日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第35回 民族の祭典

 金栗四三中村勘九郎)は、弟子の小松勝(仲野太賀)を従え、五年ぶりに東京に帰ってきました。足袋作りのハリマヤ製作所を訪ねます。四三はここの二階に十七年間下宿していたのです。ハリマヤ製作所で働く女性が一人やってきます。
「シマちゃん」
 と四三は声に出します。良かった、生きていたのか、と四三は女性に抱きつきます。四三は関東大震災で亡くなったシマが生きていたのかと勘違いしました。女性はシマの娘、リクだったのです。ハリマヤ製作所でお針子をしていました。
 夜、四三と小松は、ハリマヤ製作所の職人たちと、食事を共にします。そこで今回はなんのために東京に来たかを聞かれるのです。四三は答えます。一つは聖火リレーのため。もう一つは、小松を育てて四年後のオリンピックのマラソンで金メダルをとらせるため。ハリマヤ製作所の店主黒坂辛作三宅弘城)がいいます。
「大丈夫か。選手の数もレベルも、金栗さんの時代とは違うぞ」
 その通りでした。韓国併合から26年。朝鮮出身のランナーがマラソン界を席巻していました。その代表格が孫来禎と南昇竜でした。二人ともハリマヤ製作所のいわゆる「金栗足袋(たび)」をはいてベルリン・オリンピックに出場します。
 昭和11(1936)年7月。ベルリン・オリンピック開幕の前日、ついに1940年のオリンピック開催都市が決まることになります。ローマが辞退し、ヘルシンキと東京の一騎打ちです。嘉納治五郎役所広司)は、IOCアメリカ代表に話しかけられます。アメリカは東京に投票するよ、といってくれます。
 IOC総会が始まります。嘉納は最初に演説することになります。
古代オリンピック発祥の地、ギリシャから運ばれた聖火が、まもなくここベルリンに到着する。その火が欧州から飛び出す日を、私は心待ちにしている。アフリカ、オセアニア、そしてアジアに。オリンピックは解放されるべきである。すべての大陸、すべての国、すべての民族に。極東は今、戦争と平和の狭間にある。だからこそ平和の祭典を日本の東京で開催したい」
 そして投票が開始されます。隣室で田畑政治阿部サダヲ)は待ちきれないでいます。ついに総会の部屋の扉が開かれます。係のものが田畑や記者団に紙をかかげます。
「TOKYO」
 と、書かれていました。
 1940年東京。ここにアジア初のオリンピック開催が決定したのです。
 田畑はIOC会長のラトゥール氏の感謝の言葉を述べます。ラトゥールは田畑の耳元で何事かをささやくのです。NHKのアナウンサーがそれを訳します。
「日本を代表して、ヒトラーにお礼をいいなさい、と」
 なんで俺が、と田畑は意味がわかりません。
 場面は日本の金栗四三たちに移ります。オリンピックの東京開催が伝えられると、人々は熱狂します。東京はすっかりお祭り騒ぎになり、226事件戒厳令もすっかり忘れられ、花火を打ち上げ、提灯行列を繰り出す始末でした。
 場面は再びベルリン。聖火ランナーブランデンブルク門に到着します。熱狂と共に、ベルリン・オリンピックが開幕するのです。しかし田畑の目に、それは異様な光景に移ります。街中に五輪の旗と、ナチスの旗が並んで飾られていたのです。田畑はラトゥールの言葉を思い出します。
ヒトラーにお礼を言いなさい」
 以前、朝日新聞の同僚だった河野一郎桐谷健太)が田畑に言っていました。
ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ、東京支持を要求し、日本に恩を売ったんじゃないかな」
