日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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明治一五一年 第21回

明治一五一年 第21回

人の名前が錯綜する
人の血筋が錯綜する境目の
あざなえる膿み爛れつづける
一八六八年のもう帰らない
意識がさらに繋ぐ
泥濘に深深と塗れる指先
を掴むいくつかの掌は
一八七七年のもう帰らない
積み重なる様様な歪な思いの
内に紛れつつ潰え
ことごとく散乱を続ける
一八九五年のもう帰らない
果てまで繰り返し踏み
人の時間が錯綜する
人の名残が錯綜する曇り空に
一八九六年のもう帰らない
荒荒しく吹き付ける横殴りの
風は奥底で罅割れ
儚い夢の最中に目覚める誰か
一九〇五年のもう帰らない
のさらに夢の中が
綴るどこまでも消えない
項垂れる暗い背に淀む
一九一八年のもう帰らない
今生の悲しみに結わく長長と
した細胞の連鎖を
人の悲鳴が錯綜する
一九一九年のもう帰らない
人の破損が錯綜する坂の
糾われる方方へと紡がれる手
の内側の意識まで這う
一九二三年のもう帰らない
果てのない血の横たわる
泥濘の途中へと朧な
紡ぎ続ける思いの浮きつ
一九三九年のもう帰らない
沈みつ漂う先の方角へ
壊れていく形代の
散り拡がりなおも微かに響き
一九四五年のもう帰らない
人の抜殻が錯綜する
人の想念が錯綜する窪地に
新たな体液が溢れ出し
一九九五年のもう帰らない
浸みていき古い影は弱り
縫いつづける人の名前
になる瘦せ細った光彩や
二〇一一年のもう帰らない
爪先に残された終らぬ
微かな痛みが膨らみ兆す
ここからの眺めが内側
二〇二一年のもう帰らない
の突起になる見えぬ眼も

 

『映画に溺れて』第430回 駅馬車

第430回 駅馬車

昭和四十八年四月(1973)
大阪 梅田 梅田地下劇場

 

 私が映画館に通い始めた一九七〇年代、ジョン・ウェインベトナム戦争礼賛のタカ派のイメージが強くて好きになれなかった。二〇一五年の映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』では、赤狩りに積極的に協力した悪役として描かれている。
 封切りで間に合ったジョン・ウェインの新作は晩年の『ビッグケーヒル』ぐらいで、もちろん往年の西部劇『赤い河』も『リオ・ブラボー』も『アラモ』も未見のままだ。
 だが、当時は家庭用のビデオもまだ存在しない時代であったので、有名作品のリバイバル上映は多く、ジョン・フォードの古典的名作であり、ジョン・ウェイン出世作でもある『駅馬車』を映画館で観られたのは幸せだった。
 出発する駅馬車。乗り合わせるのは町を追われた娼婦ダラス、酔いどれの医者ブーン、夫に会いに行く軍人の妻ルーシー、気取った賭博師ハットフィールド、ウイスキー販売のピーコック、公金横領の銀行家ゲートウッド。鞭をふる御者バックの横に同乗するのは保安官カーリー。
 この一行に途中からお尋ね者のガンマン、リンゴ・キッドが加わる。
 護衛の騎兵隊は次の駅で引き返し、馬車はジェロニモ率いるアパッチ族が待ち構えている荒野を進む。砂漠や岩山の続く西部の風景はモノクロでも美しい。
 騎士道精神から貴婦人のルーシーに親切にするハットフィールド。
 リンゴ・キッドは張り合うように一同から白い目で見られているダラスに優しく接する。
 馬車の中継地で夫の負傷を聞いてショックから産気づいたルーシーを、酒を飲み続けていたブーンが大量のコーヒーで酔いを醒まし赤子を取り上げる。
 そしてインディアンの大襲撃と最後のリンゴ・キッドの決闘。タカ派ジョン・ウェインは好きではないが、この若き日のリンゴ・キッドはかっこいい。これぞ、西部劇のお手本のような名作である。

