日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

『映画に溺れて』第179回 アラジン

第179回 アラジン

令和元年六月(2019)
新所沢 レッツシネパーク

 

 ディズニー映画がかつてのアニメーションを次々と有名スターで実写化している。
 私の記憶では、最初は『101匹わんちゃん大行進』の実写版だったろうか。アニメ版は小学生のときで、祖母に連れられて観たのだった。それが三十年以上を経て実写版『101』となり、今度は私が自分の子供たちと映画館で観ることになる。悪役はグレン・クローズ。この女優、どんな映画に出ていても相当に人相が悪い。
『眠れる森の美女』を大胆に改変して、悪役が主役になった『マリフィセント』や『くまのプーさん』の後日談『プーと大人になった僕』、象よりも人間が主体の『ダンボ』、いろいろ出そろったが、『アラジン』は『美女と野獣』同様、ほぼオリジナルのままの実写リメイクである。
 コンピュータグラフィックスの進歩で、魔法や異世界などアニメならではのファンタジー映像が違和感なくリアルに再現できるようになったのも、実写化が相次ぐ要因であろう。
 アラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」が題材。貧しい青年アラジンが街でお忍びの王女ジャスミンと出会い、お互い惹かれあう。が、王女は将来の王となるべき王子を婿に迎えなければならない。叶わぬ恋である。
 そこで、三つの願いの叶うランプを手に入れたアラジンは魔人ジーニーの力で王子になろうとする。
 一方、ジャスミンは王女が王子としか結婚できない国法に疑問を持つ。もしも女性が国主になれるのなら国を平和に治めるのにと。
 そして、ランプの力で全世界を支配しようと企む悪大臣。
 ディズニーなので、ミュージカルとしても完成度が高く、アラジンが魔法の絨毯で王女ジャスミンと空を飛びながら歌う「ホール・ニュー・ワールド」、魔神ジーニーが歌う「フレンド・ライク・ミー」など名曲ぞろいである。

アラジン/Aladdin
2019 アメリカ/公開2019
監督:ガイ・リッチー
出演:ウィル・スミス、メナ・マスード、ナオミ・スコット、マーワン・ケンザリ、ナビド・ネガーバン、ナシム・ペドラド

 

