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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第43回 ヘルプ

 昭和37年(1962)。東京の景色が劇的に変わり始めます。環状線に囲まれ、首都高や新幹線の高架が頭上を通過する。すべてが突貫工事で行われていました。二年後のオリンピックに間にあわせようと必死です。しかし国民の盛り上がりは今ひとつでした。
 そこで田畑政治阿部サダヲ)はオリンピックの広告塔となる人物を探します。見いだされたのが、古今亭志ん生ビートたけし)の弟子である古今亭五りん(神木隆之介)でした。
 五りんは田畑の前で、自作のオリンピック落語を披露します。興奮のあまり大笑いする田畑。
「なんだお前。友達いないだろう」
「はい」
 と、五りんはしっかりした返事をするのです。五りんは田畑にたずねられ、父が東京オリンピックを目指していたマラソン選手であったことを語ります。そして満州で死んだことも。五りんは田畑に気に入られ「合格」と、告げられます。オリンピック宣伝部長に任命されるのです。田畑の秘書の岩田幸彰(松坂桃李)が説明します。
東京オリンピックの準備の様子や選手の声を、テレビを通じてお茶の間に届けるんだ」
 しかし五りんは乗り気ではありません。
「テレビに出ると芸が荒れるっていいますし、やはり、ウチの師匠のことを思うと」五りんは泣き出します。「師匠が高座復帰に向けて、命を削っている今、私みたいな未熟者が出しゃばって一門の名を汚すわけには」
 場面は変わります。古今亭志ん生が一番弟子の今松(荒川良々)に背負われて、自宅に帰ってきたところでした。志ん生の長女である美津子(小泉今日子)が、テレビを見て声を上げます。
「これ五りんじゃない」
 テレビには、はつらつとリポートに励む五りんの姿が。五りんは「日紡貝塚」の女子バレーボールチームを取材していました。監督の大松博文徳井義実)に、次々とボールをぶつけられる五りん。全く返すことができません。テレビを見ていた今松がいいます。
「あーあ、荒れちゃってるよ、芸が」
 しかし志ん生はテレビに映る五りんの姿を見て、笑い声をたてるのです。
 この頃、五りんに限らず、オリンピックに魅せられた若者が、活躍の場を求めて、オリンピック組織委員会を訪れていました。早稲田の学生、吹浦忠正(須藤 蓮)もその一人です。国旗担当を志願していました。田畑は気に入り、たずねます。
「君も友達いないだろう」
「はい」
 と、はっきりした返事を返す吹浦。吹浦は式典担当で、元水泳監督の松澤一鶴皆川猿時)に話しかけます。東京で行われた、第三回アジア競技大会。ここで事件が起きたのでした。表彰式での国旗掲揚の時、松澤は台湾の国旗を逆にしてあげてしまったのです。政治的意図があるのかと問い詰められ、松澤は台湾選手団の前で土下座をして見せたのでした。吹浦はいいます。
「あのようなことがあってはならない。正しい国旗を、正しく掲揚することこそ、ホスト国の使命と考え、国旗責任者に志願しました」
 田畑は感心し、合格をいいわたします。
 組織委員会にいる田畑に、客がきていました。農林大臣の河野一郎桐谷健太)です。元朝日新聞の記者で、田畑の同僚だった男です。河野がいいます。
「津島さんをやめさせようとしているそうじゃないか」
 津島寿一(井上 順)は東京オリンピック組織委員会会長であり、二度にわたって大蔵大臣を務めた人物でした。
「それをいいだしたのは俺じゃないよ。川島大臣だ」
 と、河野にいう田畑。川島正次郎(浅野忠信)は自民党幹事長や副総裁を長く務め、今はオリンピック担当大臣に就任している人物です。川島は河野の名をあげ、津島ではオリンピックをやり遂げられないだろう、といっている、と田畑に吹き込んでいたのでした。驚く河野。いってないのか、と確認する田畑。田畑は川島のあだ名を思い出します。
「陽気な寝業師」
 東京都知事であり、田畑の盟友である東龍太郎(松重 豊)は小便をしていました。その背後から、川島正次郎が近づいてきます。
「東君も大変だね」と、川島は小便をする東に話しかけます。「田畑だよ。あいつが大騒ぎして、選手村を代々木に移してしまったせいで、オリンピック道路が無駄になってしまった。都知事の面目丸つぶれだよ」
「結果的には選手も喜んでいますから」
 という東。
「手柄が田畑で、尻拭いは東ってか。頼むよ。事務総長(田畑)は首をすげ替えればすむがね、都知事は君でないと困るんでね」
 川島はそういって去って行きます。
