日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第162回 ヴェニスの商人

第162回 ヴェニスの商人

平成十七年十一月(2005)
新宿 高島屋テアトルタイムズスクエア

 

 水の都ヴェニスの商人アントーニオは親友バッサーニオの結婚資金を用立てるため、嫌われ者の高利貸しシャイロックから借金する。利息はいらないが、もしも期日に返せなければ胸の肉を一ポンドもらい受けるという正式な証文。が、アントーニオの全財産を積んだ船が嵐で遭難し返済に間に合わない。そこで人肉裁判の場面となるのが有名なシェイクスピア喜劇。
 アル・パチーノはこれを喜劇ではなく、ユダヤ人の悲劇として映画化した。
 錠のかかったゲットーと呼ばれる専用の居住区に住まわされ、外出を制限され、一般の商行為も禁じられているので、キリスト教徒の蔑む金融と投資で生計を立てており、汚い高利貸しと罵られ道で唾を吐きかけられる。
 遊び人のバッサーニオは財産を浪費しつくし、今度は金持ちの娘との結婚を計画するも資金がなく、友人のアントーニオに無心する。アントーニオがどうして、こんな身勝手な友人の結婚資金まで調達してやるのか。それも嫌いなユダヤ人に借りてまで。実はアントーニオはこの友人に友情以上の恋慕の情を抱いており、バッサーニオがそれを巧みに利用するのだ。
 キリスト教徒にさんざん踏みつけにされてきたユダヤ人のシャイロックが、ようやく裁判という公の場で復讐する機会を得るが、偽裁判官に契約書の盲点を指摘され、敗訴する。すべてを失ったシャイロックの苦悩と絶望。
 アル・パチーノ演じるシャイロックは絵に描いたような悪人ではなく、頑固な初老の男である。最愛の娘をキリスト教徒に奪われ、怒りを爆発させる。なんたる悲運。
 一方、ジェレミー・アイアンズのアントーニオ、これがまた重くて暗い人物なのだ。恋人バッサーニオに去られ、傷心のまま終わる。あの時代、ユダヤ人以上に男同士の恋愛も迫害されており、露見すれば処刑の対象になることもあった。アントーニオにとっても、陽気なシェイクスピア劇の結末にはなっていなかった。

 

ヴェニスの商人/The Merchant of Venice
2004 アメリカ/公開2005
監督:マイケル・ラドフォード
出演:アル・パチーノジェレミー・アイアンズ、ジョゼフ・ファインズ、リン・コリンズ

 

『映画に溺れて』第161回 マクベス

第161回 マクベス

昭和四十八年十月(1973)
大阪 梅田 梅田地下劇場

 

 初めて観たシェイクスピア映画がポランスキーの『マクベス』であったのは、なんとも幸運だった。最初にオリビエの『ハムレット』を観ていたら、私はシェイクスピアを好きになったかどうか。
 ポランスキーの『マクベス』はアメリカのプレイボーイ誌が資金を出して作った映画で、古典劇というよりは、おどろおどろしい怪奇劇である。
 中世のスコットランド。グラミスの領主であり、勇敢な武将マクベスが、勝ち戦のあと盟友バンクォーとふたり、馬を疾駆させて帰還の途中、土砂降りの雨の中で不気味な三人の魔女に出会う。きれいはきたない、きたないはきれい。という有名な呪いの言葉ではじまる予言。グラミスの領主、コーダの領主、やがては王になるお方。
 ダンカン王のもとに戻ったマクベスは、戦の褒賞として、コーダの領地を与えられる。魔女の予言が本当ならば、自分はやがて王になる。心の中で燃え上がる野心にマクベス夫人が火をつけ、そそのかす。
 あとはもう、血で血を洗う残虐な殺戮シーン、裏切りと不安の日々。
 舞台の映画化というより、映画として面白かったのだ。舞台ではえんえんと続く役者の独白も、映画では呆然とするマクベスのアップに心の声としてナレーションでせりふが流れ、不自然さはまったくない。
 この映画の直後に劇団雲の格調高い福田恒存訳・演出で舞台の『マクベス』も堪能した。マクベス神山繁マクベス夫人は岸田今日子だった。
 その後、平幹二郎栗原小巻の蜷川版、串田和美吉田日出子自由劇場版、塩野谷正幸入江若葉の流山児版と機会があれば観に行き、もちろん映画では黒澤明の『蜘蛛巣城』も観て、『マクベス』は私の一番好きなシェイクスピア作品となったわけであるが、そのきっかけがロマン・ポランスキーであったのだ。