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第37回 最後の晩餐

 元は朝日新聞記者で今は議員の河野一郎桐谷健太)が、国会で発言していました。
「一触即発の日中関係と平和の祭典。国防費のためにと、国民に我慢と緊張を求める一方で、オリンピックというお祭りを開催するという。この相反する二つに対して、国民に説明できないのであれば、この国でオリンピックを開催する資格はない」
 1937年7月7日。北京、盧溝橋で起きた日本軍と中国軍の衝突をきっかけに、日本と中国の全面戦争が始まりました。
 戦争が始まってもオリンピック開催の準備は進められたのですが、東京大会組織委員会は紛糾していました。
 田畑政治阿部サダヲ)は河野一郎とバーで飲んでいました。河野はいいます。
「陸軍次官や文部次官を組織委員に招いたのは嘉納(役所広司)さんだっていうじゃないか。どうしちゃったんだいあの人は。オリンピックを利用しようとしているんじゃないのか。ヒトラーがヘルリンでやったように」
 田畑は怒って河野に酒をかけます。
ヒトラーなどと比べて語るんじゃないよ、加納さんを」田畑は河野に向き直ります。「ちゃんとわかっているんだよ、あの人は。今、この日本でオリンピックをやるには、軍や政府を巻き込まなくちゃ駄目だって」
 場面は、金栗四三中村勘九郎)が東京の街に立っているところに変わります。金栗は熊本から妻子がやってくるのを待っていたのです。日の丸を持った行列に驚く金栗の妻のスヤ。東京オリンピックの前祝いなのかと問います。金栗は答えます。
「いや、志那事変の祝賀行進ばい」
 日本の勝利を信じて疑わない人々は、出征していく兵士を、万歳で送り出します。この時はすぐに片がつくと、誰もが思っていたのです。しかし八月になっても、戦火は終息するどころか、拡大する一方でした。
 IOC委員の福島道正(塚本晋也)は独断で、近衛文麿首相にオリンピック開催の危機を訴えます。
「政府が本気で大会を支持してくださるなら、補助金として、五百万円を上乗せしていただきたい。それが不可能なら、大会中止。すなわち、返上もやむを得ません」
 しかしこの話し合いが新聞記事になってしまったのです。
「福島氏が返上を示唆」
 嘉納治五郎は当然、激怒します。しかし福島は組織委員会で発言するのです。
「無理なら無理と早期に判断し、お返しする。せっぱつまって返上ということになれば、どの国でも開催は困難になり、日本は、永久にオリンピックに参加できなくなる」福島は立ち上がります。「今こそ、名誉ある撤退を」
 しかし嘉納はそれを認めません。
 田畑は水泳選手たちが練習するプールを訪れました。選手たちに気合い手を入れるはずの田畑。少しよろしいでしょうか、と、若手選手に話しかけられます。宮崎康二(西山 潤)がいいます。
「田畑さん。僕たちは、泳いでいていいのでしょうか」
 小池礼三(前田旺志郎)もいいます。
「いとこが出征しました。たいして歳も変わらないのに。それ以来、練習しててもなんだか後ろめたくて」
 皆が田畑の言葉を待ちます。本当にオリンピックは来るのかと、疑う気持ちが選手たちに芽生えていたのでした。田畑は叫びます。
「来るよオリンピックは」田畑はプールの端に立ちます。「そのオリンピックで、全種目制覇してメダル取るんだよ、お前たちは。泳げほら」
 しかし選手たちは練習に身が入らないのです。
 河野一郎が国会で発言しています。
「万歳の声を背中に聞きながら、中国へ多くの若者が出征していく。一方において、派手なユニフォームを着て、跳んで回っている青年がいる。何が精神総動員か。オリンピックなど一刻も早く返上すべきです」
 田畑が朝日新聞社に帰ってみると、金栗四三が押しかけていました。河野一郎を探します。河野はとっくに社をやめています、と金栗に話しかける田畑。金栗は振り返っていいます。
「田畑さん。東京オリンピックやらんとですか」
 田畑は答えます。
「そういう声が、国内外で出ているのは事実です」田畑は慌てて続けます。「だが安心してください。絶対やります。やりますとも。返上など嘉納先生の目の黒いうちは……」
 田畑の言葉をさえぎって金栗はしゃべります。ストックホルムの次のベルリンの大会。自分は絶好調だった。世界記録を出して、メダルも期待されていた。しかし嘉納に告げられた。
「オリンピックは中止だ」