駅馬車/Stagecoach
1939 アメリカ/公開1940
監督:ジョン・フォード
出演:クレア・トレバー、ジョン・ウェイン、アンディ・ディバイン、ジョン・キャラダイン、トーマス・ミッチェル、ルイーズ・プラット、ジョージ・バンクロフト、ドナルド・ミーク、バートン・チャーチル、ティム・ホルト、トム・タイラー

 

『映画に溺れて』第429回 ラスト・アウトロー

第429回 ラスト・アウトロー

平成七年三月(1995)
池袋 文芸坐

 

 元南軍兵士の無法者たちが徒党を組んで西部を荒し回っている。首領は元南軍のグラフ大佐。かつては大牧場主で有能な軍人だったが、出征中に故郷の町が北軍の手に落ち、妻子を凌辱された上、惨殺されて人格が変わってしまったのだ。
 南北戦争終結後、昔の部下たちを引き連れて、全員が南軍の軍服を身にまとったまま、階級や規律もそのままに銀行強盗を続けている。グラフ大佐の中では戦争はまだ終わっていない。
 ある日、銀行を襲って大金を手に入れた直後、負傷した部下が足手まといになると判断し、見殺しにしようとする。
 これに副官のユースティスが反発し、大佐はかまわず負傷者を射殺しようとしてユースティスに撃たれる。
 一味は大佐が死んだと思い、そのまま捨てて行くが、実は一命を取りとめていた。胸の水筒が弾丸を受け止めて。
 銀行が雇った追跡隊に拾われた大佐は、今度は銀行の手先となって、かつての部下を追う側に回る。そして、執拗に追い詰め、陰湿に殺していくのだ。
 新しいリーダーとなったユースティスが、仕方なく部下を見捨てたり殺したりしなければならないように仕向け、自分の軍人としての正しさ、隊を守るには負傷者は見捨てなければならないと思い知らせる。
 この大佐を演じたミッキー・ローク。有能で立派な軍人が不幸によってタガが外れ、冷酷な殺人者の狂気を帯びた様が見事だった。大佐を尊敬しながらも裏切ることになる部下のユースティスは、当時まだ二枚目のダーモット・マローニーである。
 地味ながら、ニューシネマ時代の西部劇を連想させる佳作として心に残る。

 

ラスト・アウトロー/The Last Outlaw
1993 アメリカ/公開1995
監督:ジョフ・マーフィ
出演:ミッキー・ロークダーモット・マローニースティーブ・ブシェーミテッド・レヴィン、ジョン・C・マッギンレイ、キース・デイヴィッド

 

『映画に溺れて』第428回 明日に向って撃て

第428回 明日に向って撃て

昭和四十七年十二月(1972)
大阪 堂島 大毎地下

 

 一九六〇年代末からアメリカ映画界に新しいスタイルの作品が続々と現れた。自由を求め、社会からはみ出した若者が、古い体制の権力者あるいは権力の手先によって自滅させられる。ベトナム戦争とヒッピーと学生運動の六〇年代末から七〇年代初頭。これらの作品はひとくくりにニューシネマと呼ばれ、代表的な『俺たちに明日はない』や『イージーライダー』は今では古典となっている。
 実在した西部の無法者ブッチ・キャシディサンダンス・キッドを主人公にした『明日に向って撃て』のタイトルは、おそらくボニーとクライドの『俺たちに明日はない』を意識したものだろう。
 出だしのクレジットでいきなり古い無声映画の西部劇が流れる。そして自転車のセールスマン。古き開拓時代は終わりを告げ、映画や自転車が実用化し始めた新時代の到来である。
 ブッチとサンダンスは仲間を集めて相変わらず銀行強盗や列車強盗をくりかえし、とうとう鉄道会社の雇ったピンカートン探偵社に執拗に追われることになる。
 うまく逃げおおせたら、ボリビアに行こう。
 なんとか追手をかわしたふたりは、サンダンスの恋人エッタも同行して南米ボリビアへと逃れる。だが、ここでも悪事が止められず、エッタが去ると、ふたりは再び強盗稼業に手を出して、最後は総出の警官隊や軍隊に包囲される。
 ここを抜け出せたら、次はオーストラリアへ行こう。
 バート・バカラックの挿入歌『雨に濡れても』を背景に、ブッチとエッタが新時代の象徴のような自転車で風を切る場面は心に残る。
 ジョージ・ロイ・ヒル監督の次回作『スティング』は、禁酒法時代の詐欺師の物語で、再びニューマンとレッドフォードが主演した。

