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明治一五一年 第20回

明治一五一年 第20回

今日も一五一年の小さな波紋なの
だと少しずつ衰えていく日日に
爆ぜる名残として地面に拡がり続ける
会津から北へ向かう足首の
小さな裸形は具現する風の行方を
いまだに晒すきみの手足
だねって水に映る面影を追う
静かに辿りながら戻らなくなる
流され埋もれ記憶の隅に沈む
騒めきに積まれる皮膚のざらつきや
地形に沁みる読めぬ悲鳴を紡ぎ
さらに古くへと放出する眼に乱れ
いまだに晒すきみの手足
だねって切り崩す地形を追う
ままに均衡を失う南洋に沈み続ける
積み重なる人影の声声が集い
いつまでもたゆたう時間の陥没は
連綿として首筋まで辿る痛みの
波打ち際ならば迸る魂の底の
いまだに晒すきみの手足
だねって出会えない背中を追う
破綻は遥かにかすみ留まらず傷付く
耐えがたき時間の繰り返しに
爆ぜる帰らない足首たちの重なりは
呼ばれる誰かの声声に騒めき
知られることもなく漂い名残に潰え
いまだに晒すきみの手足
だねって反射する意識の奥底を追う
今日も一五一年はゆっくり暮れいくの
だと静かに彷徨える日日に
書き足す関節の軋みを掲げるために
踏み出す弱まる起伏の表面の
浮上する何度も流された人たちの
いまだに晒すきみの手足
だねって乾燥する道筋を追う
まだ朽ちない眼球が執拗に踏む
明日の水辺に反射する空蝉を集める
散る物語を掴む痩た指先が
振り返りつつまた燃え伝染する
内臓まで長長と伸びる影絵を留め
いまだに晒すきみの手足
だねって流れない体温を追う
破綻する繰り返しの囁く倒れた足首
たちの訪れのする方向に戻り
どこにも辿り着けずに霧散する
わだかまる悲鳴を包み続く丘陵の
片側にざわめく一五一年の
いまだに晒すきみの手足
だねって沸き上がる日没を追う
数えきれない見えない眼が燃え落ちる
誰も愛さないで下さいとまた
崩れていく客死する耳の音に満ちた
狂えない感触だけが歩む枯野原に
沈み色褪せた散らばる音は潰え

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四十三回 闇に光る樹

 天正七年(1579年)、夏。丹波八上城と黒井城がようやく落城しました。明智光秀十兵衛はこれによって、丹波全域を平定することに成功したのでした。

 光秀(長谷川博己)は敗北した将を前に語ります。

「方々は、安土の織田信長様のもとに、送られる。戦いをやめ、城を明け渡した潔(いさぎよ)さに鑑(かんが)み、お命はお助けするよう申し上げてある。安んじて、旅立たれるがよい」

 将たちは、光秀に頭を下げるのでした。

 近江の安土城に光秀と細川藤孝(眞島秀和)は、勝利の報告に訪れます。信長(染谷将太)は上機嫌で二人を誉めます。そして近習の森蘭丸(板垣瑞正)に命じて、三つの甕(かめ)を持ってこさせるのです。甕の中には人の首が入っていました。近江で光秀に降伏した将たちです。信長はにこやかにいいます。

「生きたまま、よう送り届けてくれた。慈恩寺で磔(はりつけ)にし、そなたに見せようと思うて塩漬けにしておいた」

 そしてそれらを皆に回すように命じるのです。

 信長は、ひとり光秀を呼び出します。朝廷に頼んで、官位を授けるというのです。光秀は困惑し、信長が官位を辞したことを述べます。すると信長は、帝(みかど)が東宮(とうぐう)(誠仁親王)に譲位すれば、喜んでもらう、といい出します。

「では、上様は、どうあっても東宮へのご譲位を」

 ゆっくりと光秀は発音します。

「むろん。その方が何かとやりやすい。その手始めに、東宮を二条に新たに造ったお住まいにお渡り願うて、そこを朝廷としたいのじゃ」

「それは」

 光秀は身を乗り出します。

「その御所替えの奉行を、そなたと、細川藤孝にやってもらう」

「わたくし」

 光秀は聞き返します。

「近頃、御所とは親しいそなたじゃ。適任だと思うぞ。何としても、東宮を御所からお渡りいただけ。よいな」

 京の若宮御殿に光秀と藤孝はやってきます。意外にも東宮は承諾するのです。

 帰りの廊下で光秀は首を振ります。

「やはり違うな。これは違うぞ」と立ち止り、藤孝を振り返ります。「武家が、帝のご譲位をとやかく申し上げるべきではない。二条へのお渡りも行き過ぎじゃ。そう思わぬか」

「それがしも、これはいかがかと存じます」

「これはわが殿の大きな誤り。やはり、明日のお渡りはやめていただこう。止めるぞ」

 と、引き返そうとする光秀を藤孝は制します。

「今は事を荒立てぬ方がよろしいかと」藤孝はあたりを気にします。「上様が帝の譲位を望まれる限り、次々と手を打たれる」

 藤孝の懸命な制止に、光秀は引き返すことをやめるのです。

 その年の十一月、東宮は、二条の新しい御所に移りました。

 三条西真澄の館では、伊呂波大夫(尾野真千子)が話していました。部屋には元関白の近衛前久(本郷奏多)と細川藤孝がいます。

「ここの爺様がお亡くなりになった途端、この始末ですか。爺様が生きておいでなら、東宮様をむざむざ御所から引き離すようなへまはさせなかったでしょうね」

 それに対して前久がいいます。

「仕方がなかろう。爺様も所詮、信長の力を頼りに、朝廷を立て直そうとされていた。幕府があったころは、御所の塀も直せない有様であった。それに比べれば、信長になってからは、一応公家も大事にされておるしな」

 大夫は首を振ります。

「駄目だめ、世の中は公家だけじゃないのです。武家だけでもない。百姓や商人(あきんど)や、伊呂波大夫一座の芸人もいるのです。皆がよい世と思えるような」

 藤孝が発言します。

「私も長らく幕府に仕えていたい者として、まことに耳が痛い。わが殿なら、天下一統がなり、世が治まるかと思うたが、いくさのやむ気配がない。おのれの力不足というほかない」

「そう思うなら何とかしてくださいよ」と大夫。「信長様が頼りにならないのなら、帝は誰を頼りに世を治めればよいのです。前(さき)様。誰です」

 前久は大夫を振り返ります。

「目下のところ、やはり明智でしょう。明智なら、信長も一目置いている」

 藤孝もうなずきます。

「私もそう思います」

 天正八年(1580年)、四月。本願寺の指揮者、顕如(けんにょ)は、五年にわたる籠城の末、力尽き、大阪の地を信長に明け渡しました。その直後、信長は、本願寺攻めの総大将であった佐久間信盛を追放します。

 光秀は夢を見て飛び起きます。望月東庵(堺正章)の治療院を訪ねるのです。そこで帰蝶(川口春奈)が京に来ていることを知らされます。光秀は駒と話をします。そして自分が毎日見ている夢の内容を打ち明けるのです。

「月にまで届く、大きな木を伐(き)る夢なのだ。見ると、その木に登って、月に行こうとしている者がいる。どうやら、それは信長様のように見える。昔話で、月に上った者は、二度と帰らぬという。わしは、そうさせぬため、木を伐っているのだ。しかし、その木を伐れば、信長様の命はない。わしは夢の中で、そのことをわかっている。わかっていて、その木を伐り続ける。このまま同じ夢を見続ければ、わしは信長様を」光秀は目を見開いています。「嫌な夢じゃ」

 光秀は帰蝶を訪ねていました。帰蝶の父である斎藤道三なら、どう考えるかを聞きに来たのです。

「信長様のことであろう」

帰蝶は切り出します。

「道三様なら、どうなされましょう」

「毒を盛る。信長様に」

 決意のまなざしでいう帰蝶。光秀は表情を変えません。帰蝶は続けます。

「胸が痛む。わが夫。ここまでともに戦こうてきたお方。しかし父上なら、それで十兵衛の道が開けるなら、迷わずそうなさるであろう」

「道三様は私に、信長様と共に、新たな世を作れとおおせられました。信長様あっての私でございます。そのお人に毒を盛るのは、おのれに毒を盛るのと、同じに存じます」

「今の信長様をつくったのは、父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が独り歩きを始められ、思わぬ仕儀となった。やむを得まい」帰蝶は目に涙を浮かべます。「よろず、つくったものが、その始末を為すほかあるまい。違うか」

 天正十年(1582年)、三月。織田信長徳川家康の軍勢は、一斉に甲斐の国に攻め寄せ、武田信玄の子、勝頼を討ち取りました。信玄の死から九年、織田、徳川の宿敵、甲斐の武田氏は滅びました。

 信濃の諏訪の館で、家康と光秀は話します。以前船中で光秀と話した後、家康は妻と息子を殺していたのでした。打ち解けた様子で家康は話します。光秀の治める近江と丹波の国がよく治まっている。どのようなことを心掛けているのか。光秀も親しげに答えます。その様子を森蘭丸が見ていたのです。

 信長は家臣たちと酒盛りをしていました。安土の城に家康を招き、今回の戦勝祝いをしたいと語ります。森蘭丸が信長に伝えます。家康はその饗応(きょうおう)役を光秀にやって欲しいといっているというのです。丹波長秀がいいます。

「徳川殿は宴で毒を盛られるのを恐れておるのじゃ。武田が消えた今、東海を支配するのは徳川殿のみ。これを消してしまえば、上様の天下となる。わしならそれぐらいは考えるからのう」

 天正十年(1582年)、五月。近江の安土城にて、家康をもてなす宴が開始されました。上機嫌でいた信長が、膳が違うといい出します。光秀は作法にのっとって用意したのですが、信長の命令と違っていたのでした。慌てて取り換えようとする光秀は、椀の汁を信長の膝にこぼしてしまうのです。信長は扇子で光秀の手を打ち、続いて首筋に当てます。さらに信長は、光秀を蹴り落とします。しかし責め寄る森蘭丸を光秀は投げ飛ばし、信長をにらみつけるのでした。