 

マクベス/Macbeth
1971 アメリカ/公開1973
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ジョン・フィンチ、フランセスカ・アニス、マーチン・ショー

 

頼迅庵の新書専門書ブックレビュー6

◯ ブックレビュー6

『ハーバードの日本人論』(佐藤智恵中公新書ラクレ

 

 
 ハーバード大学は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストン郊外ケンブリッジに位置する総合私立大学です。同時に、イギリスの植民地時代1636年に設置されたアメリカ最古の大学でもあります。
 ハーバード大学は、各種の大学ランキングではつねに最上位に位置するアメリカ屈指の名門校で、政財界から学術分野まで幅広い分野で指導的な人材を輩出しつづけています。ウィキペディアによれば、2018年時点で8人のアメリカ大統領、48人のノーベル賞受賞者・48人のピュリッツアー賞受賞者が出ているほか、32人の元留学生が母国で国家元首となっています。言わば、世界の知性のトップに位置する大学といっても過言ではないでしょう。

 そのハーバード大学では、日本史や日本人についての講義があり、毎年盛況だそうです。本書はそのうち日本人論について10人の教授にインタビューを行ったものをまとめたものです。

 著者の佐藤さんはいいます。「日本人ほど『日本人論』が好きな国民はいない」と。同時に日本人は、歴史好きとしても知られています。外国の、それも最高の知性といっても良いハーバード大学の教授たちは日本人をどう見ているのでしょうか。それは同時に2000年の長い歴史を持つ日本民族の歴史と現在を知ることにもなるのではないでしょうか。

 いずれも興味深い10の講義を見てみましょう。本当に興味深いテーマばかりなのですが、長くなりますので、ここでは紹介だけに留めます。関心あるテーマがあれば、ぜひ本文をお読みください。
 まず本書で取り上げる講義のテーマとサブテーマ、ハーバード大学の教員名(専門)の順、そして佐藤さんの問題意識などをいくつか中心に紹介します。

  • 第1講義(メディア論)日本人はなぜロボットを友達だと思うのか

宮崎駿押井守が描く「テクノロジーと人間」
アレクサンダー・ザルテン准教授(メディア論、映画学)
① ほかの国の映画にはない日本映画の魅力とは何か
② 日本にはロボットが登場する映画が多いが、日本人の特性と関係があるのか

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『映画に溺れて』第160回 エド・ウッド

第160回 エド・ウッド

平成七年十月(1995)
日比谷 シャンテシネ3

 

 どんな世界にも頂点を極める一流の人物がいれば、そこそこに活躍する中堅がいて、さらに底辺で仕事をしているさほど有名でない人たちがいる。もちろん、彼らはみんなそれなりにプロなのだ。
 時代は『サンセット大通り』の一九五〇年代、ジョニー・デップ扮するエドワード・ウッドはハリウッドの撮影所で雑用の仕事をしながら、いつか監督になりたいと夢見ている。ある日、偶然にかつての怪奇スター、ベラ・ルゴシと知り合い、彼の名前を利用して、映画会社に自分の企画を売り込む。今は落ち目で金に困った孤独な老人ルゴシは喜んで仕事を引き受け、その演技は堂々としたもの。だが、弱小会社の映画は都市部では上映さえされない。
 楽天家のウッドは安っぽいセットにも、下手な三流俳優の演技にもまったく平気で、嬉々として次々に企画を立て、低予算の怪奇ものやSFものを短期スケジュールで作り続ける。製作費を工面するため、金持ちらしい女優志願の女性を見つけると、さっそく主役にしてしまい、長年主演女優だった恋人には去られる。ベラ・ルゴシが麻薬に溺れて入院すると、親身に世話を焼くが、その死をちゃっかりと次の映画に利用することも忘れない。
 細部にこだわらないウッド。それをいいことに、まわりが好き勝手を始めると、とうとう頭にきて、撮影を投げ出し女装のままバーへ酒をひっかけに行く。彼には女装趣味があり、スタジオでは女装で演出していたのだ。そのバーで偶然にも大監督オーソン・ウェルズを見かけ、面識もないのに思いきって声をかけ、お互い映画作りの大変さについて語りあう。女装のウッドに鷹揚に応じるウェルズもすごい。
 この映画はモノクロ。棺から起き上がった怪人物がものものしくエド・ウッドの伝説を語りだすオープニングは『死霊の盆踊り』へのオマージュであろう。
 実在のエド・ウッドは七〇年代、アルコールに溺れて貧しく不遇のまま亡くなった。生前に作品が評価されることなく、最低の映画監督と称されている。

