日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第44回 審判の日

 髪の伸びた公暁(こうぎょう)(寛一郎)がいいます。

「明日(みょうにち)、実朝(さねとも)を討つ。右大臣の拝賀式(はいがしき)。実朝が八幡宮で拝礼(はいれい)を終えた帰りを襲う」

 三浦義村(山本耕史)がいいます。

「鎌倉殿の首を討てば謀反人。御家人たちの心が離れないようにすることが肝心かと」

「事を成したあと、集まった御家人たちの前で、これを読み上げる。北条が我が父を闇討ちしたこと、実朝がひどい謀略(ぼうりゃく)によって、鎌倉殿になったことを知らしめ、本来、鎌倉殿になるべきは誰なのかを示す」

「そこで、わが三浦の兵がすかさず、打倒北条を叫ぶことにいたしましょう。ほかの御家人たちは必ず付いて来ます」

「すべては、明日(あす)じゃ」

 建保七年(1219)一月二十七日になります。

 源仲章(みなもとのなかあきら)(生田斗真)は、北条義時(よしとき)の妻の、のえ(菊地凛子)と、貝合(かいあ)わせを楽しんでいました。仲章は、のえ、から、頼家(よりいえ)の死んだいきさつを聞き出そうとします。いえないという、のえ、に仲章は迫ります。のえ、の耳元に口を近づけ、

「聞きたいなあ」

 と、ささやくのです。

 北条義時(よしとき)(小栗旬)は、妻の、のえ、が、源仲章の部屋から出てくるのを目撃してします。そのことを問いただします。

「申し訳ありませんでした」

 と、謝る、のえ。

「あの男は私を追い落とそうと躍起(やっき)なのだ。なぜ御所まで来た」

「あのお方が、貝合わせをしたいとおっしゃるので」

「お前に近づいたのも、魂胆(こんたん)があってのこと。なぜそれが分からぬ」

「それ以上のことは何もありませんでした。手も握ってません」

「そんなことはどうでもいい。何を聞かれた。正直に答えろ。余計なことをしゃべってはいないだろうな」

「あたしを、見くびらないで」

 義時の息子である、北条泰時(やすとき)(坂口健太郎)は、公暁の動きを怪しんでいました。公暁が、雪に備えて蓑(みの)を用意していることを知ります。三浦の館でも、武装した兵たちが集まっています。泰時は義時に訴えます。

「父上、京の拝賀式は取りやめた方がいいかもしれません」

 義時は確認します。

公暁殿が、鎌倉殿を襲うと」

 それを確かめるために、義時は三浦義村と話をします。

「若君が」と、三浦は驚きます。「冗談じゃない」

「信じていいんだな」

「今は千日の参篭(さんろう)の真っ最中だ。若君には、鎌倉殿に取って代わろうなんてお気持ちは、これっぼっちもない。俺が誓ってやるよ」

 三浦は昔から、言葉と思いが別の時、襟(えり)を直す癖があります。今も襟を直していたのでした。

 義時は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に会いに行きます。そばにいた源仲章がいいます。

「今更(いまさら)中止になど、できるわけがなかろう」

 義時がいいます。

「何かあってからでは遅いのだ」

「京から、上皇様が遣(つか)わされた方々が、すでに鎌倉にお入りになっておられる。馬鹿も休み休み申されよ」

「ならばせめて、警護の数を増やしていただきたい」

「式に関しては、この源仲章がすべてを任(まか)されておる。余計な口出しは無用。警護のことは考えておく」

 実朝がいいます。

「しかし分からぬ。なにゆえ公暁が私を」

 義時が答えます。

「鎌倉殿の座を狙ってのことかと」

「それより小四郎(義時)。よい機会だ。お前に伝えたいことがある」実朝は立ち上がって庭を見ます。「いずれ私は、京へ行こうと思う。ゆくゆくは御所を、西に移すつもりだ」

 義時は声がうわずります。

「お待ちください。頼朝様がおつくりになったこの鎌倉を、捨てると申されるのですか」

「そういう事にはなるが」実朝は義時の前にしゃがみます。「まだ先の話だ。今日は太刀持ちの役目、よろしく頼む」

 一人たたずむ義時に、源仲章が呼びかけてきます。

「北条殿。奥方から面白い話を聞きましたぞ。頼家様が身まかった真相。おぬしが、一幡(いちまん)様に対して何をしたか」

 義時は振り返ることなくいいます。

「鎌(かま)をかけても無駄だ。妻は何も知らん」

「ほう、まるで知られてはならぬことがあるような物いいだ。あとはとことん調べるのみ。主(あるじ)殺しは、最も重い罪。鎌倉殿にも、お知らせせねばなるまい」

「そなたの目当ては何だ。何のために鎌倉にやって来た」

「京でくすぶっているよりは、こちらで思う存分、自分の腕を試したい。望みは、ただの一点。人の上に立ちたい。それだけのことよ。やがて目障(めざわ)りな執権(しっけん)は消え、鎌倉殿は大御所となられる。新たに親王様を将軍にお迎えし、私がそれを支える」

