日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

『映画に溺れて』第124回 薄桜記

第124回 薄桜記

平成五年十一月(2003)
池袋 新文芸坐

 

 大映の若手、市川雷蔵勝新太郎の共演。共に二十代後半、雷蔵ばかりか勝新までが、白塗りの二枚目として売り出していた頃で、主役の丹下典膳が市川雷蔵堀部安兵衛勝新太郎である。
 元禄十五年十二月、吉良邸討ち入りに向かう赤穂浪士堀部安兵衛は雪を踏みしめながら回想する。
 かつて高田馬場の決闘に駆けつける途中、直参旗本の丹下典膳に出会う。この偶然が二人の運命を絡ませ狂わせていくのだ。
 安兵衛は上杉家の家臣長尾竜之進の妹千春に思いを寄せていたが、千春は典膳に嫁ぐ。失意の安兵衛は上杉家からの仕官の口を断り、高田馬場で縁のできた堀部弥兵衛の養子となる。
 武門の対立から五人の刺客に襲われる安兵衛に、通り合わせた典膳が助太刀し、刺客に手傷を負わせる。この五人の男がそれを恨み、典膳が公用で留守の間、屋敷に押し入り妻の千春を凌辱する。
 典膳は五人を討つため千春を離縁するが、千春の兄から片腕を切り落とされ、浪人となる。片腕の丹下典膳が後に丹下左膳になるのかと思ったら、そうはならない。
 その頃、江戸城では赤穂藩浅野内匠頭高家筆頭吉良上野介に斬りかかっていた。
 一年後、片腕の剣客として典膳は吉良家の用心棒となり、赤穂浪士の安兵衛といずれ対決することを決意。
 妻を犯した五人組を安兵衛の加勢で倒すも、再会した妻とともに命を落とす。
 原作は五味康佑、脚本は伊藤大輔
 その後、市川雷蔵眠狂四郎勝新太郎座頭市が当たり役となり、共に大映の大看板となって、それぞれの道を歩むのである。

 

薄桜記
1959
監督:森一生
出演:市川雷蔵勝新太郎、真城千都世、三田登喜子

 

頼迅庵の歴史エッセイ13

13 柳生久通のキャリア(7)

本歴史エッセイ(3)で、近世の三大改革の推進者から改革と同時に町奉行に登用(抜擢)された三人を比較しました。
そのとき、大岡忠相のみ十九年の長きに渡って町奉行を務めており、実績を残したと書きました。ではなぜ忠相は実績を残すことができたのか、例によって『家譜』から、そのキャリアを見てみましょう。

 忠相は延宝5年生まれです。家禄1,700石大岡忠高の4男でした。その後、貞享3年12月10日に同族の大岡忠真(家禄1,920石)の女を娶り養子となります。同4年9月6日に徳川綱吉にお目見えし、元禄13年7月11日に家督を相続します。


 元禄15年5月10日:御書院番士(番入り)
 宝永元年10月9日;御徒頭へ昇進
 同 4年8月12日;御使番へ異動
 同 5年7月25日;御目付へ異動
 正徳2年1月11日;山田奉行へ昇進
 同  年3月15日;従五位下能登守に叙任
 享保元年2月12日;御普請奉行へ異動
 同 2年2月3日;町奉行(南町)へ昇進(越前守と改める。)
 同 10年9月11日;2,000石加増
 元文元年8月12日;寺社奉行へ昇進(評定所兼帯。2,000石加増。官俸を添えられ合わせて万石以上の格となる。12月28日より雁の間詰め)(注1)
 寛延元年閏10月1日;奏者番兼帯、併せて、官俸を改め4,800石加増により1万石
 宝暦元年11月2日:寺社奉行辞任
 同   12月19日卒す(年75)

 

