日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第31回 トップ・オブ・ザ・ワールド

 ロサンゼルス・オリンピックも中盤。女子二百メートル平泳ぎ決勝が行われることになります。女子のオリンピックプール控え室では、前畑秀子上白石萌歌)恐慌に陥っていました。
「勝てへん。勝てるわけない」
 といいながら控え室の中を歩き回ります。チームメイトの小島一枝(佐々木ありさ)が落ち着かせようとします。
「勝たんでええんや、秀ちゃん」
 同じくチームメイトの松澤初穂(木竜麻生)も言います。
「そうや、決勝残ったんやもん。それで十分。落ち着いて」
 選手たちが入場します。前畑もスタート地点に立ちます。ピストルが鳴り、各自一斉にプールに飛び込みます。前畑は少し遅れます。三位につけ、そのまま進みます。ついに先頭の三人が一列に並びます。前畑はトップ選手を捕えます。頭を水につけたままの連続ストローク。一着、二着はほぼ同時にゴールします。順位が発表されます。前畑は二着でした。十分の一秒差で前畑は敗れたのです。前畑はインダビューで語ります。
「私は夢遊病者のように、何が何だかわからんかった。今、思い出しても、私の力で泳いだとは思えない。きっと神様が助けてくださったのです」
 男子百メートル背泳ぎ決勝が行われます。危ないと言われていた日本勢でしたが、なんと一着、二着、三着と、メダルを独占するのです。
 オリンピックの理事たちは、日本チームの強さに驚いていました。なぜ日本の水泳は急に強くなったのかと嘉納治五郎役所広司)に聞きます。嘉納は答えます。
「急にではない。我が国はクロールよりはるかに古い、四百年前から続く、伝統的な泳法があるのです。人と競争するのではなく、自己の泳ぎの技を追求し、水と一体となる」
 ぜひ見たいものだ、とIOC代表のラトゥール氏は言います。お安い御用です、と嘉納は請け負います。こうして閉会セレモニーであるエキジビションに、日本泳法を披露することになったのです。
 日本泳法を披露することになって、選手たちは張りきります。しかし水泳総監督の田畑政治阿部サダヲ)は躊躇します。泳ぐことは医者に禁じられている、と、皆に言います。まさか泳げないのでは、と、疑いの目を向けられるのです。
 男子水泳チームの快進撃はまだまだ続きます。千五百メートルは金と銀。残るは、二百メートル平泳ぎです。
 最終種目、男子二百メートル決勝の日がやってきます。十六歳の小池礼三(前田旺志郎)と、前回のオリンピックで金をとった、ベテランの鶴田義行大東駿介)が出場します。スタートの合図が撃ち鳴らされます。プールに飛び込む選手たち。予選では小池が鶴田に勝っています。五十メートルの折り返しでは、鶴田が先行しています。いつもここから小池が抜いていくのです。百メートルになっても小池はまだスパートしません。最後のターン。小池が出てきます。必死に水をかく鶴田。残り五十メートル。小池が迫り、鶴田が逃げる展開。鶴田は意地を見せます。鶴田が一着、小池が二着でゴールします。鶴田は二大会連続の金メダルです。鶴田はインタビューで言います。
「小池君を助けて、一等にすっとが私の役目でしたが、実を言うと、一日一本だけ彼に勝つ気で本気で泳ぎました。だけど一度も勝てんかった。今日は小池君が年寄りに気を遣ってくれたんでしょう」
 と、冗談で鶴田はインタビューを締めます。
 これですべての水泳競技は終了し、日本はすべての競技でメダルを獲得しました。大横田の四百メートルの銅をのぞけば、他は金メダルです。
 そして閉会セレモニーであるエキジビションが始まります。田畑を先頭に、水泳チームがふんどし姿で会場に入ります。まずは手足を縛った形での泳法が披露されます。そして次々に繰り出される技に、会場は大盛り上がりです。田畑も眼鏡をかけたまま張りきって泳ぎます。最後に「水書」が行われます。書道を水中で行う技です。皆が一字ずつ書いていきます。「O」「L」「Y」など。一人ずつ観客に見せていきます。「第十回オリンピック競技大会」の文字が完成するのです。興奮のあまり、他国の選手たちや関係者が服を着たままプール飛び込みます。観客も大盛り上がりです。アメリカの水泳監督が田畑に言います。ベルリンで会いましょう、と。田畑は笑い声を上げて叫びます。
「オリンピック最高」
 花火が打ち上げられ、ロサンゼルス・オリンピックは閉幕するのです。
 選手村から選手たちが出ていきます。最後に残った田畑は、一人言います。
「帰りたくねえなあ」
 その田畑に、黒人の守衛のデイブが声をかけてきます。世話になった礼を言う田畑。デイブは忘れ物があると言います。それは田畑の張り出した紙でした。
「一種目も失うな」
 と、書かれていました。何と書いてあるのかとデイブに聞かれます。
「意味などない」
 と、田畑は答えます。所詮たわごとさ、と田畑はつぶやきます。紙が剥がされた看板には、近代オリンピックの父である、クーベルタン男爵の言葉が印刷されていました。
「オリンピックにおいて大切なことは、勝つことではなく参加することである。人生において大切なのは、勝つことではなく努力すること。征服することではなく、よく戦うことだ」
 選手たちはバスに乗り、思い出の地、ロサンゼルスを後にします。そのバスの前に立ちふさがる老人がいたのです。どうしたことかとバスを降りる田畑。どうしてもお礼が言いたいと、田畑を抱きしめるのです。老人は言います。
「私は今日、白人から話しかけられました。なんて言われたと思います。日本の水泳選手は素晴らしい。おめでとう、と」
 田畑は困惑します。老人は続けます。自分はアメリカに来て二七年になるが、こんなことは初めてだ。こんなに嬉しいことはない。日本レストランの給仕をしていた女性も言います。「私、あなたに謝らなくてはならない。日本人、白人に勝てない。勝てるわけがない。大人たちからそう言い聞かされた。日本を祖国に持ったこと、私たち恨んだ」
 老人が田畑に言います。どんなに迫害を受けたことか。日本人だと言うだけで。どんなに肩身の狭い思いをしたことか。それを君たちは、勝った。給仕の女性も言います。
「日本人、白人に決して負けない。そのことを教えてくれた。私、祖国見直しました。ありがとうございます」
 と、深く頭を下げるのです。そして泣きながら前畑に抱きつきます。老人は言います。初めて大道の真ん中で、自分は日本人だと言うことが出来ます。そして実際に老人はオープンカーに乗り込み、叫ぶのです。
「俺は、日本人だ」
 日系人たちも次々に叫びます。
「アイ・アム・ジャパニーズ・アメリカン」
 見ていた人々も大興奮です。黒人やメキシコ人たちも、自分たちを誇る言葉を叫びます。
 そして日本選手団を乗せた船が、サンフランシスコから出航するのです。
 東京駅には、日本選手団を歓迎するたくさんの人が集まりました。
 田畑は朝日新聞社に戻ってきます。社には、酒井菊江(麻生久美子)だけが来ていました。田畑は号外の記事を眺めて感慨にふけります。そして大横田の記事を見て、大声で謝るのです。大横田が負けたのは、自分が牛鍋を食わせたせいだ。いつも通り泳げば、大横田は間違いなく金だった。そんな田畑に菊江は声をかけます。全部とらなくてよかった、と。
「全部とるなんて面白くないし、次の目標がなくなりますから。一個残してきたのは、田畑さんの、なんというか、品格、そう、品格だと思います、私は」
「ありがとう」
 田畑は菊江に礼を言うのです。