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書評『葵のしずく』

書名『葵のしずく』
著者 奥山景布子
発売 文藝春秋
発行日 2022年10月10日
定価  本体1700円(税別)

 

 

 幕末維新に翻弄された悲運の美濃高須(みのたかす)松平家(まつだいらけ)四兄弟を支えた女性たちが主人公の本書は『葵の残葉』、『流転の中将』に続く高須四兄弟シリーズの第3弾目である。「序 金鯱哀話」では尾張徳川家のシンボルたる金の鯱の流浪の旅が織り込まれ、以下、「太郎庵より」「二本松の姫君」「絃の便り」「倫敦土産」「禹王の松茸」の短編5編が描かれている。拙評では特に桑名(くわな)松平家を継いで京都所司代となる定敬(さだあき)の姉幸姫(よしひめ)がヒロインの「倫敦土産」をとりあげたい。

 物語は明治15年(1882)4月11日。松平定敬と上杉茂憲(もちのり)の二人が東京上野不忍池弁天島南岸の料理屋・長蛇亭で会うシーンからスタートする。茂憲の正室の幸姫は定敬の実の姉で茂憲は定敬の義兄にあたるが、思えば不思議な縁といえる。幕末維新史は骨肉相食む形で奔流の如く動く。京都守護職京都所司代として共に京都の治安維持に専心したこともあって、定敬は四兄弟の中で最も年の近い容保(かたもり)のことを一番に慕っていた。明治の世になって、定敬にとって茂憲が今では実兄容保に次いで心許せる人となっていたのであった。
 この日、茂憲は幸姫が生涯手元に置いていたという二葉の写真を持参してきた。明治初年の撮影であろう茂憲幸姫夫妻が写っているものと、京都時代の定敬と茂憲が居並ぶ写真である。
 安政6年(1859)14歳の定敬が養子にいくまで、江戸の高須藩邸でともに過ごした幸姫。一つ違いでしかも母も同じ姉の幸姫は定敬にとって思い出を共有する大好きな姉であった。
伊勢国桑名藩主で京都所司代の重責にあった定敬(さだあき)が義兄茂憲と初めて会ったのは慶応2年(1866) 春、京洛の地である。茂憲は前年の暮れ、京の警護を命じられて出羽米沢から上洛してきたのであった。
 慶応4年(1868)1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発。幕府軍は惨敗し、1月6日、大坂へ退いていた「最後の将軍」徳川慶喜(よしのぶ)が戦線離脱し、定敬は兄の容保や老中の板倉(いたくら)勝静(かつきよ)らと共に大坂城を脱出、幕府軍艦開陽丸で江戸へ下る。慶喜は高須四兄弟にとって従兄弟に当たるが、総大将の敵前逃亡で定敬と容保は「朝敵」とされ、二人の果てしない流浪の旅がはじまる。

 東北戊辰戦争――。8月23日は西軍がついに会津若松城下に侵入、容保が籠城を決意した日。定敬は容保と共に入城することを願うも、容保は外からの援軍をもって会津を助けてほしいと要望。涙を払った馬上の定敬は僅かの供を連れて義兄茂憲を頼って米沢へと向かう。
 茂憲の父斉憲が藩主の出羽米沢18万石は仙台藩と共にいわゆる奥羽越(おううえつ)列藩(れっぱん)同盟(どうめい)の盟主であったが、定敬を出迎えた米沢藩重臣の態度は冷淡で、米沢藩世子の茂憲と会っての会津藩援軍要請の話し合いを申し込むも、茂憲は病と称して会わせない。姉・幸姫との面会も拒絶される。この時すでに、米沢藩は奥羽、越後の大勢を見てとって藩論を恭順と決定していたのである。8月27日、「上杉の裏切り」を知った定敬は孤影悄然、追われるように米沢城下を立ち去る。この直後、恭順したばかりの茂憲は会津攻めの先鋒として駆り出される。
 こうした事情を幸姫が知るに至るのは半年後の明治2年3月。「いつまでも隠しておけぬ」と言う夫茂憲の口からである。「かような残酷なめぐりあわせがあるものか」と嘆く夫に対し、妻の幸姫は夫の苦悩の深さを知り、何も知らずにいた己の愚かさを自虐する。
 幸姫は世の中が変わったことをはっきりと思い知らされたが、この数年での世情の移り変わりは幸姫にとってどう受け止めてよいかわからぬことばかりであった。  
 幕府の要請で京都守護職を奉ずるはめになり挙句の果てに賊の汚名を着る会津中将松平容保会津の落城、東京への護送、処分を待ちながら謹慎する兄容保。同様に「朝敵」となり、北越会津、米沢、仙台、函館とラスト・サムライの意地で転戦、流浪、路頭に迷いつつ、行方知らずとなっている弟定敬。二人の兄弟を思いつつ、幸姫は「兄も弟も宿命としか……。それぞれに誇りを失っていない……。どうか、葵に連なる者として誇りを……」と念じつつ、夫と弟〈鍥之(けいの)助(すけ)どの〉が仲睦まじげに居並ぶ写真に見入る。
 尾張徳川家の分家である美濃(みの)高須(たかす)松平家の第10代藩主松平義建(よしたつ)は子福者といわれ、男子を幾人も他家に養子に出しているが、その父はたった一人の娘・幸姫が文久2年(1862) 5月28日、米沢藩主上杉斉憲の長男茂憲へ嫁ぐに際しては「葵に連なる者として、常に婚家の上杉のためを考える正室になるように」と諭すのだった。
「葵に連なる者として誇り」は幸姫にとっても、最後の誇りであったのである。

 明治の世になっての、義兄弟・定敬と茂憲二人の再会――。
明治5年(1872)正月6日、定敬は特旨を以て永預を解かれようやく長い謹慎生活が終わるが、姉の幸姫はその年の7月17日、他界していた。
 菊葵――姉弟の生家、高須松平家の家紋入りの手文庫に収められた二葉の写真は幸姫の何よりの宝で、最後まで枕元に置いていたものと聞かされ定敬は「――姉上。せめて一目なりとも、お目にかかりとうございました」と涙す。読者も涙を禁じ得ない名シーンである。
 過ぎ去った日々、来し方を振り返り、世の変わりようへの怒りや鬱屈を共有していたことであろう。「貴公とかく親しき交わりとなろうとは」。二人は互いに恩讐を乗り越え、積年の澱を全て洗い流す。定敬と茂憲、ふたりの男の歩んできた人生の重み、そこから来る人間的な魅力があふれ出る一編となっている。

「絃の便り」は定敬が愛したおひさがヒロイン、「太郎庵より」「二本松の姫君」の二編は尾張藩にかかわる女性が、「禹王の松茸」は容保の母がヒロインである。
 御三家筆頭尾張徳川を継ぐべく慶勝(よしかつ)が婿入りした幕末の尾張藩には、維新前夜、14名の藩士を「朝命」の名のもと処刑した青松葉事件の悲劇がある。「太郎庵より」は明治新政府下の尾張藩士の北海道移住など尾張藩の苦難の歴史を史材とした作品である。
 源平には源平の、戦国には戦国の、幕末には幕末の、その時代でなければ、味わえないものがある。変革の時代には世を支配した流れ、時流の渦に消えていく独特の味がある。その味わえないものを映し出すために、歴史小説はあると言っても過言ではあるまい。『葵のしずく』の「しずく」とは葵に連なる者たちから流れいずる「誇り」の意味であろうか。葵に連なる者たちを物語のヒロインとして、維新の裏面に秘められた真実を浮かび上がらせる人間ドラマである本書はまごうかたなき〈幕末もの〉歴史小説の白眉である。

