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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第27回 鎌倉殿と十三人

 建久十年(1199)一月。後鳥羽上皇尾上松也)は、頼朝の死について推理を巡らせていました。殺されたのか。いや、今、頼朝が死んで、得をする者は鎌倉にいない。だとしたら事故か、隠さねばならないような。武家の棟梁である、頼朝にあるまじきこと。馬から落ちたか。頼朝が上洛したとき、やけに水を飲んでいた。病によって、水が足りぬことで目まいを起こしたか。後鳥羽上皇はいいます。

「頼朝の跡目。さぞ重かろう」

 鎌倉の御所では、新たな鎌倉殿である源頼家(金子大地)が、母の政子(小池栄子)に、初仕事のあいさつに訪れていました。同席していた義時(小栗旬)がいいます。

「鎌倉殿には、ご自分の信ずるところを大事に、のびのびやっていただきたい。何かあれば、我ら宿老が対処いたします」

 政子は、あなたに渡したいものがある、といいます。義時が運んできたのは、しゃれこうべでした。政子が話します。

「頼朝様は挙兵の折、ドクロに誓われました。この命、おぬしに賭けようと」

「となたのものですか」

 と、頼家が聞きます。

「頼朝様の父君、義朝(よしとも)様です」

 これは真っ赤な偽物と、政子は言い添えます。義時がいいます。

「しかし、すべてはこのドクロから始まったのです。偽物が、人々の心を突き動かした」

 政子が命じます。

「これからはあなたが持っていなさい。これは、鎌倉殿に代々受け継がれるべきもの。上に立つものの証(あかし)」

 頼家は、ドクロを捧げ持つのでした。

 頼家は、文官たちの働く書庫で述べます。

「私は、父、頼朝が成し遂げてきたこと。また、成し遂げることがかなわなかったことを引き継ぐ。その上で、父を超える」

 比企能員佐藤二朗)が話します。これから、鎌倉殿のご判断をあおぐときは、必ず自分を通すように。それに対して北条時政坂東彌十郎)がいいます。その役目は自分が引き受ける。二人の言い争いに割って入ったのは、梶原景時中村獅童)でした。

「鎌倉殿からお話しがござる」

 頼家は微笑んで顔を上げます。

「皆の者、これより遠慮は無用。訴えがあれば、私がじかに聞く。私は比企や北条を特別扱いするつもりはない」頼家は立ち上がります。「私は、家の名で人を選ぶことを良しとはせん。誰であれ、力のある者を登用していくつもりだ」

 頼家は密かに梶原と話します。

「あれで良かったか」

「お見事にございました」と、梶原は答えます。「あの者たちを信じてはなりません。頼朝様は最後まで、御家人を信じてはおられませんでした。それがしを除いては」

「肝に銘じておこう」

 そのやりとりを、義時が見ていたのです。

 比企能員は妻の道(堀内敬子)と悔しがっていました。娘のせつも正室から外されています。

 北条時政は妻のりく(宮沢りえ)に、比企と頼家が一枚岩でないことがはっきりした、といわれます。二人は喜び合うのでした。

 義時は息子の頼時(坂口健太郎)と、異母弟の時連(瀬戸康史)を従え、政子と会っていました。

「どうやら鎌倉殿は、梶原殿を最も信頼しておられるご様子」

 そう告げる義時に、政子はいいます。

「あの方は、私心無く働くお方です。よろしいのでは」

 義時は頼家から、若くて力ある者を集めるようにいわれていました。頼時と時連にそれに加わるように命じます。

 この頃、京で事件が起こっていました。後鳥羽上皇の後見役である土御門通親関智一)に対する暗殺計画が発覚したのです。とらえられたのは、公家の一条ゆかり御家人たちでした。

 その話が鎌倉まで伝わってきます。とらえられた御家人たちは、頼家の助けを待っている、と比企がいいます。ここは守ってやるべき、と時政も同意見です。上皇から、鎌倉が御家人たちを処罰せよ、といってきていました。情勢にかんがみ、どうすべきかは明らか、と梶原が述べます。頼家の決断は、御家人たちの処罰でした。

 政子や義時の妹である実衣(宮澤エマ)が琵琶を習おうとしていました。師となるのは結城朝光(高橋侃)です。結城は真っ直ぐに実衣を見つめ、

「琵琶の名手といえば、唐(から)の国の楊貴妃。絶世の美女にこそ、琵琶は似合います」

 などと、穏やかでないことをいうのです。

 頼家は、集合した若者たちにいいます。

「よう集まってくれた。わしは共に政(まつりごと)をやる若い力が欲しい。やる気のない者、やる気はあっても力のない者。どんどん落としていく。そのつもりでいてくれ」

 若者たちは頭を下げるのでした。

 政の基礎は、訴訟の裁きです。御家人同士でいさかいが起きたとき、双方の話を聞いて、どちらが正しいかを判断します。主なものは、土地に関する事柄です。御家人たちは、土地を守ってもらう代わりに、いざという時、武具を取り、鎌倉殿を守るのです。

 三善康信小林隆)が、盆に訴訟の書状を積んで、頼家に差し出します。

「ずいぶんあるな」

 と、頼家は口にします。三善は、口調穏やかに話します。

「代替わりされ、新たな鎌倉殿のご判断を、あおぎたいという訴えが山のように届いております。これらを裁き、頼朝様の徳の高い政を受け継いだことを、知らしめましょう」

 頼家の前に、和田義盛横田栄司)と梶原景時が座ります。和田は自分が侍所別当であったのに、梶原にかすめ取られた、と訴えます。梶原は、頼朝から直に侍所別当になるように命じられた、と反論します。頼家は席を立ってしまいます。

