日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第43回 資格と死角

 京から、頼家(よりいえ)の残した子、公暁(こうぎょう)(寛一郎)が鎌倉に戻ってきています。三浦義村(山本耕史)が公暁にいいます。

「明日は御所(ごしょ)におもむいて、鎌倉殿(かまくらどの)と尼御台(あまみだい)にご挨拶を」

「例の件はどうなっておる」

 と、公暁はたずねます。

「若君は、鎌倉殿が、お子にも等(ひと)しいとした唯一(ゆいいつ)の男子。鎌倉殿の跡を継ぐのは、若君のほかはございません」

「必ず、鎌倉殿になってみせる。私は、そのために戻ってきた」

「必ずその願い、叶(かな)えてごらんに入れます」

 と、三浦義村は頭を下げるのでした。

 三浦義村は、渡り廊下で北条義時(よしとき)(小栗旬)と話します。

「小四郎(義時)、鎌倉殿の跡継ぎのことなんだが、いまだにお子ができず、鎌倉殿は側室(そくしつ)を持とうとされない。だったら、若君で決まりではないのか」

「来てくれ」

 と、義時は人目をはばかり、三浦をいざないます。

 公暁北条政子(小池栄子)と会っていました。政子がいいます。

公暁、今のわたくしは、息子と孫の成長を見守る、それだけが生きる縁(よすが)なのですよ」

 公暁がいいます。

「尼御台のお計(はか)らいで、私は出家し、おかげさまでこの通り、心身を鍛えました。いずれは亡き祖父、亡き父の願いに添(そ)う、立派な鎌倉殿になる所存です」

 政子は驚きのあまり口がきけません。

 一方、義時と話す三浦義村も動揺しています。

「ちょっと待ってくれ。どういうことだ」

 義時が話します。

「だから、次の鎌倉殿は、京よりお招きする」

 三浦は大声になります。

「若君は」

「頼家様は、鎌倉の安寧(あんねい)を脅(おびやか)かされた。公暁殿は、その子。跡を継がせるべきではない、という鎌倉殿のお考えだ」

「おかしいだろう」

「私だって、それでいいとは思っていない」

「いずれ鎌倉は、西の奴らに乗っ取られるぞ」

 そこへ政子がやってきます。

公暁には話していないのですか」

 義時は聞きます。

「何か申されてましたか」

「あの子は鎌倉殿になるつもりです。なぜきちんと説明しておかないのです」

「そもそも、話すいわれはありません」

公暁は還俗(げんぞく)する気になっています」

 義時は三浦に向き直っていいます。

「許されるはずがないだろう」

 三浦はいいます。

「そこまで覚悟を決めておられるのだ」

 公暁は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に会っていました。実朝がいいます。

「この度(たび)、京より養子をとることにした。いずれはその子に、跡を継いでもらうつもりだ。私は大御所となり、そなたは、鶴岡(つるがおか)別当として、新しい鎌倉殿の良き相談相手になってもらう」

 暗い部屋で、公暁は、三浦義村を怒鳴りつけます。

「話が違う」

 三浦はいいます。

「鎌倉殿が、勝手にいわれているだけです」

「京へ帰る」

「とりあえず若君には予定通り、千日の参篭(さんろう)に入っていただきます。その間に、私が」

「鎌倉殿を説き伏せられるのか」

「お任せください」

 千日参篭とは、外界との交流を断ち、堂内にこもって、神仏に祈る行為です。出入りできるのは、世話役の稚児(ちご)のみです。

 京の上皇(じょうこう)の文(ふみ)が、実朝に届けられます。実朝はその内容を、皆に伝えようとします。

「かねてより進めていた、京より養子をとるという話だが」

 義時が話をさえぎります。

「かようなことを、ごく一部の者で決めれば、やがて、御家人たちが騒ぎかねません」

 実朝が声を張ります。

「大事なことだからこそ、自分で決めたいのだ」

「ご先代の頃より、大事なことは評議で決めるのがこの鎌倉の習(なら)わし」

 ここで三善康信(小林隆)が口を挟みます。

「しかしながら、ご先代の時より評議で話がすんなりまとまったことはございませんぞ」

 気を取り直して義時がいいます。

「ここはもう一度、我ら宿老が時(とき)をかけて話し合うべきではないでしょうか」

 実朝が穏やかに話します。

「申し訳ないが、これはもう決めたことなのだ。かねてより、上皇様には、ふさわしいお方をお選びいただきたいとお願いしていたのだが、そのお返事が届いた。上皇様は、親王(しんのう)様の中から、誰かを遣(つか)わしてもよいとおおせだ」

 親王とは、上皇の子のことです。実朝は続けます。

「これ以上ことはあるまい。義時、これならば、反対する御家人はいないと思うが」

 義時はいいます。

「実現すれば、これに勝る喜びはございません」

 実朝は上洛して、話を固めたいと話します。義時は、鎌倉殿の上洛を軽く考えてはならないと語ります。ここで申し出たのが、北条政子でした。京に行って、話をまとめてくるというのです。これで話が決まります。政子は実朝にいいます。