 

エド・ウッド/Ed Wood
1994 アメリカ/1995
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップマーティン・ランドーサラ・ジェシカ・パーカーパトリシア・アークェット、ジェフリー・ジョーンズ、ビル・マーレイ

『映画に溺れて』第159回 ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲

第159回 ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲

 

平成十五年八月(2003)
新橋 新橋文化

 映画マニアあるいはオタク、フリーク、コレクター、彼らの好むジャンルというのは、アニメーション、SF、オカルト、ホラーなどで、あまり文芸大作のオタクとか、社会派のフリークというのは聞かない。それでも、私の知人に社会派映画を異様に好む生真面目な熱血漢がいて、ちょっと描写が甘かったりすると、こんなもんじゃないよ。と怒り出す。彼はコメディはまったく認めない。あんなもん、嘘ばっかりだと言って。で、コメディが嫌いなくせに、もっと嘘ばかりの宇宙SFがけっこう好きだったりするから不思議な人だ。
 さて、『ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲』は、映画マニアのお遊び映画。ジェイとサイレント・ボブは自分たちをモデルにしたコミックが知らないうちに映画化されることになり、さんざんコケにされているので、撮影阻止のためハリウッドに乗り込む。その途中で知り合った動物虐待反対運動の女四人組に頼まれて、製薬会社から実験動物を逃がす手伝いをしたり。
 有名映画のパロディシーンも豊富。下品ギャグも豊富。スターや監督も実名で出演。中年となったマーク・ハミルが『スターウォーズ』を茶化した宇宙活劇のシーンに悪役で登場したり。ベン・アフレックマット・デイモンが『グッドウィルハンティング2・狩りの季節』という続編を撮影中で、監督のガス・ヴァン・サントは全然やる気がなく、アフレックとデイモンはお互いのハリウッドメジャー作品をやり玉にあげてけなし合う。
 マニア向きのお遊び映画というのはマニア以外にはほとんどどうでもいいような内容なので、まずヒットはしないし、下手をすると劇場公開されず、DVD発売やネット配信のみで終わる。
 私の知人の熱血漢氏、この映画、全然わからなくて、あまりにつまらなくて、怒って途中で映画館を出たという。それでも私は彼に一目置いている。こんな映画でもちゃんと封切時に映画館へお金払って観に行く人だから。もっとも彼はシリアスな宇宙SFの新作と勘違いしたらしいが。

 

ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲/Jay and Silent Bob: Strike Back
2001 アメリカ/公開2003
監督:ケヴィン・スミス
出演:ジェイスン・ミューズ、ケヴィン・スミスベン・アフレック

『映画に溺れて』第158回 変態家族 兄貴の嫁さん

第158回 変態家族 兄貴の嫁さん

平成四年五月(1992)
大井 大井武蔵野館

 