 金栗は話し続けます。
「今度の戦争。日本は当事者ばい。ドンパチやってる国で平和の祭典。矛盾しとる」
「記者の私も矛盾を感じております」田畑は話し始めます。「返上、反対、絶望。大陸の地図を見て、中国に何千何百の兵を送り込んだという記事を書くかたわら、同じ地図を見て、聖火リレーのコースを考えておる。夢と現実が入り交じって、こらもー。矛盾」
 金栗は自分が選手を育成していることをいいます。
「田畑さん。はしごば外される選手の気持ち、わかりますか。明日の目標ば失った選手の悲しみ。田畑さんならわかるでしょう」
 田畑は金栗の手を握ります。
「スポーツに矛盾はつきものだよ。なぜ走る。なぜ泳ぐ」田畑は朝日新聞社の皆にも訴えます。「答えられん。でもそれしかないじゃんねー」田畑は金栗を見ます。「あんたも俺もオリンピックしかないじゃんねー。戦争で勝ちたいんじゃない。マラソンで勝ちたい。水泳で勝ちたいんだ」
 12月。日本軍が南京を占領。さらに戦争に突き進む日本は、世界から非難を浴び、孤立を深めていきます。
 オリンピック東京開催を疑問視する声が世界中で高まる中、嘉納はエジプトのカイロで開かれるIOC総会に出席しようとしていました。神宮競技場を見回しています。そこに田畑がやってきました。嘉納は田畑にいいます。
「必ず開催できるという信念のもと、正々堂々、押し切ってみせる」
 田畑は嘉納に土下座して訴えるのです。
「この通りです。加納さん、返上してください」田畑は首を振ります。「駄目だ。こんな国でオリンピックやっちゃ、オリンピックに失礼です。わかります。この期に及んでこれほどみっともないことはない。しかし、それができるのは加納さん、あなたしかいません」
「オリンピックはやる」
と、嘉納は言い切ります。田畑は立ち上がります。
「今の日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか」
 田畑は説明します。嘉納が引き下がる潔さを見せれば、戦争が収まった後、もう一度オリンピックを招致できる。田畑は涙を流します。
 嘉納はカイロのIOC総会に来ていました。各国に責められます。国際連盟が認めていない国を参加させるのか。いつまで戦争を続けるんだ。競技場はどうなった。聖火は。補助金は。嘉納は何も答えられませんでした。嘉納は立ち上がり、委員たちに英語で話しかけます。
「返す言葉もありません。全く情けない限りですが、30年、IOC委員である私を、信じていただきたい。オリンピックと政治は無関係。証明して見せます。東京で。信じてください」嘉納は親指で自分を指していいます。「ジゴロー・カノー」
 委員たちは静まりかえります。嘉納はIOC総長に深く頭を下げるのです。
 こうしてオリンピックの東京開催があらためて承認されることとなったのでした。
 カイロから嘉納は帰国の途につこうとしていました。カナダのバンクーバーから船に乗ります。その嘉納に話しかける者がいました。外交官の平沢和重(星野 源)です。平沢は嘉納と同じ船に乗ることになります。
 船に乗り込んで数日後、嘉納は風邪をひいてしまいます。疲れが出たのか、ずいぶんと弱ってしまいます。
 少し回復した可能は、船長にお茶会に招待されます。嘉納は上機嫌で皆に話しかけます。人生で一番面白かったことを、話し合おうというのです。嘉納は平沢に自分のことを話し始めます。やはりオリンピックに関することばかりでした。最初にオリンピックに参加しようとしたとき、羽田で予選をやったときのこと。ストックホルム・オリンピックの開会式で行進したこと。ロサンゼルス・オリンピックで日の丸が連日のように揚がるのを見たこと。しかしどれも一番ではないというのです。
「一番は、東京オリンピックではないですか」
と、平沢がいいます。嘉納は思わず平沢を指さします。
「そこだよ、そこ。これから、一番面白いことをやるんだ。東京で。本当に出来るのかって眉をひそめてぬかしよった西洋人どもを、あっといわせるような」加納は咳をします。「みんなが驚く。みんなが面白い。そんなオリンピックを、見事にやってのける。うん。これこそ一番」
 そして加納治五郎は、太平洋上で帰らぬ人となったのです。享年七十七。
 横浜港に、加納の遺体が帰ってきます。駆けつける田畑。田畑は平沢から、加納からとストップウォッチを渡されるのです。
 加納の棺はオリンピックの旗に包まれるのでした。