 かつてヒトラーは言いました。オリンピックはユダヤの汚れた芝居、と。しかし側近ゲッペルスの助言によって態度を急変。総力を挙げてオリンピックの準備に取り組みました。自然石を使った10万人収容のスタジアム。聖火リレーも発案されます。記録映画を著名な監督に撮らせたのも、ベルリン・オリンピックからでした。要するにプロパガンダナチスの大宣伝でした。
 いよいよ開会式が開催されます。ヒトラーが開会を宣言し、聖火台に炎がともされます。上空には飛行船。何もかも絢爛豪華でした。
 日本の出場選手たちは「ハイル・ヒトラー」がすっかり気に入り、冗談に使う始末。田畑は気に入りません。
「冗談でもやめてくれ。あんな独裁者をもてはやすのは」
 選手村に日本人しかいないのを疑問に思う田畑。水泳監督の松澤一鶴皆川猿時)が答えます。
「特別待遇だそうだよ。西洋人に囲まれて、窮屈な思いをしないように」
「いやいやいや」と田畑は言います。「あれが良かったじゃねー、ロスは。白人も黒人も一緒になって大騒ぎしてさー」
 田畑は通訳のヤーコプを呼び止めます。味噌汁の味が薄いなど文句を言います。
「彼はユダヤ人でしょう」と田畑に言ってきたのはアナウンサーの河西三省でした。「ヒトラーは大会期間中に限り、差別を緩和し、わざとユダヤ人を各所に配置しているようです。期限付きの平等です」
 日本選手は大会で活躍します。三段跳びで金メダル。棒高跳びで銀と銅を獲得します。そしていよいよ孫選手と南選手の出場するマラソンが行われます。
 日本のハリマヤ製作所では、皆がラジオのオリンピック中継に聞き入っていました。ベルリンでは珍しい暑い天候のもと、マラソン競技は始まります。各選手が競技場を出て行きます。しかし日本でのラジオ中継は中断されてしまうのです。続きは明朝です。
 ベルリンの地では、アルゼンチンのザバラが一位で折り返します。孫は三位。暑さにやられ、途中棄権の選手が続出します。
 ラジオが途絶え、いてもいられなくなった四三は、ベルリンの地で走る孫と南を応援するために、弟子の小松と共に、夜の街を走り出すのです。
 ベルリンの地では優勝候補のザバラが棄権してしまいます。日本でのラジオ中継が再開されます。スタジアムに拍手が起こり始めます。現れたのは孫来禎でした。やがてテープを切ります。金メダルです。そして南昇竜も三位に入ります。
 表彰式には出身国の旗が掲げられ、国歌が演奏されます。日の丸が掲げられ、君が代が演奏されました。
「どんな気持ちだろうね」
 ラジオを聞いていたハリマヤ製作所の職人が言います。
「二人とも、朝鮮の人ですもんね」
 という小松。
「俺は嬉しいよ」と、ハリマヤ製作所店主の黒坂。「日本人だろうが朝鮮人だろうが。アメリカ人だろうがドイツ人だろうが。俺の作った足袋はいて走った選手は、ちゃんと応援するし、勝ったら嬉しい。それじゃ駄目かね、金栗さん」
「よかです」四三は言います。「ハリマヤの金メダルたい」
「胴上げしましょう」
 リクが言います。黒坂は皆によって胴上げされるのです。
 大活躍の陸上ですが、水泳総監督の田畑はどうも調子が出ません。夜のプールに一人やってきます。そこで一人泳ぐ選手を見つけるのです。前畑秀子上白石萌歌)でした。
「眠れません」
 という前畑。
「俺もだ」という田畑。「なんだか好きじゃない、このオリンピック」
 それに対して前畑は言います。
「私は好きになる。このオリンピック。今は嫌いやけど、金メダルとったら、このオリンピックのこと、好きになれると思う」
 それを聞いて田畑は感激します。
「そうだよ、前畑。がんばれ。前畑がんばれ