 美濃高須松平家のサーガというべき高須四兄弟シリーズを記述した作家奥山景布子は愛知県津島生まれ名古屋育ちの、いま最も注目されている作家の一人である。
                   (令和4年11月6日 雨宮由希夫 記)

 

『映画に溺れて』第527回 シャーロック・ホームズ 殺しのドレス

第527回 シャーロック・ホームズ 殺しのドレス

平成二十四年十二月(2012)
渋谷 シネマヴェーラ

 

殺しのドレス』といえば、ブライアン・デ・パルマヒッチコックを意識して作ったホラー映画を思い出す。Dressed to Killというのは男を悩殺する女性の服装を意味するとか。ベイジル・ラスボーンがシャーロック・ホームズを演じた最後の作品が『殺しのドレス』であり、やはり男をとりこにする毒婦が登場する。コナン・ドイル原作の『ボヘミアの醜聞』では、ホームズはアイリーン・アドラーにものの見事に出し抜かれるが、ラスボーンのホームズはさて、どうだろうか。
 刑務所で服役中の囚人が所内の作業場で作った三つのオルゴール。それが美術工芸品を扱う業者の手を通じて、オークションにかけられる。が、さほど値打ちもなさそうなので、なかなか買い手がつかず、結局値下げして、ひとつはオルゴールコレクターに、ひとつは同業の美術商らしい女性に、ひとつは幼い娘といっしょに来ていた中年男の手に渡る。
 一足違いでオークション現場に立ち寄った紳士が、残念がって業者に金をつかませ、オルゴールを買った三人の住所を聞き出す。
 コレクターが何者かに殺害され、件のオルゴールを盗まれたことで、ホームズとワトスンが乗り出す。コレクションの中の高価なオルゴールは手つかずで、たいして値打ちのなさそうな品だけがどうして盗まれたのか。
 三つのオルゴールにはどんな仕掛けがあるのか。このオルゴールを狙っている謎の美女とホームズとの駆け引きが展開される。
 ラスボーンはこの映画を最後にホームズ役を演じなくなる。あまりに適役だったので、役柄が固定してしまうのを嫌がったと言われている。当時のアメリカ人にとって、ラスボーンこそがホームズだった。イヴ・タイタスの児童書、鼠探偵『ベイカー街のベイジル』は、ディズニーアニメ『オリビアちゃんの大冒険』として映画化されたが、鼠探偵の名前はもちろん有名なラスボーンのファーストネームを意識したものである。

 

シャーロック・ホームズ 殺しのドレス/Dressed to Kill
1946 アメリカ/未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール
出演:ベイジル・ラスボーン、ナイジェル・ブルース、パトリシア・モリソン、エドマンド・ブレオン、フレデリックワーロック、カール・ハーボード

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第41回 義盛、お前に罪はない

 和田義盛(よしもり)(横田栄司)が館に帰ってみると、一族の者たちが皆、武装しています。すでに第一陣は、大江広元の館を襲っているとのことでした。和田はうめくようにいいます。

「鎌倉殿に約束をしたのだ。決して、いくさは起こさぬと」

 息子の一人がいいます。むしろ好都合、向こうは安心しきっている。勝機はこちらにある。

「小四郎(北条義時)をだましたことになる」

 という和田に、息子たちが訴えます。今、倒しておかねば、必ず次の手を打ってくる。すでに矢は放たれた。あとには戻れない。北条を信じてはならない。和田はついに立ち上がります。

「我らの敵は、あくまでも北条。このいくさ、鎌倉殿に弓引くものではない。それだけは肝に銘(めい)じておいてくれ。鎌倉殿に指一本でも触れたら、ただじゃおかねえぞ」

 和田は三浦義村(山本耕史)と二人で話します。

「お前と小四郎は、幼いころからの友だ」

「何がいいたい」

「向こうにつきたいなら、構わねえぞ」

「馬鹿をいうな」

「裏切るなら、早いうちに裏切ってほしいんだ。ここぞというときに寝返られたら、たまったもんじゃねえからな。通じてるんだろう」

「なぜ、斬らぬ」

「俺たちだっていとこ同士じゃねえか。その代わり、いくさ場では容赦(ようしゃ)は無用だ。いいな」

 三浦は仲間のところに戻ってきます。

「お許しが出た。北条につく」

 起請文(きしょうもん)について問う者がいます。裏切りはしないという起請文を、灰にして飲んでしまったのです。一同は喉(のど)に指を入れて、起請文を吐き出すことにします。

 北条義時(小栗旬)の館に着いた三浦は、知らせます。

「和田勢は三手(さんて)に分かれて、三ケ所を襲う手はずになっている。大江殿の館にここ。そして御所(ごしょ)だ。向こうの狙いは、お前だ」と、三浦は顎(あご)で義時を示します。「俺を信じるか信じないかはそっちの勝手だ。俺を信じてお前は死ぬかもしれないし、信じて助かるかもしれない。だが、俺を信じなければ、お前は間違いなく死ぬ」

 義時は指示を出します。

「三浦は南、五郎(北条時房)(瀬戸康史)は北門の守りを固めろ。西門は、太郎(北条泰時)(坂口健太郎)に指揮をとらせる。私は鎌倉殿を、八幡宮の別棟房へ、お移しする。鎌倉の行く末は、この一戦にかかっている」

 和田の館では、巴御前(ともえごぜん)(秋元才加)が抗議していました。

「私だってまだお役に立てるはず」

 それを和田が諭(さと)します。

巴御前が、いくさ場に現れたらどうなる。手柄を立てようと躍起(やっき)になった奴らに囲まれちまうぞ」

「いくさで死ねれば、本望(ほんもう)にございます」

「それは俺が死んだ時にいえ。俺は、生きて帰る。そん時にお前がいなかったら俺、困っちまうよ」

 巴御前は微笑み、うなずきます。和田は武装した一族のところに戻ります。

「目指すは将軍御所。奸賊(かんぞく)、北条義時に、鎌倉殿を奪われてはならん」

 御所で義時は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に求めていました。

「まもなくここは囲まれます。鎌倉殿には、これより西門から御所を出ていただき、八幡宮にお移りを」

 実朝は驚きます。

「いくさにはならぬのではなかったのか、小四郎(義時)」

「(和田)義盛に、謀(はか)られました」

「なにゆえ義盛は。無念だ」

 和田の軍勢が、南門から御所に突入します。守るのは三浦です。

「平六(三浦義村)、勝負だ」

 と、和田は刀を抜きます。三浦は声を張ります。

和田義盛。謀反(むほん)」三浦が刀を抜き、皆がそれに倣(なら)います。「討ち取れ」

 和田も叫びます。

「鎌倉殿をお救いしろ」

 両軍勢が、激突します。

 和田の軍勢が、北条泰時の守る場所にもやってきます。泰時は敵の前に立ちふさがります。

「ここは通すわけにはいかぬ」泰時は刀を抜き、味方に叫びます。「鎌倉殿に、指一本触(ふ)れさせるな。かかれ」

 激しい斬りあいが展開されます。

 いくさは、深夜まで続きました。

 鶴岡八幡宮から、御所に火の手が上がる様子が見えます。北条政子(小池栄子)が義時にいいます。

「結局はあなたの思い通りになりました」

 義時は宣言します。

「いくさは大義名分のあるほうが勝ち」

 美衣(宮澤エマ)が詰めるようにいいます。

「勝てるのですか」

 義時は説明するように美衣を見ます。

「和田についていた御家人たちはみな離れた。戦っているのは、和田義盛の身内の軍勢のみ。勝てる」

 実朝が忘れ物をしたといい出します。政子からもらった、髑髏(どくろ)を、御所に置いてきてしまったというのです。襲撃を逃れた大江広元(栗原英雄)がそれを取ってくることを申し出ます。

