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『映画に溺れて』第360回 吹けよ春風

第360回 吹けよ春風

平成十一年四月(1999)
京橋 フィムルセンター

 三船敏郎といえば、剣豪や豪傑、凄腕の素浪人といった時代劇が多いが、その三船が主演のコメディタッチの現代劇。終戦からまだそんなに経っていない東京を舞台に、タクシーの運転手が見た人間模様を描いた佳作である。
 岡田茉莉子と小泉博のカップル。痴話喧嘩しながらも最後は仲良く降りて行く。
 大勢の子供たちを乗せて銀座をまわるエピソードは自動車がまだ珍しく、簡単に乗れない時代を思い出させる。
 舞台の大スター越路吹雪を乗せて「黄色いリボン」の替え歌をふたりで歌う。三船が歌うのだ。
 青山京子の家出娘を乗せて東京駅まで送ったが、心配で連れ戻す。が、途中で去って行く。あの娘はどうなるのだろう。
 小林桂樹藤原釜足の酔っぱらい二人。小林は走るタクシーのドアから外へ抜け出して車の上を通って反対側のドアから入って来るのが得意だと繰り返し、とうとういなくなる。あわてて外を探すがどこにも落ちていない。すると、座席の下で鼾をかいて酔い潰れている。
 三国連太郎は若いタクシー強盗。
 復員兵とおぼしき山村聰とその妻山根寿子。どうやら山村は刑務所に入っていたらしい。それを世間体もあり、子供の手前もあるので、復員してきた風に装っている。そういう時代なのだ。
 そんな軽いスケッチのようなエピソードが次々と流れ、最後に家出娘が母親と仲良く銀座で買物している姿を見つけて安心する。観ている観客もほっとする。
 昭和二十八年、実は私の生まれた年である。だからよけいに懐かしい。

 

吹けよ春風
1953
監督:谷口千吉
出演:三船敏郎、小泉博、岡田茉莉子、青山京子、越路吹雪小林桂樹藤原釜足、小川虎之助、三好栄子、島秋子、三國連太郎山村聰、山根寿子

 

