廊下を渡る北条義時(よしとき)(小栗旬)に、御家人の一人である長沼宗政(むねまさ)(清水伸)が話しかけてきます。最近火事が多い、尼将軍の名前で炊き出しをしたらどうか。義時は怒鳴ります。
「そんなことまで私を頼るな」
それを見ていた三浦義村がいいます。
「お前も変わったもんだな。昔は誰かれ構わず、頼みを聞いてやっていた。立場は人を変えるな」
義時は思い出します。
「そんな時もあったな」
北条義時に、人生最大の試練が近づいていました。
それは源頼茂(よりもち)より始まります。
後鳥羽上皇(尾上松也)に藤原秀康(ひでやす)(星智也)が報告します。
「頼茂は、いまだ内裏(だいり)に立てこもっております」
「あの者は源氏の端くれ。三寅(みとら)様が次の将軍に決まったので、腹を立てたようです」
後鳥羽上皇は二人にいいます。
「知らん」
藤原兼子がいいます。
「もとはといえば、源氏の跡目(あとめ)争い。何故(なにゆえ)、朝廷が巻き込まなければならんのです」
この一件が、朝廷方と、鎌倉方の命運を決める大(おお)いくさ、承久(じょうきゅう)の乱を引き起こすのです。
源頼茂の謀反は、あっという間に鎮圧されます。しかし朝廷の象徴である内裏は、焼け落ちてしまいます。
「費用は、いかがいたします。途方(とほう)もないものになりまするぞ」
後鳥羽上皇は答えます。
「日の本(ひのもと)中の武士から、財を取り立てる」
「義時が認めるでしょうか」
「それが狙いよ。御家人たちもわしの命(めい)は断れまい。しかし義時はそれを良しとしない。義時は孤立。どうじゃ、この策は」
「上皇様は鎌倉をどうされたいのです」
「そなたはかつて申した。鎌倉は、壇之浦(だんのうら)に沈んだ宝剣の代わり。大事にせよと」
「鎌倉が上皇様をお守りいたしますゆえ」
「その鎌倉のせいで内裏を失ったではないか。これを何とする」
「しかし鎌倉なしで、今やこの日の本は治まりません」
「私には、日の本を治められぬと申すか。私は鎌倉を決して許さん」
鎌倉で、義時たちが政務を行っています。北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が報告します。
「上皇様より、焼け落ちた内裏再建の費用を出せと、御家人に命が下っております」
義時はいいます。
「放っておけ」
「しかし御家人たちにとって、朝廷との縁は大切です」
義時は静かに述べます。
「もはや西の顔色をうかがう時は終わった、いつもそういっておるではないか」
泰時は食い下がります。
「上皇様と争うのは、神仏を恐れぬに等(ひと)しいこと、皆おびえておるのです。父上は恐ろしくないのですか」
「私は神仏など恐れぬ」
「だから父上は人に好かれぬのです」
「ここは、尼将軍に決めていただきましょう」
「このところ火事も多く、痛手を受けた御家人や百姓も多い。都をお助けするのは、鎌倉の立て直しがすんでからにいたしましょう」
政務が終わり、帰ろうとする義時を、泰時が呼び止めます。
「これは父上にお返しします」
泰時がとりだしたのは、頼朝(よりとも)がいつも身に着けていた、小さな観音像でした。
「お前にやったものだ」
「父上こそ持っているべきです」
「頼朝様を裏切った私には、持つに値(あたい)しない。そういったはずだ」
「父上を必ず、お守りくださいます」
義時は館に帰ってきます。妻の、のえ(菊地凛子)と、その父の二階堂行政(野仲イサオ)が出迎えます。義時は疲れたから休むと、館の奥に入って行きます。のえ、が二階堂行政に話します。
「(義時と、のえ、の子である)政村を跡継ぎにしていただかなければ、意味がありません」
「婿殿(むこどの)は、太郎(泰時)殿と折り合いが悪いそうではないか。跡継ぎは政村じゃ」
「ところが、あの方と太郎殿は、ぶつかればぶつかるほど、心を開き合っている風に見えるんです。私には」
「そりゃいかんな」
「薄気味悪い親子なんですよ。もう悠長(ゆうちょう)にはしていられません」
御所(ごしょ)にいる義時に、時房が報告します。
「義兄(あに)上、御家人たちがまた来ております」
「今度は何だ」
「例の内裏の修復の件です」
「取り立てには応じるなと命じたはずだ。腹の座らない奴らだ」
押し寄せる御家人たちに、泰時が対応します。御家人の代表として、長沼宗政が述べます。
「俺たち、上皇様とはもめたくねえんだよ」
泰時がいいます。
「ではこうしましょう。上皇様に従いたい者は、それぞれの考えで、好きにしていいことにするというのは」
長沼は納得しません。
「ちょっと待てよ。そんなの、体(てい)よく俺たちを、放り出すってことじゃねえか。こういうことは、執権殿(しっけんどの)が上皇様とうまく話をつけてくれないと困るんだよ」
泰時は義時に報告します。
「こんなことなら、むしろ上皇様におすがりしたいといわれてしまいました」
「すがってどうする」
「取り立てを免除してもらうそうです」
「愚かな。上皇様とて、免除するなら最初から取り立てなどするはずもなかろう」
「父上、もしかしたら、上皇様の狙いは、そこだったんではないでしょうか。父上と御家人たちの間を裂こうという腹では」
京では、後鳥羽上皇が、慈円に、義時を呪詛(じゅそ)するよう命じます。その噂が広まれば、御家人たちの心はますます義時から離れる。藤原秀康が上皇に述べます。京の武士たちを、鍛えておきたい。
「それは良い考えじゃ」
と、満足そうに上皇はいうのでした。それを聞いた慈円が狼狽(ろうばい)します。
「鎌倉にいくさを仕掛けるおつもりか」
鎌倉で着袴(ちゃっこ)の儀が行われます。義時が三寅(みとら)に袴をつけさせ、最高指導者であることを、御家人たちに改めて見せつけます。
