日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第八回 同盟のゆくえ

 天文十七年(1548)。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は尾張の地にいました。斎藤道三(この時は利政)(本木義弘)の娘である帰蝶(川口春奈)に頼まれ、夫になるかもしれない男、織田信長(染谷翔太)のことを調べに来ていたのです。
 信長は小舟で漁に出ていました。明け方に帰ってきます。浜辺で魚を切り分け、人々に一文で売り始めました。人々が去り、光秀だけが信長の前に残されます。
「お前はいらぬのか」
 庶民に変装している光秀に信長は声を掛けます。身振りでいらないことを伝える光秀。信長は何かを感じたように光秀を見つめます。やがて信長は立ち上がると、漁師たちに気さくに声をかけて去ってゆきます。光秀は一人つぶやきます。
織田信長、奇妙な男じゃ」
 明智荘、光秀の館では、帰蝶が駒(門脇麦)と話していました。光秀との幼いころの思い出を語る帰蝶。駒がいいます。
帰蝶様は、今でも十兵衛(光秀)様をお好きでございましょ」
 帰蝶は答えずに逆に聞きます。
「そなたはどうじゃ」
 深くうなずく駒。
「困りました」
 という駒に対して、帰蝶は、言い聞かせるように話します。
「困ることはない」帰蝶は駒にお手玉を渡します。「十兵衛は今、尾張じゃ。尾張に行き、この帰蝶が嫁に行くかもしれぬ相手の良しあしを調べておる。相手の良しあしなどわかるわけがない。そう思わぬか。嫁に行かせたくないのなら、調べにはいかぬ。そう思わぬか。それゆえ、そなたが困ることは何もない」
 光秀が尾張から帰ってきました。しかし明智荘に入ろうとしません。不審に思った母の牧(石川さゆり)は様子を見に出ます。光秀は連なる畑を眺めていました。
「何を迷うておるのじゃ」
 牧は光秀に声を掛けます。見てきた信長の様子を話す光秀。
「あの男に嫁ぎなされとは。しかしこの国のことを思うと」
 牧は光秀の父のことを話し、いいます。
「人は消えても、あの山や畑は、変わらずそこにある。そのことが大事なことじゃと。変わらずあるものを守っていくのが、残されたものの務めかもしれんと」牧は言葉に力を入れます。「十兵衛、大事なのはこの国ぞ」
 光秀は帰蝶に会います。尾張に行ってきたと告げる光秀。
尾張は良いところか」
 と、帰蝶にたずねられます。
「海が美しいところでございました」
と、一言述べる光秀。
「海か。美濃には海がない。行って見てみるか」光秀を見つめる帰蝶。「十兵衛の口から聞きたい。行ってみるべし、と」
 光秀は絞り出すようにいいます。
「行かれるがよろしいかと」
「申したな。この帰蝶に」
尾張へ、おゆきなされませ」
 光秀は頭を下げるのでした。帰蝶はわずかに微笑みます。
「十兵衛が申すのじゃ。是非もなかろう」
 帰蝶稲葉山城に戻っていくのです。
「でかした十兵衛。そうか。帰蝶が行くと申したか」
 と、膝を打つ斎藤道三。光秀は叔父の光安とともに、稲葉山城に報告に訪れていました。道三は光秀にたずねます。
尾張で信長を見たそうじゃな。噂では相当のうつけ者じゃというが、まことか」
 光秀は答えます。
「風変わりな若殿(わかとの)とは思いましたが、うつけかどうかは判然といたしませんでした」
 道三は外を眺めます。
「これで帰蝶尾張に行けば、織田との仲は強固なものとなる。血を一滴も流さず、一歩も二歩も海に近づいた」
 道三は喜びの笑い声をあげるのです。
 帰りの廊下にて、光秀は男たちに取り囲まれます。道三の長男である高政が、話があるというのです。
 光秀は山道で高政と対面します。高政は、古くから美濃を支えてきた国衆を従えていました。光秀は前後から男たちに挟まれる形になります。高政が口を切ります。
帰蝶明智の館を出て、稲葉山へ戻ったとの知らせがあった。なにゆえ引き止めなかった。裏切ったな」高政は一人、光秀に近づきます。「一緒に来い。従わねば斬る」
 光秀が連れてこられたのは、美濃の守護である土岐頼芸尾美としのり)の館でした。部屋には高政を始め、国衆たちが並びます。頼芸は光秀の叔父である光安についていいます。
「この中に光安を好きなものはいるか」
 国衆たちは身動き一つしません。頼芸は笑い声をたてます。
「一人もおらぬのか。わしも皆と同じで光安を好きにはなれぬ。なにゆえかわかるか」頼芸は光秀を見つめます。「斎藤利政(道三)に、こびへつらう男だからだ」頼芸は声の調子を変えます。「しかしそなたは違う」
 土岐源氏につながることを誇りとする、気骨のあるもののふである、と光秀を持ち上げます。
「にもかかわらず」頼芸の口調は再び鋭くなります。「なにゆえ高政たちの意に反し、帰蝶稲葉山に戻した。帰蝶織田信秀の子に嫁ぎ、信秀と手を結ぶことになれば、信秀の大敵、今川義元と戦う羽目になる。それを利政(道三)の腹一つで決めてよいと思うか」頼芸は叫びます。「わしは利政の横暴を許さぬ」
 高政が光秀にいいます。
「今からでも遅くない。織田との和議を潰すのだ。帰蝶稲葉山から連れ出し、嫁入りを拒むのじゃ。それが、そなたの役目ぞ」
 皆が光秀に注目します。光秀は話し始めます。頼芸に尾張の熱田に行ったことはあるかとたずねます。ある、と答える頼芸。
「あのようににぎやかで大きな市(いち)は、この美濃では見たことはございませぬ。珍しき品々があふれるほどあり、尾張のものは皆それを次々に買(こ)うてゆく」光秀は港について話します。「たくさんの船が来て、諸国の産物を下ろし、市でさばき、また尾張仕入れた品々を他国へ運んでゆく。日々それを繰り返すことで、尾張は豊になる。そういう国と我らはいくさをしてきたのだと。いっそあの国と手を結び、あの港に自由に出入りをし、美濃の産物である織物や紙や焼き物を他国に運び、それで豊になれるのであれば。一滴の血も流さず、それができるのであれば、それはそれで、良いのではと」
 高政は激高しますが、頼芸はあくびをしはじめます。わしは寝る、と言い残して頼芸は座を立つのです。
 その夜、高政は、道三の側室である、母の深芳野(南果歩)のもとを訪れます。
「あの下劣な男が、それほどまでに怖いのですか」高政は道三のことを語ります。「金、金、金。すべて金で動く男ではありませんか。おのれの娘を、損得勘定で尾張などに嫁に出す。何の誇りもない、恥知らずではありませぬか」
 芳野は声を荒げます。
「自分の父親ではないか」
 怒鳴る高政。
「あれが父親なものか」高政は母に訴えます。「お願いです。まことのことをおっしゃってください。私の父は、頼芸様では。頼芸様も、我が子と思うているとおおせになりました。それがまことでございましょう」
「そう思いたいのなら、それで満足なら、そう思うがよい。ただ、それを楯として、殿に立ち向かうのはよしなさい」芳野は立ち上がって高政の背を抱きます。「いずれはそなたに家督は譲られるのじゃ。すべてはそれからぞ。母も、その時を心待ちにしておる。今は、じっと我慢じゃ」
 高政は酒を飲み干すのでした。
 光秀が明智荘に帰ってみると、何やらにぎやかな声が聞こえます。駒が京に帰るというので、村のものたちが来て、宴を開いていたのでした。
 翌朝、光秀は駒を送って共に歩いてゆきます。駒は光秀にいいます。帰蝶稲葉山に帰るとき、光秀は送っていかなかった。本当は自分より、帰蝶をこうして送っていきたかったのではないか。
「本当は、十兵衛様は帰蝶様を手放したくなかった。遠くへ行かせたくなかった。大好きだったから。だから、お見送りしなかった」
「そうやもしれぬ」
 という光秀。駒は光秀と別れ、一人歩いて行くのです。その後ろ姿を見守る光秀。
 天文十八年(1945)、二月。帰蝶は、織田信長に嫁いでいきました。両家の和睦が話し合われてから、わずか二にヶ月足らずの、慌ただしい嫁入りでした。
 その頃、今川義元片岡愛之助)は、美濃と尾張の同盟を知り、尾張への攻めどきを考えていました。
「織田といくさじゃ」
 と、義元は尾張への進軍を宣言するのです。
 一方、尾張那古野城に入った帰蝶は、部屋に一人残されていました。なんと夫となる信長が行方知れずとなっていたのです。