「お前には無理だ」

「血で汚(けが)れた誰かより、よほどふさわしい」

 仲章は去っていきます。

 義時は大江広元(栗原英雄)に話します。

「今にして思えば、私の望んだ鎌倉は、頼朝(よりとも)様が亡くなられたときに終わったのだ」

 大江がいいます。

「あなたは、頼朝様より鎌倉を託された。放り出すことはできませぬ。あなたの前に立ちはだかるものは皆、同じ道をたどる。臆(おく)することはございません。それがこの鎌倉の流儀。仲章には死んでもらいましょう」

 義時は殺し屋のトウに命じるのでした。

 三浦の館を泰時が訪れます。式に来ないようにと告げます。三浦は息子の胤義(たねよし)にいいます。

「感づかれた。今日は取りやめだ。若君にお伝えしろ」

 公暁は少数の手下とのみ、事を実行しようとします。

 義時は異母弟の時房(ときふさ)(瀬戸康史)に話します。

「五郎(時房)、お前だけには伝えておく。ここからは修羅(しゅら)の道だ。付き合ってくれるな」

 時房は落ち着いています。

「もちろんです」

源仲章には死んでもらう」

「鎌倉殿にはどうご説明を」

公暁が、その鎌倉殿を狙っておる。恐らく今夜、拝賀式の最中(さいちゅう)」

「すぐに公暁殿を取り押さえましょう」

「余計なことをするな」義時はため息をつきます。「もはや、愛想(あいそ)が尽(つ)きた。あのお方は、鎌倉を捨て、武家の都を別のところに移そうと考えておられる。そんなお人に鎌倉殿を続けさせるわけにはいかん。断じて」

 その頃、実朝は三善康信(小林隆)を問い詰めていました。

「確かに私は、兄上の跡を継いで鎌倉殿になった。公暁が、恨みに思うのもわからないではない。しかし、どうにもおかしいのだ。幼くして仏門に入った公暁が、なぜそこまで鎌倉殿にこだわるのか。あの頃のことを知っている者は、数少ない。本当は、何があった。私が問うておるのだ」

 あたりが暗くなってきます。自室に一人座る源仲章のもとへ、刃を抜いたトウが近づこうとしていました。

 実朝は北条政子(小池栄子)と話します。

「兄上は突然の病で亡くなった。私はそう聞いていました。生き返ったらしいではないですか。生き返っても、居場所のなくなった兄上は、伊豆へ追いやられ、挙句(あげく)。なぜ黙っていたのですか」

 政子はやがていいます。

「あなたが知らなくてもよいことだから」

公暁が、私を恨むのは、当たり前です。私は、鎌倉殿の座を、返上しなければなりません」

公暁は出家しました」

「それも母上が無理やりさせた」

「あの子を守るため」

「いいえ、兄上が比企と近かったからです」

「北条が生き延びるには、そうするしかなかった」

「すべては、北条のため」

「そんなふうにいわないで」

「私は、鎌倉殿になるべきではなかった」

「何を考えているのですか」

「もちろん、親王様はお迎えします。今やめれば、上皇様に顔向けできません。だからこそ、公暁が哀れでならないのです。教えてください。公暁をないがしろにして、なぜ平気なのですか。兄上がそんなに憎いのですか。私と同じ、自分の腹を痛めて生んだ子ではないの…」

「実朝、やめて」

「私は、母上が分からない。あなたという人が」

 実朝は政子の前から去っていきます。

 実朝は公暁のところにやってきます。床にひれ伏すのです。

「すまぬ、公暁。今となっては、親王様の一件、どうしても断るわけにはいかないのだ。どうか、許してくれ」

「お顔をお上げください」

「さぞ、私が憎いだろう。許せぬだろう。お前の気持ちは、痛いほど分かる」

「あなたに、私の気持ちなど分かるはずがない。幼いころから回りから持ち上げられ、何一つ不自由せず暮らしてきたあなたに、志(こころざし)半(なか)ばで殺された父や、日陰でひっそりと生きてきた母の悔しさが分かるはずがない。私はただ、父の無念を晴らしたい、それだけです。あなたが憎いのではない。父を殺し、あなたを担ぎ上げた、北条が許せないのです」

「ならば、我らで力を合わせようではないか。父上がおつくりになった、この鎌倉を、我ら源氏の手に取り戻す。我らが手を結べば、必ず、勝てる」

 公暁は黙ってうなずくのでした。式が始まろうとするので、実朝は去っていきます。残された公暁はつぶやくのです。

「だまされるものか」

 義時は時房にいっていました。

「今夜、私は太刀持ちとして従う。公暁が鎌倉殿を斬ったら、その場で私が公暁を討ち取る。それで終わりだ」

 式に向かおうとする一行に、源仲章が加わります。トウは仲章を殺すことに失敗したのでした。

 式の警護に当たる泰時は、公暁がいなくなっていることを知ります。公暁のいた場所に、図面が残されていたのです。それは、式の終えて帰る行列の並びでした。大銀杏(いちょう)陰は、公暁が潜むところだと思われました。黒丸は鎌倉殿と思われ、朱で印がつけられています。そしてもう一つ、朱をつけられていたのは、義時の場所でした。

 粉雪は、戌の刻を過ぎたあたりから、ボタン雪となっていきます。