建久十年(1199)一月。後鳥羽上皇(尾上松也)は、頼朝の死について推理を巡らせていました。殺されたのか。いや、今、頼朝が死んで、得をする者は鎌倉にいない。だとしたら事故か、隠さねばならないような。武家の棟梁である、頼朝にあるまじきこと。馬から落ちたか。頼朝が上洛したとき、やけに水を飲んでいた。病によって、水が足りぬことで目まいを起こしたか。後鳥羽上皇はいいます。
「頼朝の跡目。さぞ重かろう」
鎌倉の御所では、新たな鎌倉殿である源頼家(金子大地)が、母の政子(小池栄子)に、初仕事のあいさつに訪れていました。同席していた義時(小栗旬)がいいます。
「鎌倉殿には、ご自分の信ずるところを大事に、のびのびやっていただきたい。何かあれば、我ら宿老が対処いたします」
政子は、あなたに渡したいものがある、といいます。義時が運んできたのは、しゃれこうべでした。政子が話します。
「頼朝様は挙兵の折、ドクロに誓われました。この命、おぬしに賭けようと」
「となたのものですか」
と、頼家が聞きます。
「頼朝様の父君、義朝(よしとも)様です」
これは真っ赤な偽物と、政子は言い添えます。義時がいいます。
「しかし、すべてはこのドクロから始まったのです。偽物が、人々の心を突き動かした」
政子が命じます。
「これからはあなたが持っていなさい。これは、鎌倉殿に代々受け継がれるべきもの。上に立つものの証(あかし)」
頼家は、ドクロを捧げ持つのでした。
頼家は、文官たちの働く書庫で述べます。
「私は、父、頼朝が成し遂げてきたこと。また、成し遂げることがかなわなかったことを引き継ぐ。その上で、父を超える」
比企能員(佐藤二朗)が話します。これから、鎌倉殿のご判断をあおぐときは、必ず自分を通すように。それに対して北条時政(坂東彌十郎)がいいます。その役目は自分が引き受ける。二人の言い争いに割って入ったのは、梶原景時(中村獅童)でした。
「鎌倉殿からお話しがござる」
頼家は微笑んで顔を上げます。
「皆の者、これより遠慮は無用。訴えがあれば、私がじかに聞く。私は比企や北条を特別扱いするつもりはない」頼家は立ち上がります。「私は、家の名で人を選ぶことを良しとはせん。誰であれ、力のある者を登用していくつもりだ」
頼家は密かに梶原と話します。
「あれで良かったか」
「お見事にございました」と、梶原は答えます。「あの者たちを信じてはなりません。頼朝様は最後まで、御家人を信じてはおられませんでした。それがしを除いては」
「肝に銘じておこう」
そのやりとりを、義時が見ていたのです。
比企能員は妻の道(堀内敬子)と悔しがっていました。娘のせつも正室から外されています。
北条時政は妻のりく(宮沢りえ)に、比企と頼家が一枚岩でないことがはっきりした、といわれます。二人は喜び合うのでした。
義時は息子の頼時(坂口健太郎)と、異母弟の時連(瀬戸康史)を従え、政子と会っていました。
「どうやら鎌倉殿は、梶原殿を最も信頼しておられるご様子」
そう告げる義時に、政子はいいます。
「あの方は、私心無く働くお方です。よろしいのでは」
義時は頼家から、若くて力ある者を集めるようにいわれていました。頼時と時連にそれに加わるように命じます。
この頃、京で事件が起こっていました。後鳥羽上皇の後見役である土御門通親(関智一)に対する暗殺計画が発覚したのです。とらえられたのは、公家の一条ゆかりの御家人たちでした。
その話が鎌倉まで伝わってきます。とらえられた御家人たちは、頼家の助けを待っている、と比企がいいます。ここは守ってやるべき、と時政も同意見です。上皇から、鎌倉が御家人たちを処罰せよ、といってきていました。情勢にかんがみ、どうすべきかは明らか、と梶原が述べます。頼家の決断は、御家人たちの処罰でした。
政子や義時の妹である実衣(宮澤エマ)が琵琶を習おうとしていました。師となるのは結城朝光(高橋侃)です。結城は真っ直ぐに実衣を見つめ、
「琵琶の名手といえば、唐(から)の国の楊貴妃。絶世の美女にこそ、琵琶は似合います」
などと、穏やかでないことをいうのです。
頼家は、集合した若者たちにいいます。
「よう集まってくれた。わしは共に政(まつりごと)をやる若い力が欲しい。やる気のない者、やる気はあっても力のない者。どんどん落としていく。そのつもりでいてくれ」
若者たちは頭を下げるのでした。
政の基礎は、訴訟の裁きです。御家人同士でいさかいが起きたとき、双方の話を聞いて、どちらが正しいかを判断します。主なものは、土地に関する事柄です。御家人たちは、土地を守ってもらう代わりに、いざという時、武具を取り、鎌倉殿を守るのです。
三善康信(小林隆)が、盆に訴訟の書状を積んで、頼家に差し出します。
「ずいぶんあるな」
と、頼家は口にします。三善は、口調穏やかに話します。
「代替わりされ、新たな鎌倉殿のご判断を、あおぎたいという訴えが山のように届いております。これらを裁き、頼朝様の徳の高い政を受け継いだことを、知らしめましょう」
頼家の前に、和田義盛(横田栄司)と梶原景時が座ります。和田は自分が侍所別当であったのに、梶原にかすめ取られた、と訴えます。梶原は、頼朝から直に侍所別当になるように命じられた、と反論します。頼家は席を立ってしまいます。
