日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第34回 理想の結婚

 北条泰時(坂口健太郎)は、父の義時(小栗旬)から、小さな観音像を渡されます。それは頼朝が髪の毛の中に入れて、大事に持っていたものでした。北条政子から形見分けとして、義時に与えられたものです。

「私は、あのお方(頼朝)の、お子とお孫を殺(あや)めた。もはや、持つに値しないのだ」

 と、義時はいいます。

 夕暮れ時に、泰時は妻の初(はつ)(福地桃子)と話します。

「父の本心が、私には分かる。父はこれを持っていると、心が痛むのだ。自分がしたことを責められているようで、たまらないのだ。だから私に押しつける」

 初がいいます。

「そんなふうに思わなくても」

「父は持っているべきなんだ。自分のしたことに向き合って、苦しむべきだが。それだけのことをあの人は」」

 三代鎌倉殿の源実朝(さねとも)(柿澤勇人)の前で、訴訟の裁きが行われます。義時が説明します。

御家人うしの諍(いさか)いを聞いて、どちらに理(り)があるか決めます」

 実朝は不安を口にします。

「できるだろうか」

 三善康信小林隆)がいいます。

「仕切りはわられが行いますので、ご安心を」

 北条時政坂東彌十郎)がいいます。

「座っているだけでいいのです」

 義時が述べます。

「いずれは、鎌倉殿みずから、ご沙汰をお願いすることになりますが、しばらくの間は、よく見定めて、学んでいただきたいと存じます」

 昼からは稽古(けいこ)があると大江広元栗原英雄)が話します。薙刀、弓、政(まつりごと)、処世の術(すべ)。時政がいいます。

「ゆっくり、じっくり、あせらず学びなされ。鎌倉の面倒は、万事、このじいが見まするゆえ」

 北条政子小池栄子)は、三善康信に綴(つづ)りを渡します。それは政子が、蔵にある和歌集から、実朝が気に入りそうな句を書き写したものでした。これを実朝の目につくところに置いてきて欲しいと頼むのです。

 時政は、矢に使う鷲の羽、獲れたての鮎などの貢ぎ物を、御家人たちから受け取っていました。

 時政は畠山重忠中川大志)を呼び出していました。今、比企がいなくなって、武蔵が空いている。そこに自分が入らせてもらう、と、時政は宣言します。畠山に武蔵守(むさしのかみ)になってもらうと、時政はいいます。

「身に余る誉(ほま)れにございますが」畠山は腑に落ちない様子です。「私には代々受け継いできた総検校職(そうけんぎょうしき)という役があります。兼任してもよろしいのであれば」

「面白いことをいうな。武蔵守を支えるのが、総検校職だ。自分で自分を支えるなんておかしいじゃねえか」時政は笑い声をたてます。「そっちは返上してもらう」

「お待ちください」

 時政は話を打ち切るのでした。

 畠山はこのことを義時に打ち明けます。

「にわかには信じられない」

 と、義時はいいます。

「そのようなこと、舅(しゅうと)殿の一存で決められることなんでしょうか」

「鎌倉殿のお名前で、朝廷にお伺(うかが)いを出せば、通らぬことはないだろう」

「体(てい)よく、総検校職を奪い取ろうというのではないですか」

「まさか」

「舅殿は、武蔵を奪い取るおつもりでは」

「小四郎殿(義時)にはお伝えしておく」畠山は義時に向き直ります。「武蔵を脅(おびや)かすようなことになれば、畠山は、命がけで抗(あらが)う覚悟」

 その日、訴訟が終わった後、義時は父の時政と話します。

「さっぱり分からねえ」時政は義時を振り返ります。「助けてくれっていって来る奴に、加勢してやるのはあたりめえじゃねえか」

「付け届けを持ってきた者に便宜(べんぎ)を図(はか)るなら、訴訟の意味はござらん」

「だって、いろいろ持ってきてくれるんだぜ。遠いところを」

「だから受け取ってはならんのです」

「分かってねえなあ。俺を頼ってくる、その気持ちに、わしゃ応えてやり……」

「ですから」

「もういい」

 と、時政は行こうとします。義時はいいます。

武蔵国(むさしのくに)について、うかがいたいことがございます」

 時政は立ち止まって義時を振り返ります。

「説教は一日一つで十分じゃ」

「武蔵をどうしようとお思いですか」

「次郎(畠山重忠)がなんかいってきたか」

「畠山と、一戦交(いっせんまじ)えるおつもりですか」

「誰もそんなことはいっとらん」

 実朝の結婚が決まります。相手は後鳥羽上皇の従妹(いとこ)に当たる女性です。

 元久元年(1204)十月十四日。時政とりくの子供である北条政範(まさのり)(中川翼)らが、実朝の結婚相手を迎えに、京へ向かいます。

 義時は、大江広元(栗原英雄)から、嫁を取るようにすすめられます。官僚の二階堂行政(野仲イサオ)が、孫娘をもらってやってくれ、と頭を下げます。とにかく一度会ってみることにしてはどうか、と大江にいわれ、義時は承諾します。

