大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第32回 独裁者
水泳総監督の田畑政治(阿部サダヲ)が全種目制覇を目標に挑んだロサンゼルス・オリンピック。すべておいて勝利することは出来ませんでしたが、日本は金、銀、銅合わせて十八個のメダルを獲得し、大活躍を見せました。
帰国した選手たちは人々から熱狂的に迎えられます。日比谷公園で行われた大市民歓迎会に招かれたのですが、その控え室で事件は起こりました。東京市長の永田秀治郎(イッセー尾形)が前畑秀子(上白石萌歌)に声をかけます。
「あなた、なぜ金メダルを穫ってこなかったんだね」あっけにとられる前畑。永田は続けます。「たったひとかきだよ。たった十分の一秒の差で二着になったそうじゃないか。なぜ一着じゃないんだね」
それを聞いた田畑は怒ります。
「だったらあんたが泳いでみればいい」田畑は永田に詰め寄ります。「前畑君は苦しんで、苦しんでもぎ取ったんだ、銀メダルを。その上、十分の一秒縮めて金メダルを穫れだと。そんなことがよく言えるな」
田畑を止めに入るかに見えた大日本体育協会会長の岸清一(岩松了)も言います。
「永田さん。これはたたえる会じゃないのかね。選手の健闘を」謝る永田にかまわず岸は続けます。「いいか、国を背負って戦っている者は、選手も、我々役員も、命がけなんだよ」
永田は、申し訳なかったと前畑に謝ります。その上で言うのです。
「ただね、期待してたのはね、私だけじゃないんだ。全国民がね、君を応援してたんだよ。だから、悔しいんだよ。わかってくれ」
その言葉を裏付けるように、寄宿舎へ帰ると、前畑に対し、全国から激励の手紙が山ほど届いていました。「悔しい」「四年後のベルリンでは金メダルを」。まるで自分が泳いで負けたような内容でした。前畑は悩みます。
「わからへん。どないしたらええんよ」
チームメイトの小島一枝(佐々木ありさ)が言います。
「あのつらい練習を、あと四年続けても、勝てる保証ないないもんな」
前畑は驚きます。
「四年もって、うち二十二よ。女でそんな歳まで泳ぐなんて阿呆よ。そやなかったらカッパや。カッパの秀ちゃんやわ」
前畑は手紙の束をベッドにたたきつけるのです。同じくチームメイトの松澤初穂(木竜麻生)が慰めます。
「そやけど自分の人生やもの。最後は自分で決めなね」
そんな前畑を心配し、死んだ父と母が夢枕に立ったのです。二人は声をそろえて言います。
「あと十分の一秒やったのにな」
前畑は父と母に聞きます。自分は悔しいのだろうか。それさえ前畑はわからない状態でした。母が言います。
「いったんやり始めたことは、途中、やめたらあかん」
「銀メダルって途中なん」
と、聞く前畑。それにうなずく父と母。
目覚めた前畑は決意します。
「やらな」
誰もいないプールに行って水をかぶる前畑。悔しい、悔しい、と叫び続けます。その叫びは、勝つんだ、穫るんだ、に変わっていきます。そして
「金メダル」
と声を上げて水に飛び込むのです。
銀座にある大日本体育協会(体協)本部では、協会主事の野口源三郎(永山絢斗)と田畑が卓球をしながら話していました。
「なんか違う気がするんだよなあ」
と、田畑は言います。日本人がスポーツに関心を持ち、熱狂するのはいいことだ。しかしなんか違和感を覚える。
「ぜいたくな悩みだなあ」と、野口は言います。「金栗さんや私の時代の悩みは、日本人がスポーツの意義を理解してくれないことだった。かけっこごときで洋行するのかと、国も民衆も鼻で笑った。スポーツで国を明るくするなんて、俺たちにそんな力があるなんて思いもしなかった。それを成し遂げたんだ」そして野口は田畑の手を握り言うのです。「ありがとう」
そこへ会長の岸清一がやってきます。天皇陛下に拝謁し、ロサンゼルス・オリンピックの成果を報告し、ドイツがオリンピックを返上するだろうから、東京でオリンピックが開かれるだろう、という見通しを述べてきたところでした。
しかし岸会長の読みは甘かったのです。ドイツのヒトラーは首相に就任すると、前言をひるがえし、ベルリンでオリンピックをすることにしたのでした。
「話が違うじゃないか」
と、陸上総監督の山本忠興に当たり散らす岸会長。申し訳ございません、と、謝る山本。
「なんなんだよ、ヒトラーは」
岸会長は怒りが治まりません。山本が説明します。ナチスの宣伝将、ゲッペルスの助言によるもので、オリンピックを利用してドイツを世界の一流国として認知させるのがねらいのようだ。そしてオリンピックの東京招致に力を尽くしていた東京市長の永田秀治郎は、部下の汚職の責任をとらされ、辞任してしまいました。
