日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第542回 草原の輝き

第542回 草原の輝き

昭和四十七年十月(1972)
大阪 難波 なんばロキシー

 

 アメリカン・ニューシネマ『俺たちに明日はない』とほぼ同じ大恐慌禁酒法の時代を描きながら、犯罪ともミステリとも無縁の恋愛映画が『草原の輝き』である。主演はナタリー・ウッドと『俺たちに明日はない』のウォーレン・ビーティだった。
 一九二八年のカンサスのハイスクール。石油成金の息子バッドと、雑貨屋の娘ディーンはクラスメイトで愛し合っており、将来結婚を考えているが、ディーンの保守的な母親は娘の貞操を心配し、ふたりの仲を裂こうとする。またバッドの父エイスは息子のエール大学進学を応援し、田舎で結婚などさせず、都会の一流エリートを目指させる。ディーンの母とバッドの父が子供たちの恋に反対したため、愛し合うふたりの運命は狂ってしまう。
 バッドの姉のジニーが都会の大学で堕落して、妊娠堕胎で実家に戻ってくるのも、エイスを不安にさせる。バッドはハイスクール卒業前、結局お堅いディーンと最後までは結ばれず、若い性欲を持て余し、尻軽な女生徒ファニタと遊びの関係で結ばれる。
 愛するバッドと結ばれず、ファニタとバッドの関係に傷ついたディーンは川に身投げしようとして、精神病院に入院することになる。ディーンの両親は娘の入院費のため、エイスの石油会社の株を高額で手放す。
 その後、エール大学に進学したバッドは自堕落な学業で退学となり、食堂の女性アンジェリーナといい仲になる。
 たまたま息子の大学を訪れたエイスは、大恐慌で破産し、ビルから投身自殺する。
 その後、別々の人生を送るバッドとディーンは田舎で再会するが、お互い別の伴侶がいる。ボニーとクライドには明日はなかったが、若い恋人たちにはそれぞれの明日があったのだ。だが、保守的な親に反抗する若者はやがて六〇年代後半のアメリカン・ニューシネマの主人公となっていく。

 

草原の輝き/Splendor in the Grass
1961 アメリカ/公開1961
監督:エリア・カザン
出演:ナタリー・ウッド、ウォーレン・ビーティ、パット・ヒングル、オードリー・クリスティーバーバラ・ローデンゾーラ・ランパート、フレッド・スチュワート、ジョアンナ・ルース、サンデイ・デニス

 

『映画に溺れて』第541回 俺たちに明日はない

第541回 俺たちに明日はない

昭和四十八年十二月(1973)
大阪 戎橋 戎橋劇場

 

 アメリカの禁酒法時代は大恐慌とほぼ重なるが、実在した強盗一味を題材にしたのが『俺たちに明日はない』である。
 一九六〇年代末に次々と作られたアメリカン・ニューシネマの代表作で、原題は主人公ふたりの名を取って「ボニーとクライド」だが、このあと「ブッチ・キャシディサンダンス・キッド」が『明日に向って撃て』というように、ニューシネマの邦題に「明日」が付いた。
俺たちに明日はない』はフェイ・ダナウェイ演じるボニー・パーカーの全裸シーンでいきなり始まる。朝、ベッドで目を覚ましたボニーは自宅の自動車を盗もうとしているチンピラのクライド・バロウと知り合う。クライドを演じるのが当時の二枚目ウォーレン・ビーティである。
 ウェイトレスのボニーは刑務所から出たばかりのクライドと仲良くなり、ふたりで銀行強盗を続ける。美男美女のカップル強盗がボニーとクライドなのだ。
 ふたりはマイケル・J・ポラードのガソリンスタンド店員モスと知り合い、盗難車の整備係として仲間に引き入れる。
 やがて、ジーン・ハックマンエステル・パーソンズのクライドの兄夫婦バックとブランチも強盗に加わり、バロウズギャングとしてマスコミに取り上げられ、有名になる。逃避行の途中、たまたま強盗団の人質になってしまう小市民がジーン・ワイルダーなのも愉快である。
 結局、保守的で堅物のブランチのせいで、ボニーとクライドはテキサスレンジャーのために一九三四年、悲惨な最期を迎える。他のニューシネマ作品の多くも主人公の悲惨な最期で終わることが多いのは、やはり『俺たちに明日はない』を意識しているのだろう。
 この映画を観た戎橋劇場は大阪の道頓堀川に架かる戎橋のすぐ脇にあった二本立ての名画座だった。

 

俺たちに明日はない/Bonnie and Clyde
1967 アメリカ/公開1968
監督:アーサー・ペン
出演:ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラード、エステル・パーソンズデンバー・パイル、ダブ・テイラー、エバンス・エバンス、ジーン・ワイルダー

 

『映画に溺れて』第540回 レディ・イヴ

第540回 レディ・イヴ

平成六年五月(1994)
銀座 テアトル西友

 

