日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第6回 悪い知らせ

 自軍が敗北し、頼朝(大泉洋)は石橋山の洞窟に隠れていました。

 大庭勢が頼朝を探しています。梶原景時中村獅童)は、頼朝の一行を発見します。しかしそれを見逃すのでした。

 北条時政坂東彌十郎)と義時(小栗旬)の父子は、救援を求めに、甲斐の武田信義八嶋智人)の陣に来ていました。

 後の山梨に勢力を保っていた甲斐源氏。信義はその長(おさ)でした。

 時政と義時は信義に会います。信義はいいます。

「わが方と手を組みたいと聞いた」

「ぜひともお力を貸していただきたい」

 という時政に信義は言葉を重ねます。

「頼朝は、源氏の棟梁(とうりょう)を名乗っておるが、真の棟梁はこの信義である。それを頼朝が認めるならば加勢しよう。いかがか」

「かしこまりました」

 と、にこやかに時政は答えます。義時は時政に小声で注意してから発言します。

「佐(すけ)殿(頼朝)は、ご自身で平家討伐軍を率いる御決意」

 義時の言葉を鼻で笑い、信義は時政に近づきます。

「例えばの話であるが、頼朝には力を貸すつもりはないが、北条は助けてやっても良いぞ」

「何ですと」

 と、時政は反応します。

「わしの家人(けにん)になれ」信義は時政から離れます。「その代わり手土産が欲しい」

「何でもいうて下され」

「法王様の院宣(いんぜん)。頼朝の手もとにあると聞いた。もしそれが本当ならば、持つべきはわしじゃ。持っておるのか」

 義時がすかさず答えます。

「噂でございます」

「持っております」と、時政が断言します。「すぐに取って参ります」

 信義の前から辞し、時政は義時にいいます。

「運が向いてきたぞ。佐(すけ)殿も先が見えた。手を切るにはいい機会かもしれん」

「真に受けないで下さい」

「確かに、政子(小池栄子)は不憫だが、またいい縁もある」

「佐(すけ)殿を見捨てるのですか」

「北条のためじゃ。我らが生き延びる手立てが他にあれば、ゆうてみい」

 時政と義時は、帰り道、敵の襲撃を受けます。何とか撃退した父子でしたが、時政が院宣ももういい、といい出します。心が折れたのだと話します。

院宣はともかく、佐(すけ)殿の事を放っておくことはできません」

 と、義時。時政は吐き捨てます。

「どうせもう殺されておるわい」

「兄上も戻って来ている頃です。兄上がおられる限り、道は必ず開けます」

 義時たちは盟友である三浦義村山本耕史)が船を準備しているところに出くわします。

「ここで何をしている」

 と、義時はたずねます。

「佐(すけ)殿を助けに来たんだよ」

 と、義村は答えます。居場所が分からず、帰るところだったというのです。義時はなぜ助けに来てくれなかったのかと、義村を責めます。

「こっちはこっちで大変だったんだよ」

 と、義村は話します。畠山重忠中川大志)の軍と行き会った。坂東武者同士で争うのは無益であると、お互いに別れた。ところがそこに和田義盛横田栄司)がやって来て畠山を攻撃した。おかげでだまし討ちのような形になってしまった。

