取り入ることで、朝廷への影響力を強めようと画策していました。そして薩摩の思惑通り、参与諸侯は天皇から、幕府のまつりごとへ参加を認められましたが、慶喜は薩摩への不信を強めていました。

 参与たちが集まっているところで島津久光慶喜にいいます。幕府が横浜の港を閉めることを朝廷が疑っていたが、中川宮に聞いて話しだが、その疑いは撤回することになった。松平春獄要潤)が口を添えます。朝廷はもはや、必ずや港を閉じよ、とは思っていないということだ。慶喜は穏やかな口調でいいます。

「島津殿、そうおっしゃったのは中川の宮様で間違いございませぬな」慶喜は立ち上がります。「どのような朝議により、突然そのようなことをいい出したのか、了解しかねる。直に話を聞いて参ります」

 慶喜は中川宮の前にいました。中川宮はしどろもどろになっています。島津久光もその場にいましたが、助け船を出すこともできません。慶喜は刀を中川宮の前に置きます。

「今や薩摩の関係は天下の知るところ。お返事によっては、ご一命を頂戴し、私自身も腹を切る覚悟で参りました。朝廷の意見が薩摩の工作ごときでこうもころころと変化し、人をあざむくのであれば、もう誰が朝廷のいうことなど聞くものか。公儀は、横浜の鎖港を断固やる。港は断固閉じる」慶喜は杯を持って歩き回ります。「宮様はなぜこのような者を信用されるのか。ああ、島津殿に台所を任せておられるからか。ならば、明日から私がお世話しますゆえ、私にお味方いただきたい。天下の後見職が、大愚物のように見られては困る。私の申し上げたことが心得違いと申されるなら、明日からは参内いたしませぬ。もし心得違いでないならば、先ほどいった横浜の議を、ぜひ天子様に斡旋(あっせん)していただきたい」

 慶喜は帰りの廊下で笑い出します。ともに歩く平岡も笑います。

「とうとうやっちまいましたね」

 追ってきた松平春獄慶喜はいいます。

「私はようやく決心がつきましたぞ。私はあくまで徳川を、公方様をお守りします。二百余年もの間、日本を守った徳川に、政権の返上など決してさせませぬ」

 慶喜は屋敷に家臣たちを集めます。

「今宵は痛快の至り。とうとう薩摩に一泡吹かせてやった」

 と、述べ、皆に酒を振る舞います。家臣の一人が涙を流し、水戸列侯の魂が乗り移ったようだとつぶやきます。そして慶喜は乾杯に父のよくいっていた言葉を叫ぶのです。

「快なり」

 家臣たちは歓声を上げるのでした。

 この日をきっかけに、参与たちによる会議は消滅することとなり、京での政治主導権は幕府の手に戻ったのでした。