 

明日に向って撃てButch Cassidy and the Sundance Kid
1969 アメリカ/公開1970
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
出演:ポール・ニューマンロバート・レッドフォードキャサリン・ロス

 

『映画に溺れて』第427回 ハスラー

第427回 ハスラー

平成二十三年十月(2011)
府中 TOHOシネマズ府中

 

 若い頃、ビリヤードに夢中になったことがある。ローテーションゲームでポケットに十五個の玉を落としていく快感。西武線江古田駅近くに友人がいて、駅前にあったビリヤード場に彼とよく通ったものだ。その場所が周防正行監督の『shall we ダンス?』に出てきたときは懐かしかった。
 映画館でなかなか出会えなかったポール・ニューマン主演の『ハスラー』を午前十時の映画祭で観られたときはうれしかった。
 ある町の酒場にふたりの男が立ち寄る。近くの町で会議があり、通りかかったセールスマン。ビリヤード台があるのを見つけ、時間つぶしに勝負。若いほうがさんざん負けて、酒をあおり、熱くなっている。そして、絶対ありえないような難しい玉をポケットに落とす。
 ついてたな、偶然だよ。と年配の男。いや、偶然じゃない、何度でも入れてみせるぜ、と若い男。ありえない、できる。じゃあ、賭けよう。もちろん、玉は入らず、若い男は金を取られる。
 もう一度やろう、今度は百ドルだ。
 明日は朝から会議だぞ。いい加減にしろ、と年配の男。すると、店のバーテンが、俺が乗ったぞ。年配の男が呆れて出て行く。しばらくして、若いほうが膨れた財布を手ににやにやしながら。このふたり、プロの勝負師だったのだ。
 ポール・ニューマンふんする「早業エディ」、不敗の名人ファッツに勝負を挑み、三十時間ぶっ通しで玉を突き続け、最後には冷静な名人に手痛くやられる。彼の腕を見込んだギャンブラーの手配で富豪と一騎打ち。大金を得ても愛する女性を失う。やがて、再びファッツに挑戦するが。
 エディのポール・ニューマン、二枚目であり、しかもすばらしい演技力である。
 八十年代の後半に続編『ハスラー2』が作られ、にわかにビリヤードブーム。当然ながら長続きせず、ブーム以前からあったビリヤード場までが姿を消してしまった。

 

ハスラー/The Hustler
1961 アメリカ/公開1962
監督:ロバート・ロッセン
出演:ポール・ニューマン、ジャッキー・グリーソン、パイパー・ローリー、ジョージ・C・スコット、マイロン・マコーミック

 

『映画に溺れて』第426回 白と黒

第426回 白と黒

平成十三年六月(2001)

京橋 フィルムセンター

 

 犯罪物、推理物の面白さは、最後に意外な犯人が用意されていて、あっと驚かされ大満足となるのだが、この映画は犯行の場面で始まる。

 弁護士会の会長夫人が浮気相手の若手弁護士、浜野に痴話喧嘩の果て、腰紐で首を締められる。いきなり犯人がわかってしまって、さて、どう展開するのか。

 お手伝いが戻ってくると、夫人が死んでいるので、警察に知らせる。夫の弁護士会会長は関西の会議で留守。浜野が夫人を訪ねていたことはお手伝いから知れているので、刑事はさっそく浜野を問い詰める。根っからの悪人でない浜野は刑事の前でしどろもどろ、そこへ突然、犯人が捕まったという知らせが入る。

