日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第30回 全成の確率

 蹴鞠を教えていた平知康矢柴俊博)は、お役御免となり、京に戻ることになります。義時(小栗旬)の異母弟である北条時連(瀬戸康司)は、最後の授業を受けていたとき、縁の下にある人形(ひとがた)を見つけるのでした。

 頼家(金子大地)は人形を握っています。比企能員佐藤二朗)がいいます。

「鎌倉殿の、突然の病(やまい)。原因は、これにあったようです。一大事でございますぞ」

「誰がやった」

 と、頼家は比企を振り返ります。

「心当たりはひとりしかおりません」

「叔父上」

 頼家は阿野全成新納慎也)の顔を思い浮かべるのでした。

 全成の所に、比企の衆がやって来ます。頼家の命により、館の中を検(あらた)めるというのです。

 全成は頼家に呼び出されます。全成の前に館で見つけられた、人形を作る道具が並べられます。

 全成は自分ではないと、いい張り続けますが、比企の衆から、激しい暴行を受けることになります。

 義時は書庫で、比企能員と話します。

「全成殿は、今や、頼朝様のただひとりの弟。それなりの礼を持っていただかねば困ります」

 比企は書物を棚に返します。

「あの者は、鎌倉殿を呪い殺そうとしたのだ」

「全成殿は北条の縁者。度を過ぎれば、取り返しのつかないことに」

「わしはなあ、小四郎。これが、全成ひとりの仕業ではないと思っておる」

 義時は北条一族が顔をそろえる中、父の時政を怒鳴りつけます。

「ご自分のやったことが分かっているのですか」

 その場に、りく(宮沢りえ)が現れます。

「私たちは関わりないといったはずです。全成殿がご自分で考えたこと」

 実衣(宮澤エマ)が立ち上がって、りくに詰め寄ります。

「あの人に罪をかぶせるおつもりですか」

「もういい。命まで奪うつもりはなかったんじゃ」と、時政が白状します。「ちょっと病になってくれたら御の字だって」

 義時は時政を見下ろします。

「比企は一戦を辞さぬ構えです」

「よし、分かった」

 と、時政は立ち上がります。

「どちらへ」

 と、りくが聞きます。

「名乗り出てくる」と、時政は答えます。「全成殿を許してもらうんだ」

 義時が叫びます。

「それこそ比企の思うつぼ。向こうは、北条を潰してしまいたくて、仕方がないのです」

 ならばどうしたらいいのかと聞く時政に、義時は畠山重忠(中川大志)に、背を叩いて合図します。畠山が話し出します。

「まずはいくさの支度を整えます」

「比企と戦うのですか」

 と、義時の息子の泰時(坂口健太郎)が聞きます。

「やるか」

 と、時政は乗り気です。畠山は慌てます。

「そうではありません。ここは、応じる構えを見せる。そうしなければ、それこそ、容易に攻められてしまいます」

 義時が後を続けます。

「そしていくさにならないように、ほかの御家人たちに声をかける。仲裁してもらうんだ」

「乗ってきますか」  

 と、泰時が聞きます。

「来る」義時は断言します。「御家人たちにしてみれば、比企に勝たれても面白くない」

 畠山が継いで話します。

「まずは三浦、和田から声を掛けます」

「うちの人は」

 と、美衣がすがるようにいいます。義時が断言します。

「この策で必ず救い出す」

 実衣は頭を下げるのでした。義時は実衣の身も心配します。しばらく政子に預かってもらうことにします。

 義時は、三浦義村山本耕史)のもとに来ていました。

「命乞いか」

 と、聞く三浦。義時はいいます。

「できるだけたくさんの御家人の名前を集めて欲しい」

 畠山が言い添えます。

「つまり、梶原景時の逆をやるんです。それをもって、仲裁の訴えとします」

「集まるかなあ」というのは和田義盛横田栄司)です。「俺もそうだが、全成殿って、ぼんやりとしか知らねえんだよ。源氏の流れの坊主ってことぐらい」

 義時がいいます。

「これは全成殿だけに留まらないんだ。比企殿の思い一つで、首をはねられる。そんなことがあってはならない」

 またしても畠山が言葉を添えます。

「明日は我が身と思ってください」

「後は任せろ」と、三浦が請け負います。「それにしても面白くなってきたな。梶原はいなくなり、いよいよ北条と比企の一騎打ちか」

 義時の妻の比奈(堀田真由)は、少しでも何とかしようと、比企能員の所に来ていました。比企能員は、比奈の叔父に当たります。自分は比企と北条の架け橋だと延べる比奈。しかし比企能員は、橋というのは、川のどちら側の持ち物なのか、などと妻の道(堀内敬子)に問います。道はさらにいいます。木橋ならば、真ん中で分ければいいが、人ではそうはいかない。そこに兵を呼ぶ手はずが整ったとの知らせが入るのです。比企能員はいいます。

「もしいくさになれば、北条の者はすべて滅ぼす。お前は比企の家に生まれ、比企で育った。それをくれぐれも忘れてはならんぞ」

 頼家に仕える若武者たちが、実衣を引き渡すよう、政子の館にやって来ます。泰時が対応しますが、らちがあきません。そこへ政子が駆けつけるのです。若武者を代表して、北条時連(瀬戸康史)が話します。