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四十二回 離れゆく心

 天正六年(1578年)、秋。明智光秀十兵衛(長谷川博己)を巻き込む、大きな事件が起きました。有岡城城主、荒木村重が信長を裏切り、城に立てこもったのでした。

 羽柴秀吉佐々木蔵之介)と、光秀は、荒木の説得にやって来ていました。光秀は娘の岸を、荒木の息子の嫁にやっていたのです。恫喝にも従わない荒木に、秀吉は怒って去っていきます。光秀も立ち去ろうとしますが、引き返してたずねます。

「そなたとはこれまで、身内として腹蔵なく話し合うてきた仲だ。何がご不満で、かかる仕儀となったのか、お聞かせ願えぬか」

 必秀は荒木の前に腰を下ろします。

「信長様は、わしに摂津の国を任せると仰せられながら、摂津の国衆や寺社から、過酷な税を取り、国衆たちがわしを恨み、離れていくのを、そしらぬ顔で見ておられる。将軍足利義昭(滝藤賢一)公を京から追い出した折もそうじゃ。いかなる理由があるにせよ、将軍はわれら武士の統領。それを犬でも扱うように、あの秀吉に任せ、裸足のみじめなお姿で追い立てていったその心がわからぬ」荒木は立ち上がります。「毛利殿は、将軍を再び京都へお戻しし、政(まつりごと)を行うと申されておる。わしはそれに従いたい」

 摂津の織田方の陣に戻った光秀は、細川藤孝(眞島秀和)にその場を任せ、備後の鞆(とも)にいる足利義昭に会いに行こうとします。藤孝に理由を聞かれ、光秀は答えます。

「すべての争いが公方(足利義昭)様につながっておる。このまま、放ってはおけぬ」

 鞆にある、義昭のいる館では、侍たちが殺気立っていました。しかし光秀は目通りを許されるのです。義昭は一日中釣りをして過ごしていたのでした。義昭と並び、釣り糸を垂らす光秀。

丹波の国衆がなかなかまとまらず、苦労しております」光秀は切り出します。「此度(こたび)は、荒木村重殿が、われわれから離れてしまわれた。皆口をそろえて、公方様をお慕いすると申します。公方様が毛利殿と共に上洛されるのを待ち望むと。しかし、毛利殿にその気配はない。かつて越前の朝倉がそうであったように、公方様をこの備後に留(と)め置くのは、おのれの威光を高めるためであり、上洛には興味はない。私にはそのように見受けられまする」

 義昭はうなずきます。

「その通りじゃ。毛利はこの西国一縁が手に入れば、それでよしとしておる。わしが信長を討て、上洛せよと文(ふみ)を送るのが、内心迷惑なのじゃ。ただ、わしの名を出せば何事も大義名分が立ち、味方も増える。それゆえ、わしが能役者のごとく、将軍の役を演じてくれればそれでよい」

「ならば」光秀はつばを飲み込みます。「京へお戻りになりませぬか。信長様は私が説得いたします。今のままでは、いくさが終わりませぬ。公方様がお戻りになれば、諸国の武士は、矛をおさめましょう」

 義昭はため息をつきます。

「どうであろう。昔、わしの兄、義輝は、三好の一党の誘いに乗り、京へ戻ったが、所詮、京を美しく飾る人形でしかなかった。そして殺された。信長のいる京へは戻らない」義昭は光秀を振り返ります。「そなた一人の京であれば、考えもしよう」

 光秀は摂津にある、織田方の陣に帰ってきました。そこに待ち構えていた秀吉に、

「今までどこへ行っておられた」

 と、問い詰められるのです。ごまかす光秀。秀吉は光秀と共に再度、荒木村重の説得に当たるように信長に命じられていました。光秀は一人で荒木の説得に出ようとします。一緒に行こうとする秀吉に、

「おぬしは説得に妨げになる。来るな」と言い放ちます。「おぬしがいては、まとまるものもまとまらん」

 しかし、光秀の説得もむなしく、荒木村重は織田軍に対し、籠城を続けました。光秀の娘、岸は、離縁されて戻ってきます。

 二条の館では、信長が家臣たちを前にして述べていました。

「寝返った者がいかなる末路をたどるか、白日のもとにさらさねばならん。明朝出陣し、荒木の有岡城をひと呑みに下して見せようぞ」信長は地図を踏みつけます。「見せしめに落城の後には、荒木の家中すべて、女子供も一人残らず殺せ。哀れみはいらぬ」信長は家臣たちの中から、光秀を見つけて話しかけます。「十兵衛。何か申すことはあるのか」

 光秀は述べます。

「西の毛利、大阪の本願寺丹波の赤井、東には武田勝頼。そし此度(こたび)の荒木。皆一つにつながった輪と見るべきでございます。我らは、その輪に囲まれ、まことに苦しきいくさを続けなければなりません。荒木とは、争うより、もそっと話し合うて折り合いをつけるべきかと」

 信長は意外にも穏やかにいいます。

「案ずるな。本願寺と毛利は、朝廷にお願いして、和議に持ち込むつもりじゃ。手筈は秀吉がつけておる」

「かかる折こそ帝(みかど)にお働きいただかねば」

 という秀吉。信長は引き続き、光秀に話します。

丹波はそなたに任せる。武田は、家康が始末をつければよい。さすれば、荒木は丸裸じゃ。大軍率いて一気に片をつける」

 天正六年末、織田信長の軍勢は、荒木村重有岡城を力攻めにしました。しかし堅牢な城と、勇猛果敢な荒木勢を前に、苦戦となり、いくさは一年にわたる持久戦となりました。 

 光秀の館に、ひそかに菊丸(岡村隆史)がやってきます。徳川家康が会いたがっているというのです。光秀は菊丸に、摂津沖に浮かんだ船に案内されます。家康は光秀に話します。

「私は相も変わらず何かに束縛され、そこから逃げ出したい。おのれが思うままに生きてみたいと願うて暮らしております」

「家康殿のような大大名を束縛するものとは、いかなるものでございますか」

 と、光秀はたずねます。

「例えば、織田信長様」家康は言い切ります。「実は私は、敦賀の今川家に人質としていたころ、京よりお越しになっていた和歌の大家、三条西真澄様より教えを受け、以来なにかと相談をいたし、心の師として参りました。此度の難題はぜひぜひ、明智様をお頼りすべしと。信長様が、私の嫡男、信康を殺せと命じてこられました。その母である、私の妻も共に殺せと。二人は敵の武田勝頼に通じ、三河を乗っ取るたくらみがあるというのです。たとえそれが事実であったとしても、わが息子に不始末があれば、私がしかるべく処断いたします。信長様に殺せといわれるような筋合いのものではない。今は武田と戦うため、共に手を携えておりますが、武田を討った後、我らがいかように扱われるか、疑う者があまたおります」家康は決意の表情です。「私は事を構えるつもりは毛頭ございませぬが、あまりに理不尽な申されようがあれば、おのれを貫くほかありませぬ」

 京の二条の館に、光秀は信長を訪ねます。

三河の徳川家に関わる、噂話でございますが」

 と、光秀は話し始めます。信長が家康に妻子を殺すように命じたと聞いたが、本当なのか。敵の武田に通じているのだ。やむを得まい。という信長。

「もしそうだとして、信康殿に死をお命じになるのは、いかがかと存じまするが」

「なにゆえ」

「家康殿がもしそれを拒まれた時、殿は面目を失うことになりかねません」

 それに対し、信長は、家康を試しているのだ、と答えます。

「わしは白か黒かをはっきりさせたいだけじゃ」

「それでは人はついてまいりませぬ」

「ついてまいらねば成敗するまでじゃ」

 いつの間にか二人は怒鳴りあっていました。信長は吐息をつきます。

「頼む。これ以上わしを困らせるな。わしが唯一頼りに思うておるそなたじゃ」しかし信長は表情を変えるのです。「だが、そなたは近頃、妙なふるまいをしておる。わしには、その方が気がかりじゃ」

「私が」

「帝(みかど)に招かれ、御所へ参ったであろう。帝は何の用で、そなたを呼ばれた」

「それは」

「いかなる用で、わしの頭越しにそなたを招かれた」

「月見のお供をせよと」

「そこで、わしの話が出たのか。申せ。帝は、わしのことについて話されたのであろう。何と仰せになった」

「真澄卿より、御所でのことは恐れ多いゆえ、一切口外をせぬようにと」

「この信長にもいうなと」

「何人(なんぴと)にであれ、帝のお言葉は、他言をはばかるべしと」

「わしが言えと命じてもか。わしが手をついて頼んでもか」

「平にご容赦くださいませ」

 頭を下げる光秀。信長は目をむいて立ち上がります。

「容赦ならぬ。帝は、わしを悪しざまに仰せられたのか。それゆえ言えぬのか」

 申せ、と叫んで信長は必秀の額に、何度も扇子を振り下ろします。光秀の額の端に、血が滲みます。信長は荒い息をついて、扇子を投げ出します。

「なぜじゃ。なぜこうなる」信長は戻って座ります。「帝を変えよう。譲位していただこう。それを急がせよう。それが良い」

 信長は光秀に、丹波平定に励め、と申しつけます。そして、帰れ、と命じるのです。

 光秀は京の館に帰ってきます。そこに駒(門脇麦)が来ていたのです。光秀の額の傷を見て驚き、洗おうとします。駒は備後にいる義昭から文(ふみ)が届いたことを話します。光秀と釣りをして嬉しかった。光秀となら、麒麟を呼んでこれるかも知れない。そう義昭は書いてきたのでした。

 

書評『足利の血脈』

書名『足利の血脈』                      
著者 秋山香乃 荒山 徹 川越宗一 木下昌輝 鈴木英治 早見 俊 谷津矢車
発売 PHP研究所
発行年月日  2021年1月7日
定価 ¥1700E

 

 

 古河(こが)公方(くぼう)誕生から喜連川藩(きつれがわはん)誕生までの名族関東足利氏の歴史を描いた歴史小説である。栃木県さくら市の企画協力を得て、鈴木英治らの7人の操觚の会所属の作家による書下ろし短編7作品連作の集合体である。