 脇田という前科者が逮捕され、弁護士宅の宝石を所持しており、現場にも指紋が残されていることから、夫人殺しの犯人として起訴される。

 そこで登場するのが検事の落合。脇田は動かぬ証拠のある窃盗については認めたものの、夫人殺しについては白を切り続ける。強盗の前科があり、状況証拠から見ても犯人にまず間違いない。検事は粘り強く追い詰め、胸の病気で将来に絶望しているこの男、最後には根負けして、殺人も認めてしまう。

 いよいよ裁判となり、弁護を買って出たのが、驚いたことに被害者の夫の弁護士会会長。彼は死刑廃止論者で、自分の主義を通すためにもこの犯人を弁護するといい、その助手として浜野が選ばれる。

 容疑者が犯行を認めたので、浜野は動揺している。無実の人間が死刑になろうとしているのだ。良心の呵責に耐えらず、つい落合検事の前で不審な言動を洩らしてしまう。それに疑念を抱いた落合検事は……。

 橋本忍の見事な脚本に思わず唸った。ひょっとして『真実の行方』の原作者ウィリアム・ディールはこの日本映画を観ていたのだろうか。

 

白と黒 1963

監督:堀川弘通

出演:小林桂樹仲代達矢淡島千景乙羽信子大空真弓千田是也小沢栄太郎西村晃山茶花究三島雅夫、井川比佐志、東野英治郎、浜村純、永井智雄、菅井きん野村昭子

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新刊「徳川家康とお亀の方」

会員・西山ガラシャさん原作の歴史漫画が発売となりました。

読者の皆様、よろしくお願いいたします。

 

 

『映画に溺れて』第425回 shall we ダンス?(1996)

第425回 shall we ダンス?(1996)

平成八年七月(1996)
池袋 文芸坐

 

 リチャード・ギア主演のハリウッドリメイク版もよく出来ているが、やはりなんといってもオリジナル『shall we ダンス?』がいいのだ。
 この映画のヒットで中高年層に社交ダンスが流行したとのこと。
 主人公杉山正平は大企業の中間管理職を勤めるサラリーマン、郊外に小さいながらも家を買い、妻と娘も過不足なく、仕事も問題ない。
 ある日、駅のホームから駅前の社交ダンス教室の窓が見えて、美しい女性が外を眺めているのに思わず見惚れる。次の日も。また次の日も。
 そして正平は何日か迷った末、とうとう教室の門を叩くのだ。
 教室の窓辺にいた岸川舞は経営者の娘で、教室を手伝っている。正平はしばらくして、彼女を食事に誘い、手ひどく断られる。そこで奮起して、ダンスを上達するためレッスンに精を出す。
 妻の昌子は夫の秘密めいた素振りから浮気でもしているのかと疑い、興信所の探偵を雇うが、ダンスとわかり驚く。
 動機は不純な下心であっても、正平はやがてダンスに熱中し、上達し、とうとう競技大会へ。
 配役も私好み。杉山正平が役所広司。窓辺の乙女岸川舞が草刈民代。初心者クラスのレッスンを受け持つ先生が草村礼子。妻昌子が原日出子。探偵が柄本明。教室のレッスン仲間が徳井優田口浩正。会社の同僚のダンスマニアが竹中直人。正平と大会に出場する教室古参の中年女性が渡辺えり子。個性派ぞろいである。
 探偵の興信所に『フォローミー』のポスターがあり、にんまり。
 いささか個人的なことで恐縮だが、私は若い頃、西武池袋線江古田駅前にあるビリヤード場にしょっちゅう通っていた。この映画を観たとき、あっと思った。ダンス教室として使われている場所、なんとあのビリヤード場ではないか。

 

shall we ダンス?
1996
監督:周防正行
出演:役所広司草刈民代竹中直人渡辺えり子草村礼子柄本明徳井優田口浩正原日出子森山周一郎本木雅弘清水美砂上田耕一、宮坂ひろし

