第11回日本歴史時代作家協会賞 授賞式&記念トークショー&サイン会のお知らせ
授賞記念トークショー&サイン会
きたる10月8日(土)、第11回日本歴史時代作家協会賞 授賞式&記念トークショー&サイン会を行います。
詳細ならびにお申し込みは下記リンクより八重洲ブックセンターのサイトへどうぞ。
新会員・鳴海風さん新刊
新会員・鳴海風さんの新刊です。今月2冊が店頭に並んでおります。
以下、著者コメント:
こんにちは。
今月2冊、新刊を出しました。
厚かましいですが、PRをさせてください。
1冊は、執筆に5年かけた小説です。幕末の会津若松が舞台です。天文暦学がふんだんに出てきます。難しそうに思うかもしれませんが、そうではありません。
武家の母と息子の葛藤がテーマです。私自身の母との思い出が投影されています。
もう1冊は、日本数学協会の『数学文化』で7年間連載した和算小説です。
有名な遊歴算家・山口和の2回目の遊歴の旅が『奥の細道』と重なっていて、彼が残した『道中日記』には、歌枕のスケッチや歌碑、句碑の筆写がたくさん残っていて、数学だけでなく、古典や歴史に興味があったことが分かります。
読者の皆様、よろしくお願い致します。
※会員の新刊・既刊案内を行っております。ウェブ担当へのメールまたはコメント欄書き込みにて連絡をよろしくお願い致します。
『映画に溺れて』第519回 スワンソング
第519回 スワンソング
令和四年六月(2022)
京橋 テアトル試写室
ウド・キアといえば、一九七〇年代、『悪魔のはらわた』のフランケンシュタイン博士と『処女の生血』のドラキュラ伯爵が強烈に印象に残っている。アンディ・ウォーホル監修、ポール・モリセイ監督の古典的オカルトの斬新な再生。狂気を秘めながら知性と教養を感じさせる品のいい美男ウド・キアあっての成功だった。
文芸ポルノ『O嬢の物語』では美女コリンヌ・クレリーをいたぶる倒錯した恋人役。その後『ブレイド』『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』などの吸血鬼もの。ラース・フォン・トリアー監督作の常連。最近では『アイアン・スカイ』の月面のナチス総統。オカルトやSFや異色作で個性を発揮し続けている。
そのウド・キアがゲイの老人を嬉々として演じているのが『スワンソング』である。
パットは老人ホームで退屈していた。他の入居者とは口もきかず、部屋で黙々と紙ナプキンを折りたたむ日々。認知症も少しは進んでいるが、たまに隠れて煙草を吸うのが楽しみ。銘柄はモア。
そんなパットのところに弁護士が訪ねてくる。町の名士で富豪のリタが亡くなり、遺言でパットに死化粧してほしいとのこと。かつて、パットは町で一番の美容師だった。リタはお得意様であり親友でもあったが、パットの恋人デビッドがエイズで死んだとき、葬式に来てくれなかった。パットは店を閉め、リタとは疎遠になっていた。
なんでいまさら。弁護士の申し出を断ったパットだったが、思い直して老人ホームをそっと抜け出す。ジャージ姿で所持金もわずか、葬儀場までの道を徘徊老人のようにふらふらと歩いていく。スーパーで万引きしたウイスキーをベンチで飲みながら昔を回想したり、行く先々で帽子や洋服を調達して、徐々にお洒落なゲイに変身。常連だったゲイクラブが今夜閉店と知り、飛び入りで最後のステージにあがり、大喝采。
怪奇映画でもなくSFでもない。町のあちこちを思い出を求めて歩き続けるロードムービー。こんなウド・キアも悪くない。
スワンソング/Swan Song
2021 アメリカ/公開2022
監督:トッド・スティーブンス
出演:ウド・キア、ジェニファー・クーリッジ、アイラ・ホーキンス、ステファニー・マクベイ、マイケル・ユーリー、リンダ・エバンス
『映画に溺れて』第518回 チャイナタウン
第518回 チャイナタウン
アメリカ映画で時代劇といえば西部劇だが、戦前の禁酒法と大恐慌の時代を描いた作品も一種の時代劇のような気がする。
当時、パルプマガジンで活躍したダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説。登場する私立探偵は同じ探偵でも英国の上品なシャーロック・ホームズとは違い、かなり荒っぽいのでアクション映画に向いている。