 

明治一五一年 第5回

明治一五一年 第5回

       森川 雅美

 

波が立っている延々と
繰り返し波が立っている
アメリカ東部ノーフォーク
から出港した黒船の
甲板に立つ一人の水夫
が闇に光る灯りを見詰め
琉球の文書が波間に
沈んでいき伸ばす手もなく
より遠い海上に歪みいく
風の行方を聞きながら
海原とは誰かの眼のふちの
一瞬の輝きなのだと
波が立っている見渡す限り
続く波が立っている
いくつもの船の残骸と
ともに数えきれない人の
骨がサイパンガダルカナル
硫黄島と記憶を留め
よわく光る海底は簒奪され
訪れる言葉すらなく
少しずつ流れいく記述
されぬ形に晒されながら
海原とは遠くまでつながる
開かれた道といえるかと
波が立っているもはや
戻らない波が立っている
万年も癒されぬ底なし
の無数の切り傷の循環の
流れに閉ざされたまま
繰り返す生の営みを縮め
プルトニウムセシウム
ストロンチウム切りなく
広がりつづける一世紀半の
連鎖に問われながら
波が立っているただ波が

『映画に溺れて』第178回 マーウェン

第178回 マーウェン

令和元年七月(2019)
日比谷 TOHOシネマズシャンテ

 第二次大戦中、ベルギー上空を飛行中のアメリカ軍人ホーギー大佐はナチスの砲弾によって撃ち落され、川に不時着するも、敵兵に囲まれ絶対絶命。そこへ武装した五人の美女が現れ、ナチスを皆殺しにする。が、よく見るとホーギー大佐の顔はプラスチックのようにつるつるで、関節には継ぎ目が。美女たちもまた、ほとんどバービー人形なのである。
 と、人形を動かして、くわえ煙草でカメラを構える男。ここは彼、マークが自宅の庭に作った六分の一の模型の世界マーウェン。マークは自分の分身である人形のホーギー大佐や彼を慕うバービーたちを使って戦時中の物語を創造し、様々な場面を写真に撮っているのだ。
 現実世界でのマークは記憶障害者である。酒場で五人の男に絡まれ、暴行され瀕死の重症を負い、一命はとりとめたものの、脳の負傷で過去を思い出せず、イラストレーターだった記憶もなく、今は妻や子供にも去られ、近所の食堂で下働きをしながら、人形たちと暮らしている。
 瀕死の彼を助けてくれた女性ウェンディと自分の名前を組み合わせてマークはこの世界をマーウェンと命名した。空想世界でホーギー大佐をつけ狙う五人のナチス兵士は、彼を暴行した五人の犯人たちがそのまま投影されている。バービー人形たちも、それぞれ、負傷後の彼と交流のある女性たちである。
 向かいに引っ越してきた優しそうな美人ニコル。彼女と言葉を交わし、親しくなったマークはさっそく新しいバービー人形を購入してニコルと名付け、美女軍団に加えるのだが。
 人形たちが動き、しゃべり、銃撃戦を繰り広げる空想場面の特撮、さすがにロバート・ゼメキス、見事である。そして、この映画は実話が元になっていて、マーク・ホーガンキャンプは今も人形たちの冒険物語を写真に撮り続けているとのこと。

 

マーウェン/Welcome To Marwen
2018 アメリカ/公開2019
監督:ロバート・ゼメキス
出演:スティーブ・カレル、レスリー・マンダイアン・クルーガー、メリット・ウェバー、ジャネール・モネイエイザ・ゴンザレス、グウェンドリン・クリスティー

 

『映画に溺れて』第177回 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

第177回 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

令和元年六月(2019)
新所沢 レッツシネパーク

 

 ハリウッド版のゴジラ映画は一九九八年にローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』、二〇一四年にギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』が公開されたが、どちらも私は気に入らなかった。いったいどこがゴジラなんだ。という不満だけが残ったのだ。
 それで三作目の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』には大して期待しなかった。ところがである。まず、映画として面白かった。世界各地で大型生物が出現する。これは地球を汚染し環境を悪化させている元凶の人類を駆逐するため、自然そのものが大古の生物たちを蘇らせたという設定。ゴジラだけでなく、モスララドン、ギドラなどが次々目覚める。怪獣を攻撃して退治しようとする軍隊、それに反対し怪獣の生態を研究し共存をはかろうとする学者組織、そこに怪獣を利用して人類滅亡を企てる狂信的な環境テロリストグループが入り乱れる。
 子供の頃にゴジラモスラに夢中になった世代にとって、なによりうれしいのは、前二作のハリウッド版と違い、本作は東宝怪獣シリーズへのオマージュになっており、オリジナル版への敬意が感じられることだ。
 ゴジラモスラが登場する場面では、懐かしいテーマ曲が流れ、それだけで私の世代はわくわくする。
 渡辺謙扮する芹沢猪四郎博士は重要な役だが、『ゴジラ』第一作で平田昭彦が演じた芹沢博士と初代監督の本多猪四郎の名前を組み合わせている。
 三つ首のギドラと戦って不利なゴジラモスラが加勢するのは、昔の東宝怪獣バトルそのもの。あの東宝怪獣映画を最新のCG技術とハリウッドの贅沢な資本で再現したらこうなるのか。大人も満足できる出来栄えである。
 おもちゃそのものの戦闘機が着ぐるみの怪獣にぶつかっていく昔の特撮も、私は決して嫌いではないが。