 足高の制(注2)は定められていませんが、足高の制の役料を基準に異動、昇進を判断しました。
 久通と共通するのは、目付の経験と下三奉行の経験です。そして異なるのは、地方奉行経験の有無です。忠相は山田奉行として地方経験がありますが、久通は江戸を出ていません。ただし、出張で江戸を出た経験はあります。
 地方奉行は、警察や裁判も司りますが、それ以上に民政が大きなウェイトを占めます。江戸町奉行も重点は民政でしょう。とくに武士と違い、謹厳や原則よりも寛容や機知、忍耐の必要な町方との折衝は気苦労が多かったことと思います。この民政経験の無さ、あるいは不慣れが、11及び12で見た久通の不評の原因なのではないでしょうか。

これに対して、11で紹介した石河政朝はどうかという反論があるかもしれません。確かに政朝も地方経験はありません。ですが、公事方御定書の作成という実績を残しました。ただし、これは三奉行合同の特命プロジェクトといってよいものです。

町奉行では政朝が中心となります。おそらく政朝は、作成に集中したことでしょう。こうした場合、民政や警察、裁判等の本来業務は、もう一人の町奉行がフォローするか古参の与力が支えることとなります。奉行もプロジェクトが忙しいので、あれこれ口は出さず、お任せのパターンが多かったことでしょう。そのため、久通の場合と異なり、町役人たちとの利害がぶつからなかったものと思われます。役所とはそうしたものです。もちろん、町奉行の性格にもよりますが、プロジェクトの有無が政朝に幸いしたのではないでしょうか。
それもあって、わずか3ヶ月に終わった息子政武への同情もあったことと思われます。「石河(政武)今一年勤めたら町方は怪しからずよかろう」(注3)とは、こうした事情も踏まえているのではないかと思われますが、考えすぎでしょうか。

久通もまた特命により勘定奉行となって江戸を離れます。そのため、幸か不幸か1年で町奉行から勘定奉行へ転任となった異例の人事異動経験者として歴史に名を残すこととなりました。まことに宮仕えは辛いものです。

(注1)雁の間は新規に取立てられた大名のうち、城主の格式をもった者が詰める部屋。
(注2)足高の制が実施されたのは、11の注で述べた通り享保8年(1723)のことです。足高とは、例えば家禄500石の旗本が、町奉行(基準家禄3,000石)に就任した場合、3,000石-500石=2,500石が足高ということになります。(『国史大辞典第』(第9巻、吉川弘文館))
(注3)『よしの冊子』62ページ

 さて、いつか柳生久通を主人公とした小説を書きたいと思っていましたが、本日本屋で↓を見つけました。

剣客奉行 柳生久通 獅子の目覚め (二見時代小説文庫)

剣客奉行 柳生久通 獅子の目覚め (二見時代小説文庫)

 

 
 そのものズバリのタイトルですね。柳生久通が主人公です。ぜひ、版を重ねていって欲しいものです。


 作者の藤水名子さんは、1991年に「涼州賦」で第4回小説すばる新人賞を受賞してデビューした方です。当時は、藤さんの外に田中芳樹さん、井上裕美子さん、狩野あづささんといった方々が中国の歴史を題材とした小説を発表していました。私も夢中になって読んだものです。そして、少し遅れて宮城谷昌光さんがデビューされます。宮城谷さんの作品は、日本の歴史を題材としたものを除き、『劉邦』までの小説は全て読みました。
 なんだか、昨日のことのように懐かしいです。

 

『映画に溺れて』第123回 血煙高田馬場

第123回 血煙高田馬場

平成二年十月(1990)
白金 迎賓館

 