ジャック・ニコルソン主演、ロマン・ポランスキー監督の『チャイナタウン』はそんな時代が背景のハードボイルドである。
ロサンゼルスの私立探偵ジェイクに水道局長モーレイの妻から夫の浮気捜査の依頼が来る。さっそく引き受け密会現場の写真を夫人に渡すと、タブロイド紙にそれがすっぱ抜かれる。
翌日、モーレイ夫人のエブリンがジェイクを訴える。が、浮気調査を依頼した女とは別人で、ジェイクは偽モーレイ夫人に騙され、モーレイのスキャンダルを暴いてしまったのだ。
その後、水源でモーレイの溺死が確認される。事故か自殺か。エブリンはジェイクへの告訴を取り下げ、夫の死の真相を究明するよう依頼する。
局長モーレイは実業家のノア・クロスが推し進めるダム建設に反対していた。ダムは不要であり、かえって災害の危険を増すと。が、モーレイ夫人エブリンの父親こそがノア・クロスなのだ。調査を進めるジェイクを暴漢が襲う。
一九三〇年代のロサンゼルスの町を当時の車が走り、当時のおしゃれな服装の人々が歩く。まさにコスチュームプレイである。
エブリン役のフェイ・ダナウェイが妖しく美しい。悪役クロスがジョン・ヒューストン。ジェイクの鼻をナイフで切る暴漢をロマン・ポランスキー監督がうれしそうに演じている。
この映画を観たのは、今はなき荻窪オデヲン座の名作特集だった。
チャイナタウン/Chinatown
1974 アメリカ/公開1975
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン、ダイアン・ラッド、バート・ヤング、ペリー・ロペス、ジョン・ヒラーマン、ダレル・ツワーリング、リチャード・バカリアン
頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー14
頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー14
『秀吉を討て 薩摩・明・家康の密約』(松尾千歳、新潮新書)
慶長5年(1600)に起きた関ヶ原の戦いで、石田三成を中心とする西軍は、徳川家康に率いられた東軍に敗れた。
その関ヶ原で、目前の合戦には参加せず、ほぼ勝敗が決してから敵中突破を決行したのが、島津義弘を大将とする島津軍である。敵中に活路を見いだすという前代未聞の退却戦を決行した島津軍だったが、負け戦に変わりはない。
だが、そんな島津だが、戦後、所領は安堵された。
① 事実上の処分なしというべきで、所領を没収された宇喜多秀家、長宗我部盛親、立花宗茂(後に復活)等に比べて余りにも優遇されていないだろうか。(合戦に参加しなかった毛利輝元も、ほぼ三分の一に減じられている。)
② さらに、徳川家康は、慶長11年(1606)に島津義弘の子で(兄良久の養子となって)当主となっていた島津忠恒に偏諱を与え「家久」と名乗らせている。「家」は徳川宗家の通字であり、御三家、前田家にも与えられていない。島津家への優遇というべきだろう。
③ そして、翌慶長12年には、島津氏の琉球出兵を認めている。これは事実上の琉球(12万石)加増というべきで、他に似たような事例はなく、これも優遇というべきである。
島津の勇猛を恐れた、あるいは辺鄙な薩摩の処分などどうでもよかった等の説はある。しかしながら、それでもこれほどの優遇は、奇異というべきで、筆者は、その理由は定かではないとしながらも次のような考察を行っている。
① まず、家康は反豊臣であり、朝鮮出兵を止めるために島津義久と手を組んでいたのではないか、文書などには出てこない裏の繋がりがあった可能性がある、という。
② 次に、家康は島津が明と太いパイプを持っていて、明との国交回復は、島津を頼らざるを得なかったのではないか。(家康の死により、明との国交回復方針は破棄される。)
③ そして、島津氏に琉球出兵を許可したのも、より明との太いパイプを持つ琉球を島津の支配下におき勘合貿易を実現しようとしたのではないか、というのである。
室町時代、足利義満(一時中断後、足利義教から再開)に始まった明との朝貢貿易は、勘合貿易として足利氏から細川氏、大内氏へとその主体を変えるが、いずれも戦国時代を生き残れなかった。(細川幽斎の細川家は、細川家の末流で、かつ没落しており、そもそも貿易に従事していなかった。)