【第一話 嘉吉の狐 ――古河公方誕生 /早見 俊】

 永享(えいきょう)の乱(関東公方4代足利持氏(あしかがもちうじ)が将軍職を望み、室町幕府に対して起こした反乱)の2年後の永享12年(1440)3月、北関東国衆の支援を受けた持氏の次男春王丸、三男安王丸が結城城によって反旗を翻すも敗れ、兄弟は斬首された。結城(ゆうき)合戦である。本編の主人公は、一人残された持氏の遺児の万寿王丸(後の古河公方足利成氏(しげうじ))。嘉吉元年(1441)6月24日、6代将軍足利義教(よしのり)は赤松満佑(あかまつまんゆう)邸にて弑逆される (嘉吉(かきつ)の乱)が、万寿王丸は忍び千古(せんこ)の不二丸(ふじまる)と共謀して義教を謀殺したとする展開である。後日、鎌倉公方府が再興されるや、万寿王丸こと成氏は公方として鎌倉に入るが、やがて、享徳4年(1455) 成氏は鎌倉を放棄し、本拠地を下総古河に移し、「古河公方」と呼ばれる。

【第二話 清き流れの源へ ――堀越公方(ほりごえくぼう)滅亡 /川越宗一】

 長禄2年(1458) 8代将軍義政は鎌倉公方府の内紛に乗じて、古河公方足利成氏を掣肘するために、兄政知を関東に送り込むも、政知は鎌倉に入れず、「堀越公方」が誕生。これにより、古河と堀越に関東公方が並立するという異常事態が発生したことになる。
堀越公方の政知は正室竹子の産んだ次男、三男を溺愛、側室の産んだ庶長子の茶々丸を廃嫡し、次男潤童子を後継とした。本編の主人公はこの茶々丸である。延徳3年(1491) 政知が死するや茶々丸は竹子と潤童子を殺害し、堀越公方を名乗る。
この跡目争いの内紛につけ込んだのが伊勢盛時(北条(ほうじょう)早雲(そううん))で、明応2年(1493)9月、早雲は堀越公方茶々丸を堀越御所に襲い、伊豆平定の足掛かりをつかむ。

【第三話 天の定め ――国府台(こうのだい)合戦 /鈴木英治

 古河公方4代足利晴氏(あしかがはるうじ)が主人公。舞台は天文7年(1538)の国府台合戦。関東に二つの公方家は要らぬと公言し、小弓公方を名乗る足利義明が、房州の里見義堯と手を組み、国府台に陣取る。圧倒的に不利な晴氏は北条氏綱(ほうじょううじつな)(早雲の子)に加勢を頼むが、その見返りに氏綱の娘の薫姫(氏康の妹、芳春院)を正室とすることを約せられる。堀越公方を討って後40年余りで、伊豆から相模、武蔵へ勢力を伸ばしてきた北条家だが、国府台合戦の勝利を機に、「足利家御一家」となった氏綱は足利の名を借り、労せずして、下総一帯を支配下に。
 やがて、薫姫が梅千代王丸(のちの義氏)を産む。氏綱は北条家の諜報活動を担う風魔一族に、薫姫、梅千代王丸の警護を命じる。
 古河公方家の家督簒奪をはかる北条氏綱と、どのみち、この先も古河公方家の家督争いは延々と繰り返されるだろうと嘆息する晴氏が好対照に描かれている。

【第四話 宿縁 ――河越夜合戦 / 荒山 徹】

 本編も晴氏が主人公。国府台合戦から8年、河越夜合戦(1545~1546)。関東管領職をめぐって久しく宿敵の間柄にあった山内・扇谷の両上杉家は旭日天に昇るかのごとく躍進する北条に対抗するために和解。両上杉と利害が合致する晴氏は、義兄北条氏康(ほうじょううじやす)(氏綱の子)の中立要請を拒否し、公然と北条に敵対する道を選ぶが、敗れる。扇谷上杉朝定は死して、扇谷上杉家は滅亡。関東管領山内上杉憲政は上野国平井に敗走。晴氏は下総の国に遁走。室町秩序(室町幕府の関東統治体制)は完全に瓦解したのだ。一方、河越城を守り抜き、ほぼ武蔵国一国を領有することとなった氏康は天文21年(1552)晴氏を軟禁し、北条の血を引く梅千代王丸(のちの義氏(よしうじ))を五代目の公方とする。

【第五話 螺旋の龍 ――足利義輝弑逆 /木下昌輝】

 主人公は千古の不二丸。古河公方の忍びで「さくら一族」の頭領。さくら一族は喜連川の地を本貫地として、忍びの術で、関東公方(古河公方)を陰で支え、付き従ってきた一族である。
永禄4年(1561)、関東管領長尾景虎(ながおかげとら)(のちの上杉謙信(うえすぎけんしん))は晴氏の長子・藤氏(ふじうじ)を擁して関東に進出、10万の軍勢で北条氏の本城・小田原を包囲する。景虎は藤氏こそ正統な古河公方であるとし、義氏の継承を認めなかったのである。藤氏は義氏と家督争いに敗れた異母兄の幸千代王丸のこと。やがて、景虎は越後に戻る。上杉という後ろ盾を失った藤氏は安房の里見家を頼り、公方復帰を目指す。
 この時代、さくらの一族の忍びは風魔の配下に甘んじている。北条家の忍び・風魔(ふうま)の小太郎(こたろう)は不二丸に、足利藤氏を殺せ。それが無理なら13代将軍義輝を殺せと迫る。
 永禄8年(1565)永禄の変。その陰に、もうひとつのさくら一族である陰(かげ)桜(さくら)の活躍があった。本編には、曲直瀬道三や松永久秀も登場する。

【第六話 大禍時 ――織田信長謀殺 / 秋山香乃】

 主人公は北条家の傀儡当主・義氏。5代古河公方の義氏はその最期の公方である。北条の血が流れる古河公方足利義氏は北条の握る大義名分そのもの。義氏の名を前面に押し出し、関東支配を進めてきた北条家4代当主北条氏政(ほうじょううじまさ)(氏康の次男)の前に、室町将軍家に代わる新たな天下人、信長が現れた。天正8年(1580)3月、氏政は徳川家康を通じて信長に誼を通じ織田家への服属の形をとる。北条は5代にわたり数十年かけて手に仕掛けた関東の覇権を、信長に臣従することで失う。早雲庵宗瑞以来、誰にも従属したことがなかった北条氏。どれほど無念であったことか。そもそも、足利尊氏を始祖とする室町幕府武家の本拠地とされる鎌倉に幕府を開けず、東国統治を担う出先機関として関東公方府を置いた。関東公方足利氏は室町公方(将軍)の命を受けた関東公方府の長であった。
 元亀4年(1573)7月、室町15代将軍義昭も京を追われ、幕府自体瓦解したも同然の昨今、もはや公方の機能も夢の残滓となり果てた。
 本編はさくらの忍びによる信長謀殺の話。義氏はさくらの忍び、信長殺害の命を下すが、やがて、本能寺の変を知る。信長の死は北条家、義氏の運命をも変える。

【第七話 凪の世 ――喜連川藩誕生/ 谷津矢車

 主人公は喜連川頼氏(きつれがわよりうじ) 。小弓公方2代義明の孫である。天正18年(1590)北条征伐の後、関白秀吉が関東足利家相続に関与。古河公方家督継承者・氏姫(義氏の子)と小弓公方家の頼氏を縁組させて、頼氏に喜連川に3千石程度の知行を与え、喜連川家を興させた。
 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い。東軍西軍いずれにもつかなかった喜連川家は存亡の危機に。が、頼氏は家康から喜連川の地を安堵される。「喜連川は足利の名族、徳川家臣ではなく客分とする」として、10万石の大名並みの格式を与えられる。頼氏は処罰されるどころか加増されている。それは何故か。本編はその謎に迫っている。
 室町後半期の政治支配の仕組み、さらには足利将軍、関東公方(鎌倉公方)、関東管領の微妙な関係が生み出す複雑極まる展開を、作家自身の独特の筆致でそれぞれに活写しつつ、あたかも一人の作家が描いているかのように関連付け、ストーリーを展開させるには驚かされる。奇しくも、古河公方も北条氏も5代。加えるに、関東足利家の栄枯盛衰に、北条家が深くかかわっていたことを小説で愉しむことができる。
快作である。

               (令和3年1月20日  雨宮由希夫 記)

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四十一回 月にのぼる者

 天正五年(1577年)、十月。信長から離反する者も出る中、将軍足利義昭滝藤賢一)は、諸国の大名に向け、信長を倒すべしと、なおも文(ふみ)を送り続けていました。

 丹波の国では、反信長の土豪、国衆の勢力が根強く、明智光秀十兵衛(長谷川博己)は苦戦を強いられ続けていました。亀山城に破れた国衆を集めた光秀は述べます。

「ご一同の城は焼け落ちた。我らは勝ち、方々は敗れた。無念の情、お察しいたす」光秀は頭を下げます。「所詮(しょせん)いくさに正義はない。勝敗は時の運。明日は私がそこに座るやも知れん」

 光秀は国衆を殺すつもりはありませんでした。国の再建を頼んだのです。

「ぜひぜひ、ご一同、国衆の力をお借りしたい」

 と、光秀は捕らわれた国衆を解放するのです。最後まで残った国衆に、光秀は話しかけます。

「一つおたずねして良いか。我らは、いくさ続きの今の世を変えたい。天下を一つにまとめ、良き世をつくりたい。それに手をお貸し願いたいと、幾度(いくど)も申し上げてきた。しかしなぜ国衆は耳を傾けてくれぬ。なぜ抗(あらが)う」

 残った国衆がいいます。

「我らは、代々足利将軍より領地を授かり、恩顧(おんこ)を受けてきた。その将軍が京を追われ、西国の地から我らに助けを求めておられる。これまでのご恩に報(むく)いるには戦うほかあるまい」

 国衆はそういって去って行きます。光秀は家臣にいいます。

「我らが戦うておるのは、国衆ではない。備後(びんご)の国におられる、足利将軍だ」

 京にある館に、光秀は帰ってきます。書庫に入った光秀は、松永久秀に託された名器、平蜘蛛(ひらぐも)をながめます。それは信長が激しく求めている茶釜でした。光秀は、羽柴秀吉佐々木蔵之介)がやってくるという知らせを受けるのでした。

