日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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合評会のお知らせ

■この度日本歴史時代作家協会では、ホームページに掲載された短編小説についての「zoom合評会」を開催することとなりました。会員の皆様、奮って参加をよろしくお願い致します。

■日時とzoomでの参加方法については後日、事務局よりメールにて連絡申し上げます。

■合評の対象となる小説一覧はこちらです。よろしくお願い致します。

 

rekishijidai.com

『映画に溺れて』第393回 流れ者

第393回 流れ者

昭和四十九年八月(1974)
大阪 中之島 フェスティバルホール

 

 泡抜きのビールを好む男が主人公の『流れ者』、クロード・ルルーシュ監督、主演がジャン=ルイ・トランティニャン、おしゃれな犯罪映画である。
 いきなりミュージカルの場面で始まる。もちろん曲はフランシス・レイ。これが実は映画館で上映されているミュージカル映画の一場面だとわかる。映画館に逃げ込んだ犯罪者。それを追う警察。
 そしてこの男がかつて企てた完全犯罪の回想。
 ある銀行員の家に電話がかかってくる。自動車会社からで、車が当選した。発表は今日、これからオランピア劇場でショーのあとに行うという。銀行員夫妻と幼い息子は喜んで劇場に駆けつける。自動車会社の担当者からチケットを渡され、夫妻は客席へ。が、いつまでたっても発表はなく、ショーは終わり、子供がいなくなる。
 自動車当選を装った子供の誘拐事件だったのだ。銀行員は金持ちではないが、身代金は彼の勤めている銀行に要求される。世論の手前、銀行は莫大な身代金を支払い、子供は無事に戻る。
 この誘拐事件を仕組んだのが元弁護士のシモン。時計のように正確な男といわれ、スイスのシモンとあだ名されている。が。裏切りがあって逮捕され、二十年の刑。そこを五年で脱獄した彼が、どのように金を取り戻すか。
 誘拐された子供の親ではなく、勤め先が身代金を支払うというアイディアは黒澤明監督の『天国と地獄』でも使われていた。
 ビールをすすめられたシモンが「泡抜きで」と注文をつける場面、これが不思議とかっこよく、しばらく私も泡抜きのビールを飲んでいた。

 

流れ者/Le Voyou
1970 フランス/公開1971
監督:クロード・ルルーシュ
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン、クリスチーヌ・ルルーシュ、シャルル・ジェラール、シャルル・デンネ、ダニエル・ドロルム

 

明治一五一年 第17回

明治一五一年 第17回

 

いくつかの記録の狭間に落ちていく

人の声を拾いながら

慶応三年の陸奥の背の

すでに一五一年の影たち

が燃える静かな刻限が近づき

明治二八年の大陸への貧しき傷の

北上する足と南下する足の吃音

の重なりは届かぬ野だと

明治三八年の波立ちの

いつまでも消えない朽ちかけた

無数の影たちに呼ばれ

大正七年の崩れ行く体の

失われ続ける一瞬の目の内側の萌す

あわい光の粒を包む

大正八年の蔓延する病の

いくつかの記録の淀む

彼方に呼ばれる指の動きに沿う

大正一二年の燃え続ける人たちの

ならば一つずつの脆い思い出

は誰かの内の地平の輝きへ

昭和五年の浮遊する足首たちの

一五一年はまだ終わらずに色褪せ

永らえる人の息こそ

昭和二〇年の目の裏の発光の

啄まれていく皮下出血に

なりもう消えた唇の畔に留まる

平成二三年の還らない水の絡まりの

薄れる背中の連なりを追いながら

揮発する爪の陥没だ

令和二年の新しい死者たちの

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十七回 宗久の約束

 永禄十一年(1568年)。七月。足利義昭(よしあき)(滝藤賢一)の一行は、美濃の立政寺に到着しました。その中には明智光秀十兵衛(長谷川博己)の姿もあります。織田信長染谷将太)は、ひれ伏して義昭の到着を待っていました。足利義昭は、信長の前に回り、立ったまま話しかけます。

「わざわざの出迎え、大儀であった」

 信長は伏したまま述べます。

「本日ただ今より、公方様に末永うお仕えする覚悟で、お待ちしておりました」

 信長は義昭に贈り物を用意していました。屏風を動かすと、金の粒や鎧などが置かれています。義昭は思わずいうのです。

「これだけあれば、一万の貧しき民が一月(ひとつき)は過ごせよう」

 岐阜城にて、信長は光秀と話します。

「あの銭は、貧しい者に施すための銭ではない。いくさは何かと金がかかるゆえ、その備えとして差し上げたのじゃ。まるで分かっておられぬ。刀を抜いてご覧になったときのお顔を見たか。鼠が蛇ににらまれたように、仰天したような目であったぞ。そなたから聞いていたゆえ、さほどに驚きはせぬが、あれが武家の統領ではな」

 光秀はいいます。

「わずか六歳で興福寺一条院にお入りあそばされ、爾来二十三年、二十九歳になるまで、僧侶としてお暮らしになられたのです。武士として育てられたことは一度もございません。突如、刀を持たされ、いくさへ行けと申されても、体が動かず、心も動きますまい。よくぞいくさの修羅場をむかえるお覚悟をなされたと、私は感じ入ってございます。しかしそうは申しても、あのお方を生かすも殺すも、信長様しだいでございます。この先、どうなされますか」

「何も変わりはない」信長は立ち上がります。「そなたと話した通りにやる。都へ出、幕府を立て直す。将軍のもと、諸国をまとめ、大きな世をつくる。大きな世だ。それで良かろう」

 光秀は頭を下げるのでした。信長は座に戻って光秀を振り返ります。

「そなたには頼みたいことがある。京へ上り、三好一族の兵数を調べてもらいたい。あと一つ、朝廷が、三好達をどう見ているか。三好たちと手を切って、我らに乗り換えるつもりが誠にあるのかどうかを探ってもらいたい。できるか」

 難しい顔をしていた光秀でしたが、

「やってみましょう」

 と、答えるのでした。京にはすでに木下藤吉郎佐々木蔵之介)をもぐりこませてある、と信長はいいます。

 京では、木下藤吉郎が魚屋に化けていました。山伏に変装した光秀が声を掛けます。木下は山の庵(いおり)に光秀を案内します。庵の中で木下は小声でいいます。

「もはや京では、織田様が足利義昭様を擁(よう)して、攻め上ってくるとの噂が広まっております」木下は光秀に近づきます。「もっとも、その噂を広めたのは、それがしですが」

 木下は大声で笑うのです。そのほかにも木下は、織田は十万の兵でくるなどと言いふらすように命じられていました。木下は打ち明け話をします。自分は子供の頃、家が貧しくて親に市場で針を売って来いといわれた。みんな売り尽くしたなら、麦飯を腹一杯食わせてやると。しかし一度も食わしてもらったことはなかった。それに比べると、信長は必ず約束を守ってくれる。

 光秀は望月東庵(堺正章)の家を訪ねます。そこで駒(門脇麦)と再会するのです。光秀は東庵にいいます。

「私は駒殿に聞きたいことがあって参ったのです」

 やがて光秀と駒は二人きりになります。

「私に何をお聞きになりたいのですか」

 と問う駒。

足利義昭様の上洛を朝廷がどう受け止めるか知りたい。(伊呂波)太夫は関白殿下の近衛様とは親しいはず。太夫に会って、話を聞いてみたい」

「十兵衛様は、織田様と足利様の上洛を」

「そのために来た」

「京で三好様といくさをなさるのですか」

 光秀は駒から離れて、壁際を歩きます。

「いくさは避けたいが」

 といいかける光秀に駒はいいます。

「でも、いくさになる。この京がまた火に包まれる。多くの人が家を焼かれ、巻き添えになる」駒は光秀を振り返ります。「そうですね」

「やむを得んのだ。この乱世を治めるには。いくさのない世にするには。幕府を立て直さねばならん」

 駒は声を荒げます。

「皆、そう申していくさをしてきたのです。もし十兵衛様が昔と変わらぬ十兵衛様なら、足利様に申し上げてください。上洛をなさるのなら、刀を抜かずにおいで下さいと。織田様に申して下さい。私たちの家に、火をつけないで下さいと」

 駒は光秀を伊呂波太夫尾野真千子)のところへ案内するのでした。

 茶屋で伊呂波太夫と光秀は話し和します。

「三好様が勝つか、織田様が勝つか、朝廷は息を潜めて見ています。織田様が勝てば、すぐ義昭様を将軍に任ずる。それは間違いありません」大夫はため息をつきます。「ただ、三好様はお強いですよ。あまたの鉄砲を持ち、いざとなれば兵も京のまわりから、手当たりしだい集めてくる。お金があるから、何でもできる」