徳川家康は、明との勘合貿易の復活、つまり国家間の貿易実現を目指していた。そのために島津氏を優遇したのではないか、というのである。
島津氏の支配する薩摩、大隅、日向の三州を中心とする南九州各地は、古くから大陸との交易が盛んで、中国等の異国人が立ち寄り、あるいは居住していた。その名残が「唐人坊」や「唐坊」などの地名として今日も残っている。(坊津は、日本三津の一つとして有名。)
島津義久によって三州が統一された後は、許儀後、郭国安など島津氏に仕える中国人もいた。さらに、藤原惺窩の見た日記から薩摩の港に異国船が停泊し、異国人が町を歩き回り、異国へ渡ろうとする者たちが集まっていた光景が、南九州では当たり前であったと紹介している。
そうしたなか、朝鮮出兵を知った許儀後の知らせにより明から薩摩に工作員が派遣され、明と島津が合力する計画があったというのである。この計画は、筆者の独創というわけではなく、すでに先行する研究が文中で紹介されている。
この計画に家康も加わっていたのではないかというのが筆者の主張で、それがタイトルに反映されているのである。
本書は、新書という性格上、朝鮮出兵を巡る明と島津そして家康との合力計画から明との交易を目指す家康と義久の思惑の違い、さらには海洋国家としての薩摩を総論的、概説的にに述べているが、その構想、叙述は魅力的であるばかりでなく、夢がありロマンがある。
ほぼ戦国末と明治維新のときしか話題となることのない島津氏と薩摩だが、こうした新たな視点は、島津氏や薩摩に対してさらなる興味をかきたてずにはおかないだろう。
東シナ海を地中海のように「環シナ海」として周りの国々を見ると、さらに島国日本を巡る歴史はより豊穣なものになるのではないかとの認識を新たにする本である。
日本からみれば辺境、僻地の薩摩だが、環シナ海としてみれば、外国への玄関口となる。これだから、歴史は面白い!
『映画に溺れて』第517回 アンタッチャブル
第517回 アンタッチャブル
昭和六十二年十月(1987)
新宿歌舞伎町 新宿プラザ
私のブライアン・デ・パルマ初体験は一九七五年公開の『ファントム・オブ・パラダイス』で、これはわが生涯に観た映画の中でも上位に入る。その後、『キャリー』『悪魔のシスター』『愛のメモリー』『フューリー』『殺しのドレス』と見続けたが、ホラー色の強いカルト系の監督というイメージが強かった。
そのデ・パルマが禁酒法時代のシカゴを背景にギャングと官憲の闘争を重厚に描いたのが『アンタッチャブル』である。最初の場面、町の食堂に幼い女の子が鍋を下げてお使いに来る。お母さんが風邪をひいたの。店では胡散臭い男が店主と口論している。どうしても酒を買わないのか。おまえたちのビールはいらない。そうか、わかったよ。捨てぜりふを残して男が立ち去ると、カウンターに鞄が置き忘れてある。女の子は気づいて、鞄を手に「おじさん、忘れ物」と言いながら男を追う。と、とたんに鞄が爆発して、店は破壊される。カポネの酒を断ったら、こうなるという警告だった。
酒の密売と暴力によって暗黒街のトップとなったアル・カポネ。財務省から酒類取締官エリオット・ネスが警察に出向。が、張り切って突入した手入れは失敗。賄賂と脅しで警察はカポネの手先となっていた。失意のネスは偶然出会ったパトロール警官マローンに協力を頼む。正直で正義感が強く汚職と無縁なために出世とも無縁。警官はだれも信用できない。が、あんたは信用できる。マローンは言う。戦争となったら、やつらはとことんやるぞ。カポネと本気で戦う覚悟があるのか。
これにイタリア系の新人警官ストーンと本省から派遣された財務官のウォレスが加わり、四人でカポネの組織に挑むのだ。
カポネのロバート・デ・ニーロとマローンのショー・コネリー。存在感のあるベテランふたりにネスのケビン・コスナー、ストーンのアンディ・ガルシア、ウォレスのチャールズ・マーティン・スミス。配役もまた素晴らしい。
アンタッチャブル/The Untouchables
1987 アメリカ/公開1987
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ケビン・コスナー、ショーン・コネリー、アンディ・ガルシア、チャールズ・マーティン・スミス、ロバート・デ・ニーロ、ビリー・ドラゴ、チャード・ブラッドフォード、パトリシア・クラークソン