 大手日活のロマンポルノ、それ以外のピンク映画、それら成人映画は一種の若手監督の登竜門でもあったのだろう。『おくりびと』の滝田洋二郎をはじめ、ピンク映画界から巣立ち、後に大作、話題作を撮る名匠となった監督は多い。
 大井武蔵野館で観た周防正行監督『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』そして『変態家族 兄貴の嫁さん』の三本立て。
 なんて贅沢な組み合わせだったろう。その後、『Shall we ダンス?』が大ヒットして、名監督と呼ばれるようになる前、周防監督がデビューを果たしたピンク映画作品。それが『変態家族 兄貴の嫁さん』である。
 これを映画館で観たときの衝撃。思わず笑いがこみあげた。
 和紙に墨で書かれたタイトルで始まり、おや、この既視感はなんだろう。そう思ううち、東京タワー、結婚式場、居間に吊られた式服、卓袱台を囲む家族たち、セットや小道具、背景、登場人物のせりふまわしや構図まで、小津安二郎の映画にそっくりなのだ。
『晩春』『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』などからそのまま借りてきたような場面の連続。しかもこれが成人映画。仰天した。
 当然ながらポルノである以上、男女が裸でからむシーンが次々に現れる。
 が、それでもなお、大杉漣が演じる笠智衆そっくりの父親をはじめ、出演者たちは小津作品のキャラクターをかなり真摯に真似ていた。純然たる真似であり、決して小津作品を茶化すような卑猥なパロディではない。
『変態家族 兄貴の嫁さん』は『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』に劣らぬ名作であると私は思う。
 そして、この組み合わせの三本立てを上映してくれた今はなき大井武蔵野館に感謝する次第である。

 