 夜が明けます。由比ガ浜まで退却した和田勢は、そこで体勢を立て直します。 

 義時が実朝に報告します。

「和田に加勢するために、西相模(にしさがみ)のの御家人たちが、鎌倉へ向かっております。これらの者たちに、我らに味方するようにと、鎌倉殿のお名前で御行書(みぎょうしょ)を送ります」

「和田はどうしておる」

 と、実朝が聞きます。

由比ガ浜で兵を立て直しています。彼らが合流すれば、敵は大軍となり、我らに勝ち目はございません」

 大江は、すでに御行書を用意していました。

「ここに、鎌倉殿の花押(かおう)を記していただきます」

 そこに三善康信(小林隆)が発言するのです。

「このいくさ、和田の狙いは北条にございます。和田は決して、鎌倉殿に対して兵を挙(あ)げたわけではございません」

 義時がさえぎります。

「何がいいたい」

 三善は実朝に訴えます。

「かような御行書が出回れば、北条と和田の争いが、鎌倉殿と和田の争いに、形を変えることになりますまいか」

「小四郎」

 と、実朝は義時に確かめます。

「和田は御所を攻めたのです。これを謀反(むほん)といわずして何というか」

 そう語る義時に、実朝は近づきます。

「御行書は出せぬ」

 義時はいいます。

「大いくさになってよろしいのですか。敵の数が増えれば、それだけ死者も増える。鎌倉は火の海となります。それを止めることができるのは、鎌倉殿、あなただけなのです」

 大江も実朝にいいます。

「ここはどうか、我らに任せてはいただけないでしょうか」

 戦いは、守る泰時の軍勢と、攻める和田の軍勢との間で繰り広げられています。和田のところに、西相模の援軍が寝返ったことが知らされます。実朝の命令に従ったのです。和田は叫びます。

「北条の策に決まっておる。力攻めして、羽林(うりん)(実朝)を奪い返すのみ」

 和田の軍勢が、激しく矢を射かけます。それに対して、泰時は、戸板を盾にして進軍します。激戦が繰り広げられ、ついに和田の勢は退却します。

 義時のところへ、大江が報告にやってきます。

「和田勢を追い詰めました。わが方の勝利は目前」

 義時は、実朝のところに行って頭を下げます。

「鎌倉殿に、陣頭に立っていただきます」

 政子が聞きます。

「何のためにですか」

 義時は答えます。

「直々(じきじき)にお声をかけていただければ、和田も降参するに違いありません」

 実衣がいいます。

「鎌倉殿を、いくさ場に連れ出すというのですか。なりません」

 実朝が発言します。

「いや、私の言葉なら、聞いてくれるはずだ。義盛は、私が必ず説き伏せてみせる」実朝は義時を見つめます。「命だけは取らぬと、約束してくれ」

 義時は答えることをしませんでした。

 追い詰められた和田のもとに、義時に導かれて、鎧を身に着けた実朝がやってきます。門を開いて、和田が出てきます。実朝が呼びかけます。

「義盛。勝敗は決した。これ以上の争いは、無用である。おとなしく、降参せよ」

 和田は叫びます。

「俺は羽林(うりん)が憎くてこんなことをやったんじゃねえんだ」

 実朝は前へ踏み出します。

「分かっている。義盛、お前に罪はない。これからも、私に力を貸してくれ。私には、お前がいるのだ」

「もったいのうございまする。そのお言葉を聞けただけで満足です」和田は一族を振り返ります。「みんな、ここまでじゃ。聞いたか。これほどまでに鎌倉殿と心が通じ合った御家人が、ほかにいたか。我こそが、鎌倉随一の忠臣(ちゅうしん)じゃ。みんな、胸を張れ」

 義時の目配せに、三浦が応じます。三浦の指示で、櫓(やぐら)や、塀の上にいた兵から、一斉に矢が放たれるのです。和田に無数の矢が突き刺さります。実朝が悲鳴を上げます。義時が叫びます。

「お分かりか。これが、鎌倉殿に取り入ろうとする者の、末路(まつろ)にござる」

 和田の一族に、軍勢が襲い掛かかっていきます。実朝は声をあげて泣くのでした。二日にわたって繰り広げられた和田合戦が終結します。

 義時が実朝に報告します。

「敵方の死者は二百三十余名。生け捕り、二十七名。わが方の死者、五十名。手負いの者、一千余名。討ち取った敵の首は、片瀬川にさらしてあります」

 実朝がいいます。

「政(まつりごと)というのは、かくも多くの者の骸(むくろ)を必要とするか」

「鎌倉殿がお生まれになる前から、多くの者が死んでいきました。それらの犠牲(ぎせい)の上に、この鎌倉はあるのです。人を束(たば)ねていくのに、最も大事なのは、力にございます。力を持つ者を人は恐れ、恐れることで人はまとまる。あなたの、お父上に教わったことにございます」

