日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第40回 罠と罠

 京の後鳥羽上皇(尾上松也)は、内裏(だいり)の修復を、鎌倉にやらせることを思いつきます。

 和田義盛(横田栄司)の館(やかた)に御家人たちが集まっています。自分たちが内裏を修復することが不満なのです。和田は皆にいいます。

上皇様が鎌倉殿にお命じになられたんだから、しょうがねえだろう」

 長沼宗政(清水伸)が大声を出します。

「とんでもない金がかかるし、ほかにもやることがあるんだ、俺たちは」

 北条義時(小栗旬)は、時房(瀬戸康史)を前に酒を飲んでいます。時房がいいます。

「内裏の件、やはり御家人たちから承服しがたいとの声が上がっています」

「いわせておけばいい」

 と、義時はつぶやくようにいいます。

「皆、和田義盛殿の館に集まって、好き勝手に文句を並べているようで」

「和田」

「ここのところ、不満を持つ御家人たちの旗頭のようになっています」

 そんな時、一つの事件が起こります。泉親衡(いずみのちかひら)の乱です。

 義時は三善康信(小林隆)からその報告を聞きます。

「聞かぬ名だな」

 と、義時はいいます。三善が話します。

「仲間を集め、御所を襲って、北条殿を殺そうとたくらんでいたようです」

「私を」

 関わった者の、名前が提出されます。大江広元(栗原英雄)が聞きます。

「いかがいたしましょう」

 義時は答えます。

「すべて捕え、厳罰に処(しょ)せ」

「かしこまりました」

 と、三善が頭を下げます。大江がいいます。

「一つだけ、困ったことがございます。その中に、和田義盛殿のお身内の名前がございました。ご子息二人と、甥御が一人」

 和田の館では、乱に関わった者たちが頭を下げています。

「そもそも誰なんだ。その、泉なんとかって奴は」

 と、和田が聞きます。息子たちが説明します。たまたま声をかけられ、北条の汚さを熱く語られた。気が付いたときは、仲間に加わっていた。和田は立ち上がります。

「あとは任せろ。和田義盛が頭を下げりゃ、たいていのことは何とかなる」

 御所では、大江広元が義時に話しています。泉親衡について、調べても何も出てこない。霞(かすみ)のように消えてしまった。

「いささかにおいますな。西からの雅(みやび)なにおいが」

 と、大江はいいます。義時は聞きます。

上皇様が絡んでいるというのか」

「鎌倉を揺るがすために、あのお方が仕組んだ」

上皇様は、鎌倉を嫌っておられる」

「そのようなことはありますまい」

上皇様が嫌っておられるとすれば」

「私か」

「鎌倉の政(まつりごと)を、北条が動かしているのがお気に召さぬようです。御家人を焚(た)きつけて、揺さぶるおつもりでは」

 和田が御所の書庫を訪れ、頭を下げます。

「どうか、俺に免じて、大目に見てやってくれ。皆、本気ではなかったんだ。つい調子に乗っちまったんだよ。いくさを起こす気なんて、これっぽっちもなかった。俺がいうんだから間違いねえって。俺は、皆に頼まれてきてるんだ。いい返事がねえんだったら、こっち覚悟がある。相撲(すもう)で決めようじゃねえか。どうだ、相撲が嫌だったら、あとはいくさしかねえ。いくさか、相撲か。さあ、ここで決めてくれ」

 義時は落ち着いて答えます。

「いきり立ってもらっては困ります。まとまる話もまとまらない。和田殿の子らも絡んでいたと聞きました」

 和田は義時の前にしゃがみます。

「二度とこういうことはさせねえから。なんだったら、眉毛(まゆげ)そらせようか。俺もそるよ。両方」

 義時はついに笑い出します。

「和田殿の顔を見ていると、まじめに話しているのが馬鹿馬鹿しくなる」

 義時は時房を振り返ります。時房は和田の息子二人を、おとがめなし、と宣言します。和田は食い下がります。

「ほかの奴らも何とかしてやってくれ」

 時房がいいます。

「分かっています」

 義時が和田の顔を見ずに語ります。

「しかし、あの男だけはそうはいかん」

 和田胤長(たねなが)のことです。胤長は泉親衡の頼みに応じて、多くの御家人たちに声をかけていました。これを許しては示しがつかない、と義時は語ります。和田は訴えます。