「この母に、お任せあれ」

 三浦義村は、暗い部屋で、弟の三浦胤義(たねよし)(岸田タツヤ)と話します。

「このままでは若君は、一生、鎌倉殿にはなれん」

 胤義が悔しがります。

上皇様のお子となれば。あきらめるしかないですね」

「いや、俺はあきらめん。三浦が這い上がる最後の好機なんだ。何とかしなければ」

 北条政子は、京の院御所に到着していました。後鳥羽上皇の乳母(めのと)である藤原兼子(ふじわらのかねこ)と対面します。

「卿二位(きょうのにい)兼子様。この度(たび)は、息子、実朝の跡継ぎの件で骨を折っていただき、誠にありがとうございます」政子は持ってきた箱を開けます。「つまらないものですが、干し蛸(たこ)にございます。お口汚(よご)しにございますが、お納(おさ)めくださいませ」

 兼子が口を開きます。

「ほう、坂東の習(なら)わしでは、口が汚れるものを差し出されるか」

 政子はひるみません。蛸の入った箱を持って進み出ます。

「たまには、汚れたものを口にするのも、ようございますよ。日々の食事がいかにおいしいか、改めて思いをいたすことができます」

「政子殿、はるばるようこそ、遠い坂東からおこしになった」

「地の果ての鎌倉から参りました」

「さっそく本題に入りましょう」

親王様のどなたかを、鎌倉にお遣(つか)わし下さるとのこと。感謝しております」

「実は悩んでいるのよ。上皇様と鎌倉殿は、和歌を通じて、ご昵懇(じっこん)の仲」

「ありがたいことにございます」

「鎌倉殿の力になりたいと、上皇様は申されるのですが、わたくしとしては、やはり、何かと不穏(ふおん)な鎌倉に、大事な親王様を送り出すというのはねえ」

「このところ鎌倉は、ようやく落ち着きましてございます」

「ようやく、でしょ」

 政子は出家していない二人の親王の名前を挙げます。このうちで兼子が育てた親王を鎌倉に遣わすことを提案します。帝(みかど)の妃(きさき)が子を宿している。兼子の育てた親王に帝の目はない。ならば代わりに鎌倉殿になってくれれば、これほどうれしいことはない。この後、兼子と政子はすっかり打ち解けるのです。

 鎌倉に遣わされる親王が決まります。実朝は「左大将」に任じられます。「右大将」であった、頼朝(よりとも)を、ある意味、超(こ)えたのです。政子は「従三位(じゅさんみ)」に叙(じょ)されることになります。実朝は、泰時(やすとき)(坂口健太郎)も、何かの官職に推挙(すいきょ)してやりたいといい出します。源仲章(なかあきら)(生田斗真)がいいます。菅原道真(すがわらのみちざね)公と同じ、讃岐守(さぬきのかみ)はどうか。

 帰ろうとする義時は、廊下で源仲章に呼び止められます。親王が鎌倉殿になった暁(あかつき)には、自分は関白(かんぱく)として支え、政(まつりごと)を進めていく。義時は伊豆に帰り、そこで余生を過ごすといい。自分が執権(しっけん)になってもいい。

 義時が泰時の館を訪れます。

「単刀直入にいう。讃岐守のこと、断ってもらいたい」

 間を置いた後、泰時がいいます。

「訳をうかがってもよろしいですか」

「お前は私を良く思っておらぬ。しかし私はお前を認めている。いずれお前は執権になる。お前なら、私が目指していて成(な)れなかったものに成れる。その時、必ずあの男が立ちはだかる。源仲章の好きにさせてはならぬ。だから今から気を付けよ。借りを作るな」

「ご安心ください。私も讃岐守は、ご辞退しようと思っていたところです。気が合いましたね」

 義時は立ち去り際にいいます。

親王を将軍に迎える件、受け入れることにした。つまり親王は、こちらにとっては人質だ」

 泰時は義時を追って聞きます。

「父上が、目指していて成れなかったものとは何ですか」

 義時はそれには答えませんでした。

 義時の妻の、のえ(菊地凛子)は、源仲章と良い雰囲気になっていきます。

 千日の参篭を行う堂内に、三浦義村は呼ばれます。公暁が問います。自分が鎌倉殿になる可能性はなくなったのか。

「無念にございます」

 と、三浦はいいます。公暁は嘆きます。

「いったい私は、何のために戻ってきたのだ」

「若君が鎌倉殿になれば、必ず災いが降りかかる。これでよかったのです」

「どういう意味だ」

「お母上から何も聞いていないのですか」

「何のことだ」

「お父上の、死に至るまでのいきさつを」

「父は、志半(こころざしなか)ばで病に倒れたと」

 三浦は公暁の父、頼家(よりいえ)が、北条の手によって殺されたと告げます。北条は頼家とその家族を皆殺しにした。本来ならば跡を継ぐべきあなたの兄も、義時によって殺された。三浦は公暁に向かって立ちます。

「北条を許してはなりませぬ。そして、北条にまつりあげられた源実朝もまた、真(しん)の鎌倉殿にあらず」

 三浦は公暁のもとを去っていきます。

 政子が鎌倉に戻ってきます。事の成功を実朝と喜び合うのでした。

 実朝は義時たちの前でいいます。

「一日も早く、鎌倉殿の座を、親王様にお譲りし、父上も見ることのなかった景色を見てみたい」 

 七月八日、直衣始(のうしはじめ)の儀式が執(と)り行われます。左大将となった実朝が、初めて直衣(のうし)をまとって、参拝する行事です。半年後、この鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で、惨劇が繰り広げられるのです。