政子は頼家の正室である、つつじ(北香那)に会っていました。御台所(みだいどころ)の心得などを話します。そこへ頼家がやってくるのです。
「くだらぬもめ事が多く、うんざりします」
と、吐き捨てます。政子が言い聞かせます。
「当人たちにとっては大事なこと。耳を傾けておやりなさい」
そこへ頼家の側室である、せつ(山谷花純)がやってくるのです。
「鎌倉殿、探しました。まあ母上も。皆さんおそろいで何を話しておられたのかしら」
「どうかしたのか」
と、頼家がたずねます。
「一幡(いちまん)が歩いたんです。ちゃんと自分の足で」せつは挑発するように、つつじに話します。「知ってました、子供ってね、日に日に顔が変るんですよ。京は鎌倉殿に似ている。今日は比企のおじじ様に似ているって」
つつじも負けてはいません。
「私と鎌倉殿の子はきっと、源氏の血筋を引く、鼻筋の通った子になることでしょう」
頼家はここでも席を立ってしまうのでした。
義時は梶原と話します。
「こういうのはいかがですか。訴訟に関しては、これまでのように、事前に文官の方々に評議をお願いするのです。とるべく道をあらかじめ絞り、その上で、鎌倉殿に取り次ぐ」
梶原がいいます。
「確かに、今の鎌倉殿には荷が重すぎたようだ」
「文官四人に梶原殿を加えて五人衆とし、当面の間は、訴訟を請け負ってもらいます。梶原殿には、文官と鎌倉殿の間を、取り持っていただきます」
「それが良いようだ。鎌倉殿には、わしから話しておこう」
義時は、このことを比企能員に話します。梶原が入っているのになぜ比企が入っていないのだ。と、いいだします。自分も入れて六人衆にしろと要求します。
義時は父の時政にも伝えます。
「しょうがねえ。だったらわしも加えてもらおう」
と、時政は七人衆を宣言します。
それを聞いた比企能員は、安達盛長(野添義弘)を引き込みます。
時政は対抗し、幼なじみの三浦義澄(佐藤B作)に頼みます。
畠山は義時に話します。
「全く」と、義時は嘆きます。「父上も何を考えておられるのか」
畠山がいいます。
「下手をすれば、鎌倉中の御家人に声をかけることになりかねない。小四郎殿の本意ではないはずです。頼朝様という柱を失い、今の鎌倉は崩れる寸前。やはりここは、誰かが新しい柱にならなければ」
「それは、鎌倉殿が」
「あの方に、それができると本当に思っておられますか」
義時は、畠山の顔をじっと見つめるのでした。
比企は北関東を納める、八田知家(市原隼人)を呼び出し、味方に加えることに成功します。
梶原が義時に紙を渡します。
「知らぬ間に十二人衆になっている。北条方が四人。比企方が三人。文官衆四人と、この梶原を入れて十二人。数でいえば北条がやや有利ではあるが、比企は文官たちを味方に取り込もうとしている」梶原は義時に詰め寄ります。「こういうことではないのだ」
義時は頭を下げます。
「申し訳ありませぬ」
「つまらぬ内輪もめに使われては困る」
「これ以上増やすことは、断じてさせませぬ」
義時は政子に十二人について報告します。政子はいいます。
「もう一人加えて欲しい人がいるの」
政子は義時を見つめます。
「私はやめましょう」
と、義時はうつむきます。
「十二も十三も一緒でしょ」
「私が入れば、鎌倉殿が気を悪くされるかと」
「頼家はまだまだ若い。嫌なことがあると、すぐに逃げ出してしまいます。叔父として、側にいてあげて欲しいのです」政子は義時に近づきます。「十三人目はあなたです」
義時は夜、蹴鞠の練習をする頼家に行き会います。頼家はいいます。
「わしはそんなに頼りないか。わしなりに、精一杯やっているつもりだが。それが気にいらんか」
義時は言葉に力を込めます。
「少しでも、鎌倉殿がやりやすい形を探っているのです」
「お前は入っておらんのだな。この先、何があっても、お前だけは私の側に」
義時は顔を上げます。
「尼御台(あまみだい)のお考えでございます」
頼家は大声を出します。
「おのれの好きなようにやれと申したのは誰だ。もう北条の者の言葉は信じない」
「お父上のことも、そうやってお支えしてきました」義時は立ち上がって頼家に近づきます。「頼朝様は、はじめから鎌倉殿だったわけではございませぬ。どうか、我ら御家人を、お信じください。鎌倉殿は、新しい鎌倉を、皆で築いて参りましょう」
「十三人とは。増えたものだな」
「むしろ、良かったのかも知れません。少ないものに力が集まれば、よからぬことが起こる。頼朝様は、いつもそれを心配しておられました」
十三人が頼家の前に集まります。大江広元。三善康信。中原親能。二階堂行政。北条時政。三浦義澄。和田義盛。足立遠元。比企能員。安達盛長。八田知家。梶原景時。江間義時。これが十三人です。梶原がいいます。
「これより、訴訟取り次ぎは、この十三人によって執り行います」
しかし、私はだまされない。と、頼家はいいだすのです。丸め込んだつもりでいたかもしれないが、最初から自分はお前たちを信じていない。頼家は北条時連や北条頼時を含む、若者たちを呼び出します。
「わしが選んだ。手足となって働いてくれる者たちだ。信じられるのはこやつらだけよ」頼家は十三人に向き直ります。「これより、わしの政は、わしとこの者たちで行う。もちろん、お前たちと切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を、皆で築いて参ろうではないか。