 テンポが非常にいい。昔の映画はこんなにも面白かったのだ。
 忠臣蔵の義士のひとり堀部安兵衛の浪人時代のエピソード、有名な高田馬場の決闘を描いたもので、ストーリーは単純である。
 喧嘩の仲裁で酒にありつくことを生業としている八丁堀の喧嘩安こと中山安兵衛は伊勢屋を強請っていた不逞の浪人をやっつけ、たまたま、堀部弥兵衛の娘に見初められる。
 安兵衛は伊勢屋に酒を飲ませてもらい前後不覚に酔っぱらって、長屋に帰ってくる。留守中に伯父の菅野六郎左衛門が訪ねてきて、高田馬場で村上兄弟と果たし合いをするむね、手紙を書き残しておく。
 老齢の伯父は小者ひとり連れて、村上兄弟他十数名が待つ高田馬場へと出かけていく。酔った安兵衛はなかなか手紙を読まないので、観ている観客はやきもきする。
 ようやく伯父の手紙を読んだ安兵衛、大慌てで八丁堀から高田馬場へと駆けていく。長屋の住人たちもいっしょになって駆けていく。たまたま父を連れてやって来た堀部弥兵衛の娘も駆けていく。
 数をたのんだ卑怯な村上兄弟とその仲間らに寄ってたかって斬り刻まれ、菅野六郎左衛門はいまや虫の息である。
 ようやく高田馬場に到着した安兵衛、敵十八名をたったひとりで相手にし、全員をばったばったと斬り捨てる。その殺陣が実に軽快でまるで舞踊のよう。
 かつては京都でこのような時代劇がたくさん作られていたのである。

 

