日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第9回 決戦前夜

 源頼朝大泉洋)が畠山重忠中川大志)と和田義盛横田栄司)に命じます。

「伊東祐親(すけちか)(浅野和之)を召し捕って参れ。手向かいすればその場で斬り捨てて構わん」

 北条義時小栗旬)と三浦義村山本耕史)は畠山と和田に先行しようと、馬を急がせていました。

 義時と義村は夜、伊東祐親の館に到着します。祐親を前にして、義時はいいます。

「大庭勢は散り散りとなり、我が方の兵がこちらへ向かっています」

 義村もいいます。

「祐清殿も捕まりました。いくら待っても援軍は来ません」

 伊東祐親は口を開きます。

「さような者、はなから当てにしておらん」

 義時がいいます。

「命を無駄にしてはなりません」

 そこへ頼朝勢が迫ってきているとの知らせが入ります。

「守りを固めよ」

 と、祐親はあくまで戦うつもりです。

 八重(新垣結衣)の夫である江間次郎(芹沢興人)は、短刀を抜いて八重に近づきます。しかし江間は脇差しを落としてしまうのです。

「俺にはできません。俺にはあなたを殺せない」

 八重は江間を見つめます。

「父上が命じたのですね」

「お逃げください」江間は泣き声でいいます。「正面からだと、舅(しゅうと)殿に見つかる。裏からどうぞ。急いで」

 八重は立ち上がり、江間の手を取ります。一緒に行こうとします。しかし背後から、近づく者があったのです。八重と頼朝の子を手にかけた善児(梶原善)でした。善児は落ちていた短刀を拾うと、江間の背に突き立てます。逃げる八重を追う善児。そこへ義村が駆けつけるのです。善児はかなわないと見て、逃げていきます。

 祐親は義時にいいます。

「頼朝もとで生き恥をさらす訳にはいかんのだ」

「ともに平家と戦いましょう」

 そこへ八重がやって来て、もう誰にも死んで欲しくないと訴えます。頼朝勢の喊声(かんせい)が聞こえてきます。祐親は刀を八重に向けます。

「あの男に渡すわけにはいかん」

 と、刀を振り下ろすのです。義時がそれを受け止めます。

 館に頼朝の軍が入って来ます。その前に義村が立ちふさがります。

「祐親は見逃してやってくれ」と、畠山と和田にいいます。「あんなじいさんでも、俺の身内なんだ」

 と、義村は背後の扉を閉めるのでした。

 祐親と義時は刃を交わしていました。祐親は傷を負います。祐親は刀を投げ出し、座り込みます。

「殺せ」

 義時は膝(ひざ)をそろえて座ります。

「八重さんは必ずお守りします。佐(すけ)殿には渡しませぬ」

 翌朝、義時は頼朝に、祐親の命を助けてくれるよう懇願(こんがん)していました。

「伊東祐親は、生かしておく訳にはいかぬ」

 その場にいた政子(小池栄子)が口を出します。幼い頃、祖父である祐親のもとに遊びに行って、双六などをして遊んだことなどを話します。

 縛られた祐親の前に頼朝がやって来ます。

「お久しゅうごさる、舅殿」と、声をかけます。「よき孫たちに恵まれましたなあ。命は取らぬ。身柄はしばし、三浦に預ける」

 八重は義時に訴えます。侍女として、御所において欲しい、頼朝を支えたいのだといいます。

 この話を聞いて激怒していた政子でしたが、義時の説得により、八重に厨房の仕事を任せることにしました。

 治承四年(1180)、十月十三日。平維盛(これもり)(濱正悟)を総大将とする、平家の追討軍が、東海道を進んでいました。

 義時が頼朝に、追討軍が駿河に入ったことを知らせます。その数は、五万とも七万とも。頼朝はいらつきます。

「甲斐の武田はまだ来ぬのか。武田がいなければ、このいくさは勝てぬ」

 義時の父の北条時政が、武田を連れてきたとやって来ます。しかし武田は駿河に直行したというのです。頼朝を待つつもりです。

「わしに出向けと申すか。あべこべではないか」

 と、頼朝は時政を怒鳴りつけます。

 頼朝は鎧(よろい)に着替えています。

「出陣じゃ」

 と、叫びます。武者たちがそれに応えます。

 十月十六日。頼朝は武田の軍勢と合流するために、黄瀬川に向かいます。

 十月二十日。平維盛率いる追討軍が、富士川の西岸に到着します。一方、そこから少し離れた黄瀬川で、源頼朝武田信義(矢嶋智人)が対面します。二人は合戦の日を決めます。じっくりと策を練るために、明後日とします。信義は酒の席を用意していました。頼朝は信義と共に飲みます。