 義時は八田知家市原隼人)に相談します。女性を見極めてくれと頼みます。

 京に、りくの娘婿である平賀朝雅(ひらがのともまさ)(山中崇)が、先に来ていました。

「いよいよでござるな」

 と、いうのは源仲章(みなもとのなかあきら)(生田斗真)です。

「ようやくこぎ着けた」

 と、平賀がいいます。仲章は平賀の横に並んで話します。

「お迎え役は、北条政範殿と聞いた。あの方はいずれ、お父上の跡を継いで、執権別当になられるかな。あなた、ご自分で執権別当になる気は」

「ふざけたことを」

「確かに。あなたは本来、鎌倉殿の座を狙える、御血筋」

「これでも、源氏の一門である」

「しかし今は、北条のいいなり。上皇様は、北条がお嫌いでね。田舎者が鎌倉殿を、思いのままにしているのが許せない。知ってるでしょう」

「何がいいたい」

上皇様と、お近しいあなたが、実朝様と鎌倉を治めてくれれば、いうことなし」

「執権別当にはなれん。政範殿がいる限り」

「いなければ」

「義時殿もいる」

「選ぶのは時政殿。例えばね、政範殿が、突然の病(やまい)で亡くなり、あなたが引き継いで、千代様を連れて、鎌倉へ堂々と凱旋(がいせん)すれば、時政殿は、必ずあなたをお選びになる。政範殿は、鎌倉を離れている。この意味が、お分かりになりますか」

 その頃、鎌倉では、義時が、結婚相手に、とすすめられた、のえ(菊地凛子)と会っていました。その様子を八田知家がのぞき見ています。

 その夜、義時は、のえ、のことを八田に聞きます。

「非の打ち所がない。気立てもよく、賢く、まあ、見栄えも、悪くない。お前が断ったら、俺が名乗りを上げてもいいくらいだ」

 念を押すように義時が聞きます。

「裏にはもう一つ、別の顔があることもございますが」

「裏表なし。あれはそういうおなごだ」

 と、八田はいいきります。

 十一月三日。政範たちが京に入ります。平賀朝雅がそれを出迎えます。

「今宵(こよい)は酒宴(しゅえん)の支度(したく)をしてあります。旅の疲れを癒(い)やしていただこう」

 京に到着してから二日後、北条政範が突然、この世を去ります。享年十六。急な病であったといわれていますが、真偽(しんぎ)は不明です。

 鎌倉の義時は、のえのことを、息子の泰時に話します。

「比奈さんを追い出しておいて、もう新しいおなごですか」

 と、泰時は納得しません。

「父上だって、お寂しいのですよ」

 と、泰時の妻の初がいいます。泰時は叫びます。

「自業自得だ」

 義時は立ち上がります。

「もう一度、申して見よ」

 と、静かに泰時に迫ります。泰時は振り返ります。

「父上には人の心がないのですか。比奈さんが出て行ったのだって、もとはといえば父上が非道なまねをした……」

 そこまでいいかけた泰時の頬を、初が打ちます。泰時はその場を後にします。

 和田義盛は稽古(けいこ)の後、実朝に獣汁(ししじる)をごちそうします。初めての鹿の肉を、実朝は喜んで食べるのでした。

 その頃、時政は三浦義村と酒を酌み交わしていました。畠山が三浦の祖父を討ち取ったことを、思い起こさせていました。

「恨みはあるか」

 と、時政は聞きます。

「ないといえば嘘になりますが、昔の話です」

「もし北条が、畠山と一戦交えることになったとして、お前はどっちに加勢する」

「決まってるでしょう」

 三浦は最後まではっきりといいません。

 泰時は、義時の結婚相手の、のえが、女たちを相手に、下品な振る舞いをしているのを見てしまいます。

「わかる、御所の女房はもうおしまい。小四郎殿(義時)に嫁ぐって事は、鎌倉殿とも縁者ってこと」