『映画に溺れて』第338回 落語娘

第338回 落語娘

平成二十年九月(2008)
新宿歌舞伎町 ミラノ3

 呪いの落語。演じる落語家が次々に変死しているという事実。このだれもやらない落語に隠された魔力とは。ちょっと怪談仕立ての寄席話。
 香須美は子どもの頃から落語が好きで、高校、大学と落研、学生落語コンクールでは常に優勝、そんな彼女が憧れの正統派古典の名手三松家柿紅に弟子入りを志願するも断られる。「寿司屋に入って、若い女の職人が握っていたら、そんな寿司は食いたくない」といわれて。
 どんなに努力しようと、女には無理な世界なのか。それを横から型破りの師匠三々亭平佐が拾ってくれて、弟子となり前座となって、その名も三々亭香須美。ところが平佐師匠、寄席には出ないで、ギャラのいいTVのバラエティショーばかり。生放送で大物政治家をからかって仕事を干され、目下謹慎中。満足に稽古もつけてくれない。
 金に困った平佐師匠がTVのやり手プロデューサーに乗せられ、とうとう四十年年間封印されている呪いの禁断落語に挑戦することに。
 津川雅彦扮する三々亭平佐は、型破りながら、実は正統派の江戸の世界をきちんと表現できる力量の持ち主。実にいい。益岡徹の三松家柿紅も見事。そして香須美のミムラ、前座という設定なので咄を無理なく聴かせる。
 客席のなぎら健壱、楽屋のベンガル、政治家の峰岸徹上方落語家の未亡人の絵沢萌子、みな存在感がすばらしい。
 私は正統派の古典落語は大好きだが、型破りの新作をやる人も実は好きだ。寄席のいいところは、古典派も新作派もベテランも新人も上手も下手もごった煮のように次から次へと登場すること。講談界では女性講談師がたくさんいるのに、女性の落語家はまだまだ少ない。それはともかく、こういう映画を観ると、寄席に行きたくなる。大声で笑うのは健康にもいいそうなので。

 

落語娘
2008
監督:中原俊
出演:ミムラ津川雅彦益岡徹、伊藤かずえ、絵沢萌子利重剛なぎら健壱

 

 

