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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第46回 炎のランナー

 昭和39年(1964)。オリンピック開催の年です。東京は上を下への大騒ぎ。なにしろ新幹線も首都高も完成していません。
 田畑政治阿部サダヲ)が組織委員会を去って、一年半が経ちました。近頃は田畑の家に、東京オリンピック組織委員会の面々が訪れなくなっていました。今の田畑は一週間も家の外に出ない始末。しかし事務総長だった頃の田畑の秘書である岩田幸彰(松坂桃李)と、組織委員会の一員である大島鎌吉(平原テツ)が田畑の家にやってくるのです。大島がいいます。
「見つけましたよ。聖火リレー。最終ランナーの候補」
 岩田が書類を取り出して見せます。酒井義則(井之脇 海)。早稲田大学の一年生。出身地は広島。そして昭和二十年8月6日生まれ。なんと彼は原爆が落ちた日に広島で生まれたのです。
 日本での聖火リレーは沖縄から始まります。ルートは決まりましたが、アメリカからの国旗掲揚の許可が下りていません。当時、沖縄はアメリカの占領下にあったのです。日の丸の掲揚は祝日のみとされていました。政府はアメリカの機嫌を損ねるのを恐れて、交渉さえしようとしません。
 田畑は大阪に来て、「日紡貝塚」の女子バレーボールチームの練習を見ていました。「ウマ」こと主将の河西昌枝(安藤サクラ)がいません。監督の大松博文徳井義実)に訪ねたところ、父親が危篤で山梨に帰っているとのこと。しかし河西はユニフォーム姿で姿を現すのです。お父さんは、と聞く大松に。
「会いました」
 と、答える河西。スパイクを受けるポジションにつき、大松に
「お願いします」
 と、叫ぶのです。スパイクを打ち込みながら「帰れ」と叱る大松。河西は従いません。
「オリンピックのせいや
 と、吐き捨てる大松。それに対して河西はいうのです。
「バレーボールは続けます。でも、やめたくなったら、オリンピックの前日でもやめます」
 他の選手「私も」「私も」と次々に同意するのです。
 その頃、落語家、志ん生の弟子である五りんは、志ん生の娘の美津子(小泉今日子)と会っていました。五りんは、志ん生との二人会をすっぽかし、一年以上も姿をくらましていたのです。
「あんた結局、何がやりたいの」
 と、美津子に聞かれ、五りんは答えます。
「マラソン、かな」
 五りんの父親は金栗四三中村勘九郎)の弟子のマラソン選手。祖母は女子スポーツの先駆者でした。自分は走る家系だというのです。そして美津子は五りんのガールフレンド、知恵(川栄李奈)が妊娠しているのを目撃します。出産予定日は10月10日。オリンピックの開会式の日です。
 開会式まで84日と迫った7月18日。オリンピック担当大臣に河野一郎桐谷健太)が就任します。河野は元朝日新聞の記者で、田畑の同僚だった男です。
 組織委員会では事務総長となった与謝野秀に大島が聖火の最終ランナーについて話していました。
「19年の時を経て、聖火を掲げ、国立競技場を走るんです」
 与謝野は都知事東龍太郎(松重 豊)にどう思うかをたずねます。
「私はいいと思います。ただ政府がなんというか」
「そこなんだよ」と、与謝野。「反戦というメッセージは大事だが、原爆は政治色が強すぎる」
 自宅でその報告を聞く田畑。岩田も報告します。
「過去の戦争を蒸し返すようなことは、アメリカの心証を悪くする恐れがあるのでは、と」
 田畑は興奮していいます。
「誰のオリンピック。アメリカ、違う、そう、東京。日本人のオリンピックじゃんねー」
 沖縄の日の丸問題はどうなったかと聞く田畑。政府はアメリカとそれについて交渉する予定はないそうです、との答えが返ってきます。
「もうがまんならんぞ」
 田畑は着替えを始めます。ズボンをはき、ワイシャツを羽織ります。そして妻のも持ってきたキュウリをかじると出て行くのです。
 田畑は組織委員会に入ってきました。会議の真っ最中です。そこで大声を上げるのです。