 

『映画に溺れて』第164回 真夏の夜の夢

第164回 真夏の夜の夢

平成十二年四月(2000)
有楽町 スバル座

 

 妖精の世界でオーベロン王が女王と仲違い、オーベロンは妖精パックに惚れ薬で女王をひどい目に合わせるよう命じる。
 パックは森で芝居の稽古をしている職人たちを脅かし、機織りのボトムをロバ頭の化け物に変え、惚れ薬の力で女王がこのロバ男を好きになるように仕向ける。
 ついでに森に逃げ込んできた駆け落ちのカップルと、それを追いかけてきた別の男女に親切から惚れ薬を与えるが、パックが相手を間違えたため、四人の男女はそれぞれの心変わりに大混乱。
 原作はエリザベス王朝時代だが、これを二十世紀初頭のイタリアの風俗に置き換え、昔のイタリア喜劇のような味わいを出している。
 妖精王オーベロンがルパート・エヴェレット、女王タイターニアがミシェル・ファイファー、妖精パックにスタンリー・トゥッチ、大公がデヴィッド・ストラザーン、その婚約者ヒポリタがソフィ・マルソー、職人のひとりで女形を演じるのがサム・ロックウェル。そしてロバ頭に変身する職人ボトムがケビン・クライン。なんとも豪華キャスト。
 原作の道化役ボトムは脇役だが、この映画では主演のような扱いになっており、人生にくたびれながらも、夢を見続ける中年男という設定。
 パックのいたずら、惚れ薬の魔力で妖精の女王と愛し合ったことは彼には一夜の夢。その夢から覚めても、現実になかなか戻れず、窓の外の風景をぼんやり眺めていると、どこからともなく螢が飛んでくる。
 妖精の女王もまた、惚れ薬の力が消えたあとも、密かにボトムを忘れずにいて、窓辺の螢は女王の化身だった。ボトムはそれとは気がつかないまま、もの思いにふけっている。喜劇なのになにやら悲恋のメロドラマのような切ないラストシーンである。

 

真夏の夜の夢/A Midsummer Night's Dream
1999 アメリカ/公開2000
監督:マイケル・ホフマン
出演:ケヴィン・クラインミシェル・ファイファールパート・エヴェレットスタンリー・トゥッチデヴィッド・ストラザーンソフィー・マルソーキャリスタ・フロックハートクリスチャン・ベールサム・ロックウェル

 

『映画に溺れて』第163回 十二夜

第163回 十二夜

平成十年八月(1998)
飯田橋 ギンレイホール

 

 シェイクスピアには男女の双子の子供があったそうだ。だからこの芝居を思いついたのだろうか。
 双子が乗っている船が難破し、助かった妹ヴァイオラは男装し、縁あって貴族オーシーノ侯爵に従僕として仕える。この貴族が思いを寄せる伯爵令嬢オリヴィアへの使者に立つと、令嬢はこの美しい従僕が女とも知らず一目ぼれ。それとなく口説きはじめる。が、ヴァイオラは密かに主人オーシーノへ恋心を抱いている。そんなやりとりのところ、今度は死んだと思われた双子のセバスチャンが現われ、これが従僕のヴァイオラと間違われたために、いろいろとトラブルが起こる。令嬢を慕う気取った執事のマルヴォーリオがからんでさらにドタバタ調に。
 原作はエリザベス王朝時代だが、この映画は衣裳など十九世紀末のヴィクトリア時代の風俗に置き換えている。
 私が初めて『十二夜』の舞台を観たのは一九七〇年代の後半、出口典生の演出で小田島雄志の翻訳、シェイクスピア全作品の上演に挑戦する若手劇団シェイクスピアシアターの公演だった。客席はもう吉本新喜劇以上の大爆笑。
 シェイクスピアというと古典文学であり、伝統芸術と思われがちだが、心地よいせりふと面白い筋立てで観客をひきつける舞台作りの名人だった。
 余談だが、実をいうと私の子供も男女の双子である。二卵性で、とても瓜二つではないけれど。

 

十二夜/The Twelfth Night
1996 イギリス/公開1998
監督:トレヴァー・ナン
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、イモジェン・スタッブス、リチャード・E・グラント、ナイジェル・ホーソン、トビー・スティーブンス、ベン・キングズレー

 

 

『映画に溺れて』第162回 ヴェニスの商人

第162回 ヴェニスの商人

平成十七年十一月(2005)
新宿 高島屋テアトルタイムズスクエア

 