体協に新しい人物が現れます。嘉納治五郎(役所広司)の弟子で元国際連盟事務次長の杉村陽太郎(加藤雅也)です。
昭和八年(1933)の二月。にジュネーブで行われた国際連盟総会にて、満州事変に関して世界各国から糾弾された日本は、国連を脱退しました。これによって杉村も職を失うこととなりました。
体協の席で杉村は発言します。
「日本が国際社会で孤立しつつある今、オリンピックの東京招致は名誉挽回の好機です」
ベルリンの次の最有力候補地ローマは、イタリアの独裁者ムッソリーニが指揮をとり、巨大なスタジアムを完成しつつありました。日本は満州事変を世界中から非難され、国連を脱退。東京オリンピックの可能性は低いと言わざるを得ませんでした。
朝日新聞社では、夜になってから田畑がオリンピックの回顧録を書き始めていました。その田畑に夜食を差し入れてくれる女性がいたのです。それが毎日続くので、お返しに田畑はロスの思い出話を語ります。しかし彼女は全く楽しそうではないのです。それなのに田畑が社を出るまで帰ろうとしません。酒井菊江(麻生久美子)という名でした。
田畑はお見合いをすることになっていました。それを断ろうと考えます。写真もろくに見ていないのでした。断ることを上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)に告げてから、お見合いの写真を見てみます。それは酒井菊江その人でした。緒方が菊江と話すところに割り込む田畑。
「結婚しよう」
と、菊江に言います。
こうして田畑は酒井菊江と結婚することになったのです。社内で祝福を受ける二人。その余興で出てきたのが、後の古今亭志ん生である美濃部孝蔵でした。酒に酔っています。孝蔵はお座敷や結婚式の余興などで、どうにか食えるようになっていました。師匠連中や売れっ子が嫌がって出ないラジオにも、たびたび出演するようにもなっていました。
嘉納治五郎はウィーンで開かれたIOC総会に出席します。
体協の岸会長はぜんそくの発作で入院していました。その岸の元に、杉村が朗報を持って訪れます。ベルリンの次のオリンピック候補地が、東京、ローマ、ヘルシンキにほぼ絞られたというのです。二年後にノルウェーの首都、オスローでのIOC総会で投票が行われます。岸はその総会でのスピーチを頼まれます。
しかしそれを果たすことなく岸会長は亡くなってしまうのです。
翌年にアテネで開かれたIOC総会に出席して帰国した嘉納は、いつになく悲観的でした。
「このままでは東京は、はなはだ望み薄であると言わざるをえん」
ローマの設備は整いつつありました。大理石の競技場は完成間近で、道路の整備も進んでいます。新しい東京市長の牛塚虎太郎(きたろう)が体協の席で発言します。
「やはりムッソリーニが。独裁者がいると仕事が早いね」
田畑は意見を聞かれ、しゃべり始めます。
「誰のためのオリンピックか、って話じゃんねー。ムッソリーニもヒトラーもいないんだから日本には」田畑はしゃべり続けます。「何期待してるの、オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで騒いで、それでおしまい。平和だよねえ。政治がどうの軍がどうの国がどうの。違う、違う。簡単に考えましょうよ」
それを聞いて思いついたのか、嘉納が言います。
「譲ってもらうって言うのはどうだ」あっけにとられる皆。「ムッソリーニにオリンピックを」嘉納は続けます。「そら簡単にはいかない。そらムッソリーニも一生懸命だ。だが、直接会って、理由を話して、譲ってくださいって頼んだら、案外譲ってくれんじゃないかな」
これに対して、杉村が意外にも賛同します。
「ムッソリーニを口説き落とせば、大逆転できる」
嘉納は大乗り気です。
「よし決まった。ムッソリーニに直談判だ」
そして嘉納は田畑に命じます。日本の魅力を世界に伝える写真集を作れ、と。嘉納は説明します。
「これまでヨーロッパを巡ってつくづく思い知らされた。彼らは日本を知らない。言葉も通じない。だから、目に訴えるんだよ。日本の魅力をふんだんに盛り込んだ写真集を作って、IOC委員に配るんだよ。ここでオリンピックやりたいなあって、その気にさせるんだよ」
田畑は仲間たちと懸命に編集作業を行います。そして完成した写真集には、神宮競技場、神宮プールはもちろんのこと、富士山や京都など、景勝地の写真もありました。
写真集は嘉納にほめられます。
「これさえあれば鬼に金棒。まずローマにおもむき、ムッソリーニを説得し……」
と言いかけて立ち上がった嘉納は、うめき声をもらすのです。写真集を手から落とします。