日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十七回 宗久の約束

 永禄十一年(1568年)。七月。足利義昭(よしあき)(滝藤賢一)の一行は、美濃の立政寺に到着しました。その中には明智光秀十兵衛(長谷川博己)の姿もあります。織田信長染谷将太)は、ひれ伏して義昭の到着を待っていました。足利義昭は、信長の前に回り、立ったまま話しかけます。

「わざわざの出迎え、大儀であった」

 信長は伏したまま述べます。

「本日ただ今より、公方様に末永うお仕えする覚悟で、お待ちしておりました」

 信長は義昭に贈り物を用意していました。屏風を動かすと、金の粒や鎧などが置かれています。義昭は思わずいうのです。

「これだけあれば、一万の貧しき民が一月(ひとつき)は過ごせよう」

 岐阜城にて、信長は光秀と話します。

「あの銭は、貧しい者に施すための銭ではない。いくさは何かと金がかかるゆえ、その備えとして差し上げたのじゃ。まるで分かっておられぬ。刀を抜いてご覧になったときのお顔を見たか。鼠が蛇ににらまれたように、仰天したような目であったぞ。そなたから聞いていたゆえ、さほどに驚きはせぬが、あれが武家の統領ではな」

 光秀はいいます。

「わずか六歳で興福寺一条院にお入りあそばされ、爾来二十三年、二十九歳になるまで、僧侶としてお暮らしになられたのです。武士として育てられたことは一度もございません。突如、刀を持たされ、いくさへ行けと申されても、体が動かず、心も動きますまい。よくぞいくさの修羅場をむかえるお覚悟をなされたと、私は感じ入ってございます。しかしそうは申しても、あのお方を生かすも殺すも、信長様しだいでございます。この先、どうなされますか」

「何も変わりはない」信長は立ち上がります。「そなたと話した通りにやる。都へ出、幕府を立て直す。将軍のもと、諸国をまとめ、大きな世をつくる。大きな世だ。それで良かろう」

 光秀は頭を下げるのでした。信長は座に戻って光秀を振り返ります。

「そなたには頼みたいことがある。京へ上り、三好一族の兵数を調べてもらいたい。あと一つ、朝廷が、三好達をどう見ているか。三好たちと手を切って、我らに乗り換えるつもりが誠にあるのかどうかを探ってもらいたい。できるか」

 難しい顔をしていた光秀でしたが、

「やってみましょう」

 と、答えるのでした。京にはすでに木下藤吉郎佐々木蔵之介)をもぐりこませてある、と信長はいいます。

 京では、木下藤吉郎が魚屋に化けていました。山伏に変装した光秀が声を掛けます。木下は山の庵(いおり)に光秀を案内します。庵の中で木下は小声でいいます。

「もはや京では、織田様が足利義昭様を擁(よう)して、攻め上ってくるとの噂が広まっております」木下は光秀に近づきます。「もっとも、その噂を広めたのは、それがしですが」

 木下は大声で笑うのです。そのほかにも木下は、織田は十万の兵でくるなどと言いふらすように命じられていました。木下は打ち明け話をします。自分は子供の頃、家が貧しくて親に市場で針を売って来いといわれた。みんな売り尽くしたなら、麦飯を腹一杯食わせてやると。しかし一度も食わしてもらったことはなかった。それに比べると、信長は必ず約束を守ってくれる。

 光秀は望月東庵(堺正章)の家を訪ねます。そこで駒(門脇麦)と再会するのです。光秀は東庵にいいます。

「私は駒殿に聞きたいことがあって参ったのです」

 やがて光秀と駒は二人きりになります。

「私に何をお聞きになりたいのですか」

 と問う駒。

足利義昭様の上洛を朝廷がどう受け止めるか知りたい。(伊呂波)太夫は関白殿下の近衛様とは親しいはず。太夫に会って、話を聞いてみたい」

「十兵衛様は、織田様と足利様の上洛を」

「そのために来た」

「京で三好様といくさをなさるのですか」

 光秀は駒から離れて、壁際を歩きます。

「いくさは避けたいが」

 といいかける光秀に駒はいいます。

「でも、いくさになる。この京がまた火に包まれる。多くの人が家を焼かれ、巻き添えになる」駒は光秀を振り返ります。「そうですね」

「やむを得んのだ。この乱世を治めるには。いくさのない世にするには。幕府を立て直さねばならん」

 駒は声を荒げます。

「皆、そう申していくさをしてきたのです。もし十兵衛様が昔と変わらぬ十兵衛様なら、足利様に申し上げてください。上洛をなさるのなら、刀を抜かずにおいで下さいと。織田様に申して下さい。私たちの家に、火をつけないで下さいと」