 水の都ヴェニスの商人アントーニオは親友バッサーニオの結婚資金を用立てるため、嫌われ者の高利貸しシャイロックから借金する。利息はいらないが、もしも期日に返せなければ胸の肉を一ポンドもらい受けるという正式な証文。が、アントーニオの全財産を積んだ船が嵐で遭難し返済に間に合わない。そこで人肉裁判の場面となるのが有名なシェイクスピア喜劇。
 アル・パチーノはこれを喜劇ではなく、ユダヤ人の悲劇として映画化した。
 錠のかかったゲットーと呼ばれる専用の居住区に住まわされ、外出を制限され、一般の商行為も禁じられているので、キリスト教徒の蔑む金融と投資で生計を立てており、汚い高利貸しと罵られ道で唾を吐きかけられる。
 遊び人のバッサーニオは財産を浪費しつくし、今度は金持ちの娘との結婚を計画するも資金がなく、友人のアントーニオに無心する。アントーニオがどうして、こんな身勝手な友人の結婚資金まで調達してやるのか。それも嫌いなユダヤ人に借りてまで。実はアントーニオはこの友人に友情以上の恋慕の情を抱いており、バッサーニオがそれを巧みに利用するのだ。
 キリスト教徒にさんざん踏みつけにされてきたユダヤ人のシャイロックが、ようやく裁判という公の場で復讐する機会を得るが、偽裁判官に契約書の盲点を指摘され、敗訴する。すべてを失ったシャイロックの苦悩と絶望。
 アル・パチーノ演じるシャイロックは絵に描いたような悪人ではなく、頑固な初老の男である。最愛の娘をキリスト教徒に奪われ、怒りを爆発させる。なんたる悲運。
 一方、ジェレミー・アイアンズのアントーニオ、これがまた重くて暗い人物なのだ。恋人バッサーニオに去られ、傷心のまま終わる。あの時代、ユダヤ人以上に男同士の恋愛も迫害されており、露見すれば処刑の対象になることもあった。アントーニオにとっても、陽気なシェイクスピア劇の結末にはなっていなかった。

 

ヴェニスの商人/The Merchant of Venice
2004 アメリカ/公開2005
監督:マイケル・ラドフォード
出演:アル・パチーノジェレミー・アイアンズ、ジョゼフ・ファインズ、リン・コリンズ

 

『映画に溺れて』第161回 マクベス

第161回 マクベス

昭和四十八年十月(1973)
大阪 梅田 梅田地下劇場

 

 初めて観たシェイクスピア映画がポランスキーの『マクベス』であったのは、なんとも幸運だった。最初にオリビエの『ハムレット』を観ていたら、私はシェイクスピアを好きになったかどうか。
 ポランスキーの『マクベス』はアメリカのプレイボーイ誌が資金を出して作った映画で、古典劇というよりは、おどろおどろしい怪奇劇である。
 中世のスコットランド。グラミスの領主であり、勇敢な武将マクベスが、勝ち戦のあと盟友バンクォーとふたり、馬を疾駆させて帰還の途中、土砂降りの雨の中で不気味な三人の魔女に出会う。きれいはきたない、きたないはきれい。という有名な呪いの言葉ではじまる予言。グラミスの領主、コーダの領主、やがては王になるお方。
 ダンカン王のもとに戻ったマクベスは、戦の褒賞として、コーダの領地を与えられる。魔女の予言が本当ならば、自分はやがて王になる。心の中で燃え上がる野心にマクベス夫人が火をつけ、そそのかす。
 あとはもう、血で血を洗う残虐な殺戮シーン、裏切りと不安の日々。
 舞台の映画化というより、映画として面白かったのだ。舞台ではえんえんと続く役者の独白も、映画では呆然とするマクベスのアップに心の声としてナレーションでせりふが流れ、不自然さはまったくない。
 この映画の直後に劇団雲の格調高い福田恒存訳・演出で舞台の『マクベス』も堪能した。マクベス神山繁マクベス夫人は岸田今日子だった。
 その後、平幹二郎栗原小巻の蜷川版、串田和美吉田日出子自由劇場版、塩野谷正幸入江若葉の流山児版と機会があれば観に行き、もちろん映画では黒澤明の『蜘蛛巣城』も観て、『マクベス』は私の一番好きなシェイクスピア作品となったわけであるが、そのきっかけがロマン・ポランスキーであったのだ。

 

マクベス/Macbeth
1971 アメリカ/公開1973
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ジョン・フィンチ、フランセスカ・アニス、マーチン・ショー

 

頼迅庵の新書専門書ブックレビュー6

◯ ブックレビュー6

『ハーバードの日本人論』(佐藤智恵中公新書ラクレ

 