『映画に溺れて』第337回 ロング・キス・グッドナイト

第337回 ロング・キス・グッドナイト

平成九年七月(1997)
高田馬場 早稲田松竹

 アクション版『心の旅路』である、と私は思う。平凡な主婦という設定のジーナ・デイビス。長身で派手で目立つデイビス、見た目はあまり平凡とも思えないが。
 サマンサは八年以上前の記憶がない。本名もわからない。負傷して倒れていたところを救われ、現在の夫と知り合い結婚した。全身に傷痕。当時妊娠しており、その子は今八才になる。以前は教師をしていたらしいという以外には過去の手掛かりが何もない。夫はやさしく、娘もかわいい。が、自分の失われた過去が気になるので、三流探偵のヘネシーに定期的に調べてもらっている。
 クリスマスの町の風景を伝えるTVのニュースに一瞬彼女の画像が映る。刑務所でそれを見ていた囚人のひとりが異常に怒り出す。
 パーティの夜、サマンサは事故に遭うが、その直後、彼女の中でなにかが目覚める。料理が下手にもかかわらず、巧みなナイフさばきで家族を驚かせるのだ。そして、家に侵入して襲ってきた賊に反撃、相手を思わず殺してしまう。男は刑務所を脱走した囚人だった。
 なぜ記憶喪失の彼女が脱走犯に狙われるのか。ヘネシーが手掛かりのひとつを探りあて、サマンサは二人でその町まで出かける。そこでまた、次々と襲いかかる敵。
 敵に襲われ窮地に陥るたびに、彼女は徐々に過去を思い出す。恐ろしいばかりの戦闘能力。平凡な主婦なんてとんでもない。銃器の扱いにたけ、彼女はなんの躊躇もせずに、相手に止めを刺すのだ。
 動き出す犯罪組織とCIA。三流探偵と記憶喪失の主婦が犯罪組織やCIAの刺客たちと渡り合う。はたして彼女の正体は。
 長身で派手なジーナ・デイビスならではのアクションである。

 

ロング・キス・グッドナイト/The Long Kiss Goodnight
1996 アメリカ/公開1997
監督:レニー・ハーリン
出演:ジーナ・デイビスサミュエル・L・ジャクソンパトリック・マラハイド、クレイグ・ビアーコ、ブライアン・コックスデビッド・モース

『映画に溺れて』第336回 心の旅路

第336回 心の旅路

平成六年四月(1994)
銀座 銀座文化

 一階がシネスイッチ銀座、二階が銀座文化劇場、二階ではいつも懐かしの名画を上映していた。しかも初公開時のパンフレットの復刻版まで販売されていて、タイムマシンで過去の映画館に来たような気分、ずいぶんと通ったものだ。その後、普通の封切り館シネスイッチ銀座2と名を変え、古い名画の上映はなくなった。
『心の旅路』を観たのもこの映画館だった。
 第一次大戦中、フランスの最前線で英国軍大尉が負傷し記憶を失う。これがロナルド・コールマン。コールマン髭で有名な二枚目だが、このころは五十過ぎ。
 大尉は霧の日に精神病院を脱け出し、終戦の祝いで賑わう町にさまよい出て、そこで踊り子のポーラと出会う。これが美女のグリア・ガースン
 ポーラは旅まわりの芸人で、楽屋で倒れた大尉を介抱し、彼をジョン・スミス、愛称スミシーと名付ける。ポーラとスミシーはお互い一目惚れ。ふたりは田舎町に引っ込みいっしょに暮らすことになる。
 彼は記憶を失ったままポーラと結婚し、子供も生まれる。文才があることがわかって、新聞社に原稿を送ると、採用の通知がきて、喜んでリバプールの町まで出かける。そこで、道路を横断しようとしてタクシーに跳ねられ、以前の記憶が戻るのだ。彼はチャールズ・レイニア、富豪の息子だった。三年前にフランスの塹壕にいたことまでは憶えているが、今度はそこから今までの記憶がまったく消えている。彼は実家に帰り、父の事業を引き継ぐ。
 年月が流れ、チャールズは今では著名な大実業家である。そして、その有能な秘書がなんと、ポーラなのだ。いったいどうして。
 彼女は夫が行方不明になり、息子が死に、自分も病気を患ったが、働きながら夜学に通い、企業の秘書となり、チャールズに引き抜かれた。だが、彼は彼女とかつて結婚したことも、息子があったことも全然憶えていない。さて、彼の記憶は、このふたりは、いったいどうなるのか。出来過ぎではあるが、記憶喪失を扱った味わい深いメロドラマである。

 

心の旅路/Random Harvest
1942 アメリカ/公開1947
監督:マービン・ルロイ
出演:ロナルド・コールマングリア・ガースン、フィリップ・ドーン、スーザン・ピータース

 

