日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第29回 ままならぬ玉

 源頼家(金子大地)や宿老たちの前に、首桶(おけ)が並べられます。阿野全成新納慎也)が経を唱えていきます。

 館に帰った義時(小栗旬)は、妻の比奈(堀田真由)に話します。

「梶原殿がいなくなり、この先は、否が応でも北条と比企はぶつかることになる。その間に立って、丸く収めるのが私の役目だ」

 比奈は、何があっても自分と離縁しないという起請文を持ってきます。比奈はいいます。

「比企と北条がぶつかるのはもうしょうがない。でも私を比企に帰すなんて、くれぐれもいわないように」

 そこへ善児(梶原善)が、女性を連れて、庭にやってきます。善児は彼女を、二代目、と紹介します。

「トウ(山本千尋)と申します」

 と、女性はいいます。善児は彼女に、お見せしろ、と命じるのです。トウは激しい動きで、短刀をさばいていきます。

 宿老たちが評議を始めようとします。13人いたはずが、だいぶ減っています。

 梶原景時の死から三日後、三浦義澄(佐藤B作)が亡くなります。頼朝に長く仕えていた安達盛長(野添義弘)も世を去ります。

 比企能員佐藤二朗)が頼家に話します。

「奸賊、梶原景時が、いなくなりましたなあ。義澄と盛長も去り、もはや宿老たちの評議は、あってないようなもので」

「これからは好きにやらせてもらう」

 と、頼家がいいます。

「どうぞ。おやりください。この比企が支えまする」

「支えんでもよい」

「ご遠慮なさいますな」

「遠慮ではない」

 比企能員は威嚇するような大声を上げるのです。

「鎌倉殿のために、申し上げておるのです」比企は穏やかな調子に声を戻します。「比企能員に、万事お任せあれ。その上で、お好きになさるがよろしい」

 北条時政は、国主に就任します。源氏一門以外の御家人が国主になるのは、これが初めてのことでした。これで北条は、名実ともに、御家人の筆頭となったのでした。

 畠山重忠中川大志)が、寺社の訴訟を持ってきました。取り次ぎを待たずに頼家がやって来て、素早く決済をしてしまうのです。頼家は宣言します。

「今後、所領のことはわしが調べて処断する」頼家は、比企を振り返ります。「好きにさせてもらったぞ」

 この年、つつじが男子を産みます。善哉(ぜんざい)と名づけられたこの子の乳母(めのと)は、三浦義村です。

 比企能員が義時を待ち伏せしていいます。

「小四郎。鎌倉殿の、第二子誕生、まことにめでたいことである」比企は義時を抱き寄せるようにします。「はっきりさせておくが、嫡男は一幡様だからな」

 義時は比企から離れます。

「されど、頼朝様のご意向は、つつじ殿のお子が、おのこである」

 比企は、音を立てて、足下のものを蹴り飛ばします。

「文書(もんじょ)に記されておらんではないか。そんなものは受け入れられん」

 りく(宮沢りえ)は、時政に、今年で九歳になる頼家の弟を鎌倉殿にすることを望みます。そのために、全成に頼家呪詛を依頼します。

 全成は悩みながらも、人形(ひとがた)をつくっていきます。 

 頼家は、若武者たちと蹴鞠(しゅうぎく)を行っていました。この年、坂東は台風に見舞われ、多くの被害が出ています。義時の息子の頼時(坂口健太郎)は頼家に話しかけます。

「坂東中が不作に苦しむ今、他にやることあるのでは」

 しかし頼家は

「蹴鞠は遊びではない」

 といって取り合いません。

 頼家は、頼時に、褒美(ほうび)を取らせる、といいだします。自分と同じ「頼」の文字を持っていては、お前も心苦しいだろう。頼家は「泰時(やすとき)」の名を頼時に与えます。泰時は礼の言葉を述べようとします。

