日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第169回 生きるべきか死ぬべきか

第169回 生きるべきか死ぬべきか

平成元年七月(1989)
渋谷 シネセゾン

 

 第二次大戦中、ハリウッドではナチスを茶化すコメディ映画、チャップリンの『独裁者』やエルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』が作られていたが、日本はアメリカと戦争していたので、『独裁者』は戦後一九六〇年になってようやく公開され、『生きるべきか死ぬべきか』はもっと遅く、一九八九年の公開となった。
 生きるべきか死ぬべきかとは、もちろん、ハムレットの名せりふである。実はメル・ブルックス監督によるリメイク版が一九八四年に『メル・ブルックス大脱走』のタイトルで封切られていて、私はそっちを先に観た。
 ナチスによる占領下のポーランド。人気コメディ劇団の俳優たちが、その演技力と度胸とアイディアで、ドイツ軍を出し抜き、英国へと脱出する。座長がドイツ軍スパイの教授に変装したり、劇団員たちがゲシュタポに成りすましたりと、見せ場も多い。
 座長はハムレットのさわりを舞台で演じたがり、その間、一座のヒロインである座長夫人は空軍パイロットと逢瀬を楽しむ。
 メル・ブルックス版はいきなりポーランド語でしゃべって英語に訂正したり、歌ったり、踊ったり、下ネタやゲイのネタが出てきて、より通俗ギャグ満載で下品だが、私はこっちも気に入っている。

生きるべきか死ぬべきか/To Be or Not to Be
1942 アメリカ/公開1989
監督:エルンスト・ルビッチ
出演:キャロル・ロンバート、ジャック・ベニー、ロバート・スタック、フェリックス・ブレザード

メル・ブルックス大脱走/To Be or Not to Be
1983 アメリカ/公開1984
監督:メル・ブルックス
出演:アン・バンクロフトメル・ブルックス、ティム・マティスン、チャールズ・ダーニングホセ・ファーラークリストファー・ロイド

『映画に溺れて』第168回 世にも憂鬱なハムレットたち

第168回 世にも憂鬱なハムレットたち

平成八年十二月(1996)
日比谷 シャンテシネ3

 

 鳴かず飛ばずの俳優ジョーが心機一転、俳優生命を賭けて『ハムレット』に挑戦しようとする。渋るエージェントに頼み込んで、わずかな資金を出してもらい、オーディションを行う。
 集まったの連中、みな売れない俳優ばかり。それでも意気込んで会場へ向かう。会場はジョーの故郷の廃墟となった古い教会。
 ジョーがハムレット役と演出を兼ね、配役は偏屈な老人のクロ―ディアス、アルコール依存のホレイショー、近視のオフィーリア、ゲイのガートルードなど。世話役はジョーの妹モリ―が務める。
 俳優たちはばらばらで、稽古もなかなか満足には進まず、資金も底をつく。こんなひどい出来なら、やめたほうがましなのではないか。
 ところが芝居というのは面白い。なんとか形になって来るのだ。それに下手だったり、変人だったりはするが、みんなけっこう真面目である。
 そしていよいよ初日というときに、いきなり主役のジョーにハリウッド映画出演の話が舞い込む。ジョーはハムレットのごとく、To be or not to beと悩むが、結局舞台を捨ててハリウッドへ。
 当日、教会は観客で埋まる。ジョーの代役は妹のモリー。緊張でせりふも出ない。果たして、舞台はどうなるのか。
 監督と脚本がロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身、舞台を知り尽くしているケネス・ブラナー。若い頃から才人であった。
 古い教会で演じられるシェイクスピア劇。渋谷の教会ジアンジアンで劇団シェイクスピアシアターの舞台を何度も観たことを思い出す。

 

世にも憂鬱なハムレットたち/A Midwinter's Tale
1996 イギリス/1996
監督・脚本:ケネス・ブラナー
出演:マイケル・マロニー、リチャード・ブライアーズ、マーク・ハドフィールド

 

『映画に溺れて』第167回 恋に落ちたシェイクスピア

第167回 恋に落ちたシェイクスピア

平成十一年五月(1999)
錦糸町 リッツ劇場

 