 大恐慌禁酒法時代の後、ナチスによる軍事侵略が始まり、第二次大戦に発展する。ちょうどその頃のアメリカ映画は日本ではなかなか公開されなかったが、コメディの大家プレストン・スタージェスの戦前の未公開作品が続けて上映されたのが、一九九四年、銀座のテアトル西友であった。
 アメリカらしいシチュエーション喜劇である『レディ・イヴ』は詐欺師映画であり、ハリントン大佐と娘のジーンは豪華客船でポーカー賭博を開く詐欺師親子で、カモに選ばれたのが金持ちのチャーリーだった。チャーリーは大手エール会社の社長の息子だが、家業に興味がなく、蛇マニアの冒険家であり、南米を旅している途中、詐欺師親子の乗る船にたまたま乗船してしまう。
 ジーンはチャーリーを誘惑し、チャーリーも彼女を好きになるが、詐欺師の正体がばれて、彼女を捨てる。
 腹の虫が収まらないジーンはアメリカに滞在中の英国貴族という触れ込みのイカサマ師に頼んで、レディ・イヴという貴婦人になりすまし、チャーリーの家に乗り込んで来る。
 チャーリーは彼女が船上の女賭博師と瓜二つなので驚くが、同一人物とは気づかず、求婚し、とうとう結婚してしまう。ところが、新婚旅行の車中で彼女が嘘の恋愛遍歴を延々と告白するので、たまらなくなって、ひとり逃げ帰る。
 そして、また豪華客船で賭博師親子に再会し、やはり彼女を愛していたことを思い知るが、もちろん、彼は賭博師のジーンがレディ・イヴだとは気がつかない。
 ジーンを演じるバーバラ・スタンウィックビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』にも出演、一九六〇年代にはTV西部劇『バークレー牧場』の女牧場主役だったのでよく覚えている。あの頃はもう六十歳前後だったが、それでも美しかった。
 ビールとエールの違いをくどくど説明するエール会社の御曹司、あまり賢いと思えないチャーリーが若きヘンリー・フォンダ。フォンダの喜劇は珍しいが、私は好きだ。

 

レディ・イヴ/The Lady Eve
1941 アメリカ/公開1994
監督:プレストン・スタージェス
出演:バーバラ・スタンウィックヘンリー・フォンダウィリアム・デマレスト、チャールズ・コバーン、ユージン・ポーレット、ジャネット・ビーチャー

 

『映画に溺れて』第539回 怪物團 フリークス

第539回 怪物團 フリークス

昭和五十五年九月(1980)
大阪 靭公園 科学技術センターホール

 

『ナイトメア・アリー』を観ていて、真っ先に連想したのがカーニバルの見世物を題材にしたトッド・ブラウニングの異色ホラー映画『フリークス』である。
 作られたのはアメリカの大恐慌禁酒法時代が重なる一九三二年、日本ではその昭和七年十一月に『怪物團』のタイトルで公開されている。
 見世物の口上役が因果物の説明をしており、囲いの中には何か不気味なモノがいるらしい。口上役は言う。これは最初からこうではなかった。かつては王侯さえ恋した美女だったのだと。
 サーカス小屋で小人のハンスに大金が入ることを察知した軽業の美女クレオパトラはハンスを誘惑する。ふたりの婚約祝いにハンスの仲間の奇形たちが集合する。小人たち。上半身だけの男。手足のない芋虫男。両性具有。三角頭。シャム双生児
 クレオパトラは酔って、奇形たちの悪口を言う。実際には『道』のアンソニー・クインを思わせる下劣で卑しい力持ちのヘラクレスの情婦であり、ハンスを騙して結婚に持ち込み、ヘラクレスと共謀してハンスを殺害して遺産を横取りしようと企む。
 彼らの悪巧みを知った道化師がヘラクレスを訴えようとして首をしめられ、大雨の中、奇形たちはヘラクレスクレオパトラを追い詰める。
 そして、最初の見世物の場面、重症の後、不具の鵞鳥女となったクレオパトラが囲いの中で、ガーガーと泣いている。一応勧善懲悪風には作ってあるが、ストーリーはつけたしで、ここに登場する奇形の芸人、見世物たちは映画のために世界中から集められた本物のフリークスなのだ。だから、この映画そのものが相当に悪趣味な見世物なのである。
 私がこの伝説のホラーを最初に観たのは一九八〇年、大阪の靭公園にある科学技術センターホールでの特別興行で、二本立てのもう一本がムルナウ監督、マックス・シュレック主演のゲテモノ映画『ノスフェラトゥ』だった。

 

怪物團 フリークス/Freaks
1932 アメリカ/公開1932
監督:トッド・ブラウニング
出演:ウォーレス・フォード、リーラ・ハイアムス、ハリー・アールス、デイジー・アールス、オルガ・バクラノヴァ、ロスコー・エイツ、ヘンリー・ヴィクター、ローズ・ディオン

 

『映画に溺れて』第538回 ナイトメア・アリー

第538回 ナイトメア・アリー

令和四年三月(2022)
立川 TOHOシネマズ立川立飛

 

 ナチスポーランドに侵攻した一九三九年、アメリカでは大恐慌の影響で失業者が溢れ、禁酒法のせいで酒にも不自由していた。
 無職の浮浪者スタンはたまたまカーニバルに紛れ込む。そこでは生きた鶏をむしゃむしゃ食う獣人ギークが見世物になっていたが、逃亡した獣人を取り押さえたおかげで、スタンは座長のクレムに気に入られ、一座に雑用係として加わる。
 獣人の正体は酒浸りで理性を無くした浮浪者のなれの果てだった。
 スタンは読心術夫妻に取り入り、トリックを習得する。やがてカーニバルの電気発光少女モリ―と恋仲になり、彼女を口説いて駆け落ちし、都会でモリーを助手に読心術を披露し名声を得る。
 華やかなショービジネスの世界で成功したスタンとモリーの間に女性心理学者リッター博士が割り込み、彼のトリックを利用し、権力者に紹介して死者との交信を実現させる。
 欲をかいたスタンはおかげで恋人モリーを失い、多額の報酬もリッターに騙し取られ、最後はどん底に落ち込む。そして酒浸りで理性を無くしたスタンの行く末はカーニバルの見世物小屋だった。
 原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの一九四〇年前後のパルプフィクションであり、一九四七年にタイロン・パワー主演で『悪魔の往く町』として映画化されており、今回のギレルモ・デル・トロ監督作品は二回目の映画化で、一九三二年の『怪物團/フリークス』を思わせる。
 主演はブラッドリー・クーパー、リッター博士がケイト・ブランシェットモリールーニー・マーラ、座長がウィレム・デフォー、読心術夫婦がトニ・コレットデヴィッド・ストラザーン。渋い配役である。