 光秀は聞きます。

「それほど金があるのか」

「堺の会合(えごう)衆がついていますからね。お金はいくらでも都合してくれる」

 そこへ今まで距離を置いて座っていた駒が話しかけてきます。

「薬のことで、二条のお寺へ行ったとき、私が作った丸薬に興味があると声を掛けて来られた方がおりました。今井宗久と名乗られました」

 宗久は堺にいる、大物の商人です。駒は太夫にたずねます。

会合衆が三好様から離れると、三好様はいくさをするのが難しくなるのですね」

「いくさはお金で動くものだからね」

 と、大夫は答えます。駒は光秀に宗久と会うように勧めるのでした。

 茶を点てる宗久の前に、駒は座っています。宗久から茶を受け取ると、駒は一気に飲み干します。

「うまいか」

 とたずねる宗久。

「喉、乾いていたようで」

 駒のその答えに、宗久は笑い出します。

「それほどの大事を持ち込んだのだ。喉も渇くであろうな」

 駒は座り直します。

「私が申したのは、もう京でいくさは見たくないから、ですから」

 駒は宗久が自分の薬を売っても構わないと決めてきていました。駒ははっきりといいます。

「そのかわり、いくさの手助けはやめていただきたいのです」

 宗久はいいます。

「三好様と手を切ったとて、織田信長様が三好以上に堺を守り、我らの商いを支えて下さるかどう分からんのです。分からぬことに踏み込む訳には参らぬ」

 隣の間に光秀はいました。宗久はふすまを引き開けます。茶の用意をしながら宗久は光秀に語ります。

「堺の商人(あきんど)は、私もそうだが、異国との商いで生きております。それが守られるなら、三好様、織田様、どちらがお勝ちになっても良いと思うております。実は私は、こたびは、織田様が有利とみております。織田様は、次の将軍足利義昭という大きな旗印をお持ちになり、三好様が担がれた旗印は、摂津で倒れてしまわれた。それゆえ、まとまりに欠ける。商人は、融通した金が戻らぬ者に、金は出しません。鉄砲は売りません。私は三好様から離れても良いと思うておるのです」宗久は光秀を振り返ります。「ただ、織田様にはお約束願いたい。私が好きなこの京の街に、火は掛けぬ。そして堺は守る。その証(あかし)に、上洛の折に、鎧兜を召されたままおいでにならぬこと。それをお飲みいただけるのであれば、手を打ちましょう」

 宗久は駒に、光秀に茶を運ぶように合図します。そしていうのです。

「それでお駒さんもご納得かな」

 光秀は宗久の点てた茶を飲み干すのでした。

 光秀は信長の元に戻ってきました。家臣団が居並んでいます。その一人の柴田勝家がいいます。

「鎧兜を身につけずに上洛せよ。これは三好方の罠じゃ」柴田は信長に話します。「さような商人のたわごとに耳を傾けてはなりませぬぞ。我々は正々堂々といくさにのぞみ、近江で六角を倒し、京になだれ込むまで」

 光秀も黙っていません。

「並のいくさならそれでよろしい。しかしこたびは、足利義昭様をいただき、京へ上り、将軍になるまでの見守り役を我らは負うておるのです。いくさに勝つだけでなく、京の騒ぎと人心を鎮め、新たな将軍が穏やかな世をつくるであろうと皆が胸をなで下ろすよう、気を配ることも肝要かと存じます。そのためにも鎧は脱いで入京すべきだと申しておるのです」

 座は紛糾します。信長の一言で皆は鎮まります。信長は義昭にたずねて決めることを皆に宣言します。

 信長と光秀が会いに行くと、鎧兜を着けずに入京する案に義昭は大喜びでした。

 その帰りの廊下で信長は光秀に問うのです。

「十兵衛。そなたは、義昭様のおそばに仕えるのか。それとも、わしの家臣となるか。今、それを決めよ」

 光秀は表情を動かしません。

「私の心は決まっております。将軍のおそばに参ります」

 九月の末、織田信長は、武装することなく、足利義昭を奉じて、京へ入ります。三好勢はすでに京から去り、京が戦渦に巻き込まれることはありませんでした。

 

 

『映画に溺れて』第392回 男と女 人生最良の日々

第392回 男と女 人生最良の日々

令和二年八月(2020)
飯田橋 ギンレイホール

 

 レーサーのジャン・ルイは妻が自殺。映画撮影所の記録係アンヌは夫が事故死。ふたりはそれぞれ幼い子供を同じ寄宿舎に預けていて、それがきっかけで親しくなり、やがて愛し合う。クロード・ルルーシュ監督の『男と女』フランシス・レイのダバダバダのスキャットは今でも忘れられない名曲である。
 あれから五十年以上の月日が流れた。
 ジャン・ルイは今は施設に入所しており、認知症がだんだん進行しつつある。
 アンヌは小さな店を経営する女主人。そこへジャン・ルイの息子のアントワーヌが訪ねてきて、父に会ってもらえないかと頼み込む。一度は愛し合ったものの、ジャン・ルイとアンヌは別々の人生を歩んでいたのだ。
 施設での再会。車椅子の認知症の老人は、自分を訪ねてきた女性がだれだかわからないながら、昔愛した最愛のアンヌのことを語る。
 やがてふたりはアンヌの車で過去を求めて逃避行。ふたりの思い出のシーンは五十三年前の『男と女』のフィルムがそのまま流れる。
 もちろん、ジャン・ルイを演じるのはジャン=ルイ・トランティニャン、アンヌはアヌーク・エーメである。そして監督はクロード・ルルーシュ。この三人が健在で、『男と女』そのままの老後という設定のすごさに驚かされる。ほぼ九十歳近いふたりの名優のやりとり、しかも、忘れられない恋心が題材という心憎いストーリー。たとえ認知症になっても、頭の中には恋の思い出だけが残っている。
 もうひとつ驚いたのはジャン・ルイの息子アントワーヌを演じたアントワーヌ・シレとアンヌの娘フランソワーズを演じたスアド・アミドゥ。この初老の男女が実は最初の『男と女』で、それぞれの幼い子供を演じた子役本人だったことである。

 

男と女 人生最良の日々/Les plus belles annees d'une vie
2019 フランス/公開2020
監督:クロード・ルルーシュ
出演:アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャンモニカ・ベルッチ、スアド・アミドゥ、アントワーヌ・シレ

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十六回 三淵の奸計(かんけい)

 永禄十年(1567年)。越前の大大名、朝倉義景ユースケ・サンタマリア)がついに上洛を決意しました。

 一方、京は依然として、三好長慶の一族が支配し続けていました。その三好勢が担いだ四国阿波の足利義栄(よしひで)が、急遽十四第将軍つきました。ところが足利義栄は重い病を抱えていました。摂津の国にとどまり、上洛できずにいました。

 京の内裏では、関白の近衛前久本郷奏多)が二条春良(小薮千豊)に詰め寄られていました。近衛の推挙した足利義栄が京に上ってきそうもない。この不始末を招いた近衛は関白の座にとどまって良いのか。

 近衛は苦悩の表情で輿(こし)に揺られていました。そこで伊呂波太夫尾野真千子)がいるのを見つけるのです。近衛と太夫は、姉と弟のように育った仲でした。近衛は大夫に打ち明けます。二条春良は、近衛家が関白の座を独占しているのが気に入らない。二条は越前にいる足利義昭滝藤賢一)の元服の儀を行おうとしている。

 長く敦賀に留め置かれていた足利義昭が、一乗谷に招かれました。そこで義昭は元服を果たすのです。朝倉義景が烏帽子親となり、京から下ってきた、二条春良が見届けました。これで義昭は武士となり、新たな将軍となるべく三好勢への巻き返しの態勢が整いました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、諸国の情報を集めてきた明智左馬助(間宮祥太郎)と自宅で話していました。越後の上杉は動きそうも無い。近江の六角も無理だ。となると上洛ができるのは、朝倉と織田しかない。上洛をするということは、京の三好勢と戦うということです。そこへ客がやってきます。朝倉家の家臣である山崎吉家(榎本孝明)でした。義昭の元服を祝う席に、光秀にも出て欲しいと告げます。さらに山崎は語ります。

「朝倉には御一門衆があまたおられる。その方々が皆そろって義昭様のご上洛に付き従いたいと思われているわけではない。そのあたりを念頭に置かれ、明後日の宴に参じていただきたい」