 秀吉が光秀の館にやってきます。その庭に薬草を届けに来た菊丸がいました。秀吉は菊丸を認めて足を止めます。

 秀吉は光秀と対面し、出陣の挨拶を述べます。光秀は微笑みながら秀吉にいいます。

「私の足下に及ばぬどころか、見事に私の足をすくった」とぼける秀吉を光秀は追求します。「平蜘蛛の釜の一件、覚えがござろう」

 光秀は布を取り去ります。そこには平蜘蛛が置かれていたのです。

「羽柴殿は、松永殿が、生前、私にこの釜を譲ったと知り、信長様にご注進(ちゅうしん)して、信長様が不快に思われるよう仕組んだ」

 秀吉は思わず大声を上げます。

「誰がさようなことを申しましたか」

「羽柴殿には多くの弟がおるそうだな。忍びもどきにあちこちに忍び入り、見知ったこと聞いたことを兄上に報じて、食い扶持を稼いでおるそうな」

「わしの弟が」

「気をつけなされ。その弟は口が軽い。松永殿と私が話しおうているのを、家に忍び入って聞いたと、あちこちに自慢して歩いておるそうな」

 秀吉はその弟の名を聞きます。秀吉は立ち去り際に、ごまかすように菊丸のことを話し出します。

明智様は、何者がご承知の上で、近づけておられますのか」

 その後、秀吉は光秀から名前を聞いた弟を探し出し、殺してしまうのでした。

 光秀は望月東庵の治療院を訪ね、菊丸に会います。信長の京での評判が芳(かんば)しくない、などと世間話を始めます。そのことにもやけにくわしい菊丸。

「しかしそういうこともすべて、三河の殿にお知らせするんだな」

「それは」

 と、困惑する菊丸。

「今さら隠すな」光秀は菊丸に近づきます。「羽柴秀吉殿が、そなたを疑うておる。そろそろ潮時かと思うぞ。そなたは、わしが困っている折、何度も密かに助けてくれた。かたじけないと思うておる。それゆえ逃げて欲しい。秀吉殿の手下は、動けば早い。すぐ京を離れる方が良い。それだけ伝えておく」光秀は菊丸の背を親しげに叩きます。「また会おう」

 と、去って行くのです。

 菊丸が旅姿で通りを行くと、数人の侍に襲われます。機転を利かせて攻撃をかわし、菊丸は逃げ切るのでした。

 近江の安土城に光秀はやって来ました。織田信長染谷将太)と面会します。信長はいいます。

「わしはな、政(まつりごと)を行う者は、世間の聞こえが大事だと思うておる」

「誠に仰せの通り。いずれ本願寺丹波を平定し、毛利を破りましても、人の心がついて来ねば、天下の統一はなりがたいと存じまする」

「案ずることはない。京におけるわしの風評は上々と聞いておる」

「さようでございますか。それは、どなたにお聞きになりましたか」

 皆が申している、という信長。光秀はいいます。

「では松永殿は、何ゆえ殿に背を向けられましたか。公方様はなにゆえ背かれましたか」

 信長は怒ってしまいます。光秀は包みを持ってこさせます。それを持って光秀は信長に近づきます。包みに隠されていたのは、平蜘蛛でした。

「殿にこの釜のありかを問われた折、知らぬと申し上げましたが、いたく後悔をいたしました。殿に対して、一点の後ろめたさがある限り、これは、手もとに置かぬ方が良いと思い、持参いたしました。殿が松永殿を討った勝ち祝いの品として、お納めいただければ幸いと存じまする」

 何がいいたい、と問う信長に対して、光秀は述べます。

「この平蜘蛛の釜ほどの名物(めいぶつ)は、持つ者に、覚悟がいると聞き及びました。いかなる折も、誇りを失わぬ者、志(こころざし)高き者、心美しき者であるべきと。殿にも、そういうお覚悟をお持ちいただければ幸いと存じまする。そのようなご主君であれば、背く者は消え失せ、天下は穏やかにまとまり、大きな国となりましょう。城を美しく飾るだけでは、人はついて参りませぬ」

 信長は表情を固め、やがて気さくな顔に変わります。

「聞けば、なんともやっかいな平蜘蛛じゃな」信長は平蜘蛛をもてあそびます。「いずれ、今井宗久にでも申しつけ、金に換えさせよう。その覚悟とやらも込みで、一万貫ぐらいには売れよう。そう思わぬか」

 信長は笑い出すのです。

 光秀は京の三条西実澄(石橋蓮司)の館に来ていました。帝(みかど)への手引きをしてもらうためです。帝は今夜、月見をすることになっていたのです。

 月を見に出てきた帝は、驚くことに庭にひかえる光秀に、直接、話しかけます。

「あの月には、奇妙な男が住んでいるというが、その男の名を存じておるか」

「桂男でございましょうか」

「その男が、なにゆえに、あの月へのぼったか、存じておるか」

「月にある、不可思議な木に咲く花をとりに行ったと。幼き頃、母から聞かされたことがございます」

「それからどうした」

「その花を、水に溶かして飲むと、不老不死の力を得るとの言い伝えがあり、男は、その花を、すべて木からふるい落とし、独り占めしようとしたところ、神の怒りに触れた」

「そして、不老不死のまま、あの月へ閉じ込められた」

「はい」

「朕は、先帝から、こう教えを受けた。やはり月は、抗して遠くからながめるのが良いと。美しきものに近づき、そこから何かを得ようとしてはならぬと。なれど、力ある者は皆、あの月へ駆け上がろうとするのじゃ」帝は月を見上げます。「朕はこれまで、あまたの武士たちが、あの月へのぼるのを見て参った。そして皆、この下界へ帰ってくる者はいなかった」帝は光秀を振り返ります。「信長はどうか。この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」

 天正六年(1578年)、秋。光秀の娘、たま、は、細川忠興のもとへ嫁いでいきました。+

 

極私的ランキング文庫書下ろしシリーズ編

文庫書下ろしシリーズ編

 シリーズもののベストテンは基準が難しいこともあり、選考のコンセプトを変えることにした。
 2020年のシリーズものの動向は、ベテランの長寿シリーズが安定した刊行ペースと売れ行きを示しており、大きな変化は起きていない。そこで選考基準を変えて
内容に新しさがあるシリーズと、ベテラン作家の新シリーズ、及び新しい書き手のシリーズものを中心に取り上げてみた。断っておきたいのは取り上げた作品のあら筋は、読んでのお楽しみと言う事で避けたことである。

 

吉橋通夫『早替わりで候 音二郎よんどころなき事件帖』 角川文庫

 

 

 無邪気に楽しく読めるという最近では得難い感想を抱いた。理由は時代小説ならではの面白さを満喫できたからである。着想のユニークさは群を抜いている。読み進めながら柴田錬三郎五味康祐南條範夫などの伝奇的手法を駆使した、手に汗を握るチャンバラ活劇と出会ったような錯覚を覚えた。と言っても古典的というわけではない。きっちり新しさも盛り込まれている。
 特に豊かな物語性とスピーディな展開は腕の確かさを感じさせる。エネルギッシュな登場人物の生き様を、生き生きと描き切る筆力には脱帽である。正直、まだこの種の本格的な正統派の時代活劇を書ける作家がいたことに驚いている。作者の ホームグランドは児童文学だが、その中でも時代ものは物語性に富んだ冒険小説で、作家としての資質を感じ取れる。
 よんどころなきと早替わりというコピーに本書の特徴が言い尽くされている。とにかく読んで欲しい。

藤原緋沙子『へんろ宿』  新潮文庫

 

へんろ宿 (新潮文庫)

へんろ宿 (新潮文庫)

 

 

 作者がシリーズものの世界で絶大な人気を誇っている訳が本書を読むとよくわかる。題名の『へんろ宿』に注目して欲しい。今度の舞台は四国かと思わせる。実はこれが作者が仕掛けた物語への導入口なのである。『へんろ宿』には生きていく上での喜怒哀楽が濃縮された形で息づいている。その『へんろ宿』の場所を江戸回向院前に置いたところに本書の肝がある。これは作者の代表的シリーズ『隅田川御用帳』で、縁切り寺を浅草に設定した手法を踏襲している。
 この「へんろ宿」のイメージを冒頭で類稀な名文章で綴っている。特に一弦琴の音色に乗せて生き様をなぞるように語っていく手法は見事の一言に尽きる。円熟ささらに磨きがかかっている。
 このことは同時期に刊行された『隅田川御用日記』にも言える。『隅田川御用帳』の後を継ぐ物語という位置付けだが、最終巻『秋の蝉』から五年経て展開される
世界は、円熟と派手さが消えて深い味わいを感じさせるものとなっている。
 『へんろ宿』の解説を縄田一男氏が書いているが、最近多いい現代とリンクさせたりする手法は、真っ向から登場人物の生き様と向き合っているのに好感が持てた。 良質な解説である。

篠 綾子『からころも 万葉集歌解き譚』 『たまもかる』第二弾  小学館文庫

 

からころも 万葉集歌解き譚 (小学館時代小説文庫)

からころも 万葉集歌解き譚 (小学館時代小説文庫)

  • 作者:綾子, 篠
  • 発売日: 2020/05/08
  • メディア: 文庫
 

 

 単行本のみならずシリーズものでも健筆を振るい、ヒットを飛ばしてる篠綾子の新シリーズである。作者の最大の強みは小説作法の根底に日本語の美しさや日本語の固有の響きを、物語を編むことで読者に伝えたいという熱い思いが息づいているからである。
 特にこのシリーズはそういった作者の特徴を伺うことができる。造詣の深い万葉集をネタに、今を生きる人々の思いを掘り起こす手法を取っている。万葉集から適切な和歌を取り出す選定眼の鋭さと、その和歌を起点として登場人物の懐に入っていくエピソードの作り方は実に巧みである。謎のかけ方、解き方も上手くなっている。万葉集の持つ意味を具体的なエピソードを披歴することで、身近なものとして認識させるところに深い意義がある。

 

井伊和継『二階の先生 目利き芳斎事件帖1』   二見時代文庫

 

目利き芳斎 事件帖1 二階の先生 (二見時代小説文庫)
 

 

