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書評『六莫迦記』--これが本所の穀潰し

書名『六莫迦記(ろくばかき)――これが本所(ほんじょ)の穀潰(ごくつぶ)し』
著者 新美 健
発売 早川書房
発行年月日  2020年1月15日
定価  ¥660E

六莫迦記 これが本所の穀潰し (ハヤカワ文庫JA)

六莫迦記 これが本所の穀潰し (ハヤカワ文庫JA)

 

 250年以上の長きにわたり「太平の世」が続いた江戸時代だが、化政期から天保初期までの時期を中心、寛政の改革天保の改革の間の40年ほどの時期、つまり家(いえ)斉(なり)(1773~1841)の将軍時代も含めて家斉の治世全般を、「大御所(おおごしょ)時代(じだい)」という。一揆・打ち毀しの「内憂」と異国船の来航の「外患」に象徴される如く、財政の危機や身分や社会秩序の動揺など多大な難題が激化してきているのに、表面では「泰平謳歌」として現れている時期という逆説的な意味が「大御所時代」には込められている。
 8代将軍吉宗(よしむね)の曽孫である家斉は天明7年(1787)14歳で11代将軍に就き、将軍在位足掛け実に51年に及び、歴代将軍で最長。大塩(おおしお)平八郎(へいはちろう)の乱が起きた天保8年(1837)66歳で家慶に将軍職を譲るも、大御所として君臨。明治維新の27年前の天保12年(1841)に没しているが、放漫な側近政治と勝手気ままな享楽生活を謳歌。妻妾およそ40人に及び、16腹に男子28人・女子27人の計55人もの子を産ませ、「オットセイ将軍」の異名を奉られている。
 文政12年(1829)刊行の柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783~1842)の『偽紫(にせむらさき)田舎源氏(いなかげんじ)』は将軍家斉の奔放な閨房生活の内情を描写したものとの風評が立ち、後に天保の改革で絶版とされた。なお、戯作者柳亭種彦は本名を高屋(たかや)知久(ともひさ)という小普請組(こぶしんぐみ)二百石取りの旗本だが、武芸にはついぞ関心がなく、余技に戯作を書いていた。
 稀に見る漁色家で奢侈を好んだ将軍家斉の豪奢な生活は大奥だけにとどまらず、権力内部の紊乱腐敗により、幕政はなおざりにされた。そうした状態が長期化すれば、刹那的で向上性のない、投げやりな生活感情、享楽的な風潮が一般社会へ蔓延していくのは当然であろう。幕府滅亡の凶兆は実に家斉にはじまると言い切る史家もいる。
 天明(1781~88)のころより「大江戸」と称するようになった江戸は町方人口50万、武家人口60万、寺社人口10万。加えるに、地方で困窮した逃散農民などが流れ込み、人口100万をゆうに超える大消費地であった。
 また、江戸は武士より町人の世なのであった。御家人株の売買がいつ頃から行われるようになったのか判然としないが、町人でさえ武家株を買えば大小を差す身分になれた。江戸中期以降、武士の生活は貨幣経済の波に翻弄され、困窮は深刻になる中で、小禄の下級旗本や御家人の窮迫が最も激しかった。武家株の売買は経済的窮迫を図る武家方の究極の解決策の非常手段であった。

 前置きが長くなったが、本書は大御所時代を時代背景とし、将軍のお膝元・大江戸を舞台とした時代小説である。
葛木(かつらぎ)家の当主の葛木(かつらぎ)主水(もんど)とその妻妙(たえ)。狸面(たぬきづら)の主水は小普請組に属す。家格は微妙を極め、柳亭種彦と同じく二百石取りの小身武家。狐面(きつねづら)で、歳の頃は40の境の、いかにも武家の女という感じの妻とともに本所の外れに住んでいる。
 文政元年(1818)「江戸朱引図(しゅびきず)」が作成され、朱引内という境界画定を行い、江戸の東西南北の範囲を明確にした。「本所の外れ」は大川のさらに東を流れる横十間川(別名・天神川)を渡った先にある。歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)(1797~1858)の描く『名所江戸百景』「柳しま」の南方に主水の屋敷はあることになる。
 葛木家には、成人した男の六ッ子がいる。みな莫迦である。内訳は、戯作莫迦の長男逸朗、傾(かぶ)奇(き)莫迦の次男雉朗、撃剣莫迦の三男佐武朗、葉隠(はがくれ)莫迦の四男刺朗、守銭奴莫迦の五男呉朗、町人かぶれ莫迦の六男碌朗の六人である。
六ッ子各人に〈幕〉(章)が振り分けられている。各章とも、テンポよく、軽妙洒脱にストリーが転がっていく。
「――穀潰(ごくつぶ)しども、たんと召し上がれ」菩薩のような笑顔の母御の毒舌を浴びながら、葛木家の朝餉が始まる。主な登場人物はこれら葛木家家族8人に元御庭番(おにわばん)の下男安吉(やすきち)、下女鈴(すず)(安吉の孫娘、16歳)の二人を加えた10人である。
 家禄は低くても、父親が壮健であれば飢えることもない。矜持を捨て日銭を稼ぎ、高望みさえしなければ、これほど安楽な身分はない、と六ッ子たちは若き武士でありながら、学問所や剣道場へ通うわけでもなく、売りたいほどに暇を持て余している。武家の対面などどこ吹く風で、屋敷の裏口から、彼方此方へ――浅草寺の奥山、上野、両国の広小路、吉原遊郭、深川、品川宿。本所南の悪所。岡場所。色茶屋。猫茶屋、巫女茶屋――と、こっそり出入りを繰り返している。「太平の世」はかくのごとき珠玉の莫迦どもを生み出すに至った。
 部屋住みの厄介者、役立たずの六ッ子を前にして、悩んだ父親の主水は宣言する。「莫迦どもの中で一番ましな者に家督を譲る。それ以外の五人は座敷牢に閉じ込める!」と。六ッ子にとって、危機存亡の際、乱世が到来したのだ。
 役職にある幕臣は、一般的には70歳前後になると、辞職願を出し、一旦寄合組(よりあいぐみ)か小普請組に入ってから、何年かして致仕願を出し、家督や知行地、拝領屋敷などを子に譲って隠居するのが通例であった。