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十一回 将軍の涙

 天文十八年(1549)十一月。尾張の笠寺にて松平竹千代(後の徳川家康)と、今川に捕えられていた織田信広織田信長の腹違いの兄)の人質交換が行われました。
 尾張の末盛城では、織田家の家臣である平手政秀(上杉祥三)が、織田信秀(信長の父)(高橋克典)に人質交換の報告を行っていました。尾張一の弓の使い手といわれた信秀は、以前受けた傷の悪化から、弓を引ききることもできなくなっていました。信秀はいいます。
「信広があのざまで、信長も何を考えておるのかさっぱりわからん。信勝はまだ若い。子たちが頼りにならず、わしがこのようなありさまでは。今川に今、いくさを仕掛けられては勝ち目がない」
 一方、駿河今川義元の館には、竹千代が到着していました。義元(片岡愛之助)は竹千代に優しく声をかけ、食事を供します。竹千代はいいます。
「私は三河へ、いつ帰していただけるのでしょうか」
 義元の軍師である太原雪斎伊吹吾郎)が答えます。
「ご案じなさいますな。いずれお帰りいただきましょう。ただ三河は今、織田信秀に味方される方々、われらと共に豊かな国をつくりたいと申される方々に割れ、相争うておりまする。このままではいずれ三河は滅びる。われらは隣国として、それは見るに忍びない。間もなくわれらは、三河を毒す、悪(あ)しき織田勢を完膚なきまでに叩く所存。それまでのご辛抱じゃ」
 竹千代は顔を落とします。義元は雪斎に語気を強めていいます。
「年が明けたらいくさ支度じゃ。三河を救うためのいくさぞ」
 翌年、今川義元尾張の南部に攻め寄せ、次々と制圧していきます。これにより、織田信秀の非力ぶりが明らかとなります。信長と帰蝶の婚姻による、織田、斎藤の盟約は、迫り来る今川義元の脅威に、今にも崩れようとしていました。
 美濃の稲葉山城では、古来より美濃を支えてきた国衆を含めた評定が行われていました。国衆の一人である稲葉良通(村田雄浩)が斎藤道三(このときは利政)(本木雅弘)にいいます。
「盟約を結んだ以上、織田から頼まれれば、共に今川と戦わねばならんのです。そのおつもりは、あるのかどうかをうかがいたいのじゃ」
「わしはそのつもりであるが、いくさは一人ではできん」と、道三は答え、皆の顔を見回します。「むしろ皆に聞きたい。おのおの方は、今川と戦う覚悟はあるか」
 稲葉は稲刈りなどの理由をつけて、兵を出すことを拒みます。他の者も無言で稲葉に賛同する態度を示します。道三はいいます。
「織田が今川の手に落ちれば、次は美濃が餌食になる番じゃ。その時が来ても、皆は戦わぬのか」
「その時はわれらも刀を取りまする」
 という稲葉。織田のためには戦わない、美濃のためには戦う、ということなのでした。笑い出す道三。
「もうよい。皆さっさと村へ戻って稲刈りでもせい」
 と、道三は告げます。引き上げる道三に、光秀の叔父である明智光安(西村まさ彦)が付き従います。道三は光安に打ち明けます。
「織田の家老、平手政秀が、援軍をよこせと申してきた。急ぎ返答せねばならん」
 その使いとして、道三はすぐに光秀を思いつくのです。
 明智光秀長谷川博己)はしぶしぶと尾張那古野城に向かいます。
 光秀が到着した時、信長は家来たちと、角力を楽しんでいました。平手政秀が取り次ぎをしようとしても、あとで参る、という始末。平手政秀が光秀の相手をします。平手は愚痴るようにいいます。
「若殿は今のところ鉄砲以外は眼中にないご様子。先日も近江の国友村の鉄砲職人に数百もの鉄砲を注文なされ、職人を困惑させたそうです」
 平手は光秀に探りを入れるように話します。ついに光秀は正直にいわざるを得なくなります。
「わがあるじ斎藤利政は、織田信秀様に、援軍は送らぬとお決めになりました」
 平手は驚きます。光秀は頭を下げて謝るのです。平手は無言で部屋を後にします。残された光秀は帰蝶と話します。帰蝶はいいます。自分は人質であり、道三が裏切れば、はりつけになる。そこに角力を終えた信長が入ってきます。先ほどの話は平手から聞いていました。今川を押し返すのは難しいだろう、と信長はいい、くつろいだ様子で、帰蝶の膝枕に頭を乗せます。
「和議じゃな」と、信長はいいます。「刈谷城を渡すゆえ、いくさはここまでにしてくれと、今川に手を止めさせるほかあるまい」
 光秀は驚きます。
「それができましょうか」
 帰蝶も聞きます。
「誰が仲立ちを」
「それがわからん」
 と、信長は小声になります。光秀は思い出します。以前、美濃の守護家の内紛があり、京の将軍家のとりなしで収まったことがあった。帰蝶がいいます。光秀が京に行った折、将軍のそばに仕える者と、よしみを結んだのではなかったか。それを頼ってみてはどうだ。
 美濃に帰ってきた光秀は、将軍にとりなしをしてもらう案を道三に話します。道三は賛成しません。
「そなたの役目はここまでじゃ。ご苦労であった」
 光秀は食い下がります。
「それではあまりに。せめて頼芸様にお頼みし、将軍家におとりなしの議を願い出るのが、美濃の取るべき道かと」
 道三は目を見開いていいます。
「やりたければ勝手にやれ」
 光秀は道三の長男である斎藤高政(伊藤英明)と話をします。光秀は土岐頼芸(尾美としのり)のところへ、自分を連れて行ってくれるよう頼むのです。高政は嫌がります。
「頼む。会わせてくれたら、今後そなたの申すことは何でも聞く」
 と、光秀はいってしまうのです。
 高政の引き合わせで光秀は頼芸に会うことができます。尾張のいくさの件で、将軍家へ和議のとりなしを願えるかと、たずねる光秀。
「それはわしに文(ふみ)を書けということか」
 と、頼芸。
「使者を立てていただいてもよろしいかと。お許しがあらば、私が使者のお供をいたします」
 光秀が言うと、話が思わぬ方向に進みます。道三が頼芸を美濃から追い払い、自分が守護につこうとしている、と頼芸がいい出すのです。高政が頼芸にいいます。
「それがまことなら、私にも覚悟が」高政が頼芸にいいます。「私がお館様(頼芸)をお守りし、父、利政(道三)を」
「殺せるか」
 と、問う頼芸。うなずく高政。
「文を書こう。紙と筆を持ってまいれ」
 と、頼芸はいうのです。
 そのころ京では、細川春元と三好長慶による戦いが起こっていました。十三代将軍である足利義輝(向井理)は、近江に落ち延びることを余儀なくされます。京、近江一帯は、長慶による取り締まりが厳しく行われていました。
 光秀は将軍に会いにやってきていました。宿を断られた光秀に、声をかけてくるものがいます。その男こそが京でよしみを結んだ細川藤考(眞島秀和)でした。藤考はいいます。将軍は今、朽木に落ち延びている。自分は何とか将軍が京に戻れるよう、京と朽木を行き来している。
 光秀は藤考の案内のもと、朽木にたどり着きます。将軍義輝に拝謁(はいえつ)し、頼芸の文を渡すことに成功するのです。将軍義輝は、光秀が藤考にいった言葉を覚えていました。将軍は武家の統領であり、武士を一つにまとめ、世を平らかに治めるお方である。今、世は平らかではない。将軍が命じなければならない。争うなと。それを聞いて義輝は励まされたというのです。義輝は立ち上がり、雪のちらつく庭を眺めながらいいます。
「そなたの申す通りじゃ。いまだに世は平らかにならぬ。わしに力が足りぬゆえ、このわしもかかる地で、このありさまじゃ」
 将軍奉公衆が嘆きの言葉を出します。将軍義輝は続けます。義輝の父がいっていた、立派な征夷代将軍となれ。世を平らかにできるような。
「さすれば麒麟が来る。この世に麒麟が舞い降りると。わしは父上のその話が好きであった。この世に、誰も見たことのない麒麟という生き物がいる。穏やかな世をつくれるものだけが連れてこられる、不思議な生き物だという」将軍義輝は光秀を振り返ります。「わしは、その麒麟をまだ連れてくることができぬ。無念じゃ」
 そういって将軍義輝は嗚咽(おえつ)するのです。義輝は座に戻り、今川と織田について、両者に和議を命じることを約束するのです。