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第23回 篤太夫と最後の将軍

 パリにいる幕府の使節団に、フランスからの六百万ドルの借款(しゃっかん)が消滅したとの知らせが入ります。同時にパリに来ていた薩摩が風聞を流し、幕府の信用が落としめられたためです。問題は民部公子(徳川昭武)(板垣李光人)が諸国へあいさつ回りするための十万ドルをどうするかということです。

「いや、策はある」外国奉行支配の田辺太一(山中聡)がいいます。「民部公子の名義で為替(かわせ)を発行し、買い取らせた先から日本の公儀に対し、取り立てさせる」

 フランスが駄目でも、オランダの貿易商社や、イギリスのオリエンタルバンクなら応じてくれる。その交渉を、篤太夫吉沢亮)が引き受けるのです。

 当面の費用をなんとか調達した昭武一行は、条約を結んだ諸国への旅に出発しました。スイスのベルンにて、外国奉行の栗本鋤雲(池内万作)と合流します。なぜわざわざ来たのかとの問いに、栗本は答えます。

「薩摩めに落とされた、公儀の信用を取り戻しに来たに決まっておりまする」栗本は一行の顔を見回します。「私は上様より、日本は公儀のものであることを示す弁明を持参した。借款もやり直さねばならぬ。あの借款は、公儀の命運を握る金だ」栗本は振り返ります。「杉浦は今後の方針を仰ぐために先に帰国せよ。渋沢。これは小栗様より預かってきた為替だ。公儀は金のない中、こたびの旅も中止にせよとのことであったが、諸国の信用を失わぬためにも、この為替を使って至極簡素に旅を続けよ。おぬしに任せたぞ」

 と、栗本は篤太夫を見つめるのでした。。

 日本では慶喜の側近である原市之進(尾上寛之)が斬られます。下手人は直参の二人でした。慶喜(草彅剛)は嘆きます。

「なぜだ。なぜわたしの大事なものを次々と奪う」

 血洗島では平九郎(岡田健史)が正式に篤太夫の養子となります。しばらく直参として江戸に暮らすことになります。平九郎は栄一の妹、てい(藤野涼子)、と結婚の約束をするのでした。

 京では岩倉具視山内圭哉)が大久保一蔵(石丸幹二)に図面を見せていました。

「これがあれば、いくさになっても心配あらしまへん」

 大久保が聞きます。

「こいは、錦(にしき)の御旗(みはた)」

「そうです。この御旗も源平から足利の頃までいろいろありますよって、生地を大和錦に紅白緞子で、ぱーっと。目切ったらそれでよろしい。けちったらあかん」などと岩倉は話します。「まつりごとを朝廷に返すはもちろんのこと、徳川を払わねばとてもとても、真の王政復古とはいえしまへん」

 大久保がいいます。

「わが薩摩や、長州と芸州は、王政復古の大業のため、国を投げ打ち、悪逆徳川を討ち払う所存でごわすが、土佐などはまだ、内部でもめちょります」

「はあ、その間に徳川が勢いとり戻したらどないする」

「そげんなる前にどうか、一刻も早う倒幕の宣旨(せんじ)をいただきとうございもす」

 伏見の薩摩藩邸に、おびただしい武器が運び込まれています。

「いくさじゃ」

 と、西郷吉之助(博多華丸)がつぶやいています。西郷は天璋院様御守衛という名目で浪人を集め、きたるべき時に備えていました。

 慶喜は一人で碁を打ちながらつぶやいています。

「このままではいつ薩摩が兵を起こすか分からぬ。いまだ借款はならず、陸海軍も整わぬ中、このまま後手に回り、いくさとなれば、必ず長州征討のような負けいくさとなろう。いっそ、朝廷にまつりごとをお返しするか。さすれば薩摩は、振り上げた拳を下ろす場所を失う。五百年まつりごとから離れている朝廷に力がないのは明らか。こうなればまだ公儀に見込みがある」

