大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第36回 前畑がんばれ
ベルリン・オリンピックにて平泳ぎに出場する前畑秀子(上白石萌歌)。眠ることが出来ず、夜のプールで泳いでいました。そこへやってきた田畑政治(阿部サダヲ)は「がんはれ」と前畑を励まします。
「がんばれ、なんて言わんといてください」前畑は田畑に怒ります。「がんばって金メダル獲れるんやったら、ロサンゼルスで穫とっとるわ」
と、前畑は田畑をプールに突き落とします。
四年前のロサンゼルス・オリンピックにて、前畑は200メートル平泳ぎで、銀メダルを獲得します。この大会を最後に引退し、故郷で花嫁修業をするつもりでした。
しかロサンゼルスから帰ってすぐ、東京市長の永田秀治郎(イッセー尾形)に言われるのです。
「でも、だったらなぜもう十分の一秒縮めて金メダル穫ってこなかったんだね」
これにより前畑は引退を撤回。ベルリン大会に向けて練習を続けます。その練習メニューはすさまじいものです。200メートルを10本。100メートルを10本。50メートルを30本。25メートルを30本。これを朝、昼、晩、繰り返します。一日およそ2万メートルを泳いでいたのでした。
「勝つんだ。負けるか。十分の一秒」
と口に出して泳ぎ続けたのでした。
そしてついに世界新記録を出し、自らその記録を三度更新します。しかし
「前畑秀子譲 平泳ぎの記録更新 世界征服なる」
と、新聞に書かれたのを見た前畑は、プレッシャーに押しつぶされそうになります。
「おしまいや。金メダル穫るまで帰ってこられへん」とチームメイトに愚痴ります。「世界一の記録が、世界一の責任を生んだんや」
と、新聞を破り捨てます。
そして前畑はベルリン・オリンピックにやって来るのです。
ベルリンにやってきた前畑は、眠れぬ日々が続きます。
ベルリン大会における陸上の日本選手の活躍は目覚ましく、マラソンと三段跳びでは、君が代、が演奏されました。水泳も負けていられないところです。
前畑の最大のライバルは、ドイツのマルタ・ゲネンゲルでした。ゲネンゲルが世界新記録を出すと、その三日後、前畑がそれを上回ります。数日おきに互いの記録を破り合っていました。
そしてベルリン大会での予選。前畑は世界記録を大幅に更新して一位通過します。翌日の準決勝では、前畑は一位通過するも、タイムを三分も落としてしまいます。一方のゲネンゲルは調子を上げていきます。
日本では前畑の様子が新聞に書かれます。
「前畑選手不調 勝利危ぶまれる」
その記事のせいか、日本から前畑に、大量の電報が届きます。その数224通。
「世界一目指せ」
「メインポールに日の丸を」
「死んでも勝て」
などの内容でした。
実況を担当している河西アナウンサー(トータス松本)は風邪で苦しんでいました。連日の実況放送をたった二人でこなしている状態だったのです。風邪をおして河西は前畑の実況に挑みます。
決戦の前の晩、前畑の部屋に、両親の幽霊が現れます。前畑は二人の幽霊に言います。
「がんばれって言われて、がんばって、金メダル穫って。なんでや。いいなりやん。がんばれって言葉、重うないわ。私の四年間、誰かのいいなり? がんばって、がんばって、私の人生それでおしまい? がんばれのほかになんかないの」
母は言います。
「秀子が生まれて良かったよ。秀子が生まれたことが、母ちゃんの人生で一番良かったこと。秀子は、母ちゃんの金メダルよ」
前畑は両親に感謝の言葉を述べます。そして、明日勝たせてくれるように祈るのです。すると母が言います。
「秀子だけやないよ。明日は、みんなで泳ぐんや」
みんな? と意味のわからない前畑。父が言います。
「日本にいるみんなや。秀子」父は前畑の手を取ります。「がんばれ」