 光秀は越前の街を見て回りました。刀鍛冶を訪ねてみると、盛んな様子は見られません。皆が暇で、家の畑仕事に戻ってしまったというのです。

 一条谷の朝倉館で宴が行われます。朝倉義景が皆にいいます。義昭の烏帽子親になったこと、義昭と共に上洛しようとしていること、すべてはこの嫡男、阿君丸(くまきりまる)が後押しをしてくれたおかげだ。阿君丸はいいます。

「私も京へ行ってみたい。お連れ下さいとお願いしました」

 そこへ意見を述べる者が現れます。義景のいとこである朝倉景鏡でした。義昭の元服と上洛は別の話なのではないか、といい出します。上洛とはすなわち三好一族とのいくさ。それに勝たねばならない。景鏡は光秀にいいます。

「そこなる明智殿は、近隣諸国の動きをよく調べておられると山崎がほめておった」景鏡は光秀に近づきます。「明智殿はどう思われる」

 朝倉義景も光秀に歩み寄ります。

「十兵衛。ありていに申すが良い。今日は無礼講じゃ」

 光秀は杯を置きます。

「景京様の仰せの通りかと」

 光秀はさらにいいます。いくさに向かう国というのは、武将や将兵が、槍、矢などはいうまでもなく、米、麦、豆などを買いあさり、物が市場からなくなるものだ。しかしこの国には物があふれかえっている。どこを見てもいくさに向かう気配など無い。

 朝倉義景は皆にいいます。

「いざとなれば、朝倉だけでも上洛してみせる」

 宴を抜けだし、一人、庭を見る光秀のもとへ、伊呂波太夫が近づいてきます。太夫はいいます。

「私は朝倉様をよく存じ上げておりますが、あのお方はこの一乗谷で、のほほんと和歌などを詠んでお暮らしになるのがお似合いなのです。幕府を支え、将軍家を支えるほどのご器量はありませぬ」大夫は杯に酒を注ぎます。「今日おいでのお方の中で、上洛を首尾良くすすめておゆきになれるのは、明智様なのではありませぬか」

 大夫は光秀に杯を渡し、話し続けます。

明智様は不思議なお方。亡き将軍義輝様も、斎藤道三様も、松永久秀様も気にとめ、何かと側へ置いておこうとされ、今もそのように」大夫と光秀は杯を干します。「そういうお方が、もう十年近くもこの越前に。そろそろ船出の潮時なのではありませぬか」

 光秀は庭に下ります。

「あいにく、船出の船が見つかりませぬ」

 大夫も下りてきます。

「その船の名は、すでにお分かりのはず。織田信長帰蝶様がおおせでしたよ。十兵衛が考え、信長様が動けば、かなうものなし、と。お二人で、上洛されればいいのですよ。上杉様も、朝倉様も、不要ではありませぬか」

 光秀は騎馬していました。決意したように馬を走らせます。

 光秀がやってきたのは、美濃の岐阜城でした。

 信長が驚いて立ち上がります。

「何、わし一人が義昭様を京へお連れするのか」

 光秀がいいます。

「朝倉殿は上洛を迷われ、義昭様を長々と種ヶ崎に留め置かれたお方。共に戦うに足るお方とは思えませぬ」

 信長は光秀の前に座り込みます。

「蝮の申した、大きな世か。京へ出て、大きな世をつくるのか」信長は光秀を見つめます。「よし、そなたの申す通りやってみよう。足利義昭様をこの美濃へお連れせよ」

 光秀ははっきりと返事をするのでした。

 越前の一乗谷の外れで、三淵藤英(谷原章介)たちと光秀は話していました。

「殿に美濃へ参られよと」

 そういったのは細川藤孝(眞嶋秀和)でした。

「朝倉様は頼りにならん。それはその通りじゃ」

 と三淵。細川がいいます。

「されどわが殿(足利義昭)が美濃へご動座されるとなると、上洛の覚悟をされたばかりの朝倉様の面目は丸つぶれ。ただではすみますまい」

 三淵は口調激しくいいます。

「いずれにせよ、朝倉様をとるのか、織田様をとるのか、という話じゃ。そういうことじゃな」

 三淵は光秀を振り返ります。

「織田様は腹をくくれば動きは速いお方。朝倉様はまだ一族の方々をまとめ切れてはおられぬご様子。共に動くには、無理があるかと」

 光秀の言葉に、一同は静まりかえります。口を切ったのは、足利義昭でした。

「私は、美濃へ行く。そなたを信じよう」

 と、光秀を見るのです。

 光秀は自宅に帰り、夜、妻の熙子(木村文乃)と話します。

「ついに、義昭様が美濃へ行くとおおせられた。近々、三淵様が朝倉様にそのことを申し上げるそうだ。恐らく、朝倉様はお怒りになると思う」

 熙子がいいます。

「十兵衛様もお叱りを受けますね」

「下手をすれば、罰せられるやも知れぬ。いずれにせよ、この越前は、そなたたちにも居心地がわろうなろう。そうなる前に、ここを引き払い、美濃へ戻ったらどうかと思う」

「十兵衛様は」

「わしは、信長様と共に、義昭様のご上洛を果たす」

左馬助にいってある。周りに気づかれぬよう、二人の娘を連れ、美濃へ向かえ。

「怖いか」

 と、光秀は妻に聞きます。首を振る熙子。

「いつか、このような日が、来ると思うておりました。十兵衛様が、ご上洛のお供を。きっと成就いたします。この子たちにもようやく、十兵衛様のふるさとを見せてやることができます。何も怖いことはありませぬ。嬉しいばかりでござります」

「そなたは」光秀は妻の手を握ります。「まことに、良き嫁御料だのう」

 三淵が密かに動いていました。義景のいとこである朝倉景鏡と密談します。

「願わくば、互いの行く末に悔いを残さぬよう、知恵を出し合えれば、幸と思う次第」

 朝倉館で朝餉の用意が行われていました。毒味役の老婆が、汁を飲んで苦しみ出すのです。その口をふさぐ女中。汁椀は朝倉義景の嫡男である阿君丸もとへ運ばれます。汁を飲む阿君丸。

 朝倉義景は阿君丸の死を知って嘆きの声を上げます。朝倉義景の上洛は中止になるのです。

 永禄十一年七月。足利義昭の一行は、越前国を出て、織田信長の待つ、美濃の国へ向かいました。もちろんその中に光秀の姿もありました。

 

第9回日本歴史時代作家協会賞 選評

 第9回日本歴史時代作家協会賞 選評

 

三田誠広(審査委員長)

  歴史時代小説の年間最優秀作を選ぶ試みも今年で9回目を迎えた。今回は選考委員の意見が一致することが多く、短時間で選考を終えることができた。

・作品賞

 まずは作品賞から感想を述べる。木下昌輝『まむし三代記』が満場一致で受賞作と決まった。蝮といえば斎藤道三だが、この作品は道三の父の話から始まる。しかも作品の視点となる少年を設定して、読者は少年の目で、法蓮房という謎めいた僧と出会うことになる。この導入部が秀逸で読者は一気に戦国の世界に惹き込まれる。法蓮房は棒術の達人ではあるのだが、むしろ経済的な戦略で国を変革しようと企てるところがおもしろく、この展開が道三、義龍へと受け継がれていく。さらに物語の展開の途中に、時代を遡った応仁の乱の混乱の中で、廃墟となった寺院の瓦礫から壊れた仏像を盗み出す高丸という少年の話が挿入されるのだが、これが法蓮房の父親で、実は四代にわたる長大な物語だということが判明する。そしてその壊れた仏像から国のありようを変革する恐るべきものが生み出されるという、想像を絶した新解釈が展開される。従来の戦国物とは一線を画する新しい娯楽作品の誕生だと断じていいだろう。
 他の作品もそれぞれに魅力的で、歴史時代小説はいま黄金期を迎えているのではと頼もしく感じられた。赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』は魅力的な闘う少女を描いたロマンチックな作品で、壮大な構想で歴史絵巻を描ききった快作だ。戦国時代に純愛を盛り込もうとした作者の野心的な試みを称賛したい。平谷美樹『大一揆』は文字どおり百姓一揆を描いた作品だが、時代を幕末に設定してあるので、一揆というものの新しい様相が見えてくる。剣豪小説とか歴史ファンタジーに比べれば地味なテーマだが、読んでいくとわくわくするような昂奮を覚えた。村木嵐『天下取』も丹念に描かれた歴史小説で登場人物の心情にリアリティーを感じて愉しめたが、あまりにも端正な作りでもう少し迫力が欲しいと感じた。どの作品も高いレベルにあったが、二作同時受賞にするには一長一短があってわずかに及ばなかった。