 

ナイトメア・アリー/Nightmare Alley
2021 アメリカ/公開2022
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:ブラッドリー・クーパーケイト・ブランシェットルーニー・マーラトニ・コレットウィレム・デフォーリチャード・ジェンキンスロン・パールマンデヴィッド・ストラザーンメアリー・スティーンバージェン

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 最終回 報いの時

 長沼宗政(清水伸)が三浦義村(山本耕史)に話しています。

「みんなやる気になっている。勝つかもしれないな」

 三浦がいいます。

「分からんぞ。今は盛り上がっているが、本気で上皇様と、戦うつもりがあるのか」

 二人は侍たちが話すのを聞きます。守りを固めるのが一番ではないか。京まで攻め込むのはどうかと思う。

「あれが本音だ。できれば皆、戦いたくないんだ」

 と、三浦は決めつけます。

 のえ(菊地凛子)、は父の二階行政(野仲イサオ)に叱責(しっせき)されます。

「どうして婿殿(むこどの)をお止めしなかった。このままでは朝敵だぞ」

 のえ、は鏡を見ながら、髪を梳(す)いています。

「良いではないですか。太郎(泰時)殿や次郎(朝時)殿に、いくさでもしものことがあればですよ、北条の跡取りは我が息子になるんですから」

「馬鹿者、その時は鎌倉が、灰になっておるわ」

 北条義時(よしとき)(小栗旬)たちが、朝廷と戦う戦略を練っています。早く兵を出さなければならないという大江広元(栗原英雄)に対して、御家人を集めるには時間がかかると泰時(やすとき)(坂口健太郎)が述べます。義時は自分が総大将になって、今すぐ兵を出すといい出します。結局、泰時が総大将になり、先陣を切って京に向かうことになります。泰時を入れて十八人で出発します。義時は泰時の肩を叩いていいます。

「鎌倉の命運、お前に託した」 

 いくさの準備をする侍たちの中で、長沼宗政が三浦義村に話しかけます。

「泰時が鎌倉を発(た)ったぞ」

 三浦はいいます。

「まあ、兵は二千も集まればいいところだろう」

「どうする」

「俺たちも出陣する。合流すると見せかけて、木曽川の手前で背後から攻め込む。泰時の首を手土産に、そのまま京へ入る」

 京に向かう泰時に次々と御家人が合流し、その数は一万を超えるまでになりました。

 京にいる後鳥羽上皇(尾上松也)に、義時からの書面が届けられます。十九万の軍勢を上洛(じょうらく)させるので、西国武士との合戦を、御簾(みす)の隅(すみ)からご覧あれ、と書かれています。後鳥羽上皇は、藤原秀康(ひでやす)(星智也)に、今すぐ動かせる兵はどれくらいか、とたずねます。一万余り、と藤原は答えます。後鳥羽上皇は、相手の十九万を、まやかしの数と決めつけます。

 六月五日。泰時率いる軍勢は、藤原秀康率いる官軍と、木曽(きそ)川で衝突します。圧倒的な兵力で官軍を打ち破りました。勢いに乗った泰時軍は、さらに京へ向かって進撃します。

 宇治(うじ)川は、京の最終防衛線です。官軍は、橋板を外し、ここを死守する構えを見せます。

 宇治の平等院で、泰時たちは策を練ります。いかだを作って兵を乗せ、向こう岸まで渡す方法が考えられます。

 いかだを使った渡河作戦が敢行されます。官軍から、おびただしい数の矢が放たれます。

「ひるむな。そのまま進め」

 と、泰時は兵たちに叫びます。犠牲を出しながらも、いかだは川を渡り切ります。官軍がそれを迎え撃ち、激闘が展開されます。乱戦の中で野村義村が長沼宗政にいいます。

「こりゃ勝つな」

「どうするんだ」

上皇様がご出陣されれば、いくさの流れは一気に変わる」

 その頃、後鳥羽上皇は慌てふためいていました。

「攻めてくるぞ。義時の首をとるだけでよかったのだ」

 後鳥羽上皇は、官軍の陣頭(じんとう)に立とうとします。しかし藤原兼子(かねこ)(シルビア・グラブ)に諭されて、あきらめるのです。

 勝利の祈願を行い、疲れて眠り込む北条政子(小池栄子)に、義時が話しかけます。

「姉上。宇治川を越えたわが軍は、ついに京に入りました。太郎(泰時)が、やってくれました」

「あの子はそういう子です」政子は義時を見上げます。「おめでとうございます」

「しかし、私はこれまでの歴史で、初めて朝廷を裁(さば)くことになります」

 北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が後鳥羽上皇に会うことになります。

上皇様。このような形でまたお会いするとは、無念です」

 後鳥羽上皇は、時房の言葉をさえぎります。

「此度(こたび)の大勝利、見事であった。私を担(かつ)ぎ上げて世を乱そうとした奸賊(かんぞく)どもを、よう滅ぼした」上皇は時房の前にしゃがみます。「義時には、そこのところ話しておいてくれ。お前が頼りぞ」