 慶応三年(1867)十月十二日。二条城にて、慶喜は政権を帝(みかど)に返すことを宣言します。

 江戸城では小栗忠順(上野介)(武田真治)が話していました。

「大政の奉還は、公儀の滅亡を急がせるもの」皆が騒ぎます。「さような議論より、この公儀未曾有の危機に際し、まずはまつりごとを一刻も早く取り戻すのが急務でございまする。すみやかに江戸より軍を上京させ、薩長、土佐、芸州など、公儀に刃向かう者らに兵端を開かせ、その機に乗じて、天子様の周囲から奴らを一掃し、その巣窟を滅ぼすのです」

 江戸城では大奥でも混乱が起っていました。自害して果てようというものが出ていたのです。天璋院上白石萌音)に喉に突きつけた刃を押さえられた歌橋はいいます。

「この世はもう、終わったも同じでございまする。奥に関わったものとして、生きてこの先を見とうはございませぬ」歌橋は泣き崩れます。「慶喜が、徳川を殺したのです」

 あばら屋で洗濯板を使う岩倉具視が、大久保一蔵にいいます。

慶喜というのはえらい男や。せっかく蟄居(ちっきょ)のわしが、あっちに手紙を出し、こっちにこっそり足を運んでと、えらい思いして倒幕の密勅をひねり出したというのに、先手を打ってくるとはな」

 大久保がいいます。

「大政を奉還しても結局、朝廷は、先のことが決まるまで、将軍職はこれまで通りと申しております。こげんなことでは、ないも変わらん」

 そこへ岩倉に文(ふみ)が届きます。蟄居が解かれたとの内容でした。岩倉は喜び、張り切ります。

 パリでは、各国歴訪を終えた昭武たちが、留学生活に入りました。教師となるのは、陸軍中佐ヴィレットです。民部公子に見合った帝王学を学ばせるようにと、ナポレオン三世より遣わされたのでした。ヴィレットは 民部公子をはじめ皆が、髷(まげ)を落とし、刀を外し、洋服を着ることを要求します。水戸藩士たちはヴィレットに凄みますが

「そのような格好では何も学べない」

 と、叱りつけられます。

「郷に入れば郷に従えじゃ」

 と、栗本鋤雲もいいます。篤太夫はこの成り行きを面白がっている様子でした。

 篤太夫は軍人のヴィレットと銀行のオーナーのエラールが親しげに話しているのを目撃します。

「商人(あきんど)と身分の高い武士が、まるで友のように話をするとは」

 エラールは答えます。

「フランスでは役人も軍人も商人も同じです」

 篤太夫はベルギーで国王自らが、民部公子に鉄を売り込んできたことを思い出します。

「そうか。異国がどこか風通しいいのはこのせいか。日の本では、民はいくら賢くてもお上の思し召し次第。なかったことでも『うん』とうなずかされ、サギをカラスだと無理な押しつけをされることは良くある。ここにはそれはねえ。皆が同じ場に立ち、皆がそれぞれ国のために励んでおる。そうだい、本来これこそが真(まこと)のはずだ。身分などに関わりなく、誰もが、その力を生かせる場で励むべきだと。こうでなくてはならねえ。鉄道や、水道やガスもニュースペーパーもだが、この理(ことわり)こそ、日の本に移さねば」

 水戸藩士三人はフランスの生活になじめず、外国方の向山、田辺らと共に日本に帰ることになります。

 慶応三年(1868)十二月九日。京の御所に公家たちが入ろうとすると、薩摩兵に制止されます。薩摩の西郷ら、反幕府勢力がついに動き出したのです。朝廷を一気に支配下に置こうという、クーデターの始まりでした。そして王政復古が宣言されるのです。

 その夜、国の方針を立てるための小御所会議が開かれました。

慶喜公がこの席に見えんな」前土佐藩主、山内容堂が発言します。「このたびの一件は、実に陰険なところが多いき。ことに王政復古の始めにあたり、兵で御所の門を固めるとは、もってのほか。そもそも二百年このかた、天下を無事に治めてきたのは、徳川の功績ではないかね。慶喜公は、祖先から受け継いだ将軍職をも投げ打って、大政を奉還された。慶喜公が優れた人物いうことは、もう天下に知られておる。会議をするなら、ここに呼ばんでどうするのじゃ」