・新人賞

 新人賞は坂上泉『へぼ侍』が受賞と決まった。大阪の与力の家に生まれた若者が維新で没落して薬屋の手代をつとめているのだが、西南戦争の勃発で志願兵となる話だ。道場で鍛えた剣道は心得ているものの、サムライの時代はすでに終わっている。口の達者な主人公がパアスエイド(説得術)という新たな武器によって時代を切り拓いていく痛快な物語で、歴史的な有名人がさりげなく登場し、最後には西郷隆盛まで出てくるところが何とも愉快だ。歴史時代小説に新たな視点をもたらす痛快な作品だ。
 評者は加納則章『明治零年 サムライたちの天命』に注目した。幕末の加賀藩をめぐる物語だが、西郷隆盛などの有名人が脇役で登場するものの、これまであまり語られることのなかったプロットの展開が新鮮だった。かなり理屈っぽい作品で、武士とは何かということが繰り返し語られる。時として小説の流れを削ぐほどに理屈にこだわる姿勢に、歴史小説としての一つの新しい方向性を見せてもらったように感じた。杉山大二郎『嵐を呼ぶ男』は要するに織田信長の話なのだが、息もつかせぬほどにテンポよく語られる文体に達者なものを感じた。リーダブルな魅力的な作品で作者の今後が注目される。夏山かほる『新・紫式部日記』と佐藤雫『言の葉は、残りて』は、新人らしい初々しい筆致が魅力で、それぞれ平安中期、鎌倉中期という、描かれることの少ない時代を描いたところに新人らしい心意気を感じた。若い書き手なので今後に期待したい。

・文庫書下ろし賞

 文庫書き下ろし新人賞は二作が競ったがわずかな差で馳月基矢『姉上は麗しの名医』が受賞した。ライトノベルふうのタイトルにやや引き気味に読み始めたのだが、内容は華岡清洲の時代の麻酔術が絡んだ医学ミステリーのごときもので、細部の描写が秀逸で話の展開にリアリティーがあり、テンポよく主人公の姉の失踪事件が語られる。一つ一つの謎が解き明かされていき、ピンチに陥った姉も無事に脱出することになるのだが、このヒロインの女医が魅力的で、読み応えのある作品になっている。惜しくも賞を逸した稲田和浩『女の厄払い 千住のおひろ花便り』もヒロインの年増女が魅力的で、新人離れした安定した筆致で一気に読み進むことができるのだが、短篇連作の形式なので一冊読み終えての感動に乏しく、残念ながら二作受賞には到らなかった。
 今回は疫病の流行で思いがけずネットを用いた選考となったが、どの候補作も魅力的でいつまで語っても語り尽くせない感じがして、ネットの回線を切るのが惜しまれるほどだった。


菊池 仁(選考委員) 

・新人賞 

 今回は将来性を感じさせる力作が出揃った。特に夏山かほる『新・紫式部日記』と佐藤雫『言の葉、残りて』の二作は新人らし若い感性と意気込みが感じられて好感が持てた。しかし、その反面、幼さがあり、迫力に欠けているという欠陥も目立った。『新・紫式部日記』は解釈のオリジナリティを前面に打ち出していく力量が不足していた。『言の葉、残りて』は鎌倉草創期という複雑な時代をあえて題材とした点は評価するが、その政局を逆手に取って、若い夫婦の和歌を媒介とした魂の交感を主題とする手法が上手く生きていなかったのが残念である。 
 加納則章『明治零年 サムライたちの天命』は、幕末ものに新風を吹き込むという意気込みに満ちたもので、題材と主題に作者のセンスの鋭さを感じた。ただ問題は物語を引っ張る動線に「勅書の偽造」と西郷と大久保を持ってきたことである。使い古されたネタでこれが興を割いてしまった。杉山大二郎『嵐を呼ぶ男』は、読者層が広く興味を一番抱いている織田信長に新解釈を施し、固有の人物造形をすることを狙ったものと思う。作家としてのマーケッティングの鋭さを感じさせる。この試みは成功した。売れ筋一番の戦国ものに新たに参戦をする場合、現代に最もふさわしいのは戦国武将の生き様を〈救民救国〉で再構築することである。作者はそのために少年から青年時代の信長像に拘って描いている。「天下静謐」はそのためのコンセプトであり、ポリシーである。上手くまとまってはいるが、脇を固める登場人物に活力を感じないのが気になった。
 受賞作、坂上泉『へぼ侍』は前掲の二作と比較して際立ってよかったというわけではない。何が分けたかと言うと、主人公のキャラクターがオリジナリティに溢れ、彫りの深い造形が施されていたからである。へぼ及び侍というとらえ方に、明治維新が弱者を踏みつぶし、通り過ぎていく中で、どっこい生きているといったエネルギーを感じさせるものとして読めた。脇役もきちんと描き分けられ、生き生きと動いている姿を活写している。作者の目配りの巧さと優しい視線の勝利である。こういった素直で考え抜かれた時代小説を書き継いで欲しいと思った。

・文庫書き下ろし新人賞

 稲田和浩『女の厄払い 千住のおひろ花便り』は手慣れた筆でシリーズものの勘所を抑えた造りとなっている。筆力もあり、これからの活動も期待できると感じたが、同質化競争を切り開いていくパワーが、文庫書き下ろしの求めたい作風と言う事を考えると推せなかった。
 馳月基矢『姉上は麗しの名医』は若々しい感覚にあふれた作風が印象的である。名医である姉と弟の剣の若先生、幼馴染が定廻り同心という設定は、独創性はないが、読み手に安心感を与える温かさがある。このあたりが作者の得意とするところなのだろう。漫画チックなところやウエブ小説的な感覚が物語を支配しているが、軽妙さ爽快さが作風となっており、それが同質化競争を撥ね退けて回っていく力となっていくことに期待した。新しい読者層の開拓が求められているのだ。

・作品賞

 村木嵐『天下取』は、武田、今川、北条の三国同盟で政略結婚を余儀なくされた三人の姫の人生にスポットを当てた作品である。狙いは面白いと思った。戦国時代を象徴する三国同盟の意味に女性側の視点から照らすという試みは意義深い。残念ながら三人の姫の人間像の彫り込みの密度が薄く、描き切っていないという不満が残った。
 作品賞の常連で毎回意欲作を書いてきたは赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』は、作者ならではの着想の鋭さを感じさせる。作者の戦国ものの特徴と面白さは、戦国絵巻の一コマを俯瞰から武将の生き様、地域特性、歴史に埋もれた事実等を鑑識し、ズームインして拾い出したところにある。今回は村上水軍をクローズアップし、村上水軍きっての武将・村上武吉につなげる物語を模索した結果だと推察できる。鮮やかなのは蝶番として悲恋、それをロミオとジュリエット的なドラマに仕立てたことである。現代の戯作者としての力量を改めて感じた。
 平谷美樹『大一揆』は、傑作『柳は萌ゆる』に続く盛岡藩ものである。圧政を強いる盛岡藩に抗して民百姓が立ち上がった。三閉伊一揆という幕末に起こった事実を元にフィクションを交えて再構築した力作である。一揆をめぐる群集劇を巧みな筆致でまとめ上げた。
 難をいうと一揆のみが持てる熱っぽさとうねりが希薄なことである。特に不満なのは最後の四行である。この四行こそ一揆ものが歴史を超える小説として意味を持ってくる。時代小説だけが書ける真実だと思っている。僭越だがこの四行が物語の冒頭であるべきだろう。ここに向かって時代に翻弄される民百姓はのろのろとした歩みでも進んでいくのだ。
 木下昌輝『まむし三代記』が満票で受賞作に輝いた。帯に〈従来の戦国史を根底から覆す瞠目の長編時代小説〉という惹句が書かれているのだが、まさにこの通りの作品に仕上がっている。
 冒頭の一ページを読むと、否応なく作者が張り巡らした蜘蛛の糸にからめとられていく。日ノ本すら破壊すると斎藤道三の最終兵器”国滅ぼし”とはいったい何なのか。これが狂言回しとなって群雄割拠する戦国に引きずり込まれていく。実はこれが〈救民救国〉の武器であるところに本書の面白さがある。着想の鋭さと奇想が支える展開から目が離せない。作者の底深い才能を感じさせる一作である。