 鎌倉で義時が、あきれたような声を出します。

後白河法皇様も同じことを仰(おお)せだったな」

 大江広元がいいます。

「お許しになりますか」

 京で、後鳥羽上皇に、泰時が対します。

「わが父、北条義時より、上皇様に対し、沙汰(さた)が届きました。隠岐(おき)へお移りいただく。逆輿(さかごし)をもってお送りするものとする」

「待て、私は上皇なるぞ」

「期日は七月十三日。以上にござる」

 立ち去る泰時に上皇は言葉を浴びせます。

「このようなことをしてどうなるか思い知るがよい。幾(いく)たび生まれ変わっても呪ってやるわ。義時」

 上皇は頭をそり上げられ、逆輿に乗せられます。逆輿は、罪人が運ばれるときのしきたりで、屋根のようなものはついていません。後鳥羽上皇は、死ぬまで隠岐を離れることはありませんでした。

 義時は、泰時たち共に食事をしています。

「先のいくさの采配(さいはい)、見事だったそうだな」

「ありがとうございます」

 と、泰時はいいます。義時は泰時の態度を気にします。

「どうした。浮かない顔だな」

上皇様の件は、あれで良かったのですか」

「世の在(あ)り方が変わったことを、西の奴らに知らしめるのは、これしかなかった」

「しかし我らは、帝(みかど)のご一門を流罪にした、大悪人になってしまいました」

「大悪人になったのは私だ。お前たちではない。案ずるな」

 話しながら、義時は突然、杯を落とすのです。泰時が心配して聞きます。

「父上、どうしました」

 義時はそのまま倒れこむのでした。

 義時は、仕事の場に現れます。

「もう大丈夫なのですか」

 と、聞く泰時に、義時は答えます。

「歳をとるというのは、こういうことなのか」

 大江広元が報告します。京で、廃位された先の帝(みかど)を、復権させようとする動きが起こっている。これを許せば、上皇復権してしまう。義時がいいます。

「懲りぬ奴らよ」

 災いの芽は摘(つ)むのみ、と大江がいいます。そうしろ、と義時が命じます。しかし泰時が声を上げるのです。

「お待ちください。幼い先帝の命を奪うおつもりですか」

 義時はいいます。

「我らはこれまでもそうやって来た」

「父上は考えが古すぎます」

「何をいうか」

「そのような世ではないことが、どうしてわからないのですか。そのようなことは、断じて許されません。都(みやこ)のことは、私が決めます。父上は口出し無用。新しい世をつくるのは、私です」

 そう告げると、泰時は立ち去っていきます。残された義時は大江にいいます。

「きれいごとだけでは、政(まつりごと)は立ちゆかぬというのに。腹の立つ息子だ」

「先の帝(みかど)の件、いかがいたしますか」

「死んでもらうしかなかろう」

 運慶(うんけい)(相島一之)は、義時に頼まれていた像を完成させます。それは醜く、小さなものでした。義時はいいます。

「さんざん待たせた挙句、これは何だ」

 運慶はあざ笑います。

「今のお前に瓜二(うりふた)つよ」

 義時は像を斬ろうとして、倒れこむのでした。

 医者が見立てをし、義時に告げます。

「毒」

 毒消しを届けると述べ、医者は去っていきます。

 義時は妻の、のえ、にいいます。

「医者がいうには、誰かが毒を盛ったらしい」

「誰が盛ったのですか」

「お前だ」

「あら面白い」

「お前しか思い当たらぬ」

「あら、ばれちゃった」

「そんなに政村に家督を継がせたいか」

「当たり前でしょ」

「跡継ぎは太郎と決めておる」

「そう思っているのはあなただけ。北条義時の嫡男(ちゃくなん)は政村です」

「馬鹿を申せ」

「八重は、頼朝様と戦った伊東の娘。比奈は、北条が滅ぼした比企の出。そんなおなごたちが生んだ子が、どうして後を継げるのですか」

 義時は笑い声を立てます。

「もっと早く、お前の本性を見抜くべきだった」

「あなたには無理。私のことなど、少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ」

「執権が妻に毒を盛られたとなれば、威信(いしん)に傷がつく。離縁はせぬ。だが、二度と私の前に現れるな。出ていけ」

「もちろんそうさせていただきます。息子が跡を継げないなら、ここにいる甲斐もございませんし。死に際(ぎわ)は、大好きなお姉さまに看取(みと)ってもらいなさい」

「行け」

「そうだ。私に頼まれ、毒を手に入れてくださったのは、あなたの、無二(むに)の友、三浦平六(義村)殿よ。夫に死んでほしいと相談を持ち掛けたら、すぐに用意してくださいました。頼りになるお方だわ」