 政子は頼家の正室である、つつじ(北香那)に会っていました。御台所(みだいどころ)の心得などを話します。そこへ頼家がやってくるのです。

「くだらぬもめ事が多く、うんざりします」

 と、吐き捨てます。政子が言い聞かせます。

「当人たちにとっては大事なこと。耳を傾けておやりなさい」

 そこへ頼家の側室である、せつ(山谷花純)がやってくるのです。

「鎌倉殿、探しました。まあ母上も。皆さんおそろいで何を話しておられたのかしら」

「どうかしたのか」

 と、頼家がたずねます。

「一幡(いちまん)が歩いたんです。ちゃんと自分の足で」せつは挑発するように、つつじに話します。「知ってました、子供ってね、日に日に顔が変るんですよ。京は鎌倉殿に似ている。今日は比企のおじじ様に似ているって」

 つつじも負けてはいません。

「私と鎌倉殿の子はきっと、源氏の血筋を引く、鼻筋の通った子になることでしょう」

 頼家はここでも席を立ってしまうのでした。

 義時は梶原と話します。

「こういうのはいかがですか。訴訟に関しては、これまでのように、事前に文官の方々に評議をお願いするのです。とるべく道をあらかじめ絞り、その上で、鎌倉殿に取り次ぐ」

 梶原がいいます。

「確かに、今の鎌倉殿には荷が重すぎたようだ」

「文官四人に梶原殿を加えて五人衆とし、当面の間は、訴訟を請け負ってもらいます。梶原殿には、文官と鎌倉殿の間を、取り持っていただきます」

「それが良いようだ。鎌倉殿には、わしから話しておこう」

 義時は、このことを比企能員に話します。梶原が入っているのになぜ比企が入っていないのだ。と、いいだします。自分も入れて六人衆にしろと要求します。

 義時は父の時政にも伝えます。

「しょうがねえ。だったらわしも加えてもらおう」

 と、時政は七人衆を宣言します。

 それを聞いた比企能員は、安達盛長(野添義弘)を引き込みます。

 時政は対抗し、幼なじみの三浦義澄(佐藤B作)に頼みます。

 三浦義村は、和田義盛に声をかけます。

 時政は畠山重忠中川大志)にも声をかけますが断られます。

 畠山は義時に話します。

「全く」と、義時は嘆きます。「父上も何を考えておられるのか」

 畠山がいいます。

「下手をすれば、鎌倉中の御家人に声をかけることになりかねない。小四郎殿の本意ではないはずです。頼朝様という柱を失い、今の鎌倉は崩れる寸前。やはりここは、誰かが新しい柱にならなければ」

「それは、鎌倉殿が」

「あの方に、それができると本当に思っておられますか」

 義時は、畠山の顔をじっと見つめるのでした。

 比企は北関東を納める、八田知家市原隼人)を呼び出し、味方に加えることに成功します。

 梶原が義時に紙を渡します。

「知らぬ間に十二人衆になっている。北条方が四人。比企方が三人。文官衆四人と、この梶原を入れて十二人。数でいえば北条がやや有利ではあるが、比企は文官たちを味方に取り込もうとしている」梶原は義時に詰め寄ります。「こういうことではないのだ」

 義時は頭を下げます。

「申し訳ありませぬ」

「つまらぬ内輪もめに使われては困る」

「これ以上増やすことは、断じてさせませぬ」

 義時は政子に十二人について報告します。政子はいいます。

「もう一人加えて欲しい人がいるの」

 政子は義時を見つめます。

「私はやめましょう」

 と、義時はうつむきます。

「十二も十三も一緒でしょ」

「私が入れば、鎌倉殿が気を悪くされるかと」

「頼家はまだまだ若い。嫌なことがあると、すぐに逃げ出してしまいます。叔父として、側にいてあげて欲しいのです」政子は義時に近づきます。「十三人目はあなたです」

 義時は夜、蹴鞠の練習をする頼家に行き会います。頼家はいいます。

「わしはそんなに頼りないか。わしなりに、精一杯やっているつもりだが。それが気にいらんか」

 義時は言葉に力を込めます。

「少しでも、鎌倉殿がやりやすい形を探っているのです」

「お前は入っておらんのだな。この先、何があっても、お前だけは私の側に」

 義時は顔を上げます。

「尼御台(あまみだい)のお考えでございます」

 頼家は大声を出します。

「おのれの好きなようにやれと申したのは誰だ。もう北条の者の言葉は信じない」

「お父上のことも、そうやってお支えしてきました」義時は立ち上がって頼家に近づきます。「頼朝様は、はじめから鎌倉殿だったわけではございませぬ。どうか、我ら御家人を、お信じください。鎌倉殿は、新しい鎌倉を、皆で築いて参りましょう」

「十三人とは。増えたものだな」

「むしろ、良かったのかも知れません。少ないものに力が集まれば、よからぬことが起こる。頼朝様は、いつもそれを心配しておられました」

 十三人が頼家の前に集まります。大江広元三善康信中原親能二階堂行政北条時政。三浦義澄。和田義盛足立遠元比企能員安達盛長八田知家梶原景時。江間義時。これが十三人です。梶原がいいます。

「これより、訴訟取り次ぎは、この十三人によって執り行います」

 しかし、私はだまされない。と、頼家はいいだすのです。丸め込んだつもりでいたかもしれないが、最初から自分はお前たちを信じていない。頼家は北条時連や北条頼時を含む、若者たちを呼び出します。

「わしが選んだ。手足となって働いてくれる者たちだ。信じられるのはこやつらだけよ」頼家は十三人に向き直ります。「これより、わしの政は、わしとこの者たちで行う。もちろん、お前たちと切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を、皆で築いて参ろうではないか。