日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第17回 篤太夫、涙の帰京

 元治元年(1864)六月。篤太夫吉沢亮)と成一郎(高良健吾)は、一橋家のために集めた人々を連れて、江戸に向かっていました。そこへ中の家(なかんち)の作男である伝蔵(萩原守)がやって来ます。伝蔵は惇忠(田辺誠一)が放免になったことを二人に伝えます。

 京では慶喜(草彅剛)のもとへ、長州兵が大挙して押し寄せてきたとの知らせが入ります。長州の目的は、天子をさらうことでした。

 薩摩はこの機に乗じて、京での主導権を取り戻そうと動き始めました。西郷吉之助(博多華丸)が慶喜のもとを訪れます。

「長州は、潰してしまいもうそう」西郷は慶喜にいいます。「わが薩摩は、天子様のためならと、よう調練された兵をかき集めておりもす。禁裏御守衛総督様は、どげんなさるっとでございもすか」

 慶喜は答えません。

 江戸城にある一橋邸で、篤太夫と成一郎は、京にいるはずの一橋家家臣の猪飼勝三郎(遠山俊也)と出会います。猪飼の口から、二人は平岡円四郎(堤真一)が賊に命を奪われたことを聞かされます。衝撃のあまり篤太夫はその場に座り込んでしまいます。

 長州軍が京に入り込んできます。慶喜は御所に向かい、天子に勅命を請います。孝明天皇ははっきりと命を下します。

「長州を討て」

 慶喜は頭を下げます。

「これよりこの臣(しん)慶喜、ご叡慮(えいりょ)に従い、長州を征伐(せいばつ)いたします」

 慶喜は鎧に身をかため、馬上、兵たちの前に出ます。

 元治元年七月十九日、帝への影響力を一気に強めようと目論む長州は、御所に突入します。蛤御門の周辺で、激闘が展開されます。江戸幕府開府以来初めて、京を舞台にした大きな内戦「禁門の変」が始まります。。

 慶喜は馬上、兵を叱咤します。長州の鉄砲が慶喜の周辺の武士たちを倒していきます。

「御所に筒先を向けるとは、何が尊皇だ」

 慶喜の闘志は衰えません。

「玉(ぎょく)(天皇)を探せ」

 と、長州の侍たちは叫んでいます。

「そろそろ行きもんそか」

 と、西郷がいいます。西郷は、幕府方が窮地に至るまで、様子を見ていたのです。薩摩の大砲が火を噴きます。

 薩摩軍が参戦すると、圧倒的な打撃を受けて長州は壊滅。禁門の変は、幕府軍の勝利で終結しました。

 西郷は通り過ぎる慶喜にあいさつします。慶喜が行ってしまうと

「しばらく、仲ようしちょた方がよさそうじゃのう」

 と、家臣にいうのでした。

 数日後にはイギリスら四か国の軍艦も、長州軍の砲台を打ちのめし、長州はようやく攘夷をあきらめます。

 江戸城では、将軍徳川家茂(磯村勇斗)が、勝利の祝いの言葉を家臣たちから受けていました。家臣たちが去った後、家重は天璋院(上白石萌音)にいうのです。

「早く港を開けと脅すばかりのエゲレスと違い、フランスはこの先、公儀が国をまとめる手助けを申し出ているとのこと」

 天璋院は驚きます。

「夷狄が公儀を助けると申すのか」

「いえ、フランスの公使はまことに物腰柔らかで品があると聞きました。公儀は、この話に乗ってみようと思っておりまする」

 篤太夫は京の戦いの様子の描かれた瓦版を読んでいました。成一郎がいいます。

「長州まで逆賊となると、前に平岡様がおっしゃっていた通り、もう攘夷は終わりなんだな」」

 二人の前に猪狩勝三郎がやって来ます。慶喜が天子を守ったことを誇らしげに語ります。

「われらの兵は間に合いませんでした」

 という成一郎に猪狩はいいます。

「いよいよ公方様も(長州の)征討に出られるかも知れぬ。おぬしらも兵を連れ、急ぎ京に戻れとの命だ。天狗党の件もある」

 筑波山天狗党本陣では、藤田小四郎(藤原季節)が水戸藩執政である武田耕雲斎津田寛治)に訴えていました。

「一部の隊の暴発のせいで、我らはまんまと凶悪な賊の汚名を着せられてしまいました。長州も京で破れ朝敵となり、今や真に尊攘の志(こころざし)を抱く者は、われらしか残っておりませぬ。そのわれらまでもこのままでは、いかにも無念」