 シャーロックホームズの研究者としても著名な作者が、満を持して発表する本格的謎解き時代小説である。ベテラン作家だけに独自の作品世界を構築する筆力はさすがである。特に江戸のシャーロックホームズを描くことがモチーフとしているだけに安心して読めるところがいい。
 湯島の道具屋の目利き、千里眼の鷺沼芳斎に、解けぬ謎はないというのが歌い文句となっている。大仕掛けの謎ではないことを逆手に取って、丁寧に解いて
ところが面白い。洒落た感じが各エピソードを貫いており、作者の存在感を感じることができる。すでに第二弾『物乞い殿様』も刊行されている。

泉 ゆたか『雨上がり お江戸縁切り帖』  集英社文庫

 

雨あがり お江戸縁切り帖 (集英社文庫)

雨あがり お江戸縁切り帖 (集英社文庫)

  • 作者:泉 ゆたか
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: 文庫
 

 

 作者が初のシリーズものに挑戦してきた。2019年に『髪結百花』で日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞し、その後、『お江戸けもの医毛玉堂』、『おっぱい先生』、『江戸の女大工』とコンスタントに話題作を連発し、一作ごとに独自の世界観を構築してきた作者が、新たな冒険に踏み切ったのが本書である。
 いい出来栄えである。シリーズものとしての期待値大である。題材の選定と舞台装置がうまい。明暦の大火直後の世情を舞台としているのだが、この背景には3.11、自然災害、新型コロナウイルスによる惨状がある。時代性を問題意識の根底に据えて、人と人の<縁>をテーマとしている。それを<縁切り>と裏返ししたエピソードで描いているところに着想の非凡さを伺うことができる。
 登場人物の書き分け方も秀逸である。ヒロイン糸は人生経験は浅いが筆が立ったため縁切りの代書屋となる。実にうまい設定である。荷は思いが成長の余地を残しておくという仕掛けを施している。奈々の大人びたキャラが全体のトーンをやわらげている。人生経験の豊富なイネの存在が、縁切りの解決法に深みを付加する役割を担っている。感性が柔軟で優しい人柄の若人、生意気盛りの溌溂とした子供、重しとなる老人がチームとなって事に当たる。シリーズものを成功させる否決の一つは、脇役の役割分担がスムーズに機能することと、スタンスがきちんとしていることである。秀逸と表現したのはこれができているからである。楽しみが増えた。

鷹山 悠『隠れ町飛脚 三十日屋』 ポプラ文

 

隠れ町飛脚 三十日屋 (ポプラ文庫)

隠れ町飛脚 三十日屋 (ポプラ文庫)

  • 作者:悠, 鷹山
  • 発売日: 2020/10/06
  • メディア: 文庫
 

 

 本書はポプラ社小説新人賞受賞奨励賞受賞作である。シリーズものの大勢を占める市井人情もので、職業の設定に工夫を凝らしている。それが隠れ町飛脚で曰くつきの品とお客の思いを届けるのが仕事だ。曰くと思いが各エピソードのエッセンスとなっている。特に新しさがあるわけではないが、手慣れているところに可能性を感じた。但し、安定路線の狙い過ぎという感は否めない。曰くと思いにもっと読者話捉えてやまないようなエピソードを工夫すれば深みが出てくる。

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四十回 松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)

 天正五年(1577年)、夏。摂津の本願寺は、毛利や上杉などと手を結び、反信長勢の中心でした。信長と本願寺の戦いは七年余りにも及び、このいくさのさなか、参戦していた松永久秀(吉田鋼太郎)が突如、陣から逃亡をはかり、織田家中に衝撃を与えました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は京に持つ館にいました。伊呂波大夫からの文(ふみ)を受け取ります。光秀は太夫の小屋へ向かうのでした。

 光秀は大夫の小屋の庭で、三条西実澄(石橋蓮司)と出会います。実澄は扇子で口を隠し、光秀の耳元でいうのです。

「お上(かみ)が、一度そなたと話をしてみたい、と仰せになっておる」

「帝(みかど)が」

 と、信じられない光秀。実澄はいいます。

「信長殿の、行く末を案じでおるのじゃ」

 実澄は去っていきます。光秀は大夫の小屋に入っていきます。それを見ている男がいたのです。

 小屋の中に、松永久秀が待っていました。酒瓶を抱えています。自分も酒をもらいたい、と光秀は伊呂波大夫(尾野真千子)に告げます。光秀は羽柴秀吉(佐々木蔵之介)の話を始めます。秀吉は総大将の柴田勝家(安藤政信)と大喧嘩をして、陣を捨てて近江へ帰った。理由はどうあれ、いくさのさなかに陣を抜けだす者は、死罪と決まっている。信長も切腹をさせると怒ったが、家臣一同のとりなしで何とか収まった。

「それは松永様もご存じのはず」

 光秀は酒を飲み干します。松永は大和(奈良)のことを語ります。守護の原田直正が討ち死にし、次の守護は当然自分だと思っていたのに、信長は筋目の良い筒井順慶に決めた。

「わしは決めたのじゃ」松永は穏やかにいいます。「わしは寝返る。本願寺方につくことにした」松永は光秀を見据えます。「本願寺は、わしに大和一国を任せるといっている」

 光秀は松永をにらみつけます。

「松永様が寝返るとなれば、私は松永様と戦うことになります」

「分かっておる」

 松永は光秀に見せたいものがあるといって箱を開け、茶釜を取り出します。

「これは、わしが命の次に大切にしておる茶道具じゃ。平蜘蛛(ひらぐも)と名付けられた天下一の名物(めいぶつ)じゃ。信長殿がご執心でな。これを持てば天下一の物持ちになれる。しかし」松永は声を張ります。「意地でもこれを渡す気はない。もし、やむなく渡すことになるとすれば」松永は小声でいいます。「十兵衛、そなたになら、渡してもよい」松永は平蜘蛛を差し出します。「わしは、そなたと戦うのは本意ではない。そなたとだけは戦いたくない。初めて、堺の鉄砲屋で会うた時から、今日(こんにち)まで、頼もしきもののふと思い、頼りにもしてきた。戦えば、そなたを討つやもしれん」

松永は涙を流します。光秀は訴えるようにいいます。

「私も戦いとうない。陣を抜け出たことは、私が、信長様に、命かけておとりなしつかまつる。それゆえ、どうか、寝返るのだけはやめていただきたい」

 光秀は深く頭を下げます。松永は叫びます。

「そうはいかんのだ。わしにも意地がある。見ろ、この釜を。これは、わしじゃ。天下一の名物なのじゃ。そなたに討たれたとしても、これは生き残る。そなたの手の中で生き続ける。それでよいと思うたのじゃ」

 光秀は涙を浮かべて首を振ります。

「解(げ)せぬ」

 松永はいいます。この茶釜は、いったん大夫に預けておく。自分が負ければ光秀の手に渡る。自分が勝てば自分のもとに戻る。

 この秋、松永久秀は、大和の信貴山城(しぎさんじょう)で挙兵します。本願寺や、上杉謙信らに呼応し、反信長の戦いに加わったのでした。これに対し信長は、嫡男の織田信忠(のぶただ)(井上巴瑞稀)を総大将とする大軍を大和に送り込みました。織田軍の陣の中には光秀の姿もありました。光秀は佐久間信盛(金子ノブアキ)に話しかけられます。

「実は安土(あずち)の殿から密命がありました。われらがこのいくさに勝ち、松永が命乞いをしてきた場合、許してやってもよい。ただし、その引き換えに、松永の所有する茶道具をすべて無傷で引き渡すこと、なかんずく、平蜘蛛の釜は必ずよこすことじゃと」

 佐久間が去るのと入れ違いに、細川藤考(眞島秀和)が息子の忠興(ただおき)(望月歩)を連れてやってきます。忠興は先陣を志願するのです。

 天正五年(1577年)十月十日。信貴山城への攻撃が開始されます。信長軍の兵が城に入り込みます。松永久秀は、積み上げられた茶器に油をかけていました。松明を手に取ると、それに火をつけます。松永は家臣たちに命じます。自分の首を箱に入れ、茶道具と共に焼き払え、と。松永は腹に刃を押し込んでいきます。膝をつく松永の顔は笑みを浮かべていました。その首に家臣が刀を振り下ろします。

 建設中の安土桃山上の宝物庫で、信長が叫びをあげながら涙を流していました。光秀が城の廊下を歩いてやってきます。広間には帰蝶(川口春奈)が待っていました。焼けただれた茶器が並べられています。信長は、とたずねる光秀。向こうの部屋で泣いていると帰蝶は答えます。

「近頃、時折お泣きになるのじゃ。此度(こたび)の理由は何であろう。松永殿の死を悼(いた)んでおられるのか」帰蝶は焼けた茶器の破片を手に取ります。「松永殿のあまたの名品が、このありさまになったことを嘆(なげ)いておられるのか。このごろ、殿のお気持ちが私にはようわからぬ」

 帰蝶は、信長が何かを怖がっているように見える、といい出します。駿河の国に富士という日の本一の高い山がある。高い山には神仏が宿り、そこへ上った者はたたりを受けるという。信長は朝廷から、足利将軍と同じ身分を賜(たまわ)った。天下一高い山であり、登れとけしかけた自分も、信長と一緒にたたりを受けるかもしれない。疲れてきた。美濃の鷺山のふもとに小さな館がある。そこで暮らそうかと思う。そこに信長が入ってきます。帰蝶が去ると信長は切り出します。

「そなた、松永が所持していた天下の名物、平蜘蛛という釜を存じておるな。佐久間の家臣が、焼けた城跡をくまなく探したが、破片も見つからなかったという。おそらく松永がいくさの前に、どこかへ預たのではないかと思うておるのじゃ。そなたは松永とは親しい間柄であった。松永が誰に預けたのか、聞いているのではないかと思うたのじゃ」

「そのようなことは」

 光秀はとぼけます。信長は大和と京に忍びを配して、松永を見張らせておいた、といい出します。松永は京に入って伊呂波大夫の小屋へ行った。そこで何人かの親しい者と会った。