『映画に溺れて』第335回 陰獣

第335回 陰獣

平成七年六月(1995)
池袋 文芸坐

 昭和初期の雰囲気が漂う東京で、探偵小説家が自ら探偵役となって事件に迫る。原作は江戸川乱歩である。
 寒川光一郎は売り出し中の探偵小説家。これがふとしたことで財界の大物、小山田六郎の夫人静子と知り合う。彼女は美人で、しかも寒川の愛読者だという。
 作家としてはうれしい状況である。彼女は寒川にある相談をもちかける。今、猟奇小説で売り出している大江春泥という作家から脅迫まがいの手紙を受け取り困っているというのだ。
 静子は女学校時代に春泥と交際していた過去があり、彼女のほうから別れたので、春泥はそれを根に持って脅しているとのこと。が、春泥の今の居場所はわからない。
 探偵小説と猟奇小説では作風は違うが、大江春泥は寒川光一郎のライバルである。寒川は春泥の脅迫状に興味を持ち、事件にかかわることになる。
 春泥は覆面作家で、編集者にもその素性はよく知られていない。そうこうするうちに脅迫状通り、静子の夫が変死する。
 寒川はわずかな手がかりから春泥の足取りを追う。物語は二転三転するが、ミステリーのあらすじをこれ以上語ることは禁物である。
 ただひとつ言えるのは、この事件そのものが猟奇作家大江春泥と探偵作家寒川光一郎の現実世界での推理対決であることだ。
 江戸川乱歩といえば、子供の頃の私はTVの『少年探偵団』しか知らず、児童向きの作家だと思っていたが、エドガー・アラン・ポーをもじったペンネームからわかるように暗くて妖しい作風は決して子供向きではなく、エロチックでさえあったのだ。

陰獣
1977
監督:加藤泰
出演:あおい輝彦香山美子、大友柳太朗、川津祐介中山仁仲谷昇野際陽子、田口久美、加賀まりこ、尾藤イサオ若山富三郎

『映画に溺れて』第334回 ヤング≒アダルト

第334回 ヤング≒アダルト

平成二十四年八月(2012)
飯田橋 ギンレイホール

 ヤングアダルトというのは、子供と大人の中間、ティーンエイジャー向きの小説。そのヤングアダルトを執筆している三十七歳の女性メイビス。
 かつては田舎町の学園の女王として輝いていたが、結婚し、都会へ出て、離婚し、今は小説家。彼女の書くヤングアダルトは大ヒット。ただし、作者名としては原案者の別の有名人がタイトルと並んで大きく表紙を飾り、ライターである彼女の名前は裏表紙に小さく出ているだけ。しかも売れ行きが悪くなり、シリーズ終了が決定。
 そんな時、田舎の元恋人からメールが届く。赤ん坊が生まれたので出産祝いのパーティを開くからぜひどうぞ。スポーツ万能で二枚目の彼は学園のヒーロー、メイビスとは相思相愛のカップルだったのだ。
 仕事はうまくいかず、恋人もなく、毎日酒に溺れるメイビス。本当は、私は彼と結ばれて幸福になる運命だった。彼は今では田舎でつまらない仕事に追われ、つまらない女と結婚し、つまらない人生を送っている。もう一度、彼と人生をやり直そう。彼をつまらない生活から救いだして。
 そう決意したメイビスは故郷を目指す。そして、彼に電話、たまたま用事があってこの町に来てるんだけど、久しぶりに逢わない?
 かつてのヒーローは、今では生活臭い田舎親父だが、それでもまだまだ二枚目の面影はある。もうひとり、酒場で出会ったかつての同級生、障害者のマットが彼女の意図を知り、忠告する。赤ちゃんが生まれて幸せに暮らしている男の家庭を壊そうなんてよくないよ。
 さて、彼女の目論見はうまく行くだろうか。
 この映画、シャーリーズ・セロン以外の女性出演者、美人はひとりも出てこない。化粧気なしの普通の女性たち。それこそスターを引き立てる演出か。
 邦題の≒(ニアイコール)はなくてもいいのでは。

ヤング≒アダルト/Young Adult
2011 アメリカ/公開2012
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:シャーリーズ・セロンパトリック・ウィルソンパットン・オズワルト、エリザベス・リーサー、コレット・ウォルフ

 

『映画に溺れて』第333回 恋愛小説家

第333回 恋愛小説家

平成十年十月(1998)
飯田橋 ギンレイホール

 こちらが挨拶しても、顔をそむけて返事もしない。相手かまわず悪態をついて周囲を不快にさせる。こんな人物とは顔を合わせたくないとだれしも思うだろう。中年で独身のメルヴィンは近隣の嫌われ者である。が、彼が書く恋愛小説は人気があり、売れっ子作家でもあるのだ。
 道路の線が踏めない。毎日同じ時間に同じレストランの同じ席で同じウェイトレスの給仕を受けないと、いらいらする。決まった習慣を変えることができない。この極端な性癖は実は強迫神経症という病気で医者にもかかっている。
 メルヴィンの周囲で事件が起きる。強盗に襲われた隣人のゲイの画家が遠方の両親に会いに行くのに自動車を運転してやったり、意外と親切な面があるのだ。
 ウェイトレスのキャロルが息子の病気で店を休む。メルヴィンは生活を変えると精神が持たない病人だから、別のウェイトレスだと耐えられない。キャロルが店に戻るように、彼女の息子のために腕のいい医者を世話する。
 実はキャロルに心ひかれているが、面と向かうと、つい毒舌が出て、相手を傷つけてしまう。ヘレン・ハントのキャロルもまた、勝気な女性である。アクの強いふたりの恋のゆくえは……。
 夜明けのパン屋のラストシーンもすがすがしくて。
 昔から個性派で変な人物を演じるとほんとにうまいジャック・ニコルソン。主人公の病的性格、ニコルソンが演じるので、自然に納得して楽しめるが、下手な俳優だったら、たぶん嘘臭くて見ていられないだろう。さすがである。

 

恋愛小説家/As Good As It Gets
1997 アメリカ/公開1998
監督:ジェームズ・L・ブルックス
出演:ジャック・ニコルスン、ヘレン・ハントグレッグ・キニアキューバ・グッディングJr、スキート・ウールリッチ、シャーリー・ナイト