 主水は年齢不詳だが、隠居するのはまだ早いと思われた。
 慌てた六ツ子は我こそ跡継ぎにと主張し、ある者は戯作者、ある者は歌舞伎役者、その他、撃剣道場の主、算盤侍、遊び人志望などなど。自立を探る道を求めて、知恵を振り絞り、力の限りを尽くす。一章一章読み進むうちに、六ッ子の身上や人柄が明らかになってゆくのは面白おかしいことこの上ない。
 謎解きの最終章〈結〉で、「徳川家の当代将軍」が登場する。家斉の名はないが家斉であることに違いあるまい。葛木家の跡目争いは「当代将軍」が主水に命じた秘事であった。六ッ子は22年前、色好みの将軍が双子の女中に産ませた子、つまり六ッ子は畏れ多くも将軍の庶子であった……。
 跡目争いは暗礁に乗り上げ、行き詰まり、六ッ子たちは諦観と弛緩に至っている。六ッ子に限らず、武家の先行きも闇であった。御家人の多くはただ武士だというだけで扶持米を貪ってきたのだ。いつなんどき、どのような理不尽に有ったとて、これは甘受すべき運命なのであろう。
 国内では戦争のない「太平の世」である大御所時代は、幕藩体制の長い解体過程であった。六ッ子たちは歴史に名を残さない。だが毎日の生活の中にも歴史は入り込む。作家のまるで手品のような軽妙な六ッ子の莫迦ぶりのその裏に、皮肉と諧謔を込めた作家の鋭い歴史への洞察眼が凛と光っている。
 御馴染みになった登場人物とこのまま別れてしまうのは実に惜しい。六ッ子たちはもちろんのこと、主水・妙の夫婦、重要な役割を務める下男安吉下女鈴のその先が読みたいと思うのは評者(わたし)ばかりではあるまい。
 作家・新美(にいみ)健(けん)は1968年生まれ、愛知県在住。2015年、デビュー作『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』で第7回角川春樹小説賞〈特別賞〉、第5回歴史時代小説作家クラブ賞〈文庫新人賞〉をダブル受賞。既刊に『つわもの長屋』「隠密同心と女盗賊」などのシリーズ、『満洲コンフィデンシャル』等多数。
           (令和2年2月5日 雨宮由希夫 記)

 

 

『映画に溺れて』第307回 夜と霧

第307回 夜と霧

平成十四年一月(2002)
東中野 BOX東中野


これぞ究極のドキュメンタリー。ホロコーストの古典的記録映画である。
 第二次大戦中、ナチスドイツはユダヤ人を効率的に抹殺するため、占領下の東欧各地に強制収容所を作った。
 その建設に利権を求める土建業者たち。
 収容所が作られると、次々とドイツ本国および占領地のユダヤ人が検挙され、貨物列車に詰め込まれ、送りこまれる。列車内の劣悪な輸送状態に辿り着く前に死んでしまうユダヤ人も多い。
衣服をはぎ取られ、家畜小屋のような場所に入れられ、強制労働させられる。
 ユダヤ人を監督するのは、刑務所から集められた凶悪犯たち。
 病院もあるが、そこは病人を治療する場所ではなく、ユダヤ人を生きたまま解剖したり、毒薬の開発に役立てる生体実験室だった。
 そして、大量のユダヤ人が次々に送られて来て、選別され、ガス室で処理される。
ナチスはおびただしい死骸の有効利用も考案した。毛髪は鬘やクッションの材料、皮膚は皮革製品、脂肪は石鹸へと作り変えられる。
 処理後のユダヤ人の首がいくつもバケツに投げこまれている。人間ではなく、まるで家畜の解体工場のようだ。
連合軍がやって来て、おびただしいユダヤ人の死体が埋葬される。大きな穴にブルドーザーで落とされて。
 本物の映像が、これらの事実を語っていることの凄さ。私が観たBOX東中野での上映はノーカットオリジナル完全版とのことである。
 北杜夫の小説『夜と霧の隅で』はこの当時のドイツに留学した日本人医学生の物語である。