『映画に溺れて』第516回 ラストマン・スタンディング
第516回 ラストマン・スタンディング
平成九年二月(1997)
日比谷 日比谷映画
派手な暴力描写で名高いウォルター・ヒル監督が黒澤明の『用心棒』をほぼそっくりそのまま、禁酒法時代のテキサスに置き換えてリメイクしたのが『ラストマン・スタンディング』である。セルジオ・レオーネの西部劇『荒野の用心棒』は有名だが、リメイクとしてはこちらが肌理細かい。
ブルース・ウィリスの流れ者が車で荒野を行く。二又の分かれ路で空のウイスキー瓶を回転させて、方向を決めるあたりからすでに黒澤の『用心棒』である。
寂れた町でイタリア系のストロッジとアイルランド系のドイル、ふた組のギャングが密造酒をめぐって対立しており、流れ者は因縁をつけてきたドイルの子分を撃ち殺し、ストロッジに自分を売り込む。ここで名を聞かれてスミスと名乗る。桑畑三十郎ならぬジョン・スミスと。
ストロッジの情婦をたらしこみ、ギャングたちをうまく操り両方から金をせしめるスミスだが、シカゴから帰ってきたドイル一家の凶悪なヒッキーが疑い深く、やがてドイルが囲っているメキシコ女性をスミスが逃がしたことを嗅ぎつける。悪党のくせに人助けをしたのが仇となるのだ。このとき、スミスを徹底的に痛めつけるのが手下の大男というところまで『用心棒』といっしょである。しかも完全なアメリカのギャング映画でもあるのだ。
三船敏郎の役どころがブルース・ウィリス。仲代達矢がクリストファー・ウォーケン。保安官がブルース・ダーン。
原作者のクレジットに菊島隆三と黒沢明の名が出ているのもうれしい。
『用心棒』の着想そのものはダシール・ハメットの『血の収穫』なので、禁酒法時代のギャングというのは、ハメットにも近い。
ラストマン・スタンディング/Last Man Standing
1996 アメリカ/公開1997
監督:ウォルター・ヒル
出演:ブルース・ウィリス、ブルース・ダーン、ウィリアム・サンダーソン、クリストファー・ウォーケン、デヴィッド・パトリック・ケリー、カリーナ・ロンバード、ネッド・アイゼンバーグ、アレクサンドラ・パワーズ、マイケル・インペリオリ、レスリー・マン、ケン・ジェンキンス
『映画に溺れて』第515回 用心棒
第515回 用心棒
昭和五十三年十一月(1978)
大阪 阿倍野 アポログリーン
私は三船敏郎が大好きだ。三船といえば黒澤明、『七人の侍』は映画として文句なしに最高である。が、異彩を放つキャラクターといえば『用心棒』の浪人だろう。
すさんだ宿場町にふらりと現れた流れ者の浪人。風体はむさ苦しく、どこかとぼけた感じ。入った居酒屋で亭主から町の様子を耳にする。
かつては絹の市で栄えたこともあり、名主の絹問屋と馴れ合った博徒の清兵衛一家が町を牛耳っていた。今では跡目争いの不満から独立した丑寅一家が力をつけて、ふた組の博徒がいがみ合い一触即発。それを目当てに凶状持ちやならず者が集まり、おかげで町は寂れ、堅気の衆はまともに暮らせない。
浪人はにやりとして、気に入った。この町では人を斬ると金になるようだ。悪党どもをみんな殺せば、町は平穏になるぜ。
まず、清兵衛一家に用心棒として売り込む。名を聞かれ、外に広がる桑畑を見て、桑畑三十郎と名乗る。そろそろ四十郎だがな。
三十郎はそれぞれの一家を操り煽り、博徒たちはまんまと乗せられ、いよいよ殺し合い。が、そこへ丑寅の弟の卯之助が旅から帰ってくる。一見優男ながら、凶悪でずる賢く頭が切れる。こいつが三十郎の前に立ちはだかる。
丑寅三兄弟が山茶花究、加東大介、仲代達矢。清兵衛夫婦が河津清三郎、山田五十鈴。居酒屋の亭主が東野英治郎。出入りの前にこっそり逃げ出す用心棒が藤田進。
翌年、同じ浪人を主人公に『椿三十郎』が作られた。三船演じる浪人のキャラクターはその後、岡本喜八監督『座頭市と用心棒』や稲垣浩監督『待ち伏せ』にも登場する。
イーストウッドをスターにした『用心棒』の模倣作『荒野の用心棒』は有名だが、リメイクではウォルター・ヒル監督の『ラストマン・スタンディング』が私は好きだ。禁酒法時代のテキサスの寂れた町が舞台だが、原作を忠実に置き換えている。
用心棒
1961
