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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第34回 226

 昭和11年(1936)2月26日。雪道を踏みならす軍靴の音が、赤坂表町に向かっていました。首都を震撼させた226事件が起こったのです。陸軍の青年将校が兵を率い、首相や教育総監を殺害しました。警視庁も占拠されます。
 田畑政治阿部サダヲ)が出社した朝日新聞社も混乱していました。号外を出そうとするも、内務省から一切の記事を差し止めろとの命令を受けます。そして社内に兵隊たちが突入してくるのです。皆に銃を向け、将校が「一番偉い人に合わせろ」といってきます。政治部長緒方竹虎(李リ・フランキー)が、自分が行くといいます。
 緒方と対面した青年将校は、拳銃を取り出します。相手の懐に入り、撃たれるのを回避する緒方。青年将校はいいます。
高橋是清天誅を下してきた」そして拳銃を振り上げて叫びます。「国賊新聞をたたき壊すのだ」
「ちょっとまってくれ」と、緒方は止めます。「中には、社員はもちろん、女子供もいる。まずはそれを出す」
 将校は待ちます。田畑が抗議している間、待ちきれなくなった兵隊がなだれ込んできます。オリンピックの写真を踏みつけられた田畑は怒って、兵隊にしがみつきます。そして銃把で殴られることになるのです。
 前代未聞のクーデター事件に、政府は報道を差し止め、新聞もラジオも事件を伝えられずにいました。第一報は、事件発生から十五時間が経った午後八時半に行われました。首都機能が占拠されるという事態を受け、政府は戒厳令を敷きました。反乱軍は29日に投降しましたが、依然、東京は厳戒態勢のままでした。
 そんなとき、IOC会長のラトゥールが、サンフランシスコを出航したという知らせが田畑のもとにもたらされます。一週間後、横浜に着くことになっていました。
 田畑は嘉納たちのいる東京市庁舎に向かいます。途中、検問を張っている兵隊たちに出会います。
 田畑がやってきてみると、嘉納治五郎役所広司)は張りきっていました。
「ラトゥールが来るんだぞ。ベルギーから。東京でオリンピックを開催できるか否か、IOC会長みずから品定めに来るんだぞ」
 これにはさすがの田畑も怒ります。
戒厳令ですよ。剣付き鉄砲構えた兵士がそこらじゅうに突っ立ってにらんでやがる。いつ反乱軍と鎮圧軍でいくさが始まるか、民間人が巻き込まれるかもわからない。そんな東京でお祭りですか。こんな時にオリンピックですか」しかし田畑は部屋に下がっている日の丸とオリンピックの旗を見ていうのです。「でもやりたい」そして嘉納を振り返ります。「だから加納さん。あんたが本気ならついていく。どうなんだよ。やれんのかよ」
 嘉納は静かにしゃべり始めます。
「やれるとかやりたいとかじゃないんだよ」立ち上がって机を叩いて叫びます。「やるんだよ」田畑もその迫力に押されます。「そのためなら、いかなる努力も惜しまん」
 田畑はうなずきます。大声を出します。
「よーしわかった。やりましょう。今後一切、後ろ向きの発言はしません」
 外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)の手腕により、ムッソリーニにオリンピックの開催地を譲ってもらう約束をした日本。しかしIOC総会にて杉村が強硬にそれを主張した結果、IOC会長のラトゥールを怒らせることになってしまったのです。今回はラトゥールを東京に招き、謝ると同時に接待して機嫌を取ろうという作戦でした。歌舞伎や角力も見てもらって、神宮外苑競技場を視察してもらいます。戒厳令下の東京を横断することになります。これには専用の車を用意する必要があります。抜け道にくわしい運転手も。
 ついにラトゥールが来日し、はしゃぐ嘉納たち。杉村はラトゥールに謝罪しようとしますが、ラトゥールは固い表情のままです。ラトゥールは記者たちに聞かれます。このたびの訪日のご用件は。ラトゥールはいいます。1940年のオリンピック大会を東京で出来るかどうか見極める。