 

『映画に溺れて』第359回 鬼火

第359回 鬼火

平成十九年一月(2007)
阿佐ヶ谷 ラピュタ阿佐ヶ谷

 怪談でもホラーでもないのに、これが妙に怖いのだ。
 終戦後の東京。
 加東大介ふんする主人公はガスの集金人である。昔は銀行の自動引き落としなどないから、受け持ち地区を一軒一軒、集金人が料金を集めて回る。
 勝手口から覗き込んで、無人の台所にガスがつけっぱなし、湯が煮立っていたりすると、親切に火を止めて、そこの家の主人に叱られたり。悪い人間ではない。
 新しい担当地区に支払いが滞っている家がある。戦前は金持ちだったらしいが、戦後は没落して苦しい生活をしている様子。
 この家の奥さんが津島恵子。病気で寝たきりの夫が宮口精二。落ちぶれたとはいえ、奥さんはなかなかの美人。
 ガス代が払えなければ、ガスを止めるしかない。
 が、そうなるとこの家は病人の薬を煎じることができないので困るのだ。
 そこでガスの集金人はよからぬ欲望を抱く。ガス代はなんとか立て替えてやるから、夜、俺の下宿へ来い。そんな提案を持ちかける。
 そして、その夜、待っているとほんとうに奥さんがやって来る。
 そこから一気に怖い結末となる。
 怪談ではないが、最後、ぞっとした。
 原作は吉屋信子。脚本は菊島隆三
 そういえば、加東大介津島恵子宮口精二も三人とも『七人の侍』に出ているのだ。

 

鬼火
1956
監督:千葉泰樹
出演:加東大介津島恵子宮口精二中村伸郎、中田康子

 

『映画に溺れて』第358回 怖がる人々

第358回 怖がる人々

平成二十四年一月(2012)
池袋 新文芸坐

 和田誠が監督した恐怖短編五話のオムニバス映画。
「箱の中」深夜に酔って帰宅したサラリーマンが、マンションのエレベーターで偶然に知らない女といっしょになる。と、エレベーターが故障で止まってしまう。閉じ込められた二人、どうなるのかと思っていたら、この女、美人なのにやたら怖いことを言い始める。都会のマンションに住んでいると、こういうこと、ないとはいえない。
吉備津の釜」失業中の女性、父親が病気で倒れたために、なんとか働きたいと思っているが、なかなか仕事が見つからず、困っているときに、酒場で見知らぬ女性から声を掛けられる。あなたが気に入ったので、親切な友達がいるから紹介しよう。その人なら必ず就職を世話してくれるはずだと。見知らぬ他人の親切には要注意。
「乗越駅の刑罰」田舎の駅の改札、だれもいないので通り過ぎようとした乗客を駅員が呼び止め、乗客は切符を持っていなかった。そこで。
「火焔つつじ」平山蘆江の怪談集にあった生霊の話。
「五郎八航空」無人島に取材に出かけて嵐に遭う雑誌記者とカメラマン。そこに現れる個人タクシーならぬ個人飛行機。操縦士が蝮に噛まれたとかで、操縦しているのは慣れないおかみさん。急いで本社に戻りたくて、この飛行機に乗る記者とカメラマンの恐怖。
 五作全体を通じて、ストーリーもさることながら、俳優の演技が充実している。これだけの名優と個性派が出ているのだから、当然ではあるが。さすがに和田誠はすごい。

 

怖がる人々
1994
監督:和田誠
出演:真田広之原田美枝子佐野史郎熊谷真実杉本哲太清水ミチコ筒井康隆、でんでん、逗子とんぼ島田歌穂奥村公延平田満上田耕一麿赤児マルセ太郎佐々木すみ江高品格、内田朝雄、フランキー堺斎藤晴彦萩原流行花王おさむ、杉山とく子、小林のり一、浅香光代、渡辺哲、小林薫黒木瞳三谷昇石黒賢嶋田久作レオナルド熊桜金造山谷初男不破万作、すまけい、唐沢寿明渡辺えり

 

書評『まむし三代記』

書名『まむし三代記』
著者 木下昌輝
発売 朝日新聞出版
発行年月日  2020年2月28日
定価  ¥1800E

まむし三代記

まむし三代記

  • 作者:木下 昌輝
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 単行本
 

 