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、司葉子、土屋嘉男、東野英治郎、志村喬、加東大介、藤原釜足、河津清三郎、太刀川寛、夏木陽介、沢村いき雄、渡辺篤、藤田進、山茶花究、西村晃、加藤武、中谷一郎、堺左千夫、清水元、ジェリー藤尾、佐田豊
書名『トオサンの桜 台湾日本語世代からの遺言
書名『トオサンの桜 台湾日本語世代からの遺言』
著者 平野久美子
発売 潮書房光人新社
発行年月日 2022年6月23日
定価 ¥840E
日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人
『台湾万葉集』(集英社1994)の編著者孤逢(こほう)万里(ばんり)(1926~99)さんの詠んだ短歌である。日本の統治時代が終焉し、蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府が閩南語(台湾語)と日本語を禁止しても、植民地という環境で育った「日本語世代」といわれる台湾人にとって、旧宗主国の言語である日本語は自分の感情や感性を表現するためには容易に捨てられない必要な言語でもあった。
台湾は複雑な多民族・多言語社会である。日常生活には閩南語、客家語、北京語などを用いる多言語の世界で育てられた世代が同居している。それに英語、日本語的要素までもが混在しているのが今日の台湾の言語情景で、そこから生まれる国際感覚やモチベーションの高さは日本人が見習うべきものであろう。
本書『トオサンの桜―台湾日本語世代からの遺言』は15年前の2007年、小学館から単行本として刊行された『トオサンの桜―散りゆく台湾の中の日本』を改題、大幅に加筆、改訂して文庫化したものである。評者(わたし)は、単行本の時に既読したと気安く思いながら手にしつつ、改訂版としての本書を手に汗しながら、読み耽っていた。次第に平野ワールドに引きずり込まれたのである。
先ず、副題が、「散りゆく台湾の中の日本」から「台湾日本語世代からの遺言」へと変わっているように、この15年間に台湾をめぐる国際環境は目まぐるしい変化を遂げている。とりわけ、胡錦濤体制から習近平体制に変わったことで、台湾・香港情勢は激変した。台湾は香港の如く中国に飲み込まれ、日々北京の意向を窺いながら生きることを欲していないが、軍事大国・中国は「祖国統一」の美名のもとにナショナリズムを煽り、台湾の香港化を推し進めている。そうした現実を踏まえて著者は「時代の流れを加えて加筆」している。
「多桑(トオサン)」は日本語の「父さん」の発音に漢字をあてはめた台湾語であるが、著者はトオサンとは「日本統治時代に習い覚えた日本語に愛着を覚え、日本に対し、理屈を超えた愛憎ないまぜの感情を抱くお年寄り」であると定義づけし、「台湾という親木に“桜の教え”など日本の教育や道徳を接ぎ木されたおかげで、新しい芽が吹いて、さらに強靭でしなやかな精神を獲得したトオサンたち」と哀惜を籠めて彼らに呼びかけている。
日本統治時代、日本人は陽明山、日月潭、阿里山などに桜を植樹していくつかの花見の名所をつくったが、戦後、「桜」は「神社」と同様、日本人が台湾に勝手に持ち込んだ「日本」であるとされ、国民党政府によって切り倒された。そのような中、ひとりのトオサンで「台湾の花咲爺さん」と呼ばれる王海清(おうかいせい)さんが三千数百本の桜を二十数年かけて黙々と植えてきたということは小学館版単行本で紹介されているが、改訂版の本書でも王さんは主役のひとりである。
台湾民主化の舵取りをした李登輝(りとうき)元総統も、一庶民の王海清さんもトオサンであるが、トウサン世代の台湾人がすべて親日的であるとするのは二者択一的思考に陥りがちな日本人の勘違いであり誤りである。トオサン世代の台湾人の日本に対する感情は「親日」とか「反日」、「好き」とか「嫌い」といった単純なものではない。日本が引き起こした戦争に駆り出されるというトオサンに共通する運命があったとしても、トオサンの境遇はさまざまであった。