「かわいい甥っ子なんだよ」

「命は取らぬが、それなりの罰は受けてもらう」

 和田は巴御前(ともえごぜん)(秋元才加)とともに、和田の息子たちの前に出ます。

「こんなにお子さんがおられたんですね」

 と、巴は驚きの声を上げます。和田は息子たちに呼びかけます。

「明日、皆で御所に出向いて、平太(胤長)を許すよう、掛け合ってくる。これだけのひげ面が頭を下げりゃあ、小四郎(義時)だって分かってくれるはずだ」

 義時は暗い書庫でつぶやいていました。

「わずらわしい。実に」

 大江がいいます。

「あの時を思い出しますな。上総介広常(かずさのすけひろつね)」

「同じことを考えていた」

「和田殿は今や、御家人の最長老。しかし」

「最も頼りになるものが、最も恐ろしい。消えてもらう、か」

「よい機会かもしれません」

 和田義盛と、その一族九十八人が、胤長の赦免(しゃめん)を求めて、御所に集結します。義時は彼らの前に縛られた胤長を歩かせて挑発します。

 和田は館に帰り、三浦義村(山本耕史)相手に酒を飲みます。

「変わっちまったな。蔵の中でよ、黙って木簡(もっかん)をいじってた、あの次男坊はどこ行っちまったんだ」

「力になってやってもいいぞ」と、三浦がいいます。「いっそのこと、北条を倒して、俺たちの鎌倉をつくるってのはどうだ」

「俺が鎌倉殿になって、お前が執権になるか」

 と、和田は大声で笑います。

「結構(けっこう)本気だ。御家人の不満が高まっている。和田義盛が立てば、多くの者がついてくる。御所に攻め入って鎌倉殿をお救いし、小四郎(義時)の首をとる。北条ばかりが得をするこんな世の中を、俺たちが変えるんだ」

 暗がりの中で、北条泰時(坂口健太郎)は、義時と話します。

「なにゆえそこまで、和田殿を追い詰めるんです」

「何も分かっていない」

 と、義時はいいます。

「まかり間違えば、いくさになります」義時の沈黙に泰時は理解します。「読めました。父上は、はなからそのおつもりだったんですね」

「北条の世を盤石(ばんじゃく)にするため、和田には死んでもらう」

「和田殿が何をしたというのですか」

「私がいる間はいい。十年経ち、二十年経ち、お前の代になった時に、必ず和田の一門のが立ちはだかる。だから今のうちに手を打っておくのだ」

「私のため」

「そうだ」

「馬鹿げています。私は誰とも敵を作らず、皆で安寧(あんねい)の世を築(きず)いてみせます」

 そこに三浦がやってきます。

「もう一押しだ。髭(ひげ)おやじは間違いなく、挙兵するぞ」 

 鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)は、義時が和田を挙兵させ、謀反の罪でそれを討つつもりなのを知ります。

 実朝は北条政子(小池栄子)に相談し、和田に会う決意を話します。政子は手はずを整え、和田を女装させて、密かに御所に呼びます。やって来た和田の手を取り、実朝は呼びかけます。

「いつまでも、そばにいてくれ。小四郎(義時)も、鎌倉を思ってのこと。二度と行き過ぎた真似をしないよう、私が目を光らせる」実朝は声を張ります。「和田義盛は、鎌倉一の忠臣(ちゅうしん)だ。それは私が一番よく分かっている」

 和田は深く頭を下げるのでした。

 実朝は義時と和田を並んで座らせ、述べます。この座には政子もいます。

「北条と和田。手を取り合ってこその鎌倉。私に免(めん)じて、こたびは矛(ほこ)を納(おさ)めてもらえないか」

 義時がいいます。

「和田殿は歴戦のつわもの。戦わずに済めば、これ以上のことはございません」

 実朝が和田に呼びかけます。

「これからも、御家人たちの要(かなめ)として、力を貸してくれ」

 和田が頭を下げます。

 政子は義時と残されます。

「これで和田殿が挙兵することはなくなりました。分かっていますよ。あなたはまだあきらめてはいない。和田を滅ぼしてしまいたい」

 義時は顔を上げます。

「鎌倉のためです」

「聞きあきました。それですべてが通るとなぜ思う。いくさをせずに鎌倉を栄えさせてみよ」

「姉上は甘すぎます」

「何におびえているのです。あなたならこんなやり方でなくとも、皆をまとめていけるはず。そうせねばならぬのです」

 廊下を渡る義時を、和田が待っていました。

「考えてみれば、皆、死んじまったな。昔からいるのは、俺と平六(三浦義村)ぐらいだ」

 義時がいいます。

「時の流れを感じます」

「今の鎌倉殿は、賢(かしこ)いし、度胸もあるし、何よりここが温かい」

 と、和田は自分の胸を叩きます。

「そう思います」

「ようやく俺たちは、望みの鎌倉殿を手に入れたのかもしれねえぞ。政(まつりごと)はお前に任せるよ。力がいるときは俺にいえ。御家人であろうと、西の者であろうと、鎌倉の敵は、俺が討ち取る。これからも支えあっていこうぜ」

 義時はついにいうのです。

「よろしくお願いいたします」

 しかし和田の館では、武具が整えられていました。和田がなかなか帰ってこず、その身に何かあったのでは、と息子たちが考え始めたのです。鎧(よろい)を着こんだ三浦義村は、身近なものにいいます。 

「先にいっておくが、この乱は失敗する。俺が向こうにつくからだ。挙兵したら、寝返ることになっている。この先も鎌倉で生きていきたいなら、和田には手を貸すな」

 和田の息子たちは御所に攻め入り、父を救うといきり立っています。三浦義村は叫びます。

「ともに北条を倒そうぞ」

 しかし巴御前が進み出るのです。三浦たちに起請文(きしょうもん)を書くよう迫ります。決して和田を裏切らないと誓えというのです。三浦たちは起請文を書き、それを燃やして灰を飲みます。八田知家(市原隼人)がいいます。

「寝返る手はなくなった」

 三浦もいいます。

「小四郎(義時)。すまん」

 建暦(けんりゃく)三年五月二日。鎌倉最大の激戦である、和田合戦が始まろうとしていました。