夜と霧/Nuit et Brouillard
1955 フランス/公開1961
監督:アラン・レネ
ドキュメンタリー

『映画に溺れて』第306回 アイアン・スカイ

第306回 アイアン・スカイ

平成二十四年十月(2012)
府中 TOHOシネマズ府中


 近未来、アメリカは女性が大統領。次の選挙にそなえ、人気取りに黒人飛行士ジェームズ・ワシントンを月に送り月面から選挙公報、と思いきや、ジェームズの目に入ったのは月の裏側に作られた巨大なハーケンクロイツ。第二次大戦で敗戦の決したナチスの精鋭が、密かに月に逃れ、宇宙基地を建設、地球攻撃の機会を何十年もうかがっていた。この月面の基地、ほとんど一九四〇年代から進歩していない古色蒼然たるアナクロニズム
 ナチスの科学者はジェームズのスマホの超小型コンピュータ機能に注目、これを利用して、月面の軍事基地は大活性化する。が電池切れ。地球には大量のスマホがあると知り、月面将校クラウスが先陣として円盤型宇宙船で地球へ乗り込む。案内させられるのがアーリア薬を注入され肌の白くなったジェームズ。
 最初から最後まで無茶苦茶なギャグがいっぱい。月面の小学校ではチャップリンの『独裁者』をヒンケルが地球儀をもてあそぶ場面を中心に十分間の短編に編集し、総統の地球への愛を描いた美しい物語として見せている。
 合衆国大統領選の広告宣伝を請け負った代理店は、選挙演説に愛国、同胞愛、父母への敬愛などヒトラーのスローガンをそのまま引用して人気を高め、月面のナチスと今戦争すれば、国民の支持が高まると大統領は大喜び。
 核兵器満載のアメリカの宇宙戦艦の名前がジョージ・W・ブッシュ号。
 映画のラストシーン、さんざん笑わせて、ああ、怖い。キューブリックの『博士の異常な愛情』を思い出す。
 ハリウッドのコメディかと思ったら、フィンランドの映画なのだ。だから、国連の場面で唯一核武装していない国がフィンランドだけというギャグに納得。
 吸血鬼映画でおなじみのウド・キアが月面の総統役で登場。


アイアン・スカイ/Iron Sky
2012 フィンランド・ドイツ・オーストラリア/公開2012
監督:ティモ・ヴオレンソラ
出演:ユリア・ディーツェ、ゴッツ・オット、クリストファー・カービー、ペータ・サージェントステファニー・ポール、タイロ・プリュックナー、ウド・キア

 

『映画に溺れて』第305回 アドルフの画集

第305回 アドルフの画集

平成十六年六月(2004)
飯田橋 ギンレイホール


『鉤十字の帝王』というSF物語。作者は一九二〇年頃にオーストリアからアメリカへ移住し、イラストレーターとして成功した後、SF小説家となった人物。内容は宇宙の冒険活劇で、金髪碧眼の英雄が人間界にまぎれこんでいる汚い血のミュータントを撲滅し、大宇宙に偉大なる帝国を建設する。大宇宙に翻る鉤十字、帝王を称え右手を高く掲げる敬礼、機械的な美しさで統制された国民、それを書いた作家の名がアドルフ・ヒトラー
 現実世界で独裁者にならず、アメリカに移住してイラストレーターからSF作家となったヒトラーを描いた架空世界の物語『鉄の夢』の中の小説中小説が『鉤十字の帝王』で、一九五〇年代に書かれたヒトラーの遺作という設定ではあるが、内容はそのままナチスの歴史を宇宙に置き換えて戯画化したもの。
 ヒトラーは政治家になる前は画家志望だった。貧しい画家志望の青年ヒトラーを描いた映画が『アドルフの画集』である。
 第一次大戦から戻っても職がなく、絵を描いて過ごすアドルフ。その才能を見出したのが裕福なユダヤ人の画商マックスだった。そこに描かれているのは近未来の都市と国民の図。マックスはこの若い画家の才能に並々ならぬものを感じ、売り出すことを約束し、アドルフは希望に燃える。ところが約束の場所にマックスは現われなかった。ユダヤ商人に約束をすっぽかされ、失望するアドルフ。実はそのとき、マックスは反ユダヤ主義の暴漢に襲われ倒れていたのだ。ヒトラーが歴史に登場する以前から反ユダヤ主義は根強く、後にナチスはそれを政策として巧みに利用した。
 画商に裏切られたヒトラーはようやく自分の道を見出す。絵筆で描く古臭い芸術ではなく、心の深みを表現する生きた絵画。政治も経済も科学もすべてを総合した芸術を現実世界で生身の民衆を材料に作り出してやろう。
 ドイツ第三帝国の悲劇の始まりである。


