日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第33回 仁義なき戦い

 1940年.オリンピック開催地を決定するIOCオスロ総会が迫る中、オリンピック招致に後れを取っている日本は、イタリアのムッソリーニ首相に「譲ってもらおう」という奇策に打って出ました。嘉納治五郎役所広司)はやる気です。
「まずローマにおもむき、ムッソリーニを説得し……」
 と、言いかけたところで嘉納はうめき声を上げるのです。腰が痛くて動けない状態でした。
 というわけで1934年12月。新米IOC委員の副島道正(塚本晋也)伯爵が、イタリアの首都、ローマに向けて旅立ちます。福島は違う意味で興奮しています。
「日本は到底、駄目だと思います」
 ムッソリーニはすでにスタジアムを作っている。ローマ開催を決定的に導こうとしているのに対し、東京は全く手遅れだ。副島は会えるかどうかもわからないムッソリーニに会いに、ひと月もかけてイタリアまで行かされることを怒っていたのでした。
 しかし外交官でIOC委員の杉村陽太郎(加藤雅也)の手はずで、なんとムッソリーニと会う手はずが整えられたのでした。
 そして田畑政治阿部サダヲ)も、同行することになりました。嘉納から
「日本を頼んだぞ」
 との言葉を受けていたのです。
 ローマに到着した福島と田畑。杉村も合流します。しかし福島はどうも体調がよくない様子なのです。
 イタリア首相官邸に到着する一行。奥でムッソリーニが待っています。ムッソリーニのもとへ歩き出した福島でしたが、途中で倒れてしまうのです。病院に運び噛まれる副島。肺炎でした。熱が40度もあり、一ヶ月の安静が必要とのこと。
 生死の間をさまよった福島でしたが、二週間後、ムッソリー二との面会がかなうことになったのです。30分の外出許可が出されました。
「サムライ」
 と呼びかけ、部屋に福島を招き入れるムッソリーニ。福島はムッソリーニにいいます。
「オリンピックは世界の祭典といいながら、開催地はヨーロッパばかりである。オリンピックを東京に招致するまで、我々は日本に帰らぬ覚悟です。もし譲ってくださるならば、我々が全力で協力しますので、1944年をローマで開きましょう」
 会見は15分で終了しました。なんとムッソリーニは東京にオリンピックを譲ることを承諾したのです。ムッソリーニはいいます。
「あの日、予定通り会っていたら、断っただろう。あなたは病をおして会いに来た。日本のサムライ精神が私の心を動かした」
 日本でこのことは新聞記事になります。「副島伯と杉村大使の努力で、東京開催確実」と。これを聞いた入院中の嘉納治五郎はご満悦です。
「な、譲ってくれただろう」
 と、周囲にいいます。オスロIOCでは、東京はヘルシンキと一騎打ちになります。嘉納は東京オリムピック開催に向けて、金栗四三中村勘九郎)を呼ぶことを思いつくのです。
 オスロIOC総会には、杉村一人で行くことになります。福島は病気。田畑はその看病に残されます。
 ノルウェーオスロにたどり着く杉村。IOC総会に出席します。杉村のもとに、イタリア代表のボナコッサ伯爵がやってきます。私財を投じ、招致運動に励むイタリアの嘉納治五郎です。杉村は不審に思います。イタリアは辞退したはずなのに、この爽やかな笑顔はなんだ。まさか話が通っていないのでは。IOC総会会長のラトゥール氏は、開会を宣言した後、読み上げます。「1940年大会の候補地は、ローマ、ヘルシンキ、東京」。ローマが入っていることに驚く杉村。ボナコッサは満面の笑みを浮かべています。投票は三日後に行われます。この日は代表がスピーチをします。イタリア代表のボナコッサは堂々と話します。続いて東京代表の杉村が話す番になります。杉村は話しながら迷います。この場でムッソリーニとの約束を持ち出していいものか。杉村は決意します。
「このたび、ムッソリーニ首相に我々の熱意が伝わり……」
 と切り出すのです。騒然とする一同。