「私は、此度(こたび)のことで、考えを改めた。これよりは、政のことは、よくよく相談していくつもりだ」

「よろしいかと。我ら宿老(しゅくろう)は、そのためにあるのです」

「そうではない。万事、西のお方に、お考えをうかがっていく」

上皇様に、ですか」

「心を許せるものは、この鎌倉に、おらん」

「朝廷に近づきすぎること、頼朝様は自(みずか)ら戒(いまし)めておられました」

「私は、父上や兄上のように、強くない。だから、強きお人にお力をお借りする。そうすれば、鎌倉で血が流れることもなくなる。違うか」

 翌朝、義時は政子と話します。政子はいいます。

「侍所(さむらいどころ)、別当(べっとう)になるそうですね」

 時房が口を出します。

「和田殿より引き継がれます。兄上は、政所(まんどころ)別当と、侍所別当を、兼(か)ねることになりました」

 政子は冷たくいいます。

「あなたの望んでいた通りになったではないですか、小四郎(義時)」

「望みが叶(かな)った」義時は鼻で笑います。「とんでもない。鎌倉殿は、頼家様どころか、頼朝様をも越えようとされています」

 そのころ、実朝は、髑髏(どくろ)に向かって、誓いを立てていました。

「安寧(あんねいの)の世をつくる。父にも、兄にも成しえなかったこと。いくさは、もういい」実朝は髑髏を手に取ります。「私の手で、新しい鎌倉をつくる」

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第40回 罠と罠

 京の後鳥羽上皇(尾上松也)は、内裏(だいり)の修復を、鎌倉にやらせることを思いつきます。

 和田義盛(横田栄司)の館(やかた)に御家人たちが集まっています。自分たちが内裏を修復することが不満なのです。和田は皆にいいます。

上皇様が鎌倉殿にお命じになられたんだから、しょうがねえだろう」

 長沼宗政(清水伸)が大声を出します。

「とんでもない金がかかるし、ほかにもやることがあるんだ、俺たちは」

 北条義時(小栗旬)は、時房(瀬戸康史)を前に酒を飲んでいます。時房がいいます。

「内裏の件、やはり御家人たちから承服しがたいとの声が上がっています」

「いわせておけばいい」

 と、義時はつぶやくようにいいます。

「皆、和田義盛殿の館に集まって、好き勝手に文句を並べているようで」

「和田」

「ここのところ、不満を持つ御家人たちの旗頭のようになっています」

 そんな時、一つの事件が起こります。泉親衡(いずみのちかひら)の乱です。

 義時は三善康信(小林隆)からその報告を聞きます。

「聞かぬ名だな」

 と、義時はいいます。三善が話します。

「仲間を集め、御所を襲って、北条殿を殺そうとたくらんでいたようです」

「私を」

 関わった者の、名前が提出されます。大江広元(栗原英雄)が聞きます。

「いかがいたしましょう」

 義時は答えます。

「すべて捕え、厳罰に処(しょ)せ」

「かしこまりました」

 と、三善が頭を下げます。大江がいいます。

「一つだけ、困ったことがございます。その中に、和田義盛殿のお身内の名前がございました。ご子息二人と、甥御が一人」

 和田の館では、乱に関わった者たちが頭を下げています。

「そもそも誰なんだ。その、泉なんとかって奴は」

 と、和田が聞きます。息子たちが説明します。たまたま声をかけられ、北条の汚さを熱く語られた。気が付いたときは、仲間に加わっていた。和田は立ち上がります。

「あとは任せろ。和田義盛が頭を下げりゃ、たいていのことは何とかなる」

 御所では、大江広元が義時に話しています。泉親衡について、調べても何も出てこない。霞(かすみ)のように消えてしまった。

「いささかにおいますな。西からの雅(みやび)なにおいが」

 と、大江はいいます。義時は聞きます。

上皇様が絡んでいるというのか」

「鎌倉を揺るがすために、あのお方が仕組んだ」

上皇様は、鎌倉を嫌っておられる」

「そのようなことはありますまい」

上皇様が嫌っておられるとすれば」

「私か」

「鎌倉の政(まつりごと)を、北条が動かしているのがお気に召さぬようです。御家人を焚(た)きつけて、揺さぶるおつもりでは」

 和田が御所の書庫を訪れ、頭を下げます。

「どうか、俺に免じて、大目に見てやってくれ。皆、本気ではなかったんだ。つい調子に乗っちまったんだよ。いくさを起こす気なんて、これっぽっちもなかった。俺がいうんだから間違いねえって。俺は、皆に頼まれてきてるんだ。いい返事がねえんだったら、こっち覚悟がある。相撲(すもう)で決めようじゃねえか。どうだ、相撲が嫌だったら、あとはいくさしかねえ。いくさか、相撲か。さあ、ここで決めてくれ」

 義時は落ち着いて答えます。

「いきり立ってもらっては困ります。まとまる話もまとまらない。和田殿の子らも絡んでいたと聞きました」

 和田は義時の前にしゃがみます。

「二度とこういうことはさせねえから。なんだったら、眉毛(まゆげ)そらせようか。俺もそるよ。両方」

 義時はついに笑い出します。

「和田殿の顔を見ていると、まじめに話しているのが馬鹿馬鹿しくなる」

 義時は時房を振り返ります。時房は和田の息子二人を、おとがめなし、と宣言します。和田は食い下がります。

「ほかの奴らも何とかしてやってくれ」

 時房がいいます。

「分かっています」

 義時が和田の顔を見ずに語ります。

「しかし、あの男だけはそうはいかん」

 和田胤長(たねなが)のことです。胤長は泉親衡の頼みに応じて、多くの御家人たちに声をかけていました。これを許しては示しがつかない、と義時は語ります。和田は訴えます。

「かわいい甥っ子なんだよ」

「命は取らぬが、それなりの罰は受けてもらう」

 和田は巴御前(ともえごぜん)(秋元才加)とともに、和田の息子たちの前に出ます。

「こんなにお子さんがおられたんですね」

 と、巴は驚きの声を上げます。和田は息子たちに呼びかけます。

「明日、皆で御所に出向いて、平太(胤長)を許すよう、掛け合ってくる。これだけのひげ面が頭を下げりゃあ、小四郎(義時)だって分かってくれるはずだ」

 義時は暗い書庫でつぶやいていました。

「わずらわしい。実に」

 大江がいいます。

「あの時を思い出しますな。上総介広常(かずさのすけひろつね)」

「同じことを考えていた」

「和田殿は今や、御家人の最長老。しかし」

「最も頼りになるものが、最も恐ろしい。消えてもらう、か」

「よい機会かもしれません」

 和田義盛と、その一族九十八人が、胤長の赦免(しゃめん)を求めて、御所に集結します。義時は彼らの前に縛られた胤長を歩かせて挑発します。

 和田は館に帰り、三浦義村(山本耕史)相手に酒を飲みます。

「変わっちまったな。蔵の中でよ、黙って木簡(もっかん)をいじってた、あの次男坊はどこ行っちまったんだ」

「力になってやってもいいぞ」と、三浦がいいます。「いっそのこと、北条を倒して、俺たちの鎌倉をつくるってのはどうだ」

「俺が鎌倉殿になって、お前が執権になるか」

 と、和田は大声で笑います。

「結構(けっこう)本気だ。御家人の不満が高まっている。和田義盛が立てば、多くの者がついてくる。御所に攻め入って鎌倉殿をお救いし、小四郎(義時)の首をとる。北条ばかりが得をするこんな世の中を、俺たちが変えるんだ」

 暗がりの中で、北条泰時(坂口健太郎)は、義時と話します。

「なにゆえそこまで、和田殿を追い詰めるんです」

「何も分かっていない」

 と、義時はいいます。

「まかり間違えば、いくさになります」義時の沈黙に泰時は理解します。「読めました。父上は、はなからそのおつもりだったんですね」

「北条の世を盤石(ばんじゃく)にするため、和田には死んでもらう」

「和田殿が何をしたというのですか」

「私がいる間はいい。十年経ち、二十年経ち、お前の代になった時に、必ず和田の一門のが立ちはだかる。だから今のうちに手を打っておくのだ」

「私のため」

「そうだ」

「馬鹿げています。私は誰とも敵を作らず、皆で安寧(あんねい)の世を築(きず)いてみせます」

 そこに三浦がやってきます。

「もう一押しだ。髭(ひげ)おやじは間違いなく、挙兵するぞ」 

 鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)は、義時が和田を挙兵させ、謀反の罪でそれを討つつもりなのを知ります。

 実朝は北条政子(小池栄子)に相談し、和田に会う決意を話します。政子は手はずを整え、和田を女装させて、密かに御所に呼びます。やって来た和田の手を取り、実朝は呼びかけます。