アドルフの画集/Max
2002 ハンガリー/公開2004
監督メノ・メイエス
出演ジョン・キューザックノア・テイラーリリー・ソビエスキーモリー・パーカー

『映画に溺れて』第304回 ミケランジェロの暗号

第304回 ミケランジェロの暗号  

平成二十三年十月(2011)
日比谷 シャンテシネ3


 ナチス占領下のウィーンを舞台にした上質の娯楽サスペンス。
 一九三〇年代末期、ウィーンで画廊を経営する裕福なユダヤ人。この画商一族に伝わるのがミケランジェロの幻の直筆デッサン。
 やがて、ドイツ軍によるオーストリア侵攻。デッサンの存在を突き止めたナチス親衛隊が画商一家の屋敷に現れ、絵を要求する。渡せば国外に逃がしてやるが、渡さなければ処刑。イタリアと協力体制をとるため、幻のミケランジェロヒトラームッソリーニにプレゼントする手はずなのだ。絵の存在をナチスに知らせたのが画商の息子ヴィクトルのかつての幼なじみ、元使用人の息子ルディで、彼はその手柄で親衛隊に入隊。画商は仕方なく絵を親衛隊に渡すが、一家の行き先はアウシュビッツだった。画商は死に、収容所に収監されているヴィクトルの元に親衛隊大尉となったルディが現れる。ナチスの手に渡ったデッサンは模写だったのだ。本物のありかを尋問するため、ルディはヴィクトルをドイツへ移送する。
 ところが彼らの乗った飛行機がパルチザンに狙撃されて墜落、助かったのはヴィクトルとルディのふたりだけ。見つかったらパルチザンに殺されると思ったルディは軍服を脱ぎ捨てヴィクトルの縞がら服に着替える。
 ところがそこに現れたのはドイツ軍だった。すばやく親衛隊の軍服を身に着けたヴィクトルを兵士たちは将校として遇する。ここから二人の立場が逆転し、ヴィクトルは親衛隊の大尉としてふるまい、ルディは自分が大尉だと言い張っても、認めてもらえずにユダヤ人として殴られ蹴られる日々。
 ヒトラーアーリア人の優秀さ、美しさを称え、ユダヤ人を劣等民族として抹殺しようとした。だが、着ている服を交換しただけで、見分けがつかなくなるのだ。
 物語はこの後も二転三転して、ミケランジェロの真筆は、いったい誰の手に渡るのか。過酷な時代の悲劇をユーモアとサスペンスを交えて仕立て上げた大戦秘話である。


ミケランジェロの暗号/Mein bester Feind
2010 オーストリア/公開2011
監督:ウォルフガング・ムルンベルガー
出演:モーリッツ・ブライブトロイ、ゲオルク・フリードリッヒ、ウルズラ・シュトラウスマルト・ケラー、ウド・ザメル、ウーヴェ・ボーム、メラーブ・ニニッゼ