 夜、義時は三浦と向かい合って座ります。

「まあ、一杯やってくれ」と、三浦の椀に義時は注ぎます。「のえ、が体に効く薬を用意してくれてな。それを酒で割って飲むとうまい」

「俺はいい。元気がありあまっている。普通の酒にするよ」

「一口だけでも飲んでみろ」

「いや、いい」

「長沼宗政が白状したぞ。また裏切るつもりだったらしいな」

「そうか。耳に入ったか」

「お前という男は」

「もし裏切っていたら、こっちは負けていた。つまり勝ったのは俺のおかげ。そういうふうに考えてみたらどうだろう」

「飲まないのか」

「匂いが気に入らん」

「濃くしすぎたかな。うまいぞ。それとも、ほかに飲めない訳でもあるのか」

「では、いただくとしよう」

 と、野村は一気に飲み干します。

「俺が死んで、執権になろうと思ったか」

「まあそんなところだ」

「お前には務まらん」

「お前にできたことが、俺にできないわけがない。俺はすべてにおいてお前に勝(まさ)っている。子供のころからだ。頭は切れる、見栄えはいい、剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用で、のろまで。そんなお前が今じゃ天下の執権。俺はといえば、結局、一介(いっかい)の御家人にすぎん。世の中不公平だよな。いつか、越えてやる、お前を越えて、越えて……いかん、口の中がしびれてきやがった。これだけ聞けば満足か」

「良く打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ。毒は入っておらん」

「ほんとだ、しゃべれる。俺の負けだ」

「平六、この先も太郎(泰時)を助けてやってくれ」

「まだ俺を信じるのか」

「お前は今、一度死んだ」

 三浦は義時の前に座り直します。

「これから先も、北条は三浦が支える」

「頼んだ」

 泰時は文書を記しています。ところどころに訂正の跡が見られます。泰時は妻の初(福地桃子)を呼び止めます。

「見てくれ。書いてみた。御家人たちの中には、学のない者たちもおり、彼らにも読めるようなやさしい言葉で、武士が守るべき定めを書き記そうと思う」

 初は笑います。

「まじめ」

「何が悪い」

「悪いとはいってない。えらい、といっています」

「初めてほめられた」

 と、泰時は嬉しそうにするのでした。

 やがて泰時は、江戸時代まで影響を及ぼす法を制定します。御成敗式目(ごせいばいしきもく)です。これにより、泰時が政治を行う間は、鎌倉で御家人の粛清は、一切起こりませんでした。

 義時は衰弱しています。政子が義時にいいます。

「たまに考えるの。この先の人は、わたくしたちのことをどう思うのか。あなたは上皇様を島流しにした大悪人。わたくしは身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代(きだい)の悪女」

「それはいいすぎでしょう」

「でもそれでいいの。わたくしたちは、頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次へつないだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない」 

「姉上は、たいしたお人だ」

「そう思わないと、やってられないから」

「それにしても、血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか」義時はその名前を挙げていきます。「これだけで十三。そりゃ、顔も悪くなる。姉上、今日はすこぶる体が悪い。あそこに薬があります。取っていただけませんか。医者にいわれました。今度、体が動かなくなったら、その薬を飲むように、と。私にはまだやらねばならぬことがある。隠岐上皇様の血を引く帝(みかど)が、返り咲こうとしている。何とかしなくては」

「まだ手を汚すつもりですか」

「この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へもっていく。太郎(泰時)のためです。私の名が、汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く」

「そんなことしなくても、太郎はきちんと新しい鎌倉をつくってくれるわ」

「薬を」

「わたくしたちも、長く生きすぎたのかもしれない」

 そういって政子は薬を床に流すのです。

「姉上」

「さみしい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらへ行きます」

「私はまだ死ねん」

 と、泰時は、こぼれた薬をなめとろうとします。すかさず政子がそれを拭(ふ)き取るのです。

「太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことを、あの子が成し遂げてくれます。北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子」

 義時は息も絶え絶えにいいます。

「確かにあれを見ていると、八重を思い出すことが」

「でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ」

「姉上。あれを太郎に」

 義時が指さした先には、頼朝が持っていた、小さな観音像がありました。

「必ず渡します」

 義時は息絶えるのです。政子は泣きながらいいます。

「ご苦労様でした。小四郎」

『映画に溺れて』第537回 フリントストーン モダン石器時代

第537回 フリントストーン モダン石器時代

平成七年七月(1995)
池袋 文芸坐

 

 ラクエル・ウェルチ主演の『恐竜100万年』は一九六〇年代半ば、映画館で見逃し、一九七〇年にTV放送でようやく観られた。その後、同じ英国ハマーフィルムの『恐竜時代』は一九七二年に映画館で観た。どちらも美女が露出度の過激な毛皮の衣装で暴れ回るセクシー映画だった。だが、果たして恐竜と人類は地球上で共存していたのだろうか。
 アニメーションの原始家族はTVで子供の頃から見ている。背景は恐竜の生存する太古だが、そこは一九六〇年代風のアメリカのサラリーマン社会であり、マイカー、マイホーム、会社のオフィス、ボーリング場、マクドナルドやコーラの自動販売機など、石器時代なのに存在しており、多くの動力は恐竜のパワーによる。新聞は石の板、冷蔵庫は石室で、石のドアには石のメモ用紙が止めてある。
 主人公の名前もフレッド・フリントストーンというアメリカ人そのもの。今回の実写版では破壊的な存在感のあるジョン・グッドマンが間抜けぶりを強調して演じている。まるで漫画から抜け出てきたよう。恐竜のクレーンで岩石を運ぶのが仕事。腹黒い悪重役クリフの陰謀で副社長に抜擢され、金使いの荒い横柄でいやな男になってしまうが、隣人との友情が壊れ、妻子が家を出てしまったあげく、横領の罪を着せられ警察に追われる内に、元の善良な自分を取り戻す。
 最後はクリフをやっつけ偶然にコンクリートを発明してしまうが、重役の椅子を蹴って、労働者仲間の元に戻る。
 親友のバーニーがリック・モラニス、フレッドの愛妻がエリザベス・パーキンスラクエル・ウェルチほどの弱小毛皮ではないが、美人のパーキンスはなかなかセクシーなのがいい。色っぽい副社長秘書がハル・ベリー。娘の夫を出世と無縁なぐうたらと馬鹿にする意地悪な姑がなんと老いたエリザベス・テーラーというのもすごい配役である。
 この原作のアニメは日本では消費者金融のコマーシャルにも使われていたようだが、やはり実写版がよくできている。