 シェイクスピアの生没年は一五六四年から一六一六年で、実は私、他の人の生没年は知らなくとも、シェイクスピアだけは知っている。シェイクスピア劇には殺人場面がたくさん出てくることから、「人殺しにはいろいろある、一五六四には一六一六ある」と覚えればいい。学生時代、演劇史の先生からそう教わったのだ。
 それはともかく、シェイクスピアの作品はたくさん映画化されているが、作者であるシェイクスピア自身を主人公とした映画は珍しい。若き日のシェイクスピアの恋を描いたフィクション『恋におちたシェイクスピア
 シェイクスピアは新作『ロミオと海賊王』が書けずに苦しんでいるが、その時、富豪の娘ヴァイオラと出会い、恋におちる。ヴァイオラには貴族の婚約者がおり、シェイクスピアにも国に残した妻子がある。
 障害のある恋。男装の女性。偶然のチャンス。これらはシェイクスピア劇の常套手段だが、それらの趣向が盛り込まれ、まるでシェイクスピア劇のごとく物語は展開する。
 ヴァイオラシェイクスピアの実らぬ恋が『ロミオとジュリエット』を完成させる。別れがあり、ヴァイオラは結婚して新大陸へ。そしてシェイクスピアは新作『十二夜』にとりかかる。
 エリザベス女王ジュディ・デンチは貫禄があり、他の映画ではヴィクトリア女王も演じている。
 脚本は『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』のトム・ストッパード。
 恋人ヴァイオラジョセフ・ファインズシェイクスピアに寝取られる婚約者がコリン・ファースコリン・ファースは『イングリッシュペイシェント』では妻をレイフ・ファインズに寝取られる役だった。

 

恋におちたシェイクスピアShakespeare in Love
1998 アメリカ・イギリス/1999
監督:ジョン・マッデン
出演:ジョセフ・ファインズグウィネス・パルトロージェフリー・ラッシュコリン・ファースベン・アフレックジュディ・デンチ

 

トークショー&サイン会のお知らせ

八重洲ブックセンターにてサイン会開催致します!

歴史時代作家クラブ賞から衣替えした、新生・第1回日本歴史時代作家協会賞の

記念イベントを開催いたします。

日時:令和元年9月20日14:00~16:00

場所:八重洲ブックセンター本店8階ギャラリー

受賞作家5名によるトークショーと、サイン会です。

歴史時代小説ファンは必見のイベントです。ご参加をお待ちしております。

トークショー登壇作家】(敬称略)

・泉ゆたか(新人賞受賞)

・藤井邦夫(文庫書き下ろしシリーズ賞受賞)

・中島久枝(文庫書き下ろしシリーズ賞受賞)

天野純希(作品賞受賞)

・篠綾子(作品賞受賞) 

司会:菊池仁

www.yaesu-book.co.jp

『映画に溺れて』第166回 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

第166回 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

平成三年七月(1991)
渋谷 シネマライズ渋谷

 

 イギリスの劇作家トム・ストッパードに『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という舞台劇がある。
 デンマーク王が急死し、王弟クローディアスが王妃ガートルードと再婚して王位につく。帰国した先王の息子ハムレットは面白くない。クローディアス王は王子の真意をさぐるため、ハムレットの幼馴染の学友二人、ローゼンクランツとギルデンスターンを呼び寄せる。
 ふたりの学友は、名前もちゃんと覚えてもらえず、うろちょろするが、結局、最後にはハムレットに手紙をすりかえられて、イングランドで処刑されるという哀れな結末。ストッパードはこのふたりの脇役を主役にして、シェイクスピアの『ハムレット』の裏側を描いた。
 ローゼンクランツとギルデンスターンがハムレットやクローディアスと絡む場面はシェイクスピア通りだが、『ハムレット』では主役が舞台に残り、脇役が引っ込むところ、ここではハムレットが退場して、ローゼンクランツとギルデンスターンがそのまま会話を続ける。
 映画は原作者のストッパード自身が脚本と監督を担当し、ローゼンクランツがゲイリー・オールドマン、ギルデンスターンがティム・ロス、旅の一座の座長がリチャード・ドレイファスハムレットイアン・グレンだった。
 日本でも何度か舞台上演されていて、私は一九八五年の七月、渋谷のパルコパート3で観劇した。ローゼンクランツが矢崎滋、ギルデンスターンが角野卓造だった。
 映画はパルコパート3と道を隔てたすぐ近くのシネマライズで観たのだが、これも何かの縁であろうか。

 

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ/Rosencrantz and Guildenstern are dead
1990 イギリス/公開1991
監督:トム・ストッパード
出演:ゲイリー・オールドマンティム・ロスリチャード・ドレイファスイアン・グレンイアン・リチャードソン

 

『映画に溺れて』第165回 炎の城

第165回 炎の城

平成十四年十二月(2002)
中野 中野武蔵野ホール

 