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三回 美濃の国

 天文十六年(1547)。織田勢が美濃に押し入りましたが、斎藤利政(後の道三)(本木雅弘)の計略によって勝利します。織田信秀高橋克典)を扇動し、美濃に攻め込ませたのは、美濃守護であり帰蝶川口春奈)の夫でもあった土岐頼純でした。頼純は織田を利用して、美濃の実権を取り戻そうとしたのでした。頼純は家臣である道三によって命を断たれます。
 その半年後、帰蝶明智光秀十兵衛(長谷川博己)のもとを訪ねます。帰蝶は医師、望月東庵の助手である駒(門脇麦)と親しく話していました。そこへ光秀の母であり、帰蝶の叔母でもある牧(石川さゆり)がやってきます。帰蝶は子供の頃、明智家に預けられ、一年ほどを過ごしていたのです。帰蝶は駒に、牧から聞いた狐の話を聞かせます。
 昔、村の若者が嫁探しの旅に出ます。野原で出会った少女を気に入った若者は、彼女と結婚します。若者と娘は、子供もできて幸せに暮らしますが、家にいる犬がいつも娘に吠えかけます。実は娘は狐だったのです。ある日、犬がひどく吠えて娘に迫り、娘は若者の前で狐の姿を見せてしまいます。娘はもはやここで暮らすことはできないと、子供を残して去って行きます。
 別れの時、若者が唄を歌ったのではないかと駒がいい出します。その唄を歌ってみせるのです。帰蝶と牧は驚きます。少し違いはあるが、ほとんどその通りだったのです。京から来た駒が、なぜ美濃に古くから伝わるその唄を知っているのか、と牧はたずねます。
「ある人から聞いたことが」
 と、駒は答えます。その人は美濃のお方ですね、と牧はいいます。そこへ光秀がやってきます。光秀に話があるという帰蝶
「夫の土岐頼純があい果てたいきさつを存じているか」と帰蝶は切り出します。「皆はどう思っている。それを知っておきたい」
 その事実を聞いてどう思ったのかを帰蝶は光秀に問います。
「やむを得ぬと」光秀は答えます。「理由はどうあれ、守護のお立場にある頼純様が、他国の手を借り、美濃はいくさに巻き込まれたのです」
「わかった」
 帰蝶は立ち去ろうとします。声をかける光秀。
「ただ、頼純様と、お父上である殿との間に立たれた帰蝶様のお気持ちは、誰もがよく承知をいたしております」
 部屋に残っていた駒のところに、光秀は立ち寄ります。
「不思議なお話をうかがいました」駒がいいだします。「私が子供の頃、火事に遭って、そこから助けてくれたお武家様のことをお話ししましたよね。そのお武家様、私を慰めようとしていろんな話をしてくださって」
 その武家が、牧の話した、狐の話と同じものを駒に聞かせていたのです。自分の命を助けてくれたのは美濃の人かもしれない、という駒。
「もしそうなら、そのお侍に会えるといいですね」
 という光秀。駒は大きくうなずきます。
 美濃の国の守護、土岐氏は、源氏の流れをくむ名家として、絶大な権力を持ち続けていました。しかし一族の内紛は絶えず、土岐頼武、頼純兄弟が守護の座を争うに至り、その権力は大きく衰えていました。
 土岐頼芸(尾見としのり)は、一度は守護になりましたが、今は美濃の実権を握った家臣の斎藤利政(道三)に支えられ、隠居同然の生活に甘んじていました。
 そんな土岐頼芸のもとへ、道三は側室の子、斎藤高政(伊藤英明)とともに訪れます。
「そなた、頼純を殺したそうじゃな」
 さりげない口調で道三にいう頼芸。
「わたくしが、頼純様を」と、驚いてみせる道三。「あのいくさを起こした張本人であることを恥じられ、みずから毒をあおられたのでございます」
 道三は頼芸に守護になってもらいたいと、頼みにやってきたのでした。頼芸はいいます。
「守護いようがいまいが、守護代のそなたがすべてを取り仕切っているではないか。今や土岐家はそなたの操り人形だとみんな申しておる。今さら守護など」
「お嫌でございますか、守護におつきになるのは」
 と、道三。
「まだそなたに毒は盛られたくはない」
 という頼芸に、表情一つ変えず道三はいいます。
「操り人形に毒は盛りません」
 道三と高政が去ろうとするとき、高政だけが呼び止められます。
「お母上の芳野殿にお変わりはないか」
 と、頼芸は高政に話しかけます。芳野は、もとはといえば頼芸のところにいた女性でした。
「そなたの父は当てにならんな」頼芸は小声で言います。「わしが頼りとするのはそなたじゃ。我が子同様に、頼りにしておるぞ」
 道三たちが帰ると、頼芸は顔つきを変えます。家臣たちを怒鳴りつけます。
「すぐに使いを出すのじゃ、織田信秀に。この美濃を、あの成り上がり者から取り返すのじゃ。織田に今一度出兵を促す。手立てはえらばずじゃ」
 稲葉山城に帰ってきた高政は、母親の芳野(南果歩)に頼芸のところに行ってきた報告をします。芳野はいいます。
「昔そばにいたおなごが、今になって懐かしゅうなって、さてもしくじった。家来にくれてやるではなかったと、ほぞを噛んでおられるのじゃ」
 高政は芳野に問います。
「私の父親は、まことにあの父上でございますか。私の父親は、頼芸様では」
「何をたわけたことを」激高するでもなく芳野はいいます。「そなたの父親は、まぎれものう殿じゃ」
 道三がいつの間にか立っていました。喜んで迎える芳野。高政は下がります。
 光秀は高政に呼ばれて稲葉山城にやってきます。高政は光秀に鉄砲を差し出します。道三が高政と光秀に鉄砲を調べることを命じていたのです。光秀は高政に鉄砲の価値を力説します。しかし高政は乗り気になりません。
「はっきりいうが、父上は余りこれに興味がないのだ。わしやおぬしにやらせるというのはそういうことだ」高政はさりげなく付け加えます。「取るに足らんものは、取るに足らん者たちにやらせてみるというわけだ」
 怒って出て行こうとする光秀を高政が呼び止めます。鉄砲から弾が飛び出すところを自分も見てみたい、話もある。
 道すがら高政は不穏なことをいいだします。十年後も道三があの城の城主でいるかどうかわからない。道三には先がない。高政はさらにいます。土岐頼芸は、すでに道三を見限っている。あてにしているのは自分だといっていた。
「わしは土岐様のそのお気持ちに乗ろうと思う。父上に代わって国を支える。そう遠くない先に、そうしたいと思う。わしがそなたにいいたいのは、その折には力になってもらいたいということだ。共に、この国を治めて欲しい」
 黙っていた光秀でしたが、ついに口を切ります。
「その話、しかとうけたまわった」
 どうすればよい国になるかとの高政の問いに、鉄砲の狙いをつけながら光秀はいいます。
麒麟がくる国に」
 鉄砲が火を噴き、的に吊したひょうたんが砕け散ります。

 

ひねもすのたり新刊レビュー

2019年注目文庫書下ろしシリーズ本ベスト


 昨年の五月以来、連載が滞ってしまった。
 と言う事で一挙に注目シリーズを掲げておく。
 残念なお知らせが三つある。
 藤原緋沙子の人気シリーズ「切り絵図屋清七」(文春文庫)が第六巻『冬の虹』で幕を下ろした。

切り絵図屋清七 冬の虹 (文春文庫)

切り絵図屋清七 冬の虹 (文春文庫)

 