・文庫書き下ろしシリーズ賞

 数多くある文学賞の中でも「文庫書き下ろしシリーズ賞」を設けているのは当協会だけである。出版点数が最も多く、熱心な読者に支えられているこのジャンルを、きちんと評価していこうというのが狙いである。
 受賞者は二人。一人はシリーズものを得意とし、マーケットの拡大と充実に貢献した作家で、現在も人気シリーズを抱え、健筆をふるっていること。もう一人はここ五年くらいにシリーズものを書き始め、新しさと将来性ある書き手を条件とした。
 稲葉稔は一九九四年に作家デビュー。当初は冒険ものやハードボイルドを手掛けていたが、二〇〇三年頃から時代小説に本格的に取り組み、数多くのヒットシリーズを送り出し、マーケットの拡大、充実に貢献してきた。
 受賞対象作品は、「隠密船頭」シリーズ (光文社文庫)と、「浪人奉行」シリーズ(双葉文庫)である。前者は元南町奉行の定廻り同心であったが、現在は船頭で生計を立てている沢村伝次郎が、南町奉行・筒井和泉守政憲直々の頼みで、右腕として隠密活動をし、事件を解決していくというもの。同シリーズは二十巻まで続き大人気を博した「剣客船頭」シリーズの後継シリーズで、構想も新たにスケールアップして登場したもの。
「浪人奉行」シリーズは題名のユニークさがそのまま売り物となっている。主人公・八雲兼四郎は凄腕の剣の遣い手であったが、ある事情から剣を封印し、麹町の裏小路で「いろは屋」という飲み屋を営んでいる。ところが思わぬ巡り合わせから、奉行所の手の届かない悪党相手に再び剣を取る。浪人奉行のいわれだ。設定に妙味があって面白いシリーズとなっている。
 躊躇なく神楽坂淳「うちの旦那が甘ちゃんで」シリーズを選んだ。着想の面白さと設定の巧さ、達者な語り口と三拍子そろったところが凄い。捕物帳、夫婦もの、料理に江戸文化と中身も濃い。これらの題材を軽妙なタッチで 仕上げてきたところが味噌である。シリーズもののマーケットで一番欠落している世界である。現在、第六巻まで刊行されているのを見ても人気の高さをうかがえる。「金四郎の妻ですが」シリーズ (祥伝社文庫)もいい出来となっている。漫画の原作を手掛けてきた底力が上手く回っているようだ。

・功労賞

 功労賞は時代小説業界に多大な貢献をしてきたことと、話題を提供した作家を対象としている。浅田次郎は、『蒼穹の昴』、『壬生義士伝』、『輪違屋糸里』、『憑神』、『黒書院の六兵衛』など、新作を刊行するたびに高い評価と人気を得てきた作家である。特に本年度は、『大名倒産』と大ベストセラーとなった『流人道中記』で、業界の話題を独り占めした感がある。文句なしの受賞と言えます。


・慰労賞 

 当協会の会員で強力な応援をしてくれていた誉田龍一氏が、今年三月九日に心不全のため逝去された。享年五十七歳。
 誉田氏は二〇〇六年『消えずの行灯』で小説推理新人賞を受賞。それ以降、シリーズものの優れた書き手として、多くの人気シリーズを世に送り出してきた。特に、『泣き虫先生、江戸にあらわる 手習い所純情控帳』(双葉文庫)をはじめとする「手習い所純情控帳」シリーズはシリーズ史に残る名品である。「よろず屋お市 深川事件帖」シリーズ2作(ハヤカワ時代ミステリー文庫)は得意のフィールドで伸び伸びと書かれているのが印象的であった。
 文庫書き下ろしシリーズに対する多大な貢献に対し、今回のみの「慰労賞」を設け、餞としたい。
 謹んでお悔やみを申し上げるとともに、お疲れ様でした。ありがとうございます!

 合掌

   非公開選考である功労賞・慰労賞については代表して菊池仁が選評執筆しております

 

雨宮由希夫(選考委員)

 賞の回数が旧に復して「第9回」となり、「歴史時代作家クラブ」の伝統を引き継げることになった最初の選評会はZoom会議にて行われたが、こうして、受賞作を世に出すことができたことは何より嬉しい。

・文庫書き下ろし新人賞

 馳月基矢さんの『姉上は麗しの名医』は、医者が自ら調合した薬で毒死するという奇妙な事件に関わり合うことになる女医者の真澄が主人公。その弟の清太郎、幼馴染みの八丁堀同心・彦馬。3人による「捕物帳」。母の病を治すことに必死な肥前国の小藩の世子の焦りが真澄をかどわかす。清国から流入した阿片を使っての新薬開発が事件の背後に。タイトルの意味からして、圧倒的に面白い。既にシリーズを予定しているかのような筆致。博覧強記は半端ではない。長崎県五島列島の出身で京大文学部卒。とてつもなくスケールの大きな新人作家の登場である。ご受賞おめでとうございます。

・新人賞

 受賞作となった坂上泉さんの『へぼ侍』は、西南戦争に参戦した4人の旧幕臣の物語。西南戦争そのものより、幕府崩壊に始まるその後の歳月をいかに生きたかを、戊辰戦争で父を亡くし大坂の商屋に丁稚奉公した若き主人公志方錬一郎を中心として描く。旧幕臣の怨みといったよくある視点ではなく、人の生き方のあやが絡み合うその手腕が素晴らしい。妻鈴との馴れ初め、西郷隆盛と邂逅する「夢」のシーン、犬養毅の人物造形もいい。感動的な作品。とても新人とは思えない力量に圧倒された。おそるべき新人の登場である。
 杉山大二郎さんの『嵐を呼ぶ男!』は信長の全生涯を描くのではなく、若き日の信長を描いている。歴史小説の激戦区になっている桶狭間の戦いも、本能寺の変もなし。しかしながら、語りつくされた感のある史材で、誰もが描かなかった「信長」を描いている。本作は作家にとって初めての歴史小説であり、しかも新人らしいバイタリティ溢れる作品である。他の選考委員から、この作品を積極的に推す声が乏しかったのは残念なことであった。本能寺の変で斃れるまでの『嵐を呼ぶ男!』の続編で、「作品賞」を目指してほしい。
 幕末維新ものの歴史小説といえば薩長土肥などの藩を舞台とするのが常だが、加納則章さんの『明治零年 サムライたちの天命』は百万石の雄藩であった加賀藩を主役としているところがまず珍しい。「三州割拠」の噂、「加賀、越中能登の三州にて前田家が朝廷方、旧幕方に与せず、独立国の宣言をする」との噂を耳にした西郷がその真相をただすべく、行動を開始する物語のスタートはなにやらサスペンス推理小説の趣がある。最後の加賀藩主の苦悩と矜持も丁寧に描写されている。「西郷と大久保」の造形の他、木戸、山県など明治の元勲たちの戊辰戦争時の群像劇としても刺激的で、以後の西南戦争までの明治の風景すら浮かび上がってくる。精密に練られた構図の中に見事に描き切った「明治零年」であるが、他の委員からは、詰め込みすぎとの指摘もあった。

 佐藤雫さんの『言の葉は、残りて』は12歳で13歳の源実朝と結婚した坊門信清の娘の信子を主人公とし、「言の葉の力は、武の力より無限」と確信したとする実朝の生涯を和歌と共に丹精込めて描いた。実朝が28歳で暗殺されるまでの15年、畠山氏や和田氏の粛清を通じて北条氏が執権として権力を握っていく裏切りと内乱の過程が実朝の正室の眼から無理なく描き出している。政子の妹阿波局のキャラクターも秀逸で新人らしからぬしたたかさが読みとれるが、やや、ファンタスティックすぎるシーンも多いところが難点で、歴史小説として観る際、気になった。
 夏山かおるさんの『新・紫式部日記』は藤原為時の娘藤式部が主人公である。権謀術数を駆使して貴族社会の頂点に登りつめた藤原道長はそれ故に心の闇を抱えた人だった。道長光源氏の栄華に自らを重ね、『源氏物語』は「自分」のことを書く物語とし、物語を書く藤式部が欲しかったとするのはいいとして、藤式部と道長は二人の間に生まれた子を一条天皇が彰子に産ませた子と入れ替える「天に背く大罪」を犯したとする造形ははたして読者を納得させ引き込むだけの物語性があるかとの疑問を拭えなかった。不完全燃焼を感じざるを得なかった。歴史時代小説としては、『言の葉は、残りて』同様、重量感が足りない。

 候補作5作品、いずれもそれぞれに持ち味と読み応えがあり、非常にレベルが高い。選考会は『へぼ侍』を受賞作とすることで比較的早い時間に決まった感があるが、2作品を受賞させてはいかがかと審議された。私個人の評価では、『へぼ侍』と『嵐を呼ぶ男』は甲乙つけがたかった。