「鎌倉殿が、姉上を連れてこいと申されています」

 政子がいいます。

「話を聞きたいのならば、自分でここに来るようにと、頼家にそう伝えなさい」

 話が通じないと知ると、政子は突き当たりの扉を開けます。そこには鎧に身をかためたにった仁田忠常(高岸宏行)が待機していたのです。

 政子は頼家の所に抗議に訪れます。

「全成殿はあなたの叔父ではないですか」

「その叔父に私は殺されそうになったのです」

 と、頼家はいい放ちます。御家人たちによる、全成の許しを願う申状(もうしじょう)が頼家に渡されます。比企能員がいいます。

「全成殿が鎌倉殿に呪詛(じゅそ)を掛けたことは明白。焚きつけた実衣殿も同罪にござる」 

 結局、頼家は、実衣を許すことにします。全成に対しては、流罪と決めます。

 宿老たちに大江広元栗原英雄)が呼びかけます。

「例の所領の再分配の件で、御家人たちから比企殿に、申し立てが来ています」

 大江は山ほどある文書を差し出します。比企は義時に意見を求めます。

「所領の少ない御家人たちは、土地を与えられることを喜んでおります。しかしその土地は、我ら含め、所領を多く抱える御家人から召し上げるもの。文句が出て当たり前」 

「無理があるんだよ」と、いい始めたのは八田知家市原隼人)です。「御家人にとって土地は命よりも大事。誰か、あのお方にお伝えした方が良いのではないか」

 義時が発言します。

「鎌倉殿は、主だった御家人が、ご自分に従うかどうか、試しておられるのかも知れません」

 比企能員が立ち上がります。

「鎌倉殿と話してくる」

 比企が立ち去ったあと、足立遠元大野泰広)が義時に近づきます。

「私もいた方がいいですか」

「宿老ですから」

 と、義時が返します。足立はぼやきます。

「十三人も今や九人。このところ、お父上や和田殿もお見えになっていないし、私のいる意味が」

 比企能員は、頼家の前にいました。頼家がいいます。

「再分配の何がいけない」

 比企は答えます。

「土地というものは先祖から受け継ぎ、さらに武功で勝ち取るもの」

「それを変えていくのだ」と、頼家はあっさりといいます。「わずかな者だけに、富が偏るのはいかん」

「もちろん、悪いことではありません。ここは、私に任せていただきましょう」

「任せてはおけん」

「申されましたな」

「良いことを考えた。まずは比企、お前が手本となって示せ」頼家は比企能員に近づきます。「おまえが持っている上野(こうずけ)(現在の群馬県)の所領をすべて差し出せ。それを近隣の御家人たちに分け与える」

 常陸国(ひたちのくに)に流されている全成を、比企能員は訪ねます。比企は実衣に危険が迫っていると、嘘をいって全成を脅します。頼家は実衣がそそのかしたと、いまだに疑っていると、呪詛の道具を投げてよこすのです。

 全成が頼家を呪詛していたとの知らせが、頼家に伝えられます。八田知家は自分が行って、討ち取ってくると出向いていきます。

 呪文を唱えた全成が、八田知家の前に連れ出されます。天気が一転し、大雨が降り注ぎます。雷が近くの木に落ち、驚いた斬手の太刀が外れます。八田知家がみずからの手で、全成を仕留めるのでした。その瞬間に嵐が止んで青空が広がります。

 その様子を聞いた実衣は、

「やってくれましたね。最後の最後に」 

 と、涙を流しながら笑い声をたてるのでした。

 義時は比企能員待ち伏せします。比企が来ると、義時がいいます。

「全成殿に、呪詛の道具を渡した者がおります」

「わしだというのだな」

「先日鎌倉を離れましたね」

「所領に戻っておったのだ。わしが全成をそそのかしたと。おかしなことを申すのう」

「今、最も鎌倉殿に死んで欲しいのはあなたです。あの方に従えば、所領は大きく減る。断れば、今の立場が危うい。意のままにならない鎌倉殿に、もはや用はない」

「もうよい」

 比企は引き返そうとします。その行く手を、善児(梶原善)が阻むのでした。比企はため息をつきます。

「仮の話として聞け。頼家様にとって、わしは乳母(めのと)に過ぎん。しかし、一幡様が後を継げば、わしは鎌倉殿の外祖父(がいそふ)。朝廷とも直(じか)に渡り合える。京へ上って、向こうで暮らし、武士の頂(いただき)に立つ。そんなことを夢見たわしを、愚かと、思われるかな」

 義時は比企に近づきます。

「比企殿には、鎌倉から出て行っていただきます。必ず」

「強気に出たな」

「ようやく分かったのです。このようなことを二度と起こさぬために、何をなすべきか。鎌倉殿の元で、悪い根を断ち切る。この私が」

 義時は今の話を聞かせるために、頼家を呼んでいたのでした。しかし扉を開けてみると、そこら頼家はいません。頼家は倒れてしまっていたのでした。