  時代小説の書き手にとっては必携の書となっているのが江戸切り絵図である。その切り絵図を題材に『二人静』( 2011年)を書き下ろしたのが本シリーズである。こういった発想のユニークさが作者の特筆すべきところである。江戸の町に不案内なためにひどい目にあっている人々のために主人公清七は自分で切り絵図を作りたいと思う。
モチーフも巧いもので、全く新しい切り口を持ったシリーズものに仕上がった。終わってしまうのが惜しい。

 篠綾子の「絵草紙屋万葉堂」シリーズ(小学館文庫)も第四巻『堅香子の花』が最終巻となった。万葉堂の女性記者であるヒロインさつきが田沼意知殺害の真相に迫る『鉢植えの梅』で幕を開けた。世評や巷間の噂といった既成の概念にとらわれず自らの足と知力で真相を探るひたむきさが清々しい印象を与えるシリーズである。特に注目すべきは両刃の刃となる言葉を大事にする記者としての矜持がきちんと描かれているところであった。この背景には現代のマスゴミ、失礼マスコミへの警鐘を内包している。こちらももっと続いて欲しかったシリーズである。

絵草紙屋万葉堂 堅香子の花: 紙草紙屋万葉道 (小学館文庫)

絵草紙屋万葉堂 堅香子の花: 紙草紙屋万葉道 (小学館文庫)

  • 作者:篠 綾子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/11/06
  • メディア: 文庫
 

  小早川涼の「新包丁人侍事件帖」シリーズ(角川文庫)も第四巻『料理番 旅立ちの季節』で終わってしまうようだ。第三巻『料理番子守り歌』(2015年)から時間がたっていたので疑問に思っていたのだがようやく刊行された。喜んで手に取ったものの作者の体調が悪いと言う事で最終巻となってしまった。残念で仕方がない。このシリーズの巧さは主人公の台所人鮎川惣介は正確には江戸城御広敷御膳所台所人という特殊な職業にしたところにある。加えて当時の最大の権力者第十一代将軍家斉にお目通りができるという特権を与えたことである。こういった工夫とホームドラマとしての温かな雰囲気を物語をやわらげる仕掛けとしていることだ。器用な作家だけにもう一度筆を執ってもらいたいと思う。

料理番 旅立ちの季節 新・包丁人侍事件帖(4) (角川文庫)

料理番 旅立ちの季節 新・包丁人侍事件帖(4) (角川文庫)

 

  2019年の協会シリーズ賞を「日本橋牡丹堂菓子ばなし」シリーズ(光文社時代小説文庫)で受賞した中島久枝の新作『それぞれの陽だまり五』が刊行された。作者は現役のフードライターとして活躍しているだけに、その強みをフルに活用した物語作りが高く評価されている。激戦区となっている料理ものでも異彩を放っているのはそれゆえである。

それぞれの陽だまり: 日本橋牡丹堂 菓子ばなし(五) (光文社時代小説文庫)

それぞれの陽だまり: 日本橋牡丹堂 菓子ばなし(五) (光文社時代小説文庫)

  • 作者:中島 久枝
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/12/10
  • メディア: 文庫
 

  さらに第一巻『いつかの花』以降、一作ごとに物語を紡ぐ腕が上がっているのも見逃せない。加えて昨年から新シリーズとして「一膳めし屋丸久」(ハルキ文庫)をスタートさせ第二巻『浮世の豆腐』も昨年暮れに刊行された。料理ものの幅を広げているのも注目される。

浮世の豆腐 一膳めし屋丸九(二) (時代小説文庫)

浮世の豆腐 一膳めし屋丸九(二) (時代小説文庫)

 

  次に新たにスタートを切ったシリーズものと三巻まで刊行されたものの中から有望株を紹介する。
 五十嵐佳子「読売屋お吉甘未帖」(祥伝社文庫)がいい。現在第三巻『かすていらのきれはし』が刊行中。瓦版記者の見習いとなったヒロインお吉の奮闘記だが、大の甘味好きというのが作者の工夫で、物語を引っ張っていく動線の役割を担っている。
 シリーズものは江戸期の珍しい職業や、現代では廃れてしまった職人技を主人公にもたせることで単行本とは一味違うマーケットを開拓してきた。しかし、それも二十年近くの歴史を数えてくると、ネタも尽き、同質化の競争にさらされている。当然、作者のアイデア勝負の色彩を帯びている。五十嵐佳子は読売屋と料理ものの融合を図ることで、市井人情噺に一味違う香辛料を加えたというところである。 

読売屋お吉甘味帖 かすていらのきれはし (祥伝社文庫)

読売屋お吉甘味帖 かすていらのきれはし (祥伝社文庫)

 

  宮本紀子の「小間もの丸藤看板姉妹」シリーズも順調で、第二巻『妹の縁談』が刊行された。作者は2012年に「雨宿り」で第六回小説宝石新人賞を受賞。好短編で市井人情もので伸びることが予想された。それが開花したのが同シリーズである。
 人物造形、ストーリーに大きな特徴があるわけではないが、平凡な流れの中にキラッと光る読みどころを持ったところに好感が持てる。

