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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第37回 最後の晩餐

 元は朝日新聞記者で今は議員の河野一郎桐谷健太)が、国会で発言していました。
「一触即発の日中関係と平和の祭典。国防費のためにと、国民に我慢と緊張を求める一方で、オリンピックというお祭りを開催するという。この相反する二つに対して、国民に説明できないのであれば、この国でオリンピックを開催する資格はない」
 1937年7月7日。北京、盧溝橋で起きた日本軍と中国軍の衝突をきっかけに、日本と中国の全面戦争が始まりました。
 戦争が始まってもオリンピック開催の準備は進められたのですが、東京大会組織委員会は紛糾していました。
 田畑政治阿部サダヲ)は河野一郎とバーで飲んでいました。河野はいいます。
「陸軍次官や文部次官を組織委員に招いたのは嘉納(役所広司)さんだっていうじゃないか。どうしちゃったんだいあの人は。オリンピックを利用しようとしているんじゃないのか。ヒトラーがヘルリンでやったように」
 田畑は怒って河野に酒をかけます。
ヒトラーなどと比べて語るんじゃないよ、加納さんを」田畑は河野に向き直ります。「ちゃんとわかっているんだよ、あの人は。今、この日本でオリンピックをやるには、軍や政府を巻き込まなくちゃ駄目だって」
 場面は、金栗四三中村勘九郎)が東京の街に立っているところに変わります。金栗は熊本から妻子がやってくるのを待っていたのです。日の丸を持った行列に驚く金栗の妻のスヤ。東京オリンピックの前祝いなのかと問います。金栗は答えます。
「いや、志那事変の祝賀行進ばい」
 日本の勝利を信じて疑わない人々は、出征していく兵士を、万歳で送り出します。この時はすぐに片がつくと、誰もが思っていたのです。しかし八月になっても、戦火は終息するどころか、拡大する一方でした。
 IOC委員の福島道正(塚本晋也)は独断で、近衛文麿首相にオリンピック開催の危機を訴えます。
「政府が本気で大会を支持してくださるなら、補助金として、五百万円を上乗せしていただきたい。それが不可能なら、大会中止。すなわち、返上もやむを得ません」
 しかしこの話し合いが新聞記事になってしまったのです。
「福島氏が返上を示唆」
 嘉納治五郎は当然、激怒します。しかし福島は組織委員会で発言するのです。
「無理なら無理と早期に判断し、お返しする。せっぱつまって返上ということになれば、どの国でも開催は困難になり、日本は、永久にオリンピックに参加できなくなる」福島は立ち上がります。「今こそ、名誉ある撤退を」
 しかし嘉納はそれを認めません。
 田畑は水泳選手たちが練習するプールを訪れました。選手たちに気合い手を入れるはずの田畑。少しよろしいでしょうか、と、若手選手に話しかけられます。宮崎康二(西山 潤)がいいます。
「田畑さん。僕たちは、泳いでいていいのでしょうか」
 小池礼三(前田旺志郎)もいいます。
「いとこが出征しました。たいして歳も変わらないのに。それ以来、練習しててもなんだか後ろめたくて」
 皆が田畑の言葉を待ちます。本当にオリンピックは来るのかと、疑う気持ちが選手たちに芽生えていたのでした。田畑は叫びます。
「来るよオリンピックは」田畑はプールの端に立ちます。「そのオリンピックで、全種目制覇してメダル取るんだよ、お前たちは。泳げほら」
 しかし選手たちは練習に身が入らないのです。
 河野一郎が国会で発言しています。
「万歳の声を背中に聞きながら、中国へ多くの若者が出征していく。一方において、派手なユニフォームを着て、跳んで回っている青年がいる。何が精神総動員か。オリンピックなど一刻も早く返上すべきです」
 田畑が朝日新聞社に帰ってみると、金栗四三が押しかけていました。河野一郎を探します。河野はとっくに社をやめています、と金栗に話しかける田畑。金栗は振り返っていいます。
「田畑さん。東京オリンピックやらんとですか」
 田畑は答えます。
「そういう声が、国内外で出ているのは事実です」田畑は慌てて続けます。「だが安心してください。絶対やります。やりますとも。返上など嘉納先生の目の黒いうちは……」
 田畑の言葉をさえぎって金栗はしゃべります。ストックホルムの次のベルリンの大会。自分は絶好調だった。世界記録を出して、メダルも期待されていた。しかし嘉納に告げられた。