『映画に溺れて』第332回 ふたりのJ・T・リロイ

第332回 ふたりのJ・T・リロイ

令和元年十二月(2019)
六本木 アスミックエース試写室

 母親から男娼になることを強要された薄幸の美少年J・T・リロイが書いた実録小説『サラ、神に背いた少年』がベストセラーとなる。
 が、覆面作家として、本人は世間に姿を見せない。
 実はこの小説、当時三十代の女性ローラ・アルバートが書いていたのだ。J・T・リロイは彼女の創作であり、ローラ自身が架空のJ・Tの代理人として、出版社との契約なども行っていた。
 小説がヒットすると、世間はJ・T・リロイの実像を知りたがる。マスコミはJ・Tへの取材をローラに迫る。
 そのころ、ローラの夫ジェフの妹サヴァンナが田舎から兄を頼ってサンフランシスコに出てくる。
 短髪でボーイッシュなサヴァンナを見て、ローラは思いつく。この子を美少年J・Tに仕立ててマスコミ取材を乗り切ろう。その場しのぎ、一度だけの代役だったが、金髪のカツラに大きなサングラス、無口で中性的な雰囲気が受けて、取材が増え、サヴァンナは有名人のパーティに招かれたり、ついには映画化が決まって、ハリウッドで舞台挨拶まで。
 ベストセラー作家J・Tとしてサヴァンナが世間からちやほやされ、作家本人であるローラは付き人扱いでほとんど無視される。サヴァンナはJ・T役を楽しみ、ローラは自分が創った虚像に嫉妬を覚える。
 やがて、世間に真相が……。実話の映画化である。
 架空でありながら実体化した主人公とそれに嫉妬する作者の物語。マイケル・ケインベン・キングズレー主演の『迷探偵シャーロック・ホームズ最後の冒険』を連想した。作者ワトスンが自分が雇ったホームズ役者にいらいらする内容だった。

ふたりのJ・T・リロイ/JT LeRoy
2018 アメリカ/公開2020
監督:ジャスティン・ケリー
出演:クリステン・スチュワートローラ・ダーンジム・スタージェスダイアン・クルーガー

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第七回 帰蝶の願い

 天文十七年(1548年)。秋。
 尾張の古渡城では、織田信秀(高橋克典)が家臣の平手政秀(上杉祥三)と話していました。自分たちは三つの敵に囲まれている。駿河の今川、美濃の斎藤、そして織田彦五郎。彦五郎は同じ織田の一族ながら、嫉妬のためなのか、たびたび横やりを入れてきます。二つの敵ならば始末はつけられるが、三つは手にあまる。
「そこでじゃ」信秀はいいます。「わしは、美濃のマムシめと手を結ぼうかと思う」
 光秀(長谷川博己)が京から戻ってきました。駒(門脇麦)も一緒です。すると明智の館に、斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)の娘、帰蝶川口春奈)が訪ねてくるのです。
 光秀は叔父で明智家の当主である明智光安(西村まさ彦)と話をします。光安は、尾張織田信秀が使者をよこし、和議をしたいと申し入れてきたことを話します。喜ぶ光秀。しかし、と光安はいいます。信秀はこの和議に条件をつけてきた、帰蝶を嫁にくれと。道三はそのことを帰蝶に話した。帰蝶は拒絶し、道三と口をきかなくなった。光安は、帰蝶とはいとこ同士で幼い頃から親しい光秀に、
「そなたの口から帰蝶様のお気持ちを聞いてはくれぬか」
 と、頼みます。渋い顔をする光秀。
 結局、光秀は、帰蝶と話をすることにします。帰蝶は光秀がしゃべる前から、光安と話したのは自分を嫁にいかせることについてか、と聞いてきます。帰蝶は光秀との子供時代のことを話し始めます。
「一番親しい身内と思うているゆえ、約束を守った」帰蝶は光秀を振り返ります。「今度は私を守って欲しい。尾張などへ嫁には出してはならぬ、皆にそう申して欲しい」
 駒は光秀の母である牧(石川さゆり)と話していました。牧は、帰蝶の噂をする駒を叱りつけ、女はいつか、しかるべき人に嫁ぎ、子を産み、育てなければならない、と語ります。
「それができぬものはどうすればいいのでしょうか」駒はいいます。「想うても想いが遂げられぬものもありましょう。身分のこと、暮らし向きのこと、様々な訳があり、嫁ぐことが叶わぬものは」
 光秀は光安と共に稲葉山城に登ります。光安は光秀にクギを刺します。
「よいな、余計なことは申し上げるなよ。どこまでも帰蝶様のおおせになったことを、そのまま申し上げるのじゃ。そなたの意見など、一部たりとも入れてはいかん」
 道三の前に二人は出ます。光秀は道三に問われます。
「何でも思うところを申して見よ」
 光秀はその通り、話し始めるのです。
「織田へ嫁がれるということは、人質として行かれる意味もあろうかと。和議というものは互いの思惑により、破られることも多々でございます。再び戦となれば、まず始めに斬られるのは人質。そうすることが正しいのかどうか。情としてしのびない思いもございますゆえ」
「情としてしのびない」道三は光秀の言葉を繰り返します。「それは父親であるわしが最も感ずるところ。そなた以上にわしはつらいのじゃ。胸が張り裂けんばかりじゃ、わかるか十兵衛(光秀)。されどじゃ。その情を断ち切るだけの値うちがこの和議にあるかどうかであろう。そのことをわかっておるのかと問うているのじゃ」
 光秀はいいます。
「申し訳ございません。この十兵衛。和議の値うちをまだはかりかねております。それゆえ、帰蝶様にご納得いただくのは無理でございます」
「無理じゃと」
 と、すごむ道三。
「できませぬ」
 と、光秀は即答します。道三は怒り出します。
「用はない。帰れ」
「わかりました」光秀も大声を出します。「帰ります」
 光秀は道三のもとを立ち去っていくのです。怒る道三は残った光安に命じます。
「十兵衛を呼び戻せ」
 道三と光秀は二人きりで話すことになります。道三の声は意外にも穏やかです。
「わしの父親は、若い頃、油や紙を売り歩く商人だったが、よく申していた。海のある国は食うに困らぬ。海には魚がいる。港をつくれば船が来る。船は材木や織物や諸国の品々を山のように積んできて、それを売る市がたつ。市がたてば商人が集まり、金が動く。そこから大きな利が生まれる。尾張はそういう国じゃと。この美濃には海がない」道三は光秀に向き直ります。「苦労して田を作り、畑を耕す。その一年分の稼ぎを、海の恵みはあっという間に越えていく。国を豊かにするなら、海を手に入れることじゃ。あの尾張の向こうには海がある。我らはそこへ行くため、いくさをしてきたようなものじゃ。その尾張が、手を差し出してきた。和議を結べば、海が近うなる。わしの仕事はいくさをすることではない。国を豊かにすることじゃ。豊かであれば、国は一つになる。一滴の血も流さず、豊になる、それがこたびの和議じゃ」
 帰蝶にその話をしてくれないか、と道三は光秀にいいます。一度、嫌といったら動かない娘だ。自分の手には負えない。光秀とはうまがあうと皆がいっている。
 光秀は道三と別れ、館に帰ろうとします。しかし道三の側室の子である斎藤高政(伊藤英明)に呼ばれます。
 高政のところには、男たちが集まっていました。高政はいいます。
尾張との和議などもってのほか。帰蝶を嫁に行かすのも言語道断じゃ」高政はいいます。「ここには美濃を支えてきた国衆がそろうておる。国衆は代々土岐家を守護と仰ぎ、土岐家と共に他国と戦こうてきた。父上はその国衆を軽んじ、長年の敵を利する、愚かな和議を結ぼうとしておる」
 高政は、帰蝶を嫁に行かせてはならぬといい、光秀に杯を握らせ、そこに酒を注ぐのです。光秀はそれを飲んでしまいます。
 明智の館に帰る光秀。帰蝶と対面します。
「旅をしてみたい」帰蝶はいいます。「船に乗り、海を渡る。十兵衛、供をせよ」
 それを冗談と受け取り、微笑む光秀。光秀は話そうとします。それをさえぎる帰蝶
「見てきてくれぬか。その信長という男」帰蝶はまっすぐに光秀を見つめます。「十兵衛の目で見て、いかなる男か教えてもらいたい」
 光秀は商人に変装し、尾張領の熱田に向かいます。信長についての情報を集めようとしますが、うまくいきません。海に面する市場である熱田の活気を見、光秀は道三の言葉を思い出します。
「この美濃には海がない。国を豊にするなら、海を手に入れることじゃ」
 そして光秀は、因縁浅からぬ農民の菊丸(岡村隆史)と出会うのです。そして菊丸から、信長が毎日、海に漁に出ていて、明け方に戻ってくることを聞くのです。
 明け方の海で待つ光秀。信長を乗せた小舟がやってきます。