私事ながら。わが妻の実父母も「日本語世代」である。すでに逝ってしまったが、わが岳父母は共に日本植民地期を生き、激変した戦後社会を生き抜いてきた農民であった。日本統治下の1922(大正11、民国11)年、台北の西・蘆州(ルーチォウ)に生まれた義母は「媳婦仔(シンブア)」(10代にもならない少女が、他家に養女に取られ、最初は家事手伝いとして奉公する児童婚姻という台湾の伝統的な農業社会の旧習)として、蘆州の隣村・三重(サンソォン)の岳父に嫁ぎ、6人の子をなし、馬車馬のように働き、23歳で、光復(日本の敗戦)を迎えている。話せるのは閩南語のみであった彼女は片言の日本語で「講習所 夜、行った。ラジオ、聴いた。日本の歌、習った。愉しかった」と語り、童謡「夕焼け小焼け」を口遊んでくれたことがあった。農村の婦女子に教育などもってのほかとする伝統的な台湾社会の父権制度の中で、彼女は自らの運命を決定する自由をほとんど持ち得ず、かつ、教育を受ける機会を与えられなかっただけに、戦時中、「国語講習所」(公学校に通えない、つまり正規の学校教育を受けられない多くの漢族系住民に対し、「国語」をはじめとする教育を行うべく、「日本精神」を涵養するという理念・目的のもとに、台湾総督府が1930年代初期から設置された社会教育施設)に通ったことは数少ない愉しい思い出として義母のこころの中に生きていたのであったろう。
トオサンと呼べる人がどれだけいるのか、「正確な数はもはやわからない」という。トオサンとは日本の敗戦の昭和20年の時点で、国民学校の高学年以上に在籍していた、つまり12歳以上だった人々で、戦後77年の今日現在ではそうとうの御高齢である。最小年齢の12歳であった方ですら89歳をカウントする。
トウサンといっても皆一様ではない。「早晩いなくなってしまう彼らの声。日本人として生きた矜持や無惨、激変した戦後社会で体験したアイデンティティの混沌を聞いてみたい」として、著者は様々なトウサン、並びに日本語世代の両親を持つ「日本語世代二世」と出逢い、交流を深め語り合い、トウサンの語る真実から、これだけは日本人に言い残したい、伝えたいという魂の叫びを聴きながら、「台湾の歴史」を紡ぎだしている。「どんなに時代の波に翻弄されようとも人間としての尊厳を保ちながら生きてきた」トウサンたちの人生は台湾の戦前戦後史そのものだったのである。
戦後台湾の悲劇は蒋介石の国民党政権が台湾人の教師や父兄を白色テロの恐怖で縛り上げ、中国人としての歴史観や教育を押し付けるべく閩南語、客家語と日本語を禁止し、戦前の日本語同様、政治的に強制された新しい「国語」として中国語を問答無用に台湾人に押し付けたことに始まる。
台湾の日本語世代たるトウサンが戦後台湾社会においてどんな役割を果たしてきたのかと設問した著者は、「日本統治時代の甘美な部分の記憶をもとに中国人になることに抵抗を示し、戦後もずっと“桜恋しや”という心情を温存してきたトオサン世代がいたからこそ、台湾アイデンティティ―の確立、民主化の流れは加速したともいえるのではないか」と総括しつつ、「年々、人生を卒業していく日本語世代の言葉はまるで次世代への遺言のように響く。今、一度しっかと耳を傾けたい。個人史をひとつでも多く書き残してほしい」とトウサンたちに残された時間が無いのを知った上で、最後の注文を付けている。
蛇足ながら。評者ももう少し義父母と語り合っておくべきだったと後悔している。日本の戦後の姿をどう評価しているか、日本に求めることは何か?などなど、ゆっくりと話をする機会を持たなかった自分の幼稚さ、未熟さを情けなく思うが、すでに彼らが人生を卒業してしまった今となっては後の祭りである。
加えるに、評者も既に70代である。日台両国にまたがる父祖たちがいかに生きたかを踏まえつつ、日台関係の行く末を見据え、日本と台湾の未来に向けて語り継ぐべきことを語り継ぐべく、書き物を残していかねばならないと思う。
(令和4年9月13日 雨宮由希夫 記)
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第35回 苦い盃(さかずき)
鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)は、北条政子(小池栄子)がこっそりと置いておくように命じた、和歌の写しを見つけます。実朝は母の政子に会いに行きます。実朝が一番好きだといった歌は、父の頼朝(よりとも)が書いたものでした。政子は実朝にいいます。
「あなたも不安なことが、あるかもしれない。でも父上もそうだったのです。励(はげ)みにして。鎌倉殿も、想(おも)いを歌にしてみてはいかがですか」
