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書評『吉原美味草紙 おせっかいの長芋きんとん』

書名『吉原美味草紙 おせっかいの長芋きんとん』
著者名 出水千春
発売 早川書房
発行年月日 2020年4月15日
定価  ¥680E

 

 主人公の、料理人を目指す武家の娘が、ある年の一月の末、大坂の天満から伯父を頼って出て来て、江戸に着いたばかり。両国広小路の「屋台」で「天婦羅」を食すシーンから物語は始まる。
「大坂は天下の台所」といわれ、諺によく、「京の着倒れ、大坂の食い倒れ」といわれることから、食と言えば大坂と思っていたが、現代では世界的にも知られ、和食文化の中核となっている「寿司」、「天婦羅」、「蕎麦」は江戸の「屋台」からはじまり普及した。

 主人公の名は平山(ひらやま)桜子(さくらこ)、通称さくら。「浪人の家柄、大坂もん、三十路を迎えた、未婚の娘」といわくあり気である。
 「泰平の世が長く続いている。諸国で、飢饉、打ち壊しや一揆が起こっていたが、桜子には遠い国のことでしかなかった」とあるから、時代背景は幕末に近いのだろう。時代小説を読む楽しみは、私の場合、読みすすめながら、いかにして時代背景を特定できるかにある。時代小説の背景はおおむね江戸時代だが、江戸のいつ頃、主人公たちは生きたのかを知らないと落ち着かないのだ。

 幕末にほど近いある年の一月の末、大坂から武家の娘が一人旅で江戸にやってきて、料理人をめざすという。なにか曰くあり気ではないかと胸騒ぐ。
 江戸は将軍のお膝元。江戸の最盛期は武家50万人、町人50万人の100万都市で、人口の約6割強を男性が占めたといわれる。武家といっても大名から下級武士まで様々だが、地方から参集した江戸詰めの単身赴任の勤番侍によって、食に関する地方の産物や情報が江戸に集約され、また、江戸文化が諸国に伝えられた。また、彼らの胃袋を満たすべく、外食産業が発達した。役目の合間に勤番侍は食べ歩きなどの遊興を愉しんでいる。政治都市江戸は至る所で手軽に外食を愉しめる町であった。
 さくらは初めて入った両国広小路の「屋台」で、さくらの伯父忠右衛門は向島の『丸忠』という料亭を営んでいたが、ついこの頃人手に渡り、一人息子と馬喰町に移り住み、小さな居酒屋をはじめた、と知らされる。
 やっと探し当てた居酒屋は馬喰町の路地の奥にあり、鳶人足の男たちと忠右衛門の一人息子、力也(りきや)17歳がにらみ合っていた。伯父はすでに死に、家主から立ち退きを迫られ、辰五郎(たつごろう)親分の配下を名乗る段六(だんろく)ら鳶人足の男たちから、追い出しの実力行使をくらっている場面に出くわしたのである。
 料亭の御曹司の境遇から、父を亡くして、途方に暮れている身の上の力也に会い、お節介の虫がうごめくさくらは「血を分けた従姉弟同士、助け合っていこうね」と励ますも、この先のあてがあるわけでもない。困り切っている。
 そこに、救世主の登場。30過ぎの粗野でむさくるしい男、料理人の竜次(りゅうじ)である。竜次も大坂もん。親に勘当され、大坂の南部・岸和田から江戸に出てきて10年。困ったときに、忠右衛門のえらい世話になった。「忘れ形見が難儀しているのに、一肌、脱がなかったら男が廃る」と竜次は、「二人とも、内に来いや。わいは一国一城の主や」と語る。武士になりたくて、北辰一刀流千葉周作玄武館に通っていた力也は「俺は料理人になる気なんかない」と断るが、立ち退かならない現実がある。二人は、ひとまず、竜次の厚意に甘えることに。
 が、翌日、竜次に案内された先は、なんと遊郭吉原の女郎屋であった。ここから、物語は、吉原を舞台として思いもかけない方向に進展していくが、その前に、もうひとりの主人公を紹介しておかねばならない。

