日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第38回 長いお別れ

 昭和13年(1938)。日本スポーツ界は嘉納治五郎役所広司)という大黒柱を失いました。
 田畑政事(阿部サダヲ)は、生前の嘉納から、ストップウォッチを託されていました。そのストップウォッチは動いていたのです。
 嘉納の棺に、元人力車夫の清さん(峯田和伸)が駆け寄ります。
「おい、なんだよ。俺たちにオリンピック見せてくれるんじゃねえのかよ」
 皆は車に積まれた嘉納の遺体が出発するのを見守ります。田畑はポケットから、ストップウォッチ出して見入るのです。
 時は昭和36年(1961)に移ります。五りん(神木隆之介)が病室で、昔、父親が満州から送った絵はがきを眺めています。
志ん生の『富久(とみきゅう)』は絶品」
 と、書かれています。その志ん生は、五りんのそばで寝ています。読売巨人の祝勝会に呼ばれ、その余興の席で倒れてしまっていたのでした。
 舞台は再び昭和13年に戻ります。田畑は嘉納をしのぶ酒の席で吐き捨てます。
「ずるいよ、まったく。さっさと死にやがって」田畑は立ち上がって叫びます。「やりゃあいいんでしょう。嘉納治五郎が、いかに偉大で、めんどくさかったか、証明してやりますよ」
 と、田畑は皆にストップウォッチを見せつけて、席を立つのです。
 田畑は、オリンピック東京大会組織委員会で張りきります。聖火リレーのコースを説明します。しかし陸軍次官は「聖火」ではなく、「神火」を提案します。出雲大社伊勢神宮などを巡り、明治神宮を目指そうというのです。東京市長は駒沢競技場の建設を提案します。しかしそれには鉄骨が足りません。兵器製造には、鉄が何より貴重なのです。陸軍次官はいいます。
「いっそ、木でつくったらいかがですかな」
 委員会が終了し、田畑や福島正道(塚本晋也)が話していました。福島は、IOC総長のラトゥール氏から手紙が来たことを知らせます。それによると、イギリスとフランスが、東京オリンピックの正式ボイコットを申し出たということでした。
「返上しよう」
 と福島はいいます。福島は総理大臣に電話をしようとします。直談判して、政府による中止決定に持っていこうとします。田畑はあわててその電話を押さえます。福島はいいます。すべては私の独断。黙認してくれるだけでいい。田畑はいいます。
「やらないってことはゼロじゃんねー。何も学ばない。何も残らない。招致の苦労も水の泡。あんたが熱出してぶっ倒れて、ムッソリーニに会ってまた倒れて、それも無駄。いいのかなあ。加納さんはやって欲しいんじゃないのかなあ。俺はいいけど嘉納はどうかなあ」
「加納さんはもういません」
 という福島に対して、田畑はストップウォッチを出して見せます。
「いるんだよ、ここに。動いてるんだよ、ストップウォッチが。気持ち悪くないかね。腰の曲がったじじいがよ。手ぶらでエジプト行って、年下の西洋人にぼろくそ言われてつるし上げられて、それでも守り通したオリンピック」田畑は福島にストップウォッチを突きつけます。「いいのかな、止めちゃって」
 福島は穏やかに田畑にいいます。
「それは君が持っていたまえ。機が熟せば、いつかやれるさ。東京オリンピック
 福島は受話器を取ります。田畑はそれを止めることが出来ませんでした。
 こうして7月14日。政府はオリンピックの中止を決定するのでした。福島はラトゥールに手紙を書いています。
「親愛なるラトゥール伯。日本中で、最も評判の悪い男になる危険を冒して、東京オリンピックの中止を政府に働きかけました。総会の席上、私の両隣には、誰も座ろうとしなかった。売国奴、非国民と罵られても、私は自分の取った行動を後悔してはいない。返上が半年遅れたら、どの国でも開催できない」
 田畑は神宮の競技場に来ていました。金栗四三中村勘九郎)が走るのを見つけて声をかけます。金栗は手をあげて、応え、走り去ります。田畑は走って金栗の前に立ちふさがります。
「もう走らんでいい。金栗さん。頼む。走らんでくれ」
 金栗は田畑のいおうとすることを察します。しかし弟子の小松 勝(仲野太賀)にはどう言ったらいいのかと田畑に問う金栗。田畑は走っている小松に向けて叫びます。
東京オリンピックは中止だ。おしまい」
 あきれて田畑を見る金栗。田畑と金栗は、小松のところに走ります。しかし小松にそれほど失望した様子は見られません。東京でオリンピックが行われなくても、次に行われることが濃厚な、ヘルシンキの大会に出場すればいい。
 田畑は仕事先の朝日新聞社で、オリンピック中止の記事を書き記します。そして嘉納の遺品であるストップウォッチを叩き壊そうとするのです。しかし田畑は手を止めます。そっと動いたままのストップウォッチを引き出しにしまうのです。
 舞台は再び昭和36年の病室に移ります。志ん生は意識を取り戻していました。オリンピックを題材に落語を披露している五りんは、ハリマヤスポーツと名を変えた、ハリマヤ製作所をたずねて取材を行っていました。そこで五りんの父親がオリンピックを目指していたこと、しかし兵隊にとられ、満州に行くことになったことなどを聞いてきました。五りんの父親は、満州で亡くなっていたのです。志ん生はその頃、慰問で満州に行っていました。当時の様子を聞こうとする五りん。志ん生はとぼけます。
 1939年(昭和14年)、ナチス・ドイツ軍はポーランドに侵攻。これに対し、イギリス、フランスが宣戦布告し「第二次世界大戦」が勃発します。もはや世界中が戦争当事者となったのです。
 金栗は小松に話しかけます。これからどうする。ヘルシンキ大会もおそらく中止だ。熊本に帰ったらどうか。小松は帰ろうとはしません。金栗の妻スヤ(綾瀬はるか)が、小松が帰らない理由は、オリンピックだけではないと言い出します。
「ねえ、リクちゃん」
 と、スヤはスホーツを愛したシマの娘、リク(杉咲 花)に呼びかけます。リクはミシンを踏みながら動揺します。いたたまれなくなった小松は、走りに外へ飛び出すのです。
「リクちゃん。行かんでよかと」
 と、スヤはリクの肩に手をかけます。リクも外に飛び出し、自転車で小松を追うのです。リクは小松に追いつきます。小松は叫びます。
「リクちゃん。俺と一緒になってくれんね」
 リクは無言で自転車をこぎます。坂を走り下っていくのでした。
 こうして小松とリクの祝言が行われることになりました。
「で、次の年、僕が産まれました」というのは昭和36年の五りんです。「東京にオリンピックが来るはずだった、昭和15年、秋」
 五りんの本名は「金治」でした。「金」は金メダルからとったのか、金栗からとったのか。「治」は嘉納治五郎の文字をもらったものだと思われました。
 昭和16年12月8日。日本軍の真珠湾攻撃により「太平洋戦争」が始まります。
 昭和18年になると兵力不足が深刻化し、大学生までもが徴兵対象となります。学徒出陣です。小松も戦争に行くことになります。
 出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれます。オリンピックを呼ぶために、嘉納治五郎が建設したスタジアムから、学生が戦地へと送り出されたのでした。
 田畑もそのスタジアムにいました。オリンピック反対論を唱えた、元同僚の政治家、河野一郎桐谷健太)を見かけます。田畑は河野を追い、肩をつかんで振り向かせます。
「これで満足かね。河野先生」言葉の出ない河野に向かって田畑はいいます。「俺はあきらめん。オリンピックはやる。必ず。ここで」