 天狗党の面々は武田耕雲斎の前に膝を突き、深く頭を下げるのでした。藤田がいいます。

「耕雲斎様、お願いです。どうかわが軍の大将となり、われらをお導きください」

 篤太夫と成一郎は、集めた兵を率いて中山道を京へと向かっていました。一行は岡部藩の深谷宿までやって来ます。成一郎はいいます。

「ここから血洗島まで、たった一里というのに、家のもんに会えねえとはなあ」

 そこに隠れるようにしていた惇忠に声をかけられるのです。

「役人の目もあるので長居はできぬが、どうしてもお前たちの話が聞きたかった」

 二人は惇忠の口から、それぞれの妻が近くの宿に向かっていることを聞かされます。

 その夜、篤太夫と成一郎は、妻たちのいる宿にやって来ます。再会を喜ぶ二組の夫婦。それぞれの子供も連れられてきています。篤太夫は千代と部屋で話します。

「俺に道を開いてくれた恩人を亡くしちまった。兄ぃたちにも迷惑をかけ、かつての仲間が、筑波山で幕府と戦ってる。俺は、俺の信じた道は」

 そこまでいって篤太夫は黙り込むのでした。千代は篤太夫の手を取ります。

「大丈夫。千代はどんなに離れていても、お前様の選んだ道を信じております」千代は篤太夫の手をその胸に持っていきます。「お前様が、この胸に聞いて選んだ道を」

 篤太夫はうなずきます。

「そうだ。平岡様にいただいた務めを果たすことが、俺の今の為すべき事だ」篤太夫は千代を見つめます。「落ち着いたら、共に暮らしたいと思っておる。それまで信じて待っていてくれ」

 そして翌日。篤太夫たちは深谷宿を出て、岡部の領内を抜けようとしていました。その行く手を役人たちがさえぎります。岡部代官の利根吉春がいいます。

「このご同勢の中に、もとは当領分の百姓がおります。この者ども、渋沢と申します。疑うこと多きゆえ、なにとぞ一度お戻しいただきませぬか」

 篤太夫は世間の理不尽を、この利根を通して知ったのでした。利根の方も、反抗的だった篤太夫を良く思っていなかったに違いありません。進み出ようとした篤太夫でしたが、猪狩勝三郎が利根の前に立ちふさがります。

「お頼みのおもむきは申し伝えますが、今、ここで急に渋沢両人に村方に帰られては、一同が困りまする。両人は縁あって当家には入り、今となってはかけがえのなき家中の者。一橋家としては到底承服しかねることゆえ」猪狩は利根を見すえます。「お断りいたす」

 利根は猪狩の方へ踏み出しますが、一行が迫る勢いでいるのを見て、後退します。

「しからば、しからばどうぞご通行ください。道中、どうかご無事で」

 篤太夫の目は涙で濡れていました。利根の脇を通り過ぎます。涙を流しながら篤太夫は成一郎に話します。

「この気持ちを、平岡様にもお伝えしたかった。なにもかも、平岡様のおかげだ」

 篤太夫たちは京に戻り、慶喜に拝謁します。慶喜は篤太夫と成一郎に声をかけます。

「ご苦労であった。円四郎は、そなたたちがきっと無事に兵を連れて戻ると私に申しておった」慶喜は考え込むようにいいます。「円四郎は、父が私に遣わせたのだ。それがなぜ水戸の者に殺されねばならんのか、そなたたちに分かるか」

「いえ。それがしには分かりかねます」

 と、篤太夫はいいます。

「私には分かる。円四郎は、私の身代わりとなったのだ」皆が黙り込みます。「尊皇攘夷か。まこと呪いの言葉に成り果てた」

 慶喜は席を立ち、篤太夫らの前から去って行きました。

 天狗党は、耕雲斎が首領となり、勢いを取り戻しましたが、度重なる幕府の追討軍や、水戸軍との戦いにより、しだいにその人数を減らしていきました。武田耕雲斎は皆にいいます。

「京へ向かわぬか。こうして水戸で血を流し続けたところで攘夷など到底果たせぬ。ならば上洛し、天子様にその真心を知っていただくべきではないか」耕雲斎は天狗党の旗印を見上げます。「烈公の尊皇攘夷のお心を朝廷にお見せするための上洛じゃ。京にはそのお心を一番良く知る一橋様がいらっしゃる。決してわれらのことを見殺しにはいたすまい」

 天狗党が京に向かうことを知った慶喜は、家臣にいいます。

「私が少しでも天狗どもを擁護すれば、公儀に歯向かうことになろう。京を守るのが私の役目だ。天狗どもを京に入れる訳にはいかぬ」慶喜は家臣を振り返ります。「私の手で、天狗どもを討伐する」