安房(あわ)の安西景益は我らの味方。そこで立て直すぞ」

 と、義村は立ち上がります。

「待っていてくれ。俺が佐(すけ)殿を連れてくる」

 と、義時は山を登っていきます。

 ついに義時は、頼朝の所にたどり着きます。頼朝の従者である安達盛長(野添義弘)がたずねます。

「援軍は、どうだった」

 義時はうつむいて答えます。

「武田のことはお忘れ下さい」

 義時は船が待っていることを伝えます。安房へ渡ります、と頼朝にいいます。

「兄上は」

 と、義時は聞きます。戻っていないことを土肥実平阿南健治)が知らせます。

 その頃、大庭の館では、伊東祐清(竹財輝之助)が、義時の兄である北条宗時の首に手を合わせていました。大庭景親國村隼)がいいます。

「これほどの大勝利。方々(かたがた)、ご苦労でござった」

 山内首藤経俊山口馬木也)が大庭に近づきます。

「頼朝の首がここにないのが、心残りでございますな」

「許せんのは三浦じゃ」大庭は手をぬぐいます。「ぎりぎりまで味方と思わせておいて、最後に裏切りおった」

 大庭は畠山重忠に、三浦の本拠を突くように命じるのでした。

 夜が明け、頼朝を船で待っていた三浦義村らは、敵の攻撃を受けます。支えきれないと感じた北条時政は、逃げることを促します。

 義時が頼朝を連れてやって来てみると、船は消えていました。

 仕方なく、頼朝たちは真鶴の岬に行き、土肥の船で海を渡ることにしました。三浦沖を通過し、後の東京湾を横断して、房総半島へ。安房国に入ります。

 安西景益の館には、すでに北条時政が到着していました。白々しく、頼朝の無事を喜びます。

「佐(すけ)殿、よくぞ安房国(あわのくに)へ」安西景益(猪野学)が頼朝を歓迎します。「しばらくは、我が館で疲れを癒やして下され」

 時政が義時に、宗時のことを聞いてきます。

「ここにも来ていませんか」

 と、義時はいいます。時政は嘆くような声をたてます。

「どこ行っちまったんだよ」

 三浦勢が皆に合流します。義村が義時にたずねます。

「佐(すけ)殿はまだいくさをお続けになられるおつもりか」

 土肥実平も聞かれ、答えます。

「弱気になられているのは間違いない」

 和田義盛が強い声を出します。

「もう佐(すけ)殿がどうのというのは関わりねえ。こっから先は、俺ら坂東武者が決める話だ。俺は大庭が許せねえ。伊東も畠山も許せねえ。だからとことん戦うしかねえんだ」

 皆が同意の声を放ちます。喧噪の仲、義村が義時に目配せをします。二人は渡り廊下を歩きます。

「はっきりいうが、このいくさ、勝ち目はないぜ」と、義村は言い切ります。「今ならまだなんとかなる。大庭も伊東も、元は仲間だ。頭を下げれば、大目に見てくれるんじゃねえか」

「佐(すけ)殿はどうなる」

「差し出すんだよ。それしか手はない」

「できるわけないだろう」

「いっておくが、俺は頼朝と心中(しんじゅう)する気はねえ。はやいとこ見切りをつけた方がいいって」

 義村は義時を残して去って行きます。そこへ仁田忠常(高岸宏行)がやってくるのです。仁田は頼朝の欲しがっていた観音像を持っていました。北条の館から運んできたというのです。

 海岸沿いにいる時政に、義時は観音像を見せます。

「兄上(宗時)はこれを取りに館へ戻られました。これが、館に残っていたということは」

「三郎(宗時)の馬鹿」時政は嘆きます。「これからだってのに。何やってんだか」時政は顔をあげます。「小四郎(義時)。わしより先に逝くんじゃねえぞ。これからは、お前が北条を引っ張っていくんだ」

「私にはできません」

「三郎がやりかけていたことを、お前が引き継ぐんだよ」

 時政は義時に観音像を渡します。義時の胸に、宗時の言葉がよみがえってきます。

「俺はこの坂東を、俺たちだけのものにしたいんだ。坂東武者の世をつくる。そして、そのてっぺんに北条が立つ」

 安西の館の一室にいる頼朝に、義時は観音像を渡します。

「お急ぎ下さい。皆、広間で待っております」

 と、義時が促します。頼朝は外を見ます。

「いくさはもうやらん。どうせまた負ける」

「負けませぬ」と、義時はいいます。「風向きは変りました。佐(すけ)殿は生き延びられました。佐(すけ)殿は天に守られている。そのことは、どんな大義名分よりも人の心をつかみます」

「そううまくはいかん」

「このままでは、石橋山で佐(すけ)殿をお守りして死んで行った者たちが浮かばれませぬ」義時は立ち上がって頼朝に近づきます。「事はすでに佐(すけ)殿の想いを越えています。平家の横暴に耐えてきた者たちの不満が今、一つの塊(かたまり)となろうとしている。佐(すけ)殿がおられなくても、我らはいくさを続けます。そして必ず、平家の一味を坂東から追い出す。私はあきらめてはおりませぬ」

「戯(ざ)れ言を。お前たちだけで何ができる」頼朝は義時に向き直ります。「このいくさを率いるのはこのわしじゃ。武田でも、他の誰でもない」

 頼朝は壮麗な鎧を身につけ、皆のいる広間にやって来ます。

「おぬしたちの顔を見ると、何やら勇気がわいてくる」頼朝は叫びます。「いくさはまだ始まったばかりじゃ」

 皆もそれに声を出して応じるのでした。

 その頃、館に戻り、鎧を外そうとする男がいました。

「平家の犬どもめ。口ほどにもない」

 男は頼朝からの文(ふみ)を、丸めて投げ捨てます。男の名は上総広常(かずさひろつね)(佐藤浩市)。頼朝の運命はこの人物の肩に掛かっていました。