 
 ハーバード大学は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストン郊外ケンブリッジに位置する総合私立大学です。同時に、イギリスの植民地時代1636年に設置されたアメリカ最古の大学でもあります。
 ハーバード大学は、各種の大学ランキングではつねに最上位に位置するアメリカ屈指の名門校で、政財界から学術分野まで幅広い分野で指導的な人材を輩出しつづけています。ウィキペディアによれば、2018年時点で8人のアメリカ大統領、48人のノーベル賞受賞者・48人のピュリッツアー賞受賞者が出ているほか、32人の元留学生が母国で国家元首となっています。言わば、世界の知性のトップに位置する大学といっても過言ではないでしょう。

 そのハーバード大学では、日本史や日本人についての講義があり、毎年盛況だそうです。本書はそのうち日本人論について10人の教授にインタビューを行ったものをまとめたものです。

 著者の佐藤さんはいいます。「日本人ほど『日本人論』が好きな国民はいない」と。同時に日本人は、歴史好きとしても知られています。外国の、それも最高の知性といっても良いハーバード大学の教授たちは日本人をどう見ているのでしょうか。それは同時に2000年の長い歴史を持つ日本民族の歴史と現在を知ることにもなるのではないでしょうか。

 いずれも興味深い10の講義を見てみましょう。本当に興味深いテーマばかりなのですが、長くなりますので、ここでは紹介だけに留めます。関心あるテーマがあれば、ぜひ本文をお読みください。
 まず本書で取り上げる講義のテーマとサブテーマ、ハーバード大学の教員名(専門)の順、そして佐藤さんの問題意識などをいくつか中心に紹介します。

  • 第1講義(メディア論)日本人はなぜロボットを友達だと思うのか

宮崎駿押井守が描く「テクノロジーと人間」
アレクサンダー・ザルテン准教授(メディア論、映画学)
① ほかの国の映画にはない日本映画の魅力とは何か
② 日本にはロボットが登場する映画が多いが、日本人の特性と関係があるのか

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『映画に溺れて』第160回 エド・ウッド

第160回 エド・ウッド

平成七年十月(1995)
日比谷 シャンテシネ3

 

 どんな世界にも頂点を極める一流の人物がいれば、そこそこに活躍する中堅がいて、さらに底辺で仕事をしているさほど有名でない人たちがいる。もちろん、彼らはみんなそれなりにプロなのだ。
 時代は『サンセット大通り』の一九五〇年代、ジョニー・デップ扮するエドワード・ウッドはハリウッドの撮影所で雑用の仕事をしながら、いつか監督になりたいと夢見ている。ある日、偶然にかつての怪奇スター、ベラ・ルゴシと知り合い、彼の名前を利用して、映画会社に自分の企画を売り込む。今は落ち目で金に困った孤独な老人ルゴシは喜んで仕事を引き受け、その演技は堂々としたもの。だが、弱小会社の映画は都市部では上映さえされない。
 楽天家のウッドは安っぽいセットにも、下手な三流俳優の演技にもまったく平気で、嬉々として次々に企画を立て、低予算の怪奇ものやSFものを短期スケジュールで作り続ける。製作費を工面するため、金持ちらしい女優志願の女性を見つけると、さっそく主役にしてしまい、長年主演女優だった恋人には去られる。ベラ・ルゴシが麻薬に溺れて入院すると、親身に世話を焼くが、その死をちゃっかりと次の映画に利用することも忘れない。
 細部にこだわらないウッド。それをいいことに、まわりが好き勝手を始めると、とうとう頭にきて、撮影を投げ出し女装のままバーへ酒をひっかけに行く。彼には女装趣味があり、スタジオでは女装で演出していたのだ。そのバーで偶然にも大監督オーソン・ウェルズを見かけ、面識もないのに思いきって声をかけ、お互い映画作りの大変さについて語りあう。女装のウッドに鷹揚に応じるウェルズもすごい。
 この映画はモノクロ。棺から起き上がった怪人物がものものしくエド・ウッドの伝説を語りだすオープニングは『死霊の盆踊り』へのオマージュであろう。
 実在のエド・ウッドは七〇年代、アルコールに溺れて貧しく不遇のまま亡くなった。生前に作品が評価されることなく、最低の映画監督と称されている。

 

エド・ウッド/Ed Wood
1994 アメリカ/1995
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップマーティン・ランドーサラ・ジェシカ・パーカーパトリシア・アークェット、ジェフリー・ジョーンズ、ビル・マーレイ

『映画に溺れて』第159回 ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲

第159回 ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲

 