妹の縁談 小間もの丸藤看板姉妹(二) (ハルキ文庫 み)

妹の縁談 小間もの丸藤看板姉妹(二) (ハルキ文庫 み)

 

 新シリーズの有力どころとして一押しはベテラン喜安幸夫『幽霊奉行』(祥伝社文庫)である。シリーズものの成否はアイデア勝負にかかっていると言っても過言ではない。鳥居耀蔵の策謀によって、桑名藩に永預けとなった名奉行の誉れ高かった矢部定謙が抗議の断食により死んだと思われていた。その矢部が冥土から蘇ったのである。史実と虚構を織り交ぜ、幽霊奉行として活躍させるという離れ技がうまく機能している。江戸末期の荒んだ世相を背景に、悪政に苦しむ民をどう救うのか。これからの活躍が期待される。

幽霊奉行 (祥伝社文庫)

幽霊奉行 (祥伝社文庫)

 

  『源氏物語千年の謎』で非凡な才能を垣間見せた高山由紀子の新シリーズは『かたみ仕舞い』(角川文庫)。実のところはシリーズものになるかどうかは第一巻の売れ行き次第なのだろうが、凝ったアイデアでシリーズもののネタには困らない仕掛けが施されている。日本橋で四代続いた唐物屋「西湖堂」の一人娘・小夜が店の再興に奮闘するというのがメインストリート。仕事は死者の遺品を整理する「かたみ仕舞い」である。作者の腕の見せ所である古典への造詣の深さが遺憾なく発揮できる舞台を設定している。これを武器に死者に思いをはせるエピソードを組めるかどうかが正念場となる。

かたみ仕舞い (角川文庫)

かたみ仕舞い (角川文庫)

 

  『慶応三年の水練侍』で第八回朝日時代小説賞を受賞した木村忠啓が初のシリーズものに挑戦したのが、「十辺舎一九 あすなろ道中事件帖」(双葉文庫)である。『慶応三年の水練侍』は題材を選ぶ見識の高さと、鋭い視点に独自性を持っていたが、二作目の『ぼくせん 幕末相撲異聞』もユニークな作品となっていた。
 新シリーズもこの才能をフル回転させたものとなっている。市井人情ものを扱うに際し、多くの読者を掴んだ『東海道中膝栗毛』を書いた十辺舎一九の若かり日を舞台としたところに本書の肝がある。つまり、人の心の機微が分かるための修行時代と位置付けたわけである。にわか同心という設定もうまい。
 第二巻『新月の夜』も順調でこのまま道中を続けてくれればと思う。

ぼくせん 幕末相撲異聞

ぼくせん 幕末相撲異聞

 

  昨年、最もうれしかったのは、早川書房が自社の得意技を活かして早川時代ミステリー文庫の創刊に踏み切ったことである。もともとシリーズものはシリーズという特性を活かすために、連作短編で捕物帳スタイルが主流であった。しかし、推理ものとしては謎の出し方解き方が甘く、人情噺でお茶を濁すというものであった。推理好きの読者を呼び込むためには少々物足りなかった。そこに着眼したのが早川時代ミステリー文庫である。
 稲葉一広『戯作屋伴内捕物ばなし』、誉田龍一『よろず屋お市深川事件帖』の二冊がシリーズものを意識したものとなっている。さすがハヤカワ時代ミステリーと謳っただけに両者とも各挿話は難事件を揃え、市井人情ものとは一味違う本格的な味わいを楽しめる工夫がされている。『よろず屋お市深川事件帖』は年初に第二巻『親子の情』が刊行されている。

 

戯作屋伴内捕物ばなし (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

戯作屋伴内捕物ばなし (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

 
よろず屋お市: 深川事件帖 (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

よろず屋お市: 深川事件帖 (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

 

  面白いのは冬月剣太郎の『陰仕え 石川紋四郎』である。捕物帳スタイルではなく長編スタイルで連続殺人の謎を追うというもので好感が持てた。剣豪の夫に詮索好きの夫婦という設定が物語に奥行きを与えている。「おしどり夫婦事件帖」がシリーズタイトルとなるようだが、コンスタントに刊行できればいい線を行くと思われる。

陰仕え 石川紋四郎 (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

陰仕え 石川紋四郎 (ハヤカワ時代ミステリ文庫)

 