「オリンピックは中止だ」
 金栗は話し続けます。
「今度の戦争。日本は当事者ばい。ドンパチやってる国で平和の祭典。矛盾しとる」
「記者の私も矛盾を感じております」田畑は話し始めます。「返上、反対、絶望。大陸の地図を見て、中国に何千何百の兵を送り込んだという記事を書くかたわら、同じ地図を見て、聖火リレーのコースを考えておる。夢と現実が入り交じって、こらもー。矛盾」
 金栗は自分が選手を育成していることをいいます。
「田畑さん。はしごば外される選手の気持ち、わかりますか。明日の目標ば失った選手の悲しみ。田畑さんならわかるでしょう」
 田畑は金栗の手を握ります。
「スポーツに矛盾はつきものだよ。なぜ走る。なぜ泳ぐ」田畑は朝日新聞社の皆にも訴えます。「答えられん。でもそれしかないじゃんねー」田畑は金栗を見ます。「あんたも俺もオリンピックしかないじゃんねー。戦争で勝ちたいんじゃない。マラソンで勝ちたい。水泳で勝ちたいんだ」
 12月。日本軍が南京を占領。さらに戦争に突き進む日本は、世界から非難を浴び、孤立を深めていきます。
 オリンピック東京開催を疑問視する声が世界中で高まる中、嘉納はエジプトのカイロで開かれるIOC総会に出席しようとしていました。神宮競技場を見回しています。そこに田畑がやってきました。嘉納は田畑にいいます。
「必ず開催できるという信念のもと、正々堂々、押し切ってみせる」
 田畑は嘉納に土下座して訴えるのです。
「この通りです。加納さん、返上してください」田畑は首を振ります。「駄目だ。こんな国でオリンピックやっちゃ、オリンピックに失礼です。わかります。この期に及んでこれほどみっともないことはない。しかし、それができるのは加納さん、あなたしかいません」
「オリンピックはやる」
と、嘉納は言い切ります。田畑は立ち上がります。
「今の日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか」
 田畑は説明します。嘉納が引き下がる潔さを見せれば、戦争が収まった後、もう一度オリンピックを招致できる。田畑は涙を流します。
 嘉納はカイロのIOC総会に来ていました。各国に責められます。国際連盟が認めていない国を参加させるのか。いつまで戦争を続けるんだ。競技場はどうなった。聖火は。補助金は。嘉納は何も答えられませんでした。嘉納は立ち上がり、委員たちに英語で話しかけます。
「返す言葉もありません。全く情けない限りですが、30年、IOC委員である私を、信じていただきたい。オリンピックと政治は無関係。証明して見せます。東京で。信じてください」嘉納は親指で自分を指していいます。「ジゴロー・カノー」
 委員たちは静まりかえります。嘉納はIOC総長に深く頭を下げるのです。
 こうしてオリンピックの東京開催があらためて承認されることとなったのでした。
 カイロから嘉納は帰国の途につこうとしていました。カナダのバンクーバーから船に乗ります。その嘉納に話しかける者がいました。外交官の平沢和重(星野 源)です。平沢は嘉納と同じ船に乗ることになります。
 船に乗り込んで数日後、嘉納は風邪をひいてしまいます。疲れが出たのか、ずいぶんと弱ってしまいます。
 少し回復した可能は、船長にお茶会に招待されます。嘉納は上機嫌で皆に話しかけます。人生で一番面白かったことを、話し合おうというのです。嘉納は平沢に自分のことを話し始めます。やはりオリンピックに関することばかりでした。最初にオリンピックに参加しようとしたとき、羽田で予選をやったときのこと。ストックホルム・オリンピックの開会式で行進したこと。ロサンゼルス・オリンピックで日の丸が連日のように揚がるのを見たこと。しかしどれも一番ではないというのです。
「一番は、東京オリンピックではないですか」
と、平沢がいいます。嘉納は思わず平沢を指さします。
「そこだよ、そこ。これから、一番面白いことをやるんだ。東京で。本当に出来るのかって眉をひそめてぬかしよった西洋人どもを、あっといわせるような」加納は咳をします。「みんなが驚く。みんなが面白い。そんなオリンピックを、見事にやってのける。うん。これこそ一番」
 そして加納治五郎は、太平洋上で帰らぬ人となったのです。享年七十七。
 横浜港に、加納の遺体が帰ってきます。駆けつける田畑。田畑は平沢から、加納からとストップウォッチを渡されるのです。
 加納の棺はオリンピックの旗に包まれるのでした。