・作品賞

 昨年同様、今年もレベルの高い作品が揃っており、しぼるのに苦労した。すべて素晴らしい作品で、どなたが受賞しても相応しいというか、候補作家全員に賞を差し上げたいと心底思った。
 受賞作となった木下昌輝さんの『まむし三代記』は斎藤道三を核とした斎藤家四代を描いている。斎藤道三は権謀術数の限りを尽くして一代で美濃国主に成り上がったとされるが、「ふたり道三」の最新説を踏まえ、小説に落とし込んでいる。多方面からの切り口が鮮やかで人間性を備えた道三像を浮かび上がらせ、道三の深層にまで立ち入ろうとしている。道三像をめぐって木下昌輝の思考の軌跡をまとめたものが本書である。本作は小説としての凄まじい破壊力を持った誠に端倪すべき作品であり、歴史時代小説界の麒麟児たる鬼才の面目躍如の作品である。受賞にふさわしい。おめでとうございます、木下さん。
 赤神諒さんの『空貝』は、瀬戸内の大山祗神社に伝わる姫・大祝(おおほうり)鶴姫が主人公。複雑な村上水軍の歴史を、滅びゆく大祝家側から描いた佳品である。時代は天文年間、瀬戸内の水軍と大内氏の抗争。姫を巡ってのお家騒動。男女の恋とロマンスと、史実からは少々飛躍する設定も含まれ、海洋冒険小説の一面もあるが、読んでいて一番楽しい作品であった。鶴姫の凛とした強さと美しさが魅力的だが、最終章で村上水軍村上武吉が「主人公」として登場しないと話が完結しないところが難点か。昨年の『酔象の流儀 朝倉盛衰記』に引き続き、今回は受賞を逃したが、間違いなく力量のある書き手である。
 平谷美樹さんの『大一揆』は嘉永6年(1853)の三閉伊(さんへい)一揆(いっき)で指導者のひとりとして活躍した三浦(み うら)命助(めいすけ)(1820~1864)を主人公とした、幕末の南部藩を舞台とした作品。嘉永6年(1853)といえば、まさしくペリー来航の年。かつて大佛(おさらぎ)次郎(じろう)は『天皇の世紀』第1巻「黒船渡来」の章に、「ペリー提督の黒船に人の注意が奪われている時期に、東北の一隅で、もしかすると黒船以上に大きな事件が起こっていた」と記している。幕藩体制の崩壊は外圧ばかりでなく、土地に根差した民百姓の地底から湧き上がる力によったことを、『大一揆』を紐解くことで味わうべく、一気読みした。大きな熱量に満ち満ちた作品である。悲劇的な死を遂げることになる命助は「地方」岩手では著名でも、歴史の表舞台に登場してこない、一般には馴染みの薄い人物といえる点が受賞から距離を置いたともいえる。昨年度の鳴神響一さんの『斗星、北天にあり』同様、「中央」(受賞)に押し上げられなかったことは選考委員として残念である

 村木嵐さんの『天下取』は武田信玄の娘で、北条氏政の妻となった春姫、織田信忠と仮祝言した松姫など武田家ゆかりの女人を主人公として描く女の戦国史である。女性の他、戦国を生きた戦国武将ひとりひとりの人物造形もじつに確かなもので、歴史の中から滲みだすものを引き出す作風にはいつもながら魅了されるが、全6編の短編集であるという点がマイナスとなった。読了した時に、何とも言えない不完全燃焼さが残った。惜しむらくは短編の枠組みを超えて、一つの物語として束ねられていない。女性を三国同盟の3人に絞るなどの構成に工夫が必要だったのでは。

「もう一作を、受賞作としよう」と臨んだ最終選考でも意見が割れた。作家の力量、可能性をみるに、作家たちは甲乙つけがたい。微差であった。同時受賞作として私は『大一揆』を推したが、説得がかなわず、返す返すも残念無念なことであった。

 

加藤 淳(選考委員)

  2012年に始まった歴史時代作家クラブ賞から数えて、今年は9回目。当会の名称を日本歴史時代作家協会と変えて昨年は新生第1回(通算第8回)としたが、今年から通算の回数を名乗ります。

・新人賞

 新人賞候補4作のうち、文句なしの面白さ、いわゆるページターナー(page turner)は坂上泉『へぼ侍』だった。読み出したらとまらない、というのは久しぶりの経験です。筆致が軽い。軽いけれど深い。大坂町奉行の与力の家に生まれた主人公は、明治維新後、商人として丁稚奉公をする。武士にして商人という二つの顔を持つ主人公が、明治10年西南戦争に出征、旧弊の武士とは違う商人的な知恵と論理で武士以上の働きをするカタルシス満載の小説である。
 同じように、新時代の狭間で武士とは何かを問う作品に、加納則章『明治零年』があった。この作品は、評論を無理やり小説の形にしたようなきらいがある。それだけに小説としての完成度は低いが、情熱は深かった。来たる明治新社会では、四民平等、文明開化を目指すには武士という身分が邪魔になる。それゆえ、戊辰戦争をなんとしても拡大化させて、官軍・賊軍を戦わせて武士の人口を減らす、というとんでもない企みがあった、という発想にはひどく共感した。荒削りではあっても新人賞にふさわしい実に大胆な発想だったのだが、作中のメインである「偽勅」問題、「独立割拠」が空回りした感がある。
 杉山大二郎『嵐を呼ぶ男!』は筆力、体力十分、これまでの信長と違う信長像を描こうというエネルギーに満ちていた。「大うつけ」といわれた信長を、同時代人には理解できない一段高い理想に燃えていたからという解釈には共感するが、作中に描かれる信長の理想に深みを感じることができなかった。

 佐藤雫『言の葉は、残りて』、夏山かほる『新・紫式部』が新人賞候補作にのぼったことはとても嬉しい。佐藤は小説すばる新人賞、夏山は日経小説大賞を受賞した作品である。前者は実朝とその妻、後者は紫式部と当時の為政者・平清盛という、政治的であり文学的な意欲作として高く評価したいが、ドラマ性に欠けていた。

・文庫書下ろし新人賞

 文庫書き下ろし新人賞の候補作は、今年は2作のみだった。2作だから受賞の確率は5割と安易そうだが、どうして、とても難しいのです。正直言って、私はどちらが受賞してもいいと思っていた。それだけ伯仲していたのです。馳月基矢『姉上は麗しの名医』を読んでびっくりした。装丁やタイトルの軽さを裏切るほどに人物設定がしっかりしている。江戸期の医学的描写もストーリー展開にも正直言って舌を巻いた。一方の稲田和浩『女の厄払い』の筆致は、これまでの小説のルールにとらわれない口語的な自由さを求めているように思えた。内容は古典的な人情もので、思わず涙ぐんでしまった。さてどうしたものか、と大いに悩まされた。

・作品賞

 作品賞は毎年最も選考に悩むところである。といいながら、今年は木下昌輝『まむし三代記』に満票で決定。木下氏は当会の新人賞を受賞している。まさに鬼才というべき作家で、私は密かに“時の魔術師”だと思っている。作品によって時の流れを逆流させたり、時系列を自在に操るのである。今回も各章に「蛇は自らを喰み、円環となる」という節を挟んで、最終章でまさにウロボロスのように第1章の冒頭に円環するという、子から孫へという三代記、いや四代記をリリカルに描いている。赤神諒『空貝』も才人ぶりを見せてくれた。戦国時代を舞台に情熱的な純愛物語に挑戦した著者の発想力、大胆さに脱帽する。
 平谷美樹『大一揆』は、百姓一揆という重苦しいテーマなのに息つく暇もなく読み切った。百姓の知恵と行動力が、旧態依然とした武士を打ち負かすところにカタルシスがある。藤沢周平『義民が駆ける』もそうだが、幕末に封建制が音もなく崩れゆくさまを描いて、『義民が駆ける』以上に面白く読んだ。村木嵐『天下取』も実に個性的な作品だった。殿方が起こした戦国乱世を、政治的な閨閥に利用される女性たちの視点で描いている。しかもすごいことに、敵同士でいつ破綻するかわからないのに、夫と妻は深い愛情でつながれている。このような作品が出てくるようになった歴史時代小説の幅広さに期待する。村木氏をはじめ佐藤雫氏、夏山かほる氏がどのような作品を世に出してくれるか、楽しみである。

 最後に、私の個人的なpage turner賞は、1位『へぼ侍』、2位『大一揆』であった。

 