『映画に溺れて』第303回 独裁者

第303回 独裁者

昭和四十八年十月(1973)
大阪 梅田 北野劇場


 アドルフ・ヒトラーチャールズ・チャップリン、同じ年の同じ月に生まれ、どちらもチョビ髭、同じく世界的な有名人。
 一九三九年、ナチスドイツによるポーランド侵攻の年、チャップリンは映画『独裁者』に取り掛かった。
 主人公はふたり、ひとりは貧しいユダヤ人の床屋。もうひとりはトメニア国の独裁者ヒンケル。床屋は第一次大戦に兵士として駆り出され、頭に負傷する。その間、ヒンケルによるトメニア国の独裁政権樹立。
 床屋を中心にしたユダヤ人迫害物語と、ヒンケルを中心にした世界征服の野望。このふたりの主人公をともにチャップリンが演じる。そして、大いに笑わせてくれる。床屋がハンガリアン舞曲に合わせて客の髭を剃るシーンなど、今思い出すだけで笑ってしまう。
 ユダヤ人を差別し、迫害し、抹殺しようとする独裁者ヒンケルが、ユダヤ人の床屋と瓜二つ。金髪碧眼のアーリア人種優位を説く張本人が黒髪の小男。なんという皮肉。
 将校の軍服を盗んで収容所を脱走した床屋を兵士たちはヒンケルと思い込み、一方、湖畔でひとり鴨狩りを楽しんでいたヒンケルは脱走した床屋と間違えられて逮捕される。床屋は総統と間違えられたまま、侵攻した隣国の首都で、兵士と民衆を前に演説することに。それまでトーキーを積極的には取り入れなかったチャップリンが、ここで、長い演説を行う。
 アメリカでの映画の公開は一九四〇年。軍事力を背景にヒトラーの権力が全世界に広がろうとしていたその時期。ドイツと同盟を結んでいた日本では、ヒトラーを茶化したこの作品、公開は戦後の一九六〇年まで待たねばならなかった。


独裁者/The Great Dictator
1940 アメリカ/公開1960
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリンポーレット・ゴダード、レジナルド・ガーディナー、ジャック・オーキー、ヘンリー・ダニエル、ビリー・ギルバート、モーリス・モスコビッチ

『映画に溺れて』第302回 ジョジョ・ラビット

第302回 ジョジョ・ラビット

令和二年一月(2020)
六本木 20世紀フォックス試写室


 第二次大戦中、アドルフ・ヒトラーに率いられたナチスドイツは、周辺国を侵略し、民族浄化と称してユダヤ人の大量虐殺をすすめていた。
 ヒトラーユーゲントは国内の十歳以上の青少年による組織で、祖国愛とアーリア至上主義、ヒトラー崇拝などを教え込まれた。
 十歳になった少年ジョジョは、ヒトラーユーゲント入隊に期待しながらも不安にかられていた。彼が困ったときに現れて助言するのが、だれの目にも見えない親友アドルフ・ヒトラーの幻影なのだ。戦地で消息を絶った父親の身代わりに、ジョジョが心の中で作ったのかもしれない。
 アドルフに励まされ、ジョジョボーイスカウトのようなユーゲントの訓練やキャンプを楽しむ。背景に流れるビートルズの曲。が、ウサギを殺すように命令されてできず、以後、ジョジョ・ラビットとあだ名されてしまう。
 戦時中の暮らしがコメディタッチで描かれてはいるものの、軍事訓練の事故で自宅療養、気丈で明るい母とふたりで町を散歩していると、いきなり路上にぶらさげられた市民の死体。反ナチ運動の活動家やユダヤ人支援者が見せしめのために、さらされているのだ。
 ジョジョは母が留守のとき、二階で不審な物音を耳にし、屋根裏の隠し戸棚の中にひとりの少女を発見する。母が密かに匿っているユダヤ人のエルサだった。
 十歳のヒトラー崇拝者とハイティーンのユダヤ少女の戦時下の交流が始まる。
 母親がスカーレット・ヨハンソン、訓練所の大尉がサム・ロックウェル。そして監督のタイカ・ワイティティ自身が幻影のアドルフ・ヒトラーを演じている。『サウンド・オブ・ミュージック』同様、登場人物がみな英語を話すが、特に違和感はない。
 戦争末期、ヒトラーユーゲントの子供たちの多くが戦闘に駆り出され、命を落としたとのこと。


ジョジョ・ラビット/Jojo Rabbit
2019 アメリカ/公開2020
監督:タイカ・ワイティティ
出演:ローマン・グリフィン・デイヴィス、トーマシン・マッケンジースカーレット・ヨハンソンサム・ロックウェルタイカ・ワイティティレベル・ウィルソン

明治一五一年 第9回

ちいさな点が明滅しながら
いくつも落ちていく
それは内側に灯る
消えかけたささやきなのだと
無数の明滅が一面に
広がっていき音もない平原
人の歩いた道なのです
かたちもはや思いだせずに
来た方角を見詰め
漂うのは壊れかけた船だと
明治元年の声が呟き
片側だけの重みに傾き
ながらもいまだ鮮やかな
埋まりえない時間があります
すでに忘れられた言の葉の
欠片が剥がれていく
見えない目の内側にも
灯りいく記憶はあるのか
と昭和のはじめの声が呟き
折れいく道の途上を
ささやく多くの声なのです
いくつもの朽ちかけた
魂たちがあわく光り集い
その首筋からの裂け目は
落ちていくゆるい裸眼
へと幾つもの影の形は消える
刹那せめておどけ
多くが佇みつづけています
散り散りになりはるかな
彼方にまで流れていく
誰かの見たまぶしい
小道は意識の内側まで縺れ
繰り返されても同じ
場所にはもはや戻らないさ
知る人はいないのです
呟くのは平成の終わりの
声から生まれ出る眉間
にざらつく感触と共に降り
積もる人たちの足の
先端まで届くいくつかの
残照を歪む果てに放ち