「聞いている」とボナコッサはいいます。「だがスポーツに関しては政府でも口出しさせない」
 ざわつく一同。その日の話し合いは終わります。杉村は田畑をイタリアから呼ぶのです。
 杉村はイタリア公使ロドロを味方につけて、ボナコッサの説得を試みます。ボナコッサのもとには、ムッソリーニからの「東京に譲れ」との手紙が来ていました。ボナコッサ受け入れません。
「開催地を決めるのは、IOC委員の投票のみ。首相であってもその資格はない」
 そして迎えた3月1日の投票日。ボナコッサは演台に立って話します。
IOC委員になって十年、スポーツマンシップによってのみオリンピックは支えられてきた。もはやそうではないようだ。不本意ながら、イタリアの票は東京に投じる」
 委員たちは不満の声を上げます。ラトゥール氏が発言します。
「政治的圧力をIOCは認めるわけにはいかない。よって投票を、来年に延期する」
 杉村は立ち上がって日本語で抗議します。ローマは自ら辞退してくれたんだ、と、ラトゥール氏に詰め寄る杉村。杉村はさらに皆に呼びかけます。
「日本は変わった。関東大震災ですべてを失ったが、立ち直った姿を世界に見せるんだ。そのための1940年の東京オリンピックだ」
 しかし杉村の強硬な態度は、委員たちの反発を呼びます。
「なぜカノーは来ない」ラトゥール氏はいいます。「彼ならこんなことにはならなかった」
 田畑がIOC総会の会場に到着します。しかし総会は終了していました。杉村はトイレで顔を洗いながら、田畑にこぼします。
「総会に出席して思い知ったよ。日本への一票は嘉納治五郎への一票だったんだよ」杉村は田畑を振り返ってさらにいいます。「加納さんの英語なんてひどいもんだぞ。けど、あのたどたどしさがいいのかもしれんな。俺はイタリア語も英語もフランス語も出来るが、人望がない。嘉納治五郎にはなれん」
 懸命に杉村を慰めようとする田畑。
「お前はなるよ」と田畑にいう杉村。「加納さんは貴様を買ってる。でなきゃここまでよこさん」
 日本では嘉納が新聞を見ていました。1940年オリンピック。開催地決定、来年に延期。
 田畑と福島は日本に帰ってきました。東京市長に会っていました。嘆く市長。福島も悔いの言葉を述べます。その場に松葉杖をついた嘉納治五郎が現れるのです。
「(ラトゥール氏を)東京に呼んだらどうだろう」と、嘉納はい出します。「至れり尽くせりのおもてなしで接待するんだよ」
 あきれる一同、この期に及んで遊びにおいでよ、なんてずうずうしくいえるもんですか。と、田畑もいいます。
「もう出しちゃったよ。手紙。ラトゥールに」
 嘉納の手紙はラトゥールに届いていました。嘉納は書いています。
「貴殿を日本にお招きしたい。いかに東京がオリンピックにふさわしいか、いかにオリンピックを待ち望んでいるか。その目でご覧いただきたい」
 嘉納の直談判は功を奏し、かたくなだったラトゥールが、訪日の意向を示したのです。
 田畑は元同僚であり、議員となった河野一郎桐谷健太)とバーで話します。何か裏がある、と河野はいいます。ほかの要因がラトゥールを動かしたのかと聞く田畑。
ヒトラーだよ」河野は言います。「国際連盟脱退以降、日本とドイツは接近しているのを知っているだろう。ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ、東京支持を要求し、日本に恩を売ったんじゃないかな」
 馬鹿な、と田畑は信じません。河野はさらに言います。
「ローマが降りたのもしかりだ。同じ軍国主義の国として、日本に貸しを作るのが得策だとムッソリーニは考えてのこと」
 田畑は河野の言葉をさえぎります。いつからオリンピックは、そんな大仰な、国の威信をかけてやる一大行事になったんだ。バーのママ(薬師丸ひろ子)がいいます。
「田畑さんがメダルをたくさん取ったからじゃない。あれで一気に有名になって、日本人もやれる、東京にオリンピックを持ってこられるって思っちゃったのよ」