変態家族 兄貴の嫁さん
1984
監督:周防正行
出演:風かおる、山地美貴、麻生うさぎ大杉漣、下元史朗

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第34回 226

 昭和11年(1936)2月26日。雪道を踏みならす軍靴の音が、赤坂表町に向かっていました。首都を震撼させた226事件が起こったのです。陸軍の青年将校が兵を率い、首相や教育総監を殺害しました。警視庁も占拠されます。
 田畑政治阿部サダヲ)が出社した朝日新聞社も混乱していました。号外を出そうとするも、内務省から一切の記事を差し止めろとの命令を受けます。そして社内に兵隊たちが突入してくるのです。皆に銃を向け、将校が「一番偉い人に合わせろ」といってきます。政治部長緒方竹虎(李リ・フランキー)が、自分が行くといいます。
 緒方と対面した青年将校は、拳銃を取り出します。相手の懐に入り、撃たれるのを回避する緒方。青年将校はいいます。
高橋是清天誅を下してきた」そして拳銃を振り上げて叫びます。「国賊新聞をたたき壊すのだ」
「ちょっとまってくれ」と、緒方は止めます。「中には、社員はもちろん、女子供もいる。まずはそれを出す」
 将校は待ちます。田畑が抗議している間、待ちきれなくなった兵隊がなだれ込んできます。オリンピックの写真を踏みつけられた田畑は怒って、兵隊にしがみつきます。そして銃把で殴られることになるのです。
 前代未聞のクーデター事件に、政府は報道を差し止め、新聞もラジオも事件を伝えられずにいました。第一報は、事件発生から十五時間が経った午後八時半に行われました。首都機能が占拠されるという事態を受け、政府は戒厳令を敷きました。反乱軍は29日に投降しましたが、依然、東京は厳戒態勢のままでした。
 そんなとき、IOC会長のラトゥールが、サンフランシスコを出航したという知らせが田畑のもとにもたらされます。一週間後、横浜に着くことになっていました。
 田畑は嘉納たちのいる東京市庁舎に向かいます。途中、検問を張っている兵隊たちに出会います。
 田畑がやってきてみると、嘉納治五郎役所広司)は張りきっていました。
「ラトゥールが来るんだぞ。ベルギーから。東京でオリンピックを開催できるか否か、IOC会長みずから品定めに来るんだぞ」
 これにはさすがの田畑も怒ります。
戒厳令ですよ。剣付き鉄砲構えた兵士がそこらじゅうに突っ立ってにらんでやがる。いつ反乱軍と鎮圧軍でいくさが始まるか、民間人が巻き込まれるかもわからない。そんな東京でお祭りですか。こんな時にオリンピックですか」しかし田畑は部屋に下がっている日の丸とオリンピックの旗を見ていうのです。「でもやりたい」そして嘉納を振り返ります。「だから加納さん。あんたが本気ならついていく。どうなんだよ。やれんのかよ」
 嘉納は静かにしゃべり始めます。
「やれるとかやりたいとかじゃないんだよ」立ち上がって机を叩いて叫びます。「やるんだよ」田畑もその迫力に押されます。「そのためなら、いかなる努力も惜しまん」
 田畑はうなずきます。大声を出します。
「よーしわかった。やりましょう。今後一切、後ろ向きの発言はしません」
 外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)の手腕により、ムッソリーニにオリンピックの開催地を譲ってもらう約束をした日本。しかしIOC総会にて杉村が強硬にそれを主張した結果、IOC会長のラトゥールを怒らせることになってしまったのです。今回はラトゥールを東京に招き、謝ると同時に接待して機嫌を取ろうという作戦でした。歌舞伎や角力も見てもらって、神宮外苑競技場を視察してもらいます。戒厳令下の東京を横断することになります。これには専用の車を用意する必要があります。抜け道にくわしい運転手も。
 ついにラトゥールが来日し、はしゃぐ嘉納たち。杉村はラトゥールに謝罪しようとしますが、ラトゥールは固い表情のままです。ラトゥールは記者たちに聞かれます。このたびの訪日のご用件は。ラトゥールはいいます。1940年のオリンピック大会を東京で出来るかどうか見極める。
 嘉納は元人力車夫の清さん(峯田和信)を手配していました。清さんの妻の小梅(橋本 愛)も駆けつけています。戒厳令下の東京を人力車で案内するという作戦でした。田畑もそれについていくことになります。一行は隅田川ぞいを桜を見ながら新橋方面に流し、歌舞伎を鑑賞して芝の料亭で会食します。そしてラトゥールは神宮外苑競技場にやってきます。嘉納が説明します。(競技場が)ほぼ完成というときに関東大震災が起こり、ここも避難所として、一時期、東京市民に開放した。
アントワープの大会は、実に素晴らしかった」嘉納はいいます。「戦争で痛手を受けた街で、あえて開催したあなたの決断に、感銘を受けた」
 清さんの引く人力車に乗ってラトゥールと田畑は出発します。近道の路地に入ると、ラトゥールは子供たちの遊ぶ様子に興味を示し、人力車を降りるのです。子供たちは馬跳びやゴム跳びに加え、オリンピックごっこを行っていました。感激して
「オリンピック」
 の声を出すラトゥール。
 その頃、熊本では金栗四三が義母の幾江(大竹しのぶ)や妻のスヤ(綾瀬はるか)に話をしていました。嘉納治五郎から、東京にオリンピックを呼ぶ力になってくれとの手紙が来た。幾江はいいます。
「そぎゃん行きたかなら、行ったらよか。そんかわり、りっぱに、きっちり成し遂げてこい。国ばあげてのお祭りやけん」
 ほっとして四三はいいます。四年後の大会を見届けたらすぐに帰ってくる。まあ、俺なんか留守にしても寂しくないだろうし。それに対し、幾江は怒っていいます。
「寂しくなかとはどぎゃんこつか」
 寂しくないわけがない。なぜそんな他人行儀な冷たいことをいうのか。自分はせがれに死なれている。四三は生みの親を亡くしている。もうほかに頼るものもいない。もう親子になるしかないではないか。もう観念しろ。腹をくくって息子らしくしろ。四年もいなかったら寂しい。四三はそれを聞いて涙を流します。
「俺も寂しか」
 と、四三は思わず幾江に抱きつくのです。
 東京で嘉納は、ラトゥールに柔道を指導しています。近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵との思い出を語ります。いずれ極東にもオリンピックを、と嘉納はクーベルタンにいいます。いくらなんでも遠すぎる、と、クーベルタンは笑いました。
「だがあなたは来た」柔道場で嘉納はラトゥールにいいます。「船酔いに耐え、極東まで。それだけでも感謝している」
 嘉納は一緒に柔道を行っていた杉村を呼びます。杉村に訳すようにいって話し始めます。
「そもそもムッソリーニを説得せよと命じたのは私だ。道に反することをした。あなたの顔に泥を塗った。それについては謝る。この通りだ」
 嘉納はラトゥールに手をついて頭を下げるのです。杉村も共に謝ります。嘉納は語ります。
「ご覧いただいたように、東京にはオリンピックを開催する条件がそろっている。国民の関心度も高い。それなのに、ヨーロッパから遠いというだけで、これまで見てもらうことすらかなわなかった」嘉納はラトゥールを見上げます「正攻法では間に合わんと踏んで、禁じ手を使った。すまん」
 再び嘉納は頭を下げます。最高の、アジア初の、歴史に残る、平和の祭典にしてみせる。約束する。と、嘉納は言い切るのです。そして「よい返事を待っています」との言葉を残して去って行くのです。その後で杉村はIOC委員を辞任することをラトゥールに告げます。私の願いは、東京にオリンピックを招致すること。そのためには喜んで身を引きます。
「ローマが降りたのは、杉村さんの功績です」去って行こうとする杉村に田畑は声をかけます。「お疲れ様でした」
 視察際最終日になりました。ラトゥールは記者に囲まれます。
「この国では、子供でさえもオリンピックを知っている。戒厳令の街で、子供たちはスポーツに夢中だ。オリンピック精神が満ちている」そしてラトゥールはこう結びます。「オリンピックはアジアに来るべきだ」
 人力車でラトゥールと田畑を送る清さんに、妻の小梅が声をかけます。
「あんた、日本一」
 そして人力車に乗っていたラトゥールが金栗を見たと言い出します。
「何いってんの。金栗は熊本です」
 と取り合わない田畑。
 しかしそれは金栗四三その人だったのです。