「その中に、そなたがいたというのだ」

 信長は扇子で光秀を指します。

「その小屋へは参りました」

 と、正直に言う光秀。寝返りしないようにと話したと語ります。

「平蜘蛛の話は出なかったんだな」

 と、強く言う信長。光秀はうなずきます。信長は立ち上がり、光秀に近づきます。

「もう一つはな、そなたの娘、たま、の件じゃ。嫁入り先だが、細川藤考の嫡男で、忠興という者がいる。存じておるな。あの忠興に嫁がせよう」

 光秀が去ると、信長が一人いいます。

「十兵衛が、初めてわしに嘘をついたぞ」

 光秀は坂本城に戻ってきます。たま、には嫁入りのことを切り出せずにいます。伊呂波大夫がやってきます。平蜘蛛の釜を持ってきていました。

「お受け取りくださいませ」

 という大夫に、光秀はいいます。

「信長様に、この平蜘蛛の行方を問われ、知っていると」光秀は自分の喉に手をやります。「ここまでいいかけたが。いえなかった。いえば、これが信長様の手に落ち、わしは楽になれた。しかしなぜか、いえなかった。そうか」光秀は気づくのです。「これは罠だ。まんまと引っかかってしもうた。これは松永久秀の罠じゃ」光秀は目をむいて笑い始めます。「松永様の笑い声が聞こえておるぞ。どうだ十兵衛、恐れ入ったか、と」

 光秀は笑い続けるのでした。伊呂波大夫が穏やかにいいます。

「松永様が仰せられました。これほどの名物を持つのは、持つだけの覚悟がいると。いかなる折も、誇りを失わぬ、志(こころざし)高き者、心美しき者。わしは、その覚悟をどこかに置き忘れてしもうた。十兵衛にそれを申し伝えてくれ」

 下がろうとする伊呂波大夫を光秀は呼び止めます。帝に拝謁したい、と頼むのです。

 

極私的・偏愛的ベストテン2020年度版

 極私的・偏愛的ベストテン2020年度版

    

 新型コロナウイルスが猛威を振るっている。危機管理能力が極端に欠如している現政権は、猛威の後追いをしているだけで決断できずに事態をいたずらに悪化させているばかりだ。それもそうだ。棒読み首相のオリジナル発言で見るべきものは場の論理を全く理解していないガースーだけというお粗末さなのだから。ところがこのガースーが<自滅の刃>となり、「現代用語の基礎知識」に登録されることと相成った。それはそうとして、結局、結論は不要不急の外出を控えるようにというお決まりの文句となった。
 国民は引きこもっていなさいと言う事だ。よく考えるとこれは必ずしもマイナスに捉える必要はないことに気付いてしまったのだ。どういうことかというと、コロナ渦中の引きこもりには<時代小説が良く似合う>からだ。その理由の第一は、作品に描かれているのは、歴史年表に記されているような<過去>ではなく、その時代を生きた人々の生々しい<現在>だからである。勿論身分によって、その暮らしは全く違う。現在の生活環境とは程遠いものがある。しかし、大事なのは<暮らしに対する思い>である。思いに時代や環境の差はなどない。作家が歴史を舞台として小説を書くのは、その一点が根幹だからに他ならない。
 第二の理由は、時代小説こそ行き詰まりを打開し、道を開く勇気や家族愛を描くのを最も得意としているからだ。御託はこのあたりにして、ベストテンに入ろう。

 

                 単行本編

第一位 『天離り果つる国』 宮本昌孝  PHP

 

天離(あまさか)り果つる国(上)

天離(あまさか)り果つる国(上)

  • 作者:宮本 昌孝
  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 単行本
 

 

 総合的、俯瞰的見地とは隔絶した個的、微細な視点で戦国の世をとらえたところに新しさがある。弱小国や弱者を踏み潰していく権力に抗った若武者と姫を主人公として描いた活劇巨編である。飛騨白川郷に戦国を掌握するためには欠かすことのできない秘密を埋め込み、この争奪戦をスピード感あふれるスリリングな展開が見事にはまっている。孤塁を守るヒーローとヒロインの凛々しさが眩しい。戦国ものがヒーロー小説であることを教えてくれる逸品である。

 

第二位 『まむし三代記』 木下昌輝 朝日新聞出版

 

まむし三代記

まむし三代記

  • 作者:木下 昌輝
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 単行本
 

 

 信長、秀吉、家康といった三人の覇者を超える戦国武将を造形することにより、ありきたりの戦国史を根底から覆して見せた快挙本である。斎藤道三と父親が辿り着いた日ノ本すら破壊するという最終兵器<国滅ぼし>とは何か。これを見せ球として経国、救民という戦国武将が持つべき哲学と志をマムシ三代戦に刻み込んだ才覚は瞠目に値する。卓越した人物解釈は作者の成熟が確実に進みつつあることを示している。

 

第三位 『北条五代』 火坂雅志伊東潤 朝日新聞出版

 

北条五代 上

北条五代 上

 

 

 執筆半ばで亡くなった火坂雅志『北条五代』を剛腕・伊東潤が書き継いだのが本書である。
 独自の歴史観と鋭い人物解釈で、戦国ものに新たな光を当ててきた火坂ワールドの集大成的な意味合いを持っていたのが『北条五代』であった。戦国ものを書き続けてきた火坂雅志にとって、百年に渡る北条五代の歴史は、戦国の縮図であったと思ぅ。つまり、群雄割拠、下克上を逞しい精神力と知略をフル回転させて生きた早雲。氏綱は北条の地歩を固めた。それをベースに氏康、氏政、氏直の三代を経て、経国、救民による王道楽土を描くことがねらいであった。
 重要なのは、完結に持って行けなかった火坂雅志の無念さに寄り添い、バトンを引き継いだのが伊東潤であったことだ。伊東はその狙いに共鳴し、経国、救民を目標とする精神の連続性を太い動線として後半を固めた。下巻第四章が素晴らしい出来栄えとなっている。歴史を超える精神の連続性という解釈のもとに造形された氏直の人物像は、伊東ならではのダイナミックな解釈と、鋭い彫り込みで独自性に溢れている。コラボレーションがより崇高な高みを極めたものとなっている。
 これを快挙といわずして何を快挙と言うのか。

 

第四位 『天穹の船』 篠綾子  角川書店

 

天穹の船

天穹の船

  • 作者:篠 綾子
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本
 

 

 物語の発端は安政地震による津波であった。この津波により、日露和親条約締結交渉のため、伊豆下田沖に停泊していたディアナ号が大破。修理のために伊豆戸田に回航中に沈没してしまうという出来事が起こった。ロシアに帰国するために
は変わりの船を用意しなければならない。開明派の江川太郎左衛門は、本格的な様式帆船の建造技術を習得する絶好のチャンスと捉えた。
 作者はこの歴史的事実に注目し、崇拝する江川の頼みで船大工として参加する主人公を物語に投入。造船のプロセスを丁寧に描く中に、主人公平蔵の内面、要するに様々な困難に立ち向かいつつも、自問自答をする姿を繰り返し撚り合わせるように挿入している。これが物語に得難い緊迫感となって奏でられている。
 極めつけは平蔵が船大工を目指すモチーフを、作者が得意とする和歌を巧みに使いこなすことで豊かなものにしている手法である。

 天の海に雲の波立ち月の船
 星の林に漕ぎ隠る見ゆ       柿本人麻呂

 実にうまい。さらに<郡内騒動>も登場する。これにより物語の間口が広がっている。コロナ禍で喘ぐ時代が欲しているのは作蔵の生きざまである。時代小説でなければ書けない価値がここにある。

 

 『化け物心中』 蝉谷めぐみ  角川書店

 

化け者心中 (角川書店単行本)

化け者心中 (角川書店単行本)

 

 

 時は文政、所は江戸、鳥屋を営んでいる藤九郎が元立女形の魚の助に呼び出され、中村屋をまとめている座元のところに向かう。二人は鬼探しという奇妙な依頼を受ける。これが物語の発端である。新作台本の前読みをしていた六人の役者の輪の真ん中に、頭が転げ落ちてくる。ところが役者は六人のままである。この謎を解いて犯人を探し出せと伊野が以来の内容である。怪奇に溢れた出だしで掴みとしては上出来である。
 発表されると同時に新人とは思えぬ力量に拍手喝采となった逸品である。作者の非凡さは探偵役の二人の人物造形にも見ることができる。藤九郎の造形に彫り込まれる鳥屋も意味深で、ものの観方は感覚的で突出している。需要な仕掛けはこの藤九郎の視線が全体を覆う色調を形成していることである。
 一方、魚の助は芝居中に熱狂的な贔屓に足を傷つけられ、その傷がもとで膝から下を失っている。この魚の助が抱えている絶望的な喪失感が、全体を覆うモノクロームの色調である。この二人の会話が凄みを帯びており、物語の流れを作っている。魚の助を何とか役者に戻したい思いと、それを承知していながら魚の助は悪態をつく。この二人の空気感が物語を支配し、独特の世界が現出する。それを可能にしたのが語り口の巧さである。芝居の拍子木のように物語を貫いている。
 とんでもない新人が現われたものである。少女漫画を突き抜けた戯作の世界に思えた。

 

第六位 『女だてら』 諸田玲子  角川書店

 

女だてら (角川書店単行本)

女だてら (角川書店単行本)

 

 

 題材がいい。女性作家が輝いているのは歴史の行間から珠玉の題材を掘り起こしてくる感性にある。本書は実在した漢詩人・原采蘋の数奇な半生と、秋月黒田家のお家騒動を絡ませ、驚嘆すべき内幕をサスペンスタッチを巧みに取り入れながら描いた力作である。
 情念に憑かれた女性のほとばしるような生き方を描くのを得意としてきた作者が、本書では聡明でしなやかなで活発な現代的な意匠を施した女性像を造形している。不気味な追手の影、錯綜する思惑、巨大な陰謀を背景に置くことで、優れた冒険小説の面白さを取り込んでいる。新境地を示した記念碑的な作品となっている。

 

第七位 『ニッポンチ』 河治和香  小学館

 

 

 作者には全五巻に及ぶ『国芳一門浮世絵草紙』という大作がある。人気浮世絵師だった歌川国芳と、脳天気な弟子たちの浮世模様を、長女登鯉の目から描いたもので、傑出した出来となっていた。
 本書は、このシリーズの後日談とも言うべき内容で、副題として「国芳一門明治浮世絵草紙」という文字が添えられている。つまり、国芳の弟子たちが明治という新しい世をどう生きたかを描いたものである。登鯉が早世したために明治に入り一門を背負うことになった国芳の娘・芳女をはじめ、奇人で知られる河鍋暁斎や、上野のお山の戦乱で精神を病んでしまった芳年など、波乱の人生を送った弟子たちの姿を活写している。得難いエンターテインメント作品といえる。