 組織委員会事務総長の田畑は、モスクワに旅立ちます。恒例のIOC総会に出席するためです。この席で田畑は女子バレーボールを正式種目に加えることに成功します。そして東京オリンピックの開催日は、10月10日に決定されるのでした。
 田畑はバー「ローズ」で河野に会っていました。津島下ろしの首謀者は田畑だと川島が記者に吹聴している、と河野は田畑に告げます。津島を慕う議員たちは怒り心頭で、田畑から津島を守れと息巻いている。ローズのママはいいます。
「なんか心当たりないの。川島さんに恨まれるようなこと」
 ありすぎるほどありました。対決の場で、ことごとく田畑は川島を言い負かしてきたのです。
「川島はそんな個人的な恨みで動く男ではない」と、河野はいいます。「政治がやりたいんだよ。お前がスポーツを好きなのと同じで、川島は政治が好きなんだ。政治をやっている時が一番高ぶる。そういう男だ」
 8月。ジャカルタで行われる第四回アジア競技大会。19カ国が参加するこの大会は、東京オリンピックの前哨戦でした。インドネシアは、自国の発展ぶりを世界に示そうと、国を挙げて準備を進めていました。
 日本ではアジア競技大会に派遣する選手たちの結団式が行われようとしていました。日本スポーツ界は、252人の選手団を送り込む力の入れようでした。田畑はテレビを見ていま
した。ジャカルタアジア競技大会において、インドネシア政府は、台湾、イスラエルを締め出そうとしているとのニュースが流れていました。台湾に対して、インドネシア政府が入国ビザを出していないというのです。イスラエルも同様です。スカルノ大統領は、中国と親密な関係にあり、これが台湾を排除した理由でした。アラブ諸国とも親しいスカルノは、イスラエルの参加も拒否したのでした。津島はこのニュースを見ていいます。
「これが事実なら、重大な憲章違反だよ」
 そこに、このニュースは事実無根のデマだとの情報ももたらされます。田畑たちは混乱します。結団式のあいさつでは田畑はこの問題に触れず、簡単な言葉でまとめました。
 日本でのニュースが伝えます。国際陸連ジャカルタでのアジア大会競技を公式の大会と認めず、これに参加した選手を処罰すると通達した、というのです。処罰とは、国際陸連から除名される、つまりオリンピックに参加できなくなるということです。
 ジャカルタにいる田畑は、通訳を探していました。新聞を訳して欲しいと考えていました。東がアレンという人物を呼びます。アレンがインドネシアの新聞を見てみると「イスラエルにビザを出した」と、書かれています。サッカーの試合予定に、台湾の名前もあります。
「日本の新聞が間違えているのか」
 と、疑う田畑。混乱します。
「引き上げるか」
 と、津島はいいます。日本が出ないということになると、大会は中止になります。
「何かおかしい」今まで黙っていた田畑がいいます。「我々が日本を発つのを見計らったように、不正が明るみになり、ジャカルタに着いた途端に、国際陸連が出るな、といいだした。これは、何か、あれだ。裏がある」
 アレンが新聞からIOCのコメントを見つけます。アジア競技大会を、正式な大会とは認めない。支援もしない。
 そして開会式当日を迎えます。夜が明けても、まだ日本が参加するかどうかの結論が出せません。そこへインドネシア人の暴徒が流れ込んできます。手に棒やバットを持って、彼らは叫びます。
「何年もかけて準備した大会をつぶす気か」
「アジア民族の祭典をジャカルタでやるんだ」
 襲いかかる暴徒の一人を、通訳のアレンが柔道の技で投げ飛ばします。アレンは流れ込んできた男たちにいいます。
「日本人は俺たちの味方だ。中止にならないよう、必死に考えているんだ。俺たちの夢を実現させるために。ここにいる人たちはいい人だ。邪魔をしないでくれ。彼らに何かしたら、僕が許さない」
 そして暴徒たちを出て行かせるのです。
 その頃、川島正次郎はジャカルタに来ていました。スカルノ大統領と会っています。日本選手団が参加、不参加でもめていると話します。
「ご心配なく、すべて任せて下さい」
 と、川島はスカルノ大統領に話します。
 川島は田畑たちの所にやってきます。
「どっちでもいいから早く決めましょうよ。みっともない」
 津島がいいます。
「私はただ、政府に問い合わせて、それから結論をと」
「政府だったら目の前にいるじゃないですか」いぶかる皆に川島がいいます。「僕だよ、僕。ここでは僕が政府だよ。オリンピック担当大臣」川島は腰掛けます。「何でもいいから早く決めましょうよ。だいたいね、現場にいて、誰も決断できず右往左往している。こういう醜態こそが問題なんですよ」
「だったら引き上げます」と、田畑。「中止、中止。帰りましょう」といって田畑は振り返ります。「といったらさぞかし困るでしょうな。スカルノ大統領とズブズブの関係にあるオリンピック大臣は」