 

『映画に溺れて』第157回 親指スターウォーズ/親指タイタニック

第157回
親指スターウォーズ/親指タイタニック

平成十二年四月(2000)
渋谷 シネセゾン渋谷

 親指の先、指紋のある腹の部分にCGで顔を描く。カツラを被せ、服を着せ、この人間の指を使った指人形で『スターウォーズ』と『タイタニック』の物語を再現したのが『親指スターウォーズ』と『親指タイタニック』である。
 親指なので、後ろ姿には爪が見える。
 ただそれだけのアイディアなのだが、よくまあこんなこと思いつくものだ。しかも、実際に作品として完成させてしまうなんて。
『親指スターウォーズ』では、親指のルーク・スカイウォーカーと親指のダースベーダーが対決する。拷問具は爪切りだった。
『親指タイタニック』では、ジャックが船に乗る直前、港で賭事をするシーン。親指なので、カードではなく、指相撲だった。親指のジャックと親指のローズがタイタニック号で恋に落ちる。船の舳先の場面もあり。
 どちらも三十分弱。一時間で二本分のダイジェストを見た気分。
 アイディアが勝負だから、後は続かないだろうが。見て得した珍品だった。
 シネセゾン一館のみの上映だったからか、客席はけっこう混んでいて、好きな人がたくさんいるんだなあ。と感慨を催したことを思い出す。

親指スターウォーズ/Thumb Wars: The Phantom Cuticle
1999 アメリカ/公開2000
監督:スティーヴ・オーデカーク
声の出演:スティーヴ・オーデカーク

親指タイタニック/Thumbtanic
1999 アメリカ/公開2000
監督:スティーヴ・オーデカーク
声の出演:スティーヴ・オーデカーク

 

『映画に溺れて』第156回 クイーンコング

第156回 クイーンコング

平成十三年十月(2001)
渋谷 シネクイント

 