平成十五年八月(2003)
新橋 新橋文化

 映画マニアあるいはオタク、フリーク、コレクター、彼らの好むジャンルというのは、アニメーション、SF、オカルト、ホラーなどで、あまり文芸大作のオタクとか、社会派のフリークというのは聞かない。それでも、私の知人に社会派映画を異様に好む生真面目な熱血漢がいて、ちょっと描写が甘かったりすると、こんなもんじゃないよ。と怒り出す。彼はコメディはまったく認めない。あんなもん、嘘ばっかりだと言って。で、コメディが嫌いなくせに、もっと嘘ばかりの宇宙SFがけっこう好きだったりするから不思議な人だ。
 さて、『ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲』は、映画マニアのお遊び映画。ジェイとサイレント・ボブは自分たちをモデルにしたコミックが知らないうちに映画化されることになり、さんざんコケにされているので、撮影阻止のためハリウッドに乗り込む。その途中で知り合った動物虐待反対運動の女四人組に頼まれて、製薬会社から実験動物を逃がす手伝いをしたり。
 有名映画のパロディシーンも豊富。下品ギャグも豊富。スターや監督も実名で出演。中年となったマーク・ハミルが『スターウォーズ』を茶化した宇宙活劇のシーンに悪役で登場したり。ベン・アフレックマット・デイモンが『グッドウィルハンティング2・狩りの季節』という続編を撮影中で、監督のガス・ヴァン・サントは全然やる気がなく、アフレックとデイモンはお互いのハリウッドメジャー作品をやり玉にあげてけなし合う。
 マニア向きのお遊び映画というのはマニア以外にはほとんどどうでもいいような内容なので、まずヒットはしないし、下手をすると劇場公開されず、DVD発売やネット配信のみで終わる。
 私の知人の熱血漢氏、この映画、全然わからなくて、あまりにつまらなくて、怒って途中で映画館を出たという。それでも私は彼に一目置いている。こんな映画でもちゃんと封切時に映画館へお金払って観に行く人だから。もっとも彼はシリアスな宇宙SFの新作と勘違いしたらしいが。

 

ジェイ&サイレント・ボブ帝国への逆襲/Jay and Silent Bob: Strike Back
2001 アメリカ/公開2003
監督:ケヴィン・スミス
出演:ジェイスン・ミューズ、ケヴィン・スミスベン・アフレック

『映画に溺れて』第158回 変態家族 兄貴の嫁さん

第158回 変態家族 兄貴の嫁さん

平成四年五月(1992)
大井 大井武蔵野館

 

 大手日活のロマンポルノ、それ以外のピンク映画、それら成人映画は一種の若手監督の登竜門でもあったのだろう。『おくりびと』の滝田洋二郎をはじめ、ピンク映画界から巣立ち、後に大作、話題作を撮る名匠となった監督は多い。
 大井武蔵野館で観た周防正行監督『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』そして『変態家族 兄貴の嫁さん』の三本立て。
 なんて贅沢な組み合わせだったろう。その後、『Shall we ダンス?』が大ヒットして、名監督と呼ばれるようになる前、周防監督がデビューを果たしたピンク映画作品。それが『変態家族 兄貴の嫁さん』である。
 これを映画館で観たときの衝撃。思わず笑いがこみあげた。
 和紙に墨で書かれたタイトルで始まり、おや、この既視感はなんだろう。そう思ううち、東京タワー、結婚式場、居間に吊られた式服、卓袱台を囲む家族たち、セットや小道具、背景、登場人物のせりふまわしや構図まで、小津安二郎の映画にそっくりなのだ。
『晩春』『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』などからそのまま借りてきたような場面の連続。しかもこれが成人映画。仰天した。
 当然ながらポルノである以上、男女が裸でからむシーンが次々に現れる。
 が、それでもなお、大杉漣が演じる笠智衆そっくりの父親をはじめ、出演者たちは小津作品のキャラクターをかなり真摯に真似ていた。純然たる真似であり、決して小津作品を茶化すような卑猥なパロディではない。
『変態家族 兄貴の嫁さん』は『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』に劣らぬ名作であると私は思う。
 そして、この組み合わせの三本立てを上映してくれた今はなき大井武蔵野館に感謝する次第である。

 