実朝は微笑んでうなずくのでした。
義時(小栗旬)は、妻となった、のえ(菊地凛子)、と話していました。子が欲しいか、と問う義時に、のえは
「欲しくない、といえば嘘になりますが」と、控えめに答えます。「小四郎(義時)殿には、太郎(泰時)殿がいらっしゃいます。私はそれで、満足」
しかし、のえは、後に祖父の二階堂行政(野仲イサオ)に訴えるのです。
「満足なわけありませぬ。必ずや男子を産んで、その子をいずれは北条の家督(かとく)にして見せます。そうでなければ、あんな辛気(しんき)くさい男に嫁(とつ)ぎません」
元久元年(1204)十二月十日。三代将軍実朝と結婚するため、後鳥羽上皇の従妹(いとこ)である千世(ちよ)(加藤小夏)が鎌倉に到着します。
北条時政(坂東彌十郎)は、うつろな表情で柱に寄りかかる、りく(宮沢りえ)に話しかけます。
「千世様がお着きになられたんじゃ。お前が顔を出さん事には、始まらんじゃろう」
「お任せいたします」
と、りくは動こうとしません。
「誰よりもお前が望んだことではないか」
「政範(まさのり)が、連れて戻ってくるはずだったのです」
ようやく、りくは出向くことを承諾します。
実朝と千代との間に盃が交わされます。
書庫で義時は、畠山重忠(中川大志)の子、畠山重康(しげやす)(杉田雷麟)の訴えを聞きます。
「政範殿が亡くなられたのは、京へ到着して二日目のことでした」
歓迎の宴の席で、突然、政範は倒れたのです。実は、その前の晩に、重康は平賀朝雅(ひらがのともまさ)(山中崇)が、怪しい人物と話すのを聞いていたのでした。平賀はいっていました。
「では、これを汁に溶かせばよいのだな」
書庫で義時は確認します。
「平賀殿が毒を盛ったと」
重康はうなずきます。政範が死んだ後、重康は平賀を問い詰めました。
「馬鹿を申せ。なぜ私がそんなことをする。見当違いもいいかげんにせよ」
と、とぼける平賀に、重康は前日のやりとりを見ていたことを告げます。
「わしは饗応(きょうおう)役ぞ」平賀はいってのけます。「汁の味付けに気を配って何が悪い」
書庫で重康は力を込めます。
「あれは決して味付けの話ではありませんでした」
義時はうなずきます。
「よく教えてくれた。後はこちらで調べてやる」
その頃、平賀は、りくと話していました。
「政範殿のことで、嫌な噂が流れておるようです。あまりの突然の逝去(せいきょ)に、毒を盛られたのではないかと」
りくは動転(どうてん)します。
「毒。誰が」
平賀はりくに近づきます。
「畠山重康殿。畠山一門は北条に恨みを持っております」
平賀は畠山が武蔵の地を巡り、時政と争っていることをいいます。平賀は重康が、自分を下手人(げしゅにん)に仕立て上げようとした、と嘆いて見せます。
「まことですか」
と、問うりくに、平賀は悲壮な表情をします。
「畠山の策略にはまってはいけません。何をいってきても、信じてはなりませぬぞ」
夜、りくは時政に訴えます。
「政範の敵(かたき)を取ってくださいませ」
時政は、りくをなだめようとします。
「畠山は、ちえの嫁(とつ)ぎ先」
「私の血縁ではありません。分かっているのですか。政範は殺されたのですよ。畠山は、私と政範を、北条の一門だとは思っていなかったのです。だからこのような非道なまねができるんです。畠山を討ってちょうだい」
一方、義時は、平賀を問い詰めます。
「冗談はやめていただきたい」
と、平賀はいいます。義時は穏やかに話します。
「あまりに突然、亡くなったので、勘ぐる者も多いようです」
「一番、驚いているのは、この私だ」
「骸(むくろ)は、すみやかに東山に埋葬されたと伺(うかが)いました」
「できれば、鎌倉に連れ帰りたかったが」
「夏ならともかく、この季節なら、京からこちらに移すこともできたのでは」
「何がいいたい」
「毒を飲んで死ぬと、骸の顔の色が変るので、すぐに分かると聞いたことがあります」
平賀は笑い、怒り、去って行きます。
義時は薄暗い廊下で、父の時政と話します。
「とにかく、この件に関しては、軽はずみに答えを出すべきではない」
時政は、腕組みしていいます。
「りくは、すぐに畠山を討てと息巻いておる」
「なりませぬ」
「わしだって、そんなことはしたかねえ。重忠は良き婿(むこ)じゃ。だがな、政範は大事な息子なんじゃ。畠山を討つ。力を貸してくれ」