 大久保にある東京グローブ座市川染五郎主演の『葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとのにしきえ)』を観たのは平成の初め頃だ。戯作者の仮名垣魯文によって翻案された歌舞伎版の『ハムレット』である。シェイクスピアは歌舞伎になったり、ミュージカルになったり、ドラマになったり。魅力的な題材なのだ。
 黒澤明が『マクベス』を戦国時代に置き換えた『蜘蛛巣城』は有名だが、実は『ハムレット』もまた、時代劇として映画化されている。加藤泰監督の『炎の城』で、シェイクスピアを知らなければ、立派に東映時代劇として通る出来栄えなのだ。
 時代は室町末期、明国へ遊学中の若君が帰国すると、城主であった父が死んで、叔父が跡目を継いでいた。母は父の亡き後、叔父の奥方となっていた。
 大川橋蔵が若君でハムレット大河内傳次郎が新城主でクローディアス、高峰三枝子が奥方でガートルード、他に薄田研二が家老のポローニアス、三田佳子が家老の娘オフィーリア、黒川弥太郎が若君の友で忠臣でもあるホレイショー。シェイクスピア同様に筋が運ぶ。
 大河内の新城主は戦国の野望に燃えた斎藤道三タイプの悪人でわかりやすい。家老が屏風の影で若君に殺され、家老の娘は入水自殺する。叔父の悪事を暴くために旅の猿楽一座に芝居を打たせるのもハムレットと同じ。
 家老を殺害して追われる若君を逃がすために友は家臣たちに殺され、いったん逃れた若君は、叔父を討つため城に戻り、そこで家老の息子と対決するが、家老の息子は毒の剣がすりかわって死ぬ。母は我が子を狙う火縄銃に撃たれる。
 最後は暴政に憤る農民一揆の群衆が城に押し寄せ、若君は燃えあがる城の中で父の仇を討つのだった。

 

炎の城
1960
監督:加藤泰
出演:大川橋蔵大河内傳次郎高峰三枝子、明石潮、薄田研二、伊沢一郎、三田佳子

 