「いつまでも、そばにいてくれ。小四郎(義時)も、鎌倉を思ってのこと。二度と行き過ぎた真似をしないよう、私が目を光らせる」実朝は声を張ります。「和田義盛は、鎌倉一の忠臣(ちゅうしん)だ。それは私が一番よく分かっている」

 和田は深く頭を下げるのでした。

 実朝は義時と和田を並んで座らせ、述べます。この座には政子もいます。

「北条と和田。手を取り合ってこその鎌倉。私に免(めん)じて、こたびは矛(ほこ)を納(おさ)めてもらえないか」

 義時がいいます。

「和田殿は歴戦のつわもの。戦わずに済めば、これ以上のことはございません」

 実朝が和田に呼びかけます。

「これからも、御家人たちの要(かなめ)として、力を貸してくれ」

 和田が頭を下げます。

 政子は義時と残されます。

「これで和田殿が挙兵することはなくなりました。分かっていますよ。あなたはまだあきらめてはいない。和田を滅ぼしてしまいたい」

 義時は顔を上げます。

「鎌倉のためです」

「聞きあきました。それですべてが通るとなぜ思う。いくさをせずに鎌倉を栄えさせてみよ」

「姉上は甘すぎます」

「何におびえているのです。あなたならこんなやり方でなくとも、皆をまとめていけるはず。そうせねばならぬのです」

 廊下を渡る義時を、和田が待っていました。

「考えてみれば、皆、死んじまったな。昔からいるのは、俺と平六(三浦義村)ぐらいだ」

 義時がいいます。

「時の流れを感じます」

「今の鎌倉殿は、賢(かしこ)いし、度胸もあるし、何よりここが温かい」

 と、和田は自分の胸を叩きます。

「そう思います」

「ようやく俺たちは、望みの鎌倉殿を手に入れたのかもしれねえぞ。政(まつりごと)はお前に任せるよ。力がいるときは俺にいえ。御家人であろうと、西の者であろうと、鎌倉の敵は、俺が討ち取る。これからも支えあっていこうぜ」

 義時はついにいうのです。

「よろしくお願いいたします」

 しかし和田の館では、武具が整えられていました。和田がなかなか帰ってこず、その身に何かあったのでは、と息子たちが考え始めたのです。鎧(よろい)を着こんだ三浦義村は、身近なものにいいます。 

「先にいっておくが、この乱は失敗する。俺が向こうにつくからだ。挙兵したら、寝返ることになっている。この先も鎌倉で生きていきたいなら、和田には手を貸すな」

 和田の息子たちは御所に攻め入り、父を救うといきり立っています。三浦義村は叫びます。

「ともに北条を倒そうぞ」

 しかし巴御前が進み出るのです。三浦たちに起請文(きしょうもん)を書くよう迫ります。決して和田を裏切らないと誓えというのです。三浦たちは起請文を書き、それを燃やして灰を飲みます。八田知家(市原隼人)がいいます。

「寝返る手はなくなった」

 三浦もいいます。

「小四郎(義時)。すまん」

 建暦(けんりゃく)三年五月二日。鎌倉最大の激戦である、和田合戦が始まろうとしていました。

 

『映画に溺れて』第526回 シャーロック・ホームズ 闇夜の恐怖

第526回 シャーロック・ホームズ 闇夜の恐怖

平成二十六年一月(2014)
渋谷 シネマヴェーラ

 

 第二次大戦が終了しても、ベイジル・ラスボーンはしばらくホームズを演じていた。『闇夜の恐怖』は戦後に作られた作品で、走行中の列車内で起きた事件をホームズが解決する。
 著名な巨大ダイヤモンドの所有者である貴婦人が、ダイヤとともに夜行列車でロンドンからエディンバラまで移動する。その子息の依頼でホームズとワトスンは護衛のため同乗する。レストレード警部もまた偶然を装って乗り合わせている。
 貴婦人の個室で子息が何者かに殺害され、ダイヤが奪われる。移動中の列車内での殺人と盗難。犯人は一等車に乗り合わせた人物に限られる。特注の棺とともにエディンバラに向かう若い女性、たまたま発車直前にワトスンと乗ってきた元戦友の大佐、気難しい数学教授、一等車と隣合わせの貨物車の職員。そもそもダイヤの所有者である貴婦人も、みんな怪しいと思えば怪しいのだが、さて、犯人はだれか。
 ワトスン役で毎回出演しているのがナイジェル・ブルース。メキシコ出身の英国人で、ラスボーンのホームズ映画十四本すべてに出演し、ワトスンとしては少々鈍感でしばしば失敗する。『シークレット・ウェポン』では科学者を見張るようにホームズに頼まれ、請け合いながらも居眠りして科学者が抜け出すのに気が付かないなど信じられないヘマをする。とんちんかんな出まかせを口にしホームズを苦笑させるし、著名な探偵の相棒の立場を主張し、けっこう態度が大きい。コナン・ドイル原作をはるかに誇張したでっぷり太めの愚直な好人物、道化役ワトスンの典型である。
 果たして、このワトスンに克明な事件記録が執筆できるだろうか。このシリーズでデニス・ホーイ演じるレストレード警部が、しばしばワトスンよりも優秀に見えてしまうぐらいだから。

シャーロック・ホームズ 闇夜の恐怖/Terror by Night
1946 アメリカ/未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール
出演:ベイジル・ラスボーン、ナイジェル・ブルース、アラン・モーブレイ、デニス・ホーイ、メアリー・フォーブス、ビリー・ビーヴァン

 

 

NPO法人『都草』の件

 

会員・久宗圭一さんからのお便りです。

 

私はNPO法人 京都の観光・文化を考える会 『都草』の理事を務めております。

私が担っております役割の一つに、京都の魅力を都草なりの新たな視点で切り取り映像化して広く紹介するという事業(映像制作プロジェクト)があります。

昨年から着手した新たな事業ですが、今春に第1作「京都御苑」を制作しYouTubeにアップしました。


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今般、第2作「水の都・京都」が完成しYouTubeにアップしました。宜しければ是非視聴してみて下さい。


www.youtube.com

 

因みに私は、これらの脚本と演出を担当しました。

皆様のご意見ご感想をお聞かせ戴ければ幸いです。

宜しくお願い致します。

『映画に溺れて』第525回 シャーロック・ホームズ 恐怖の館

第525回 シャーロック・ホームズ 恐怖の館

平成二十八年十一月(2016)
曳舟 すみだ生涯学習センター

 