「誰であろうと、この鎌倉で、勝手に兵を挙げることはできません。たとえ執権(しっけん)であろうと」
「軍勢を動かせねえってのか」
「鎌倉殿の花押(かおう)を据(す)えた、下文(くだしぶみ)がない限り、勝手に動くことはできませぬ」
時政は顔をそむけます。
実朝は義時の息子の泰時(坂口健太郎)を共に、気晴らしに、和田義盛(横田栄司)の館に出かけます。
義時は畠山親子と話していました。畠山重忠がいいます。
「こうなったら、平賀殿と息子を並べてご詮議(せんぎ)を。さすれば、嘘をついているのがどちらかはっきりする」
義時は静かに述べます。
「私もそうしたかったが、平賀殿はすでに京に戻られた」
「小四郎(義時)殿。それが嘘をついている証拠でござる。後ろめたいから逃げた。すぐに連れ戻して討ち取りましょう」
「それはできぬ」
「なぜ」
「確かに、平賀は疑わしい。しかしあの男は、上皇様の近臣(きんしん)でもある。京を敵に回すことになる」
「われらがいわれなき罪で、攻められても良いのか」畠山は拳を床板に叩きつけます。「執権殿の狙いはそこなのだ。畠山を滅ぼし、武蔵をわがものにするおつもりなのだ。小四郎殿が、父親をかばう気持ちは分かるが」
「そういうことでは」
「私は一旦(いったん)、武蔵へ帰る」
畠山重忠は歩き去ろうとします。義時が呼びかけます。
「この先は一手、誤れば、いくさになる」
「いくさ支度(じたく)はさせてもらう。念のためです」畠山重忠は振り返ります。「私とて、鎌倉を灰にしたくはない」
義時は再び時政と話します。
「すべては、畠山に罪をなすりつけようとする、奸臣(かんしん)の讒言(ざんげん)にほかなりません」
「誰のことをいうておる」
「例えば、平賀朝雅」
「まさか」
と、時政は笑い出します。
「誰よりも疑わしいのは、あの男です」
「動機がない」
「政範殿を亡きものにして、次の執権に。真偽(しんぎ)を糾(ただ)そうともせず、次郎を罰するようなことがあれば、必ず後悔いたしますぞ」
時政はうなずきます。
「あいわかった」
しかし時政がこれを話すと、りくは激怒するのです。
「それで引き下がってこられたのですか」
「政範のことは、もう少しよく調べてから」
りくは時政の前に立ちふさがります。
「まだ分からないのですか。畠山は討たなければならないのです。梶原がどうなりました。比企がどうなりました。より多くの御家人を従えなければ、すぐに滅ぼされます。力を持つとはそういうこと。畠山を退(しりぞ)け、安達を退け、北条が武蔵国(むさしのくに)のすべてを治めるのです」
「りく、やっぱりわしら、無理のしすぎじゃあねえかな」
「政範だけではすみませんよ。次は私の番かも知れないのです」
「そりゃあいかん」
「そういう所まで来ているのです」
「兵を動かすには、下文に鎌倉殿の花押がいる」
「ならば、すぐに御所に向かってくださいませ」
「よし」
と、時政は覚悟を決めるのでした。
時政は御所に来てみますが、実朝に会うことはできません。実は実朝は、和田義盛のところで羽を伸ばしていたのです。
御所で皆が探し回っているとも知らず、実朝が帰ってきます。部屋で一人になったところに、時政がやって来ます。内容も確かめさせず、実朝に花押を書かせるのです。
「とりあえず、父は分かってくれた」
「それは何より」
「次郎が為(な)すべきは、早急(さっきゅうに)に鎌倉殿にお会いして、潔白を誓う起請文(きしょうもん)を」
「それをいいにわざわざ」
「執権殿の気持ちが変る前に」
「私を呼び寄せて、討ち取るつもりではないでしょうね」
義時は笑い声をたてます。
「まさか」
「私をあなどってもらっては困ります。一度いくさとなれば、一切、容赦(ようしゃ)はしない。相手の兵がどれだけ多かろうが、自分なりの戦い方をして……」
「畠山の兵の強さは、私が一番、分かっておる」
「もし、執権殿と戦うことになったとしたら、あなたはどちらにつくおつもりか。執権殿であろう。それで良いのだ。私があなたでもそうする。鎌倉を守るために」
「だからこそ、いくさにしたくはないのだ」
「しかしよろしいか。北条の邪魔になる者は、必ず退けられる。鎌倉のためとは便利な言葉だが、本当に、そうなんだろうか。本当に、鎌倉のためを思うなら、あなたが戦う相手は」
「それ以上は」
「あなたは、分かっている」