 

フリントストーン モダン石器時/The Flintstones
1994 アメリカ/公開1994
監督:ブライアン・レヴァント
出演:ジョン・グッドマン、リック・モラニス、エリザベス・パーキンス、ロージー・オドネル、カイル・マクラクランハル・ベリーエリザベス・テイラー

 

『映画に溺れて』第536回 ロボコップ

第536回 ロボコップ

昭和六十三年八月(1988)
三鷹 三鷹オスカー

 

 一九七〇年代以降、アメリカでの凶悪犯罪は増加をたどる。
 近未来、犯罪増加にともない、警察の民営化が進められる。この映画が公開された八〇年代後半、日本でも国鉄や郵便局が民営化されつつあり、サービス低下の弊害も取りざたされていた。
 邪悪な犯罪都市となったデトロイトで警察がコンピュータ企業オムニ社に委託され、金のかかる警察官を人員削除するためロボット警官を採用する。
 ただし融通のきかないロボット警官は些細な違反だけで市民を虐殺したりする。そこでサイボーグ研究班が殉死した優秀な警官アレックスの脳を利用したロボコップを実用化する。まるでフランケンシュタインである。
 アレックスの脳を持つロボコップはサイボーグでありながら、もともと優秀な警官であった人間らしさを備えており、研究班のリーダー、モートンは社内で出世する。
 初期のロボット警官を推し進める悪徳副社長ジョーンズはモートンを憎み、犯罪組織の卑劣なボス、クラレンスを手先にモートン殺害を諮り、サイボーグのロボコップを抹殺しようとする。
 アレックスを殉死させた凶悪な犯罪者がクラレンスであり、ロボコップは生前の妻子の夢を見ながら、クラレンス一味を追い詰め、オムに社重役ジョーンズの悪事を暴く。
 主演はロボコップ、アレックス・マーフィ役にピーター・ウェラー、相棒の婦人警官にナンシー・アレン、悪重役に『脱出』のロニー・コックス、サイボーグ開発班長ミゲル・フェラー、そして卑劣で邪悪なクラレンスがその後も数々の悪役を演じ続ける悪相のカートウッド・スミスだった。
 これは三鷹オスカーの三本立てで観た。あとの二本は『ターミネーター』と『ブレードランナー』という夢のような未来SFプログラムだった。

 

ロボコップ/RoboCop
1987 アメリカ/公開1988
監督:ポール・バーホーベン
出演:ピーター・ウェラーナンシー・アレン、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ダン・オハーリー、ミゲル・フェラー、ロバート・ドクィ、フェルトン・ペリー、レイ・ワイズ、ポール・マクレー

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第47回 ある朝敵、ある演説

 廊下を渡る北条義時(よしとき)(小栗旬)に、御家人の一人である長沼宗政(むねまさ)(清水伸)が話しかけてきます。最近火事が多い、尼将軍の名前で炊き出しをしたらどうか。義時は怒鳴ります。