 木下(きのした)昌輝(まさき)は2012年、デビュー作『宇喜多(うきた)の捨て嫁』が第152回直木賞候補となった。一作のみでははかりがたしとする意見が選考会で大勢を占め直木賞を逸したと仄聞するが、この種の見解がはなはだしき的外れであったことは、その後の木下の瞠目すべき活躍を見れば明らかであろう。デビュー以後、一作ごとに工夫を凝らしている絶妙な小説作法から見えるのは時代・人への透明感ある冷徹さである。
 『宇喜多の捨て嫁』で戦国の三梟(きょう)雄(ゆう)の一人、宇喜多(うきた)直家(なおいえ)を書いたので斎藤道三(どうさん)か松永久秀(ひさひで)のいずれかを書かないかと依頼されたことが執筆のきっかけだったという。

 かつて、「道三は一介の油売りから身を起こして一代で大国美濃(みの)の戦国大名となった」とするのが通説であったが、昭和39年(1964)に始まった『岐阜県史』編纂の過程で発見された、道三の出自に関する確たる情報が盛り込まれているとされた古文書「六角承禎(ろっかくじょうてい)条書写」によって、美濃の国盗りは道三一代のものではなく、道三の父と道三の二代で美濃国を簒奪したのではないかという説が有力になっている。
 道三が油売りから戦国大名になったという旧説に基づいた小説としては、坂口安吾(あんご)の『梟雄』(昭和28年)、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の『国盗り物語』(昭和38~41年)などがあり、国盗りは父子二代で行われたとする新説を踏まえた最初の小説は宮本昌孝(みやもとまさたか)の『ふたり道三』(平成15年)であった。歴史時代小説界の麒麟児・木下昌輝は当然に新説を踏まえるのだろうが、はたして、いかなる斎藤道三を描くのか。

 戦国乱世。美濃国土岐(とき)家に限らず、諸国の守護大名家のほとんどは烈しい内訌を繰り返している。「道三の父」は油売りの行商をしながら、美濃国に狙いを定める。
では、いつの時点で、いかなる形で、「道三の父」から「道三」へバトンタッチされたのかは真実の「道三」を知りたいと思う者にとっての最大の関心ごとである。
 歴史学では例えば、小和田哲男は「天文2年(1533)以前に道三は家督相続。病死した父・新左衛門尉(しんざえもんのじょう)の跡を継いだ」と推察しているが、われらが木下昌輝はいかに物語るか。

 本書は3話(章)構成。各章に主人公がいる。「蛇ノ章」の主人公は法蓮房(ほうれんぼう)(道三の父)。松波庄五郎、西村勘九郎、長井新左衛門などと名乗る。「蝮ノ章」は道三自身。「龍ノ章」は豊太丸(とよたまる)こと斎藤義龍(よしたつ)(道三の嫡男)。新九郎、范可などと名乗る。
 道三が弘治2年(1556)、長良川(ながらがわ)の戦いで嫡男の義龍に討たれるは史実である。が、おおよそ知られている後半生よりも、作家の構想力、創造力をためされるのは前半生の描き方である。その意味でとりわけ法蓮房が主人公の「蛇ノ章」は目が離せない。

 応仁の乱(おうにんのらん)が終結して24年後の文亀2年(1502)、応仁の乱における東軍の総大将・細川(ほそかわ)勝元(かつもと)の嫡男である細川政元(まさもと)の暗殺計画から、物語はスタートする。「道三の父」法蓮房は政元暗殺の一団に紛れ込むことによって、時の権力者細川政元に取り入り武士として風雲に乗ろうと画策するのである。
物語をリードし、全編を貫くキーワードは二つある。一つは「国滅(くにほろ)ぼし」である。
 著者はわずか20行足らずの「前書き」を用意し、短い表現ながら「国滅ぼし」の意味するところを暗示しているのはきわめて刺激的である。
 国盗りの野望を抱く法蓮房は“国滅ぼし”の存在を示唆する。「城攻めの武器、大筒」、「敵を倒す武器」、「銅を使った凶器」などの暗示的な表現から、読者は最新兵器なのかと想像しつつ、その正体は何なのか、探りつつ注意深く読みすすめることになろう。「国を医(いや)す薬」を経て、ある意外なものを通説より早く国産化していた事実にたどり着く。もう一つのキーワードとは「国を医す」であった。さらに、「信長も国滅ぼしの正体を、直感で見抜いた」の表現もある。「国を医す」をめぐって、応仁の乱細川勝元から信長までを透視したこの時空の広さは著者の懐の深さでもある。

 二代目を受け継いだ若き道三の描写。「父は国手などではない。父は国を毒する男。父が毒蛇なら、私はその毒を医す力を身につけたい」との道三の語りがある。国手とは、国を医す者のことである。道三自身は自らは蛇ではないとする。
 父道三はやはり蛇であると見做す「龍ノ章」の主人公たる三代目の義龍は道三の狂気を目の当たりにしつつ、「正気のあるうちに、美濃統一を」と策す道三に対して、「つくづく父上が歩むのは、蛇の道」と言い放つ。道三と義龍との関係性では、義龍が土岐(とき)頼芸(よりなり)の落とし胤で道三の子ではないという説を踏まえた作品が多いが、道三と義龍の父子の争いにも独自の解釈がなされている。