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第35回 民族の祭典

 金栗四三中村勘九郎)は、弟子の小松勝(仲野太賀)を従え、五年ぶりに東京に帰ってきました。足袋作りのハリマヤ製作所を訪ねます。四三はここの二階に十七年間下宿していたのです。ハリマヤ製作所で働く女性が一人やってきます。
「シマちゃん」
 と四三は声に出します。良かった、生きていたのか、と四三は女性に抱きつきます。四三は関東大震災で亡くなったシマが生きていたのかと勘違いしました。女性はシマの娘、リクだったのです。ハリマヤ製作所でお針子をしていました。
 夜、四三と小松は、ハリマヤ製作所の職人たちと、食事を共にします。そこで今回はなんのために東京に来たかを聞かれるのです。四三は答えます。一つは聖火リレーのため。もう一つは、小松を育てて四年後のオリンピックのマラソンで金メダルをとらせるため。ハリマヤ製作所の店主黒坂辛作三宅弘城)がいいます。
「大丈夫か。選手の数もレベルも、金栗さんの時代とは違うぞ」
 その通りでした。韓国併合から26年。朝鮮出身のランナーがマラソン界を席巻していました。その代表格が孫来禎と南昇竜でした。二人ともハリマヤ製作所のいわゆる「金栗足袋(たび)」をはいてベルリン・オリンピックに出場します。
 昭和11(1936)年7月。ベルリン・オリンピック開幕の前日、ついに1940年のオリンピック開催都市が決まることになります。ローマが辞退し、ヘルシンキと東京の一騎打ちです。嘉納治五郎役所広司)は、IOCアメリカ代表に話しかけられます。アメリカは東京に投票するよ、といってくれます。
 IOC総会が始まります。嘉納は最初に演説することになります。
古代オリンピック発祥の地、ギリシャから運ばれた聖火が、まもなくここベルリンに到着する。その火が欧州から飛び出す日を、私は心待ちにしている。アフリカ、オセアニア、そしてアジアに。オリンピックは解放されるべきである。すべての大陸、すべての国、すべての民族に。極東は今、戦争と平和の狭間にある。だからこそ平和の祭典を日本の東京で開催したい」
 そして投票が開始されます。隣室で田畑政治阿部サダヲ)は待ちきれないでいます。ついに総会の部屋の扉が開かれます。係のものが田畑や記者団に紙をかかげます。
「TOKYO」
 と、書かれていました。
 1940年東京。ここにアジア初のオリンピック開催が決定したのです。
 田畑はIOC会長のラトゥール氏の感謝の言葉を述べます。ラトゥールは田畑の耳元で何事かをささやくのです。NHKのアナウンサーがそれを訳します。
「日本を代表して、ヒトラーにお礼をいいなさい、と」
 なんで俺が、と田畑は意味がわかりません。
 場面は日本の金栗四三たちに移ります。オリンピックの東京開催が伝えられると、人々は熱狂します。東京はすっかりお祭り騒ぎになり、226事件戒厳令もすっかり忘れられ、花火を打ち上げ、提灯行列を繰り出す始末でした。
 場面は再びベルリン。聖火ランナーブランデンブルク門に到着します。熱狂と共に、ベルリン・オリンピックが開幕するのです。しかし田畑の目に、それは異様な光景に移ります。街中に五輪の旗と、ナチスの旗が並んで飾られていたのです。田畑はラトゥールの言葉を思い出します。
ヒトラーにお礼を言いなさい」
 以前、朝日新聞の同僚だった河野一郎桐谷健太)が田畑に言っていました。
ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ、東京支持を要求し、日本に恩を売ったんじゃないかな」
 かつてヒトラーは言いました。オリンピックはユダヤの汚れた芝居、と。しかし側近ゲッペルスの助言によって態度を急変。総力を挙げてオリンピックの準備に取り組みました。自然石を使った10万人収容のスタジアム。聖火リレーも発案されます。記録映画を著名な監督に撮らせたのも、ベルリン・オリンピックからでした。要するにプロパガンダナチスの大宣伝でした。
 いよいよ開会式が開催されます。ヒトラーが開会を宣言し、聖火台に炎がともされます。上空には飛行船。何もかも絢爛豪華でした。
 日本の出場選手たちは「ハイル・ヒトラー」がすっかり気に入り、冗談に使う始末。田畑は気に入りません。
「冗談でもやめてくれ。あんな独裁者をもてはやすのは」
 選手村に日本人しかいないのを疑問に思う田畑。水泳監督の松澤一鶴皆川猿時)が答えます。
「特別待遇だそうだよ。西洋人に囲まれて、窮屈な思いをしないように」
「いやいやいや」と田畑は言います。「あれが良かったじゃねー、ロスは。白人も黒人も一緒になって大騒ぎしてさー」
 田畑は通訳のヤーコプを呼び止めます。味噌汁の味が薄いなど文句を言います。
「彼はユダヤ人でしょう」と田畑に言ってきたのはアナウンサーの河西三省でした。「ヒトラーは大会期間中に限り、差別を緩和し、わざとユダヤ人を各所に配置しているようです。期限付きの平等です」
 日本選手は大会で活躍します。三段跳びで金メダル。棒高跳びで銀と銅を獲得します。そしていよいよ孫選手と南選手の出場するマラソンが行われます。
 日本のハリマヤ製作所では、皆がラジオのオリンピック中継に聞き入っていました。ベルリンでは珍しい暑い天候のもと、マラソン競技は始まります。各選手が競技場を出て行きます。しかし日本でのラジオ中継は中断されてしまうのです。続きは明朝です。
 ベルリンの地では、アルゼンチンのザバラが一位で折り返します。孫は三位。暑さにやられ、途中棄権の選手が続出します。
 ラジオが途絶え、いてもいられなくなった四三は、ベルリンの地で走る孫と南を応援するために、弟子の小松と共に、夜の街を走り出すのです。
 ベルリンの地では優勝候補のザバラが棄権してしまいます。日本でのラジオ中継が再開されます。スタジアムに拍手が起こり始めます。現れたのは孫来禎でした。やがてテープを切ります。金メダルです。そして南昇竜も三位に入ります。
 表彰式には出身国の旗が掲げられ、国歌が演奏されます。日の丸が掲げられ、君が代が演奏されました。
「どんな気持ちだろうね」
 ラジオを聞いていたハリマヤ製作所の職人が言います。
「二人とも、朝鮮の人ですもんね」
 という小松。
「俺は嬉しいよ」と、ハリマヤ製作所店主の黒坂。「日本人だろうが朝鮮人だろうが。アメリカ人だろうがドイツ人だろうが。俺の作った足袋はいて走った選手は、ちゃんと応援するし、勝ったら嬉しい。それじゃ駄目かね、金栗さん」
「よかです」四三は言います。「ハリマヤの金メダルたい」
「胴上げしましょう」
 リクが言います。黒坂は皆によって胴上げされるのです。
 大活躍の陸上ですが、水泳総監督の田畑はどうも調子が出ません。夜のプールに一人やってきます。そこで一人泳ぐ選手を見つけるのです。前畑秀子上白石萌歌)でした。
「眠れません」
 という前畑。
「俺もだ」という田畑。「なんだか好きじゃない、このオリンピック」
 それに対して前畑は言います。
「私は好きになる。このオリンピック。今は嫌いやけど、金メダルとったら、このオリンピックのこと、好きになれると思う」
 それを聞いて田畑は感激します。
「そうだよ、前畑。がんばれ。前畑がんばれ