変態家族 兄貴の嫁さん
1984
監督:周防正行
出演:風かおる、山地美貴、麻生うさぎ大杉漣、下元史朗

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第34回 226

 昭和11年(1936)2月26日。雪道を踏みならす軍靴の音が、赤坂表町に向かっていました。首都を震撼させた226事件が起こったのです。陸軍の青年将校が兵を率い、首相や教育総監を殺害しました。警視庁も占拠されます。
 田畑政治阿部サダヲ)が出社した朝日新聞社も混乱していました。号外を出そうとするも、内務省から一切の記事を差し止めろとの命令を受けます。そして社内に兵隊たちが突入してくるのです。皆に銃を向け、将校が「一番偉い人に合わせろ」といってきます。政治部長緒方竹虎(李リ・フランキー)が、自分が行くといいます。
 緒方と対面した青年将校は、拳銃を取り出します。相手の懐に入り、撃たれるのを回避する緒方。青年将校はいいます。
高橋是清天誅を下してきた」そして拳銃を振り上げて叫びます。「国賊新聞をたたき壊すのだ」
「ちょっとまってくれ」と、緒方は止めます。「中には、社員はもちろん、女子供もいる。まずはそれを出す」
 将校は待ちます。田畑が抗議している間、待ちきれなくなった兵隊がなだれ込んできます。オリンピックの写真を踏みつけられた田畑は怒って、兵隊にしがみつきます。そして銃把で殴られることになるのです。
 前代未聞のクーデター事件に、政府は報道を差し止め、新聞もラジオも事件を伝えられずにいました。第一報は、事件発生から十五時間が経った午後八時半に行われました。首都機能が占拠されるという事態を受け、政府は戒厳令を敷きました。反乱軍は29日に投降しましたが、依然、東京は厳戒態勢のままでした。
 そんなとき、IOC会長のラトゥールが、サンフランシスコを出航したという知らせが田畑のもとにもたらされます。一週間後、横浜に着くことになっていました。
 田畑は嘉納たちのいる東京市庁舎に向かいます。途中、検問を張っている兵隊たちに出会います。
 田畑がやってきてみると、嘉納治五郎役所広司)は張りきっていました。
「ラトゥールが来るんだぞ。ベルギーから。東京でオリンピックを開催できるか否か、IOC会長みずから品定めに来るんだぞ」
 これにはさすがの田畑も怒ります。
戒厳令ですよ。剣付き鉄砲構えた兵士がそこらじゅうに突っ立ってにらんでやがる。いつ反乱軍と鎮圧軍でいくさが始まるか、民間人が巻き込まれるかもわからない。そんな東京でお祭りですか。こんな時にオリンピックですか」しかし田畑は部屋に下がっている日の丸とオリンピックの旗を見ていうのです。「でもやりたい」そして嘉納を振り返ります。「だから加納さん。あんたが本気ならついていく。どうなんだよ。やれんのかよ」
 嘉納は静かにしゃべり始めます。
「やれるとかやりたいとかじゃないんだよ」立ち上がって机を叩いて叫びます。「やるんだよ」田畑もその迫力に押されます。「そのためなら、いかなる努力も惜しまん」
 田畑はうなずきます。大声を出します。
「よーしわかった。やりましょう。今後一切、後ろ向きの発言はしません」
 外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)の手腕により、ムッソリーニにオリンピックの開催地を譲ってもらう約束をした日本。しかしIOC総会にて杉村が強硬にそれを主張した結果、IOC会長のラトゥールを怒らせることになってしまったのです。今回はラトゥールを東京に招き、謝ると同時に接待して機嫌を取ろうという作戦でした。歌舞伎や角力も見てもらって、神宮外苑競技場を視察してもらいます。戒厳令下の東京を横断することになります。これには専用の車を用意する必要があります。抜け道にくわしい運転手も。
 ついにラトゥールが来日し、はしゃぐ嘉納たち。杉村はラトゥールに謝罪しようとしますが、ラトゥールは固い表情のままです。ラトゥールは記者たちに聞かれます。このたびの訪日のご用件は。ラトゥールはいいます。1940年のオリンピック大会を東京で出来るかどうか見極める。