 本作には影の主人公がいる。それは冒頭の政元暗殺計画に参加した源太(げんた)である。源太は小牧源太道家という義龍の配下で長良川の戦いで道三の首をとったとして史料に名を残す実在の人物と同名であることが着目される。本作での源太は「父子三代の国盗りの結末をその目に刻みつける」役目を帯びている視点人物なのである。
「美濃の蝮(まむし)」こと斎藤道三の物語は結局のところ国を医すための父子三代の永い戦いであった。「父子三代の力で国を医したのだ。父子三代とは、道三の父、道三、義龍ではなく、道三の祖父、道三の父、道三だ」と、源太と義龍が回顧し、その上で、道三の祖父である松波(まつなみ)高丸(たかまる)を「国を医したまむしの親玉」とみている二人が「一度でいいから見えたかった」とするシーンは感慨深い。これにより本作が「道三一族の三代記ではなく、道三一族三代によりそった男の一代記」として書き上げられたことがわかる。本作は視点人物たる源太が道三一族四代の素顔に迫った歴史小説なのである。

 本作はもともと『蝮三代記』と題して、「小説トリッパ-」に2017年秋号から2019年夏号まで9度にわたり連載された。
 ふたつの「まむし三代記」がある。雑誌掲載の“蝮”と今回の単行本の“蝮”である。3章立ての構成は不変だが、そこでは、同じ“蝮”ながら、全く異質の“蝮”がそれぞれ這いずり回っていると言わざるを得ない。
 したがって、というべきか、「本書は書下ろしである」と、「あとがき」で作家は言い放つ。
 単行本化するにあたり大幅に加筆しようと思ったが、大幅改稿を決意したという。

 なぜ、加筆ではなく、改稿を決意せざるを得なかったのか? 締め切りばかりが念頭にある編集サイドから「一冊に収めるには三代記は長すぎる」と指摘された(?)ことが原因の一つであろう。長すぎて大いに結構ではないか。宮本昌孝の『ふたり道三』は単行本時4巻、文庫化3巻であった。木下昌輝に無尽蔵の時間と紙の量を与えて執筆させてほしかった。『国盗り物語』や『ふたり道三』に描かれた「道三」ではない。全く別の顔の「道三」を巻数物でじっくり味わいたかったと思うのは評者(わたし)ばかりではあるまい。おかげで、二匹の“蝮”を味わえるという余禄に与ることを寿ぎつつ。

 

                   (令和2年3月25日  雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第357回 ひとひらの雪

第357回 ひとひらの雪

昭和六十一年十一月(1986)
荻窪 荻窪劇場

 昔、阿佐ヶ谷に住んでいたとき、隣町の荻窪にあった映画館、荻窪劇場で『ひとひらの雪』と『化身』の二本立が上映されていて、歩いて行ったことを思い出した。かつては歩いて行ける場所に映画館があったのだ。普通の町の普通の駅前に。そういえば、練馬の桜台に住んでいたときは、江古田文化に歩いて行ったものだ。昔の話。
ひとひらの雪』はとても強く印象に残っている。その内容のエロチックさに。どきどきするような官能美だった。
 著名な中年の建築家が津川雅彦
 彼がかつて短大の講師だった頃に関係した教え子が、今は画廊のオーナーの後妻になっていて、これが秋吉久美子
 偶然に再会したふたりが浮気を重ねるという話。
 津川雅彦のねちねちとした中年のいやらしさ。
 秋吉演じる三十前後の人妻が欲望と恥じらいに身をよじる仕草が色っぽくて。
 大胆な濡れ場もたくさんあり、これがもう、大変にエロチック。
 さすがだなあと思ったのは、これだけ官能的に濡れ場を描いて、下品ではないのだ。津川、秋吉、そして根岸監督の品のよさだろうか。
 そして、最後に中年男は、妻から離婚され、若い恋人にも捨てられ、人妻からも拒絶され、ひとり炬燵に入って、窓の外の雪を眺めている。
 池田満寿夫が主人公の友人役で出てきて、建築事務所の部下が岸部一徳、まだまだ若かった。津川の妻が木内みどり、そして秋吉の夫の画廊のオーナーが、なんと池部良
 その後、銀座シネパトスで二十年ぶりにもう一度観た。最初に観たときは、ただただ興奮したのだが、二回目に見直してみて、映像の美しさ、大人の演技の渋さなど、文芸映画と呼ぶにふさわしい作品であると実感した。

 