 

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ/Godzilla: King of the Monsters
2019 アメリカ/公開2019
監督:マイケル・ドハティ
出演:カイル・チャンドラー、ベラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン渡辺謙サリー・ホーキンスチャールズ・ダンスチャン・ツィイー

『映画に溺れて』第176回 居眠り磐音

第176回 居眠り磐音

令和元年六月(2019)
武蔵村山 イオンシネマ

 雑誌に連載された小説が単行本として出版され、やがて文庫化される。というのが、かつての出版の流れだった。それがいきなり最初から文庫本で出る、いわゆる文庫書下ろしの時代小説。先鞭をつけたのが佐伯泰英である。
 代表作『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズは平成十四年に双葉文庫で開始、五十一巻まで続き、その第一巻『陽炎ノ辻』が映画化された。磐音を主人公とする壮大な歴史絵巻の序章である。
 時は明和九年、三人の若者が江戸詰めを終えて、豊後関前藩に帰国する。坂崎磐音、河出慎之輔、小林琴平、彼らは幼馴染で、琴平のふたりの妹のうち舞が慎之輔の妻となり、奈緒が磐音の許嫁であることから、親友であり義兄弟でもある。
 が、帰国早々惨事が起こる。悪意ある噂が誤解を生み、親友三人が剣を交え、二人が命を落とす。心ならずも友を斬った磐音は家を捨て、藩を離れ、奈緒への思いを心に秘めながら、江戸での浪人暮らしとなるのだ。
 裏長屋に住む磐音が大家金兵衛の世話で両替商今津屋の用心棒となり、初日に不逞浪人たちの押し込みを退治したので、主人の吉右衛門から重宝がられる。
 今津屋襲撃の背景には当時の貨幣事情があり、通貨の統一をはかろうとする老中田沼意次。これに加担する今津屋に対し、反対派が手先のならず者を雇って今津屋に脅しをかけてきたのだ。この争いに巻き込まれる磐音。
 気性は温厚だが、剣の腕は立つ。道場の師に「磐音の構えは春先の縁側で日向ぼっこをしている年寄り猫のようじゃ」と言われるほど、手応えのない居眠り剣法である。が、ひとたび立ち会えば、相手に斬り込ませて、これを倒す。
 松坂桃李が磐音を爽やかに演じて、久々に好感のもてる時代劇である。

 

居眠り磐音
2019
監督:本木克英
出演:松坂桃李木村文乃芳根京子柄本佑杉野遥亮佐々木蔵之介谷原章介中村梅雀柄本明

飯島一次さんの講演

毎回ご好評をいただいている飯島一次先生の江戸シリーズ第4弾。ご自身も時代小説作家である飯島先生から、江戸時代のちょっとした雑学やウンチク、背景となった地の紹介など、時代小説が一層楽しくなること間違いなしのお話をしていただきます。今回もどうぞおたのしみに!

日時

令和元年10月6日(日)午後2時~4時
会場

ひきふね図書館 2階プロジェクトコーナー
定員

50名 (受付先着順 ※空きがあれば当日参加可)
参加費

無料
申込方法

9月11日(水)から午前9時から受付を開始します。
催し名・氏名・電話番号を添えて、次のいずれかの方法によりお申し込みください。

・電話 03-5655-2350

www.library.sumida.tokyo.jp

『映画に溺れて』第175回 僕たちのラストステージ

第175回 僕たちのラストステージ

令和元年五月(2019)
舞浜 シネマイクスピアリ

 