 頼朝軍の武者たちも野外で酒を酌み交わしています。畠山重忠がいいます。

「我ら坂東武者がないがしろにされるのは、いただけません」

 義村の父の三浦義澄(よしずみ)(佐藤B作)が時政にいいます。

「お前の出番だ」

 時政は立ち上がります。

「よっしゃ。任せとけ」

 時政は頼朝と信義が飲んでいる席にやってきます。話をしようとしますが、酒をすすめられてしまいます。

 泥酔して、頼朝と時政は外に出てきます。時政は上機嫌です。

 その日の深夜、頼朝に知らせが入ります。武田の全軍が、富士川に向かったというのです。頼朝は出し抜かれたのです。つられて動いても混乱するだけだと、頼朝は夜が明けるまで待つことにします。

 義時は武田信義のもとに駆けつけ、問い詰めます。

「どういうことですか」

「何のことかな」

 と、信義はとぼけます。

「抜け駆けされるおつもりか。我が軍勢が到着するまで出陣はお待ちいただきたい」

「それはできぬ。まもなく、夜討ちをかける」

「なりませぬ」

「敵が川を渡る前に先手を打つ。武田の手で、追討軍を追い払う。京でもわしの名が轟(とどろ)くであろうな」信義は笑い声を上げます。「頼朝を出し抜いてやったわ」

 酒の抜けない時政と三浦義澄は、平家の陣をながめていました。しっかりしてくれ、と義澄は時政に活を入れます。その騒ぎに馬がいななき、辺りの水辺に休んでいた無数の水鳥たちが、一斉に羽ばたきました。平家の陣は、大軍が襲ってきたものと勘違いし、恐慌を来たします。あっという間に総崩れとなり、頼朝の軍は、戦わずして勝利を得たのでした。

 頼朝は追撃しようとします。しかし土肥実平阿南健治)をはじめとする武者たちは気乗りしません。三浦義澄が義時に聞きます。

「佐(すけ)殿は、この先どうされるつもりだ」

「追討軍を追って、京へ向かわれます」

「それが困るのだ」

 土肥実平がいいます。

「わしらは、追討軍を追い返して終わりだと思っておった」

 皆は所領に引き返すといいだします。時政が兵糧(ひょうろう)も不足しているといい出します。

 義澄は立ち上がります。

「分かってくれ、わしらは所領を守るために立ち上がった。平家を倒すのは二の次だ」

 武者たちは次々と立ち上がり、去って行きます。上総広常(佐藤浩市)も、所領を狙う者がいると、引き上げるつもりだと話します。

「追討軍が逃げ出したんだから、それでよしとしようや」

 義時は返す言葉もありません。

 義時は頼朝に進言します。

「坂東武者の助けがない限り、これ以上の進軍は無理にございます。東を平定した後、兵糧を十分にためてから……」

 頼朝はいらつきを隠しません。

「一日も早く清盛の首をはねたいのだ」頼朝は大声を出します。「平家が背を見せたのだぞ。この時を逃せと申すか」

 それまで黙っていた時政が発言します。

「佐(すけ)殿は、所領をお持ちにならねえんで分からねえんだ。坂東武者にとって、何より大事なのは、所領と一族。それを守るためなら、死に物狂いで戦う。清盛が憎いからじゃねえ。おのが所領がかかっているから戦うまで。その辺の所を、どうか考えてやってくだせえ」時政は頼朝に向かって立ち上がります。「いくさで命を張るのは、わしらなんだ」

 頼朝は鎌倉へ帰ることを決意します。そこへ奥州からやって来た、源義経菅田将暉)が現れるのです。義経はいいます。

「父上を殺し、母上を奪った清盛への恨みを、忘れたことは片時もございませぬ。兄上と共に必ずや、必ずや、父上のかたきを討ちとうございます。兄上のために、この命、捧げます」

「よう来てくれた」

 と、頼朝は義経を抱きしめるのでした。