ひとひらの雪
1985
監督:根岸吉太郎
出演:津川雅彦秋吉久美子、沖直美、池部良岸部一徳池田満寿夫木内みどり

『映画に溺れて』第356回 今度は愛妻家

第3356回 今度は愛妻家

平成二十二年一月(2010)
渋谷 渋谷TOEI②

 ときどき、思いがけないどんでん返しのある映画があって、うれしくなるが、内容を語ることができない。推理小説の犯人をばらすのと同様に反則だから。
 中には意外な結末ですよというだけで、ネタばれになってしまいそうなものもある。
今度は愛妻家』は倦怠期の中年夫婦を描いたコメディだろうと予想して、あまり先入観なく観に行ったのだが、いやいや、凝った展開に引き込まれた。うまい。
 結婚して十年もすると、夫は愛情をうまく口に出さなくなる。妻に愛しているとか好きだとか、そんな歯の浮くような言葉、言えるものじゃない。妻もまたぶすっとしていつも機嫌が悪く、うっかり好きだよなんて言おうものなら、何を馬鹿なことを言ってるんだと睨み返されてしまいそう。でも、ほんとうは言わなければ伝わらない。夫婦の間でも愛情は。
 夫は元は有名なカメラマンらしいが、今は仕事がない。横暴で自分勝手でぶっきらぼうで、妻に対して優しい態度など取れないタイプ。仕事もせずにぐうたらしている。
 妻は、中年になってもやさしくてかわいい奥さん。夫につくしたり、甘えたり。でも夫は照れ臭さもあり、なかなかそれに応えない。その妻が突然、家出してしまう。
 夫が豊川悦司。妻が薬師丸ひろ子。この家に出入りしているのが弟子の濱田岳と老年のゲイ石橋蓮司。これに女優志望の蓮っ葉女、水川あさみが加わり、盛り上がる。
 せりふが緻密でよくできていると思ったら、原作は舞台劇らしい。五人の登場人物の演技で見せる。結末は言えないが、最後はびっくりして、ジーンとなった。
 思えば、毎週映画を観に出かける私だが、妻とは十数年いっしょに映画館に行ったことがない。

 

今度は愛妻家
2010
監督:行定勲
出演:豊川悦司薬師丸ひろ子石橋蓮司水川あさみ濱田岳城田優津田寛治奥貫薫井川遙

『映画に溺れて』第355回 ファントマ電光石火

第355回 ファントマ電光石火

昭和四十七年七月(1972)
大阪 中之島 SABホール

 変装の名手の怪盗といえば、フランスではアルセーヌ・ルパン、日本では怪人二十面相が有名だが、もうひとり怪盗ファントマの活躍するフランス映画のシリーズがあり、私はこれが好きなのだ。
 素顔のわからない変装の名手ファントマの犯罪にパリ警視庁のジューヴ警部と新聞記者のファンドールが立ち向うドタバタコメディ。
 ルイ・ド・フュネスふんする警部の無茶苦茶な捜査とファントマとファンドールの二役を演じた渋いジャン・マレーの組み合わせが抱腹絶倒で、ヒロインエレーヌのミレーヌ・ドモンジョも美しい。
 ファントマは変装の名手なので、いろんな人物に化けるが、それをみんなジャン・マレーが楽しそうに演じている。
 ファントマが著名な科学者を誘拐しようとしているのを知ったファンドール記者がその科学者に化け、ファントマも同じ科学者に化け、科学者本人もその場に乗り出してきて、だれがだれかわからなくなるという混乱ぶりが大笑いだったのを今でも鮮明に記憶している。
 今思えば、ファントマの仮面は『犬神家』のあの仮面と似ている。
 一九一一年に刊行されたピエール・スーヴェストル&マルセル・アラン著の原作はハヤカワ文庫で出ており、コメディとはほど遠い真面目な文体で、古風な犯罪小説である。ファントマはルパンを凶悪にしたような怪人。小説のジューヴ警部もルイ・ド・フュネスと大違い、知的な捜査家となっている。
ファントマ』は戦前からすでにサイレント映画で作られて、一九七〇年代にはTVシリーズになっているそうだが、私はどれも未見。アンドレ・ユヌベル監督の映画版は『ファントマ危機脱出』『ファントマ電光石火』『ファントマミサイル作戦』の三本が作られた。私が劇場鑑賞したのは二作目だけ。あとの二本はTV放映で観た。

 

ファントマ電光石火/Fantômas se déchaîne
1965 フランス/公開1966
監督:アンドレ・ユヌベル
出演:ジャン・マレールイ・ド・フュネスミレーヌ・ドモンジョ

 

 

