大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第38回 時を継ぐ者
北条時政(坂東彌十郎)が、源実朝(さねとも)(柿澤勇人)にいいます。
「鎌倉殿(実朝)の起請文(きしょうもん)がねえと、じいは死ななくちゃならねえんです」
和田義盛(横田栄司)が、無理矢理、二人のいる部屋に入っていきます。刀を抜いている時政にいいます。
「何をされておる。仔細(しさい)はわからねえが、このお方に刃(やいば)を向けるなんてとんでもねえ」
時政が和田にいいます。
「鎌倉殿が起請文を書いてくれねえんじゃ」
和田は実朝を振り返ります。
「書いちゃいなさい。起請文なんて、あとで破いちまえばいいんですから」
和田の乱入によって、場の空気は乱れ、時政もそれ以上強要できなくなります。
時政の館はすでに包囲されていました。
自室に引き上げた時政に、りく(宮沢りえ)がいいます。
「鎌倉殿に、囲みを解くようにいわせて下さい。早く」
「しかし」
「痛い思いをさせればあの子だって。ためらっている場合ですか。鎌倉殿を引き渡せば、攻め込まれて終わりです。生き延びるためです」
外の囲みでは、時房(瀬戸康史)が義時(小栗旬)に訴えています。
「私が行って、父上と話してきましょうか」
義時は時房の訴えを即座に退けます。
「平六(三浦義村)が父上を説き伏せる」
「父上はこれからどうなるのです」
「このようなことをしでかして、許すわけにはいかん」
これに抗議する泰時(やすとき)(坂口健太郎)に対して、八田知家(市原隼人)がいいます。
「いいかげん分かってやれ、このお人は、今まで何人も御家人を謀反の科(とが)で殺してきた。親だからと許したらどうなる。御家人すべてを敵に回すことになるんだよ」八田は義時に向かいます。「構うことはねえ。首、はねちまえ」
義時は八田から目をそらします。
「まずは鎌倉殿をお助けする。それからだ」
一人、暗い部屋にいる時政に、三浦義村(山本耕史)が話しかけます。
「館(やかた)は、すっかり囲まれています。実は、私は小四郎(義時)に頼まれてここにいます」
時政はいいます。
「頼みがある」
時政は、りく、に話します。
「お前は鎌倉を離れろ。京に(平賀)朝雅(ともまさ)と、菊がおる。奴らを頼れ」
「しい様(時政)は」
「ここに残る」
「嫌です」
「鎌倉殿のお側におれば、外の奴らは手出しできん。平六が連れて行ってくれる。お前が無事、逃げ延びたら、わしは鎌倉殿を引き渡し、降参する。小四郎は親思いじゃ。頭丸めて、手ぇついて謝ったら、きっと許してくれるさ」時政は、りく、に近づきます。「ほとぼりが冷めれば、また会える日も来る」時政は三浦を振り返ります。「平六、あとは頼んだ」
三浦は頭を下げます。
「りく殿のことは、お任せ下さい」
門が開き、三浦が包囲する者たちの前に姿を現します。
「執権殿は」
と、義時が聞きます。三浦が答えます。
「あれを説き伏せるのは骨だぜ。りく、さんも親父さんの横で、石みたいに動かない」
義時は三浦が連れている、館の使用人や女中たちに声を掛けます。
「怖い思いをさせて悪かった。事が片付くまで、館の外で待っていてくれ」
三浦が女中たちを連れて行きます。その中に、りく、が紛れていたのです。
りく、は北条政子(小池栄子)の所に来ていました。政子に深々と頭を下げます。
「どうか頭をお上げ下さい」
と、政子がいいます。
「夫は、死ぬつもりでいます」ひれ伏したまま、りく、がいいます。「このようなことになってしまって。事を収めるには、みずから命を断つよりないと思っています。こたびのこと、たくらんだのはすべて私。四郎殿(時政)は、私の言葉に従っただけ。悪いのは、私です」
政子は立ち上がり、去っていきます。
義時が包囲している場所に、政子がやって来ます。
「父上を助けてあげて」
と、義時にいいます。
「鎌倉殿をお助けしたら、すぐに攻め込みます」
と、義時はいい放ちます。
館の中では、時政がつぶやくようにいいます。