書評『父のおともで文楽へ』

書 名   『父のおともで文楽へ』
著 者   伊多波碧
発行所   小学館
発行年月日 2020年9月13日
定 価    ¥700E

 

父のおともで文楽へ (小学館文庫)

父のおともで文楽へ (小学館文庫)

 

 

 短編連作5話をまとめた文庫書下ろしである。本の帯に「心にポツンと、灯火がつきました。共感度100%の家族小説」とある通りの内容、まさしくと首肯。
 主人公はシングルマザーで契約社員の37歳の女性・清川(きよかわ)佐和子(さわこ)である。73歳の一人暮らしの父と、文楽を通じて心通わせ、今日という日を生きていく! 最終話「猿回し」のシーンには涙腺が刺激されるのを禁じ得なかった。微笑ましくも麗しい父娘(おやこ)のあり様に拍手喝采。小説そのものが人生の“応援歌”である。
第1話 治兵衛――。〈文楽を知る前、父は遠い存在だった。盆暮れと法事で顔を合わせるくらいで、あとは無沙汰を決め込んでいた。……説教なんて聞きたくなかった。この先どう生きていけばよいのか。困りつつ、毎日を生きてきた。〉

 佐和子は父の敬一郎(けいいちろう)と同居していない。春のある日、佐和子は亡き母の三回忌の法要で実家へ。父の敬一郎(けいいちろう)は定年まで中学校で国語の教師をしていた。同じく教師の母明子(あきこ)は仕事と家庭を両立させたいわゆるキャリアウーマンだったが、定年後、病に取り憑かれた途端、あっという間に行ってしまった。享年65。
 両親が教員の佐和子は何不自由ない娘時代を過ごした。有名私大を卒業後、清涼飲料水の大手メーカーに就職。一般職として五年勤め、26歳のとき、義彦(よしひこ)と結婚し、出産を機に辞めた。ここまでは順風満帆だったが、まもなく離婚、浮気された挙げ句に捨てられた。不動産会社で事務の契約社員の自分を佐和子は惨めに思っている。

 佐和子には、母が生きていたら相談したい心配事があった。佐和子には梨々(りり)花(か)という現在小学四年生の娘が一人いる。娘の進路のことだが、日本とニューヨーク州の弁護士資格を持つ元夫の義彦は梨々花を米国に留学させたいという。
 法要を終えて父が「土日は休みだろう、ちょっと付き合ってくれるか」という。この父の誘いから、話が予想外の方向に転がっていく。父娘の確執もあるのだが、ここから、ひとつの家族のありふれた、しかし、当事者には深刻な状況が見えてくる。
 父が差し出したのは国立劇場での文楽のチケット。「文楽ねえ。面白いのだろうか。先入観かも知れないが、いかにも年寄りの娯楽という気がする」。
 演目は『心中(しんじゅう)天網(てんのあみ)島(じま)』。天満(てんま)で紙屋を営む男・治(じ)兵衛(へえ)が曽根崎(そねざき)新地(しんち)の遊女の小春(こはる)と恋仲になり、妻のおさんと二人の子を捨てて心中する。よりによって、そんな話――。わざわざ国立劇場まで来て、夫に泣かされる女を見せられるのかと鼻白む思いの佐和子。治兵衛の狡さに義彦を重ねる。夫に裏切られた傷はまだ癒えていない。
 初めての文楽は終わった。その後のお茶とケーキで感想を言い合うのも思いの他楽しい。文楽のこととなると父はこんなに饒舌になるのかと父の新たな一面を発見する。
「次は5月だ」「また付き合え」。これが最後だったらどうしよう。いつの頃からか、佐和子は別れ際になるとそう考えるようになっていた。

 第2話 清姫――。有名な演目「日(ひ)高川(だかがわ)入相(いりあい)花王(ざくら)」。嫉妬に狂い蛇になった女清姫伝説をもとにした物語。歌舞伎の「娘道成寺」である。心中の次は蛇女か、今日も観る前から怯んでいた。佐和子は清姫にかつての自分を見ていた。文楽が面白いかどうか、まだわからないが、いずれ面白いと思える日が来るだろうと佐和子は思う。
「敬一郎は佐和子が清姫に名を借りて、自分の話をしているのに気づいた敬一郎は、「焦らず、腐らず、ともかく生きることだ」とさりげなく諭す。

 第3話 八(や)汐(しお)と政岡(まさおか)――。9月の国立劇場に、敬一郎はいなかった。父の代わりに梨々花の家庭教師の野坂が現れ、再婚を考える佐和子の心が揺らぐ。
9月の演目は時代物の「伽羅(めいぼく)先代(せんだい)萩(はぎ)」。八汐と政岡の女二人が主役。八汐は怖すぎるが、政岡の生き方に自らを重ねる。人形のお芝居を観て、自分の行く末を真面目に考えている佐和子がいる。それが不思議だと佐和子自身は感じる。

 第4話 おみつ――。9月、持病の糖尿病が悪化して父が入院したと知らされる。
10月の演目は『新版歌(しんぱんうた)祭文(ざいもん)』。おみつとお染(そめ)の娘二人が一人の男久松(ひさまつ)をめぐって、丁々発止を繰り広げる。「佐和子にはぴったりだな」と公演には行けない敬一郎。一人で行ってみようかな。見てきた感想を聞かせたら、父が喜ぶかもしれないと佐和子。
 あんな年端もいかない田舎娘が未練を断ち切ったのだ。自分にもできる。佐和子は今日の演目を見て、梨々花を手放そう、娘をニューヨークに行かせようと決める。親のエゴで娘の可能性を潰すような母親にはなりたくないと。

 ラストの第5話 猿回し――。11月の半ば、敬一郎は藤沢市の老人ホームにいる。春先から、敬一郎は老人ホームへ入所するつもりだったのだ。一時は同居を考えていた佐和子は父が娘の自分に何も言わず老人ホームに入ったことに衝撃を受けている。
 2月の半ば、一方的に勝手に連絡を絶っていた父から連絡があり、再会。車椅子に座った敬一郎を見て、佐和子は父がなぜ黙って老人ホームに移ったかを理解する。父は娘に余計な負担を賭けさせたくなかったのだ。
「お前も文楽が好きになったか」。文楽は可哀そうな話ばかりで嫌になる。いったいどこに惹かれるのだろうかと思う佐和子だが、「おかげさまで、自分でも不思議だけど」。「また、お前と文楽に行けるといいな」と敬一郎。

 人生の引き際を見つめた敬一郎の最後の説教が寂しくもあり味もある。「努力なんてめったに報われないんだ。佐和子だってもう知っているだろう。人生なんてそんなもんだ。報われたら御の字とでも思っておきなさい」。「文楽か。あそこに行くと、ただの観客になれる。ただの自分。何も考えず、泣いたり笑ったりしていればいい」。
 日頃は身の程を意識して口をつぐみがちな佐和子にとって、文楽は社会の座標から離れて、物語に没頭できる場所となった。もしかすると、敬一郎は佐和子が思い悩んでいることを察して、少しは気を休めなさいと、文楽に誘ってくれたのかもしれないと佐和子は父に感謝し、一方、敬一郎は娘の身を案じつつ、少しずつ自分の居場所を切り開いていく娘の成長を喜んでいる。
 5月、梨々花を連れて国立劇場へ。杖を手放せない敬一郎は藤沢の老人ホームから介護タクシーを使って、やってきた。あと何回、こうして文楽を観に来られるか。
今日の演目は『近頃(ちかごろ)河原(かわら)の達引(たてひき)』でその中の「堀川(ほりかわ)猿(さる)回(まわ)しの段」を観る。これまた心中の話だが、小さな体で道化を演じる猿が愛おしいまでに可愛い。梨々花がニューヨークへ旅立つ日も近い。いつか、たぶん、そう遠くないうちに敬一郎もいなくなる。一瞬でも別れの辛さが和らぐかのように猿は踊っている。文楽初体験のだが身を乗り出して見入る梨々花。眩しそうに目を細めて見入る敬一郎。「そのうちきっと、この日のことを思い出すときが来る。涙と共に。このままずっと見ていたい。いつまでも終わってほしくない」。「父さん――」佐和子は胸のうちで呼びかける。「文楽を見ているうちに、過去を振り返って悔やむより前を見て歩いていくことの大切さを知った。だから、大丈夫、わたしはやっていける」。このラストシーンには泣けた。