血煙高田馬場
1937
監督:マキノ正博
出演:阪東妻三郎市川百々之助、原駒子、伊庭駿三郎、志村喬、大倉千代子、香川良介

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第29回 夢のカリフォルニア

 満州事変、五・一五事件などが起こった昭和七年夏、日本選手団はロサンゼルス・オリンピックに参加するために日本を出発します。131名の選手は、開催国アメリカに次いで二番目に多い数でした。
 太平洋を船で横断し、ロサンゼルスに着いた一行は、ダウンタウンにあるリトルトーキョーで熱烈な歓迎を受けます。
 歓迎パレード終えた一行は、選手村に入ります。選手村という制度は、このロス五輪から正式に導入されました。世界37カ国、2千人がここで生活を共にします。選手たちが国境や文化を越え、自由に交流できる。まさにスポーツの楽園です。
「これ、理想郷じゃんねー」
 と水泳の総監督である田畑政治阿部サダヲ)は叫びます。そして皆で踊り始めるのです。田畑は再び叫びます。
「オリンピック最高」
 複雑な思いを抱く男が一人いました。百メートルの高石勝男(斎藤 工)です。高石は日本を出発する前、田畑に言われていました。勝ち負けがすべてだよ。これはアメリカとの戦争だ。高石は言います。勝ちますとも。練習不足は現地で挽回します。しかし田畑は言います。
「君を試合には出さん。今の君には、メダルは取れない。日本が一つでも多く、メダルをとるためだ。
 ロサンゼルスでの現実は、甘いことばかりではありませんでした。張りきってプールに練習に来た水泳選手団でしたが、アメリカの選手が次々と水から出てしまうのです。日本人と同じ水に入りたくないということのようでした。
「いいじゃんねー」田畑はいきり立って叫びます。「貸し切りだ。存分に使わせてもらおう」
 こうして大会が始まるまでの一ヶ月の現地練習が始まったのです。
 リトルトーキョー日本食レストランで、歓迎会が開かれました。日系人の料理人が嘆きます。
「私たち日系人は、プールには入れないんですよ」
 理由を聞く田畑に料理人は説明します。有色人種は白人と一緒に泳ぐことすら許されない。そんなに迫害されているのか、と驚く選手団。満州の件でも、アメリカは日本を非難していました。
 夕方の練習で、アメリカの選手たちが日本選手の泳ぎを見ていました。何やらヤジのようなものを飛ばしているものもいます。
「もう我慢ならん」
 田畑はアメリカの選手たちに詰め寄ろうとします。そこで田畑を呼び止めたのは、以前日本で行った日米対抗戦で出会っていた、アメリカ水泳チームの監督、キッパスでした。キッパスは言います。あれは日本の水泳スタイルを研究しているのだ。この一年、アメリカは日米対抗戦の敗因を徹底的に分析し、死ぬ気で鍛えてきた。合い言葉は打倒・日本。メダルは一つも譲らない。我々の前に平伏し、屈辱を手土産に日本へ帰るがいい。しかし田畑はキッパスの闘志の言葉を、半分も理解していませんでした。
「お土産をくれるって」
 と、仲間に話す始末です。
 田畑は取材陣の質問に答えます。
「オールメダル・フォー・ジャパンだ」
 中途半端な英語力で記者の質問に答える田畑に、仲間たちが感心します。そんな中で、朝日新聞の記者が日本語で質問します。一番の敵はアメリカと見て間違いないですか。田畑は言います。
「四の五の言わずに一言こう書け。米国恐るるに足らず」
 その新聞記事を日本で大日本体育協会の面々が見ていました。嘉納治五郎役所広司)が話します。アントワープでは、日本古来の泳法が笑いものにされた。わずか十二年でアメリカに研究される立場になった。不屈の大和魂のなせる技だよ。そこへ嘉納宛てに手紙が届きます。アメリカ、フランス、ドイツのIOC委員が、もし東京がオリンピックに名乗りを上げたら、必ず支持するとの声明を出した、と記されていました。嘉納は喜びのあまり、ロサンゼルスに行くことを決意します。
「来るぞ。オリンピックが。東京に」
 と嘉納ははしゃぎ回ります。
 ロサンゼルスにいる選手たちは、食後に反省会をします。昼間の練習を撮影した映写機の画像を見て、各自、フォームを確認するのです。
 田畑は蓄音機の音楽に合わせて、各国選手と踊ったりしていました。それを見る水泳監督の松澤一鶴皆川猿時)。いらついています。高石勝男たちと、作戦を練っていました。練習メニューを減らしてはどうかという提案に、松澤は、一度徹底的に疲れさせ、少しずつ回復して、一番いい時に本番を迎えるよう調整しよう。
「ごめんね、かっちゃん」
 と松澤は高石に言います。
「自分は出ないのに、ですか」
「もちろん選考会まではわからんが」
「タイムを見れば、自分の限界も、一目瞭然ですわ」
 と、高石は微笑みます。
 しかし高石はあきらめてはいなかったのです。夜半に選手村を抜け出し、一人でプールに来て練習を行っていたのでした。屈強な黒人の守衛は、それに気づいていましたが、見逃してくれていました。
 女子選手もロスに到着し、選手団に加わります。ただし女子はホテルに泊まり、練習だけを男子と合同で行います。女子たちに見られ、張りきる男子選手たち。
 女子選手たちの人気は相当なもので、和服を着た彼女たちはパーティーにかり出され、花を添えます。彼女たちも悪い気はしません。
 日本では嘉納治五郎東京市長から招請状を受け取り、ロスに向けて出発しようとしていました。IOC総会に出席するためです。
 ラジオ番組の出演の要請を受けた田畑は、高石を出席させようとします。
「あれはノン・プレイング・キャプテンですから」
 そしてその頃、選考会に向けて、高石は夜の特訓に励んでいたのです。黒人の守衛もその音を耳で聞き、感心する様子。
 選手たちは高石がこっそりと練習していることに気がついていました。特に若い宮島と小池は気にしています。
 夜のプールでは高石が荒れていました。
「何がノン・プレイング・キャプテンや。そんなもん、補欠の大将やんけ」
 そのとき宿舎では、宮島や小池が監督の松澤に頭を下げていました。
「どうか高石さんに有終の美を」
 僕らは四年後もある。高石さんが出ることは、メダル以上の価値があります。
 松澤は田畑に掛け合います。
「何も意地悪してんじゃないんだ、鶴さん」と田畑は言います。「出さんと言って連れてきたのも、それで奮起してくれると期待してのことだ。しかしかっちゃん(高石)は」
 その会話を高石は廊下で聞いていました。田畑は話しています。メダルを狙える若手を落として、かっちゃんを出す余裕はない。松澤は叫び出します。
「メダル一枚ぐらいくれてやったっていいじゃないか」
 なぜそんなにメダルにこだわるんですか、と田畑に問い詰めます。
「日本を明るくするためだ」と、田畑はこたえます。「犬養さんが撃たれてから、新聞の紙面が暗い。不況、失業、満州問題。朝から暗澹たる気持ちになる。これじゃ駄目だ。言論の自由が奪われつつある今、誰かが明るいニュースを書かなきゃ駄目なんだよ。で、考えたんだ。もし、水泳が全種目制覇したらさ、オリンピックの期間だけでも、明るいニュースを一面に持ってくることができるじゃんねー」田畑は続けます。「スポーツが日本を明るくするんだよ。たった数日間だけど、スポーツで国を変えることができるじゃんねー」
 高石はそれを聞いて涙ぐむのでした。
 そして選考会の日になりました。自由形百メートル。高石の番になります。心配した黒人の守衛までも見物人に加わります。高石は若い宮崎と並びます。スタートの前、宮崎は高石に声をかけます。
「よろしくお願いします」
 スタートの合図が撃ち鳴らされます。選手たちが一斉に飛び込みます。先頭を切るのは宮崎、高石は一番最後でした。しかし選手たちは口々に高石を応援し出すのです。
「いけ、かっちゃん、いけ」
 田畑もいつの間にか叫んでいました。高石は懸命に泳ぎます。声をからして高石を応援する選手たち。しかし差は縮まりませんでした。高石が勝てないことは明らかでした。田畑は顔をくしゃくしゃにして叫ぶのです。
「かっちゃん、ありがとう。お疲れ」
 田畑は水からあがろうとする高石に手を差し伸べます。高石もその手をしっかりと握り、フールからあがります。素っ気ない態度のようにも見える二人。高石に向かって、選手たちは惜しみない拍手を送るのでした。
 選考選手が発表されます。もちろん高石の名前はありません。高石にラジオの取材があることを伝える田畑。高石はこたえます。
「行きますよ。ノン・プレイング・キャプテンですから」
 そして立派に高石は取材をこなすのです。
 そしてその頃、IOC総会に出席するために、体協の名誉会長、嘉納治五郎がロサンゼルスに到着しました。総会の席で嘉納は、東京市長から預かった招請状を読み上げました。これで東京は正式にオリンピック招致に名乗りを上げたことになります。嘉納は結びに言います。オリンピックの聖火が、東洋に導かれますように。
 そしてついに七月三十日、ロサンゼルス・オリンピックが華々しく開幕するのです。