 さくらの幼馴染みの武田伊織(たけだいおり)は大坂東町奉行所同心の三男で、さくらと同い年。さくらの父が開いている新陰流平山道場に通ってくる絵が得意な青年で、平山家の婿養子となり後を継ぐことになっていた。つまりはさくらの許婚者であったのだが、17歳の時、ある事情で二人は引き裂かれてしまう。そして、大隅家の養子となった伊織は三年前のある日、突然、養家から出奔。“江戸で見かけた”との噂をさくらは聞く。この江戸でいつかばったり出会えるのではないか、と心待ちにするさくらがいる。
 竜次は妓楼『佐野鎚屋(さのつちや)』の台所を仕切っている料理人であった。『佐野鎚屋』の楼主の長兵衛(ちょうべえ)はさくらと力也を面談し、力也は「見世番」、さくらは「台所の手伝い、下働き」と即決されてしまう。やがて、『佐野鎚屋』第一の女郎佐川(さがわ)花魁(おいらん)と傘持ちの力也は美男美女の取り合わせでまるで生人形のようだと人気を呼び、力也はのっぴきならない事件に巻き込まれていくのだが……。
 料理の修行をして、食べ物屋をはじめたいさくらにとって、「台所の手伝い」に甘んじることはもとより不本意である。が、竜次の料理の技は一流であった。そんな竜次から料理を習えるかと思えば、さくらは辛抱できるが、竜次は「女に料理なんぞさせるかい」とのたもう、やはり気の合わない嫌な男だった。
 力也は「こんな汚いところ、女郎屋はまっぴらだ」とすぐにでも飛び出したいと身構えるが、さくらは「きっと私が何とかするから辛抱して」とたった一人の身内で実の弟のような力也を励ます一方、竜次に勝つまでは、この台所に居座ろうと心を決める。
 他人にお節介を焼くひとのよいさくらが、新天地で張り切りつつ、心にかけることになるのは、妓楼『佐野鎚屋』の遊女の佐川(さがわ)である。佐川は「吉原一」とも謳われる花魁。さくらより7歳年下だが、公家の出自で教養のある女。暇さえあれば、中江藤樹の「大学啓蒙」、熊沢蕃山「大学或問」といった陽明学の書物や漢書を読み耽っている。 
 京女の佐川と大坂もんのさくらは互いに相手の存在を意識していく。「お公家はんの娘で、京の島原で太夫していたのを〝親父″が、この吉原に鞍替えさせて、二代目佐川を名乗らせた」と教えてくれたのは竜次であったが、佐川にはとっておきの秘密があった。
 やがて、佐川はふさぎこんで、食事もままならない。食欲がない佐川のために、さくらは竜次の目を盗んで、手料理を作る。
 南禅寺近くの瓢亭の「朝粥」を真似たものだったが、それを一口口にした佐川のこけた頬に、きらりと光るものがひと筋伝う……。

 物語はここから、出だしの両国広小路の「屋台」からは想像もつかない方向へと流れだす。
 楼主の長兵衛はなんと、佐川花魁の足抜けを画策して実現させる。辰五郎親分は冤罪で獄舎に送られ死罪になる寸前の力也を身を挺して助ける。伊織とさくらの再会シーンもある。登場人物の人となりと関わりが物語のラストシーンで複雑に絡み合いつつ、溶け合って、すこしも無駄がない。
 背景に大塩(おおしお)平八郎(へいはちろう)の乱がある。大坂東町奉行所の与力大塩平八郎が乱を起こしたのは、天保8年(1837)3月のことであり、かくして、「ある年」とは明治維新30年前のことであるとわかる。そのような時代に、「父上が果たせなかった夢。いつか大坂で自分で作った料理をお客さんに喜んでもらえるような小さな店を持つのが夢」というさくらの夢は実現するのか、気を揉ませる。
 壮大なスケールの時代小説であり、流行りの単なる〈料理人情もの〉とは一線を画す極上の作品である。
  
        (令和2年6月22日 雨宮(あまみや)由希夫(ゆきお) 記)