母も手を取って言います。
「がんばれ」
前畑は微笑みを浮かべるのです。
翌日、決勝の日を迎えます。届いた電報を見ていた前畑は、それを丸めて口に入れ始めるのです。水で流し込んでそれを飲み込みます。前畑は言います。
「これでウチは一人やない。日本人みんなで泳ぐんや」
いよいよ前畑の二百メートル平泳ぎ決勝が始まります。実況はもちろん河西アナウンサーです。
日本の各地で、前畑の実況が始まるのを、ラジオを囲んで待っている人々がいました。日本では午前0時でした。ラジオに向かって手を合わせる者もいます。
ベルリンのプールでピストルが撃ち鳴らされます。選手たちが一斉に飛び込みます。各選手が並びます。次第に前畑がリードしていきます。前畑とゲネンゲル二人の接戦です。他の選手は引き離されています。前畑がゲネンゲルを、ひとかき分リードしています。
他の選手はだいぶ遅れています。前畑とゲネンゲルの事実上の一騎打ちです。最後のターンになります。実況の河西は「がんばれ」しか言うことがなくなります。河西はマイクを持って前に乗り出します。ひたすら「前畑がんばれ」を連呼するのです。
スタジアムにいる日本選手たちも、前畑に「がんばれ」の言葉を浴びせます。日本でラジオを聞いている人たちも、「がんばれ」と叫び続けるのです。
前畑はゴールにタッチします。水から顔を上げます。ドイツ語の放送が響き渡ります。
「ヒデコ・マエハタ」
スタジアムにいる日本人選手団。そして日本でラジオを聞いている人たちは、歓喜に沸き返るのです。河西アナウンサーは興奮が止まりません。「前畑、勝った」を、くりかえし叫び続けます。
そして日本の人々は言い始めるのです。
「ありがとう前畑」
前畑は表彰台に立ち、日の丸を聞きます。ロサンゼルス大会の記録を、十分の一秒どころか、三秒も縮めました。
ベルリン・オリンピックは熱狂のうちに閉幕しました。
IOC委員の副島道正(塚本晋也)は嘉納治五郎(役所広司)のことを心配していました。
「東京オリンピックが決まってから、豪放磊落な嘉納治五郎はどこかへ消えてしまったようだ。この先、のしかかる重責を思えば、無理からぬことだが」
嘉納治五郎は東京のオリンピック開催に向けて、組織委員会を立ち上げます。その人選は、大日本体育協会や東京市にとどまらず、軍人、政治家、各界の大物が顔をそろえていました。陸軍代表が発言します。
「単なるお祭り騒ぎでは困ります。質実剛健。すべては日本流にやっていただきたいものです。国民の体育の全般的向上を目指し、団体訓練に役立つようやっていただきたい」
それについて嘉納が発言しますが、覇気がありません。
会議が終わり、福島が田畑に言います。
「近頃の嘉納先生の言動には賛同しかねる。国家主導ではなく、あくまでもスポーツ精神に基づいた大会をやるべきだ」福島は心配します。「ヒトラーのプロパガンダは見事成功した。世界はドイツに魅了され、日本はドイツと同盟を結ぶにいたった。加納さんにそのつもりはなくても、挙国一致路線では必ず、ベルリンの模倣になる」
田畑が朝日新聞社に帰ってみると、政治を志した元同僚の河野一郎(桐野健太)が待っていました。田畑をなじります。
「なんだこのざまは。オリンピックは軍のものじゃないんだぞ。奴らの顔色をうかがっているから、半年経っても競技場すら決まらない」河野は田畑との決別を宣言します。「次の国会で、俺はオリンピック反対論をぶち上げる」
昭和12年7月8日。社で寝ていた田畑は起こされます。上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)が言います。
「戦争だ」
盧溝橋で起きた日本軍と中国軍の衝突をきっかけに、日本と中国の全面戦争が始まったのです。