「そんなことまで私を頼るな」

 それを見ていた三浦義村がいいます。

「お前も変わったもんだな。昔は誰かれ構わず、頼みを聞いてやっていた。立場は人を変えるな」

 義時は思い出します。

「そんな時もあったな」

 北条義時に、人生最大の試練が近づいていました。

 それは源頼茂(よりもち)より始まります。 

 後鳥羽上皇(尾上松也)に藤原秀康(ひでやす)(星智也)が報告します。

「頼茂は、いまだ内裏(だいり)に立てこもっております」

 慈円(じえん)僧正(山寺宏一)がいいます。

「あの者は源氏の端くれ。三寅(みとら)様が次の将軍に決まったので、腹を立てたようです」

 後鳥羽上皇は二人にいいます。

「知らん」

 藤原兼子がいいます。

「もとはといえば、源氏の跡目(あとめ)争い。何故(なにゆえ)、朝廷が巻き込まなければならんのです」

 この一件が、朝廷方と、鎌倉方の命運を決める大(おお)いくさ、承久(じょうきゅう)の乱を引き起こすのです。

 源頼茂の謀反は、あっという間に鎮圧されます。しかし朝廷の象徴である内裏は、焼け落ちてしまいます。

 後鳥羽上皇は、内裏の再建を命じます。慈円僧正が問います。

「費用は、いかがいたします。途方(とほう)もないものになりまするぞ」

 後鳥羽上皇は答えます。

「日の本(ひのもと)中の武士から、財を取り立てる」

「義時が認めるでしょうか」

「それが狙いよ。御家人たちもわしの命(めい)は断れまい。しかし義時はそれを良しとしない。義時は孤立。どうじゃ、この策は」

上皇様は鎌倉をどうされたいのです」

「そなたはかつて申した。鎌倉は、壇之浦(だんのうら)に沈んだ宝剣の代わり。大事にせよと」

「鎌倉が上皇様をお守りいたしますゆえ」

「その鎌倉のせいで内裏を失ったではないか。これを何とする」

「しかし鎌倉なしで、今やこの日の本は治まりません」

「私には、日の本を治められぬと申すか。私は鎌倉を決して許さん」

 鎌倉で、義時たちが政務を行っています。北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が報告します。

上皇様より、焼け落ちた内裏再建の費用を出せと、御家人に命が下っております」

 義時はいいます。

「放っておけ」

 北条泰時(やすとき)(坂口健太郎)が意見します。

「しかし御家人たちにとって、朝廷との縁は大切です」

 義時は静かに述べます。

「もはや西の顔色をうかがう時は終わった、いつもそういっておるではないか」

 泰時は食い下がります。

上皇様と争うのは、神仏を恐れぬに等(ひと)しいこと、皆おびえておるのです。父上は恐ろしくないのですか」

「私は神仏など恐れぬ」

「だから父上は人に好かれぬのです」

 大江広元(栗原英雄)が仲裁します。

「ここは、尼将軍に決めていただきましょう」

 北条政子(小池栄子)がいいます。

「このところ火事も多く、痛手を受けた御家人や百姓も多い。都をお助けするのは、鎌倉の立て直しがすんでからにいたしましょう」

 政務が終わり、帰ろうとする義時を、泰時が呼び止めます。

「これは父上にお返しします」

 泰時がとりだしたのは、頼朝(よりとも)がいつも身に着けていた、小さな観音像でした。

「お前にやったものだ」

「父上こそ持っているべきです」

「頼朝様を裏切った私には、持つに値(あたい)しない。そういったはずだ」

「父上を必ず、お守りくださいます」

 義時は館に帰ってきます。妻の、のえ(菊地凛子)と、その父の二階堂行政(野仲イサオ)が出迎えます。義時は疲れたから休むと、館の奥に入って行きます。のえ、が二階堂行政に話します。

「(義時と、のえ、の子である)政村を跡継ぎにしていただかなければ、意味がありません」

「婿殿(むこどの)は、太郎(泰時)殿と折り合いが悪いそうではないか。跡継ぎは政村じゃ」

「ところが、あの方と太郎殿は、ぶつかればぶつかるほど、心を開き合っている風に見えるんです。私には」

「そりゃいかんな」

「薄気味悪い親子なんですよ。もう悠長(ゆうちょう)にはしていられません」

 御所(ごしょ)にいる義時に、時房が報告します。

「義兄(あに)上、御家人たちがまた来ております」

「今度は何だ」

「例の内裏の修復の件です」

「取り立てには応じるなと命じたはずだ。腹の座らない奴らだ」

 押し寄せる御家人たちに、泰時が対応します。御家人の代表として、長沼宗政が述べます。

「俺たち、上皇様とはもめたくねえんだよ」

 泰時がいいます。

「ではこうしましょう。上皇様に従いたい者は、それぞれの考えで、好きにしていいことにするというのは」

 長沼は納得しません。

「ちょっと待てよ。そんなの、体(てい)よく俺たちを、放り出すってことじゃねえか。こういうことは、執権殿(しっけんどの)が上皇様とうまく話をつけてくれないと困るんだよ」

 泰時は義時に報告します。

「こんなことなら、むしろ上皇様におすがりしたいといわれてしまいました」

「すがってどうする」

「取り立てを免除してもらうそうです」

「愚かな。上皇様とて、免除するなら最初から取り立てなどするはずもなかろう」

「父上、もしかしたら、上皇様の狙いは、そこだったんではないでしょうか。父上と御家人たちの間を裂こうという腹では」

 京では、後鳥羽上皇が、慈円に、義時を呪詛(じゅそ)するよう命じます。その噂が広まれば、御家人たちの心はますます義時から離れる。藤原秀康上皇に述べます。京の武士たちを、鍛えておきたい。

「それは良い考えじゃ」

 と、満足そうに上皇はいうのでした。それを聞いた慈円が狼狽(ろうばい)します。

「鎌倉にいくさを仕掛けるおつもりか」

 鎌倉で着袴(ちゃっこ)の儀が行われます。義時が三寅(みとら)に袴をつけさせ、最高指導者であることを、御家人たちに改めて見せつけます。 

 京では後鳥羽上皇が、京都守護を討ち取るように命じます。

「これをもって、北条義時追討(ついとう)の狼煙(のろし)とする」

 鎌倉では、三浦義村が長沼宗政に話しています。

上皇様が、私に味方につけといってきた」

「帝(みかど)の兵が、鎌倉に攻めてくるのか」

「密命に従わなければそうなる」

「密命とは」

「義時追討」

「義時殿の首を差し出せと」

 義時は上皇が挙兵したことを知ります。

「攻めてくるぞ」

 と、義時はいいます。

 三浦は上皇からの院宣(いんぜん)を受け取ります。三浦は喜びます。上皇が自分の名指ししてきたからです。しかし院宣を受け取っていたのは、三浦だけではなかったのです。

 計八通の院宣が送られていました。それを見た泰時がいいます。

「こうなったらからには道は一つ。上皇様相手に、一戦交(いっせんまじ)えるより道はないかと」

 義時は声を張ります。

「官軍と戦うというか」

「鎌倉を守るためにございます」

「お前は、いつも私と逆のことを考えるなあ」

「いくさはしないおつもりですか」

「この院宣をよく見ろ。これは、鎌倉に攻め込むためのものではない。私を追討せよという院宣だ。太郎(泰時)、私は、お前が後を継いでくれることを、何よりの喜びと感じている。お前になら安心して北条、鎌倉を任せることができる」