 

第八位 『江戸の夢びらき』 松井今朝子 文藝春秋

 

江戸の夢びらき

江戸の夢びらき

 

 

 いつ書くのかと思っていた。「今でしょう」という作者の声が聞こえそうなとっときの題材の本である。主人公は初代市川團十郎。得意の歌舞伎ものだ。それだけに安定感は抜群である。
 元禄という時代性が乗り移ったような役者・市川團十郎が命を懸けてまで表現しようとした<荒事>とはなにか。作者の歌舞伎遍路が行き着いた先を見せるようなテーマがここにある。

―現実(ほんもの)に負けない夢を見せるのがおれの役目ではないかー

泣けるね。

 

第九位 『絵ことば又兵衛』  谷津矢車  文藝春秋

 

絵ことば又兵衛

絵ことば又兵衛

 

 

 才人、才筆とはこの作家のための誉め言葉に思えてしょうがない。2013年『洛中洛外画狂伝』を読んだ時、真っ先に浮かんだのはそんな感想であった。その後に次々と旺盛な筆力を駆使して発表する作品群が、それを如実に物語っていた。特に『おもちゃ絵芳藤』は着眼点のすぐれた作品で歴史時代作家賞を授賞している。本書はホームグランドともいえる絵画ものである。それもよりによって岩佐又兵衛ときた。作者がこの難しい題材をどう処理するのか楽しみが尽きない。作者にはそう思わせる意外性を常に秘めている。
 岩佐又兵衛といえば信長に反旗を翻したことで世に知られる荒木村重の息子として生まれ、奇想の絵師として知られる画家である。又兵衛は生来の吃音というハンディを抱えていた。
他人と言葉で繋がれない悩みを筆と墨さえあれば繋がれる力に変えていけると思うまでの生き様が克明に描かれている。ラストの場面は見事の一言に尽きる。

 

第十位 『質草女房』 渋谷雅一 角川春樹事務所

 

質草女房

質草女房

  • 作者:渋谷雅一
  • 発売日: 2020/10/15
  • メディア: 単行本
 

 

 ラストを飾るのは新人で、第12回角川春樹賞受賞作である。話の筋は単純なのだが設定に妙がある。彰義隊に入る夫に手元に金がないので質屋に預けられた女房と、その女房に興味を覚えた貧乏浪人は、質屋から七草の夫の捜索を頼まれる。
逃亡先と思われる会津へ向かうが、その道中で知り合ったのが新政府軍の参謀である。三人三様の生き様が交錯することでちょっと変わったエンターテインメントとなっている。語り口が凝ったところがなくわかりやすくのびやかである。そこに見どころがある。二作目が勝負となろう。

 

 浅田次郎『流人道中記』 中央公論新社

 

流人道中記(上) (単行本)

流人道中記(上) (単行本)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 単行本
 

 

 浅田時代小説ワールド全開の感動巨編である。相変わらずうまい。と言う事で殿堂入りにした。
 今村翔吾『じんかん』講談社は作者の小説作法の凄さを彷彿とさせる作品となっている。評判も高い。ただかは個人的に気になることがあった。稀代の悪人として知られる松永久秀を、経国済民という戦国ものの今風のテーマを根底に置いて彫り込み直すという手法はさすがといえる。戯作魂に磨きがかかっていることは理解した。設定、人物解釈、ストーリー展開の面で捻り過剰すぎると感じた。そこにこの作者が開拓しつつある小説作法がこのまま突き進むことの危うさをあるのでは。

 
   

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十九回 本願寺を叩け

 天正三年(1575年)。将軍、足利義昭を追放した織田信長(染谷将太)は、幕府に変わり、畿内を掌握し始めました。しかし、信長に抗(あらが)う勢力は、各地に残っていました。

 本願寺にて宗主の顕如(顕如)が、武装した信者たちに語ります。

「信長は無体にも、この本願寺の地を、明け渡せといっておる」顕如は扇子を突き出します。「仏法の危機は、今、この時ぞ。この戦いに粉骨し、仏敵をたいらげるのじゃ」

 顕如率いる本願寺に対し、信長は五年にわたって攻略を続け、天下の静謐(せいひつ)を目指していました。

 朝廷は信長に対し、武士には異例ともいえる高い官職を授けます。「権大納言 右大将」というものでした。

 信長は岐阜に戻り、次なるいくさ支度にかかり始めます。

 その岐阜城に、三条西実澄(石橋蓮司)がやって来ます。実澄は信長に述べます。

「京には京の理(ことわり)がある。それを是非ともお伝え申さねばと。なぜ京を離れられた。右大将に任じられたあと、任官のごあいさつにも見えられぬ。名代として、みどもが帝(みかど)にごあいさつ申し上げた次第。これは前代未聞のこと」

「武田が美濃に攻め入りまして」信長が話します。「事と次第では、この信長も、出陣いたす所存でございましたゆえ」

「もそっと、京にいていただかねば。そして、朝廷のしきたりに従っていただかなくては」実澄は声を張ります。「帝をおろそかにされては困る」

 信長は了解します。京には嫡男の織田信忠(井上瑞稀)留らせるといいます。家督を譲ることにしたというのです。実澄は驚きます。

「そもそも信長殿は、いつまでいくさをなされるおつもりか。かの本願寺とのいくさも、この五年、一向におさまらん。お上は、それを案じておられる」

「帝が」信長は片眉を上げます。「ならばおうかがいいたす。信長が献上いたした蘭奢待(らんじゃたい)、毛利に下しおかれたと聞くが、なにゆえ。毛利は裏で本願寺を支えておる、いわば敵方。そういうお話を聞くにつけ、この頃、帝のお姿が遠ざかって見えまするが」

 信長は、京に近い近江の国、安土に城を築き始め、政(まつりごと)の中心を移しました。「天下布武」の旗印のもと、信長の目指す世は、大詰めを迎えていました。

 織田軍は、本願寺の南に位置する、天王寺砦を拠点に、本願寺と熾烈(しれつ)ないくさを続けていました。そうした中、本願寺攻めの総大将、原田直政が討ち死にします。戦意を失った織田軍は、天王寺砦から、打って出ることも、逃げ出すこともできぬほど追い込まれ、籠城するほかありませんでした。松永久秀(吉田鋼太郎)がいいます。

「敵は一万三千。鉄砲も千挺はある。手強いぞ」

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)もいいます。

「この天王寺のだけでは手勢少なく、事を進めるには無理がある」

 信長がこちらに向かっていると佐久間信盛(金子ノブアキ)がいいます。それまでに打つ手を考えなくてはなりません。光秀は腕に怪我をしていました。丹波攻めから引き続いての戦いで、光秀は疲れ果てていました。信長が到着します。甲冑(かっちゅう)も身につけていません。

「何を手間取っておる」

 信長はいらだちを伝令兵にぶつけます。一向宗の信者ではないかと言いがかりをつけ、棒で突いたり、蹴り飛ばしたりします。光秀がそれを止めます。敵が思った以上に手強い。鉄砲の数も多い。侮(あなど)ってはならない。信長のいらだちはおさまりません。

「数ではない。気合い足りんのじゃ」信長は叫びます。「今すぐ打って出よ。行け」

 しかし動くものはいません。光秀が皆を代弁します。

「皆、疲れておりまする」

「そうか、ならばわしが行こう。いくら数があったとて、相手は坊主。坊主の鉄砲など当たらぬ」

「敵の中には紀州雑賀(さいか)の鉄砲衆があまたおり、狙いを外さず、撃ちかけて参りまする」

 光秀が止めるのも聞かず、信長はひとり、砦の外に立つのです。一斉に敵の鉄砲が火を噴きます。信長は味方に命じます。

「かまわず撃て」

 しかし飛来する敵弾が信長の腿(もも)を撃ち抜くのでした。とっさに飛び出して、信長を引き倒す光秀。

「鎧(よろい)も着けずに、無理でございます。殿のお命、殿お一人のものではありませぬ。お考えください」

 光秀は古くからの家臣である藤田伝吾(徳重聡)に信長をかつがせ、その場を撤退するのです。信長が砦で皆に連れられていくと、光秀は松永久秀に水を差し出されます。松永はいいます。

「全く近頃の信長殿にも困ったものだ。あえて見つけて、無理を申される。無理を通される」

 松永がしゃべっている最中に、光秀は膝を突きます。そのまま倒れ込むのです。

 倒れた光秀は京にある光秀の館にまで運ばれます。健吾が妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)に報告します。傷は浅いが毒が入ったのか、たちまち弱ってしまった。大阪の医者は仏罰だといって怖がるばかりで、やむを得ずここまで運んできた。熙子は裸足のまま夜道に飛び出します。足が傷つくのもかまわず、走り続け、医師の望月東庵(堺正章)を呼びに行きます。東庵は光秀の容態を診ていいます。

「熱があまりに高すぎる。医者として手を尽くすが、あとは神仏がご加護を下さるよう」

 熙子は雨の中、神社で、お百度参りを始めます。数珠玉を石の上に置いていきます。しかし東庵に薬を届けて帰ろうとしていた駒(門脇麦)に、倒れている姿を発見されるのです。駒に介抱され、熙子は元気を取り戻していきます。思い出話をして、駒と笑い合います。

 光秀がついに意識を取り戻します。その手を熙子が握るのでした。

 数日後、なんと信長が光秀の館にやって来ます。挨拶もそこそこに、いくさの話を始めます。本願寺を叩くには、兵糧や弾薬を運んでくる毛利を討つことだ。そして今後の大和についての話を始めるのです。大和を押さえていた原田直政が討ち死にした。筒井順慶に治めさせようと思う。

「しかしそれでは、長年、大和を領地として治めてこられた、松永久秀殿のお立場が」

 光秀は考え直すようにいうのです。そこへ光秀の娘たちが、茶菓子を持って入ってきます。信長は上機嫌になり、次女のたまの嫁ぎ先を自分が決めてやるといいだします。そして建設中の安土の城について話し出すのです。去り際に信長はいいます。