 一九三三年の『キングコング』はその後、続編が作られたり、リメイクされたり、アニメになったり、日本でゴジラと戦ったり、いろんな形で作られ続けているが、一九七六年にディノ・デ・ラウレンティスの製作、ジョン・ギラーミン監督でのリメイクが作られた際、それにそのままあやかった低予算のB級作品が『クイーンコング』である。
 主演のロビン・アスクウィズはイギリスの三流艶笑コメディ『どっきりボーイ』シリーズに主演していた。
 女流映画監督がアフリカで映画の撮影を企画する。ロンドンの下町でケチな万引きをしている頭の弱そうな青年をスカウトし、無理やり船に乗せてアフリカまで連れて行く。撮影隊は全員女性。船の乗組員もみんな女性。アフリカの小国も変な片言をしゃべる女王が支配するアマゾンの女性国。女王はミスコンテストの女王の扮装。アフリカなのに住民は水着の白人美女ばかりというお色気路線。
 ここで、密林の神への生け贄として青年が選ばれ、巨大な雌のゴリラ、クイーンコングにさらわれる。コングは着ぐるみに人間が入ったもの。途中で格闘する恐竜など、ほとんど張りぼて。このチャチさは、低予算を逆手に取った洒落だと思う。撮影隊が青年を助け出し、コングを生け捕りにして、ロンドンへ連れ帰る。
 オリジナル通りの見世物の場。王室から女王陛下もクイーンコング見物に列席。観客の汚い野次に怒ったコングが鎖を引きちぎって暴れだし、エンパイヤステートビルではなく、ロンドン塔へ昇る。そして、最後はコングへの愛情を確認した青年と共に故郷のアフリカへと帰ってめでたし。
 オリジナルストーリーの男女を逆にしただけの安直さ。
 日本語吹き替え版での上映で、声が懐かしい広川太一郎
 少々悪乗りだが、わざわざこのような映画を作った努力は好ましい。

 

クイーンコング/Queen Kong
1976 イタリア・イギリス/公開2001
監督:フランク・アグラマ
出演:ロビン・アスクウィズ、ルーラ・レンスカ

『映画に溺れて』第155回 日本以外全部沈没

第155回 日本以外全部沈没

平成二十四年二月(2012)
大森 キネカ大森

 

 小松左京のSF小説『日本沈没』がベストセラーとなった一九七三年、現実のオイルショックと重なり、世間は不安ムードにおおわれた。なにしろ、活断層の影響で日本列島が海に沈んでしまうのだから。それまでの高度経済成長、植木等のサラリーマンがすいすいと出世していくどこまでも上向きの泰平の世に翳りが見え始めた時期である。
日本沈没』は本が出版されるや、すぐに映画も公開となり大ヒット。受験生だった私は、日本が沈没してなくなれば受験もなくなるのに、などと不埒なことを考えてみたり。
 小説『日本沈没』には、小松左京本人が承認のパロディがあり、それが『日本以外全部沈没』で、書いたのが筒井康隆
 オリジナルは日本だけが沈没して、生き残った日本人が難民になるのだが、筒井康隆のパロディでは日本だけが残って、アメリカもヨーロッパもアジアもアフリカもオーストラリアも、全部海に呑まれてしまう。世界各国の難民がノアの箱舟のごとき日本に押し寄せるという凄まじさは、小松左京のオリジナルよりはるかに荒唐無稽である。
日本沈没』はベストセラーになって、すぐに映画化されたが、『日本以外全部沈没』はベストセラーにもならず、永らく映画化もされなかった。
 ところが、二〇〇六年に本家の『日本沈没』がリメイクされると、それに合わせて『日本以外全部沈没』も映画化。快挙というか、便乗というか。
 ポスターを目にしたときは、びっくりした。絵柄も文字のデザインもほとんど『日本沈没』と同じ。一瞬、錯覚かと目をこすったほどだ。低予算の便乗映画、いやいや、このわざとらしい露骨さは立派なジョークであると私は思う。
 私が観たキネカ大森での『日本以外全部沈没』、驚いたことに一九七三年版の『日本沈没』との豪華二本立てだった。キネカ大森という映画館もすばらしい。

 

日本以外全部沈没
2006
監督:河崎実
出演:小橋賢児柏原収史松尾政寿土肥美緒、ブレイク・クロフォード、キラ・ライチェブスカヤ、デルチャ・ミハエラ・ガブリエラ、松尾貴史、デーブ・スペクター、筒井康隆黒田アーサー、中田博久、寺田農村野武範藤岡弘