 ベイジル・ラスボーン主演のホームズ映画は20世紀フォックスの最初の二本だけが原作と同時代のヴィクトリア朝になっているが、ユニバーサルの十二本はすべて一九四〇年代当時の設定である。ベネディクト・カンバーバッチの『SHERLOCKシャーロック』やジョニー・リー・ミラーの『エレメンタリー』同様、当時の現代版ホームズだったのだ。
 一九四〇年代のロンドン、ベイカー街221bにワトスン医師と同居する探偵ホームズは政府の要請でナチススパイと対決することもあれば、一般の依頼人から持ち込まれた謎も引き受ける。
『恐怖の館』の依頼人は保険会社である。スコットランドの海辺の崖に建つ大きな屋敷に引退した紳士たちがクラブを作って住み込んでいる。主人のアラステア他、医者、弁護士、俳優、船長などみなで七人。ある夜、夕食時に弁護士の席に封筒が届き、中にはオレンジの種が七つ。翌日、弁護士は自動車事故で死亡。次の夕餉には俳優の席に封筒が届き、オレンジの種が六つ。十日後に俳優は溺死体で発見される。
 七人の紳士はみな高額の生命保険をかけており、受け取り人がクラブそのものになっている。
 保険会社の依頼でホームズとワトスンがスコットランドに赴くと、その夜に屋敷で第三の殺人事件が。やはり死者には前日にオレンジの種が届いていた。
 ホームズとワトスンはアラステアの館に滞在するが、さらに次々と第四、第五の事件が起こり、クラブの紳士が命を落とす。さて、犯人はだれか。
 保険金目当ての殺人というのが、目新しい。殺人予告のオレンジの種はコナン・ドイルの原作からの引用だが、KKKとは関係ないようだ。

 

シャーロック・ホームズ 恐怖の館/The House of Fear
1945 アメリカ/未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール
出演:ベイジル・ラスボーン、ナイジェル・ブルース、オーブリー・マザー、デニス・ホーイ、ポール・キャヴァナー

『映画に溺れて』第524回 シャーロック・ホームズ 緋色の爪

第524回 シャーロック・ホームズ 緋色の爪

平成二十四年八月(2012)
渋谷 シネマヴェーラ

 

 アーサー・コナン・ドイルのホームズ物語は大ベストセラーとなり、ウィリアム・ジレットの舞台劇をはじめ、映画となりTVとなり、数多くの俳優がシャーロック・ホームズを演じた。
 私の世代でもっとも印象に残るのは英国グラナダテレビのホームズシリーズに主演したジェレミー・ブレットで、コナン・ドイルの原作六十作のうち四十一作品がかなり忠実に描かれており、ブレットはまるでシドニー・パジェットの挿絵から抜け出したホームズそのものだった。すべてTVドラマなので、映画館でブレットのホームズを観ることはできない。ただし、コナン・ドイルと同時代の劇作家バーナード・ショーの『ピグマリオン』がブロードウェイミュージカル『マイ・フェア・レディ』となり映画化されたとき、その中でイライザに恋する青年貴族フレディを演じているのがブレットなのだ。フレディが歌う「君住む街」の歌声はヘプバーン同様に吹替ではあるが。
 そして、舞台のジレット、TVのブレットと並ぶ戦前戦中のアメリカでもっとも有名なホームズ俳優がベイジル・ラスボーンである。一九四一年十二月の日米開戦でラスボーンのホームズ映画はわが国では公開されなかったが、別の主演作、フランケンシュタイン男爵の息子を演じた『フランケンシュタインの復活』は戦前の一九四〇年に日本でも公開されている。共演は怪物のボリス・カーロフイゴールベラ・ルゴシという二大怪奇俳優。映画史上、ホームズとフランケンシュタインを両方演じているのは、他にピーター・カッシングジーン・ワイルダーが思い浮かぶ。
 さて、『緋色の爪』はカナダの地方が舞台。現地の心霊学会に出席したホームズとワトスンが遭遇する事件。被害者が怪物の爪のようなもので首を掻き切られるという連続殺人。魔獣の伝説はバスカヴィル家の犬を思わせる。
 事件終了後、ホームズは英連邦の一員であるカナダと英国との強い絆について、取ってつけたようにワトスンに語る。当時は第二次大戦の最中であったのだ。

 

シャーロック・ホームズ 緋色の爪/The Scarlet Claw
1944 アメリカ/未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール
出演:ベイジル・ラスボーン、ナイジェル・ブルース、ジェラルド・ハーメル、ポール・キャヴァナー、アーサー・ホール、マイルズ・マンダー、ケイ・ハーディング

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第39回 穏やかな一日

 時政が鎌倉を追われたあと、天然痘を患(わずら)っていた源実朝(さねとも)(柿澤勇人)が、政務に復帰します。

「ご心配をおかけしました」

 と、実朝は北条義時(よしとき)(小栗旬)と政子(小池栄子)にいいます。

「もう大丈夫なのですか」

 と、政子が声を掛けます。義時がいいます。

「今だから話せますが、一時(いっとき)、われらは覚悟を決めました」

 実朝は理解します。

「私が死んだら、誰が跡を継ぐことに」

 義時は答えます。

「善哉(ぜんざい)様です。鎌倉殿とは、親子の契(ちぎ)りを結んでおられます」

「善哉に悪いことをした」

 と、つぶやくように、実朝はいいます。話題を変えるように、政子が話します。

「全国には、国ごとに治安を守る守護(しゅご)、荘園ごとに土地を預(あず)かる地頭(じとう)が置かれています。それらに任じていただいたご恩によって、御家人たちは鎌倉殿に奉公するのです。まさに武士たちの頂(いただ)き。しっかりとお役目を果たして下さいね」

 政子は懸命に、政治について学んでいたのです。

 政子と二人になると、義時がいいます。

「政(まつりごと)は私がすすめます。鎌倉殿にはそれを見守っていただく」

「しばらくはそれがいいですね」政子は気がつきます。「ずっと」

「兄上は、坂東武者の頂きに北条が立つことを望んでおられました。私がそれを果たします」

 書庫で、訴訟の話がされます。実朝が意見を述べようとすると、義時がさえぎります。結局、義時の考えが通ることになります。

 外に出て、実朝は義時の息子である、泰時(やすとき)(坂口健太郎)にこぼします。

「私は、いてもいなくても同じなのではないか」

 泰時は優しくいいます。

「そんなことはありません」

 実朝は微笑みます。

「そうだ。太郎(泰時)に渡したいものがある」

 実朝は和歌を書いた紙を泰時に差し出します。実朝はいいます。

「楽しみにしている」

「楽しみ」

「返歌(へんか)だ」

「歌でお返事するのですか」

 実朝は黙って行ってしまいます。

 義時は、官僚の大江広元(おおえひろもと)(栗原英雄)にいいます。

「政(まつりごと)の仕組みを新しくしようと思う」

「まずはどこから」

「守護は交代で担(にな)う。親から子へ、代々受け継がれると、わずかな者に、力が偏(かたよ)ってしまう」

「では国司(こくし)も」

国司はそのまま」

「北条が目立ってしまいますが」

「かまわぬ」

 政子と実衣(みい)(宮澤エマ)が話しています。実衣は政子に近づき、声をひそめます。

「それより知ってる。侍女から聞いたんだけど、いまだに、あの二人、寝床(ねどこ)が別々なんですって。鎌倉殿と御台所(みだいどころ)」

「仲は良さそうだけど」

「このまま男の子が生まれなかったら、どうするの。側室のことも、考えに入れておいた方がいいかも」

「よしましょう」

 実朝の正室である千世(ちよ)(加藤小夏)は、夫と、貝合(かいあわせ)をして遊ぶ約束をしていました。しかし実朝は、体を休めたいといいだすのです。そこへ和田義盛横田栄司)がやってきます。打って変わった楽しそうな様子に、千世は打ちひしがれます。和田は自分を、上総介(かずさのすけ)にして欲しいと、頼みに来たのでした。御家人の柱になって欲しいと、皆にいわれているのだと話します。