 

2019年極私的・偏愛的ベスト本 単行本編


 各紙誌の年末風物詩でもある2019年時代小説ベストテンが出揃った。リストアップされた作品を見ると昨年の充実ぶりが伝わってくる。ここ三年、出版不況が嘘みたいな豊作続きである。

 理由の第一は、上位を独占した川越宗一『熱源』(文藝春秋)、大島真寿美『渦 妹背山女庭訓魂結び』(文藝春秋)の二作品に象徴される新しい有力な書き手が加わったことである。
 第二の理由は、戦国ものの隆盛である。中堅の成熟と新しい書き手の充実にある。ちなみに、天野純希『雑賀のいくさ姫』、伊東潤『家康謀殺』(角川書店)、木下昌輝『信長、天を堕とす』(幻冬舎)、赤神諒『計策師』(朝
日新聞出版)、杉山大二郎『嵐を呼ぶ男 NOBUNAGA』(徳間書店)、今村翔吾『八本目の槍』(新潮社)、松永弘高『決戦!広島城』(朝日新聞出版)、片山洋一『島津四神伝』(朝日新聞出版)などである。
 第三の理由は、女性作家の活躍が大きく貢献している。梶よう子『お茶壺道中』(角川書店)、澤田瞳子『落花』(中央公論新社)、朝井まかて『落花狼藉』(双葉社)、『グッドバイ』(朝日新聞出版)、西條奈加『隠居すごろく』(角川書店)、三好昌子『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』(新潮社)と力作が目白押しだ。ここに藤原緋沙子『龍の袖』をくわえれば、いかに豊作の年であったかがわかる。
 個々の書評はあえて割愛した。いずれの作品も題材選定の拘り、着眼の鋭さ、展開の巧さに優れていたと言う事だけ述べておくにとどめる。

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 さあ、ベスト本である。極私的偏愛的な選考で、順位は関係ない。
 最初に登場するのは、松浦 節『日本橋の桃青―若き芭蕉がゆく』(郁朋社)である。作者は『伊奈半十郎上水記』(新人物往来社)で第26回歴史文学賞を受賞、その後、関東郡代伊奈半十郎家の事績に拘り、『約束の奔流』『明けゆく天地』(共に新人物往来社)を発表。人物造形の確かさと真摯な作品との向き合い方に好感が持てる作風で、工事小説に新風を吹き込んだ。