『映画に溺れて』第354回 キル・ビル

第354回 キル・ビル

平成十六年三月(2004)
飯田橋 ギンレイホール

 私が所属している日本映画ペンクラブでアンケートがあった。好きな映画スター海外編。男優、女優、それぞれ三人を書いて提出する。私が選んだ女優はニコール・キッドマンシャーリーズ・セロンファムケ・ヤンセン。なにを隠そう、私は長身の美人女優が大好きなのだ。
 提出したあと、もうひとり思い出した。ユマ・サーマンである。主演作で一番好きなのは『Gガール』だが、やはり『キル・ビル』を忘れてはいけない。公開当時のポスター、黄色いつなぎのトレーニングウェアがなんともかっこよかったのだ。
 ユマ・サーマンふんするザ・ブライドは凄腕の殺し屋だが、足を洗って結婚することになる。その式場の教会へ元の仲間たちがやって来て、夫や牧師も含む列席者全員を殺す。彼女も痛めつけられ頭を撃たれる。が、奇跡的に命を取り止め、病院で数年の昏睡状態から目覚めた後、昔の仲間を探し出し、ひとりひとり殺していく。
 ストーリーはまるで梶芽衣子が主演した『修羅雪姫』ではないか。タランティーノ監督は日本の時代劇や任侠映画が好きだそうだ。
 ザ・ブライドの標的はダリル・ハンナルーシー・リュー演じる昔仲間の殺し屋たち。沖縄で千葉真一扮する刀鍛冶に名刀を作ってもらい、暴力団の女ボスになっているルーシーとは東京で戦う。ルーシーは組織ぐるみでこれと応戦。これらの場面がほとんど日本の時代劇や任侠映画を思わせる作りになっており、手裏剣をかわして天井に張り付くのは忍者ものだし、大量の敵を刀で倒すのは宮本武蔵一乗寺の決闘、栗山千明の鎖鎌は宍戸梅軒。雪の中で白い和服のルーシーと戦うのは『修羅雪姫』そのもので、梶芽衣子が歌う主題歌まで流れる凝りよう。
 さらにエンドクレジットには梶芽衣子の『さそり』まで聴かせる。タランティーノの日本趣味は相当のもの。

 

キル・ビルKill Bill: Vol.1
2003 アメリカ/公開2003
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:ユマ・サーマンルーシー・リューデヴィッド・キャラダイン千葉真一栗山千明ダリル・ハンナ

