大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第38回 栄一の嫡男
明治二十二年(1889)、夏。上野で徳川家康が江戸城に入って三百年の節目を祝う「東京開始三百年祭」が開かれました。この祭りを企画したのは、旧幕臣たちでした。
慶喜(草彅剛)の側に仕えていた猪狩勝三郎(遠山俊也)が、水戸烈公(竹中直人)の口癖である「快なり」で音頭を取って乾杯します。そこに栄一(吉沢亮)とパリに滞在した慶喜の弟、徳川昭武(板垣李光人)がやって来ます。会場には「徳川万歳」の声が響き渡るのでした。しかしその会場には、慶喜の姿はありませんでした。
栄一は大きく羽ばたいていました。銀行業を中心に、製糸、紡績、鉄鋼、建築、食品、鉄道、鉱山、電力、造船など、多くの産業に関わり、また、国際化に対応できる女性育成のための学校や、病院、養育院など、教育施設や、福祉施設の充実にも力を注いでいました。
養育院運営の寄付を募る慈善会(バザー)の会長は、栄一の妻である兼子(大島優子)が勤めていました。渋沢家では次女の琴子が、大蔵省に勤める阪谷芳郎と結婚。くにの生んだ文子も、尾高惇忠の次男、尾高二郎との結婚が決まりました。くには新たな人生を送るべく、渋沢家を出て行くことになりました。嫡男の篤二(泉沢祐希)は栄一の後継者として期待されていました。
篤二がお座敷遊びから帰ろうとするところに、姉の歌子(小野莉奈)が待っていました。部屋で篤二に言い聞かせます。
「いったい何度、同じ事を繰り返すんですか。あれほどの仕事をなさった父様なら、品行上の欠点があっても、時代の通弊としていたしかたありません。しかし、その子たるものは違います。この家は、あなたが継いで支えていくのですよ。お願いだから、自覚を持ってちょうだい」
明治二十三年(1890)。国会の開設に向け、衆議院総選挙と、貴族院議員任命が行われました。政治には関わらないことを信条としていた栄一でしたが、貴族院議員に選ばれます。一刻も早く辞任したい、とぼやくのでした。
歌子の夫である穂積陳重(田村健太郎)が、篤二を熊本の学校にやってはどうかと提案してきます。篤二の遊び癖が抜けないからです。篤二は熊本で寮生活を送ることになります。
静岡にいる徳川慶喜は、妻の美賀子(川栄李奈)が乳癌であることを聞かされます。美賀子は東京の病院で治療を受けることになります。
栄一は仕事中、篤二のことを聞かされ、急いで家に帰ります。女を連れて大阪に逃げたというのです。栄一は篤二を退学にし、謹慎(きんしん)させることにしました。
篤二は栄一の生まれた血洗島で謹慎期間を過ごします。篤二は栄一の妹の、てい、にいうのです。
「十歳の時、父と初めて草むしりをしたんです。父が良いことをすれば、きっと母さまの病(やまい)は良くなるよ、といわれるので。精を出して草をむしった。どうにかして、母さまの病が良くなるようにと、一生懸命に。母さまの病は悲しかった。でも、普段ほとんど家にいない父が、ずっと家にいるのが嬉しくてたまらなかった」
篤二は藍葉を叩く作業などをしながら、次第に元気を取り戻していくのでした。
篤二は謹慎の後、東京に戻り、結婚することになりました。
そんな中、栄一の乗る馬車が、暴漢に襲われるという事件が起こったのです。
喜作(高良健吾)が病院に駆けつけます。栄一は手の甲を切られただけでした。
「爆弾で襲われた大隈さんみてえに、大怪我したかと思ったで」
と、喜作は安堵します。栄一はいいます。
「考えてみるに、まことに殺す気であれば、あの暴漢もこんな手ぬるい襲い方はしねえはずだ。身に覚えはある。水道管のことだ。舶来品より質で劣る、国産の水道管を使いたい誰かが、人を使って脅そうとしたんだい。俺は、水を清潔にしたかっただけだ。コレラの蔓延(まんえん)は、まだ続いてる。過去のあやまちは、忘れてはならない」
慶喜の妻、美賀子は、東京で息を引き取りました。
それをきっかけに栄一たちは話し合います。慶喜は東京に戻った方がいい。医師の凌雲がいいます。
「今も朝敵だった過去を忘れてはならぬ。と、強く思われておる」
喜作が思わず立ち上がります。
「なんだいそれは。俺は、御前様が朝廷と戦う気など一切お持ちでなかったことを、良く知っておる。幕末維新だって、昔のことじゃねえか」
栄一がいいます。
「世間の風当たりは、まだまだ御前様に厳しい。俺が気にいらんのは、御前様が、幕府の終わりになさった、数々の御偉業まで、まるで無かったことのように消し去られ、押し込められ、そこに別の輩(やから)がどんどん現れて、おのれこそが日本をつくったというような顔をしておることだ」
明治以降、本格的に富国強兵をすすめてきた日本は、大国「清」と戦闘状態に入りました。
栄一は静岡の慶喜のもとを訪ね、切り出します。
「この世がすっかりと変ってしまう前に、御前様に、お願いがございます。あなた様を、世に知らしめたい。今、元外国方で、新聞社を営んでいる福地殿と、御前様の伝記をつくりたいと考えております。我々はこのまま、あなた様に、世に埋もれていただきたくない。あなた様は、ただの逃げた暗君ではない。私たちはそれを良く知っております。どうか、あなた様のお考えを、御偉業を、後世に残させてください」
「何度もいうが、話すことは何もない」慶喜は素っ気ありません。「何が偉業だ。私は誰に忘れ去られようが、たとえただの趣味に生きる世捨て人と思われようが構わぬ」
明治二十八年(1895)の三月、日清戦争が、日本の勝利で終結しました。
栄一は伊藤博文(山崎育三郎)と会っていました。机の向こうから伊藤がいいます。
「戦争中、寝込んどったそうじゃないか」
「ええ。いろんな所にガタが出てくる。もうすっかり年寄りだ」
「なんの。まだきばってもらわんといかん。戦争で金を使うた分、こっからうんと産業を盛り上げんにゃならん」伊藤は身を乗り出します。「ええか渋沢。清国に勝ったっちゅうことは、日本はもはやアジアの三等国じゃない。一等国への確かな道が見えてきたっちゅうことじゃ。御一新から三十年足らず。今や日本は、西洋列強と並ぶ文明国になろうとしちょる。この先もイギリスを味方につけ、アメリカともうまくやって、欧米に日本を認めさせる。一刻も早う一等国の仲間入りをせんにゃならんのじゃ」
「おお、ようやくそこまで来たか」
「そうじゃ。歳をとってる場合じゃない」
「そこまで来たからには、伊藤さん、御前様が東京に戻っても、もう文句をいう者はおりませんな」
「は? 御前様とは、慶喜さんことか。おぬしまだそねーな昔の主(あるじ)を慕っとるんか」
「当たり前だい」栄一は笑顔で立ち上がります。「御前様なくして、今の日本はありませんよ」
そして二年後の明治三十年(1897)。栄一たちは、巣鴨に慶喜を迎えるのでした。慶喜はおよそ三十年ぶりに東京に戻ってきたのでした。