日本橋の桃青 若き芭蕉がゆく

日本橋の桃青 若き芭蕉がゆく

  • 作者:松浦 節
  • 発売日: 2019/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  本書は出自の不明な芭蕉の少年時代にスポットを当て、綿密な論考のもとに少年時代を再現し、それを出発点として、蕉風俳句の原点を探ることを意図した力作である。
 「われらの武器は俗謡じゃ。和歌は俗語を禁じた。われらが俗語を手にしたとき、俳諧は束縛から解き放たれた。俳諧は広く万人のもの」
 「俗語によって民の生き様を詠め。わかりやすく民の心と響き合うて、幸せをかみしめ、権威の風を笑い飛ばすのじゃ。革新を求めつづける者のみが風雅の誠に迫りゆくことができる」
 この蕉風俳句の核心に迫った台詞こそ、本書の神髄である。芭蕉の最期を描いたエピローグの畳みかけるような俳句を交えた文章には鬼気迫るものがある。もう一点、特筆すべきことがある。作者は芭蕉玉川上水道工事の帳方を務めたときのエピソードを挿入している。作者が生涯をかけて事績を掘り起こした伊奈半十郎家と芭蕉の接点である。作者の筆が躍動しているのが確かな手ごたえとなって伝わってくる。
 数多くある芭蕉ものと一線を画す傑作である。

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 坂岡 真『一分』(光文社)がいい。この力作が話題にならないのがおかしい。作者の代表作となる畢生の大作である。と言ってもテーマにものすごい新しさがあるわけではない。逆説的に言うとそこがいいのである。極めてオーソドックスな時代小説である。

一分(いちぶん)

一分(いちぶん)

 

  戦後間もない娯楽に乏しかった時代に、確かな手ごたえで面白さを伝えてくれたのが大衆時代小説であった。吉川英治の『神州天馬侠』や『鳴門秘帖』が読めて、桃太郎侍山手樹一郎が闊歩していて、伝奇ロマンに拘った角田喜久雄『髑髏銭』、柴田錬三郎の『運命峠』、五味康祐柳生武芸帳』がそばにあった。『一分』にはそんな時代の匂いが感じられる。今の時代小説が失っている活力と素直さと言えるかもしれない。これは長年、文庫書下ろし時代小説を書き続けた作者だから書き得た作品と言えよう。書下ろしを書き続けるためには独自の小説作法を必要とする。
 本書にはその小説作法がぎっしり詰め込まれている。剣術、酒造りの背後にある職人技、船乗りの技術と主人公の成長の糧となっていくそれらの要素が、デティール豊かなエピソードに仕立てられており、主人公の内面の豊かさが伝わってくる。

 物語は、侍を捨てた主人公が、理不尽さへの怒りと、運命に抗う反骨精神を発条に誇らしく生きていく姿を描いたものである。詰まるところ主人公は、藩の論理と人間の論理の狭間で悪戦苦闘を余儀なくされる。その狭間を超えていく原動力となるのが、武士は捨てても武士のバックボーンである一分は守る。それは人間の一分であるからだ。その到達の過程こそ成長小説のコアであり、青春小説の面白さの神髄はそこにある。ラストに作者は日本に近代を引き寄せた威臨丸に主人公を乗せる場面を採用している。逆風の大海原を「前屈みに歩きだす」と記している。絶妙の表現である。そう、青春とは前屈みに歩きだし、膝を抱えて走るのである。
 大衆時代小説の粋である。

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 青春時代小説と言えばあさのあつこの奮闘がひときわ異彩を放っている。『飛雲のごとく』(文藝春秋)が飛びっきりいい。その理由は、政治が法治国家であることを放棄し、独裁的になりつつあり、企業が志と哲学を置き去りにし、市場経済を唯一の尺度とするような時代こそ、時代小説の重要なジャンルであったお家騒動ものを、藩政改革ものとして新たな構築が可能なのである。

飛雲のごとく

飛雲のごとく

 

  本書は、元服を済ませ、名実ともに当主となった主人公が、武士社会の身分制度、立場の差のもつ理不尽さやしがらみに絡めとられ、身動きできなくなる危機を、友情と成長力で対峙しようとする姿を描いている。
 「もしかしたら、これは一つの機会かもしれん。誰かに縋るのでも、頼みとするのでも、押し付けるのでもなく、おれたちの力で、世を変えていく、変えていける好機かもしれない」
 青臭いがこういう志向こそ藩政改革を推し進めていく芯となるものである。ここには身分や立場を超えて時代を変えようとする明快な意思がある。時代小説しか書けないテーマであることを知るべきである。作者は繰り返しこのテーマを追求している。『天を灼く』『地に滾る』(祥伝社)の連作もこの意図によって貫かれている得難いシリーズである。藤沢周平、葉室 麟も命を削ってこのテーマを追い続けた。しかし、藩政改革の彼岸は遠い。安易な着地はできないからだ。

 作者は、『バッテリー』でピッチャーの少年の人物造形を独特な人物観照を駆使して豊かに描くことで、野球小説の枠を超えた。藩政改革ものでもその貫通力を見せて欲しいと思っている。