 父娘、母子、夫婦や親子など、家族のあり様を取り上げ、文楽理解を通じて、温かなストーリーと永訣という冷厳なストーリーを同居させている。そこに伊多波碧という作家の凄味を見る。誰一人として、同じ顔の人はいない。それぞれに別の過去があり、違う家族を抱え、かけがえのない今を生きている。その不思議を思いながら、作家は筆を走らせている。多くの読者は、作中の物語に、己が家族を重ね併せて読むことになろう。敬一郎より二歳年下の私は妻に先立たれたなら、敬一郎のような決断ができるだろうかと思いつつ、頁を括っていた。           

            (令和2年9月30日 雨宮由希夫 記)

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十五回 羽運ぶ蟻(あり)

 永禄九年(1566年)。覚慶は還俗して足利義昭滝藤賢一)を名乗り、朝倉義景ユースケ・サンタマリア)を頼りに越前へ向かいました。しかし一行は、一乗谷からほど遠い、敦賀に留め置かれ、三月、半年と、時だけが過ぎていきました。

 落ち着かないでいる細川藤孝眞島秀和)を、三淵藤英(谷原章介)が叱ります。三好勢力が四国の義栄を将軍に仕立てようと、着実に事を進めていたのでした。その時、義昭は地面に這いつくばり、蟻を見ていました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)の家に、細川がたずねてきます。朝倉は何を考えているのか、と光秀にこぼします。実は光秀は義昭のことを「あのお方はいかがとは存じます」と、朝倉義景に報告していたのです。

 永禄十年、織田信長染谷将太)はついに美濃を平定しました。

 信長の支配下となったため、美濃に明智の者たちは帰ることができます。明智家の家臣であった藤田伝吾(徳重聡)から文(ふみ)が届きます。そこには明智の里が変わりなく、半分焼けてしまった明智の館も、伝吾たちが建て直しをしたと書かれていました。

 光秀の母の牧(石川さゆり)は美濃に帰りたいと望みます。しかし貧しいながらも、光秀の娘たちには越前がふるさとです。光秀は母の牧を美濃に送り届けることにするのです。

 十一年ぶりに、牧たちは明智荘に戻ってきました。村人たちが歓迎の宴を開いてくれます。牧も皆と一緒に踊ります。

 夜になり、光秀と牧は二人で話します。

「十兵衛。まことにありがとう」牧は光秀に頭を下げます。「こうして美濃に戻ってこられて、もう何も思い残すことなどありません」

 光秀は思わず立ち上がります。

「おやめ下さい。そのような」光秀は夜の闇を見つめます。「私はいまだ、この身が定まらず、これからどうなるのか。この先もずっと、母上には見守っていただかないと」

 牧は首を振るのです。

「わたくしがいなくとも、十兵衛なら大丈夫。そなたは明智家の当主。その身には土岐源氏の血が流れております。誇りを持って、思うがままに生きなさい。その先にきっと、やるべきことが見えてくるはず。わたくしも、誇りに思いますよ。そなたの母であることを」

 翌日、光秀は稲葉山城にいる織田信長をたずねます。信長は光秀にいいます。

「そなた、わしにつかえる気はないか」

光秀は眉根に皺を寄せます。

「申し訳ございませぬ」

「わしでは不足か」

「いえ、決してそのような」

 信長は笑い出します。

「いったい何を考えているのだ」

 光秀は答えます。

「わたくしは、亡き義輝(向井理)様におつかえしとうございました。このお方こそ、武家の統領として、すべての武士を束ね、世を平らかにされるお方であろうと確信いたしました。しかしあのような不幸な形で、義輝様はみまかられ、この先、自分でもどうして良いのか分からないのです」

 信長はいいます。

「分からぬか。わしも分からぬ。今川を倒したとき、そなた、わしに聞いたな。美濃を平定したあとはどうするのかと。わしは答えられなかった。何をすれば良いのか。分からなかったからだ。今も分からぬ」信長は表情を変えます。「だが一つ、分かったこともある。わしは、いくさが嫌いではない。今川義元を討ち果たしたとき、皆がほめてくれた。喜んでくれた。いくさに勝つのはいいものだ。わしは、皆が喜ぶ顔を見るのがこの上なく好きなのだ。皆を喜ばすためのいくさならば、いとわぬ。ただ、この先、どこへ向かっていくさをしていけばいいのか、それが分からぬ」信長は地図を取り出します。「まわりは敵だらけ。美濃をとったはいいが、これからは守らねばならぬ。またいくさだ。きりがない」

 光秀はいうのです。

「はい、それではいつまでたってもいくさは終わりません」

「どうすれば良い」

 光秀は信長に近づきます。

「上洛されてはいかがでしょう。義輝様が討たれ、幕府は今、無いも同然。新たな将軍に力を貸し、幕府を再興するのです。さすれば畿内をおさえることができましょう」光秀は続けます。「尾張や美濃周辺のことのみにこだわっていても、小競り合いは終わりませぬ。無駄ないくさを終わらせるためには、幕府を再興し、将軍を軸とした、平らかな世を、畿内を中心に再び築くのです。武士が誇りを持てるよう、それがなれば、皆、おおいに喜びましょう」光秀はいいます。「大きな国です。かつて道三様にいわれました。誰も手出しのできぬ、大きな国をつくれと」

 信長は微笑みます。

「蝮(まむし)が」

 その頃、京では、望月東庵(堺正章)の家で、多数の者たちが丸薬作りに励んでいました。しかし駒(門脇麦)がいません。お寺から薬を分けてもらった者が、その薬を売りさばいているというのです。駒は怒って抗議に出かけたのです。

 駒は丸薬を売りさばいたという少年を呼び出して、叱りつけようとします。

「稼いで何が悪いんだ」

 と、少年はいいます。それで妹や弟たちが飯を食える。

 駒は帰ってこのことを望月東庵に話します。

「私が間違っているのか、よく分からなくなってしまいました」

 東庵はいいます。

「誰も間違っとらんよ。お前も、その子も。又売りしたとて構わぬではないか。それは駒とは関わりのないことじゃ。薬を買う者にはお金を払うだけのゆとりがあるのだ。薬を売る方はそのお金で助かる。貧しい一家が飯を食えるのだ。お前の知らぬところで、薬は一人歩きして、人を助けているわけだ。ああ、いい薬じゃないか」

 越前に光秀は帰ってきました。家に細川藤孝がたずねて来ています。藤孝は客人を連れてきていました。娘たちと遊ぶ楽しそうな声が障子越しに聞こえてきます。客人は足利義昭でした。以前光秀が会ったとき、義昭は裸足で逃げだそうとしていたのです。義昭は改めて光秀と話がしたいと、敦賀からやってきたのでした。義昭は蟻を見つけた話をし始めます。

「自分の体よりはるかに大きな蝶の羽を、一生懸命運んでいた。しかし、小石や草が邪魔をして思い通りに進まん。すると見かねたのであろう、仲間の蟻が寄ってきて、手を貸そうとした。ところがこの蟻は頑固な奴で、助けはいらぬとばかりに仲間を振り払って、おのれだけで運ぼうとする。意地になっておるのじゃ。一匹では無理だというのに」

「それで、どうなりましたか」

 光秀が聞きます。

「蟻は、私だ。将軍という大きな羽は、一人では運べん。しかし助けがあれば」」

「お心は決まりましたか」

「正直、まだ迷いはある。ついこの間まで坊主だったのじゃ。毎日、経ばかり読んでいた男に、武家の統領などつとまるとは思えん。されど、私がもし将軍になれば、今までできなかったことができるかも知れぬとも思う」

「できなかったこと」

「人を救える。貧しい人々を。私一人の力では、救える数は限られている。しかし、私が将軍になれば、今まで手の届かなかった人々を救えるかもしれん。そう考えると将軍になるのも悪くはない」

 光秀は朝倉義景に会いに行きました。義景は光秀が義昭に会ったことを知っていました。何の話をした、と問う義景。

「蟻の話をしました」

 と、光秀は答えます。

「将軍の器ではないか」

 という義景に、光秀は即座に反応します。

「いえ、さようなこともないかと」光秀は話します。「お目にかかってお話をうかがい、いささか思いが変わりました。義昭様はご聡明で、弱き者の心が分かるお方でございます。例えば、強い大名方がお支えすれば、立派な将軍になるやも知れません」

 義景は松永久秀から文を受け取っていました。信長と共に義昭様をかついで上洛すればよいではないか、との内容でした。

「信長と一緒というのが気に入らんが」義景は立ち上がります。「いたしかたなしか」

「上洛されるのですか」

「わしも考えが変わった。義昭様は、美しい神輿であらせられる」義景は言い放ちます。「神輿は軽い方が良い」                

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