「分かった。なんとかしよう」

 と、実朝は請(う)け合います。

 その頃、泰時は、実朝に宛てて書く、返歌について悩んでいました。泰時は和歌など書いたことがないのです。

 実朝は政子に話します。

「ぜひ、上総(かずさ)(現在の千葉県中部)の国司に、推挙(すいきょ)してやりたいのです」

 しかし政子はいいます。

「和田殿は、わたくしも好きですよ。でもね、政(まつりごと)というものは、身内だからとか、仲がいいとか、そんなこととは無縁な、もっと厳(おごそ)かなものだと思うのです」

 実朝は、声をうわずらせながら頭を下げます。

「ご無礼いたしました」

 実朝と入れ替わるように、政子のもとに八田知家市原隼人)がやって来ます。棚をつくことを頼まれていたのでした。八田はいいます。

「北条の方々のことですが。はっきり申し上げて、御家人たちは皆、苦々(にがにが)しく思っています。小四郎(義時)殿は相模守(さがみのかみ)、五郎(時房)(ときふさ)殿は武蔵守(むさしのかみ)。北条でなければ、国司にはなれぬのか」

 政子は義時と、このことについて話します。義時はいいます。

「それでもやらねばならんのです。二度と北条に刃向かう者を出さないために」

 政子は去ろうとする義時を呼び止めます。

「父上と母上の命を救ってくれたこと、感謝します。でも」

「むしろ殺していれば、御家人たちは恐れおののき、ひれ伏した。私の甘さです」

 義時は疲れたといって、泰時の所にやって来ます。泰時の幼なじみであり、従者である鶴丸(きづき)に、義時は声を掛けます。平盛綱(たいらのもりつな)という名を与え、今日の弓の技比べで成果を出せば、御家人にしてやると約束します。

 義時は、和田義盛を書庫に呼んでいました。

「上総介の件は忘れて欲しい」

 和田は抗議します。

「鎌倉殿は約束してくれたぜ」

「直(じか)に鎌倉殿にお願いするのも、これが最後だ」

 和田は立ち上がり、吐き捨てるようにいいます。

「変わっちまったよな。鎌倉も、お前も」

 和田は去って行きます。残された義時に、大江広元がいいます。

「絵に描いたような坂東武者」

「ずいぶん少なくなった」

「そしていずれはいなくなる。和田殿は、御家人の間で人気があります。慎重にかからねばなりませんな。和田には、三浦がついています」

 弓の技比べが始まります。泰時が的を割ったりして、大いに盛り上がります。最後に鶴丸が的を射貫(いぬ)きます。

 技比べが終わり、実朝と義時は二人きりになります。義時は、平盛綱と名を改(あらた)めた鶴丸を、御家人にしてやりたいと話します。

「それはならん」と、珍しく実朝が強くいいます。「分不相応(ぶんふそうおう)の取り立ては、災(わざわ)いを呼ぶ」

「あの者は、十分な働きをして参りました」

「一介(いっかい)の郎党を、御家人に取り立てるなど、あり得ぬ」実朝は義時に向き直ります。「和田義盛の上総介推挙を止めたのは、お前ではないか。守護の任期を定めたのも、御家人たちに勝手をさせぬためではなかったのか。お前らしくもない」

 義時は穏やかに話します。

「鎌倉殿のいうとおりにございます。忘れて下さい。さて、どうやら私はもう、いらぬようです。あとは、鎌倉殿のお好きなように進められるが良い。伊豆へ、引き下がらせていただきます」

 立ち去ろうとする義時を、実朝は呼び止めます。

「私が、間違えていた。その者を御家人に」

「鎌倉殿が一度口にしたことを翻(ひるがえ)しては、政(まつりごと)の大本(おおもと)が揺るぎます。私のやることに、口を挟(はさ)まれぬこと。鎌倉殿は、見守って下さればよろしい」

 夜、実朝は妻の千世といました。千世が話します。

「皆さん、世継ぎができないことを、心配されています。私に、そのお役目がかなわぬのなら、ぜひ、側室を」

 実朝はいいます。

「あなたが嫌いなわけではないのだ。嘘ではない」

「なら、どうして私から、お逃げになるのですか。私の何が気に入らないのですか」

 実朝は千世の手を取ります。

「初めて、人に打ち明ける。私には、世継ぎをつくることが、できないのだ。あなたのせいではない。私は、どうしても、そういう気持ちに、なれない。もっと早くいうべきだった。すまなく思うから、一緒にも居づらかった」

「ずっと、お一人で悩んでいらっしゃったのですね。話して下さり、嬉しゅうございました」

 と、千世は実朝を抱きしめるのでした。

 返歌について悩んでいる泰時の所に、都からやって来た源仲章(みなもとのなかあきら)(生田斗真)が通りかかります。歌の書かれた紙を取り上げます。

「これは、恋する気持ちを読んだものだ」

 と、説明します。

「そうなのですか」

 と、驚く泰時。

「春のかすみのせいで、はっきりと姿を見せない、桜の花のように、病でやつれたおのれの姿を見られたくはない。されど恋しい、あなたに会いたい。切なきは、恋心。どなたのお作で」

 泰時はすぐにその場を立ち去るのでした。

 泰時は実朝の所にやって来ていました。歌の紙を返します。

「鎌倉殿は間違えておられます。これは、恋の歌ではないのですか」

「そうであった。間違えて、渡してしまったようだ」

 と、実朝は泰時の持ってきた紙を受け取り、別の歌を渡すのです。実朝は歌を詠んで聞かせます。それは打ち寄せる波が砕け散ったという内容でした。

 和田と三浦は、鍋を囲んでいました。和田がうめくようにいいます。

「どうも気に入らん。小四郎の奴、親父(おやじ)を追い出した途端にやりたい放題。俺たち古株の御家人をないがしろにしたら、痛い目に遭(あ)うってことを、思い知らせてやろうぜ」

 建永元年(1206)九月二十二日。出家して、公暁(こうぎょう)(寛一郎)と名を変えた善哉が、京へ上ります。戻ったら、鶴岡八幡宮別当(べっとう)になることになっていました。

 公暁が戻って来たとき、鎌倉最大の悲劇が、幕を開けることになるのです。それはこの時から六年後になります。

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第38回 時を継ぐ者

 北条時政坂東彌十郎)が、源実朝(さねとも)(柿澤勇人)にいいます。

「鎌倉殿(実朝)の起請文(きしょうもん)がねえと、じいは死ななくちゃならねえんです」

 和田義盛横田栄司)が、無理矢理、二人のいる部屋に入っていきます。刀を抜いている時政にいいます。

「何をされておる。仔細(しさい)はわからねえが、このお方に刃(やいば)を向けるなんてとんでもねえ」

 時政が和田にいいます。

「鎌倉殿が起請文を書いてくれねえんじゃ」

 和田は実朝を振り返ります。

「書いちゃいなさい。起請文なんて、あとで破いちまえばいいんですから」

 和田の乱入によって、場の空気は乱れ、時政もそれ以上強要できなくなります。

 時政の館はすでに包囲されていました。

 自室に引き上げた時政に、りく(宮沢りえ)がいいます。

「鎌倉殿に、囲みを解くようにいわせて下さい。早く」

「しかし」

「痛い思いをさせればあの子だって。ためらっている場合ですか。鎌倉殿を引き渡せば、攻め込まれて終わりです。生き延びるためです」

 外の囲みでは、時房(瀬戸康史)が義時(小栗旬)に訴えています。

「私が行って、父上と話してきましょうか」

 義時は時房の訴えを即座に退けます。

「平六(三浦義村)が父上を説き伏せる」

「父上はこれからどうなるのです」

「このようなことをしでかして、許すわけにはいかん」

 これに抗議する泰時(やすとき)(坂口健太郎)に対して、八田知家市原隼人)がいいます。

「いいかげん分かってやれ、このお人は、今まで何人も御家人を謀反の科(とが)で殺してきた。親だからと許したらどうなる。御家人すべてを敵に回すことになるんだよ」八田は義時に向かいます。「構うことはねえ。首、はねちまえ」