「ありがたき幸せ。これからも、鎌倉殿の側で、力を尽くしとうございます」

「それはもうよい」冷たく頼家は言い放ちます。「お前はうるさい。父のもとで励め。泰時」

 全成は、頼家呪詛のための、人形を完成させていました。

 義時は妹の実衣(宮澤エマ)から、全成の様子が妙なこと聞きます。義時は父の時政に問いただしに行くのです。ひょっとして、全成は呪詛をかけているのでは。

「馬鹿をいえ、鎌倉殿はわしの孫だぞ」

 と、聞かれてもいないのに、時政は白状してしまいます。義時はさすがに怒気を放ちます。

「余計なことはもうやめていただきたい」義時は訴えるようにいいます。「比企と争う時は、終わったのです」

 三人の僧が捕まり、頼家の前に連れて来られます。西国から流れてきた者で、念仏さえ唱えていれば、何をしてもいいと民をまどわしている、と頼家に伝えられます。

「斬り捨てよ」

 と、頼家は命じます。しかし義時の異母弟である、時連(瀬戸康史)が抗議するのです。

「民が念仏等をありがたがるのは、暮らしが厳しいゆえにございます」

「お前までわしの邪魔立てをするか。お前も所詮は北条の手先か」

 時連は頼家の前に膝を突きます。

「鎌倉殿を案じて申しあげているのです」

「また出た。皆、同じことをいう。わしのためと称して、腹にあるのは、おのれの家のことだけではないか」

 結局、頼家は僧たちを解放するのでした。そこへ、せつ(山谷花純)がやって来ます。頼家は善哉のもとに行こうとしていました。せつがいいます。

「たまには私と一幡のもとへもお越し下さい」

 頼家はせつをにらみつけます。

「お前の後ろの比企が、わしには煩わしいのだ。

「嫡男は善哉様で結構。私はただ、あなた様とお話しがしたいのです。私と一幡を側に置いて欲しいのです。比企は関わりございません。そういう者もおるのです。それも退けては、鎌倉殿は本当にお一人になってしまいます。鎌倉殿をお支えしとうございます」

 建仁二年(1201)七月。頼家は、征夷大将軍に任官します。

 全成は時政の妻であるりく(宮沢りえ)になじられていました。

「いつになったら効くのです。この役立たず」

 弱々しく全成はいいます。

「だからわたくしには無理だと」

 時政も全成にいいます。

「無理でもやるんだよ」

 全成は、頼家の髪の毛を手に入れに行きます。

 全成は夜、蹴鞠をする頼家の後ろ姿をうかがっていました。そこへ義時がやって来て、頼家と話します。

「父が心から笑っておられるお姿を見たことがなかった」頼家はうつむいてしゃべります。「父の気持ち、今なら分かる気がする」

 義時がいいます。

「頼朝様は、人を信じることをなさらなかった。お父上を越えたいのなら、人を信じるところから始めてはいかがでしょう」

 そこへ蹴鞠の師である平知康矢柴俊博)が姿を現します。頼家は立ち上がって義時にいいます。

「小四郎。決めたぞ。わしは一幡を跡継ぎにする。比企の顔色をうかがっておるのではない。せつだ。せつは強い。父上が母上と手を携えて、このかまくらをつくったように、せつとなら、鎌倉をまとめていけるような気がする。わしは弱い。信じてくれる者を頼りたい」

 義時はうなずきます。

「良いと思います」

 頼家は平知康を呼びます。

「わしはもう蹴鞠に逃げることはせん」

 頼家は平知康の、お役御免を宣言するのです。頼家の投げた鞠を拾おうとして、平知康は、古井戸に落ちそうになります。助けようとした頼家まで引きずり込まれてしまいます。それを隠れて見ていた全成が手助けをします。全成は頼家の手を握って引き上げるのです。

 全成は帰って来て、実衣の前に人形を並べていきます。時政に頼まれ、頼家を呪詛していたことを告白します。御所の床下に並べておいた人形をすべて持ってきた、といいます。何の効き目もなかった、と全成は自嘲します。

「ほっとしている」

 と、全成は笑顔を実衣に向けます。実衣は全成に近づきます。

「全部集めてきたんでしょうね。残ってたら、またえらいことになりますよ」

 しかし残っていた人形があったのです。何者かが、それをつかみます。