 嘉納は元人力車夫の清さん(峯田和信)を手配していました。清さんの妻の小梅(橋本 愛)も駆けつけています。戒厳令下の東京を人力車で案内するという作戦でした。田畑もそれについていくことになります。一行は隅田川ぞいを桜を見ながら新橋方面に流し、歌舞伎を鑑賞して芝の料亭で会食します。そしてラトゥールは神宮外苑競技場にやってきます。嘉納が説明します。(競技場が)ほぼ完成というときに関東大震災が起こり、ここも避難所として、一時期、東京市民に開放した。
アントワープの大会は、実に素晴らしかった」嘉納はいいます。「戦争で痛手を受けた街で、あえて開催したあなたの決断に、感銘を受けた」
 清さんの引く人力車に乗ってラトゥールと田畑は出発します。近道の路地に入ると、ラトゥールは子供たちの遊ぶ様子に興味を示し、人力車を降りるのです。子供たちは馬跳びやゴム跳びに加え、オリンピックごっこを行っていました。感激して
「オリンピック」
 の声を出すラトゥール。
 その頃、熊本では金栗四三が義母の幾江(大竹しのぶ)や妻のスヤ(綾瀬はるか)に話をしていました。嘉納治五郎から、東京にオリンピックを呼ぶ力になってくれとの手紙が来た。幾江はいいます。
「そぎゃん行きたかなら、行ったらよか。そんかわり、りっぱに、きっちり成し遂げてこい。国ばあげてのお祭りやけん」
 ほっとして四三はいいます。四年後の大会を見届けたらすぐに帰ってくる。まあ、俺なんか留守にしても寂しくないだろうし。それに対し、幾江は怒っていいます。
「寂しくなかとはどぎゃんこつか」
 寂しくないわけがない。なぜそんな他人行儀な冷たいことをいうのか。自分はせがれに死なれている。四三は生みの親を亡くしている。もうほかに頼るものもいない。もう親子になるしかないではないか。もう観念しろ。腹をくくって息子らしくしろ。四年もいなかったら寂しい。四三はそれを聞いて涙を流します。
「俺も寂しか」
 と、四三は思わず幾江に抱きつくのです。
 東京で嘉納は、ラトゥールに柔道を指導しています。近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵との思い出を語ります。いずれ極東にもオリンピックを、と嘉納はクーベルタンにいいます。いくらなんでも遠すぎる、と、クーベルタンは笑いました。
「だがあなたは来た」柔道場で嘉納はラトゥールにいいます。「船酔いに耐え、極東まで。それだけでも感謝している」
 嘉納は一緒に柔道を行っていた杉村を呼びます。杉村に訳すようにいって話し始めます。
「そもそもムッソリーニを説得せよと命じたのは私だ。道に反することをした。あなたの顔に泥を塗った。それについては謝る。この通りだ」
 嘉納はラトゥールに手をついて頭を下げるのです。杉村も共に謝ります。嘉納は語ります。
「ご覧いただいたように、東京にはオリンピックを開催する条件がそろっている。国民の関心度も高い。それなのに、ヨーロッパから遠いというだけで、これまで見てもらうことすらかなわなかった」嘉納はラトゥールを見上げます「正攻法では間に合わんと踏んで、禁じ手を使った。すまん」
 再び嘉納は頭を下げます。最高の、アジア初の、歴史に残る、平和の祭典にしてみせる。約束する。と、嘉納は言い切るのです。そして「よい返事を待っています」との言葉を残して去って行くのです。その後で杉村はIOC委員を辞任することをラトゥールに告げます。私の願いは、東京にオリンピックを招致すること。そのためには喜んで身を引きます。
「ローマが降りたのは、杉村さんの功績です」去って行こうとする杉村に田畑は声をかけます。「お疲れ様でした」
 視察際最終日になりました。ラトゥールは記者に囲まれます。
「この国では、子供でさえもオリンピックを知っている。戒厳令の街で、子供たちはスポーツに夢中だ。オリンピック精神が満ちている」そしてラトゥールはこう結びます。「オリンピックはアジアに来るべきだ」
 人力車でラトゥールと田畑を送る清さんに、妻の小梅が声をかけます。
「あんた、日本一」
 そして人力車に乗っていたラトゥールが金栗を見たと言い出します。
「何いってんの。金栗は熊本です」
 と取り合わない田畑。
 しかしそれは金栗四三その人だったのです。