 嘉納は元人力車夫の清さん(峯田和信)を手配していました。清さんの妻の小梅(橋本 愛)も駆けつけています。戒厳令下の東京を人力車で案内するという作戦でした。田畑もそれについていくことになります。一行は隅田川ぞいを桜を見ながら新橋方面に流し、歌舞伎を鑑賞して芝の料亭で会食します。そしてラトゥールは神宮外苑競技場にやってきます。嘉納が説明します。(競技場が)ほぼ完成というときに関東大震災が起こり、ここも避難所として、一時期、東京市民に開放した。
アントワープの大会は、実に素晴らしかった」嘉納はいいます。「戦争で痛手を受けた街で、あえて開催したあなたの決断に、感銘を受けた」
 清さんの引く人力車に乗ってラトゥールと田畑は出発します。近道の路地に入ると、ラトゥールは子供たちの遊ぶ様子に興味を示し、人力車を降りるのです。子供たちは馬跳びやゴム跳びに加え、オリンピックごっこを行っていました。感激して
「オリンピック」
 の声を出すラトゥール。
 その頃、熊本では金栗四三が義母の幾江(大竹しのぶ)や妻のスヤ(綾瀬はるか)に話をしていました。嘉納治五郎から、東京にオリンピックを呼ぶ力になってくれとの手紙が来た。幾江はいいます。
「そぎゃん行きたかなら、行ったらよか。そんかわり、りっぱに、きっちり成し遂げてこい。国ばあげてのお祭りやけん」
 ほっとして四三はいいます。四年後の大会を見届けたらすぐに帰ってくる。まあ、俺なんか留守にしても寂しくないだろうし。それに対し、幾江は怒っていいます。
「寂しくなかとはどぎゃんこつか」
 寂しくないわけがない。なぜそんな他人行儀な冷たいことをいうのか。自分はせがれに死なれている。四三は生みの親を亡くしている。もうほかに頼るものもいない。もう親子になるしかないではないか。もう観念しろ。腹をくくって息子らしくしろ。四年もいなかったら寂しい。四三はそれを聞いて涙を流します。
「俺も寂しか」
 と、四三は思わず幾江に抱きつくのです。
 東京で嘉納は、ラトゥールに柔道を指導しています。近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵との思い出を語ります。いずれ極東にもオリンピックを、と嘉納はクーベルタンにいいます。いくらなんでも遠すぎる、と、クーベルタンは笑いました。
「だがあなたは来た」柔道場で嘉納はラトゥールにいいます。「船酔いに耐え、極東まで。それだけでも感謝している」
 嘉納は一緒に柔道を行っていた杉村を呼びます。杉村に訳すようにいって話し始めます。
「そもそもムッソリーニを説得せよと命じたのは私だ。道に反することをした。あなたの顔に泥を塗った。それについては謝る。この通りだ」
 嘉納はラトゥールに手をついて頭を下げるのです。杉村も共に謝ります。嘉納は語ります。
「ご覧いただいたように、東京にはオリンピックを開催する条件がそろっている。国民の関心度も高い。それなのに、ヨーロッパから遠いというだけで、これまで見てもらうことすらかなわなかった」嘉納はラトゥールを見上げます「正攻法では間に合わんと踏んで、禁じ手を使った。すまん」
 再び嘉納は頭を下げます。最高の、アジア初の、歴史に残る、平和の祭典にしてみせる。約束する。と、嘉納は言い切るのです。そして「よい返事を待っています」との言葉を残して去って行くのです。その後で杉村はIOC委員を辞任することをラトゥールに告げます。私の願いは、東京にオリンピックを招致すること。そのためには喜んで身を引きます。
「ローマが降りたのは、杉村さんの功績です」去って行こうとする杉村に田畑は声をかけます。「お疲れ様でした」
 視察際最終日になりました。ラトゥールは記者に囲まれます。
「この国では、子供でさえもオリンピックを知っている。戒厳令の街で、子供たちはスポーツに夢中だ。オリンピック精神が満ちている」そしてラトゥールはこう結びます。「オリンピックはアジアに来るべきだ」
 人力車でラトゥールと田畑を送る清さんに、妻の小梅が声をかけます。
「あんた、日本一」
 そして人力車に乗っていたラトゥールが金栗を見たと言い出します。
「何いってんの。金栗は熊本です」
 と取り合わない田畑。
 しかしそれは金栗四三その人だったのです。