「やい、組織委員会日章旗を今すぐ用意しろ。俺が沖縄まで持っていく。沖縄で、日の丸を振って聖火を迎える。これは島民の願い。最重要事項。政府がなんといおうとやれ。それから、聖火リレーの最終ランナーは早稲田の坂井義則君を走らせるべきだ」田畑は政治家たちの前に立ちます。「アメリカにおもねって、原爆への憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ」
 田畑はそれだけいうと、会議室をあとにしようとします。都知事の東が呼び止めます。
「またいつでもいらしてください。席はご用意します」
 と、田畑に頭を下げるのです。見ると、オリンピック担当大臣の河野も黙認する様子でした。
 開会式まであと61日と迫りました。記者たちが坂井義則を連れ出し、聖火の前で写真を撮ります。それが新聞に掲載され、坂井の聖火最終ランナーの案は、決定されたも同然になります。
 その新聞を食い入るようにながめる人物がいました。71歳の金栗四三です。金栗は亡き嘉納治五郎役所広司)に、聖火の最終ランナーを頼まれていたのです。
「先生、すんません。約束ば、果たせませんでした」
 と、嘉納のモニュメントに向かって頭を下げるのです。
 開会式まで50日と迫ります。ついに聖火リレーが始まります。聖火は採火式が行われたアテネを出発します。アジア各国11の都市を経由し、東京を目指します。
 田畑は自宅にて、アメリカとの交渉をジャーナリストの平沢和重(星野 源)に頼んでいました。平沢は断ります。沖縄に日の丸を四日間も掲げるなんて許可するわけがない。下手に交渉したら、やぶ蛇ですよ。
「やぶ蛇」
 と、岩田が聞き返します。
「認めろというから、認めないという話になる。そういうときは事後承諾。しれーっとやっちゃうわけです」
 田畑は沖縄に飛びます。六百枚の日の丸をかき集め、聖火の到着を出迎えます。日本国内の聖火リレーが始まります。第一走者の宮城勇が沖縄の道を力強く駆けていきます。
 開幕まで一ヶ月となります。聖火は沖縄から、鹿児島、宮崎、青森、千歳へと分かれ、四つのルートで東京を目指します。
 田畑は平気な顔で組織委員会に出入りするようになっていました。当面の問題は航空自衛隊のアクロバット・チーム、ブルーインパルス。東京の上空に五輪のしるしを描いてみせると豪語したにも関わらず、訓練がうまくいっていません。
 さらにコンゴかやっとエントリーしてきたのです。国旗も国歌も間に合わないというのです。
 田畑は、各国のVIPの接待を担当するコンパニオンの一人になっていた娘から、ボランティア通訳の女性(川島海荷)を選手村に連れて行って欲しいと頼まれます。田畑は選手村にやってきて歓声を上げます。田畑の努力により、米軍から買い入れた代々木ワシントン・ハイツです。もう完成していました。およそ六千人の選手がここで寝食を共にするのです。通訳の大河原やす子に黒人の二人組がついてきて離れません。それはコンゴからやってきた陸上の選手だとわかりました。最も遅くエントリーしてきたコンゴが、最も早くやってきたのです。選手村の食堂にて、コンゴの選手は箸で食べようとするのです。練習してきた、と二人はいいます。
 組織委員会コンゴの選手は歓迎を受けます。コンゴの国歌が吹奏楽団によって演奏されます。選手たちは歌い始めるのです。
 羽田から浜松町へモノレールが開通。東海道新幹線首都高速の一部が開通。開会式の9日前です。
 四つのルートに別れて、日本中を走ってきた聖火は、皇居の前で、再び一つになります。これが最終ランナーの手で、国立競技場に灯されるのです。
 そして開会式前日。雨が降り始めるのです。田畑はバー「ローズ」に逃げ込みます。テレビの天気予報でも、翌日は雨ということになっています。ママ(薬師丸ひろ子)が、明日の天気を占います。田畑は嫌がります。「ローズ」のママの占いが当たったことなどないのです。タロットカードには天気の絵柄が並びます。ママはいいます。
「雨。豪雨と出てるわ」
「本当か」
 と、確認する田畑。ママは続けます。
「世界中の雨雲を全部、東京に持ってきちゃたような、曇天よ」