日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第41回 義盛、お前に罪はない

 和田義盛(よしもり)(横田栄司)が館に帰ってみると、一族の者たちが皆、武装しています。すでに第一陣は、大江広元の館を襲っているとのことでした。和田はうめくようにいいます。

「鎌倉殿に約束をしたのだ。決して、いくさは起こさぬと」

 息子の一人がいいます。むしろ好都合、向こうは安心しきっている。勝機はこちらにある。

「小四郎(北条義時)をだましたことになる」

 という和田に、息子たちが訴えます。今、倒しておかねば、必ず次の手を打ってくる。すでに矢は放たれた。あとには戻れない。北条を信じてはならない。和田はついに立ち上がります。

「我らの敵は、あくまでも北条。このいくさ、鎌倉殿に弓引くものではない。それだけは肝に銘(めい)じておいてくれ。鎌倉殿に指一本でも触れたら、ただじゃおかねえぞ」

 和田は三浦義村(山本耕史)と二人で話します。

「お前と小四郎は、幼いころからの友だ」

「何がいいたい」

「向こうにつきたいなら、構わねえぞ」

「馬鹿をいうな」

「裏切るなら、早いうちに裏切ってほしいんだ。ここぞというときに寝返られたら、たまったもんじゃねえからな。通じてるんだろう」

「なぜ、斬らぬ」

「俺たちだっていとこ同士じゃねえか。その代わり、いくさ場では容赦(ようしゃ)は無用だ。いいな」

 三浦は仲間のところに戻ってきます。

「お許しが出た。北条につく」

 起請文(きしょうもん)について問う者がいます。裏切りはしないという起請文を、灰にして飲んでしまったのです。一同は喉(のど)に指を入れて、起請文を吐き出すことにします。

 北条義時(小栗旬)の館に着いた三浦は、知らせます。

「和田勢は三手(さんて)に分かれて、三ケ所を襲う手はずになっている。大江殿の館にここ。そして御所(ごしょ)だ。向こうの狙いは、お前だ」と、三浦は顎(あご)で義時を示します。「俺を信じるか信じないかはそっちの勝手だ。俺を信じてお前は死ぬかもしれないし、信じて助かるかもしれない。だが、俺を信じなければ、お前は間違いなく死ぬ」

 義時は指示を出します。

「三浦は南、五郎(北条時房)(瀬戸康史)は北門の守りを固めろ。西門は、太郎(北条泰時)(坂口健太郎)に指揮をとらせる。私は鎌倉殿を、八幡宮の別棟房へ、お移しする。鎌倉の行く末は、この一戦にかかっている」

 和田の館では、巴御前(ともえごぜん)(秋元才加)が抗議していました。

「私だってまだお役に立てるはず」

 それを和田が諭(さと)します。

巴御前が、いくさ場に現れたらどうなる。手柄を立てようと躍起(やっき)になった奴らに囲まれちまうぞ」

「いくさで死ねれば、本望(ほんもう)にございます」

「それは俺が死んだ時にいえ。俺は、生きて帰る。そん時にお前がいなかったら俺、困っちまうよ」

 巴御前は微笑み、うなずきます。和田は武装した一族のところに戻ります。

「目指すは将軍御所。奸賊(かんぞく)、北条義時に、鎌倉殿を奪われてはならん」

 御所で義時は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に求めていました。

「まもなくここは囲まれます。鎌倉殿には、これより西門から御所を出ていただき、八幡宮にお移りを」

 実朝は驚きます。

「いくさにはならぬのではなかったのか、小四郎(義時)」

「(和田)義盛に、謀(はか)られました」

「なにゆえ義盛は。無念だ」

 和田の軍勢が、南門から御所に突入します。守るのは三浦です。

「平六(三浦義村)、勝負だ」

 と、和田は刀を抜きます。三浦は声を張ります。

和田義盛。謀反(むほん)」三浦が刀を抜き、皆がそれに倣(なら)います。「討ち取れ」

 和田も叫びます。

「鎌倉殿をお救いしろ」

 両軍勢が、激突します。

 和田の軍勢が、北条泰時の守る場所にもやってきます。泰時は敵の前に立ちふさがります。

「ここは通すわけにはいかぬ」泰時は刀を抜き、味方に叫びます。「鎌倉殿に、指一本触(ふ)れさせるな。かかれ」

 激しい斬りあいが展開されます。

 いくさは、深夜まで続きました。

 鶴岡八幡宮から、御所に火の手が上がる様子が見えます。北条政子(小池栄子)が義時にいいます。

「結局はあなたの思い通りになりました」

 義時は宣言します。

「いくさは大義名分のあるほうが勝ち」

 美衣(宮澤エマ)が詰めるようにいいます。

「勝てるのですか」

 義時は説明するように美衣を見ます。

「和田についていた御家人たちはみな離れた。戦っているのは、和田義盛の身内の軍勢のみ。勝てる」

 実朝が忘れ物をしたといい出します。政子からもらった、髑髏(どくろ)を、御所に置いてきてしまったというのです。襲撃を逃れた大江広元(栗原英雄)がそれを取ってくることを申し出ます。

 夜が明けます。由比ガ浜まで退却した和田勢は、そこで体勢を立て直します。 

 義時が実朝に報告します。

「和田に加勢するために、西相模(にしさがみ)のの御家人たちが、鎌倉へ向かっております。これらの者たちに、我らに味方するようにと、鎌倉殿のお名前で御行書(みぎょうしょ)を送ります」