「大和の話しゃが、やはり筒井に任せる。よいな」

 三河岡崎城では、徳川家康(風間俊介)が妻の築山殿と話していました。織田の娘が徳川に嫁いできて、孫を産もうとしていたのです。女の子が生まれたと聞いて築山殿は部屋を出て行きます。家臣に確認して家康は立ち上がります。庭に菊丸(岡村隆史)が来ていました。京の様子を聞いてから、家康はたずねます。

「信長様は今、この徳川をどう見ておられる」

「正直に申し上げて」

「かまわぬ」

「今は、三河のことなど、お忘れではないかと」

 衝撃を受けた様子の家康。菊丸は続けます。

「信ずるに足るとすれば、やはり、明智様かと」

「そうか」家康はうなずきます。「やはりな」

 京では、光秀の病が癒えるのと入れ替わるように、熙子が胸の病で床に伏せっていました。その熙子のために病魔退散の祭りが行われます。

 その夜、熙子はひとり、花びらをもてあそんでいました。祭りの余韻を味わっていたのです。そこへ光秀がやって来ます。熙子いいます。

坂本城に連れて行っていただいた時は、夢のようでございました。越前での暮らしは、子供たちも幼く、苦しい中にも、張りのある日々でございました」

「わしの留守を、非常に良く守ってくれた」

「十兵衛様」

「なんじゃ」

「ずっと思うておったことがあります。越前へ逃れる途中。駒さんが話していました。世を平らかにする者が現れたとき、そこに訪れる生き物のお話し」熙子は光秀を見上げます。「私は、麒麟を呼ぶ者は、十兵衛様、あなたであったなら。ずっとそう思っておりました」熙子は夜の庭を見ます。「あといくつ、いくさをしのげば、穏やかな世が見られるのでしょうか。岸やたまの子は、いくさを知らずに育つでしょうか」

 光秀は熙子の肩を抱きます。

「眠くなりました」

 と、熙子はいいます。

「ずっとこうしていよう」

 光秀はそう声をかけます。花びらが風に吹かれていきます。

 天正四年秋、光秀の妻、熙子はその生涯を閉じました。

 

書評『浄土双六』

書   名  『浄土双六』               
著   者  奥山景布子
発   売  文藝春秋
発行年月日  2020年11月20日
定   価  本体1600円(税別)

 

浄土双六 (文春e-book)

浄土双六 (文春e-book)

 

 

 戦前の皇国史観ゆえであろうか、戦後となっても、室町期が小説の舞台に設定されることはまれで、永井路子の『銀の館』(1976年)、司馬遼太郎の『妖怪』(1968年)、南條範夫の『室町抄』(1984年)などの秀作が数えられるのみであったが、このたび本書が加わった。『オール讀物』に発表した4編に書下ろし2編を加え、オムニバス形式で繋ぎ一冊に纏めた短編連作集で、構成は以下の如し。

1、橋を架ける男 願阿(がんあ)弥(み)  書き下ろし
2、籤を引く男  足利(あしかが)義教(よしのり) 『オール讀物』2011年9月号
3、乳を裂く女  今(いま)参局(まいりのつぼね)  『オール讀物』2009年7月号
4、銭を遣う女  日野富子  『オール讀物』2010年7月号
5、景を造る男  足利義政  『オール讀物』2019年12月号
6、春を売る女  雛女(ひなじょ)    書き下ろし

 足利義政(1436~1490)ら5人の歴史上の人物が現世(うつつ)に惑い浄土を求める人間模様が室町時代中期を舞台に繰り広げられる。「生きるとはしょせん双六か。命ある間は降り続けねばならない」(210頁)と「浄土双六」が上がった時、今まで誰も見たこともない足利義政日野富子(1440~1496)の像が史実の間隙をぬって立ち現れる。一筋縄ではいかない小説作法と共に、作家が著述に要した時間も特筆に値する。「乳を裂く女」から書下ろし作品までに10年以上の間隔があるのも異例で、まさに「構想10年」の満を持しての刊行である。

 足利義政は夫人の日野富子に御せられて応仁の乱を傍観した凡庸な人物で 為政者としての適性を欠いていたとも、見事な創造を成し遂げ、一応の美的世界たる東山文化を確立したとも評せられてきた。富子はその権力、義政以上で、収賄した金で暴利を貪るほどの、おそるべき守銭奴であって、応仁の乱の最大の元凶は御台所富子であると名指しされ、「悪女」の代名詞のように評せられてきた。真実の義政とはいかなる人物であったのか。本当の富子はいかなる女であったのか? 歴史の襞に分け入るような味わい深い文章に惹きこまれつつ、汲めども尽きぬ面白さを秘めている本書を何度も読まずにはいられなかった。

「籤を引く男」の足利義教(1394~1441)は籤という前代未聞の手段で将軍となった史上ただ一人の将軍で、義政の父である。嘉吉元年(1441)6月24日、「籤引き将軍」と陰口を叩かれながらも、将軍権力の専制化を苛烈に推し進め「万人恐怖」の世を現出した6代将軍義教が赤松(あかまつ)満祐(まんゆう)に弑逆される。世にいう嘉(か)吉(きつ)の乱(らん)である。いかなる重大事でも籤で決め、赤松満祐の招待を受けるか否かも籤によった義教が「今日ここへ座ってはいけなかったのだ」(77頁)と知るときは自身が惨殺されるそのときであったとは。
 長禄3年(1459)1月、8代将軍義政の御台所(正室)日野富子所生の男子が死産。今参局(生年不詳~1459)の呪詛によるとの風評を義政に吹き込む者があり、今参局は琵琶湖の沖ノ島に配流され、途中、女子ながら切腹して果てる。今参局は義政を襁褓の中から養育、義政の幼時から仕えた乳母で、義政の側近として幕政に介入、権勢を恣にすると共に、義政より17歳も年上ながら、成(●)人(●)後(●)の義政に女として奉仕する愛欲の世界が描かれる。
 嘉吉の乱以降、将軍家の威信は下降の一途をたどり、幕府財政は窮乏し、世情は混乱する。義政の治世下に、史上名高い寛正(かんしょう)の大飢饉(だいききん)が起きる。寛正2年(1461)2月、時衆の聖・願阿弥(生没年不詳)は義政より六角堂頂法寺の南での小屋がけの許しを得て、流民餓人に粟粥を施すべく、権門勢家の間を走り回り寄進を求める。小栗宗湛(おぐりそうたん)の障子画には二万貫を惜しげもなく支払った義政が願阿弥に施行したのは何とわずか銭百貫文(36頁)ばかりであっとは。後花園天皇は義政に驕奢と乱費を戒める一篇の詩を送るが、意に介さない義政は「嫌みな漢詩」と一蹴する。
 寛正5年(1464)11月、男児に恵まれなかった義政(29歳)は弟義尋(ぎじん)を還俗させ、義視(よしみ)と改名させて後嗣に決める。ところが皮肉なことに、その翌年11月、富子(26歳)が義(よし)尚(ひさ)を産み、将軍継嗣問題が激化する。
義政が義視を後嗣とした本当のもくろみは「幕府再建の理想」(201頁)にあった。義政は将軍職と室町第を弟に譲り、自分は新たな住まいを造ろうとしたのだ。もっとも、幕府再建の理想が崩れて後には、将軍家を見守るための隠居所ではなく、己の平穏のためだけの場所を造ろうと考えているが(204頁)。しかし父ほどの意志の強さや指導力を持たなかった義政はこの理想を「富子には話していない」(197頁)。夫は30になるやならずで将軍職を放り出したとしか見えない富子にとって「良い景色を造ることが何よりの快楽である」と言ってはばからない「夫の心底は今なお闇の中である」(142頁)としか思えないのは当然であろう。

「銭を遣う女」――。足利将軍家ゆかりの公家・日野家の出である日野富子は女性でお金を稼ぐことの強みを知っていて、銭で銭を殖やす術が富子を支えた。10余年に及ぶ戦乱の間、自分の子供を将軍にすることのみに力を注いだ富子は抜け目なく大名たちを相手に金を貸し付け、その利息で財を成していた。潤沢な財で夫と幕府の財政を支えた富子は「感謝されこそすれ、いわれなき中傷を受けねばならぬのか」?「ひとりごちる」。金が持つ人を操る力を知り尽くし、やりたいことをやった人として作家は富子を描いている。
「銭を遣う女」の時代背景は義尚が父子共に「世を治めえぬ愚か者の将軍」(206頁)と自嘲しながら25歳の若さで夭折した5年後の「明応3年(1494)春」と限定されていること。このことには着目すべきではないかと思われる。
 登場人物は愛息義尚、夫義政を相次いで彼岸へ見送り、自身も剃髪して尼となっている五十路の坂を越えた富子と、義政・富子の長女である聖子(義尚の姉)の二人。尼として出家の日課をこなしつつ、老後の余生を送る富子が義政との結婚、今参局との確執、義尚の出産・出陣そして死と「過ぎし日」を回想するシーンがほとんどであるが、富子を親の仇としてねらう少女が登場する。無論、創作上の人物である。富子から商売の手ほどきを受けた少女は雛女と名付けられ、富子は雛女に元手を「貸す」と言い渡して、小商いをさせる。それを聖子は見ていて、「聖子や義尚といった、血のつながった子にはくれなかった何かを、母がその雛女とやらにくれてやろうとしている」(160頁)と。「悪女」と言われた富子の別の側面が描かれている。この雛女は最終章の「春を売る女」に再登場する。

「春を売る女」は織田信長が13代将軍義輝に拝謁すべく上洛した永禄2年(1559)2月が時代背景である。主人公は萩野(はぎの)こと雛女。茶屋という看板の元、表家業としての女郎屋、裏では金貸しと、二つの生業で世を渡ってきた萩野は富子に連れられて申楽「砧」を見物した折、富子が「羡ましきこと」(237頁)と独りもらしたことを思い出す。「強欲で勘定高い稀代の悪女、京を焼け野原にした、長きにわたる戦乱の元凶を造った女と、亡くなって既に60余年を経た今でさえ、口を極めて罵る人も少なくない」が、「本当の富子はいかなる女だったのかと問われたら――萩野は正直、返答に困る」、と自問自答する(234頁)。
巻頭巻末にちりばめられた『梁塵秘抄』の歌の文句が「浄土双六」に相まって奥深い。余韻の残る究極の富子像である。            

                 (令和2年12月27日 雨宮由希夫 記)