 

『映画に溺れて』第122回 侍

第122回 侍

平成二年九月(1990)
池袋 文芸坐

 

 時代劇のスターといえば、私より上の世代なら、大河内傳次郎片岡千恵蔵嵐寛寿郎阪東妻三郎長谷川一夫市川右太衛門といったところをあげるだろうが、私の世代になると、中村錦之助市川雷蔵勝新太郎大川橋蔵、中でも私が一番好きなのが三船敏郎なのだ。これほど侍に見える俳優はいない、と私は思う。
 岡本喜八監督の『侍』は安政七年に起こった桜田門外の変を、虚実取り混ぜて一本の映画に仕上げている。原作は郡司次郎正の小説『侍ニッポン』で脚本は橋本忍
 浪人新納鶴千代は井伊直弼庶子でありながら、それと知らずに水戸浪人一派に加わり、桜田門外で父の首を打つ。悲惨でしかも荒唐無稽な物語が、岡本喜八の丁寧な演出と三船敏郎の荒んでいながら、どこか憎めない明るさ、人間臭さとでリアルな娯楽大作となった。嘘をどこまで本当らしく見せるかが、作り手の知的センスにかかっている。
 共演者にも恵まれている。昭和四十年の作品だが、まだまだ映画にとってはいい時代だったのだ。井伊直弼の八代目松本幸四郎水戸藩士の首領伊藤雄之助、学問好きがこうじて一味に加わるが裏切り者と疑われ消される小林桂樹、鶴千代のかつての恋人と茶屋の女将との二役新珠三千代、鶴千代の母杉村春子、他にも東野英治郎平田昭彦八千草薫大辻伺郎、稲葉義男、藤田進など、配役は贅沢である。
 安政七年三月三日、朝から雪が降り始め、舞い散る雪の中での暗殺シーンは、迫力充分である。画面の中の三船がいくら強くても嘘にならないリアリティがほんとに素晴らしい。
 三船の浪人役は黒澤明監督の『用心棒』『椿三十郎』から始まり、後の岡本監督『座頭市と用心棒』までほぼ同じスタイルなのも興味深い。