 駒は光秀を伊呂波太夫尾野真千子)のところへ案内するのでした。

 茶屋で伊呂波太夫と光秀は話し和します。

「三好様が勝つか、織田様が勝つか、朝廷は息を潜めて見ています。織田様が勝てば、すぐ義昭様を将軍に任ずる。それは間違いありません」大夫はため息をつきます。「ただ、三好様はお強いですよ。あまたの鉄砲を持ち、いざとなれば兵も京のまわりから、手当たりしだい集めてくる。お金があるから、何でもできる」

 光秀は聞きます。

「それほど金があるのか」

「堺の会合(えごう)衆がついていますからね。お金はいくらでも都合してくれる」

 そこへ今まで距離を置いて座っていた駒が話しかけてきます。

「薬のことで、二条のお寺へ行ったとき、私が作った丸薬に興味があると声を掛けて来られた方がおりました。今井宗久と名乗られました」

 宗久は堺にいる、大物の商人です。駒は太夫にたずねます。

会合衆が三好様から離れると、三好様はいくさをするのが難しくなるのですね」

「いくさはお金で動くものだからね」

 と、大夫は答えます。駒は光秀に宗久と会うように勧めるのでした。

 茶を点てる宗久の前に、駒は座っています。宗久から茶を受け取ると、駒は一気に飲み干します。

「うまいか」

 とたずねる宗久。

「喉、乾いていたようで」

 駒のその答えに、宗久は笑い出します。

「それほどの大事を持ち込んだのだ。喉も渇くであろうな」

 駒は座り直します。

「私が申したのは、もう京でいくさは見たくないから、ですから」

 駒は宗久が自分の薬を売っても構わないと決めてきていました。駒ははっきりといいます。

「そのかわり、いくさの手助けはやめていただきたいのです」

 宗久はいいます。

「三好様と手を切ったとて、織田信長様が三好以上に堺を守り、我らの商いを支えて下さるかどう分からんのです。分からぬことに踏み込む訳には参らぬ」

 隣の間に光秀はいました。宗久はふすまを引き開けます。茶の用意をしながら宗久は光秀に語ります。

「堺の商人(あきんど)は、私もそうだが、異国との商いで生きております。それが守られるなら、三好様、織田様、どちらがお勝ちになっても良いと思うております。実は私は、こたびは、織田様が有利とみております。織田様は、次の将軍足利義昭という大きな旗印をお持ちになり、三好様が担がれた旗印は、摂津で倒れてしまわれた。それゆえ、まとまりに欠ける。商人は、融通した金が戻らぬ者に、金は出しません。鉄砲は売りません。私は三好様から離れても良いと思うておるのです」宗久は光秀を振り返ります。「ただ、織田様にはお約束願いたい。私が好きなこの京の街に、火は掛けぬ。そして堺は守る。その証(あかし)に、上洛の折に、鎧兜を召されたままおいでにならぬこと。それをお飲みいただけるのであれば、手を打ちましょう」

 宗久は駒に、光秀に茶を運ぶように合図します。そしていうのです。

「それでお駒さんもご納得かな」

 光秀は宗久の点てた茶を飲み干すのでした。

 光秀は信長の元に戻ってきました。家臣団が居並んでいます。その一人の柴田勝家がいいます。

「鎧兜を身につけずに上洛せよ。これは三好方の罠じゃ」柴田は信長に話します。「さような商人のたわごとに耳を傾けてはなりませぬぞ。我々は正々堂々といくさにのぞみ、近江で六角を倒し、京になだれ込むまで」

 光秀も黙っていません。

「並のいくさならそれでよろしい。しかしこたびは、足利義昭様をいただき、京へ上り、将軍になるまでの見守り役を我らは負うておるのです。いくさに勝つだけでなく、京の騒ぎと人心を鎮め、新たな将軍が穏やかな世をつくるであろうと皆が胸をなで下ろすよう、気を配ることも肝要かと存じます。そのためにも鎧は脱いで入京すべきだと申しておるのです」

 座は紛糾します。信長の一言で皆は鎮まります。信長は義昭にたずねて決めることを皆に宣言します。

 信長と光秀が会いに行くと、鎧兜を着けずに入京する案に義昭は大喜びでした。

 その帰りの廊下で信長は光秀に問うのです。

「十兵衛。そなたは、義昭様のおそばに仕えるのか。それとも、わしの家臣となるか。今、それを決めよ」

 光秀は表情を動かしません。

「私の心は決まっております。将軍のおそばに参ります」

 九月の末、織田信長は、武装することなく、足利義昭を奉じて、京へ入ります。三好勢はすでに京から去り、京が戦渦に巻き込まれることはありませんでした。