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十回 ひとりぼっちの若君

 天文十八年(1546)、夏。京に望月東庵(堺正章)と共にいる駒(門脇麦)は、心ここにあらずの様子をしていました。そんな駒が伊呂波太夫尾野真千子)の率いる、旅芸人の一座を見つけるのです。駒は台に張られた綱を見つめます。そこで見事な綱渡りを行ってみせます。駒は東庵と共にいる伊呂波太夫を見つけます。
「お駒ちゃん」
 と、気さくに声を掛ける伊呂波太夫太夫と駒は抱き合います。
「すっかり見違えました」
 という太夫
 東庵の庵で、太夫と東庵は話していました。駒がお茶を運んできます。駒が東庵と美濃にいっていたことを話すと、
「美濃に、明智十兵衛という若い家臣がいるそうですけど、お会いになりました」
 と、大夫は東庵に問うのです。あっけにとられる駒。大夫は続けます。
三好長慶様の御側近の松永様って方がおっしゃっていましたよ」
太夫松永久秀様を存じておるのか」
 松永は大夫の一座を何度も見に来ていたというのです。
「今、この都を動かしているのがあのお方だ」
 そういう東庵に、あまり関心のなさそうな返事をする大夫。東庵は駒に話しかけます。
「駒、太夫はこういうお人だ。恐ろしく顔が広い。滅多なことはしゃべれぬぞ」
 駒が去ったあと、東庵は大夫にいいます。
「このところどうも元気がない」
「お駒ちゃん」
 と、確認する大夫。東庵はうなずきます。
「美濃から帰ってきて、ずっとあの調子だ。何を聞いても生返事でな」
 駒は大夫に誘われ、団子屋に来ていました。大夫は駒が一座にいたときのことを話し始めます。大夫の母が、駒のことを妹だと思うように、と言い聞かせたというのです。大夫は東庵が駒のことを心配していたと話します。
「好きなお方が、遠くへ。ずっと遠くへ」
 と、駒は打ち明けます。
「手の届かぬお方だったのね」
 駒は家が焼けたときに助けてくれた侍が、美濃の人だったことがわかったと報告します。大夫はその侍の紋が桔梗だったことを駒に教えます。あっけにとられる駒。いてもたってもいられなくなった駒は、東庵の庵に走って帰ります。光秀の家から帰るときに、土産にもらってきた扇子を広げてみます。そこにははっきりと桔梗の紋が描かれていたのです。
 その年の末に、三河でいくさが起きました。尾張との国境にある安城城(あんじょうじょう)に、今川軍が攻め寄せてきたのです。城は落ち、守っていた織田信広が捕えられてしまいます。信広は信長の、腹違いの兄でした。
 美濃の地では、明智光秀長谷川博己)が叔父の明智光安(西村まさ彦)と共に、稲葉山城に呼び出されていました。織田信広が捕えられたことについて、思うところを述べよ、と斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)命じられたのです。
 道三はやってきた二人に話します。今川義元が、捕えた織田信広と、織田方の人質である松平竹千代交換したいと伝えてきた。このことは巡り巡って、美濃にも波が及んでくる。松平竹千代はまだ幼いが、三河松平家を継ぐ者。これを今川に渡せば、三河は全土を今川に支配されたも同然。そうなれば、三河の隣国尾張は、虎のそばで暮らす猫のようなものだ。我らはその猫と盟約を結んだ国だ。猫を守るため、虎と戦うことになる。織田信秀が息子の信秀を助けるために竹千代を今川に渡すようなら、われらは盟約を考え直さなければならない。
「そう思わぬか、十兵衛」
 光秀は道三に意見を求められます。光秀はいいます。
「信秀殿が、我が子を見殺しにいたしましょうか」
「見殺しにできるようなら、信秀殿はまだ見所がある」道三は命じます。「十兵衛。尾張に行き、成り行きを見て参れ」
 その頃、尾張の末盛城では、織田信長染谷将太)が父の織田信秀高橋克典)に食ってかかっていました。
「人質の取り交わしなど同意できませぬ。竹千代殿は三河のあるじとなる若君。それを今川に渡すなどと、尾張の命運に関わりまする」
 信秀はいいます。
「信広は腹違いなれどそなたの兄ぞ。みすみす見殺しにはできぬ」
 信長は興奮しています。
「兄上はいくさ下手ゆえ捕えられたのじゃ。自業自得ではありませぬか。捕えられる前に腹を切るべきであった」信長は腹から声を出します。「この信長、竹千代殿をわが城に留め、何人(なんぴと)にも渡しませぬゆえそのおつもりで」
 信長は座を立ち、去って行きます。その様子を見ていた信秀の妻である土田御前(壇れい)はいいます。
「家を継がせるのは弟の信勝の方がよろしいと。信勝は、まこと心の広い、賢い子ですよ」
 信秀は言い聞かせるように語ります。
「わしの父、信定はようおおせられた。物事には天の与えた順序というものがある。それを変えれば、必ず無理が生じ、よからぬことが起きるとな。そなたから生まれた最初の子は信長じゃ。家を継ぐのは信長。わずかな器量の善し悪しで、その順序を変えられん」
 熱田に光秀は到着していました。同盟を結んだ今は、変装をせず侍の姿のままです。眠り込む菊丸(岡村隆史)を見つけます。菊丸の売る味噌を那古野城に届ける名目で、帰蝶を訪ねようとするのです。菊丸は馬に味噌をくくりつけ、光秀と共に那古野城に向かいます。道中、菊丸は竹千代の話を始めます。
「気になるのか」
 と、問う光秀。
「それは、わしは三河の者ですから。今の三河は今川様に押さえつけられて、何をされてもじっと我慢です。いわれるがまま従うほかないのです。せめて竹千代様だけでもご無事でいていただかねば。わしらのお殿様ですから」
 光秀は立ち止まって聞きます。
「おぬしらとしては、竹千代様が今川に渡されるより、織田方に残る方が良いのか」
 しばし間を開けて菊丸は答えます。
「正直に申しますと、どちらでも良いのです。今は、じっと我慢をされ、行く末、三河に戻られ、どこからも指図されない、立派な国をつくっていただければ、それで良いのです。それがわしらの望みです」
 光秀は那古野城に到着します。帰蝶と対面します。そこへ信長が帰ってくるのです。鉄砲でイノシシを仕留め、持って帰ってきました。その姿は猟師そのものです。鉄砲にくわしい光秀に、信長は興味を持った様子でした。茶を飲んでいけと告げます。
 信長は着替えて光秀の前に姿を現します。信長は自分が母親に気に入られていなかったことを話します。母は自分に似た色白の弟の信勝に目を掛けていた。母親に喜んでもらおうと、信長は漁に出るようになった。しかし魚を捕ってきて母が喜んだのは一度きりだ。母は信勝に家を継がせたかった。それでも信長は漁をやめなかった。見事な魚を捕ると漁師たちがほめてくれる。その魚を皆に分けてやると大喜びする。それが楽しい。皆が喜ぶのが楽しい。
 話をしているさなかに、竹千代が将棋の道具を持って信長の前にやってきます。しかし信長は将棋をすることを断るのです。これからもやらないと宣言します。竹千代がいいます。
「近習の者が申しておりました。信長様が、私の父、松平広忠を討ち果たしたと。そのことで、私にお気遣いしておられるのですか。もしそうなら、それは無用なことでございます。父上は母上を離縁し、岡崎から追い払い、今川義元についたのです。私は大嫌いでした。それゆえ、討ち果たされたのはいたしかたないことと思うています」
「わかった、駒を並べよ」
 信長は竹千代と将棋を始めるのです。信長にいわれ、座を外す光秀と帰蝶。二人が将棋をする様子を、天井裏からうかがう者がいました。信長は竹千代に、兄の信広と竹千代を交換しようとする動きがあることを打ち明けます。自分は竹千代を今川に行かせたくないと思っている。しかし迷いはある。この話を潰せば、兄は斬られる。竹千代は毅然としていいます。
「今川は敵です。いずれ討つべきと思うております。しかしその敵の顔を見たことがありません。懐には入り、見てみたいと思いまする。敵を討つには、敵を知れと申します。信長様がお迷いなら、私はどちらでもかまいませぬ」
 天井から見ていた人物は、光秀と共にやってきた菊丸でした。