大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 最終回 時間よ止まれ
1964年10月10日。田畑政治(阿部サダヲ)は一人、国立競技場にいました。昨夜の大雨が嘘のように晴れ渡っています。そこへ金栗四三(中村勘九郎)がやって来るのです。二人とも眠れなかったのでした。田畑はいいます。
「一番面白いことをやるんだ。今日から。ここで。晴れてもらわなくちゃ困る」
自衛隊入間基地のブルーインパルスの隊員たちは晴れの天気を見て慌てていました。大雨で国立競技場上空の飛行は、中止だと思い込んでいたのです。本番に向けて気合いを入れ直します。
朝の国立競技場で、金栗は田畑に、嘉納治五郎(役所広司)からの手紙を見せます。そこには「開会式の聖火ランナーを君に頼みたい」と、書かれていました。慌てる田畑。金栗は落ち着いていいます。
「ばってん、坂井君がよかです」
金栗は最終ランナーを務める坂井を励ますために、競技場を出て行くのです。
開会式まで五時間と迫ります。国旗担当の吹浦忠(須藤 蓮)が嘆いています。インドネシアが政府の方針から参加を取りやめたためです。国旗が無駄になってしまったのです。
田畑の元秘書であり、今は外渉担当の、岩田幸彰(松坂桃李)はIOC会長のブランデージに日本語を指導していました。日本語で開会式のスピーチを行いたいと、ブランデージ会長が望んだからです。ブランデージ夫人が岩田の持っていたストップウォッチに目をとめます。これは嘉納治五郎が田畑に託したものだと岩田は説明します。針が動いている様子を会長や夫人に見せます。
「これはカノーの『鼓動』だ」ブランデージ会長はいいます。「彼がまだ生きている証拠だ」
金栗は最終聖火ランナーの坂井義則(井之脇 海)のいる場所にたどり着きます。そこは会場に近い、「水明亭」という小さな食堂でした。
午前十時、いよいよ開場の時間になります。田畑は人々が本当にやってくるのか、気が気ではありません。しかし人々は続々とやってくるのです。正面から、右から、左から。外国人たちの姿も見られます。
アナウンサーが実況します。
「世界中の秋晴れを、全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。何か素晴らしいことが始まりそうな予感に満ち満ちました国立競技場であります」
午後1時50分。参加94カ国の国旗が、一斉に掲げられます。
「水明亭」では、金栗と坂井が話していました。金栗がいいます。
「聖火ランナーは敗戦からの復興の象徴ばい。原爆投下の日に、広島で生まれた君がふさわしかって」
金栗が坂井の膝を叩いてみると、震えていることがわかります。坂井はいいます。
「ただその日に生まれただけで、僕なんか何者でもないのに。なぜ僕が走るんですか」
金栗は答えられません。亭主に水を頼みに行きます。やがてやってきた金栗は、鍋いっぱいの水を坂井の頭からかぶせるのです。
「どぎゃんね。落ち着いた」
金栗は笑顔で聞きます。そして金栗は坂井の目を見て聖火のトーチを渡すのです。
「なんも考えんと、走ればよか」
国立競技場にいる田畑は上機嫌です。
「ついにこの時が来たよ。客席は超満員。空は快晴。何もかもできすぎじゃんねー」
金栗は国立競技場にやってきます。満員の客席を見回します。
選手たちの入場が始まります。各選手たちが規律正しく行進します。
都知事の東龍太郎(松重 登)がインドネシアの選手を見送った様子を田畑に報告します。アジア大会で田畑を始めとする日本人選手団を、暴徒から守ってくれた通訳のアレンがいっていました。
「これは田畑の大会。田畑のオリンピック。だから出たかった」
午後2時35分、皇居を出発した聖火は、国立競技場を目指します。
競技場では、日本選手団の行進が始まります。真っ赤なブレザーに白のズボン。女子はプリーツスカート。
「あのときは土砂降りでしたもんね」
と、東と、田畑の盟友である政治家の河野一郎(桐谷健太)が話します。あのときとは学徒出陣の壮行会のことでした。三万人の若者が、この場所から戦地に向かったのです。その日に田畑は河野にいっていました。
「俺はあきらめん。オリンピックはやる。必ず。ここで」
感激のあまり金栗は客席から万歳を叫ぶのです。すると仲間たち、一般の観客たちまで万歳を唱えていくのです。
その頃、競技場の外では、決意を胸に坂井がトーチを持って立っていました。皇居からの聖火ランナーが到着します。その炎が坂井のトーチに点火されます。坂井は走り出すのです。