「どういう意味ですか」

「私一人のために、鎌倉を灰にすることができんということだ。すぐに御家人たちを集めろ。私から話す」

「鎌倉のために、命を捨てるおつもりですか」

「いくさを避けるには、ほかに手はない」

 義時は政子に会いに行きます。政子がいいます。

「なりません」

上皇様は私が憎いのです。私が京に行けば済む話」

「向こうへ行けば、首をはねられてしまうでしょう」

「それは行ってみなければ分かりません」

「わたくしは承服(しょうふく)できません」

「姉上、これは執権としての最後の役目にございます。鎌倉を守るためには、ほかに手はございません。頼朝様から引き継ぎ、何とかここまでやってまいりました。多少手荒なこともしましたが、いささかの後悔もございません。私を憎む御家人たちも多い。よい頃合い(ころあ)いかもしれません。あとは、太郎(泰時)に託します」義時は立ち上がります。「これから、御家人たちと話してまいります」

 立ち去ろうとする義時を、政子が呼び止めます。

「もう一度よく考えて小四郎(義時)」

 義時は立ち止まります。政子の方を振り返らないまま話します。

「もとはといえば、伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊。その名を、上皇様が口にされるとは。それどころか、この私を討伐するため、兵を差し掛けようとされる。平相国(へいしょうこく)清盛(きよもり)。源九郎判官(ほうがん)義経(よしつね)。征夷大将軍源頼朝(よりとも)と並んだのです。北条の四郎の子せがれが。おもしろき人生でございました」

 政子は大江広元(栗原英雄)に相談し、演説の草稿を頼みます。

 御家人たちが、御所の中にも、外にも勢ぞろいしています。そこへ義時が姿を現します。

「すでに耳に入っている者もあると思うが……」

 と、義時は話し始めます。

「待ちなさい」

と、それをさえぎり、政子がやってきます。政子は義時にいいます。

「鎌倉の一番上にいるのは、このわたくしです。あなたは下がりなさい」政子は御家人たちに語り掛けます。「わたくしが皆にこうして話をするのは、これが最初で最後です」やがて政子は草稿を捨てるのです。「本当のことを申します。上皇様が狙っているのは、鎌倉ではない。ここにいる、執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を治めると院宣には書かれています。そして義時は、おのれの首を差し出そうとしました。鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人はいった。あなたたちのために犠牲になろうと決めて。もちろんわたくしは反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここで皆さんに聞きたいの。あなた方は本当にそれで良いのですか。確かに、執権を憎む者が多いことは、わたくしも知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目(きまじめ)なのです。すべてこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません。鎌倉始まって以来の危機を前にして、選ぶ道は二つ。ここで上皇様に従って、未来永劫、西のいいなりになるか。戦って坂東武者の世をつくるか。ならば答えは決まっています。すみやかに、上皇様を惑(まど)わす奸賊(かんぞく)どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。頼朝様の恩に今こそ応えるのです。向こうは、あなたたちがいくさを避けるために執権の首を差し出すと思っている。馬鹿にするな。そんな卑怯者は、この坂東には一人もいない。そのことを上皇様に教えてやりましょう」

 御家人たちは雄たけびで応えます。泰時が発言します。

「今こそ、一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿のもと、敵を打ち払う。ここにいる者たちは皆、その思いでいるはずです。違うか」

 御家人たちに、さらに大きな雄たけびが起こるのです。泰時は義時にいいます。

「執権殿。これが上皇様への我らの答えです」

 

『映画に溺れて』第535回 A.I.

第535回 A.I.

平成十三年七月(2001)
新宿歌舞伎町 ミラノ座

 

シックス・センス』で脚光を浴びた子役のハーレイ・ジョエル・オスモントが主演の未来SF。人を愛し、人間になりたいと願うロボットの物語。
 難病で不治の息子を凍結入院させている夫婦が新型ロボットのモニターに選ばれる。これが人間そっくりの子供ロボット。ロボットのデビッドを迎え入れた夫婦。妻がデビッドに自分が母親だとセットすると、そのとたん、少年は母を人間のように慕うようになる。
 やがて、医学の進歩で実の子の難病が治り、家に戻って来る。そうなると、ロボットは邪魔な存在。非情にも廃品として捨ててしまう。
 ここから捨てられたロボット少年の旅が始まる。なぞられるのは少年が愛読していた『ピノキオ』の物語。人間になりたいピノキオは女神と出会い、願いを叶えてもらう。デビッドも女神を求めてさまよう。
 そしてロボット狩りの一団に捕まり、破壊ショーに出される。人間は人間そっくりのロボットを憎み、破壊して楽しんでいる。ここでデビッドが出会うのがジュード・ロウのジゴロロボット。ジゴロはデビッドほど精巧にできていないので、顔がコンピューターグラフィックスで描かれたように作りものめいている。
 デビッドとジゴロはここを脱出し、女神を求めて旅に出る。
 そして行き着いたのがデビッドを作った博士の研究所。ここでも彼は人間にはなれない。ロボット破壊のための警察がやって来て、ジゴロはデビッドを逃がして自分は捕らわれ破滅する。
 デビッドを乗せた車は海に沈んだ遊園地の前で停止するが、たまたまそこに女神の人形があり、デビッドは動力が切れるまで人間になりたいと願い続ける。果たしてピノキオのように願いが叶えられるのだろうか。
 デビッドを創造したウィリアム・ハートの博士は『鉄腕アトム』の天馬博士を思わせる。              

 

A.I. /A.I. Artificial Intelligence
2001 アメリカ/公開2001
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメントジュード・ロウ、フランセス・オコナー、サム・ロバーズ、ジェイク・トーマス、ウィリアム・ハートブレンダン・グリーソン