『映画に溺れて』第144回 夫婦善哉
第144回 夫婦善哉
昭和五十六年十一月(1981)
池袋 文芸坐
森繁久彌が好きなのだ、私は。森繁主演の『夫婦善哉』は学生時代にTVで観て、その後、池袋文芸坐、京橋フィルムセンター、小平市ルネこだいら、京都文化博物館と繰り返し観ており、何度観ても楽しめる。私が大阪生まれで、今は失われてしまった昔の大阪が好きだから、よけいにひかれるのだろう。
原作は織田作之助の小説、舞台は戦前の大阪。根性ドラマや毒々しい吉本タレントがTVでもてはやされる以前の古き良き大阪が描かれている。昔の大阪は万事がやわらかく上品な都会だったのだ。
船場の大きな化粧品屋、今ならさしずめ大手化粧品会社、その長男の柳吉が芸者と駆け落ちし、妻子を捨てる。生活感や生活能力とは無縁のだらしない男で、これを淡島千景ふんする芸者の蝶子が支える。
病弱だった本妻が死んで、今度は妹の夫である養子の山茶花究が店を継ぐことになり、あてにしていた親の遺産も手に入らず、相変わらずふらふらと生きていく。
「おばはん、たよりにしてまっせ」ラストシーン、法善寺横町でのせりふ。
どうしようもなく駄目な男だが、これを森繁が演じると、不思議と全然憎めない。駄目さがかえって魅力にもなるという不思議な味わいなのだ。
品のいい商家の人たちはこんな風にしゃべっていたのだろう。そう思わせるきれいな大阪弁。上方落語の古典作品にだけ残っているようななつかしい大阪弁。朝の連続TVドラマでは決して耳にできない大阪弁。そんな大阪弁を聴きながらどっぷりと入り込める映画である。淡島千景が大阪出身でもないのに、とても大阪弁がうまいのは宝塚にいたせいか。
森繁は社長シリーズもいいが、やはり『夫婦善哉』は繰り返して観たくなる。