ブランデージ会長による開会宣言がなされ、一万の数の色とりどりの風船が浮かび上がります。
坂井が聖火を手に、競技場に入っていきます。七万五千人の観衆が見守ります。万雷の拍手。坂井は競技場を走ります。高さ32メートル、163段の階段を駆け上がります。緑の絨毯を踏みしめ、ついに坂井は聖火台の横に立ちます。点火。競技場に聖火の炎が燃え上がります。
競技場に鳩が飛び交い、ジェット機の音が近づいてきます。ブルーインパルスが弧を描いて旋回します。そして大空に五つの輪を描き出すのです。初めての成功でした。
タクシーに乗っていた古今亭志ん生(ビートたけし)は運転手(宮藤官九郎)から、皆が空を見上げてしまって、車が動かないことを説明されます。志ん生も空に描かれた五輪のマークを見て、オリンピックの開会を知るのでした。そして「富久」を演じることを決めるのです。
聖火リレーに参加していた志ん生の弟子の五りん。長い間失踪していました。聖火が競技場に燃え上がるのを見て、走り始めるのです。師匠の志ん生に許しを得るために。それは「富久」の筋書きでした。高座の終わった志ん生に、五りんは頭を下げます。
「よし、出入りを許してやる」
志ん生はいいます。それは「富久」の台詞そのものでした。
「そう来ると思った」
五りんも「富久」の台詞で返します。
「志ん生の『富久』はどうだった」
と、志ん生は五りんにたずねます。
「『絶品』でした」
それは五りんの父が、絵はがきに残した言葉でした。志ん生は笑い出すのです。そこへ知らせが入ります。五りんの彼女である知恵に、子供が生まれそうなのです。五りんは来た道をまた駆け出すのです。生まれたのは女の子でした。「富久」をやっている間に知恵が生んだ子なので「富江」と名付けられました。
オリンピックではマラソンが行われました。カメラが一台しかなかったため、トップのアベベしか映りません。二位の選手が見えてきたとき、日本中が度肝を抜かれたのです。二位は日本の円谷。ゴール直前でイギリスの選手に抜かれてしまいましたが、見事に銅メダルを獲得します。
10月23日には、女子バレーボールの決勝が行われます。監督の大松博文(徳井義満)は選手に気合いを入れます。
「お前ら。勝って嫁に行け。行ってこい」
そして東洋の魔女チームは、見事にソ連を破るのです。優勝の日の丸が上げられ、大松は選手たちから胴上げされました。
こうして全競技が終了しました。
そしてついに10月24日の閉会式を迎えます。全競技を終えた開放感から、選手たちは全くいうことを聞きません。肩を組んだり抱き合ったり、酔っ払って雄叫びを上げたりします。時間となり、仕方なくゲートは開かれます。無秩序に競技場に流れ込む選手たち。ところがこのめちゃくちゃな行進が、後に世界から賞賛されるのです。アナウンサーが語ります。
「開会式の、あの統一された美しさはありません。しかしそこには国境を越え、宗教を越えました美しい姿があります。このような美しい姿を見たことがありません。まことに和気藹々、呉越同舟」
田畑は一人、飾られた柔道着を見ていました。その時すべての音がかき消えるのです。嘉納治五郎の声が響き渡ります。
「田畑。これが君が世界に見せたい日本かね」
田畑は涙を流しながらいいます。
「はい、いかがですか」
嘉納の声はいいます。
「面白い。実に面白い。田畑。私は改めて、君に礼を言うよ。ありがとう」
そこに岩田が現れます。どうやら嘉納の存在を感じていないようです。
「いろいろありましたが、最後はこれがお守りでした」と、嘉納のストップウォッチを掲げるのです。「どうぞ、お返しします」
と、田畑に差し出すのです。感極まって田畑はいいます。
「最高だよ。俺のオリンビックが、みんなのオリンピックになった」
田畑はストップウォッチを受け取り、嘉納の写真に礼をするのです。
花火が打ち上げられ、聖火台の炎が消えていきます。田畑の家ではテレビを見ていた妻の菊枝がつぶやきます。
「ご苦労様でした」
東京オリンピックから三年後、金栗四三のもとに、一通の手紙が届きます。
「金栗四三選手。あなたは、1912年、7月14日のマラソン競技において、競技場をスタートした後、一切の報告がなされておらず、今まだどこかを走り続けていると想定されます。当委員会は、あなたに、第五回オリンピック、ストックホルム大会のマラソン競技の完走を要請いたします」
金栗はスウェーデンに招待されます。オリンピックを祝う式典にて、55年ぶりにストックホルムを走ったのです。そして見事ゴールを切ります。地元のアナウンサーがしゃべります。
「タイムは54年8ヶ月6日5時間32分」