「和田はどうしておる」

 と、実朝が聞きます。

由比ガ浜で兵を立て直しています。彼らが合流すれば、敵は大軍となり、我らに勝ち目はございません」

 大江は、すでに御行書を用意していました。

「ここに、鎌倉殿の花押(かおう)を記していただきます」

 そこに三善康信(小林隆)が発言するのです。

「このいくさ、和田の狙いは北条にございます。和田は決して、鎌倉殿に対して兵を挙(あ)げたわけではございません」

 義時がさえぎります。

「何がいいたい」

 三善は実朝に訴えます。

「かような御行書が出回れば、北条と和田の争いが、鎌倉殿と和田の争いに、形を変えることになりますまいか」

「小四郎」

 と、実朝は義時に確かめます。

「和田は御所を攻めたのです。これを謀反(むほん)といわずして何というか」

 そう語る義時に、実朝は近づきます。

「御行書は出せぬ」

 義時はいいます。

「大いくさになってよろしいのですか。敵の数が増えれば、それだけ死者も増える。鎌倉は火の海となります。それを止めることができるのは、鎌倉殿、あなただけなのです」

 大江も実朝にいいます。

「ここはどうか、我らに任せてはいただけないでしょうか」

 戦いは、守る泰時の軍勢と、攻める和田の軍勢との間で繰り広げられています。和田のところに、西相模の援軍が寝返ったことが知らされます。実朝の命令に従ったのです。和田は叫びます。

「北条の策に決まっておる。力攻めして、羽林(うりん)(実朝)を奪い返すのみ」

 和田の軍勢が、激しく矢を射かけます。それに対して、泰時は、戸板を盾にして進軍します。激戦が繰り広げられ、ついに和田の勢は退却します。

 義時のところへ、大江が報告にやってきます。

「和田勢を追い詰めました。わが方の勝利は目前」

 義時は、実朝のところに行って頭を下げます。

「鎌倉殿に、陣頭に立っていただきます」

 政子が聞きます。

「何のためにですか」

 義時は答えます。

「直々(じきじき)にお声をかけていただければ、和田も降参するに違いありません」

 実衣がいいます。

「鎌倉殿を、いくさ場に連れ出すというのですか。なりません」

 実朝が発言します。

「いや、私の言葉なら、聞いてくれるはずだ。義盛は、私が必ず説き伏せてみせる」実朝は義時を見つめます。「命だけは取らぬと、約束してくれ」

 義時は答えることをしませんでした。

 追い詰められた和田のもとに、義時に導かれて、鎧を身に着けた実朝がやってきます。門を開いて、和田が出てきます。実朝が呼びかけます。

「義盛。勝敗は決した。これ以上の争いは、無用である。おとなしく、降参せよ」

 和田は叫びます。

「俺は羽林(うりん)が憎くてこんなことをやったんじゃねえんだ」

 実朝は前へ踏み出します。

「分かっている。義盛、お前に罪はない。これからも、私に力を貸してくれ。私には、お前がいるのだ」

「もったいのうございまする。そのお言葉を聞けただけで満足です」和田は一族を振り返ります。「みんな、ここまでじゃ。聞いたか。これほどまでに鎌倉殿と心が通じ合った御家人が、ほかにいたか。我こそが、鎌倉随一の忠臣(ちゅうしん)じゃ。みんな、胸を張れ」

 義時の目配せに、三浦が応じます。三浦の指示で、櫓(やぐら)や、塀の上にいた兵から、一斉に矢が放たれるのです。和田に無数の矢が突き刺さります。実朝が悲鳴を上げます。義時が叫びます。

「お分かりか。これが、鎌倉殿に取り入ろうとする者の、末路(まつろ)にござる」

 和田の一族に、軍勢が襲い掛かかっていきます。実朝は声をあげて泣くのでした。二日にわたって繰り広げられた和田合戦が終結します。

 義時が実朝に報告します。

「敵方の死者は二百三十余名。生け捕り、二十七名。わが方の死者、五十名。手負いの者、一千余名。討ち取った敵の首は、片瀬川にさらしてあります」

 実朝がいいます。

「政(まつりごと)というのは、かくも多くの者の骸(むくろ)を必要とするか」

「鎌倉殿がお生まれになる前から、多くの者が死んでいきました。それらの犠牲(ぎせい)の上に、この鎌倉はあるのです。人を束(たば)ねていくのに、最も大事なのは、力にございます。力を持つ者を人は恐れ、恐れることで人はまとまる。あなたの、お父上に教わったことにございます」

「私は、此度(こたび)のことで、考えを改めた。これよりは、政のことは、よくよく相談していくつもりだ」

「よろしいかと。我ら宿老(しゅくろう)は、そのためにあるのです」

「そうではない。万事、西のお方に、お考えをうかがっていく」

上皇様に、ですか」

「心を許せるものは、この鎌倉に、おらん」

「朝廷に近づきすぎること、頼朝様は自(みずか)ら戒(いまし)めておられました」

「私は、父上や兄上のように、強くない。だから、強きお人にお力をお借りする。そうすれば、鎌倉で血が流れることもなくなる。違うか」

 翌朝、義時は政子と話します。政子はいいます。

「侍所(さむらいどころ)、別当(べっとう)になるそうですね」

 時房が口を出します。

「和田殿より引き継がれます。兄上は、政所(まんどころ)別当と、侍所別当を、兼(か)ねることになりました」

 政子は冷たくいいます。

「あなたの望んでいた通りになったではないですか、小四郎(義時)」

「望みが叶(かな)った」義時は鼻で笑います。「とんでもない。鎌倉殿は、頼家様どころか、頼朝様をも越えようとされています」

 そのころ、実朝は、髑髏(どくろ)に向かって、誓いを立てていました。

「安寧(あんねいの)の世をつくる。父にも、兄にも成しえなかったこと。いくさは、もういい」実朝は髑髏を手に取ります。「私の手で、新しい鎌倉をつくる」