 


1965
監督:岡本喜八
出演:三船敏郎小林桂樹伊藤雄之助松本幸四郎新珠三千代、田村奈己、八千草薫杉村春子東野英治郎平田昭彦、稲葉義男、大辻伺郎中丸忠雄黒沢年男天本英世江原達怡

『映画に溺れて』第121回 人情紙風船

第121回 人情紙風船

平成四年六月(1992)
早稲田 ACTミニシアター

 

 映画がサイレントからトーキーに移行する昭和の初め、映画監督としてデビューし、次々と作品を発表して注目されながら、召集され戦地の中国で若くして戦病死した山中貞夫。その最後の作品が『人情紙風船』である。
 河竹黙阿弥の『梅雨小袖昔八丈』に登場する髪結新三のストーリーに長屋の貧しく生真面目な浪人夫婦の悲劇を絡ませて、江戸時代がきめ細かく描かれている。
 浪人海野又十郎が河原崎長十郎、新三が中村翫右衛門。ともに当時の前進座の重鎮である。
 裏長屋に住む海野又十郎は、わずかな伝手を頼って仕官を願うのだが、軽くあしらわれ、それでも諦めきれず、日参の末、最後には手ひどく追い返されてしまう。妻は内職で紙風船を作って暮らしを支えているが、先行きは見えない。昭和初期の不況、失業、生活苦が江戸時代に重ねられているのだろう。
 一方、髪結いの新三は遊び人の小悪党。やくざの親分弥太五郎源七ににらまれ、いためつけられる。腹いせに源七が出入りしている大店白子屋の娘お駒が番頭忠七と恋仲なのを知り、これをそそのかして駆け落ちさせ、お駒をだまして長屋に連れ込む。たまたま又十郎がこれに手を貸すことになる。
 嫁入り前の娘に瑕がついてはいけないと、白子屋は娘と引き換えに大金を新三に渡すことになる。まんまと強請った金で新三は長屋中に大判振る舞いのどんちゃん騒ぎ。が、真面目な夫が悪事に加担したと知った又十郎の妻が、夫を殺して自害する。
 新三もまた、弥太五郎源七一家に命を狙われる。
 当時の時代劇は京都での製作が多く、山中貞夫も関西人であるが、この『人情紙風船』は東京で前進座を中心に作られており、実にリアルで、江戸情緒たっぷり。
 やくざの手下のひとりを演じている市川莚司という俳優、これが若き日の加東大介である。

 

人情紙風船
1937
監督:山中貞雄
出演:河原崎長十郎中村翫右衛門、山岸しず江、霧立のぼる、市川莚司

『映画に溺れて』第120回 無頼漢

第120回 無頼漢

昭和五十三年十二月(1978)
新橋 新橋第三劇場

 