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 次のベスト本は『虎の牙』で歴史時代作家クラブ新人賞を受賞した武川佑の『落梅の賦』である。『虎の牙』の続編で、武田信友のその後」を描いている。デビュー作である前作が鮮烈な印象を与えただけに期待はされていたものの評価は低かった。なら何故ベスト本という声がかかりそうだが、前作同様、戦国ものに独自の解釈を導入することで、他の戦国ものと一線を画す新しさがあるからだ。前作では日本史の底流に脈打つ国の枠組みを超えた自由の魂を持つ「山の民」と、古代から連綿として伝わる「呪い」を地軸に設定し、そこに貨幣経済の視点を入れることで戦国の時代相を新鮮な形で切り取って見せた。ミステリー要素を動線とすることでストーリー性もあり、数多くある武田ものでも異彩を放つ出来栄えとなっていた。

落梅の賦

落梅の賦

  • 作者:武川 佑
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 

  本書では清安(佐藤信安)が西方浄土に向けて補陀落船に講徒と共に乗り込むが失敗する象徴的なエピソードで幕を開ける。これは『虎の牙』のラストシーンの受けとなっている。「山の民」の次に登場するのは「海の民」である。僧となった清安が信友と穴山梅雪と共に落日を迎えた甲斐武田家の幕を下ろす役を務める。作者はその渦中に心的外傷後ストレス障害性的少数者という現代的なテーマを注入することで、新しい解釈を盛り込んでいる。意欲的な取り組みは理解するのだが、消化不良でストーリーが流れてしまい、密度が薄くなっている。特に「海の民」はもっと論考を固めてから使うべきであろう。
 二作品共に他の戦国ものにはない独特の意匠を持っており、それだけでも今後の活躍に期待が持てる。

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『髪結百花』で日本歴史時代作家協会文学賞の新人賞を受賞した泉 ゆたかの『お江戸けもの医-毛玉堂』が次のベスト本である。まず、けもの医に着眼したところに作者のセンスの良さを伺うことができる。ペットを思う気持ちに昔も今もない。実に現代的なテーマで感心した。

お江戸けもの医 毛玉堂

お江戸けもの医 毛玉堂

  • 作者:泉 ゆたか
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  不愛想だが、腕はいい医者・凌雲、動物をこよなく愛し,ひたむきな妻・美津、ひょんなことから毛玉堂に居候することになった絵の心得がある腕白坊主・善次の三人が織りなす動物にまつわる悲喜交々の人情ドラマである。五話が収録されており、各話共いい出来である。ただ気になったのは小さくまとまり過ぎていることだ。江戸期ならではの珍しい話やホラーじみた話などエピソードに工夫を凝らしたりすれば絶品のシリーズものとなること請け合いである。是非、シリーズものにすべきである。

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 最後に紹介するベスト本は篠 綾子『酔芙蓉』である。幕末青春小説『青天に在り』で2019年度に日本歴史時代作家協会作品賞に輝いた作者は、今が旬ともいうべき充実ぶりを示している。この三月に角川書店から刊行される『天穹の船』は幕末に伊豆の戸田で建造された大型帆船を題材に、船大工の若者の苦闘を描いたものだが、素晴らしい出来に仕上がっている。

酔芙蓉

酔芙蓉

 

  本書も作者の豊かな才能を裏付ける作品で、日本的情緒を引き出す独得な美意識と、男の生き様を造形する明晰な筆が魅力となっている。題材は作者が得意とする平安末期で、主人公は藤原隆季。保元・平治の乱の渦中にいた人物で、父・家成の権勢を背景に異様な速さで昇進し、「あるまじき事」と評判になる。平清盛の盟友であり、悪左府の異名を持つ藤原頼長と男色関係にあったことでも知られている。そんな問題の多いい人物を書こうとした作者の意図と狙いは何か。そこに本書の特徴がある。
 まず、モチーフから探っていこう。序の章で治承三年、後白河法皇と清盛の関係が悪化し、清盛は大軍を率いて粛清に乗り出す。その騒動のさなか藤原忠雅は義弟で清盛の信任厚い隆季に頼みごとがあって訪れる。二人の会話の中に酔芙蓉が出てくる。意味深長な内容で物語の主旋律となっている。モチーフの第一は、この酔芙蓉の花である。隆季と忠雅の関係を暗示するものであり、隆季の人物造形のコアを象徴している。第二のモチーフは異様に早い昇進の謎である。家成の権勢によるものという事実を薄めて、独自の解釈を造形に施している。
 第三は頼長の男色という事実であり、それを忠雅の隆季への想いに転化する仕掛けをしている。要するに隆季を完璧なまでに整った要望を持つ美少年として造形したのである。頼長ではあまりに短絡的なので、十一歳の少年・忠雅が恋焦がれる対象とし、その象徴が酔芙蓉なのである。第四としては隆季が優れた歌人であったからと思われる。酔芙蓉の喩えに堪えられるものがないとだめなのである。
 やがて青年となった隆季は政争を繰り返す上流貴族から一族を守るため、美しき冷たい仮面をかぶり、出世街道を突き進む。それは美貌ゆえに権力者の我欲に翻弄されると言う事でもあった。後ろ盾となったのが龍のごとき清盛で、二人が盟友関係を築く過程を丁寧に描いている。作者には『蒼龍の星』(文芸社文庫 全三巻)
という大作があり、清盛はお手の物である。
 以上のモチーフを巧みに使い、歴史的事実とは違う藤原隆季を創り上げたのである。一の章「酔客」を読み始めると少女漫画なのか、と言った驚きを覚える。これこそ作者が仕掛けた罠であり、カモフラージュなのだ。ラストで隆季の真意が明かされ、これが心地よい感動を与えるところに本書の非凡さがある。偏愛的ベスト本の理由である。