京では後鳥羽上皇が、京都守護を討ち取るように命じます。
「これをもって、北条義時追討(ついとう)の狼煙(のろし)とする」
鎌倉では、三浦義村が長沼宗政に話しています。
「上皇様が、私に味方につけといってきた」
「帝(みかど)の兵が、鎌倉に攻めてくるのか」
「密命に従わなければそうなる」
「密命とは」
「義時追討」
「義時殿の首を差し出せと」
義時は上皇が挙兵したことを知ります。
「攻めてくるぞ」
と、義時はいいます。
三浦は上皇からの院宣(いんぜん)を受け取ります。三浦は喜びます。上皇が自分の名指ししてきたからです。しかし院宣を受け取っていたのは、三浦だけではなかったのです。
計八通の院宣が送られていました。それを見た泰時がいいます。
「こうなったらからには道は一つ。上皇様相手に、一戦交(いっせんまじ)えるより道はないかと」
義時は声を張ります。
「官軍と戦うというか」
「鎌倉を守るためにございます」
「お前は、いつも私と逆のことを考えるなあ」
「いくさはしないおつもりですか」
「この院宣をよく見ろ。これは、鎌倉に攻め込むためのものではない。私を追討せよという院宣だ。太郎(泰時)、私は、お前が後を継いでくれることを、何よりの喜びと感じている。お前になら安心して北条、鎌倉を任せることができる」
「どういう意味ですか」
「私一人のために、鎌倉を灰にすることができんということだ。すぐに御家人たちを集めろ。私から話す」
「鎌倉のために、命を捨てるおつもりですか」
「いくさを避けるには、ほかに手はない」
義時は政子に会いに行きます。政子がいいます。
「なりません」
「上皇様は私が憎いのです。私が京に行けば済む話」
「向こうへ行けば、首をはねられてしまうでしょう」
「それは行ってみなければ分かりません」
「わたくしは承服(しょうふく)できません」
「姉上、これは執権としての最後の役目にございます。鎌倉を守るためには、ほかに手はございません。頼朝様から引き継ぎ、何とかここまでやってまいりました。多少手荒なこともしましたが、いささかの後悔もございません。私を憎む御家人たちも多い。よい頃合い(ころあ)いかもしれません。あとは、太郎(泰時)に託します」義時は立ち上がります。「これから、御家人たちと話してまいります」
立ち去ろうとする義時を、政子が呼び止めます。
「もう一度よく考えて小四郎(義時)」
義時は立ち止まります。政子の方を振り返らないまま話します。
「もとはといえば、伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊。その名を、上皇様が口にされるとは。それどころか、この私を討伐するため、兵を差し掛けようとされる。平相国(へいしょうこく)清盛(きよもり)。源九郎判官(ほうがん)義経(よしつね)。征夷大将軍源頼朝(よりとも)と並んだのです。北条の四郎の子せがれが。おもしろき人生でございました」
御家人たちが、御所の中にも、外にも勢ぞろいしています。そこへ義時が姿を現します。
「すでに耳に入っている者もあると思うが……」
と、義時は話し始めます。
「待ちなさい」
と、それをさえぎり、政子がやってきます。政子は義時にいいます。
「鎌倉の一番上にいるのは、このわたくしです。あなたは下がりなさい」政子は御家人たちに語り掛けます。「わたくしが皆にこうして話をするのは、これが最初で最後です」やがて政子は草稿を捨てるのです。「本当のことを申します。上皇様が狙っているのは、鎌倉ではない。ここにいる、執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を治めると院宣には書かれています。そして義時は、おのれの首を差し出そうとしました。鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人はいった。あなたたちのために犠牲になろうと決めて。もちろんわたくしは反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここで皆さんに聞きたいの。あなた方は本当にそれで良いのですか。確かに、執権を憎む者が多いことは、わたくしも知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目(きまじめ)なのです。すべてこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません。鎌倉始まって以来の危機を前にして、選ぶ道は二つ。ここで上皇様に従って、未来永劫、西のいいなりになるか。戦って坂東武者の世をつくるか。ならば答えは決まっています。すみやかに、上皇様を惑(まど)わす奸賊(かんぞく)どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。頼朝様の恩に今こそ応えるのです。向こうは、あなたたちがいくさを避けるために執権の首を差し出すと思っている。馬鹿にするな。そんな卑怯者は、この坂東には一人もいない。そのことを上皇様に教えてやりましょう」
御家人たちは雄たけびで応えます。泰時が発言します。
「今こそ、一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿のもと、敵を打ち払う。ここにいる者たちは皆、その思いでいるはずです。違うか」
御家人たちに、さらに大きな雄たけびが起こるのです。泰時は義時にいいます。
「執権殿。これが上皇様への我らの答えです」