 義時は八田から目をそらします。

「まずは鎌倉殿をお助けする。それからだ」

 一人、暗い部屋にいる時政に、三浦義村山本耕史)が話しかけます。

「館(やかた)は、すっかり囲まれています。実は、私は小四郎(義時)に頼まれてここにいます」

 時政はいいます。

「頼みがある」

 時政は、りく、に話します。

「お前は鎌倉を離れろ。京に(平賀)朝雅(ともまさ)と、菊がおる。奴らを頼れ」

「しい様(時政)は」

「ここに残る」

「嫌です」

「鎌倉殿のお側におれば、外の奴らは手出しできん。平六が連れて行ってくれる。お前が無事、逃げ延びたら、わしは鎌倉殿を引き渡し、降参する。小四郎は親思いじゃ。頭丸めて、手ぇついて謝ったら、きっと許してくれるさ」時政は、りく、に近づきます。「ほとぼりが冷めれば、また会える日も来る」時政は三浦を振り返ります。「平六、あとは頼んだ」

 三浦は頭を下げます。

「りく殿のことは、お任せ下さい」

 門が開き、三浦が包囲する者たちの前に姿を現します。

「執権殿は」

 と、義時が聞きます。三浦が答えます。

「あれを説き伏せるのは骨だぜ。りく、さんも親父さんの横で、石みたいに動かない」

 義時は三浦が連れている、館の使用人や女中たちに声を掛けます。

「怖い思いをさせて悪かった。事が片付くまで、館の外で待っていてくれ」

 三浦が女中たちを連れて行きます。その中に、りく、が紛れていたのです。

 りく、は北条政子小池栄子)の所に来ていました。政子に深々と頭を下げます。

「どうか頭をお上げ下さい」

 と、政子がいいます。

「夫は、死ぬつもりでいます」ひれ伏したまま、りく、がいいます。「このようなことになってしまって。事を収めるには、みずから命を断つよりないと思っています。こたびのこと、たくらんだのはすべて私。四郎殿(時政)は、私の言葉に従っただけ。悪いのは、私です」

 政子は立ち上がり、去っていきます。

 義時が包囲している場所に、政子がやって来ます。

「父上を助けてあげて」

 と、義時にいいます。

「鎌倉殿をお助けしたら、すぐに攻め込みます」

 と、義時はいい放ちます。

 館の中では、時政がつぶやくようにいいます。

「頃合いかな」実朝に近づいて頭を下げます。「鎌倉殿。このたびは無理強(むりじ)いをしてしまい、申し訳なく存じまする。鎌倉殿の芯(しん)の強さ、感服いたしました。いずれは、頼朝様を越える、鎌倉殿となられます」時政は和田にいいます。「お連れしろ」

 実朝が問います。

「じいは来ないのか」

「ここでお別れでござる」

「来てくれ」

 時政はゆっくりと首を振ります。実朝を連れて出ようとする和田に、時政がいいます。

「小四郎に伝えてくれ。あとは託(たく)したと。北条を、鎌倉を引っ張っていくのは、お前だと」

 門が開き、義時たちの前に実朝が現れます。

「執権殿は」

 と、義時は和田に聞きます。

「覚悟を決めておられる」

「何かを申されていたか」

「小四郎に伝えてくれといわれた」

 しかしその内容を、和田は忘れてしまったのです。実朝が代わりにいいます。

「あとは託した。北条と鎌倉を、引っ張っていけ」

 実朝と和田は去って行きます。攻め込もうとする義時に政子が訴えます。

「子が親を殺すような事だけはあってはなりませぬ。それだけは」

「政(まつりごと)に、私情をはさむことはできません。尼御台(あまみだい)」

「わたくしは娘(むすめ)として、父の命乞いをしているのです」政子は義時の背後にいる御家人たちにひれ伏します。「方々(かたがた)、どうか父をお許し下さい」

 御家人たちもひれ伏して応えるのでした。

 館の中で、時政が脇差しを抜いていました。自分の首に刃を当てます。それをおさえる者がいました。八田知家です。

「息子でなくて、悪かったな」 

 との一言を述べます。

 翌朝、泰時が妻の初(福地桃子)にいいます。時政と、りく、は別々に押し込められている。沙汰はまもなく出る。

「出家ですむんでしょ」

 と、初がいいます。

「父上のことだ。口ではああいっておきながらも、裏から手を回す事だってあり得る」

「考えすぎ」

「父の怖さを知らないんだ。そもそも父は、じさまを討ち取ろうとしていたんだ」

 結局、時政の処分は、伊豆に流されることに決まります。

 義時は、それを伝えるために、囚(とら)われの時政に会いに行きます。

「生まれ育った地で、ごゆっくり残りの人生をお過ごし下さい」

「りく、はどうなる」

「共に伊豆へ」

「あれがいれば、わしはそれだけでいい。よう骨を折ってくれたな」

「私は首をはねられても、やむなしと思っていました。感謝するなら、鎌倉殿や文官の方々に」義時は顔を上げます。「父上。小四郎は、無念にございます。父上には、この先もずっとそばにいて欲しかった。頼朝様がおつくりになられた鎌倉を、父上と共に守っていきたかった。父上の背中を見て、ここまでやって参りました。父上は、常に私の前にいた。私は父上」

 義時は言葉が続けられません。

「もういい」

 と、時政がいいます。

「今生(こんじょう)のお別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません。父の手を、握ってやることができません。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」

 元久(げんきゅう)二年(1204)、閏(うるう)七月二十日。初代執権、北条時政が鎌倉を去ります。彼が戻ってくることは二度とありませんでした。

 捕われた、りく、の部屋に女中が入って来ます。善児に育てられた、暗殺者のトウが変装した姿でした。三浦義村がそれを見抜き、トウを追い払うのでした。

 義時は、りく、に会いに行きます。

「これより、伊豆に向かっていただきます」 

 りく、はふてぶてしくいってのけます。

「都でなければ、鎌倉であろうが、伊豆であろうが、私には同じこと。私を殺そうとしたでしょ。安心なさい。私はもう、あなたのお父上を焚きつけたりしないわ」

 義時は京にいる御家人たちに、平賀智雅(ひらがのともまさ)を殺すよう命じます。罪状は、実朝に成り代わり、鎌倉殿の座を狙ったこと、でした。

 義時は御家人たちを前に宣言します。

「これより、この北条義時は、執権時政に代わり、鎌倉の政(まつりごと)を取り仕切る」