 

『映画に溺れて』第164回 真夏の夜の夢

第164回 真夏の夜の夢

平成十二年四月(2000)
有楽町 スバル座

 

 妖精の世界でオーベロン王が女王と仲違い、オーベロンは妖精パックに惚れ薬で女王をひどい目に合わせるよう命じる。
 パックは森で芝居の稽古をしている職人たちを脅かし、機織りのボトムをロバ頭の化け物に変え、惚れ薬の力で女王がこのロバ男を好きになるように仕向ける。
 ついでに森に逃げ込んできた駆け落ちのカップルと、それを追いかけてきた別の男女に親切から惚れ薬を与えるが、パックが相手を間違えたため、四人の男女はそれぞれの心変わりに大混乱。
 原作はエリザベス王朝時代だが、これを二十世紀初頭のイタリアの風俗に置き換え、昔のイタリア喜劇のような味わいを出している。
 妖精王オーベロンがルパート・エヴェレット、女王タイターニアがミシェル・ファイファー、妖精パックにスタンリー・トゥッチ、大公がデヴィッド・ストラザーン、その婚約者ヒポリタがソフィ・マルソー、職人のひとりで女形を演じるのがサム・ロックウェル。そしてロバ頭に変身する職人ボトムがケビン・クライン。なんとも豪華キャスト。
 原作の道化役ボトムは脇役だが、この映画では主演のような扱いになっており、人生にくたびれながらも、夢を見続ける中年男という設定。
 パックのいたずら、惚れ薬の魔力で妖精の女王と愛し合ったことは彼には一夜の夢。その夢から覚めても、現実になかなか戻れず、窓の外の風景をぼんやり眺めていると、どこからともなく螢が飛んでくる。
 妖精の女王もまた、惚れ薬の力が消えたあとも、密かにボトムを忘れずにいて、窓辺の螢は女王の化身だった。ボトムはそれとは気がつかないまま、もの思いにふけっている。喜劇なのになにやら悲恋のメロドラマのような切ないラストシーンである。

 

真夏の夜の夢/A Midsummer Night's Dream
1999 アメリカ/公開2000
監督:マイケル・ホフマン
出演:ケヴィン・クラインミシェル・ファイファールパート・エヴェレットスタンリー・トゥッチデヴィッド・ストラザーンソフィー・マルソーキャリスタ・フロックハートクリスチャン・ベールサム・ロックウェル

 

『映画に溺れて』第163回 十二夜

第163回 十二夜

平成十年八月(1998)
飯田橋 ギンレイホール

 

 シェイクスピアには男女の双子の子供があったそうだ。だからこの芝居を思いついたのだろうか。
 双子が乗っている船が難破し、助かった妹ヴァイオラは男装し、縁あって貴族オーシーノ侯爵に従僕として仕える。この貴族が思いを寄せる伯爵令嬢オリヴィアへの使者に立つと、令嬢はこの美しい従僕が女とも知らず一目ぼれ。それとなく口説きはじめる。が、ヴァイオラは密かに主人オーシーノへ恋心を抱いている。そんなやりとりのところ、今度は死んだと思われた双子のセバスチャンが現われ、これが従僕のヴァイオラと間違われたために、いろいろとトラブルが起こる。令嬢を慕う気取った執事のマルヴォーリオがからんでさらにドタバタ調に。
 原作はエリザベス王朝時代だが、この映画は衣裳など十九世紀末のヴィクトリア時代の風俗に置き換えている。
 私が初めて『十二夜』の舞台を観たのは一九七〇年代の後半、出口典生の演出で小田島雄志の翻訳、シェイクスピア全作品の上演に挑戦する若手劇団シェイクスピアシアターの公演だった。客席はもう吉本新喜劇以上の大爆笑。
 シェイクスピアというと古典文学であり、伝統芸術と思われがちだが、心地よいせりふと面白い筋立てで観客をひきつける舞台作りの名人だった。
 余談だが、実をいうと私の子供も男女の双子である。二卵性で、とても瓜二つではないけれど。

 

十二夜/The Twelfth Night
1996 イギリス/公開1998
監督:トレヴァー・ナン
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、イモジェン・スタッブス、リチャード・E・グラント、ナイジェル・ホーソン、トビー・スティーブンス、ベン・キングズレー