 江戸城に仕える御数寄屋坊主の河内山宗俊が悪党仲間と組んで悪事を働くピカレスク御家人くずれの片岡直次郎、吉原の花魁三千歳、遊び人暗闇の丑松、浪人で剣客の金子市之丞、悪徳商人の森田屋清蔵。六人の無頼漢。
 河内山の悪行は講談になり、芝居になり、映画や小説にも多数登場する。
 黙阿弥の歌舞伎『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』と講談の『天保六歌撰』を合わせて、寺山修司が脚本を書いた異色時代劇が『無頼漢』である。
 主人公は母親とふたり暮らしの直次郎、芝居小屋など悪所に出入りする女たらしのごろつき。これが吉原で森田屋清蔵と三千歳を張り合う。
 仲代達矢の直次郎に丹波哲郎の河内山を中心として、三千歳に岩下志麻、丑松に小沢昭一、森田屋に渡辺文雄、金子市に米倉斉加年という六花撰。それに直次郎の母が市川翆扇、老中水野越前守が芥川比呂志
 河内山が寛永寺の使僧に化けて松江出雲守をゆするクライマックスは歌舞伎の黙阿弥通りだが、松江侯の中村敦夫、北村大膳の垂水悟郎、数馬の蜷川幸雄、浪路の太地喜和子と新劇系の個性派が並ぶ。
 庶民を弾圧する天保の改革を背景に、一九七〇年頃の学生運動を重ねたような百鬼夜行。正統な時代劇というより当時流行のアングラ演劇風。
 直次郎が母親を捨てに行くのは、後に『田園に死す』でも繰り返される寺山おなじみのパターンである。


無頼漢
1970
監督:篠田正浩
出演:仲代達矢岩下志麻小沢昭一丹波哲郎渡辺文雄米倉斉加年山本圭垂水悟郎中村敦夫、浜村純、藤原釜足蜷川幸雄太地喜和子

 

新生第一回日本歴史時代作家協会賞

【速報】決定しました!
新生第1回
日本歴史時代作家協会賞

 

1 新人賞

(新人賞はデビューから3年以内の作家で、2018年6月から2019年5月までの刊行作品が対象)

泉ゆたか『髪結百花』KADOKAWA2018年12月刊

 

 

髪結百花

髪結百花

 

 

候補作
大塚已愛『鬼憑き十兵衛』新潮社2019年3月刊
森山光太郎『火神子 天孫に抗いし者』朝日新聞出版2019年5月刊
吉森大祐『逃げろ、手志朗』講談社2019年1月刊


2 文庫書き下ろしシリーズ賞(非公開選考)

藤井邦夫「新・秋山久蔵御用控」シリーズ・文春文庫
      「新・知らぬが半兵衛手控帖」シリーズ・双葉文庫
中島久枝「日本橋牡丹堂 菓子ばなし」シリーズ・光文社時代小説文庫
      『一膳めし屋丸九』ハルキ時代小説文庫

 

いつかの花: 日本橋牡丹堂 菓子ばなし (光文社時代小説文庫)

いつかの花: 日本橋牡丹堂 菓子ばなし (光文社時代小説文庫)

 

 


3 作品賞(2018年6月から2019年5月までの刊行作品が対象)
天野純希『雑賀のいくさ姫』講談社2018年11月刊
篠 綾子『青山に在り』KADOKAWA2018年12月刊

雑賀のいくさ姫

雑賀のいくさ姫

 

 

青山に在り

青山に在り

 

 

候補作
赤神諒『醉象の流儀 朝倉盛衰記』講談社2018年12月刊
天野純希『もののふの国』中央公論新社2019年5月刊
木下昌輝『金剛の塔』徳間書店2019年5月刊
鳴神響一『斗星、北天にあり』徳間書店2018年11月刊
矢野隆『朝嵐』中央公論新社2019年4月刊


4 功労賞(非公開選考)
夢枕 獏「陰陽師」シリーズ・文藝春秋
      「沙門空海」シリーズ・徳間書店角川書店

合本 陰陽師(一)?(十二)【文春e-Books】

合本 陰陽師(一)?(十二)【文春e-Books】

 

 

***********************************

選考委員 三田誠広 菊池仁 雨宮由希夫  進行役 加藤淳
(2019年7月26日、都内貸会議室にて選考会を行いました)

 

日本歴史時代作家協会賞授賞式及び懇親会
日時:9月20日(金)午後6時〜
場所:アルカディア市ヶ谷(私学会館)

 