 サイレント時代のチャップリンキートンは何度かリバイバル上映で観る機会があったのだが、一九三〇年代のハリウッドで大人気だった極楽コンビのローレルとハーディの作品は残念ながら映画館では未見である。
 今回の新作『僕たちのラストステージ』はローレルとハーディが主人公。戦後、映画出演の仕事もさっぱりなくなり、興行主の誘いにのって、英国各地を巡業した晩年の実録。
 安ホテル、小さな劇場、まばらな観客。中にはふたりの実演を見て驚く観客もいる。まだ現役だったのかと。
 町では売れっ子凸凹コンビ、アボットコステロの新作映画の大きな絵看板。それを寂しく見上げるローレル。彼が脚本を書きロンドンの映画会社に売り込もうとするロビンフッドのコメディは見込みなし。
 それでもふたりの芸は健在で、行く先々で観客は大笑いしてくれる。アメリカからそれぞれの妻を呼び寄せ、だんだん客の入りもよくなり、待遇も改善される。
 スコットランドでの大成功。大入り満員の客席を沸かせ、いよいよロンドンの大劇場に進出が決まる。が、その矢先にハーディが心臓発作で倒れる。チケットの売れ行きはよく、舞台に穴はあけられないので、興行主は代役を提案。ローレルは渋々承諾するのだが。
 病気を押さえ、命がけで滑稽なダンスを踊り続けるハーディ。大爆笑の客席の中で、ひとり涙をこらえながら見ているハーディの妻ルシール。
 痩せて小柄なスタン・ローレルと太って大柄なオリバー・ハーディ。ローレル役のスティーブ・クーガンは表情がそっくり。ハーディを熱演したジョン・Ⅽ・ライリーはほとんど首のない二重顎まで生き写し。一九五〇年代の英国の風景も美しい。
 ローレルとハーディの短編映画は今ではインターネットなどで観ることができる。

僕たちのラストステージ/Stan & Ollie
2018 イギリス・カナダ・アメリカ/公開2019
監督:ジョン・S・ベアード
出演:スティーブ・クーガン、ジョン・C・ライリー、ニナ・アリアンダ、シャーリー・ヘンダーソンダニー・ヒューストン、ルーファス・ジョーンズ

 

『映画に溺れて』第174回 ビリーブ 未来への大逆転

第174回 ビリーブ 未来への大逆転

平成三十一年三月(2019)
青山 ギャガ試写室

 

 アメリカ映画を観ていて、すごいと思うのは、時代色を徹底して出していること。まるでタイムマシンを使ってあの時代に戻ったように、町の風景、走る自動車、屋内のセット、何十人、いや何百人と出て来る登場人物ひとりひとりの服装や髪型。隅々まで目が行き届いている。
 一九五〇年代半ば、ハーバード大学法科大学院。入学式に向かう若い男性たち。全員がスーツに短髪。この時代、一般社会では長髪の男性は存在しない。そんな中、男たちに交じって歩く女子学生ルース・ベイダー・ギンズバーグ
 ごくわずかな新入女子学生たちを学長が会食に招いて言う。「男子学生を押しのけてまで入学してきた君たちの望みは?」
 弁護士志望のルースは理解ある夫に恵まれ、首席で卒業。が、どこの弁護士事務所も女性を雇わない。仕方なく、大学で法律を教える仕事に就く。
 七〇年代、世間はそれなりに進歩している。特に男性の髪型。若者に交じって長髪の中年男がちらほら。学生の服装もスーツからジーンズへ。が、女性の社会的地位は相変わらず低い。仕事は限られ、クレジットカードも夫の名義でしか取れないのが現状なのだ。
 ルースは夫からある訴訟記録を見せられる。母親の介護をしている男性が介護費用控除を認められなかった。親の介護をするのは女性の仕事だからという理由で。男は外で働き、女は家事をするのがまだまだ当時の常識である。
 女性差別が当たり前の時代に、女性差別を取り上げても勝ち目はない。が、男性が差別されている案件ならば。これを勝ち取れば、女性差別を訴え、女性の権利を主張する裁判にも勝算はある。が、負ければこの先、性差別は延々と続くだろう。
 実在のルース・ベイダー・ギンズバーグは九〇年代に最高裁判事に任命され、その後、ずっと現職を続けている。

 

ビリーブ 未来への大逆転/On the Basis of Sex
2018 アメリカ/公開2019
監督:ミミ・レダ
出演:フェリシティ・ジョーンズアーミー・ハマージャスティン・セローキャシー・ベイツサム・ウォーターストン