 松平春獄要潤)も同意します。

「この場に、その主たる位置に付くべき慶喜公がおられぬのは解(げ)せん。また、徳川宗家のご領地を、返還せよとの命も、的外れに思える」

 会議は紛糾します。会議の間に大久保と話す岩倉に、西郷が話しかけてきます。

「こいはいっといくさをせんな」

 岩倉がいいます。

「向こうが戦おうともしてへんのに、こっちがいくさを仕掛けたんでは道理が立たしまへん」

 西郷は不敵な笑みを浮かべます。

「いくさがしたくなかちゅうなら、したくなるようにすっだけじゃあ」

 大阪城にいる慶喜のもとへ、成一郎(高良健吾)が報告に訪れます。

「三日前、江戸城二の丸が放火されたとのこと。薩摩が、奥におられる天璋院様を奪うために、仕組んだこととの風説でございます」

 慶喜はいいます。

「いや、これは罠だ。動いてはならぬ」

 他にも知らせを持ってくる者がいます。

「庄内を先鋒とする諸兵が、薩摩屋敷を砲撃。ただちにいくさと相成りましてございます」

「戦端を切ったのか」慶喜はつぶやくようにいいます。「何が起っても、耐えろと申したのに。耐えて待ちさえすれば時は来ると」

 慶喜重臣たちの前に出ます。

「薩摩を討つべし」

 重臣たちは口々にそれを述べるのでした。

 

 

『映画に溺れて』第424回 Shall We Dance?(2004)

第424回 Shall We Dance?(2004)

平成十七年六月(2005)
新宿 新宿スカラ2

 

 リチャード・ギアはよほどシカゴの弁護士に縁があるのだろうか。『真実の行方』『シカゴ』に続いてもう一本、やはりシカゴの弁護士役があるのだ。
 ただし、やり手の悪徳弁護士ではなく、遺言作成専門の雇われ弁護士。真面目で温厚な小市民である。
 この弁護士が電車で帰宅途中、ある駅前のビルにあるダンス教室の窓に美女を見て、ふらっと電車を降り、そのまま教室に入門。ダンスを始めるという話。
 周防正行監督の『shall we ダンス?』のハリウッドリメイク版である。
 オリジナルの役所広司は普通の会社員だったが、この設定をシカゴの弁護士に変えたところに、『シカゴ』や『真実の行方』との因縁を感じるのは私だけか。
 日本版オリジナルも大好きだが、ハリウッド版はこれはこれでとても面白い。日本版とほとんど同じ展開ながら、完全にアメリカ映画になっており、全然違和感がないのだ。これはもともと周防監督のオリジナルがハリウッドのコメディのようにお洒落で洗練されているからだろう。
 哀愁漂う役所広司と違って、リチャード・ギアはかっこ良すぎて普通のサラリーマンには見えないので弁護士なのか。
 ジェニファー・ロペスはダンス教室の娘ではなくて、雇われている講師。オリジナルの草刈民代は清楚なイメージだが、ロペスはヒスパニックで肉食系である。
 スーザン・サランドン演じる妻はデパートの洋服売り場の管理職。ダンスマニアの同僚がスタンリー・トゥッチ、探偵がリチャード・ジェンキンズ。
 細かい点はいくつか違うが、大筋は同じ。かつて、日本人は外国の製品を器用に真似して新商品を開発するのが上手な国民だ、などと揶揄されたこともあったが、逆に日本映画が外国で評判になってリメイクされるのはうれしい限りである。

 

Shall We Dance?/Shall We Dance?
2004 アメリカ/公開2005
監督:ピーター・チェルソム
出演:リチャード・ギアジェニファー・ロペススーザン・サランドンスタンリー・トゥッチ、リチャード・ジェンキンズ