「頃合いかな」実朝に近づいて頭を下げます。「鎌倉殿。このたびは無理強(むりじ)いをしてしまい、申し訳なく存じまする。鎌倉殿の芯(しん)の強さ、感服いたしました。いずれは、頼朝様を越える、鎌倉殿となられます」時政は和田にいいます。「お連れしろ」
実朝が問います。
「じいは来ないのか」
「ここでお別れでござる」
「来てくれ」
時政はゆっくりと首を振ります。実朝を連れて出ようとする和田に、時政がいいます。
「小四郎に伝えてくれ。あとは託(たく)したと。北条を、鎌倉を引っ張っていくのは、お前だと」
門が開き、義時たちの前に実朝が現れます。
「執権殿は」
と、義時は和田に聞きます。
「覚悟を決めておられる」
「何かを申されていたか」
「小四郎に伝えてくれといわれた」
しかしその内容を、和田は忘れてしまったのです。実朝が代わりにいいます。
「あとは託した。北条と鎌倉を、引っ張っていけ」
実朝と和田は去って行きます。攻め込もうとする義時に政子が訴えます。
「子が親を殺すような事だけはあってはなりませぬ。それだけは」
「政(まつりごと)に、私情をはさむことはできません。尼御台(あまみだい)」
「わたくしは娘(むすめ)として、父の命乞いをしているのです」政子は義時の背後にいる御家人たちにひれ伏します。「方々(かたがた)、どうか父をお許し下さい」
御家人たちもひれ伏して応えるのでした。
館の中で、時政が脇差しを抜いていました。自分の首に刃を当てます。それをおさえる者がいました。八田知家です。
「息子でなくて、悪かったな」
との一言を述べます。
翌朝、泰時が妻の初(福地桃子)にいいます。時政と、りく、は別々に押し込められている。沙汰はまもなく出る。
「出家ですむんでしょ」
と、初がいいます。
「父上のことだ。口ではああいっておきながらも、裏から手を回す事だってあり得る」
「考えすぎ」
「父の怖さを知らないんだ。そもそも父は、じさまを討ち取ろうとしていたんだ」
結局、時政の処分は、伊豆に流されることに決まります。
義時は、それを伝えるために、囚(とら)われの時政に会いに行きます。
「生まれ育った地で、ごゆっくり残りの人生をお過ごし下さい」
「りく、はどうなる」
「共に伊豆へ」
「あれがいれば、わしはそれだけでいい。よう骨を折ってくれたな」
「私は首をはねられても、やむなしと思っていました。感謝するなら、鎌倉殿や文官の方々に」義時は顔を上げます。「父上。小四郎は、無念にございます。父上には、この先もずっとそばにいて欲しかった。頼朝様がおつくりになられた鎌倉を、父上と共に守っていきたかった。父上の背中を見て、ここまでやって参りました。父上は、常に私の前にいた。私は父上」
義時は言葉が続けられません。
「もういい」
と、時政がいいます。
「今生(こんじょう)のお別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません。父の手を、握ってやることができません。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」
元久(げんきゅう)二年(1204)、閏(うるう)七月二十日。初代執権、北条時政が鎌倉を去ります。彼が戻ってくることは二度とありませんでした。
捕われた、りく、の部屋に女中が入って来ます。善児に育てられた、暗殺者のトウが変装した姿でした。三浦義村がそれを見抜き、トウを追い払うのでした。
義時は、りく、に会いに行きます。
「これより、伊豆に向かっていただきます」
りく、はふてぶてしくいってのけます。
「都でなければ、鎌倉であろうが、伊豆であろうが、私には同じこと。私を殺そうとしたでしょ。安心なさい。私はもう、あなたのお父上を焚きつけたりしないわ」
義時は京にいる御家人たちに、平賀智雅(ひらがのともまさ)を殺すよう命じます。罪状は、実朝に成り代わり、鎌倉殿の座を狙ったこと、でした。
義時は御家人たちを前に宣言します。
「これより、この北条義時は、執権時政に代わり、鎌倉の政(まつりごと)を取り仕切る」