追ってご案内状をお送りいたします。
皆様お誘い合わせのうえご出席くださるようよろしくお願いいたします。

明治一五一年 第3回

明治一五一年 第3回 

        森川雅美

 

ゆっくり下りていく

誰もいない静かな水辺だから

語られる諸諸の破片と

して見えなくなる足首より

ぶらさがる外れの漂う訪れの

まま留まり淀みいく

いく人もの人たちが小さく

響きあう隘路の外れへ

過ぎいくちぐはぐな言の葉

たちがほどく今際まで

野辺にざわめくだろう兆しに

なる先の叙景は滅ぶ

ために切断される明日

の安らぎの内の内に横切る

いく人もの人たちが流される

さらに深い岸辺まで

ゆくりなく洗う陽光

が消えた誰かの夢の中を浸し

移動する足裏が何度も踏み

つける老いた背が揺れ

先端は鋭く研ぎ澄み

賑やかな低い音律の停止なら

いく人もの人たちが

途切れない頭蓋の痛みを剥ぎ

白みいく長い道のりは

ぼやけながら遥かにつづく届き

えない行方のため足元から

の来し方を見つめ

ただ荒れた気流の方角

へと散らばる風向きなので

いく人もの人たちが

抗いながらもまだ流され漂う

形を失いかけ誰に知られる

ことなく片言を述べる

半身はにぶい痛みに襲われ

傷つく意識の底に及べ

より深まる淀みへと

捨てられた記憶の内側を晒し

いく人もの人たちが

まだ死んでゆるい傾斜を転げ

消えていくなら小さな足音

になりひずむ地の層が

現れない影として滲みしたたり

落ちる水滴を注ぎ

留まらない地面の起伏は遥か

彼方でわずかに萌す

いく人もの人たちがいつまでも

続く歩く足を緩め

実らない痕跡たちは

すべからく端端からほころべ

消えかけた深い意識

の声にまだ見ない何かが訪う

あることすらもでき

なかった朝の光に重ねて告ぐ

いく人もの人たちが折り重なり

層を成すなら呼べ

くべられる悲しみの亡骸が

離れていく影絵を追う

違う途上に現れるなら前の世

の夢は忘れて騒ぐぜ

 

『映画に溺れて』第119回 大江戸りびんぐでっど

第119回 大江戸りびんぐでっど

平成二十二年九月(2010)
五反田 イマジカ第二試写室

 

 舞台の映画化というのは、以前から数多い。シェイクスピアからブロードウェイミュージカルまで、著名な人気作品はたいてい映画化されている。
 だが、シネマ歌舞伎というのは舞台の映画化ではない。NHKの教育番組などで歌舞伎の舞台中継を放送することがある。つまり舞台の公演をそのまま撮影し、映画館の大画面で上映するのがシネマ歌舞伎なのだ。
 歌舞伎座改装休演前、平成二十一年十二月のさよなら公演『大江戸りびんぐでっど』が、その後シネマ歌舞伎として映画館で上映された。
 作者は宮藤官九郎。江戸を舞台にした歌舞伎ではあっても、現代作家、それも最先端のユニークな若手、一筋縄ではいかない。
 なにしろ、歌舞伎でゾンビなのだ。
 生きた死者たちが江戸の町をぞろぞろと動き回るという趣向。
 干物のくさやを作るためのくさや汁、それを浴びた死人がゾンビとして甦り、江戸の町が恐怖におののく。ゾンビたちが歌ったり踊ったり、おふざけギャグもたっぷりのオカルトコメディ。
 ゾンビを派遣して安く働かせるというのは、『ゾンビーノ』の影響か。
 これを名門ぞろい、一流どころの歌舞伎役者の面々が思い切り演じているあたり、驚くばかり。しかも、歌舞伎の味わいもそのままに。


大江戸りびんぐでっど
2010
作:宮藤官九郎
出演:市川染五郎中村七之助中村勘三郎中村福助中村橋之助中村勘太郎中村扇雀、板東三津五郎